6月14日。日曜日。朝、プリウスで出発する。
後部トランクには既に旅行カバンが2つ積まれていた。
成田方面へ向かう。
「マッサンは、君が宿泊する家の主人だ。よろしく伝えておいてやったから、たっぷりしごかれてこい」
空港北のホテル駐車場へ入る。
先にいた軽トラックから、細身の男が降りてきた。40代くらいか。ヨレヨレの作業着。玄人感が漂う。
エヴァンズと握手する、骨っぽい掌は、見た目より力強そう。
この人がマッサンらしい。
慌ててウイスキーを出そうとすると、着いてからでいいと止められる。
俺が軽トラの助手席に座ると、マッサンはすぐにエンジンをかけ、発進させた。
エヴァンズとはここでお別れか。
空港の東から南へぐるりと回りこむ形で、舗装もされていない山道へ分け入る。高い塀で囲まれた、紛争地帯への秘密ルートを走っているようだ。
リゾート地というのはここか。
舌を噛むから着くまで喋るな、と言われていたので黙っている。
深い霧が立ちこめる。
フォグランプでかろうじて前方の地面が見えるだけなのに、マッサンは40km/hくらいの速度でクネクネとハンドルをさばく。
どうしばかれてもこんな運転は身につけられないよと、心が悲鳴をとばしだす。
やがて平地に入り、しばらく農道を抜けたあと、3階建てのお屋敷へ到着した。
古民家のような造りだ。
あいかわらず濃霧で、視界がきかない。
家の中へ案内される。
玄関に、たくさんの靴。奥からは子供たちの声。
四畳半の居間へ入って、ここで旅行カバンの中を全部あけるよう命じられる。
俺も初めて中身を見た。
着替えが上下3セット。タグに番号が振ってある。下着やタオルにも。洗面用具もか。
念のいったことで。
スターンからのウイスキーはここでやっと渡せた。
元気そうかい、と訊かれ、俺の知っているままのアヴァンティについて語る。
コロナ対策は、今はどこの店でも席の間引きにパーティションにとやってますが、2月の時点から始めてました。……とかそんな話を。
マッサンは、きょとんとしていた。都会のバールへ行くような習慣は無さそうな人かもなと察したりする。
20分ほど閑談したところで、御婦人が手作り弁当を持ってきてくれた。
それを手に、マッサンのあとをついて行く。
先ほどの軽トラにまた乗り、1kmほど離れた作業所へ。
広めのバラックで40人くらいが働いていた。
老人から子供まで、男も女も、様々だ。
泥付きの野菜がコンテナに仕分けされ、段ボール箱の山に計量台にと、ちょっと懐かしい光景。
肥料の香りがぷんぷんしてるはずなのだが、あいかわらずそれは、匂わない。
特に挨拶しもされもせず、グループの一つに混じる。
見様見真似で、同じ作業をしたり、指示されたことをやる。
仕事がひと段落つけば、他のグループへ回される。
全員がつば付き帽を着用。
俺も入口で渡された、81と大きく書かれた帽子をかぶり、その番号で呼ばれる。
実名やニックネームで呼び合っている人たちもいるが、わからなければ番号でいい。
効率的だなあ。
11時くらいから、奥のテーブルで弁当を食べ始める人が現れた。
みんな一斉にではなく、手の空いた者からローテーションしていくのがここの流儀らしい。
俺も、適当なところでひと息いれる。
19番さんや、70番さんとお喋りをした。
気になっていたことから訊く。
普通の選果場では、野菜を品種ごとに箱詰めする。虫食いや形が悪いのを間引いて、洗浄機をくぐらせ、保湿剤や艶出し液をまぶしつつ個数と総重量をチェックしながら送り出していくものだ。
ここでは箱ごとの総重量しか確認しておらず、土付きのまま、種類も無造作に箱詰めする。
飼料用ですか?
「いやいや、契約者に、このまま宅配するんだよ。
何が入っているかはお楽しみ。
もし調理の仕方がわからなかったり、名前を知りたかったら、画像を送ってもらえれば事務方が答えるよ。
面白いだろ」
たしかに面白いですけど、ハードル高いですねえ。
なんでも料理できる人しか契約してくれないのでは?
「逆だと思うよ。面白いと感じるところから始めて、どんどんチャレンジしていくんだ。
ここでは最初からそういうお客しか開拓してこなかったようだね」
今朝、ものすごい山道の中を通ってこの村まで来たんですけど、あのルートで出荷してるんですか?
「いや。この事業は正規にやってるから、平地の検問所を通っていく。
県警は、持ち込みには神経をとがらせるけど、出ていくぶんはいちいち開封させたりしないからね。
武器やお客様を運びこむ場合だけだよ、遠回りするのは」
俺はお客様か。そして、武器も今朝のルートで運ぶのか。
ミニバンで成田まで運び屋やったことあったな。あのときの武器も、この村に保管されているのかな。
ここの人たちは戦闘にも従事するのか。
するよな。カモッラの一味だものな。
「君は、えーと、カモッラからの研修生だっけ。
陸自の新型小銃ってもう触ってみた?」
え。はあ。あいつですか。
いえ、音を聞いたくらいですね。実物はまだ見ていないです。
「そっか。まだひと月だもんな。そのうち誰かが手に入れてくると思うけど」
おいおい、やっぱりこの人たちは武装ゲリラみたいだよ。
銃もよりどりみどりだってスターンが言ってたよな。
奥多摩は拳銃がメインだったけど、ここではバズーカや迫撃砲まで扱ってそうだ。やべえやべえ。
午後の作業では、畑に出て、葉物野菜の害虫駆除をやった。
これがおそろしく重労働で、腰を痛める。
ナメクジや毛虫の数も半端なくて、容器がすぐいっぱいになる。
もしかして農薬使ってないんですかと尋ねてみたら、案の定だった。
「完全無農薬とはいかないが、原則頼らない。
営利農業では考えられまいが、ここは体験学習の場なんだと割りきってくれ。
もし有機農法や自然栽培に幻想を抱いていたのであれば、早めに現実を知っておくことこそ、考えるための養分になる。
それから害虫だけでなく、イノシシやクマもそこらへんをうろついているから、見たらすぐ鈴を鳴らせ」
俺、農業専門校出身だから知識は持ってましたけどね。さすがにここまで非現実的な実習は初めてです。
見たらすぐって、霧で視界もきかないのに。
鈴より先に悲鳴を飛ばします。
疲れたらギブアップ宣言して、休憩をとってよいというのがここでは共通ルールだった。実にありがたい。
体格も熟練度もバラバラなので全作業員に均一のノルマを課すことはそもそも無理筋なのだが、それよりも自分自身の能力や限界値を常に正しく把握できるようになれ、という目的が秘められているらしい。
リーダーが固定しておらず、決まった管理責任者が存在しない。
しばらく戸惑った。
それでもヒエラルキーはある。
ここでは即席でチームをつくり、メンバー一人ひとりに適切な指示を与え、質問に即答できる者が、権力を持てる。
今日来ている者が明日も来るとは限らない。そう言われてふんわり納得した。
リーダー格は皆、どんな作業もこなせる猛者だが、徹底してドライだ。
アルファ・ブラボーと呼びあえば、カモッラのミッションと同じような感覚である。
なるほど、研修の場だ。
まさしくな。
5時。作業おわり。
バスが来て、ゲリラ兵たちを乗せていった。
俺は迎えに来てくれたマッサンの軽トラでお屋敷へ帰る。
ここ以外にも作業所が村内各地にあり、兵たちはそれぞれの合宿所で眠りに就く。俺は特別待遇で、マッサン邸へ住み込みなんだそうだ。ありがてえなあ。
先に風呂をいただき、夕食前に御家族の皆様へ紹介される。
おばあさま、マッサン、奥様と3人の子供たち。
あらためてよろしくおねがいします。
では、いただきます。
おいしいですかと訊かれたので、実はコロナで味覚を失ってしまったのですと答える。
それについて話すうち、マッサンから、ついて来るように言われた。
離れの肥料小屋まで歩く。
「これ、口に含んでみて。こんな風に」
どう見ても土なのだが、家主が実演までしてるのに断るわけにいかない。
もぐ。
やっぱり土じゃねえか。苦いです。
「苦いってのは味覚だけど、苦味を感じる?
土の味、してる?」
びっくりした。
土の味です。なんだこりゃ。
嘘。
え、まさか。なんで?
「そのまま1分くらい、唾液と混ぜ合わせながら、もぐもぐして。
はい。ここに吐いて。
口をゆすいで、戻りましょう」
半信半疑のまま、食事を再開。
衝撃が走った。
味がする。
コメだ。味噌だ。野菜に、肉に。
何もかもが、ちゃんと味わえる。
うまい。なんで?
なんで?
俺は号泣しながら、おかわりをした。
子供たちが大笑いして、おばあさまに叱られて、奥様は次のおかわりを待機していて、マッサンは静かにウイスキーを傾けている。
そんな皆さんに見つめられながら、俺はむせび泣き続けた。
「我が家へ来た人はよく泣くものなんだが、初日からここまでの泣きっぷりは見たことがないね。
陽動班向きか?
わざとらしすぎるかな。さてさて……」