朝陽が射しこむ。
やうやう白くなりゆく山ぎわ。紫だちたる雲の細くたなびきたる。
目の前には白き脂肪の塊。
あどけない寝顔がかわゆく見ゆるはいとをかし。
このババアは、時間に無頓着らしい。
村の中でも浮いた存在なのだろう。
移住者みたいだしな。独りで気ままに生きている。
時々、若い男をとって食う。
やまんばだ。
現代日本にも、こんな妖怪が、まだ、いるのです。
マッサン邸へ駆けこんでもどうなるものでもあるまいし、それよりもこのババアをとっちめてやりたくある。
先に起きてもすることがないし、ひとしきり、ぷよぷよした肉をつまんで遊んだ。
アラフォーと言っていたな。
あの女優のプロフィール通りなら39歳のはずだ。
身代わりになった娘に整形をさせたらしいが、本人は整形したのかどうなのか。
さっぱりわからん。
ただ胸や尻の張りを見ると、実年齢はもっと若い気がする。
つっても俺にそこまで判断できるほどの経験があるわけもない。
やまんばの正体は、永遠に謎だ。
けだるげに目覚めたババアと、昨夜よりは友好的なまぐわいをひとしきりすませたあと、起きて一緒に朝飯をつくる。
今日は天気よさそうだから、少し畑の手入れをするかね。
まるで熟年夫婦のような対話を交わす。
デジャヴを感じ、記憶をたぐった。
農専のコンピュータ同好会アザリアで、同棲をしてたカップルがいた。
緑石と、潮田トヨコ。
緑石の本名は何ていったっけ。ともかくあの二人が、いつもこんな感じだったように思う。
老成。
セックスは惰性でしかなく、さりとて別れるとか浮気だって想像すら及ばない。
結婚するにしても義務感だと意識するから積極的になれない。
卒業して、就職して、生活が安定してきたら子供つくって、それを機会に入籍するのがベストかもね。むしろそれ以外のイメージが思い描けなかった。
どうしてるんだろ、今。あのふたり。
それでもかれらは熱烈恋愛期を過ごした上で倦怠期にはまりこんでいたわけだが、なぜこの俺が、出会って24時間も経っていないこんなやまんばを相手に同じような心境に陥っているのかしら。
自己嫌悪するぜ。
昨日修繕したバリケードをいくつも潜り抜けて、菜園へ入る。
ここを狙うのは動物たちばかりだから基本追い払うだけにしているが、人間相手の場合はそこに地雷を埋めておくんだ、と陣地防衛術のレクチャーを受けながら歩いた。
なるほど。闇雲に設置すればいいというものではなく、侵入者の行動パターンを予測しキルゾーンへ誘いこむことで最大効果を発揮することが可能なわけだ。
カマス内では重要拠点や外周へ行くほど、その種の罠が何重にも仕掛けられているから、出歩く際は必ず案内人を付けること、と念を押される。
それは脱走者対策でもあるのかな。
おそろしそうだなあ。
ついでに聞いたトリビア。
有刺鉄線は、害獣対策には役立たない。
烏はキラキラする反射に惹かれて寄ってくるし、猪など毛深い四足獣はあのトゲを気持ちよく感じる。
有刺鉄線に恐怖するのは人間だけで、しかも記号論的な刷り込みにすぎない。
安価に設置できるため流通しつづけているが、野生動物はその先に美味なる作物が実っていることを関連づけて覚える。
どう考えても人間の方が愚かだろう。
はい、そうですね。
ここで気付く。
マユミは、ヤポという蔑称を使わない。
自身が日本人だからだろう。
これに対し、マッサンは俺のことも面と向かってヤポと呼ぶ。
屈辱を与えようという悪意は無いようだが、異なる人種で、かつ自分たちより劣等だと強い意思を籠めているように感じて、ひるむ。
カモリスタ全員がそうとも言えるのだが、マユミの立場からはどう見えているのだろう。
「マッサンはノンマルトだから。アイヌやエミシ、琉球民族と同じ日本の先住民だから。
だから侵略者に心をひらいてくれることは無いと思うよ」
ああ、そういうことか。
なんとなくだが腑に落ちる。
「知ってるかな。日本では、国民の民族別構成比を論じるための統計が無いんだよ。
国内に住所を持つ全世帯に5年ごと国勢調査が行われるけど、家族構成や学歴・年収などは細かく記入させられるのに、出生地や民族についての項目は無いんだ。
政府が意図的にそうしてるんだけど、日本は単一民族国家であるという神話を守るために、それらを問うこと自体タブーにしているわけ。
朝鮮半島や中国から強制連行して名前まで日本式に変えさせた移民に対しても、第2世代以降は在来種の日本人と統計上区別をつけられないようにしている。わざとだよ。
私たちは民族差別をいたしません。
これが政府の言い分。
どう?気持ち悪いでしょう」
一理あるような気もするけど。
マッサンたちは民族の誇りにこだわってる、ということですか?
「実態として、多数派が少数派に、自分たちの常識や生活習慣を無自覚に押しつけてる。
暴力の行使は、多数派のみが許される。
少数派が不当な差別を被っていると公の場で主張しても、日本政府および社会は一団となって、そんな事実そのものが存在しないと撥ねつける。
私たちは平等にやっております、差別しているなどという根拠は見つけられませんってね」
あ。
それは……アメリカで、白人が黒人にやっていることと、同じだ。
「そんなことしてるからカタストロフも起きちゃうのさ。
知らぬ存ぜぬで押し通すつもりだとしても、そもそも実態を正確に把握しておかなけりゃ議論もできない。誠意があればまだしも、無しで突っぱねるだけだからさあ。
問題解決能力無さすぎだよね」
あの。
言い訳じゃないんですけど、ほとんどの日本人がそんな話は知らずにいると思うんです。
俺も、去年までは、考えたことすらなかったです。
マユミさんは、どこで成田カタストロフや、カマスや、ノンマルトのことを知ったんですか?
「今のが言い訳じゃなかったら一体なんだっていうの?
考えたことすらないから教えてくださいって怒ってる相手に向けて言っていい台詞じゃないでしょうに。
そんなことすらわからないの?」
ごめんなさい。そのとおりだと思います。
「あたしは田舎を転々としていて、ここへ来る直前は木更津の一軒家で暮らしてたんだけど。
60年前には木更津も空港予定地候補のひとつだったんだ。
最終的に成田が選ばれ、積もり積もったノンマルトの怒りに火を付けてしまったわけだけれども、木更津がその舞台になってた可能性もある。
ノンマルトの末裔は関東一円どこにでもいて、あたしの郷里の流山でも成田闘争を支援する団体がいた。
そんな縁があって、ここへ通うようになるうち、どうしても住みたくなってね。引っ越してきたんだ。
ちなみに、あたしは正真正銘のヤポだけど、めんどくさがりの日本政府はあたしに国勢調査を求めてきたことがない。
わかりやすくて、あっぱれだ」
果物と野菜をカゴいっぱいに収穫して、帰宅する。
料理の仕込みをしながら、しょっちゅうお尻を触られて、抵抗するも虚しく床の間へ連行される。
そんな、ただれた午後を過ごした。
マユミが喫うタバコは、案の定ドラッグだった。
奥多摩でも子供たちが売りさばいていたが、もともとカモッラは麻薬密売が専門だ。カマスへは武器や燃料などと共に定期便が届けられ、マユミへもおすそわけされる。
紙巻きは、自分でする。配合を調整して楽しむのだそうだ。
初めての男を襲う前には、少し強めの味にする。
ここぞと一発勝負を決めるためには体調管理やムーディングも絡めた緻密な状況設定が必要で、これを完璧にマスターできるようになれば狩りで失敗することはないそうだ。
さいですか。
三毛別の羆も全力で逃げ出しそうですな。
「コロンビアに憧れてるんだよねえ。南米の共和国。
赤道直下で、コーヒーもコカも世界最高の極上品が産出される。
利権も大きいから内戦だって絶えなくてね。
あの国で商売を始めるには、経済学より民兵の組織力が問われるんだ。
強くて賢いヤツしか生き残ることをゆるされない。
カモッラなら、ツテもあるはずだ。半年くらい留学しておいでよ。
今度はあたしを押し倒せるくらい強くなって会いにきな。
全力で相手してやるから」
そんな力を手に入れたら戻ってこないし、おばさんなんか相手にしないよ。
なんて思ったけど聞き流しておいた。
だいたいあんたにすら勝てない俺が、そんな激戦地で半年も生きていられるわけがない。
マユミ自身が行ったらいいんじゃないの。
最高級のコカを、原価で死ぬほど味わっておいでよ。
こんな生活が、しばらく続いた。
金曜日は大雨だったので一日中まさぐりあっていた。
さすがに飽きてきて、マッサン邸へ帰ることにした。
雨がやみかけてから、マユミのスクーターに先導され、ただいま。
子供たちが鼻をつまむほど、俺はケモノ臭くなっていた。
すぐ風呂へ入るよう命じられる。
窓格子越しにマッサンとマユミの会話が聞こえる。
またいつでも貸すから、なんて言ってやがる。
俺をなんだと思ってやがるんだ、どいつもこいつも。
それでもマッサン邸では、不意に襲ってくる猛獣を飼ってないことが幸いだ。
俺は何日かぶりに、熟睡した。