マッサンに、他の作業所へも行ってみたいと希望した。
説明に入る間もなく拒否された。
「君はまだ横堀作業所でも雑兵です。先にその仕事を覚えなさい。
いま他の種類をつまみ始めると、何ひとつ基本の身につかない、ヤポの中のヤポができあがる」
言い草はさておき、一理あるとは思った。
まずは一曲マスターしろということだな。
これなら最後まで弾けます、というレパートリーを着実に積み上げろと。
「エヴァンズに返すとき、前より劣化していたんじゃ私も恥ずかしいからね。
だから覚えさせたいことは幾らでもあるんだが、君はまだまだ次の段階に進ませる水準に達していない」
マユミババアの家で4日も過ごしたことを悔いる。
あれはあれでいい経験になったと思えなくもないが、胸を張って自慢できるスキルとはいえない。
むしろ恥ずかしい。
朝食後マッサンはカマスの地図を見せてくれた。
横堀・辺田・中郷・稲葉・加茂など拠点がいくつもある。
分離壁と山に囲まれた、小さな村。
マユミハウスは描かれてなかったが、この辺りのはずだから、単純計算すると外周ひとまわりするのに約一時間か。
あくまで単純計算すると、だが。
「気付くことがあれば、いくつでも言ってごらん」
成田空港は地図の端に見切れているが、この直線が誘導路だとすると、滑走路やターミナルの巨大さを思い知る。
マッサン邸と横堀作業所は空港に対し最前線に位置しており、来て以来絶え間なく響き続けている騒音も納得がいく。
あとは……なんだ?
この地図に描かれていない要素も、いっぱいあるんじゃないか。
「もういいです。10点もあげられない。
こんな教育しかしてないなんて、エヴァンズもスターンも、見損なってしまうね。
君も君です。いくらヤポでも、もう少し考える癖をつけたらどうだ」
キツいなあ。言い返せない。
エヴァンズとスターンをけなしていることにはニヤリとしてしまうが、そんなことを口にしたらゴステロ様に預けられそうなので、鉄面皮を貫く。
マユミババアが、村内には侵入者対策の罠が何重にも仕掛けられてると言っていた。
そこから類推するのだが、この地図を頼りに他の地区へ行こうとすると特殊部隊でも相当の犠牲を出すのではあるまいか。
そうだよ、ここでは地図なんて特別級の軍事機密であるはずだ。
俺みたいな、信用されていない研修生に易々とホンモノを見せてくれるわけがないさ。
だから、そこから気の利いた答えが返せなかったからって気にすることはない。マッサンは俺を挑発しているだけだ。
辛抱しろ辛抱。
そう考えて俺は自分を慰める。
その後、マッサンは俺をヒトリくんの畑へ連れていった。
へえ、自分の部屋がわりに土地をもらってるんだ。
柵の中に、小さなログハウス。
中にはマンガがぎっしり。
ひみつきちだな。
様々な野菜がちょっとずつ作られており、奥の方にはドッグランならぬ、チキンランが設けてあった。
7羽のニワトリが駆け回っている。
この子たちが、ヒトリくん自慢の家臣団らしい。
頭を低くしてその講釈を拝聴する。
「島村さん家で、鶏飼ってるの。平飼いで、ケージごとに30羽いるの。集団で飼ってると強いのと弱いのが出てきて、弱いのはいつもいじめられて、餌も食えなくなっていっちゃうの。目の前に置いてあげても、食わないの。
そういう子をもらってきて、ここでしばらく放っておくの。藁を積んでおくと虫とかミミズが湧くんだけど、それを自分で啄むようになっていくと、だんだん目つきが変わってきて、すばしっこくなっていって、強くなるの。
たくましくなってきたら2羽ずつ3羽ずつって一緒にするとケンカ始めて、ますます強くなるの。たっぷり強くしたら、島村さんに返すの。
同じケージに戻して、そいつがリーダーの座を奪ったら、ボクの勝ち」
なんだかすげえなあ。ガチの育成ゲームじゃんか。
ルールと報酬が確立されている。
6歳児でこんなこと覚えるのか。
おじさん、途方に暮れちゃうよ。
お礼を言って退出する。マッサンに、とどめを刺される。
「君がまだまだ目の前の藁底に隠れている虫たちに気付いてすらいない状態だということを自覚してもらえたならば幸いなのだけどね。
わかったら作業所へ行って夕方までしっかり働いてきたまえ。君の目付きが変わってきたら、次のステージを準備する」
え、俺もあんな強いニワトリに生まれ変わったりできるんですかね。
そんな希望を持っちゃってもいいんですかね。
邸へ戻る途中、一本の樹を指し示された。
ミサトさんの誕生を記念して植えられた、柚子だそうだ。
「実をつけるようになるまで、あと10年くらいかかる。
とても手間のかかる娘でね。
しかし、いろんなことを学ばせてもらった。
この先も教えられることは尽きない」
ミサトさんも、さっきのような畑を持っているんですか?この近くに。
「ヒトリの畑の半分は、ミサトのお下がりだ。ミサトは別に工房を持っていて、アクセサリーをつくったり、マンガを描いたりしている。
やりたいことが次から次へと変わるみたいでね。
あと数年したら、この村を出ていきたいそうだ」
え?まだ8歳ですよね。
「8歳の女性といったら、もう充分大人だろう。
自分のことは自分で責任をつけたい年齢だ。本人もそう自覚している。
淋しがるのは大人ばかりさ。そうじゃなければ生き延びられないから、それでいいんだけれどね」
ギクリとした。生きる重みの差を気付かされる。
マッサン一家は、滅亡に瀕したノンマルトなのだ。
覚えさせたいことは幾らでもあると今朝俺に言ったけど、子供たちに向けても、山ほど海ほど尽きないはずだと思う。
その実践の一環なのだろうか?子供たちの、この成長の速さは。
そこまではまだ、俺にはわからないが。
スクーターで作業所へ向かった。久しぶりなので勝手がわからず、うろたえる。
基本は、指示された通りの作業だけを忠実に行うことだ。わからなければすぐに尋ねる。
軽率な茶化しやゴマカシは一瞬で信用を失わせる。
カマスではベテラン勢ほどこの掟に厳しい。
観察していると、上級者に求められるのは技術力以上に忍耐力だ。
ある工程を選択したリーダーが、チームを組むとする。この中にABCの格付けがあるとして、AはBに学ばせ、BはCに学ばせる。
教えるんじゃなく、学ばせるのだ。
課題を与え、手本を一度だけ示し、あとは任せる。
自分の作業もこなしつつ、下位者の作業を見守りながら、口出しは原則しない。
1つの工程は長くても90分。その都度チームは組み替えられる。
重労働のあとで鼾をかいて寝てるやつもいるが、宣言した上であれば放置してもらえる。自己管理ができていると判断され、むしろ尊重される。
では何をすると軽蔑され、ハブられるのか。
他人の邪魔をする行為。これは大罪である。
今日も、外から送りこまれたばかりと思しきジジイが、女子に絡み始めてすぐ配置換えされる現場を見た。
ここのベテランたちは容赦しないよ。
そのジジイはいきなりリーダーから胸ぐらを掴まれて、泥の上に投げ飛ばされたのだ。
爽快だった。
全作業員がそんな光景に日々慣れ親しみながら、カマスのルールを学んでゆく。
誰がつくったのだろう、こんなシステム。
コジモ、カモッラ、そしてカマス。みんな違って、どれも恐ろしい。
4時すぎ。
段ボールや軍手、洗濯された帽子などの備品を補充しにきたトラックの運転手に見覚えがあった。
外国人の若い男。
あれは、もしや、アヴァンティで何度か見かけた、留学生じゃなかったかな。
彼も俺に気付いたようだが、ニコリともせず言葉も交わさなかった。
リーダーたちとは談笑してた。荷物を置いたらすぐ去っていった。
作業員のおばちゃんたちが口々に今のイケメン君について語り始めたので、混ざらせてもらう。
彼の名はアモス。イスラエル人。
ひと月ほど前からカマスへ来て、いろんな研修を受けている。呑みこみが早く日本語も達者なので、すでに上級者扱い。
ミネオ先生の娘さんと婚約しているという噂も立っているが、本人たちは否定。
ミネオ先生って、どなたですか?
「歩兵戦術教官さね。見た目はドラキュラ伯爵そっくり。
以前、タケヒデ先生ていうのが対機動隊戦術をカマスに導入したんだけど、もう30年くらい前の話だから、さすがに古めかしくってねえ。
ここに、近代戦のノウハウを教えに来てくれたのが、ミネオ先生というわけだよ。
最新の無反動砲って撃ったことあるかい?このくらいちっちゃくて、ロケット弾込みでも20kgいかないの。
テクノロジーの進歩には、びっくりしちゃうよね」
すごい方ですね。
その無反動砲というのは、カマスにいったい何基くらい配備されてるものなんでしょうかしら。
「さあ。総数はわかんないけど、横堀は一番空港に近い拠点だから、この周辺にいっぱい隠してあるんじゃないかしら。
おっと、探し出そうなんてくれぐれも考えちゃだめだよ。素人が目星をつけそうな場所には、たいてい罠が仕掛けてあるからね。
あら、バスがきた。それじゃあね、お兄さん。
明日もあたしたち、ここへ来るつもりだから、よろしくね。
おやすみ!」