7月1日。
じっとりした湿気が肌にまとわりつく、不快な天気が続く。
野菜に付くカビが元気よく増殖中。スギナを発酵させた希釈液をたっぷりかけて回る作業で、一日くたくたになる。
夕方、早めにバスが来た。
撤収を急げという。なにか起きたらしい。
俺もスクーターでマッサン邸へ帰る。
家の周囲に、軍用トラックが何台も駐まっていた。機関銃を備えつけているのもある。
歩哨も立っている。
ウォッチを見せると通してくれた。
家の一階は襖を外して大広間をつくり、床全面にブルーシート。
小銃や拳銃を装備した兵たちが土足で上がりこんで作戦会議をしている。
俺は作業着のまま、その準備を手伝えと言われた。
ミサトさん・ヒトリくんも迷彩服で作業している。大人たちの指示を仰ぎながら屋内外の設備を点検し、倉庫から医療キットを運びこみ、50台近い無線機に電池を入れスクランブルコードを設定してと、忙しく駆け回っていた。
台所ではヨネおばあさま・ミヨさん・その他近隣の御婦人方が、やはり迷彩服を着て、携帯食や水筒などを準備し、リュックに詰めていた。
皆、手慣れており、最低限の対話だけが飛び交う。
演習とは思えない。敵が来るのか。壁の外から。
どうしよう。俺、小銃は射ったことないぞ。
6時すぎ。
すでに外は夕闇で、マッサン邸には発電機で照明が灯っている。
窓はすべて黒幕で覆われ、ブルーシートの広間には100名ほどの兵隊が黙座。
マッサンは最前列で、後ろの方にはマユミさんがいた。
作業所のリーダー格も何人か混じっている。
イスラエル留学生もいた。
皆、真剣な表情でホワイトボードの地図を凝視している。
黒服の、吸血鬼みたいな老人が前に出てきて、いきなり状況説明を始める。
「本日1530および1600、B滑走路にC−2輸送機が2機着陸した。
兵員なら110名、戦闘車輌ならヒトロク式まで搭載できる大型だ。
現在もこちらへケツを向けて待機している。
夜を待っているのだとすると、今夜半に通過予定の低気圧に乗じるものと思われる。
新型化学兵器を撒布し、雨で浸透したあと証拠も散乱することを期待しているか、あるいは嵐の直後に泥濘でこちらの動きが鈍ることを想定しミサイル攻撃してくるか。
歩兵の侵攻を伴うとしたら新型小銃の実戦訓練も兼ねるだろう。仕様では全天候型だと誇っているから、豪雨の真っ最中でも油断してはならぬ。
0428日の出以降は警戒を緩めてよいと思うが、C−2がいなくなってくれるまではオペレーションを継続する。
フォーメーションはルル・ベル・トゥ・カメウェモン。
以上。散開!」
兵士たちは一斉に立ち上がり、回れ右して一列ずつ表へ出ていった。
マユミさんもマッサンも、俺には一瞥もくれなかった。
端にいた留学生は残っている。
その後、吸血鬼から手招きされたので近寄った。
子供たち含め十数名が、この老人を囲む。
既設の戦闘チームに属していない俺たちは、3つのグループに分けられる。
まず子供たち。
カマスで生まれ育った以上、物心つく前から戦闘訓練を叩きこまれている。
銃後には銃後の使命がある。本日の前線基地である、この邸を最大限に能力発揮させること。それが君たちの役割だ。ミッションが発動した瞬間から、ここは司令所であり、連絡や物資の中継所かつ野戦病院でもある。その維持につとめるべし。
こう指示されて、まず子供たちが出ていった。
次に、外界の支援組織から来ているボランティア勢との連絡員。
下級労働者たちは民間人扱い、お預かりしているだけという位置づけである。合宿所から一歩も出さず、無事に送り返さねばならない。そのため厳格な管理態勢が求められる。
かれらに不必要な好奇心を抱かせないこともまた、監督する側の重要な責務となる。飼育員の姿を見るたび檻から出る手段を謀り巡らす狡猾な猿のようなものだと考えるべし。
政府側もかれらが部外者であることはわかっていて、たいてい左翼政党とつながりをもっているため、面倒なトラブルに発展することは避けたいはずだ。
そう説明される。
この第2グループが出ていくと、あとには留学生と俺を含む、男5人が残った。
「君たちは、カモッラ所属だよな?」
留学生が、左腕のウォッチを示す。
つられて他の全員が同じ仕種をした。
ウォッチをはめられている腕を前に突き出し、拳を胸に当てるのだ。
悪魔集会で幹部を前に戦闘員が儀式をしているみたいでゾッとする。しかも、打ち合わせも仕込みも無しで。
なんだか破滅フラグへ突き進んでないか、俺。
いいか、おちつけ。
「アルファ、全員を連れて森へ行け。君以外は戦闘員ではないし、民間人でもない。
敵の手に落ちることだけはなんとしても回避せよ。以上。散開」
ここでアルファと呼ばれたのが、留学生だった。
並んだ順にブラボー・チャーリー・デルタ・エコーと即時命名され、リュックをひとつずつ受け取って邸を出る。
俺はエコーだ。
非武装のおんぼろバンに乗る。
運転はアルファ。ただちに出発。
まっくらな農道を50km/hくらいで東方向へ走る。
森と言っていたか。山のことだな。戦闘に参加させられなかったことに安堵しつつ、完全な戦力外通告であることを情けなくも思う。
運転席の無線機が、前線の緊張を伝えてくれる。まだ定時連絡レベルだし、地点もチーム名も記号のみで交わされるから距離も方位もさっぱりわからないのだが、これが戦場なのかと肌感覚で学ぶ。
聞きながら、手探りでリュックの中をあらためる。
ナイフは見つけたが、銃は入っていない。毛布・針金・手帳・懐中電灯・重ねて収納できる椀やカップ。サバイバルグッズという感じかな。日が昇るまでと言っていたから、ひと晩は山で野宿をするわけだ。
山中に政府軍が潜んでいる心配はないのだろうか。熊や猪対策も必要ではないかな。
ともかく勝手には動くまい。
アルファが一番のベテランみたいだから、おとなしくその指示に従おう。
山の入口に着く。
車を置き、罠を仕掛け、その後、ロープを握らされる。アルファからエコーまで約10メートル刻みに結び目がつくられており、一列になって山道へ入る。
アルファは暗視ゴーグルを被っているようだ。道なき道である。俺は最後尾だから小枝や蜘蛛の巣にひっかかるのは最小限ですんでいるが、それでも思ったよりきついなと悪態をつきたくなる。
休憩中、アルファは一人ひとりのウォッチを操作して、なにかの設定をした。彼だけがスマホを持っており、全員の位置関係を把握しながら調整もしているようだ。
小雨が降り始める。
やがて、目的地点に到着。アルファは各人に待機ポイントを準備した。まさしく森の中なのだが、それぞれのポイントにはあらかじめ大木の陰に隠れるような台座が設置されており、その下で寝袋に入って眠ること、との指示だ。
時刻は9時を回ったところ。
すっかりくたくただったので、レーションを頬張りながらおやすみします。
だんだん雨が強くなって、猛烈な嵐となって、樹々を揺らしはじめた。
雷鳴が轟く。西の空が何度も何度も燦めいて、まるで爆撃でもしているようだった。
寝袋の中で、リュックに入っていたコンパスで方角をたしかめる。まさしくマッサン邸の方角なのだけれど。まさか、ミサイル攻撃の光だったりは、しないでほしいな。
朝。太陽が東側から輝き始めた。
4時半。
足音が聞こえて、身構える。木の陰から、声がした。
「エコー?アルファだ。寝袋から出てもよいが、この木から離れるな。指示を待て。以上」
実際は、合言葉も織り交ぜてある。
お許しが出たので、外気を吸いながら伸びをする。戦闘は発生したのだろうか。みんな、無事かな。
政府は成田闘争を話し合いで解決したいという意思を示してはいるのだが、空自の輸送機が飛んできたくらいでカマスの人たちはこれだけ大騒ぎをするんですよ。そりゃ政府にとっても反政府ゲリラが武装しているぞって問題なんでしょうけど。
総戦力でいったら国のほうが強いに決まってるんだから。
まずは首相から、カマスを決して攻撃しませんという態度を明確に示してください。背中に刃を忍ばせながら、平和交渉なんてできっこない。
それが、どうも、うまく噛み合ってないのがもどかしい。
7時前、アルファたちが現れた。撤収するそうだ。山越えをすると。ん?
村には戻らないんですか?
質問などする余裕もなく、寝袋を片付けて、昨日と同じようにロープで一列になって、山歩き。
明るいからといって、スピードは上がらない。むしろ、より慎重に、聴き耳を立てながら、何度も立ち止まりつつ、進む。
休憩も、全員で固まっては、とらない。本統に山越えですか?
やがて、下り道になる。
いい天気だなあ。何日ぶりの青空だっけ。そろそろ梅雨明けだもんな。
舗装路へ出た。岩場の陰で休憩。
20分ほど後、路肩にハイエースが停まる。5人全員、乗りこむ。
運転手は……え、エヴァンズ?
帰ってきたのか。おつかれさま。
しかし声をかける雰囲気ではない。バックミラー越しに目を合わせたが、それだけだった。
アルファはシートを倒して寝息を立て始めた。もしかして一睡もしていないのかもしれない。他の連中も、無言で休息に入る。あとでエヴァンズから説明はしてもらえると思うが、モヤモヤして俺は寝つけない。
車窓を眺めながら、明日はミサトさんの誕生日なのにと考える。
俺は、カマスへ、戻れるのか?