東京五輪殺人事件   作:ひねもす@HAMELN

6 / 197
TokyoMassacre2020-02-002.hmos

起こされた。

男が俺を見下ろしている。……エヴァンズ氏、だった。

 

「よっぽど神経が図太いんだな。血管も見つけやすかったって。さ、起きろよ。朝メシを食いに行くよ」

 

ふらつきながら、あとに続いて部屋を出る。

ドアには、1106の番号。

把手は外側にしか無かった。俺はやはり同じ部屋にいたんだ。

 

つきあたりのドアを開けると、1畳ほどの脱衣所。その先にシャワー室。通過する。

同じ造りの脱衣所がもうひとつ。テーブルの上にカジュアルが一着、準備してあった。

 

「ここで着替えたまえ。サイズは合うはずだ。ガウンは、脱衣カゴの中へ」

 

着替える。靴も履く。新品ではないが、サイズはぴったりだ。

ところで俺が着てきた自前の服はどうなったのだろう。スマホも返してもらいたいんだが。

あとで聞いてみよう。

 

「無精髭も剃らせたいが、今日はいいだろう。さあ、行くよ」

 

短い廊下の先に、ボタンも表示盤も無いエレベーター。今日は降りていく感覚があった。

真っ暗な駐車場。懐中電灯で進む。

エヴァンズ氏はプリウスのドアを開け、運転席へ乗り込んだ。俺は助手席。

クネクネと地下迷宮を走り外界へ出る。曇り空で、それほど眩しくはない。

ここで、乗っているプリウスが銀色なのに気付いた。

前回とは違う車輌なのか?

 

「この時間、開いてる店は少ないから、ファミレスへ行くよ」

 

車内の時計と、腕時計とを見比べる。

02.03.20 Mon 07:53。

ん?今日は、いつなんだ?

エヴァンズ氏に尋ねたが「着いてからにしよう」と素っ気なく躱された。

5分ほどで、六本木のファミレスへ到着。

朝食を摂っているサラリーマンで結構混み合っていた。

一番奥のボックス席に座る。

エヴァンズ氏、メニューを全部、俺の方へ向けて広げる。

 

「好きなだけ注文したまえ。経費で落とすから遠慮はいらない。ここで食べておかないと、当分またシリアルと水だけになるからね」

 

ブホッ。むせた。

同時に、いろんな感情がこみ上げてきた。何から聞くべきか。

とりあえず一番値の張るTボーンステーキを注文してやった。

 

「あの採血は業務の一環だよ。

拒絶するなんて許さない。そもそも君が選ばれた理由の一つが、新型コロナウイルスに感染して治癒したばかりの若者だったから、なんだからね。

君の血液中にはすでに新型コロナウイルスの抗体ができている。我々はそれを使ってワクチン開発を始めているところなんだ。だから胸を張って体力をつけ、次の採血に備えてほしいと、こういうわけだ」

 

それにしたって待遇がひどすぎますし、そんな説明事前に受けてません。あの牢獄のような部屋でいつまで過ごさなくちゃならないんですか。

 

「君への待遇は、君が同意した契約に基づいて適切に配慮されているよ。説明も業務遂行上必要な限りしているはずだが、君の理解をいちいち求めてたんじゃ進まないから現場ではフィードバックを要求しない。

それから、牢獄と言った?

あの部屋は傑作なんだよ。ニュルティンゲン研究所で提唱された、豚をストレス無く肥育させる理想的な畜舎デザインがあってね。それをもとに設計したんだ。もっともワクチン完成後は君には新しい業務を担当してもらうから、あの環境に慣れすぎられても困るのだが」

 

Tボーンステーキがきた。油がはねている。うまそうだ。どうせ味なんかしないんだけど、これみよがしに食ってやる。ちくしょう。

 

「へえ……僕の知っているTボーンステーキとは、ずいぶん違うね。こんな朝っぱらから食べられる、こんな値段なりのグレードというところかな」

 

人がせいいっぱいのぜいたくを享受している目の前でよくも言う。やらないぞ。

 

「いらないよ。僕は、本場でいただく」

 

くそっくそっくそっ。

ところでエヴァンズは、ドリンクバーだけを注文して、そのカップはいつまでも空のままだ。

 

「こんな店で出てくるものなんて怖くて口に入れられないよ。コロナの心配もあるしさ。大丈夫、僕は食べてきたから」

 

本気でこいつを殺したくなってきた。同時に……

いったい、なにものなのだろうかと考えた。俺が売りとばされた、この、カモ社という組織は。

 

「カモッラだよ。ひどいな、御主人様の名前くらいちゃんと覚えておきたまえ」

 

カモッラ。

外資系だと思っていたが、いや明らかに日本の企業であるわけないが。日本にいながら、日本人を家畜同然に見くだしている、危険な犯罪者集団だ。

俺はこいつらに捕まった。

秋までの契約と言われたが、そのあと、すんなり自由にするとは思えない。きっと人知れず処分するつもりだろう。

まるで中二病のような空想だが、あのアジトを見た以上は、どう安全圏まで逃げ切るかと、真剣に考えてからでなくては確実に消されると思うのだ。

日本のブラック企業とは、危険度の桁が違う。

慎重に、冷静に、抜け道を探るべし。

そんなことをぐるぐると思い巡らせていた。

 

「そのウォッチは君が体温を維持している限り、充電され続ける。

本部は常に君の居場所と、心拍数・血中酸素濃度・睡眠の質などを把握しているから、安心して健康管理につとめてほしい。どうしても外したければ腕ごと斬り落とせばいいけど、お薦めはしないね。

なお君から発信することはできないが、こちらからメッセージを送る場合はある。画面に表示された指令には速やかに従うこと。

表示は、月−日−年−曜日だよ。慣れないなら、変更するかい?

……マギア・テクニカ・ラ・ミーア・コンパッタ、マギア・テクニカ・ラ・ミーア・コンパッタ。日付を、現地表示に」

 

R2.2.3(月)、という表示になった。

拉致されてから1週間も経ってないのか。これはこれで絶望する。

 

昨日までの大きなニュースを教えられる。

新型コロナウイルスの感染者は中国で1万人以上。死者も250人を超えた。

日本は政府のチャーター便で武漢市に住む同胞の帰国を開始したが、羽田到着後の検査で乗員の5%強に陽性反応が出て緊急隔離。

WHOは当初、国際的危機には該当せずと発表していたが、この危険性を引き上げた。

 

「バンクーバー冬季オリンピックの頃だったかな。WHOは新型インフルエンザのパンデミックを警告したんだよ。しかし感染は拡がらず、世界中から狼少年呼ばわりをされた。

そのときの教訓から、過度に慎重な姿勢をとっているみたいだね。

SARSよりも致死率は低いからと甘く見ている風でもある。この油断がパンデミックを惹き起こすんだぞっていうのにねえ」

 

サーズは半年ほどで終熄してますよね。今回のはそれより弱いんでしょう。

パンデミックになりますか?

 

「ほう。ヤポのくせによく知ってるね。

そう。SARSは9ヶ月で突如、消滅した。ワクチンもつくられなかった。

震源地であるCNの政府は対応の遅さを批判されたが、アジア人特有の文化レベルに起因するものだと雑な解釈でまとめられて真剣な検討が加えられなかった。

さて、今度の新型コロナウイルスは正真正銘SARSの改良版でアドバンスド・モデルだ。

愚か者は過去の安心材料をモデルケースに置いて考えようとする。これほど見事にひっかかってくれるお客さんは、本当にありがたいよ。

というわけで君もこれから忙しくなるんだから、しっかり栄養をつけて、万全の体調を整えていてくれたまえ。

さ、そろそろ帰るよ。デザートは、帰ってからシリアルを好きなだけ頬張りたまえ。あれは完全なバランス栄養食だっていう話だから」

 

俺はTボーンステーキを食べきることができなかった。やはり、味の無いのはつらい。脂身が腹にたまっていく感覚だ。つらい。

そしてエヴァンズの話も、途中から理解できなかった。

脱走は、もっと体力をつけてからだ。今はまだ無理だ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。