週末は完全休養を与えられた。
これが想像以上につらかった。
外界と隔絶された2日間。誰ひとり訪ねてこない。
時間の進みは遅く、スマホもテレビもなく、陽射しや風景さえ感じることのない密室でなにかをじっと待ち続ける恐怖。
体力の回復は実感できていたので、腕立て伏せや腹筋をして気を紛らわせた。
天井から出ている謎の横木は懸垂にちょうどいい。ぶら下がっているだけでも背筋が伸びるのを実感できる。
まあ、これらも飽きるのだが。
もっと人間らしい時間を過ごしたい。
俺をこんな目に遭わせているすべての奴を憎む。絶対にゆるしてなるものか。
がうがうがう。
月曜の朝、エヴァンズがドアを開けて入ってきた。
俺だけシャワーを浴び、次の小部屋で着替える。
今日はワイシャツにスラックス・革靴・薄手のコートと、ややフォーマルなコスチュームだ。
サイズはぴったりだが、ここへ初めて来たとき着ていた自前のアイテムはひとつも含まれていない。あれらはどうなったのか。スマホと一緒に保管されているのか。
気になることは多いが、いちいち訊くのはやめた。
別に模範囚であろうとしているわけではないが、疑問を数え上げていくとキリがないのだ。
黙って駐車場まで歩く。今日は、運転するように命じられた。
勘を取り戻す必要もあって、慎重に進んだ。
外に出る。本日は晴天なり。
プリウスのボディカラーは黄緑だった。何台持っていやがるのか。
指示されながら、あちこち走る。
エヴァンズは助手席でタブレットとにらめっこしている。
港区内で2軒ほど駐車場に入り、車内で待っているように言われた。
どちらも10分ほどで戻ってきた。
次は横浜だという。
はい、仰せのままに。
首都高に乗り、南へ向かう。
みなとみらいへ入ってからカフェに寄った。
ドライブスルーで、好きな朝食を選んでよいと言われたので、クラブサンドを2種類たのむ。
同じ敷地の地下駐車場の片隅で休憩タイムだ。喉が渇いていたのでコーヒーが実においしい。
香りも味もしないが、人間らしい食事をしているという充足感が、自信を漲らせてくれる。
「僕は今日、このあと大黒埠頭で長時間の商談をする。
どのくらいで戻ってこられるか予測がつかない。それまで君は自由時間だ。いいかな?」
おや。思わぬ展開。
横浜をぶらぶら散策していいのか。中華街とか行ってみようかな。
「午後は気温も上がりそうだし、飲みものだって欲しくなるだろう。だから小遣いを渡しておこうと思ってるんだが、いくらあれば充分かね。今日は初回だから君の希望に即しておくよ」
ほほう。意外に優しいじゃないか。試されてるんだとは思うけど。
そうだな。5000円くらい……いや、映画の一本も観たいから、もうちょっと……
「ただし条件がある。僕が連絡したら45秒以内にこの車まで戻ってこい。現れなければ敵の手に落ちたものと見做し、爆死させる」
……あ゛?
「なんだいその顔は。
トイレをどうするんだって考えているのかな?
僕だって鬼じゃないよ。君の居場所を確認して、この付近のトイレできばってるんだってわかれば少しくらい待ってやるさ。
あと僕がこの車を離れるときに、君の指紋でもドアのロックが外せるように設定を変えておくから、乗降は何度でも可能だ。
さて、いくら預けておけばいいかい?」
ああ。一瞬でも信じた俺がバカだったよ。
ひとまず訊いておくか。
あんたが夜まで戻ってこない場合、俺はここで一人で夕飯を食べることになりますか?
「さすがにそこまで遅くならずに戻ってくるつもりだ。
万一僕の身に変事が発生した場合はカモッラの別の者がここへ迎えに来ることもありえるが、今日はそんな事態も起こらないだろう」
物騒な話になってきたな。それ以上は聞きたくないや。
もうひとつだけ訊いておこう。そのカネは、俺の給料から前借り分として差っ引かれることになりますか?
「それをすると申請が面倒臭いんだよ。
だから今日は初回だしね、僕のポケットマネーから出してやる。どうだい」
悩ましいなあ。着服して、隠しておく場所も思いつかないしなあ。
どうせ遊べないなら、そんなに要らない。
結局、3000円もらった。昼飯代込みだ。
エヴァンズはしばらく助手席でタブレットや書類をチェックしていたが、9時半頃に出ていった。
その姿が見えなくなってから、俺も車を降りて、伸びをしたり、ふらふらと歩き回ったりする。
地上へ、一回だけ出てみた。
今日はたしかに暖かそうだ。もう、春なんだな。
落ち着かないので車へ戻り、シートを倒してくつろぐ。
くつろげねえ。
こういう待機は一番困る。なにか作業を与えられてたほうがずっとマシだ。
目を覚まして、スマートウォッチを見る。まだ30分も経ってない。
退屈だな。
テクマクマヤコン、テクマクマヤコン。今日の気温は、わかるかな?
画面表示が変わった。
予想最高気温 17.2℃、横浜。
うへえ。今日がピークで、明日からは少し下がるようだ。晴天はしばらく続く模様。
岩手の天気も見れた。北上地域はみぞれ。明日の最高気温は5℃まで上がる。
このウォッチ、どこまで、できるものだろう。
ニュースへはアクセスできなかった。制限がかかっているようだ。
現在地はどこ?と尋ねると、みなとみらいの番地まで出た。
地下でもこの精度だと、追跡から逃れるのは至難の業だろうな。
テクマクマヤコン、テクマクマヤコン。カモッラについて教えて。
画面に見慣れないアイコンが表示され、ボソボソと音声が聞こえだした。
ボリュームをアップさせる。テキストを読み上げているようだ。
最初からリピート。
ウォッチを耳に押し当て、じっと聴く。
機械翻訳しているみたいな不自然さを時折感じながら、それでも繰り返し聴くうち、概略は理解できてきた。
「カモッラはナポリ市、カンパーニャ州、ITを本拠地とするグローバル企業です。
17世紀の家族経営に起源を持ちます。系列グループごとの独自性が強いことを特徴とします。そのため正会員数および総従業員数の統計は困難です。
手掛けている業務内容は多岐にわたりますが、廃棄物処理や移植手術用生体組織製造分野でブランドを確立しています。支部によっては政府機関との密接な連携を構築してコンサルタント事業を経営の主軸としている場合もあります」
これだけ聞いたら、騙されるよな。
実態は、日本人を奴隷か家畜同然にしか考えない、国際犯罪者集団だ。
俺の血からワクチンをつくったと言っていたが、そんなのは本業じゃないのだろう。あの採血スタッフのレベルの低さを考えたら、とても医療分野が専門とは思えない。せいぜいサンプルを然るべき研究機関に売りつけるくらいまでがカモッラの役割なのじゃないか。
原価率はいくらだったんだ。くそ、搾取しやがって。クラブサンド2個じゃ全然足りない。3000円で妥協したことも反省だ。
次はもっと要求してやる。ふんだくれるだけ、ふんだくってやる。
そして、なんとしてでも脱走してやる。
いつかチャンスは巡ってくる。そのときまでは精進だ。がうがうがう。
のぼせてきたので、あとはアニメの話題を検索したり、無料の音楽をリクエストしたりして過ごした。
レーティングの制限もかかっているようだが、ブロックしました等の警告が表示されないので、判然としない。
エロは封印されている。これはわかりやすい。
もとよりウォッチの画面は小さくて簡単な情報しか表示されず、実用にはまったく使えないのだが、それ以前に女優名やレーベル、シチュエーションなどのキーワードがカスりもしないのだ。
同じようにカモッラの機密や逃走のヒントになるような情報も、さりげなくフィルタリングされているっぽい。
その境界線を見極めてやりたいところなのだが、今日は疲れた。ひとまずここまで。
夕刻、エヴァンズが帰還。
助手席でタブレットを開き、昼間俺が何をしていたかを尋ねてきた。
小遣いの残金は取り上げられ、その後、ログを見せられる。地図上でアイコンの俺がチョコマカと動き、トイレに行ったり表のコンビニに行って戻ってきた時刻などが正確に記録されていた。
「君は躾の手間がかからなさそうなアシスタントだね。たすかる。明日もこの調子で頼むよ」
夕闇せまる中、元麻布まで帰り、俺はまた1106号室の囚人へと戻る。
ボロを出さずに生き延びることができてよかった。おやすみ。