朝、準備されていた衣装が、くたびれた作業着だった。
野球帽にサングラス。
運動靴だけが真新しい。
さて何をやらされるんでしょうか。
駐車場でエヴァンズが立っていたスペースには、ポンコツの軽自動車が駐まっていた。車輌点検はしなくていいと言われ、右耳にインカムを装着する。
本日も雨天なり、本日も雨天なり。
はい、ばっちり聞こえます。
軍手を装着後、俺だけ乗りこむ。
後部座席に大きな段ボール箱。天板へ配線が伸びている。スマホのような装置もくっついていて、カメラで車内を見渡しているようだ。
いったい何なのか考えてもわかるわけないが、爆弾だったらイヤだなあとか思いながら、地上へ。
まさしく今日も雨だった。
少し肌寒い。秋ですなあ。
うしろにエヴァンズのプリウスがついてくる。指示されるままのルートで走る。
新宿の四谷まで来た。狭い道へ入りこむ。
あれ、プリウスは離れていったぞ。
でも声は聞こえる。法律事務所の看板?はい、あります。その下の駐車場。はい一台分あいてます。ここへ頭から入れればいいんですね?枠ぴったりに。
全然余裕ですよ。
はい駐めました。
キーを挿したまま車を降りて、路地を西へ歩く。
角を曲がるとプリウスが後ろからゆっくり走ってきた。すばやく後部座席に乗りこむ。
2分ほど走ったところで、脇の紙袋に入っている服へ着替えるよう指示される。
普段通りのワイシャツですね。ほっとする。
インカムはエヴァンズに返し、下着以外のすべてを交換した。靴までも。
はい変身完了です。
犯行時の衣装が詰まった紙袋は、隣に準備されていたアタッシェケースにしまいこみ、ダイヤルロックを掛ける。
いつもながら入念だなあ。
中野のショッピングモールまで来た。
ドライブスルーでコーヒーを買い、車内で一服する。
俺は運転席へ。エヴァンズは助手席でタブレットをチェック。今日も完璧な手際だったぞと褒められる。そうですか、よござんした。
「中野には大使館が無いから僕は滅多に来ないんだが、そんなに面白い町なのかい?この辺り」
オタクの聖地ですからね。
初心者はアキバやブクロから通い始めますけど、こじらせてくると中野で終日過ごすようになります。
ここはまだまだ治安よさそうだなあ。
ずっと平和であってほしいなあ。
「ふうん。今日は自由行動をとれないが、そんなに歩き回りたいなら、また来てみるか。
僕が車内で作業している間、30分程度の散策を許してやるくらいならできるぞ」
えっいいんですか?
本気にしちゃいますよ。
「近頃のスキルアップをこのまま続けていけるのなら、それに見合う御褒美をくれてやらんでもないという意味だ。
言質をとったつもりでいるなら、その期待は踏みにじってやる」
はは。いつもながら、きっついなあ。
「covid-19が現れなければ、もうパラリンピックも終わっているはずだったんだがな。
あと1年か。君との契約も延期になることだし」
ほう。あれ、契約更新ならまた派遣会社へ行くんですか?
ゴステロ様との三者面談ありますか?
「手続きならもう済ませてある。ゴステロへも延長料金を支払ったよ。
君の評価が上がってきたので、随分ふっかけられた。
本気を出すのは来月からでもよかったかもしれないな」
はあ。あれ、えーと。
俺は契約書をまだ見てませんし、サインもしていないですけど。
「家畜の売買や種付けに、その家畜自身の同意や足型が必要だとでもいうつもりかい?」
ふんがあ。
いつもながら、ひどすぎるぜ。こいつらの論理。
「いいよなあ家畜は。芸さえ覚えれば褒めてもらえて、餌と寝床をあてがわれて。なにより責任を負わなくていいんだから。
そんなのに30分も自由を与えてやろうって言ってやってんだぜ。
どれだけ感謝してもしきれないだろ。
わかってるか?」
なにが間違ってるんだ?どこを指摘すればギャフンと言わせられるんだ?こいつを。
生殺与奪の権をがっちり握られたままカモッラと戦うには何が必要で、それをどう使えばいいというのだ?
パズルのように、正解がはたして存在するのだろうか。
絶望的に感じる。
俺にやれそうなことなどとっくに検討して、すべての穴を未然に塞いでいるはずだよこの連中。
ああ、なぜ俺は捕まってしまったのだ。
「よし、終了宣言が出た。帰るか」
エヴァンズがタブレットを閉じた。
元麻布でいいんですね?
じゃあ出発します。
……今朝のあの段ボール箱、爆弾だったんですか?と訊いてみた。
「そうだよ。セムテックス。強力だねえ。3階まできれいに吹き飛んだって」
おちつけ、おちつけ。
安全運転。呼吸を乱すな。
……あの、無差別テロじゃあ、ありませんよね?
「無差別なわけがあるかい。しっかり差別してやってるよ。
区別すらできないのはヤポの方だ。警視庁と防衛省があいかわらず揉み合ってる。どうして、官邸へは防衛省から伝えてくださいという話になってるんだか。理解できないね」
防衛省から?
たしかに大通り一本先は防衛省庁舎でしたが……
現場検証は当然警視庁が行うんだろうけど、外国の軍事組織が関わっている可能性があるから合同で捜査本部を設置したい。とかいう意味でしょうか。
「知ったこっちゃないが、僕たちは実行犯なのだから真相を間近で見ていただろう。外国の軍事組織なんか、どこにも絡んじゃいない」
知らねーよ。
カモッラと山梨が黒幕だってこと以外はわかんねえよ。
俺を実行犯に混ぜるのもやめてくれ。
「警視庁は、都内の警官狩りが3ヶ月も続いて苛立ってる。そこへもっとデカいのがきた。
防衛省を巻きこみたいんだ。なにか情報持っているだろう出せ、と当てずっぽうで揺さぶりをかけている風に見える。
一番手に報告して首相から怒られる役もついでに引き受けてくれよ、というところか。
初手からこんなへっぴり腰でどうするんだよ、まったく」
初手……
もちろんこれから第2弾・第3弾と続けるわけですか、爆破テロを。
「安心しろ。君の出番は来週までこない。
どんなミッションでも、同じメンツで同じ作業を繰り返すとケアレスミスを起こしやすいんだ。
手順も毎日替えるから、君は命令を着実にこなしていくだけでいい。能力以上の働きなんて求めちゃいないだろう?」
そうですねえ。そこは正直、すごいと思ってます。
日本の会社でこんなシステムを回してる現場なんて、皆無じゃないだろうか。警察や政府機関なんて、もっと硬直化してる気がするし。
元麻布へ戻り、プリウスの車輌点検。
ナンバー交換。アタッシェケースごとダストボックスへ廃棄。それが終わると別のプリウスで、通常営業へ出かけた。
時間に余裕があるので昼食はエヴァンズおすすめの店へ行こうという。以前にも来たことのある、隠れ家的なステーキハウスだった。
ちなみにエヴァンズは普段、昼食を大使館内ですませる。
たいていの大使館や公使館では郷土料理を来客に振る舞うための設備が整えられており、事前に予約しておけば食材も用意して準備しておいてくれるという。
大使館側はエヴァンズを招いて情報交換をする。その内容の濃さによって、食事をしながら、またはお茶しながらと目安を伝え、エヴァンズはこれを手懸りにスケジュールを組むわけだ。
俺はただの運転手なので、駐車場付近のコンビニで適当に買ってきたものを車内で食べるのが基本である。
どうだ、泣けてくるだろう。
「たぶん明日の新聞に載ると思うが、今日、官邸で秋ノ宮と芦屋が会談をする。
どんな流れになりそうか、興味あるかい?」
首相就任からちょうど1週間経ちましたか。
すいぶん待たされましたね。
やっぱり国と都は、仲良くできませんか。
「岸は誰に対してもネチっこいイヤミを言うのが癖だったが、秋ノ宮はストレートに相手を見くだす性格だ。
官房長官時代はそれがひとつの味だったが、首相になっても変えないから外務省が困り果てている。
それはさておき都への圧力も実に大人げないねえ。
何様のつもりだ、と今日何回口にするだろうか。ちょっとした賭けになっているところでさ」
官邸での会談ならカモッラに全部筒抜けでしょうから、正確なカウントができちゃいますね。
芦屋都知事はいったい何て言い返すかしら。
「それがねえ。さすがというか。芦屋ユリコは過去の軋轢を水に流して、秋ノ宮首相とは手をとりあってオリンピックを成功に導きたいと前向きな宣言をしているんだよ。
いつまでそんな仮面を被っていられるかも、賭けの対象に入っているけれどね」
へえ。ま、現実的な対応かな。
旅行支援キャンペーンでは都民の怒りを買いまくりましたからね。
じゃあオリンピックはこれから完全に国が主導する形で進んでいくわけだ。
「どうかな。目立ちたがり屋の岸は何もかも自分の手柄にしたくて都の成果を奪ってきたが、秋ノ宮にはスポーツや芸能への関心がそもそも無いからね。
とりあえずオリンピック担当大臣とTOCに丸投げする。実質仕切っているのがミスター観音であることを踏まえると、都には今までより積極的な参画が求められるようになるよ」
ほう、そうなんですか。ミスター観音て、話のわかる人なんですか。
「とんでもない。他人が儲けることをビタ一文ゆるさない、強烈な拝金主義者だ。
これまでは岸が踊りたがるから舞台袖に隠れていたが、観音が前面に出てくるようになると不採算部門や世間的に受けの悪い汚れ仕事をすべて都に押しつけてくるだろう。
芦屋は岸の性格をよく知っていたからこれまでなんとか戦ってこれたが、ここからは末代までの借金を背負わされる覚悟で構えないと、危険だよ」