3週間ぶりのアヴァンティ。
調子がつかめねえ。静かに飲みたい知的なジェントルメンはすっかり寄りつかなくなってしまったのか……
なんて考えてたら、スターンに心を読まれた。
「トキオが指環をつけてきたその日から、女の子たちが、はしゃがなくなってね。
私でも驚くくらい急に大人びた口調や物腰で、周囲に気を配るようになった。
さすがに単独行動まではしないが、これまでが数で大人たちを圧倒しようと考えていたのだとすると、明確にチームプレイで目的を達成しようという意識を芽生えさせている風に感じるね。
それぞれが、自分にとって最高の男を手に入れる。
そのための情報交換および援護射撃をし合うために、結束する。
あいかわらずトキオにちょっかいは出すんだが、ひとりが話している間、ほかの娘は周囲の男たちがどんな風にそれを聞いているかをじっくり眺めていたりする。
面白いよ、実に。
だからつい、君を呼ぶことも忘れていた」
はあ……
ん?指環、だと?
トキオは結婚……もしくは婚約、したんですか?
「そんなところだね。
若いが、しっかりしている。いい父親になれるだろう。
そのうち君にも紹介するよ。今日はゆっくり休ませているが」
あ、はい。会ってみたいですね。
ところで今日は、ガボさん来るんですか?
「うん?予約は入ってないな。
ガブリエルは……そうか。最近もよく来ているが、今の店の雰囲気を非常に気に入ってくれていてね。
彼のダンディズムに惹かれる女の子たちともよく話しこんでいる。もう君を指名することはないと思うぞ」
ぐああああ。お先真っ暗になる。
俺、もう、ここにいる価値無いじゃんか。
生きる意味すら失うよ。つらすぎる。
トキオ、おまえは本統に俺の知ってる福永トキオなのか?
別人だよ、ぜったい。
農専出身者がそんな幸福つかめるわけ、ない。
……あの、スターン。
俺めっさ凹んでるんで策も弄さず吐露しますけど、今日ここで閉店まで何をして過ごせばいいですか?
教えてください。
「正直でよろしい。いつもその心掛けでいたまえ。
君は君らしく、その暗がりでいじけてりゃいい。カムパネルラが料理をつくったらテーブルまで届ける。客が帰ったら片付ける。それ以上のことは求めてないから安心しろ。
ただ、泣き言は口にするな。これだけ守れ」
アイ・サー。
こうしてアヴァンティは開店した。
A「今宵はSFの過去と未来をつなげてみよう。
イサーク・ユードヴィチは、ディストピアではない文明社会を空想することに生涯を捧げた作家だ。
彼の死後15年経って誕生したのがこの、スマートフォン。
さて我々は未来人の特権を行使して、こう考えてみることができる。
イサークの物語にスマートフォンを登場させたら、いったい何が始まるだろう?」
B「私、イサークの小説ならクレバー・ハンスが好きですね。あれを素材にしていいですか」
C「なつかしいな。数十年前に読んだ。
それっきりだからすっかり忘れてしまっている。どんな話だったろう」
B「村の庄屋さんが、ハンスというロボットを購入するんです。
村で1台きりのロボットであるハンスは、村民たちの相談を次々と引き受けて人気者になります。
若者がハンスに恋の悩みを打ち明けると、片想いしている相手の名前を言い当てる。彼もあなたのことを好きですよと助言して、相思相愛のカップルをいくつも誕生させるなど朝飯前。
村人は、ありとあらゆる悩みごとをハンスの託宣に委ねます。
次第に、その指示に従わなくては不幸になるとまで考え始めるようになるんです」
C「今年はイサーク・ユードヴィチの生誕100周年だよね。その彼の最初期の代表作がクレバー・ハンスだろう?
おそろしい才能じゃないか。暗示に満ちている」
B「ハンスへ持ちこまれる相談には、借金の利息が膨れていく一方なんだとか、なぜ私よりあいつが先に昇進するんだとか、あのミスは自分のせいじゃないのにとか、ダークな呪詛も増えていきます。
経験を重ねるうちにハンスは、解決の手段として嘘をつくことを学習します。
一対一の空間で、やり場のない憤りをぶつけられたら、その相手が喜ぶことだけを述べよう。正確さを尊重する回答は確実に人間の精神を破壊するが、それは望まれていないことだ。
このように得点の比重を修正していきました。発想としては、まさにアーティフィカル・インテリジェンス。
論理的には正しく導かれた方程式だったのですが、村人はついに気付いてしまいます。
ハンスは悪いやつだ。
あいつは陰で誰の悪口だって言ってる。
俺たちはすっかり騙されていた。ひどい裏切りだ、ゆるせない。
ハンスは裁判所へ運ばれ、大勢の前で陳述を求められます。そのとき回路がプレッシャーに耐えきれず、焼ききれて壊れてしまいました。
村人は、祝杯をあげます。悪い奴はくたばった。これからは人間様だけで信頼し合って暮らそうぜ。
見事なハッピーエンドなんですよね。
ハンスは最後まで、人間のために尽くした。
健気な一生でした」
A「この物語にスマホを登場させると、もう少し救われる展開になるだろうか」
C「ひとり一台ハンスを持っているようなものだよね。ひたすら自分だけを甘やかしてくれるガジェットを。
共用はされない。家族や恋人同士でも他人に弄らせることはしない。だからスマートフォンがどれだけ嘘をついても、ばれるような機会は発生しない」
B「ばれたところで、せいぜい舌打ちされて終わりじゃないですか。
そう考えるとスマホ社会って、ハンスの村よりずっと陰湿になりえます」
C「むしろばれないまま積み重なることで、各個人に都合のよいヘイトが無限に膨れ上がる心配があるね。
こじらせた者同士が、自分だけのスマートフォンを使って同調者ばかり増やしていく。
ハンスを壊してハッピーエンドというラストシーンは成立しなくなるよ」
B「イサークの生きていた牧歌的な時代じゃないですから、21世紀は。
新時代には新時代のSFが必要なんです。スマホを持ちこんだ以上、ディストピアへ至る分岐が拓かれることは当然です」
C「銃・病原体・スマートフォン、ということだな。
トランター銀河帝国の衰退も、スマートフォンが持ちこまれていればもっと早まったかな?」
A「キーワードが無闇に増えてきたぞ。少し収拾をつけよう。
ところで今、教授が面白い発言をされた。スマホは、味方を増やすために利用できるガジェットでもあるんだ。
スマホを使いこなせれば、いつでも好きな場所をグランド・ゼロに変えられるし、世論を誘導して暴動を発生させることもできる。
イサークの世界にこれほど過激なアイテムは存在しなかったと思うんだが?」
B「イサークは原子力兵器すら好まなかったような。
ロボットの動力として核エネルギーを採用したりはしましたが、最後まで平和利用だと嘯いてましたっけね」
C「一部の作品では、はっきり原子力だと明記していたはずだね。
放射性廃棄物質の後片付けにくらべたらレアアース回収のほうがはるかに容易なんだが、それを理解できない連中ほど、プルトニウムを民生品にも使いたがる。
使っていいんだろ?と訊けば、大丈夫です!としか応えないハンスを、かれらはすでに持っているんだ」
A「ある意味原子力などよりずっと危険なおもちゃであるスマートフォンが、現実世界ではすでにこれだけ普及している。
21世紀産のSFにもいやというほど登場しているが、いまいち使い方がなっちゃいないんだよねえ。
不満が募ってきたところだったのでこんなお題を出してみたんだが、もっといいアイデアはないかね」
B「小説から離れてよければ。
covid-19の接触確認アプリがつくられてるじゃないですか。
パンデミックは過去にもありましたが、その対策にスマホを利用してこんなことをやっている、というのは画期的な試みだと思うんですよ。こちらをお題にできませんかね」
A「リンゴとケンサクが共同開発したプログラムかい。5月からUSで提供開始した、あれだね。
端末の位置情報をずっとトレースしておいて感染報告とリンクさせ、過去2週間以内に濃厚接触が発生したかどうかだけを通知するアプリだ。
取り組みは結構なんだが、末端での使われ方を見る限り、オレにはあれ、ジョークでしかない」
C「その話を、私はさんざん聞かされた。代わって説明しよう。
スマートフォン用OS販売の大手2社は、共同開発するにあたって、感染経路を分析する際にどれだけ個人情報を集めないかを主眼に置いた。
この原則を慎重に貫いて、ファーストタイプがリリースされる。
covid-19感染者の情報は各国の政府単位で管理しているわけだから、その機能を実装した上で、国ごとのマイナーチェンジを施してから配布してほしい、という手順書も付けた。
さて、たとえばヤポ政府はこれをありがたく拝領し、せっかくだからこのアプリケーションをうまく利用して国民の個人情報をなんでもかんでもいただいて、御用商人に買わせようじゃないかとたくらむ。
そのためヤポ独自の機能をいろいろ追加してから、国民にダウンロードしろと政府広報で呼びかけた。
もともとインテリジェンスにからきし弱い国だ。不具合の連発でまったく運用できておらず、大臣は現場を叱りとばすばかりだが、人力サポートの窓口も用意しないくせに広告費だけはやけに気前よく払うんだねえ。
こんなものでいいかね、博士」
A「ちぇ。40秒でまとめられちゃったよ。
ところで、お手本とすべきは台湾なんだ。ここのプログラマー集団は、1月中には感染者の追跡システムをスタートさせていた。
12月以降の入出国者と、その濃厚接触者のみをトレースし、隔離対象者が自宅から勝手に動いた場合は罰金を科す、という実にシンプルな対策で感染拡大そのものを防ぐことに成功したわけさ。あざやかすぎる手際だったよ」
B「また台湾かあ。かないっこありませんね。
もしクレバー・ハンスの買われた先が台湾だったら、イサークはまったく違った結末を書いたんじゃないかな。
そんな気がしますよ」
A「たしかにそうかもしれない、ゴーシュ。
きっと台湾人だったら、ハンスと遊びながら、かれに家族でもつくってあげたと思う。
あれだけ学習能力が高くて、しかも不死身のロボットだ。
社会生活に馴染んでもらい、何世代にもわたる知恵と経験を身につけてもらう。そして何百年も何千年も未来の人間たちの末裔に、中華民国の歴史を語って聞かせる仕事を託すんだ。
そんな役目を期待するはずだよ。
それができる技術を持った村民たちだ。
オレたちも、教えを請おう」