これは甘い夢。怪物が望んだ少年の夢。故に目を覚ます時が来た。
少年を思う気持ちに気づかないふりをして――。
結局、俺は彼女たちの練習に最後までおり、自然と流れていた涙に気づいたのは彼女たちに指摘されてからだった。それほど、俺の心に響いたということだ。
目元を大きく泣きはらし赤くなっておりかなり心配されてしまった。
「いや、本当にすごかった。感動して涙を流したのは初めてだよ」
「そ、そう。よかった」
「そうだよ。燈の歌は心にくるんだ。嘉村宜、見る目あるね」
「りっきーが威張るんだ?」
「は? 別にいいだろ」
楽しい。
こうして人と他愛ない話をするのはいつぶりだろうか。
ずっと戦って戦って、どれだけ傷ついても労いもなく床について次の日を迎える。
ボロボロになって擦り切れるまでこんな生活を続けるんだと思っていた。
今、俺は本当に充実した日々を送っている。それが、何よりも救いになっていると感じた。
『本当に?』
「……」
俺と同じ声の幻聴が聞こえた。
これは作り物。俺の心が作り出した幻であり、幻影。
『そうやって、現実から目を背けているだけだろ?』
「そうかもな」
『お前、本当に学習しないな。だから隠してるんだろ?』
「そうしなきゃ、巻き込まれるだろ」
『それは、お前を守るための方便だろ? 言い訳はよせ。嫌われたくないんだろ? 失望されたくないんだろ?』
「……そう、かもな」
『じゃあ、これ以上関わるのはやめろ。これ以上は、お前も、彼女たちにもよくない』
「……」
『まぁ、精々……バレる前に縁を切るんだな』
そう言って、幻影は掻き消え。現実へと引き戻される。
「あぎと?」
「楽奈ちゃん?」
「大丈夫?」
「あっきー顔色、悪いよ?」
「本当だ。嘉村宜、水でも飲む?」
「あぁ、貰おうかな」
椎名さんから水を貰い、半分ほどを流し込む。
「ふ~。ありがとう。少し、気分が楽になったよ」
「あっきー。貧血気味ならもうちょっと座ってなよ。あ、チョコとか食べる」
「愛音さん、ありがとう貰うよ」
個包装されたチョコレートを口に含むが、甘みどころか味もせず、泥を口に含んだような感覚に陥る。だが、吐き出さずそのまま呑み込む。
今回は酷い。
気持ち悪い。
纏わりつかれているみたいだった。治りかけの傷がジクジクと痛み、苛立ちが積もる。
「あぎと、きず……」
楽奈ちゃんが心配そうにこちらを見てどこにもいかないように袖を掴んでいる。
「あぁ……」
「っ!」
「……心配させてごめんね。俺は、大丈夫……」
素が漏れ、怖がらせてしまった。駄目だ。これ以上はよくない。
どうにか離脱して一人にならなければ。
そう思い、立ち上がろうとすると、コンコンとスタジオの扉をノックする音が聞こえ、店員が扉を開けて中をのぞいてくる。
「あの~この部屋に嘉村宜さんはいらっしゃいますか? お連れ様が用があるので至急、来るようにと……」
「分かりました。ありがとうございます」
どうやら、今回は丁度良いタイミングで来たようだ。
俺は立ち上がるが、楽奈ちゃんは離れようとしなかった。絶対に行かせまいと袖を思いっきり掴んで離さない。今にも泣きそうな顔をしながら……。
「だめ……」
「何で?」
「傷……治ってない」
「心配してくれてありがとう。でも、俺はいかなくちゃ」
「やだ……」
「……嘉村宜、流石に日を改めるってことできないの?」
「椎名さん?」
「いや……野良――楽奈がここまでするのは異常だから、それに傷って」
「椎名さん。俺にも話せないことはある。だから、今は見逃してくれ」
「……」
あまりにも強い圧を送ってしまった。
悪いことをしてしまった。
俺は雑に楽奈ちゃんの手を払い、扉に向かって行くと今度は燈が目の前に立つ。
「燈……」
「三十秒だけ頂戴」
「分かった」
そう言うと、燈は俺の方へ近づいてきてギュッと抱きしめてくる。
「っ……何を」
「こうすると、リラックスできるって……聞いた、から」
思ったよりも細く、柔らかい。少しでも力を入れれば折れてしまうのではないかと思えるほどで強引に離すこともできず俺はされるがままだった。
温かい。
こうして誰かに抱きしめられたのは小学校以来。
「楽奈もする」
「わっ……」
背後からギュッと抱きしめられ、予定よりも五分も時間を使ってしまった。
だが、心なしか、すっきりした気分でスタジオを後にした。
ロビーで待っていたのは古波蔵で外に車も待たせていた。
「遅かったな」
「古波蔵……少し、駄々をこねられて」
「そうか。意外だな。お前がここまで入れ込むなんてな」
「あっそ。さっさと行くぞ」
黒塗りの高級車。ということはあいつもいるのか。
後部座席のドアをあけ、中に入ると助手席の方に
今回は軽率そうで人の神経を逆なでするようなムカつく表情ではなく、真剣そのもの。今回は『大型案件』ということだろうか。
「よし、出せ」
「はっ」
その短いやり取りだけで車は発進する。
流れる街並みを見ながら俺はスイッチを切り替える。
「それで、今回の仕事は何だよ」
「超大型案件だ。相手は二十五試合中二十勝した猛者だ」
「ふ~ん。で?」
「でって……相変わらず緊張感ないね~」
「負けたら終わり。アンタが言ったことだろ?」
「ふふっ、そうだね。その様子なら大丈夫そうかな?」
そう言われ、俺は笑みを浮かべる。
今はこの熱を苛立ちを全て吐き出したい気分だった。
「大丈夫? 休み休み言え。俺に負けることは許されねぇ」
出なければ死ぬ。
だって俺は、怪物なのだから。