霽月   作:おいかぜ

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Moon Bomber-3

 

 ここから一歩も通さない

 

 理屈も法律も通さない

 

 誰の声も届かない

 

 友達も恋人も入れない

 


 

 

 あたしの姉、氷川紗夜は天才である。

 2年前、突然両親にPCを強請ったかと思えば、作曲を始めて、瞬く間にこの国のブームを作り替えてしまった彼女を形容する言葉はこれくらいしかないだろう。

 

 突然大金を家に入れて、学校にも行かなくなって、『どうか好きにさせて欲しい』なんて両親に土下座までして──おねーちゃんはモラトリアムからいち早く抜け出してしまった。

 本当は家から出ていく予定だったおねーちゃんを、期限付きとはいえ無理やり引き止めたのはお母さんの英断だったと思う。

 

 そうでなければ、あたしたちはきっと、家族でさえいられなかった。

 

 いつから、おねーちゃんは変わってしまったんだろう。振り返ってみても、これといった契機には思い当たらない。ただある日、おねーちゃんはマイナスな方向に一念発起して、人生の坂道をスペースシャトルでぶっ飛ばしてしまった。

 

 今日配信された曲をイヤホンから摂取する。おねーちゃんの価値観を覗けているのかさえ、あたしには定かじゃない。あたしは『ピルグリム』が氷川紗夜という個人だと知っているけれど、世間の考察が的外れだとは全く思えない。曲をリリースする度に変わる曲調は、一個人に表現出来る作風の幅なのだろうか。多重人格者だとか、ゴーストライターがいるだとか、そういうトンデモな背景があった方がまだ納得できる。

 

『さあ今日はどちらでいこう 全部世界のせいにして 被害者ヘブンで管巻くか 加害者思想で謝罪大会

 前者選んだキミは正解 試しに一つ差し出してみな この世で一番の不幸者を 今なら素通りしてみせるよ』

 

 中高生バンドの曲の例から漏れて、近頃のおねーちゃんの書いた曲は大抵酷く露悪的で、ストーリーを伴っている。最初はもう少し、ポップな感じを意図して書かれていたような気がする。ドラマや映画の主題歌になっていそうな曲や、時には音楽の教科書に採用されても問題ないような丁寧な言葉選びのものが多かった。

 最近はバンドテイストのもの──とりわけ、価値観が尖ったものも増えてきた。

 

 それが音楽性の変化と呼べる程のものなのかさえ、あたしには分からない。壮大な社会実験なのかもしれないし、おねーちゃんの気まぐれなのかもしれない。もしかするとバックについているだろうプロデューサーの方針なのかも。

 

 家を出るとき、おねーちゃんはまだ眠っているようだった。仕事があるからと生徒会の仕事をつぐちゃんに任せて出てきた今、流石におねーちゃんも電車に乗っている頃だろう。

 

 マネージャーからきいて驚いた。まさかおねーちゃんが、パスパレへの楽曲提供に頷くだなんて。

 

「麻弥ちゃんはどう思う? 『ピルグリム』の楽曲提供だって」

「えー、ジブンは驚きましたけど……事務所かマネージャーさんにツテがあったんですかね」

「ツテは……まあ、そうかも。あたしが知り合いだから」

「え、そうなんですか!? じゃあ日菜さんは、世間で言われているピルグリムの正体なんかもご存知なんですね」

「うん。まあ、世間のもっともらしい考察よりは理不尽で、非現実的だと思うよ」

 

 おねーちゃんがあたしの存在をどれだけ重く捉えたかはさておいて、殺到しているだろう依頼の中でPastel*Palettesが選ばれた要因には少なからず含まれているはずだ。それがあたしにとって良い意味を持つかさえも、分からないけれど。

 

「あたしたちにとっては、そりゃ、数字を伸ばすチャンスだけど。本当に手を取っていいのかな」

「それは、『過ぎたる力は身を滅ぼす』という意味ですか?」

「うん」

「ですが、チャンスは積極的に掴んでいかなければならないと思います。そもそも、ジブン達は仕事を選べるような立場ではありませんし……」

「そうだね、麻弥ちゃんの言う通り。実際に断ることはできないし、99パーセントはあたしの杞憂。忘れてくれる?」

「……いえ、心に留めておきます。日菜さんは意味の無いことは言いませんから」

「それは買い被りかも」

 

『ピルグリム』が持つ力は、あたしたちにとっては劇薬だ。彼女から与えられた曲が、あたしたちの活動の今後を左右する可能性だって十二分に存在する。

 そしておねーちゃんは、その力を無自覚に、自分本位に行使するだろう。

 

 

 果たして、その危惧はそのまま現実のものとなった。

 

 久しぶりにおねーちゃんと顔を合わせて会話をしたけれど、彼女の本質はあまり変わっていない。世の中へと無関心は特にそのままで、自身に向けられる評価や感情に無頓着なところもそのまま。代わりに、自分が書いた曲への執着というか、そういう類いの感情だけが生のまま残っている感じ。

 

 酷く冷めた顔であたし達の演奏を聴いている。オーディションでだって、そんなに意地悪な審査員はいない。

 自分で聴いたって『ピルグリム』に見劣りするギター。スピーカーは沢山あった方が良い、なんて極めて独善的なことを言ったおねーちゃんに、この質のスピーカーを許容する余地はあるのだろうか。

 あたしからすればかなり頑張っている千聖ちゃんやイヴちゃんを、「歴が浅いから」と許すほどおねーちゃんの視点は低きにあるだろうか。

 

 ──あたしたちが愛する彩ちゃんの歌を、おねーちゃんは惰弱と言い切らないだろうか。

 

 実のところ、一番怯えていたのはあたしだったはずだ。

 あたしが最も焦がれたひとが、最も才能に溢れたひとが、あたしの宝物たちを無価値と断じる未来を恐れていた。

 

 結局、おねーちゃんは当たり障りのない一言で感想を切ってしまったのだけど。

 

「なに? ふてくされた顔をして」

「べっつに〜? ……少しくらい『上手くなったわね』とかさ、言ってくれても良いのに」

「客や仕事仲間じゃなく私に褒められてどうするのよ」

「いまは仕事仲間でしょ」

 

 練習用のスタジオから会議室に戻る道すがら、不機嫌が顔に出ていたのかおねーちゃんに指摘されてしまった。その直前の私の心境はといえば、ひとまずを乗り切った安堵と、それから相変わらず淡白で素っ気ないおねーちゃんへの不満で半分半分と言ったところだった。

 この姉はといえば、昔からずっとそうなのだ。双子なのに他人行儀で、大人っぽくて、あたしと似ていない。

 

 同じ学校にいる双子姉妹のエピソードを聞く度にあたしは羨ましくって堪らなくなる。あたし達姉妹の間には、年の離れたきょうだいかと思うほどそれらしい思い出がない。たとえば、入れ替わって誰かをからかったり、とか。

 

「はぁ。上手くなったわ。私が、才能というものを羨ましく思ってしまうくらいに」

「才能って。……よく言うよ」

 

 日本で今年一番お金を稼いだ高校生のくせして。

 

 おねーちゃんはときどき才能という言葉を使うけれど、これほど無価値な言葉はないと思う。自分より劣る人間に「才能があるね」なんて、殴られたって文句は言えないはず。

 それ以来黙ってしまったおねーちゃんは、けれど本心からこれを言っているらしいのがタチが悪いところで。

 

『明日、貴方以外の全人類がバッハを忘れたら、どうする?』

 

 数年前の言葉の真意を探して反芻するたびに、どうしてもチラつく。おねーちゃんは一度も、「私の曲」と言ったことがない。

 

 

「契約の話を纏めましょうか。曲に関しては既にデモを用意しています」

 

 会議室に戻るなり、おねーちゃんはそう言ってマネージャーと細かい話し合いを進めていった。聞き取れる内容を掻い摘んでいくと、スケジュールを前倒しにするつもりらしい。

 

 マネージャーはおねーちゃんの出演──トークショーとか、インタビューとかを引き出したいらしいけれど、梨の礫だった。コメントがせいぜいだろうか。それも、きっと無色に近い文字列が並ぶに違いない。

 マネージャーがどこを引き際とするかは分からないけど、こちらから差し出せるものがないのだからこれ以上の譲歩を求めるのは難しい。

 

 話が平行線を辿り始めた頃、おねーちゃんは話を切ってデモ音源を再生した。メモリをPCに繋げて、ある程度音量を抑えたスピーカーから2曲、順に流される。「シンデレラグレイ」と「魔法少女とチョコレゐト」。どちらもPastel*Palettesらしいとは口が裂けても言えない曲で、あたしの危惧が的中したことを悟る。

 

 魔法をかけられてもなお灰被りのままだった少女の歌と、魔法で取り繕っても内側からぐずぐずに腐り果てた偶像の歌。

 

「あたしたちが『Pastel*Palettes』だから『グレイ』なの?」

「ええ」

「意地悪だね。もう一曲も」

「知っているでしょう。私がろくでもない人間だなんて」

 

 あたしの言葉に、おねーちゃんはくだらなさそうに返した。

 知っていると言えるほど、あたしはおねーちゃんのことを知らない。

 いまはどんな食べ物が好きで、どんな音楽を聴いて、どんなことを楽しみにしているのかも。

 

「紗夜ちゃん、この曲……」

「不服なら言ってくれて構わないわ」

「そうは言わないけど……紗夜ちゃんから、私たちはこう見えてるの?」

「いいえ? 強いて言うなら、歌ってみてほしい曲、というくらいね」

 

 不服だと言ったら、おねーちゃんは曲を変えるんだろうか。少なくとも、今後のお付き合いはなくなるような気がする。

 

 それはそれで構わない、と思ってしまうのはあたしらしくないだろうか。

 

 おねーちゃんは劇薬だ。一滴なら無事に済んでも、今後もとなるとPastel*Palettesの色は致命的に汚染されかねない。あたし個人としても、おねーちゃんとパスパレを天秤にかけてどちらかを選ぶことは難しい。

 

 人類は月に魅せられて月面へ着陸したけれど、果たして同じ熱量を火星や太陽系外惑星に向けられるだろうか。そのときにはもう、地球は荒廃しきっているんじゃないかと思う。

 

 ……ずっとおねーちゃんだけを見てきたのに、やっぱり届きそうにない。

 

「さて、丸山さん。やる気があるのなら、ディレクションまで済ませておこうと思うのだけど」

「歌い方ってこと?」

「ええ。極端に言えば演技指導ね。最後は貴方の思うように歌ってもらえば構わないのだけど、最初くらいは」

 

 おねーちゃんはギターを手に取った。

 スタジオに残っておけば良かった、とぼやいたのを聞き咎めて、マネージャーが録音用のスタジオを手配する、と言った。おねーちゃんは難色を示すかと思ったけれど、彩ちゃんの練習のためと割り切ったか、「公開しないなら」と録音まで許可して、スタジオのアンプにシールドを挿す。

 

「楽器も、歌も、もちろん反復練習が重要なのは言うまでもないけれど、その次に必要なのはセンスではなく『よく聴くこと』。ただそれだけで、道端に転がっているギタリストが、値札を貼られるくらいに価値を持てるようになる」

 

 告白すると、まともにおねーちゃんの歌と演奏を生で聴くのは初めてだ。『ピルグリム』のレコーディングはもちろん貸スタジオだし、家で練習している時も防音には気をつかっているらしくて、ほとんど聴こえない。

 

 この数年、あたしは誰かの演奏を聞く前に「期待」をしていただろうか。同業者としての品定めを超えて、純粋に音楽に聴き入ったのはいつ以来だろうか。

 

 おねーちゃんは「天才じゃない」と自称する。確かに技術を語るのなら青天井の世界で、おねーちゃんの主張にも多少は理があると思うけれど、やっぱり──

 

 無造作に爪弾かれたギターが、声帯を震わせる。赤色のテレキャスターが、たちまちにあたしの心を埋めつくした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして日菜ちゃんがそんなに卑屈なのか、常々疑問だったのだけど……今日で納得したわ」

 

 スタジオでギターを肩から提げたあたしに、千聖ちゃんがそう言う。あたしは曖昧に笑って、たぶん、それに頷いた。

 

 

 




 
 
 
 
 
 
 
クオリティはこのザマですがリクエストは引き続きだらだらと解放していますので、もしあれば活動報告に貼っといてください。

一番効いた指摘
「バッドエンドじゃなくてバッドエンド後のアフターじゃない?」
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