昨年は大変お世話になりました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
このシリーズですが、さすがにやりたい放題やりすぎてるのと、カスのイエスタデイがそんなに楽しくないな、ということに気が付いたので次で締めようと思います。
その後はどれ書こうかな……。
春の
燈を遠くへ連れ出してしまった夜の風に、わずかばかりの嫉妬と恨みを抱いて、
「初めまして、オブリビオニス」
「豊川祥子で構いませんわ」
「その
「豊川祥子として話をさせて頂きたいのです」
変わらない事務所の風景。来客証を首から下げたまま、彼女は正午の空気を溜め息として吐き出した。テーブルの上に置かれたペットボトルは手を付けられないまま。
「燈に、曲を提供していますわね」
「ええ。何もおかしなことはないでしょう? 私たちはバンドを組んでいるのですから」
「バンドを組むことが不自然だと感じただけですわ。少なくとも燈は、自分からもう一度バンドを始めるようには──」
「──自分が彼女を傷付けたから?」
薄く口角が上がっていた。愚かな人間を見つめるのと似た表情で、彼女は私を見る。
私は束の間、言葉に詰まった。
「可愛らしいですね。突き放しておきながら、彼女にとって己が価値あるものだと確信していないと出てこない言葉だ。浅ましくて、傲慢で、愛らしい」
酷い暴言を吐かれているのに、真っ当な反論が咄嗟に出てこなかった。
ついに、彼女はくすりと笑った。
「なぜだか、私には貴方のことがよく分かります。自分が最初にボーカルとしての燈を形作ったのだから、他人の
「……気持ちの悪いことを仰らないでくださる?」
「否定はしないんですね」
直ぐに、彼女への嫌悪に傾いた。それはある意味で自己嫌悪に近い味がしていたけれど、私は彼女が苦手だ。
「決めました」
ヘーゼルグリーンの瞳が、爛々と輝いていた。
伸びきった前髪の隙間から覗く二重の瞳には、狂気にも似た火が点っている。……それはもしかすると、私が歩もうとしているこれから先の姿の相似なのかもしれなかった。
「メールを頂いた件、受けて差し上げます。ただし、私が提供する曲はドロリスではなくオブリビオニス、あなたが歌うこと。飲めますか?」
きっと、私は苦虫を噛み潰したような表情をしていることだろう。
CRYCHICを切り捨てておきながら、私はAve Mujicaというバンドを立ち上げた。ミッドナイト・サンというバンドで芸能界の階段を駆け上がっていく燈の影響があったことは言うまでもない。
寂寥。プライド。悔恨。音楽で金銭を稼ぐことへの後ろめたさ。簡単に金を生み出す音楽という存在への侮蔑。思い出を火にくべて体を温める自分への嘲笑。
たくさんの人を巻き込んだ。傷付けたくない人を傷付けた。思い出を穢した。
バイトを辞めた。
ピアノに立て掛けた五線譜が、金になった。
がむしゃらに前へ進んだ。共に歩いてくれた人も、随分と減った。
優しい人たちを踏み台にした。
そこまでしてなお、Ave Mujicaというバンドは燻っている。
一度は華々しいデビューを成功させた私たちは、内部の不和により瞬く間に崩壊し、そして砕けた欠片をパッチワークのように繋ぎ合わせて今もこの場に残っている。
睦の
その上で、私はこうして「ピルグリム」と会っている。
彼女に、「金になる曲」を乞う。
「……聴衆が認めませんわ。拙い私の歌など」
「まさか。リスナーなんて、上手けりゃ誰でも構いませんよ」
「初華のネームバリューを無視することは──」
「では、ピルグリムのネームバリューは諦めることですね」
「……逆に問いますが、私をボーカルに起用する意図はなんですの?」
現ギターボーカルの初華から、キーボードの私へボーカルパートをコンバートする。パート的に、全く困難だとは言えない。キーボードを弾く上で、まだ脳内の処理能力に余裕は残っているという自負があったからだ。既にコーラスやハモリには参加しているから、彼女にもこちらの言い訳は通用しないだろう。
「貴方が歌った方が、私の願いに沿うから」
考える。
反対するとしたら初華だけだ。
それを封じ込めることは……可能だ。
できてしまうのが問題だった。
全ては私の決断に懸かるのだから。
「貴方の願いとは?」
「できる限り相応しい場所で、相応しい曲が歌われること」
「初華では役者不足だとでも?」
「さあ? 会って、聴いてみなければ分かりません」
「では、考え直してくださる? 次は初華も連れて参りますわ」
言いながら、彼女は妥協しないだろうと直感していた。
年齢のそう変わらない少女の容姿に勘違いしそうになるが、彼女は破綻者だった。私がかろうじて抱き締めているものを、とうに投げ捨ててしまっているように感じる。
一体何を狂気に焚べて来たのだろう。訊かない方が幸せでいられるだろうか。
「不要です。……さて、オブリビオニス改め豊川祥子様。今、ここで決めてください。私の手を取るのか、それとも、
「……貴方は武器商人のようですわね」
「なるほど、言い得て妙ですね。では、売りつけるのはマシンガンといたしましょう。きっとお気に召すはずです」
「皮肉ですわ」
「承知しておりますとも」
武器があるから諍いが起こるのか。鶏が先か卵が先か、という例には当てはまらないだろう。口や拳が……もしくは、心があれば諍いは起こる。
けれど、武器があればハードルは低くなる。
私の心を煽る彼女の様相に似ていた。
「……ええ、ありがとうございます。貴方は手を取ってくださると思っていました」
彼女が手掛ける「From:SoundHorizon」シリーズのコンセプト・アルバムとコンサート。彼女の手を取ってしまえば、Ave Mujicaもあの枝葉のひとつとして位置づけられてしまうのだろうか。
「ミッドナイト・サンとの合同コンサートもやりましょうね」
燈に許可を取ってからですが、と言いつつ、彼女はまた私に餌を撒く。毒が含まれていたとしても、私はその肉を食むだろう。私が断らないことを確信しての物言いに、少しだけ反抗心が首を
「あくまで私が歌うのは、貴方が指定した曲だけですわ」
「では約10曲ですね。1アルバム分、どうぞよろしくお願いします。メンバーの説得も」
最初よりも幾分機嫌が良さそうに去っていく背中を見送って、私は深くため息を吐いた。
吐く息が白く煙となって散っていくように幻視した。春の日差しを追いかけて走った先には、ただ広い雪原と、白夜。
♦
「アンタって行動力だけはあるよねぇ」
「不服でしたら言ってくださる? 私も正直、迷っておりますの」
「不服じゃないよ、褒めてんの。『ピルグリム』って相当気難しいらしいじゃん」
Ave Mujicaのメンバーに事情を話すと、
「私の書く歌詞じゃ、ダメだった?」
「いいえ、不満に思ったことはございませんわ。ただ──」
「ただ?」
「私も、過去を精算したいのです。手放した後悔が追いかけて来たのですから、一度立ち止まらなければ」
「……過去と向き合って、祥ちゃんはどうするの? また、CRYCHICに──」
「過去は過去ですわ。時間は不可逆で、道は分かたれた。罪や後悔は残れど、選択をやり直すことはできません」
初華は葛藤の末、「一度だけなら」と呟いた。二度縋ることはないだろう。きっと、『ピルグリム』も同じ認識だ。
「いいじゃん、一回歌って、それで祥子ちゃんのCRYCHICはおしまい。初華ちゃんだってそっちの方が嬉しいよね?」
「モーティスちゃん……うん、そうかも」
一先ず話がまとまったことに安堵する。最悪、『ピルグリム』との話し合いをなしにすることも考えた。『Ave Mujica』がもう一度分裂するよりはその方がマシだ。もしも初華が断固として拒否するようなら……これも、責任逃れの思考だろうか。判断を他人に委ねている。
「既デモが用意されているような口ぶりでしたが」
「ええ。アルバム一枚分、ご丁寧に用意されておりますわ。大きな編曲は禁止ですから、なるべく楽譜とデモの通りにお願いしますわね」
「努力はします。して、『ピルグリム』との面談はどうでしたか? やはり気難しい価値観の持ち主のようですが」
「最悪でしたわ。私はあの方が少々苦手です」
同族嫌悪に近い。
弱みを握られている不快感と、経歴や能力に対する畏怖、思考の節々に過ぎる感性の歪さがぐちゃぐちゃになって、私の『ピルグリム』への感情を形作っている。
「海鈴も話してみれば良いのではなくて? レコーディングの際には呼ぶつもりですわ」
「ええ、楽しみにしておきます」
そんな話をしていたのが2か月前。
「ピルグリム」監修、という立て付けのもとリリースされたアルバム「だから僕は音楽を辞めた」はあっさりとこれまでのAve Mujicaの記録を塗り替え、世間のAve Mujicaのイメージも塗り潰してしまった。
「三角さんはヒップホップやR&Bに興味があったりしますか?」
「え?」
「詞も歌い方も、そちらの影響を大きく感じたものですから」
「……まあ、好きです……けど」
「もし良ければ、歌って欲しい曲があるのですが」
ソールドアウトとか、なんて初華に声をかけているピルグリムは、私の葛藤を気にかけすらしていないのだろう。
「初華を引き抜くのはやめてくださる?」
「残念。魅力的だと思ったのに」
ひどい人間だと思う。ピルグリムという人間の行動原理がわかってきた近頃、特にそう感じる。彼女は、自分の楽曲を公開するにあたって如何に表現を理想に近付けるか、ということにしか興味がないのだ。
そして彼女に足りないものと求めるものは声帯、それとわずかばかりのアイディアくらい。
超一流のボーカル、作詞作曲のセンス、ギター、ベース、ピアノ、ドラム、ヴァイオリンの演奏技術……セルフプロデュース能力も何もかもを備えている音楽の怪物が、唯一自己完結できないのは声帯だけなのだろう。
究極、女性に男性の声は出せない。
もしくは、ボーカルが纏う「属性」も彼女には足りないものなのかもしれない。
高松燈が抱く「苦悩」。私が犯した「裏切り」。初華が抱く「空虚」。
透明な音楽家である彼女は、それらを持ち得ない。SNSの稼働は楽曲のリリース報告のみ。グループであるのか個人であるのかさえ、ボーカルの歌声で女性が所属していることしか断定されていない徹底ぶりは、彼女が作る楽曲に「文脈」を乗せられない。
「だから僕は音楽を辞めた」も、ミッドナイト・サン名義でリリースされた「エルマ」も、言うなれば文脈を重視するアルバムだった。同時に公開された「手紙」と「日記」によって補足され、「聴く小説」として機能する二つのアルバムは、ピルグリムのプロデュースによって、私と燈の関係に相似を為している。
私に歌わせたがった理由はよく分かった。燈と出会ってから、彼女はこれを画策していたに違いない。悪趣味極まりなかった。
無論、私は音楽を辞めたりはしない。
けれど、身につまされる思いをしたことも否定はできない。
セッティングを終え、最後までステージに残っていた燈が戻ってくる。細かな調節のためか、何事か言葉を交わしていたピルグリムの背中に、ふと、嫌味を投げてみたくなった。
「……音楽は儲かりますわね。貴方は、売れるために音楽をやっているのですか?」
振り返った彼女は、心底不思議そうに首を傾げる。
「私が自己表現のために音楽をやっているように見えますか?」
「いいえ、全く」
「まあ、金も名誉もどうだって良いのですけれど、売れることは私の目的の一つと言えるかもしれませんね」
「承認欲求ですらありませんの?」
「『私が』承認されたいわけではありませんから。……あと一年も経てば全て分かりますよ。匿名でいるのも、おそらくそれまででしょうし」
燈と目が合った。それから、二人でピルグリムの方に視線をやる。
「さ、紗夜ちゃん……」
「今更、その路線を曲げるつもりですの?」
「ピルグリムとしてやりたいことは概ねやり終えましたから。5年もやれば充分でしょう」
「やりたいこと?」
「匿名の音楽家が、この国のチャートを塗り潰すこと。愉快でしょう?」
不愉快だ、と答えた。彼女は堪えた様子もなく、燈との打ち合わせに戻っていく。
匿名性を破る、と彼女が告げた瞬間の、燈の高揚も不快だった。
ああ、なるほど。
「だから僕は音楽を辞めた」とは、つまりそういうことか。
CRYCHICの豊川祥子は、死んでしまえ。
ライブ「月光」が始まる。ピルグリムの朗読。
暗いステージの真ん中に、燈が一人で立つ。
光を浴びないまま、私はキーボードを奏でる。
当然のように満席のホールで、一万を超える視線が、高松燈ただひとりに突き刺さる。
好きなクラシックの作曲家を訊ねられたことがあった。そのとき私は、ベートーヴェンと答えたはずだ。好きな作曲家も好きな曲も数多くあるけれど、私の根底にあるのは「月光」ソナタだったから。
ライブのタイトルは、つまりそういうことだろうか。それとも、彼女の嗜好もまた、「月光」を好んでいるのか。
『夕凪、某、花惑い』。燈の第一声に、会場の空気がひやりと静まる。睦のギターサウンドと若麦のドラムが、Ave Mujicaらしからぬテイストでバックグラウンドを紡ぐ。
『何にも良いことないんだ
この世は僕には難解だった
君が教えなかったことばかりだ』
ライブの前に、燈と顔を付き合わせて歌詞の話をした。ライブのセットリストの歌詞カードを二人の間に置いて、歌詞と重なること、重ならないこと、今までの事を話し合った。
一人で歩く方法が分からない、と燈は言った。私だって、そんな素晴らしい方法は知らない。
『ピアノを弾いてたホール
あのカフェもう無いんだ
僕らを貶す奴らを殺したい
君ならきっと笑ってくれる』
燈はこんな暴力的なことは書かないだろう。
けれど今の私なら、笑ってしまうかもしれない。
曲が終わってすぐ、今度は私に光がさす。
いつもの仮面をつけていないから、観客にも私の表情がよく分かるだろう。笑っているのか、引き攣っているのか、自分でも区別がつかなかった。『八月、某、月明かり』。
「『──何もいらない』」
『夕凪、某、花惑い』と明確に対となった曲だ。
私の罪を暴くようで、憎らしい。
この歌詞を前にして、私は何度も言葉に詰まった。燈になんと言えばいいか、ひたすらに躊躇した。
『心臓が煩かった 歩くたび息が詰まった 初めてバイトを逃げ出した』
ただ一小節で、ピルグリムは私の人生を背後から眺めてきたのかと思った。
意識して透き通るように歌う。何度もダメ出しされたボーカルでも、せめて燈に並べるくらいには。
『最低だ 最低だ 気持ちよくて仕方がないわ 最低だってこの歌詞自体が』
初華が肩を跳ねさせていたことを思い出す。
ピルグリムに縋った身で言うのも烏滸がましいけれど、私は
『そうだ、きっとそうだ あの世ではロックンロールが流れてるんだ
賛美歌とか流行らない 神様がいないんだから
罪も過ちも犯罪も自殺も戦争もマイノリティも全部知らない』
あの世に神はいなかった、とピルグリムは言った。巡礼者、なんて名義を使いながらこんな歌詞を書くあたり、世に憚らない感性の持ち主だと確信する。
賛美歌は流行らないし、ロックンロールはそれなり。ポップスの方が流行っている、だなんて冗談めかして言った後、彼女は珍しく笑った。
ポエトリーが入って、空気をリセットする。破綻した後の二人の話から、破綻する直前のものへ。
最初の二曲は、舞台説明の役割を果たしていた。ライブなんてしないくせに、演出家としても彼女は巧みだった。Ave Mujicaのセルフプロデュースしてきた身としては、妬ましさと羨望を覚える。
続けて『藍二乗』。
『止まったガス水道 世間もニュースも所詮他人事
この人生さえほら、インクみたいだ』
勢いよく滑り出したと思ったら、滲んで。あっという間に乾いていく。切れかけの電灯の下で五線譜を書き起こして、集中が切れかけた頃に流れてきたニュースにも驚くほど感情がかき起こされなかった。豊川地所の詐欺事件の裁判について。お父様に声をかけることもせず、テレビの電源を切った。
『転ばないように下を向いた
人生はどうにも妥協で出来てる
心も運命もラブソングも人生も信じない』
時効を待っている、という歌詞を指でなぞって、止めた。
私と燈の関係は、この、なし崩しの和解は、時効だろうか。
それとも、間に合ったのだろうか。
理想を諦めた。CRYCHICを手放したのは私の弱さからで、ならば、Ave Mujicaは妥協だろうか。否定はできない。私たちは負け犬同士、傷を舐めあっているだけで。無理やりに漕ぎ着けたアンコールを演じている。
『君だけが僕の音楽なんだ』
間髪入れず、次の曲へ。マイクを持った燈が、私に目配せした。『神様のダンス』英題が、『Dance of You』となっていたのが印象的だった。
『人に笑われたくないから 怯えるように下を向く
心より大事な何かが あってたまるものか
暮れない夕に茜追いついて 君を染め抜いた
見えないように僕を追い越して 行かないで』
私を恨んでいますか、と燈に尋ねることはできていない。
首肯されても構わなかったが、燈に答えさせることは罪だと思った。
『音楽だけでいいんだろ 他人に合わせて歩くなよ
教えてくれたのはあんたじゃないか』
燈が私を見た。思わず手を伸ばしかけて、その指で白鍵を叩く。
スポットライトが恨めしい。私に当たる暖色の光と、燈に当たる青い光が、ステージに境界線を引く。
『夜紛い』。マシンガンを売りつける、とピルグリムは言った。ならば私は、この歌で誰に風穴を空けられる?
『人生ごとマシンガン 消し飛ばしてもっと
苦しんだと笑って ねぇ、さよなら一言で
君が後生抱えて生きていくような思い出になりたい
見るだけで痛いような
ただ一つでいい
君に一つでいい
風穴を開けたい』
私の醜さが暴かれていく。
あの日、全員傷付けば良いと思った。
私が消え去ることで、誰かに傷ついて欲しかった。
そうしたら、私の存在にも多少は、価値があったのかもしれないと認められるから。
『君の人生になりたい
僕の、人生を書きたい
君の残した詩のせいだ
全部音楽のせいだ』
だから、燈の『心に穴が空いた』のなら、あの日の私は少しだけ救われている。
『幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ
満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感 』
笑ってしまうほどの大正解。私はピルグリムが嫌いだ。
ともさきイメソンは『詩書きとコーヒー』だと思っています。