霽月   作:おいかぜ

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暗い話が苦手な人は避けた方が良いです。
 
 
 
 
 
 
 
 



Plagiarism-6

 

 音楽の切っ掛けが何なのか、今じゃもう忘れちまったが、欲じゃないことは覚えてる。

 何か綺麗なものだったな。

 

 化けの皮なんていつか剥がれる。

 見向きもされない夜が来る。

 その時に見られる景色が心底楽しみで。

 

 そうだ。

 何一つもなくなって、地位も愛も全部なくなって。

 何もかも失った後に見える夜は本当に綺麗だろうから、

 本当に、本当に綺麗だろうから、

 

 僕は盗んだ。

 

 

 


 

 

 

『重大なお知らせがあります。3/20の13:00から配信します。お付き合い下さい』

 

 そんなメッセージがSNSに流れていて、あたしはすぐさまおねーちゃんの部屋を訪ねた。けれど一足遅かったらしく、おねーちゃんは不在だった。管理会社に連絡を取ると、今月末までの契約になっているという。

 

 じゃあ、次の住居は? あたしの最悪の予想が当たっていれば、契約する気がないんじゃないかと思う。

 おねーちゃんとバンドを組んでいる、高松燈ちゃんにも連絡を取ってみたけど、おねーちゃんの所在は分からなかった。配信のこともよく知らないらしかったから、無関係だろう。

 

 音信不通のおねーちゃんは、おそらく、もう海外にいる。

 

 結局、あたしも両親も、おねーちゃんの捜索願いは出さなかった。無事でいることはわかっているし、警察に迷惑をかけるだけだ。

 

 仕事の収録終わり、何とか配信までに間に合って、スマホで動画サイトを開く。急いで借りた四人用のミーティングルームに、千聖ちゃんも着いてきてあたしの隣に座った。気になるから、とのこと。それはそう。

 

「ピルグリムの正体を公開するのかしら」

「多分ね」

 

 配信が始まると、映像は屋外の、夜の海辺から始まった。ちらりと見えた道路の特徴から、その場所がイギリスのスコットランドではないかと当たりをつけた。道路標識とボラードが、スコットランドによくある特徴を示しているような……暗いからおそらく、だけれど。

 カメラの視点は建物の中に入ってゆく。家屋と小屋の中間のような建物は、古びたコテージだろうか。

 そしてカメラが固定され、おねーちゃんの姿が映る。配信のコメントが恐ろしい速度で流れていった。

 

『はじめまして、皆さま。長い方は、約6年越しの初対面ですね。ピルグリムと申します』

 

 容姿に関するコメント。一部、あたしに似ているというコメントが通り過ぎて行った。美人だ、というものや、若いというコメントが大半で、まず最初に大多数の「ピルグリム像」を裏切ったことが見て取れる。

 ピルグリムが個人を指すのか、という疑問のコメントも多い。

 

『ピルグリムを音楽ユニットだと考察してらっしゃる方は多かったようですね。しかし残念ながら、私はピルグリムとしては個人で活動しています。……はい、そうですよ。毎週1曲は新曲をリリースしているのも、歌っているのも、合成音声を調整しているのも、楽器を演奏しているのも、MVを撮影しているのも私です。撮影のモデルなんかは別で雇ったりしてましたけどね』

 

 有り得ない、とか信じられない、というコメントが流れていく。正直、あたしもそう思う。全ての曲にMVがついているわけではないとはいえ、作詞作曲とレコーディングを週一でこなし続けるなんて現実的じゃない。しかもその上でタイアップやバンドの掛け持ちもしているわけで。

 

『ええ、普通は不可能です。後で述べますが、私の場合は作詞作曲に時間コストがかかっていないのでかろうじて成立しているだけです。とはいえ寝食を削る生活は間違いなく寿命をすり減らしますから、おすすめはしません。私のこれは、愚か者の所業です』

 

 おねーちゃんは配信の画面を分割して、片側で画面共有を始めた。映っているのは、ピルグリムのWikipedia。便利ですよね、という呟きが零れた。

 

『一切不明、って書いてありますね。書き足していきましょうか』

 

 2◼️◼️◼️年3月20日生まれ、とまず書き加えられる。それから、本名は氷川紗夜、とも。

 

『ええ、Pastel*Palettesの氷川日菜は私の妹です』

 

 それからあたしのプロフィールサイトに飛んで、生年月日が公開されていることを確認して、『双子の妹です』と付け足した。

 

『投稿し始めた時は……高校一年生でしたね。あのときは、少しズルかもしれませんが、確実に伸びる曲ばかり選んでいました。……伸びる曲が分かるのかって? もちろん。皆さんだって、ベートーヴェンの第九が評価されることは自明だと感じるでしょう?』

 

「傲慢なことを言うわね。実績があるから、誰も反論はできないでしょうけど」

「第九が評価されることは自明かもしれないけど、じゃあ、誰が第九を作れるのかって話だからね」

 

『……私ばかり話すのも面白くないか。積年の疑問もあるでしょうし、質問があれば答えますよ。あまり隠し立てする気もありません。ギターを始めたのは? 小学生の頃ですね。他の楽器も同様。こればかりは両親に感謝するしかありませんね。大概、親不孝者の自信がありますから』

 

 趣味、音楽。好きなブランド、安くて着心地が良いもの。好きな食べ物、早く食べられるもの。スリーサイズ、妹とおなじ。……これは嘘ついてる! 出身、血液型、好きな歌手、気に入っている曲、エトセトラエトセトラ。それこそ30分以上は費やしただろう問答の答えの大半が、あたしにとっての未知だった。

 

『ピルグリムの由来? そうですね、もう良い時間ですし、話してしまいますか。意味は入植者と巡礼者、それから外来種です。この世界の音楽シーンへの入植者、私が信じるあの世界の音楽の巡礼者、そして、日本の音楽シーンを食い散らす外来種。私がやろうとしてきたこと、やってきたことに相違ない』

 

 おねーちゃんの雰囲気ががらりと変わる。

 憑き物が落ちたような穏やかな声音に、狂気が灯り直す。

 言葉が熱を帯びる。耳朶を打つ振動が、あたしの心音を増幅させる。

 

『イエスタデイ、という映画を知っていますか? ──ふふ、知っている人なんかいませんよね。あらすじを説明しますと、売れないミュージシャンがある日交通事故にあって、意識不明で搬送されます。彼が目覚めると、なぜだか世界的な人気バンドであるビートルズが、歴史上から消えてしまっていたんです。彼はビートルズの歌を自分の持ち歌として公開し、スター街道を駆け上って行きます。紆余曲折がありながらも、キレイに落ちた映画だと思っているのですが──』

 

『──まあ、まさか、ねえ。自分の身に降りかかるとは思いませんよね。【The Beatles】、【Queen】、【Led Zeppelin】、【Eagles】、【The Rolling Stones】、【Nirvana】、【Metallica】、【Linkin Park】……【B’z】、【XJAPAN】、【スピッツ】、【GLAY】、【THE BLUE HEARTS】【L'Arc~en~Ciel】、【BUMP OF CHICKEN】。皆さん、一つも聴き覚えがないでしょう? 私にとっては、歴史からモーツァルトやベートーヴェン、シューマンやショパン、バッハ、メンデルスゾーン、ラフマニノフ、その他の偉人たちがゴソッと消えてしまったような衝撃を受ける名前なのに』

 

『染み付いて離れないんです。私が愛した音楽が、この世界には残滓さえ残っていなくて。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」には名前も知らない誰かが成り代わっている。この世界の音楽に、私は心を突き動かされなかった』

 

『孤独だった。家族も友人も知人も、私の魂の寂寥を埋めてはくれない。けれど、もしも── 私の魂を震えさせるに至らないこの世界の音楽を、あの世界の音楽で塗り替えられたのなら、私の孤独も少しくらいは埋まるだろうかと、魔が差してしまった』

 

 千聖ちゃんが、あたしの手を握った。

 それで初めて、あたしの手が震えていたことを自覚した。

 体温が右手から移ってくる。ハンドクリームを馴染ませた手のひらの感触があたしの意識を引いて、けれどおねーちゃんの表情から目を離せない。

 

『ええ、その通り。浅ましくも、私はこの世界が大嫌いなんです』

 

 笑っている。彼女は、心底楽しそうに笑っている。

 

『貴方たちなら、どうしますか。もし中近代のウィーンに生まれて、ベートーヴェンが見つからなかったら。第九を、月光を、五線譜に書き起こしてみますか? モーツァルトがいなかったら? バッハがいなかったら?』

 

『糖質? ……ああ、統合失調症のことですよね。そうだったらいいのに。そうしたら私は、◼️◼️◼️◼️の記憶になんか振り回されずに氷川紗夜として生きられたかもしれない』

 

 息継ぎでもするように、おねーちゃんはラウンドテーブルに置いてあったペットボトルから、半分ほど残った水を一息に飲み干した。

 

 あたしはと言えば、理解が追いついていなかった。情報を情報として飲み下した上で、これまでのおねーちゃんの行動に、語られた動機を当てはめてみる。

 

 繰り返し繰り返し思考を巡らせても、おねーちゃんがこれからやろうとしていることが、ひとつしか思い当たらない。

 

『……ピルグリムの正体はこんなところです。別に、私には作曲家や作詞家としての技能なんてありませんよ。覚えていることを覚えているままに作ってきただけですからね』

 

『得た金銭? 基本的には機材への投資ですね。皆さんが思うような贅沢はしていませんよ。残った分は寄付ばかりで。何があっても皆さんは最終的に許してくださると思っていますから、特に好感度稼ぎをするつもりもありませんが』

 

『著作権はどうしようもありませんよね。実在しない人間の権利は保証しようがありませんし。これに関しては後ほど』

 

『さて、この配信の目的をお話ししましょう』

 

「千聖ちゃん、今から最短でスコットランドに行くための便、取れる?」

「え? どういうつもり? 明日だって仕事が──」

「キャンセル。どうせあたし行けないもん」

 

 もう止められはしない、と思った。

 だけど僅かばかりの可能性に縋りたい。

 

 おねーちゃんがこんな配信をした目的は、幕を引くためだ。きっと、ピルグリムとしての人生に。

 

『まずもって、この五年間の成果に満足しました。去年までのチャートを、私がリリースした曲で埋めつくしました。アルバムやCDの売れ行きも、ストリーミングサービスの再生数も、カラオケのランキングさえもほぼ一色です。ですから、私の証明は成功したことになります。──即ち、どちらが優れているのか』

 

『今後は、どうなるでしょうね。この環境が何十年も続けば、ここは焼け野原になるでしょうか。流行が一巡するように、新しい風が吹き始めるような気もします。私の影響を受けた作品も出てくるでしょうね。それだけが楽しみです』

 

「予約は取れたけど、今日最後の便よ」

「それでもいいよ。ありがと」

「いいえ。でも、お仕事をドタキャンは──」

「──ううん、千聖ちゃんは絶対に許してくれると思う。あたしの予想が当たってれば、だけど」

 

 SNSの話題はピルグリム一色だった。勢いは増していく。

 

「じゃあ、私も行くわ」

「え」

「どうせ、明日の主役は私じゃないもの。それより日菜ちゃんを一人で行かせる方が心配よ」

 

 気が付いていないようだけど、と千聖ちゃんは付け足した。「ひどい顔色よ」

 

『話は戻りますが、イエスタデイという映画の終わりについて補足したいと思います。最後に主人公は、有名になる過程で疎遠になっていた幼なじみと結ばれ、己の行為をコンサートの舞台で打ち明けます。そしてビートルズの楽曲を全てインターネット上で無料公開してしまうんです。レコードを売る時代の話ですから、実質的に権利の放棄と言ってもいいでしょう。彼は最終的に音楽教師になりましたが、私は最終学歴が高卒ですからね。少し厳しいか』

 

 コメントは荒ぶっている。賛否両論、というわけでもなくて、話についていけない、というのが大多数。頭がおかしい人間の妄言と捉えているのが一番多い。優れた能力を持つ人間は、それだけ尖っていてもおかしくない、という思い込みにも後押しされていただろう。実際に、そういうコメントも散見された。

 

『ただ、この配信が、イエスタデイにおける最後の転換点、つまりコンサートのシーンに当たるわけです。──今日を以て』

 

 聞きたくない、というコメントが溢れた。

 あたしもそうだ。隣で配信を開き直した千聖ちゃんが、合点がいったように息を吐いた。

 

『今日を以て、ピルグリムとしての音楽活動を終了します。あと30分もすれば一つだけ、アルバムがリリースされます。それが本当の最後です。私が大きく影響を受けた、ヨルシカというバンドの【盗作】というアルバムで……最期はこうしよう、とずっと決めていました』

 

『私のサイトで、全ての楽曲に説明を書き加えた解説が公開されます。どんなバンドで、どんな人が歌っていたのか。どんなドラマや映画の主題歌で、どんな背景を持っていたのか。私が覚えている限り、ですけれど。作詞作曲の欄がピルグリムとなってしまった楽曲たちに、せめてそれくらいは贖罪として残しておかなければ』

 

「千聖ちゃん、配信つけといてね」

「ええ」

 

 着信拒否されているか電源を切られていると思ったけれど、あたしがおねーちゃんの番号に電話をかけると、配信の向こうでも着信音が鳴った。

 おねーちゃんは電話を取るか迷ったみたいだったけれど、根負けしたように「妹からです」と言ってあたしの電話に出た。

 

『もしもし、日菜?』

「おねーちゃん、配信見てるよ」

『そう。こちらは夜がとても綺麗よ。伝聞の通りね』

「……マンション、解約したよね」

『ええ、もう必要ないから』

「今日中にそっち行くから、思い留まってくれる?」

『……ここが何処かわかるの?』

「わかるよ。大体は、だけど」

『来てくれる分には助かるわ。後処理も大変だろうし……なるべく手が掛からないように整理したつもりだけれど、不足もあるだろうから』

 

 けど、とおねーちゃんはカメラに視線を向けた。

 画面越しに目が合う。残念ながら、一方的なものだけれど。

 

『思い留まれはしない。もう終わっているのよ』

「燈ちゃんはどうするの? 一生やるんでしょ、バンド」

『約束を違えるつもりはないわ。一生は一生、まあ、詐欺やペテンの類いだと言われても否定はできないけどね』

「泣き叫んでも、何でもするからって言っても?」

『決めたことだから。二人には謝っておいてくれる? 親不孝者で申し訳ないって』

「……あたしにも謝るべきだよ」

『……そうね。ごめんなさい、日菜。さようなら、どうか幸せに。好きなギター、持って行っていいわよ』

「さようなら、おねーちゃん。一生呪って恨んでやるから」

 

 ぶつりと通話は切れてしまった。それから、画面の向こうのおねーちゃんはこれみよがしにスマホの電源を切った。

 今生の別れだというのにこれだけって。ひとでなしが過ぎる。

 感情は焦って、焦って、吐きそうなくらいお腹が痛くなっているのに、頭は冷静にまわる。こんな自分が憎らしい。

 

『……姉らしいことは何もしてあげられませんでした。まあ、あの子は優秀すぎて余計なお世話だったような気がしますが』

 

 それからおねーちゃんはコートを羽織って、夜の外へ出た。配信はタブレットで行っているんだろうか。一瞬、配信が不安定になったものの、すぐに持ち直した。

 

『音楽の切っ掛けは何だっけ、父の持つレコードだったかな。なんて、もう満ち足りてしまいました。だからこんなにも夜が美しい』

 

 配信に外の景色が映る。切り立った崖と、真っ黒な海。時折上がる水飛沫が、海水面の高さだけを教えてくれる。

 こんな暗い夜に、おねーちゃんは──

 

『先程の、著作権及び使用権、使用料の話ですが。私の死後、ピルグリムの名義で公開されているものは全てフリーになります。お好きにお使いください』

 

 ──死んでいなくなるつもりだ。

 

 投げ入れられたスマホは、一瞬で闇に飲まれて見えなくなった。千聖ちゃんがあたしの肩を掴んで抱き寄せた。画面から目を逸らせないまま、千聖ちゃんの鼓動と、息遣いが、背後から覆い被さる。

 

 カメラの視点が低くなる。足元に置かれたのだろう。少し遠くなったおねーちゃんの声は、震えている。

 

『長年の疑問でしたが、靴を脱ぎたくなる気持ちも分かりますね。地球の反対側まで来ておいて、日本の文化も何もありませんが』

 

 スニーカーと靴下を脱いで、裸足のおねーちゃんが岩肌を踏む。

 

『皆様、永らくのご愛顧有難うございました。私を覚えておく必要はありませんが、音楽が長く残ることを望みます』

 

 かっちりとしたお辞儀が、死にゆく人間のものとは思えなくて、少しだけ滑稽に映った。ぎくしゃくとしたぎこちなさがそう見せたのかもしれないし、あたしの現実逃避だったのかもしれない。

 

『さようなら』

 

 人影が、崖下へと滑り落ちて行った。

 

 痛いほどに千聖ちゃんに抱き締められた。

 呼吸が浅い。

 荒く息を吐くのは、あたし? 千聖ちゃん? 

 泣いているのは? 過呼吸を起こしているのは、だれ? 

 

「おねーちゃんは、救われたのかなぁ」

 

 声に出したのかも、自分では分からなかった。




 
 
  
 
 
 
 
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