霽月   作:おいかぜ

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なんか違うな?まあええか……の繰り返し
 
 
まあええか……


 
 
 
 



羽沢つぐみの日光浴

 

『後悔って、ありますか』

『後悔?』

『思ってもないことを言ってしまったとか、あの時やっておけばよかったなとか』

 

 高校二年生の頃だったと思う。日菜さんとそんな話をしたことがあった。

 

『そんなの山ほどあるよ』

『日菜さんでも?』

『あたしをなんだと思ってるのさ。……失敗したなぁって思うことはいくらでもあるよ。それと、間違ってないと感じていても後悔はしてることもある。ベースを始めたこととか……まあ、いろいろ』

 

 日菜さんを好きになった、明確なきっかけは分からない。

 初めて助けてもらえた日にもう好きになっていたのかもしれないし、その後仲良くなってから好きになったのかもしれない。だけど私の中でターニングポイントはいくつかあって、そのうちの一つが、この日の会話だった。

 

『べつにあたしは引き摺るタチじゃないけども』

『それはイメージ通りですけど……』

『つぐちゃんって、時々バッサリ切り捨てるよね。……後悔って、何かを選ぶ度に発生する感情じゃん? ようは自分の選択に対するフィードバック、反省でしかないと思うんだよね。おにぎりとパンどっちにしようか迷って、選んだパンがパサついてたらおにぎりを選んでおけばよかったって思うし。選んだパンが美味しかったらパンで良かったって思うけど、じゃあおにぎりはどんな味だったんだろう、って気になってくるかもしれない』

 

 日菜さんの考え方に触れるのが好きだ。幼馴染みはどうしたって感性が似てくるというか、同じような環境で育って同じようなものに触れて、ずっと言葉を交わしてきたものだから、半分同化しているようなもので、新しい刺激にはなりにくい。でも日菜さんの話は、時折ハッとするような発見と新しさに満ちていて、本を読んでいるような気分になる。

 

『パンとおにぎりなら何となく味の想像はつくけど、人生はそうでもないよね。だから今を悲観的に捉えるほど、選ばなかった道が希望に満ちてるように感じる。あたしはベースを始めたけど、ギターの方が才能あったかもしれない、とか。ただの反省に希望的観測を混ぜちゃうから、あとから悔しくなってるだけなんだよ。だって、ギターを弾いてるあたしが……もしくは、楽器をやってないあたしが今頃どうしてるかなんて、具体的に推測できないもん』

 

 夕方の生徒会室は、西日が射して眩しい。窓を開けているから、カーテンの隙間から射す光がちらちらと目を焼いた。

 

 言い切ってから、日菜さんは眠たげにあくびをした。

 私たち二人きりの生徒会室は、私にとっては学校らしからぬ空気に満ちている。

 他の生徒といるときは、日菜さんは余所行きの雰囲気を纏っている、と思う。私でも「適当に返事してるな」と分かるくらいには、会話に中身がない。

 学校の人間関係が薄っぺらいとかそういうことを言いたいわけじゃないけれど、学校だけの人間関係に、自分の深い部分を晒せるかと言えば否だ。

 

『わざわざ訊くってことは、つぐちゃんには後悔があるの?』

『えーっと、ちょっと、バンドのことで……』

『つぐちゃんってホント、わかりやすいよねぇ』

 

 日菜さんには、相談を持ちかけることがよくあった。

 私の言葉を咀嚼して、吟味して、答えをくれる。それは必ずしも『正しい』ものではないけれど、大抵の場合私には見えなかったものを提示してくれるのだ。

 

 そんな先輩だから、きっと私は好きになったんだろう。

 

 

 

 


 

 

「つぐちゃん、デートに行こうよ」

 

 紗夜さんと恋バナ(?)をした数日後、日菜さんが唐突に言った。

 

「いいですけど、紗夜さんは?」

「おねーちゃんはお仕事じゃん」

「え、もしかして今日行くって話ですか?」

「そーだよ? ナイショ話しよう」

 

 朝から紗夜さんはお仕事に行ってしまった。

 音楽番組への出演らしい。最近はRoseliaの露出が増えてきて、紗夜さんもラジオやテレビに出演するようになった。話題性があるから、紗夜さんが矢面に立つことは結構多い。リーダーである友希那さんに次いで、多分地上波で発言している。

 

 友希那さんの雰囲気はなんとなく蘭ちゃんに似ていて、だから対外的な対応をしている紗夜さんやリサさんは、おそらくひまりちゃんと同じような役回りなんだろうな、と思っていたり。

 

「ナイショ話って……」

「おねーちゃんには言えないこと。愚痴とか?」

「ぐ、愚痴……?」

「あれ? ないの?」

 

 愚痴、なんて言葉を使いつつ、内緒話の内容は愚痴ではないんだろうなと思う。

 

 今度こそ、私には察する余裕があった。つまりは、私と紗夜さんでしたような話を、今度は日菜さんとしようとしている。

 

「特には。日菜さんにはあるんですか?」

「そりゃあるよ。つぐちゃんにはないの? 昼まで寝てるなー、とか」

「うーん。私よりも忙しくしてますし、休日くらい寝かせておいてあげても……」

「ま、そうなんだけどね。多忙が祟って27歳とかで倒れられても困るし」

「27歳……?」

「あー、忘れて」

 

 紗夜さんが寝坊をすることを日菜さんは「愚痴」のひとつとして挙げたけれど、べつに気にしているようには思えない。

 それよりも「忘れて」と流した言葉の方が気にかかる。

 ぱっと思いつくのは27クラブ。不謹慎で悪趣味だから取り下げたのか、それとも。

 

 ひまりちゃんが少しだけ呟いていたことを思い出す。紗夜さんにとって大切だった人の話。メジャーデビューを目指して、その手前で斃れた人の最期。紗夜さんはその人のことを「愚か」だと言ったらしいけど、何の理由もなしに、亡くなった人にそんな言葉を向けるとは思えない。

 紗夜さんと親しかった人なら、日菜さんとも知り合いかもしれない。私がずけずけと踏み込んでいけるはずもないけれど、知りたいとは思ってしまう。

 

「ともかく、ガールズトークしようよ」

「じゃあ、着替えてきますね」

「はぁい」

 

 

 なにはともあれ、出掛けることに否やはなかった。

 外出は好きだし、せっかくの休日だ。好きな人と一緒にいられるなら、それを享受したい。

 

 日菜さんと紗夜さん。私が恋している双子の姉妹は、それぞれ名前のイメージにあった雰囲気を持っていると思う。日菜さんは日中、紗夜さんは夜。

 時々によって天真爛漫であったり、思慮深く博識だったり、冷たく見えたり、多彩な色を持つ日菜さんは、昼の天気という感じだ。晴れていても曇っていても雨でも、日中は日中。

 紗夜さんは静かな夜のまま、動じないように見える。けれども実際は、月の満ち欠けや、目を凝らさないと見えない星の光、青ぐろく浮かぶ雲によって天蓋の色彩は変化していて、それはこうして紗夜さんの懐に飛び込んでみないと分からないことだったな、と思ったり。

 

 春も後半戦になった今日この頃、外出の際はむしろカーディガンが必須だと思うようになった。何せ、屋内の冷房が寒い。

 

「つぐちゃんって雰囲気が良くて料理が美味しいカフェいっぱい知ってたりしない?」

「人よりは詳しいと思いますけど、穴場的な意味なら日菜さんの方が知ってるじゃないですか」

「そうかなぁ。あー、でも、今日はあたしのオススメのとこに行こっか」

 

 実家が喫茶店ということもあってアンテナは高い方だと思う。でも、散歩の最中にたまたま見かけたお店にふらっと入ったりする日菜さんほど隠れ家を知っているわけじゃない。それに、日菜さんの嗅覚はどういうわけか正確なようで、ふらりと立ち入ったお店が大抵の場合大当たりだったりする。ハズレを引くのも醍醐味だからと言いつつ、そんな場面を見たことがないのだから少し白々しい目を向けてしまうことも。

 

 日菜さんに手を引かれて入ったのは、本当に近所にあるなんてことのないような喫茶店だった。むしろ遠目には観葉植物を売っているような店なのかなと思うような外観で、喫茶店であることを示すのはドア前の立て看板と、窓から覗ける内装くらい。

 

「奥の方座ってもいいですか?」

「いらっしゃいませ。ご自由にどうぞ」

 

 窓と厨房から遠い席を確保して座る。私たち以外の客は、カウンターに二人、常連らしい人達が談笑しているのみだった。

 

 日菜さんはブレンドコーヒーを、私はカフェオレを注文して、ボックス席で向かい合う。

 私はある種、面接に向かう前のような心持ちで日菜さんの前に座っていた。バイトとか資格試験とか、そういうときの面接。得手不得手でいうと得意な方なんだろうけど、やっぱり身構えるし緊張はする。

 

「あたしは結構、話の枕はあった方が良いかな〜と思うタイプなんだけど、つぐちゃんはあんまりそういう感じじゃなさそうだね」

「宿題は先に終わらせるタイプですから」

「さすが元生徒会長」

「日菜さんもじゃないですか」

「あたしは基本的に問題児側だから」

 

 注文した飲み物が届いた。日菜さんがカップに口をつける。

 私も少し迷ってから、カフェオレを舐めるように飲んだ。日菜さんが連れてきてくれるだけあって美味しい。まあ、カフェオレが美味しくないことはまずないのだけども。

 

「それじゃあ本題。おねーちゃんに『日菜のことが好き?』とかそんな感じのことを訊かれたりした?」

 

 やっぱりバレている。なら、紗夜さんに訊いてみた通り、私の感情も──

 

「……はい」

「そっかぁ。それならまあ、いいでしょ。……つぐちゃん、あたしが今からする提案に不快感を覚えたのなら、あたし達の親なり、おねーちゃんなり、訴え出ていいからね」

 

 そんな前置きをするものだから、かなり身構えた。

 

「あたしと二人で、おねーちゃんを落とさない?」

「……へ?」

「つぐちゃん、あたしのこと好きでしょ。それで、おねーちゃんのことも好きな欲張りさん」

 

 日菜さんは私と目を合わせなかった。

 自明のように日菜さんが言って、私は黙ってひとつ頷いた。

 後ろめたさと、日菜さんの発言を咀嚼するための思考がぐるりと巡って、ショートする。

 

 間違いなく私は不実で……けれどもそれを責めるでもない日菜さんが、何を言おうとしているのか、私には推し量りきれないでいる。

 

「あたしね、おねーちゃんに1回フラれてるんだぁ。おねーちゃんはなんにも言わなかったでしょ」

「……はい」

 

 でもそれはきっと、日菜さんのことを慮ったからだ。

 日菜さんだって分かりきっているだろうことを、今更口に出しはしなかったけれど。

 

「姉妹で、そういうのはおかしい、って言葉では言うし、このままでおねーちゃんが頷いてくれることはないんだろうなって分かるんだけどさ、諦めらんないの」

「私を挟んだら、紗夜さんも頷いてくれるかもって言いたいんですか?」

「そ。我ながら最低だな〜って笑えてくるね。自覚はしてるから、切り捨ててくれていいよ」

「……自棄になってるんですか? そういうの、日菜さんらしくないと思います」

「そうかもね。なるようにしかならないとは思ってる。つぐちゃんは半分恋敵だし、あたしの望みが叶うかも、なんて希望もちょっとだけ見えてきてるし。……あと、くだらないって言うかも知んないけど、人間関係に(はかりごと)を持ち込むのはやめたの。千聖ちゃんに怒られちゃうし」

 

 前髪をくしゃりとかきあげて、日菜さんは突っ伏した。手元にあったカップを私の方へ引き寄せると、小さく唸り声が聞こえてくる。

 

「……あたし、こういうのホント苦手」

「知ってます」

 

 日菜さんは感情で動くのがヘタだと思う。感情を感情のままにしておかない、というか。感情のままに走ることを自分に許せないタイプだ。

 心が動いたとき、日菜さんは大抵それに、理屈をつけているように思える。

 

 他人の私にもそれがわかるほどにそんな(たち)であるから、日菜さんは意図してそうしているんだろうと思う。以前大きな失敗でもしたんだろうか、と考えたりもするけれど、尋ねることは憚られた。

 紗夜さんなら知っているだろうか。

 

「はぁ。……私、日菜さんと紗夜さんが好きです」

「……うん」

 

 私は、呆れているんだろうか。

 顔を上げないまま、くぐもった声で答えた日菜さんは、端的に言えば、困り果てていた。

 

「……私を家に連れてきてくれたのも、そのためだったんですか?」

「……あわよくば、みたいな思考があったことは否定しないよ。いちばんは心配だったからだけど」

「…………紗夜さんは、もし私と両想いだったとしても、日菜さんの告白を切り捨てた上で私を掬い上げたりはしないと思います。……フラれた話をしたのは、(はかりごと)じゃないんですか?」

「フェアにしておこうと思っただけで……でもつぐちゃんがそう思うのなら、もしかするとあたしには都合よく働いてるかもね」

 

 もしかすると日菜さんが思うよりもずっと、紗夜さんは日菜さんを大切にしている。

 

 日菜さんの告白を紗夜さんが断ったと言うのなら、私が告白しても同じ結果になる。好きな人のことだから、それくらいは見ている。

 

「恋ってさぁ、困るよ」

 

 突っ伏したままの日菜さんの右手が、ちょうどテーブルの真ん中をさまよっている。

 人差し指に嵌った指輪が、ほんのちょっと怨めしくて、羨ましい。

 

「だって、欲じゃん。誰かの一番になりたいのも、誰かを自分の一番にしてしまうのも。純度100%、合理性の欠片もないあたしの欲望。……だから、困る。あたしの行動も、あたしの理性を振り払うような挙動になって……あたしがあたしじゃないみたい」

 

 今の日菜さんの顔が見たい、と思った。

 心はまだ決めかねていて、私の理性は日菜さんを「非道いひとだ」と決めつけている。

 

 だから振り払わせて欲しい。

 

 日菜さんの手に触れた。指先をなぞって、人差し指の指輪を掠める。

 

「ひとつだけ、聞かせてください」

 

「日菜さん。私のこと、好きですか」

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