霽月   作:おいかぜ

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浮かんでしまったのでオチなし掌編。まあリハビリの趣旨には合っとるか……
お付き合い編(続かない)


羽沢つぐみはキスしたい

「紗夜さん。キス、してもいい、ですか」

 

 紗夜さんとの交際が始まって三日。夕食後にゆるゆるとギターのメンテナンスをしていた紗夜さんの横顔に堪らなくなって、私は思わずそう言った。

 初めてのお誘いにも関わらずムードとへったくれもないだとか、そういうことを抜きにしてもきっと、大失敗だった。

 

「えっ?」

 

 紗夜さんは心底驚いたように呆けた返事をして、それから嵩瞬の後に「しまった」というような表情を見せた。それも一瞬のことで、「勿論」という言葉と共にいつもの表情を取り繕った紗夜さんに、私はいたたまれなくって頭を下げた。

 

「あのっ、やっぱり、ごめんなさい──」

 

 先走り過ぎで、焦り過ぎで、私の悪いところが如実に顕れたと言える。

 結局私は逃げ出して、煩悶とともにベッドの中で一夜を明かした。

 

 そして、今に至る。

 

()()、どうするの〜? 昨日まで幸せのぜっちょ〜、みたいな顔してたのに」

「そっとしといてやれよ」

「トモちん冷たーい」

 

 頭上で幼なじみたちの声が飛び交っている。意気消沈、完全ノックダウン状態の私は、打ち合わせと併せ練習用に借りた事務所のスタジオに辿り着くなり崩れ落ちた。

 

「紗夜さんと何かあったんだって」

 

 最初に出会ったひまりちゃんにほんの少しだけ話して、今日は本当に無理かもしれない、と言った。練習にも打ち合わせにも参加するつもりではいるけれど、ちょっと精神に余裕がない。

 

「ふぅん」

 

 突っ伏する私の頭上で、なんとなく、蘭ちゃんに視線が集まったのがわかった。こういう時はいつもそうだからだ。私でも、私じゃなくても。

 きっと蘭ちゃんは全員の顔を見回して、それから諦めたように私の肩に手を置いた。

 

「つぐみ。練習、できる?」

「……うん」

 

 仕事(Afterglowを()()と言うには抵抗があるけれど)は仕事、私生活は私生活だ。メンタルが落ち込んでいても、やるべきことはやる。ただし失敗しやすいのは自明だから、ちょっと気を付けなければいけない。

 鍵盤の前に立って、頭の中に叩き込んだ楽譜を呼び起こしてみる。

 

 結局、練習は無難に済ませてしまった。大きな失敗もなく、さりとて得られたものもほとんどないような、無為な時間を過ごしてしまった。思考のリソースが紗夜さんのことにばかり吸われていて、集中しきれなかった。

 

「ごめん」

「べつに。そんなときもあるでしょ。って言うか、あたしの方がそういう日は多いだろうし」

 

 練習が終わって、スケジュールのすり合わせをしたところで解散になった。こういうときは一緒に夕食を取ることも多かったのだけど、今日は巴ちゃんとひまりちゃんに別件があって、モカちゃんは気が乗らないらしかったので、私と蘭ちゃんだけが残された。「傷付くのがわかってるのにどうして応えちゃうんだろうね」とはモカちゃんの言。意味が呑み込めなくて首を傾げた。

 

「行ってみたい店があるんだけど、付き合ってくれない?」

「珍しいね、蘭ちゃんがそういうこと言うの」

「あたしだってつぐみのこと心配してるんだけど?」

「……うん。いつもありがとう」

 

 蘭ちゃんの提案に乗って、2駅離れた繁華街へ移動する。

 どうやら話を聞いてくれるらしいけど、あまりにも私のやらかしが過ぎて話しづらい。キスを迫ったら微妙な反応をされた上に気を遣われてヘコんでます……って。日菜さんだったら笑い過ぎて呼吸困難になるやつだもん。

 

 蘭ちゃんが連れてきてくれたのは、少し年季が入った定食屋さんだった。

 引き戸を開けてすぐ、店舗の柱に刻まれた時の流れにそぐわない真新しい券売機が置いてある。

 

「何にする?」

「んー、塩さば定食にしようかな」

「足りるの?」

「たぶん? 足りなかったらご飯おかわりするし」

「じゃああたしは鶏もも焼きにする。お腹減ったし」

 

 食券を購入して、案内されたのは端っこの席だった。セルフサービスのお冷とお漬物を取りに席を立った蘭ちゃんを尻目に、スマホの通知を確認する。

 夕食は外で食べると伝えてあるから、今夜は紗夜さんと日菜さんで何か食べておいてくれるだろうと思っていたのだけど、紗夜さんも外で食べることにしたらしい。日菜さんのスタンプがグループトークに貼り付けられていた。ショックを受けた表情のネコのスタンプだ。

 

「……で、何があったの?」

「すごく、言いにくいんだけど……」

 

 定食が来るまでの間に、私は蘭ちゃんにだいたいのあらましを話した。

 紗夜さん(と日菜さん)とお付き合いを始めたことは既に話していたから、私が昨夜にやらかした部分だけ。

 

「はぁ。まあ、難しいよね。あたしはべつに恋愛経験とかあるわけじゃないから、大層なことは言えないけど……紗夜さんも、嫌だったわけじゃないんでしょ」

「そうだと思いたいよ」

「嫌なことは嫌だって言うでしょ。紗夜さんがつぐみとの距離をどう考えてたかは知らないけど、紗夜さんが思っていたよりもつぐみが積極的だったくらいの話だと思うんだけど」

 

 蘭ちゃんの言葉はこれ以上ないくらいに正しいような気がする。私の願望混じりではあるけれど、紗夜さんに拒絶されているわけではないし……嫌々付き合ってくれているわけでもない………………と、思う。もちろん、私の「好き」と紗夜さんの「好き」は左右対称ではないので、そういう意味では仕方なく付き合ってくれている、という言い方ができなくもないけれど……考えないことにした。

 

「気を遣わせた上に逃げ出したのを反省してるんだよ……」

「そこはあんまり擁護できないかも」

「だよね」

 

 言い訳をさせてもらうのなら、紗夜さんはこういうのに慣れっこだと思っていたのだ。経験豊富……こういう言い方は嫌だな。でも、私みたいな歳下の小娘をあしらうのには慣れていそうというか……これは日菜さんへの対応だとか、Roseliaのファンの子達への応対を見る限りの印象だ。決して根拠なき偏見ではないはず。

 

「話し合えば解決する話……だと思ってる」

 

 蘭ちゃんがちらりと視線をスマホに落として、そのままカバンに仕舞った。

 

「わかってるなら大丈夫だよ。……でも、恋ってわかんないもんだね。つぐみがそんな感じになるなんて」

「そうかな。私はどちらかと言うと、前のめりに転ぶタイプだって自覚してるよ」

「あー、それはそうかも」

「私たちはそういうのばっかりだけどね。蘭ちゃんも!」

「ちょっとは落ち着いたつもり」

 

 取るに足りない話だ、と蘭ちゃんが断言してくれて、だいぶ気が楽になった。悩みを矮小化されることが良いか悪いかはさておいて、際限なく肥大化しそうな悪い想像を、蘭ちゃんはバッサリと断ち切ってくれた。

 帰ったら紗夜さんに謝ろう、と腹に決めて、運ばれてきた定食に手を合わせる。

 

 紗夜さん、あなたが好きです。好きすぎて、今日もまた私は失敗しました。

 

 

 

 

 

 ♦

 

 

 

「あのですね、違うんです」

「何が違うんですか〜?」

「罪悪感がですね……」

 

『うちの子に何してくれちゃってるんですか』とのメッセージと共に青葉さんに呼び出された。目も合わせずに出ていった今朝のつぐみさんの様子からして、バンドの方でもかなり分かりやすかったのだろう。

 二十幾つも歳下の子を……という私の葛藤が青葉さんに伝わるはずもないので、ただ平謝りする他はないのだが。

 

「はぁ。紗夜さんはつぐを受け入れたんだから、そこはちゃんとしてくださいよぉ」

「仰る通りです、と返す他ないわね」

 

 夕食でも、との事だったけど、店を探すのも面倒で適当なチェーン店に入った。改めて青葉さんが「受け入れた」という言葉を口に出したことで、少し腑に落ちる。彼女達からしても、そういう認識なのか。

 嫌々というわけではなくとも、私がなし崩し的につぐみさんを受け入れた、という認識になっているのであれば、今回の出来事は私の想像以上につぐみさんには大きな衝撃を与えてしまったのかもしれない。

 

「もしかして、と思うのだけど……私が仕方なしにつぐみさんと付き合っているように見えるのかしら」

「ん〜、そうは思いませんけど、でも、つぐが押したんだろうなってことはみんなわかってると思いますよ? 紗夜さんだって、同じ認識ですよね」

「まあ……」

 

 つぐみさんにキスを強請られて、嫌な思いをしたかといえば否。ただ私は、面食らったというのがおそらく妥当な表現だった。

 それが表情に出てしまったのは私のミス……と言うよりは、認識の甘さだろう。

 

 キスが性欲由来かはさておいて、地続きではあるだろう。私がつぐみさんのそういう欲求、あるいはアプローチを想像できていなかったというか……

 

 実はかなり凹んでいる。

 間違えない、と言ったくせにこの体たらくで、受け身ではいけない、と身に染みたはずなのにこの有様。

 

「青葉さんだったら、どうする?」

「あたしがつぐ側だったら〜?」

「……その想定をしてどうするのよ。貴方が私の立場だったら──」

「もっとやらかしてた気がしますね〜」

「…………謝る方が、却って気を遣わせないかしら」

「そ〜いう。つぐの言葉に合わせてキスでもしたらど〜ですか〜?」

「貴方、もう興味ないでしょう」

「バレました? あたしも失恋したばっかりなんで、しょーじき重いって言うか〜」

「失恋? 青葉さんが?」

「や、それはいーんですけど」

 

 青葉さんに恋愛巧者のイメージはないけれど、失恋しそうなイメージもない。意外だ、と思いつつ踏み込むこともしない。どうせ、アドバイスも手伝いもできないのだし。

 

「紗夜さんって、実際、つぐのことちゃんと好きなんですか?」

 

 取り繕った軽い声音に、けれども真剣さが滲んでいる。

 青葉さんは穏やかな表情を崩さないまま、真っ直ぐに私を見つめた。

 

「好きになろうとしている、というところかしら。以前バッティングセンターに行った時と、特に変わった気はしないわ。彼女に向き合う姿勢ばかりは、改めたつもりだけれど」

「じゃあ、そのまんま話したらどうですか〜?」

「……そうするしかないわね」

 

 私は、つぐみさんを受け入れた。

 感情が釣り合っていなくとも、恋人関係になるに吝かでないと告げて、好きになれるように関係を深めていくと誓った。

 そうはいいつついつも通りの私に、つぐみさんが歩み寄ってくれたのだから、今回はやっぱり、私の過失も大きいだろう。

 

「『やっぱり好きになれなかった』って紗夜さんとつぐが別れるところを見るのも嫌なんで〜、上手くやってくださいね?」

「努力はします」

 

 とはいえ、きっと難しいだろうと思う。

 私の感情も、三人の釣り合いも。

 私が変わらなければ、つぐみさんの心も日菜の心も互いに寄っていくだろうし、私はそれを良しとするだろう。重心がぶれれば、三角形は容易く崩れ去る。

 少なくとも私には、二人を平等に愛するなんて器用なことをやってのける度量はないと思う。愛情を数値に割り切れる人でなければ、恋多き人にはなれないだろう。

 

「つぐを泣かせたら、あたしたちでカチコミに行くんで〜」

「私が泣かされたらどうするんですか?」

「Roseliaに土下座しに行きますー」

「……どちらも実現しないことを願うわ」

 

 注文した料理が届いたところで、青葉さんが思い出したかのように顔を上げた。

 

「今日あたしとここで話したことは内緒にしておいて下さい〜」

 

 言葉の真意になんとなく思いを馳せて、私は、青葉さんと友人でいられて良かったと思う。彼女ほど優しい友人を得ることはきっと難しいだろうから。

 

 

 

 

 ♦

 

 

 カードキーで部屋に入ると、紗夜さんはすでに帰宅していた。

 今日はMiDDay-Moonの配信もなかったはずだし、自室でギターの練習でもしているのだろうか。リビングには姿がない。

 手を洗って、ついでに歯を磨く。冷蔵庫にストックされている水をコップに注いで一息に飲み干した。まとわりついた外の残暑の名残りが霧散する。

 

 紗夜さんの部屋のドアをノックすると、「はい」と返事が返ってくる。少しだけ心の準備をして「入っていいですか?」と声を掛けると、どうぞ、という返事。

 

 ドアを開ければ、部屋着の紗夜さんが本を傍らにベッドに腰かけていた。

 目を合わせるなりふわりと微笑んでくれて、こっそりと安堵する。私の特大のやらかしは、少なくとも変に拗れたりはしなさそうで。

 

「おかえりなさい。ちょうど良かった。私も、ちゃんと話をしたいと思っていたから」

「……昨日のことを、謝りに来たんです」

「謝るのは私もよ。けれど何もなしに話すと有耶無耶に終わりそうだから、先に一つだけ。今度の休日、二人でデートに行きましょう。どうか私にリードさせて?」

 

 この人は本当に……ほんとうに、ズルい!!! 

 

 

 

 

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