Bloody Arriver   作:Ziz555

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第一部 “トリニティの吸血鬼”
Ep.1 “トリニティの吸血鬼”


 

 

 

 月を見ていた。

 

 

 

 瓦礫の山に腰掛けて、俺は一人で夜空を見上げる。

 暗闇の空にポッカリと大きく浮かび、静かに世界を照らす、丸い月。数多の星より近くにあって、いずれのそれより輝いて。けれど、その光は太陽からの借り物で。熱はよこさず、静かに冷たい夜の世界を照らす、そんな星。

 

「……ああ。今日も、何も変わらねぇ」

 

 片手に持った、欠けた杯に満ちた水を、俺は静かに口へと運ぶ。

 常温よりもいくらか冷めた水が、喉を通して俺の体に満ちていく。体が潤うような、そんな曖昧な感覚が心地いい。

 

 杯のそこにわずかに残る水面には、ちょうど月が映り込む。それは、水面(みなも)に合わせて輪郭を揺らし、不確かな形をしていた。空に浮かぶ本物には、似ても似つかぬ影の像。

 

 それを静かに見届けて、俺は再び杯をあおる。残った水も、全て杯から俺の中へと飲み込まれた。

 

「…………」

 

 何も言わずに、俺は再び夜空を見上げる。

 

 びゅう。と静かに、冷たい夜風が吹き抜けた。

 

 

 

 

 

 

――――夜のトリニティには、吸血鬼がでる。

 

 トリニティ総合学園で最近流行りだしていた噂の話だ。

 

 夜の街を一人で、人気の少ない道を歩いていると、音も影もない間に現れ。抵抗する間もなしに瞬く間に意識を刈り取られ、そして――。

 

 などという、どこにでもあるような噂話。

 

 学園都市であるキヴォトスにおいて、怪談話じみたこういう噂はそう珍しいものではない。多くの生徒が暮らす街だ。退屈しのぎになる与太話の需要は想像以上のものがある。

 故に、多くの生徒はこの噂話を誰かの考えたイタズラだと思っていたし、真剣に取り合うような者もそうはいなかった。

 

 だが、そんな数多の噂話に隠れて、まことしやか囁かれていたこの話には、他とは一つ大きく異なる要素があった。

 

「……なるほど。貴重なお話、ありがとうございました」

「ううん……全然いいよ。こんな事。むしろいいの?曖昧な記憶の話しかできなかったけど……」

「大丈夫です、十分参考になりましたので、ご安心ください。お疲れの中失礼しました。では、私はこれで」

 

 気だるげに机にもたれる少女に対して、感謝と謝罪の意思を頭を下げることで表したその少女は、くるりと踵を返して教室を後にする。長い白銀の髪を靡かせて颯爽と歩く様は、凛とした美しさを感じさせた。

 

「(……これで被害者は七人。やはり、間違いはなさそうですね)」

 

 これまでに調査した記録と、今回の件を記憶の中で照らし合わせながら、少女は静かに思考を巡らせる。

 

「――――“吸血鬼”は、実在する」

 

 自らの出した結論に、少女は険しい表情を浮かべて呟くのだった。

 

 

 

 守月スズミは、トリニティの自警団に所属する少女である。

 

 所属する。と言っても、自警団は非認可の部活であり、組織に所属する事に条件があるわけでもない。そういう意味では、自警団という役割を自認している、自称しているという方が表現としては正しいのかもしれない。

 そんな自警団の活動内容は、その名が示すように、トリニティ自治区の治安維持である。自警団のメンバーそれぞれが協力と分担をしながらパトロールを行い、不逞の輩を発見し次第それを無力化するといった行為だ。

 戦闘をすることは避けられず、当然、パトロールの為には相応の時間を消費する。相応に自らのプライベートを切り売りするような行為を行う彼女たちだが、しかし非認可であるが故に、その行為へ安定した報酬が払われることは無い。

 それどころか、必要とあらば公的な治安維持組織である正義実現委員会と事を構える事すらあり、となれば当然処罰を受ける対象となることもある。もちろん、そんな事が日常茶飯事というわけではないが、それでもとてもでは無いが効率的な行いとは言い難かった。

 

 それでも自警団員がその活動をやめない理由はとても単純なもので。

 

 ただ、ほんの少しでも世界が、日常が、平和であってほしいと。そう、心の底から願っているからだ。

 

 トリニティの生徒会であるティーパーティーには、何かと手間で込み入った政治的な事情が絡むことが多く、公的な治安維持組織である正義実現委員会はどうしても後手に回らざるを得ない瞬間があり。そういった不条理と理不尽により生まれた綻びを見て見ぬふりのできない者たちが自警団を組織していた。

 

 

 

 スズミも、そのうちの一人だった。

 

 

 

 コツ、コツ、コツ。

 

 誰もいない路地裏に、一人の少女の靴底が地面を叩く音が響く。

 表通りの光が届かず、月の僅かな光ばかりがぼんやりと周囲を照らすその道は、人が姿を隠すには十分な闇が満ちていた。

 

 黒のフードを目深に被り、首に黄色いヘッドホンを掛けたまま俯きがちにその道を歩いているのは、先の話の少女――スズミだ。

 

「(……接近する気配は、ありませんね)」

 

 普段のパトロールとは都合の違う状況に、張り詰めるような緊迫感を感じながら彼女は暗闇の道をゆく。

 

 トリニティの吸血鬼に対して、正義実現委員会が動く事は無い。それが、スズミの出した結論だった。

 

 自らの自治区の生徒に実害がでているのに動くことが無いと言うのは一見するとおかしな話だが、不自然ではない。

 なにせ、吸血鬼の襲撃を受けた者たちは皆“なんの被害も受けていない”のだから。

 

 被害者であるのになんの被害も出ていない。というのも妙な話だが、そうとしか言い表しようがないのも事実だった。

 一瞬のうちに意識を奪われたのであれば、相応の肉体的な損傷であったり、もしくは物的な盗難被害に遭ってしかるべき状況だ。でなくては、なんのために意識を奪ったのか説明がつかない。

 だが、事実として被害者の肉体にはかすり傷一つ見られず、又、所持品が奪われた形跡も存在しない。

 それどころか、場合によっては路地裏から場所を移され、目が冷めた時には病院に運び込まれていた例すらあった。話を聞けば、いつの間にか気絶したままの被害者が病院の前に寝かされていた。と言うことらしい。

 

 強いて言うなら、被害者達に共通して発生している問題点は“驚くほどに身体がダルい”という事だろう。

 とは言え、ソレも肉体の限界を越えて無理やりマラソンをさせられたような疲労感が身体を支配するような物らしく、数日の休養で回復する程度の物だ。

 

 つまるところ、被害らしい被害は何一つとして出ていないのが事実だった。

 

 そうなってしまえば、ティーパーティーなりなんなりの要人がその被害に合わない限りは正義実現委員会が対応に当たるとは考えにくい。だが、かと言ってこのまま被害を放置して大事になってからでは手遅れになりかねない。

 

 故に、自警団であるスズミは自らの危機感で持ってこの事件に対応することを決断した。

 

「(調査する限り、この周辺地区に被害者が多いはずですが……)」

 

 ふらふらと、できる限り無防備であるよう装いながら路地裏を一人で歩くスズミの目的は、自らを囮とする事で対象と接触する事にあった。

 現在彼女がいるのはトリニティの外苑に近い、古い家屋の立ち並ぶ場所だ。この周辺はトリニティの本校舎からも距離が遠く、正義実現委員会の目が届きにくい上、自警団のパトロールも少ない。そのため、トリニティの中でも比較的治安の悪い地域であり、廃屋と化した古い建造物が悪意ある人々の隠れ家となる事もある。“吸血鬼”がその身を潜むにはうってつけだった。

 

 被害は、おおよそ二、三日に一度出ており。今日が丁度前回の被害者が出てから三日目の夜だった。

 

「(このあたりは不良生徒も多いですから、ここまでしても出会えるかは運次第と言うのが――)」

 

 瞬間。音もなくスズミの背後から手が伸びた。

 

「――ッ!?」

 

 スズミは気配を探るのが得意というわけではない。だが、気を抜いていたと言うほどでもない。故に、自らの肩を通り過ぎるようにして伸びた、その手の存在を認識する事はできた。

 

 しかし。一手、相手のほうが早い。

 

「んぐっ……!?」

 

 スズミの口元を押さえるようにしてその手は彼女の顔を掴む。

 その手が押し付けられた瞬間、フッと意識が揺らいだ。

 

「(不味い――――ッ!)」

 

 自らの意識が遠のく感覚を理解できたのは、警戒を緩めていなかったからだ。一拍遅れて動き始めたスズミの腕が、即座に自らを捕らえるその腕を両手で掴み。

 

「――!?」

「ふ……んッ!!」

 

 急速に抜けていく力を、全身に力を入れることで押し留め、そのまま背負い投げるようにして腕を前方へと振り抜いた。

 

「チッ……!」

 

 スズミに掴まれた“吸血鬼”は。ぐい、と身体を引っ張るその力に舌打ちをした。

 その力に無理に抗おうとするのではなく、あえて力に合わせて跳躍し、勢いをつけて拘束から逃れることを選ぶ。

 すると、スズミは不十分な力で掴んでいたその手をすべらせ、捕らえていたはずの腕がズルリとその手の内から逃してしまった。

 身体を宙へと放り投げられた“吸血鬼”は、そのままくるりと身体を回転させて、スズミへ背を向けたまま、足を大きく使って衝撃を受け止めて地面へ着地する。その身を覆う、古びた外套がふわりと舞った。

 

「貴方が、“吸血鬼”ですね」

 

 いつの間にか、スズミの意識はハッキリとしていた。力の抜けるような感覚もない、どうやら、睡眠薬を吸わされたというわけでもなさそうだった。

 スズミの視線は、眼の前にいるターゲット……“吸血鬼”をしっかりと捉えていた。即座に己の武器である“セーフティ”を両手に握り、銃口を向ける。

 

 屈むようにしていた“吸血鬼”は、ゆっくりと立ち上がる。

 

「なんだよ、最初から俺が狙いか?……参ったな、見られるのは本意じゃないんだが」

 

 それは、男の声だった。

 

 ゆっくりと、“吸血鬼”が振り返る。

 その一挙手一投足を、スズミは見逃さない。それをわかっているからか、男は最低限の動作の後、静かにスズミを見据えていた。

 

「両手を上げて、投降してください。抵抗するのであれば武力で無力化させてもらいます」

「そういう訳にも行かないんだ。こっちにも生活がかかってる」

「……襲撃の目的はわかりませんが、こんな方法で糧を得ることは褒められるものではありません。もし、飢えているのであれば、他の方法を探すべきです」

「“他の方法”?」

 

 スズミの言葉に、男は小さく首を傾げてから、呆れたように首を横に振った。

 

「ねぇよ」

 

 ぐん、と男がその体を前へと倒した。

 

 即座にスズミは引き金を引く。警告はしたのだ、それを無視する以上、武力を使わず無力化できるとは考えてはいなかった。

 

 スズミのセーフティが火を吹いた。

 

 火薬の炸裂する音とともに火花が明滅し、暗い路地裏をチカチカと照らす。

 放たれた銃弾は正確に“吸血鬼”へと襲いかかる。直撃すれば相応のダメージは避けられない筈だ。

 

 だが、“吸血鬼”は弾丸をものともせず、そのままさらに踏み込んだ。

 

「直撃を……!?」

「そんな目で見るなよ。俺だってちゃんと痛いんだ」

 

 キヴォトスに生きる者ならば、たしかに数発の銃弾を受けたところで『痛い』の一言で済む程度の怪我で終わるのは、何ら不思議なことではない。だが、その直撃を一身に受けることを厭わぬような事は無い。肉体を貫く様な事は無くとも、そのダメージは小さくは無い――筈だ。

 

 だが、眼の前の男は、そうではない。

 

 さも当然のようにスズミの放った弾丸を受け、しかし平然と距離を詰めている。それは、正義実現委員会の長たる“剣先ツルギ”の異常な迄の再生力か、それに類する異常性をこの“吸血鬼”が秘めていることを示していた。

 

 男の手がスズミへ伸びる。

 

 その両手に武器を持っている様子はない。拳を握りしめている訳でもない。ただ、2つの手のひらがスズミへと突き出されていた。

 狭い路地だ、左右へ逃げたところでその手から逃れることは難しいだろう。後方へ逃げようにも、背を向けて走れば反撃は叶わず、反転して逃げられてしまえばもうやつを追う手段はない。

 

「なら……っ!」

 

 スズミはとなりにあったポリバケツを足で蹴り飛ばす。誰かの入れたゴミが散乱する様に心のなかで謝罪をしながら、男の行く手に障害物を撒き散らす。

 しかし、その程度で男の進みは止まらない。

 

「そんな目眩ましで――」

「それは……どうでしょう?」

 

 だが、それは布石でしか無い。

 

 男の視界に散乱するゴミに紛れるように、スズミが“ナニカ”を投擲する。

 誤魔化しにしても粗雑なそれは、どれが本命かなど素人でも分かるカモフラージュたった。

 食べ物の残りカスや包み紙の中に、こぶし大のサイズの人工物があれば、不自然な目立ち方をする。そんな主張をされてしまえばわざわざ探そうとしなくても自然と“目”でその動きを追って――――

 

 

 

 パァンッ!!キィィィィィンッ!!

 

 

 

 甲高い破裂音と、耳をつんざく残響。視界を白く焼き尽くす閃光が、暗い路地を一瞬、昼間のように明るく照らす。

 

「なにっ……!?くそっ……!!」

「今――――ッ!」

 

 スズミの投げた武器は、武器の中でも、見られることでその効果を発揮するもの。

 

 ――――閃光弾。彼女が好み、彼女が信じ、彼女が最も使い慣れた武器だ。

 

 突然の光と音に男は苦痛とともに目を閉じ、思わず突き出していた手で耳をふさぐ。

 その硬直を、スズミが見逃すはずがない。

 散乱したゴミを飛び越え、男の腹部へ膝を叩き込んだ。

 

「がっ……!」

 

 弾丸が効かないとしても、質量を持った一撃は相応の衝撃を伴う。体躯で負けていようとも、受け止める姿勢を取っていない男の一人ぐらい、スズミの体当たりでも地面へと叩き伏せるには十分だった。

 

 背中からアスファルトに強く身体を叩きつけられ、男の肺から空気が叩き出される。音と光に奪われた感覚の中で、天地の入れ替わる感覚と、身体に襲いかかる痛みに動きが間に合わない。

 

 スズミは、そんな男の腕を掴んで引き、身体の上下を反転させて、うつ伏せになった男の背中の上に体重をかける。

 

「これ以上の抵抗は無駄です」

 

 片手を腕で、もう片方を脚で抑え込み、男の動きを体で抑え込みながら、スズミは銃口を頭に突きつけて警告を続ける。

 

「貴方を……拘束します」

「……ちっ。これが終わりか」

 

 男の知覚が戻る頃には、すでに勝敗は決していた。

 

 トリニティの“吸血鬼”は、全身の力をダラリとぬいて、大きくため息を零す事しか出来なかった。

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