“アリウス”。その言葉が何を示すのかなんて。俺は知らない。
ただ、それでも、俺はその言葉を知っていた。その所属を示す
考えてみれば、おかしな話だ。
自分の名前も知らないくせに、戦略知識と、いくらかの戦術。古い文字の読み方に、キヴォトスの簡単な常識。
記憶と知識がチグハグで、どこでそれらを身に着けたのか、覚えもなければ見当もつかない。
俺はそれを、自分がバケモノだからと理由をつけて、その先を知ろうとはしなかった。己の過去など、存在しないと否定して。
知った所でどうにもならないと、そう思っていた。
「チッ……!ちょこまかと!」
「焦るなよ“アリウス”!!まだ勝負は始まったばかりだろ!?」
「貴様……!」
俺は右手に銃を握りしめ、距離を詰めるために全力で駆ける。
キヴォトスの戦闘において、拳が交わるほどの近距離戦を挑む利点はそう多くはない。肉弾戦によるアドバンテージはゼロではないが、その利点の多くは相手にとっても等しく存在する。
それどころか、肉弾戦を仕掛ける為に距離を詰める間、遮蔽による防御もできず、相手からすれば的が勝手に大きくなる事となる。つまり、詰め切るまでは一方的に不利を背負い続けることとなるのだ。
故に、奇襲による短期攻勢か、リソース差を覆す為の奇策程度の場合の事がなければ、己から肉弾戦を仕掛ける恩恵は無い。
だからこそ、肉弾戦に異様なまでの執着を見せる俺の動きに、相手は違和を感じているのだろう。
拳銃とアサルトライフルのレンジを理由に見せかける為、武器をこれでもかと見せびらかしては見たものの、相手はそれ以上の警戒を払っている。
やりにくい。素直にそう感じていた。
“アリウス”という単語で相手の動揺を誘える事は理解した。だが、その程度でヤツの戦略を崩すには至らない。
完成された、徹底した戦術は、俺の付け焼き刃のソレとは比べ物にならない。当然、射撃の腕も相手のほうが断然上だ。
「逃げの一手か?俺を
戦闘を進めていくほどに、俺の言葉への相手の反応が薄くなってゆく。
言葉とは裏腹に、俺の心には焦りが募ってゆく。
気づかれる前に倒さなければ、この実力差は覆らない。ただ、ただ一度、掴むことさえできれば。本気で神秘を吸収してしまえばそれで勝てる。
喰らいつけ、隙を逃すな、少しでも相手をゆさぶれ。
コイツに勝つには、それしか――
「――なる程な」
底冷えた声が、聞こえた。
「狙いは格闘戦か、どういうつもりか知らないが……それがお前の切り札なのだろう?」
「……っ」
「青いな。隠そうとして動揺を悟られるぐらいなら、威勢を貼り続けるべきだ」
――間に合わなかったか!
俺は、苦し紛れに拳銃を乱射する。
だが、走りながらの照準でまともに相手を狙えるはずもなく、そのすべてが虚しく空を切る。
「
虚ろな声音で、そう呟く言葉が聞こえた。
瞬間、俺の腹部に一発の弾丸が突き刺さった。
「――ガハッ……!?」
鋭い一撃が俺の体を貫く。体の内を食い破る様な、会心の一撃。
肺と、腹から空気が叩き出された。
強い衝撃を受け、痛みに膝から崩れ落ちる。
体に残る慣性と、大地が放つ重力に、俺はコンクリートへと叩き付けられた。
「終わりだ。バケモノ」
「……チッ」
銃口を突きつけられる。
もう一度今の一撃を受ければ、今度こそただでは済まない。
――なら、やるしか無いか。
覚悟を決める。“これ”を使うのは本意ではないが……、ここで負けるわけには行かない。
――スズミの信じる、平和な街の為に。俺は、こんな所で終われない。
「……すぅぅ……。ふぅぅぅぅ…………」
瞳を閉じ、大きく息を吸い込んで、吐き出す。
体の芯に意識を向けて。体の内に巡らせて。
長く、大きく、深く。深く、深く――――
「まって、サオリ」
戦場に似つかわしくない、可憐な声が響いた。
「――姫!?」
「……誰だ?」
声の方を見やれば、一人の少女がそこに立っていた。
その顔は、完全にマスクで覆われており、額から顎の先まで、一部たりとも確認することができない。
俺に銃を向けていた女は、取り乱したような声を上げて、少女へと駆け寄ってゆく。
「どうしてここに!いや、それに、勝手に声を出すのは――」
「ううん。いいの、これは……彼には、きっと意味がない」
「それは……どういう……?」
“姫”……と言うことは、あの少女は、敵の組織にとって何らかの特殊な役割を秘めているのだろうか。指揮官と思わしき女でさえ、恭しい態度を取っていることからみても、そう考えるのが自然だ。
だが、なら、なんだ?この……違和感は。
妙に感じる、この、“親しさ”は。
「……久し振りだね。まさか、こんな所で会うなんて、思わなかったな」
少女は、ゆっくりと俺へと歩み寄る。
「姫!」
「大丈夫。彼は……敵じゃないから」
敵じゃ……ない?
俺が?
痛みの残る体に力を入れて、俺はゆっくりと立ち上がる。
「ずいぶん大きくなったんだね。昔は背もそんなに変わらなかったのに」
「待て。“昔”?俺は、お前になんて会ったこともないぞ」
「あっ……そっか。
そうして、少女は俺の眼の前で、隠されていたその顔を顕にする。
「――久し振りだね。ヒロくん」
「ひ……ろ……?」
少女は、慈愛に満ちた表情で、満面の笑みを浮かべたまま。俺のことを――
「タカツキ!待ってください!タカツキ!!」
瓦礫の山向こうへと消えていった少年へ、少女は必死にその名を呼ぶが……その声に、返る応えは存在しない。
「……っ!」
「スズミさん!」
瓦礫の山の向こうへと駆け出そうとしたスズミの腕を、ハスミが掴んだ。
「離してください!ハスミさん!私は、タカツキを――」
「落ち着いてください、今、単独で行動するのはあまりにも危険です」
「でも……!」
「お願いです」
ハスミは、はっきりと、静かに、けれど力強くスズミへ語りかける。
「私が信じたのは、いつもの、私のよく知る、冷静沈着な“守月スズミ”です。……何事にも縛られず、クールに、冷静に、皆のためを思って誰よりも早く動ける、“自警団の守月スズミ”です」
ハスミは、じっとスズミの眼を覗き込む。
「私に……、私に。貴方の事を、信じさせてください」
ハスミが見つめる少女の顔は、酷く狼狽えており、その瞳は動揺で揺れている。息は乱れ、額には汗をかき。……普段の彼女らしい、落ち着いた表情は、影も形もない。
そんなスズミの顔を見るのは、初めてだった。
「――スズミさんは、騙されているんですよ」
そんな言葉に、スズミとハスミが視線を向ける。
タカツキの額を撃った少女が、恐れに染まった表情で、スズミを見ていた。
「そうに決まっています。だって、今の慌て用、普通じゃない。きっと、あのバケモノにナニかされて、おかしくなっちゃったんです」
「ちょっ……ちょっと……」
「あんな“バケモノ”が、私達の味方をしてくれるわけがありません!!」
少女は、ヒナタの制止を聞くこと無く、ヒステリックな言葉を叫ぶ。
「――スズミさんは!あの“バケモノ”に、騙されているんですよ!!」
その言葉を聞いて、スズミは激情のままにハスミの手を振り払った。
「――一人でも!多くの人を助けようとすることが……!悪な筈がありません!!」
その場の誰もが聴いたことのない、スズミの怒声が響く。握りしめた拳は、わずかに震え、その瞳には涙をたたえていた。
「……スズミ、さん」
そんな彼女の背中に、ハスミはそれ以降の言葉を失う。
「誰になんと言われようと、彼は……タカツキは、自警団の!私の仲間です!共に平和を愛し、信じ、求めて戦って来ました、今だって!」
「それが騙されてるって言ってるんです!!アレにとっての私達はただの家畜同然ですよ!家畜の社が襲われたら、誰だって過敏になります!!」
「タカツキはそんな事――」
バァン!!
突如として、苛烈な銃声が響き、言い合いを始めた二人の注意がそれる。その視線が向けられた先は――正義実現委員会の長の元だった。
「埒が明かないな……。ハスミ」
右手に持っていたショットガンを、空へ向けて放ったツルギは、険しい表情のままハスミへと視線を送る。
「……えっ。あっ、はい」
長の声を受け、茫然としていたハスミは、再びスズミの腕を掴んだ。
そんなハスミの様子を見たツルギは、先程まで口論をしていた部下へと歩み寄る。
「……オイ」
「はっ……はぃ、何でしょう……?」
「イチカに繋げ」
攻撃の際、壊れてしまったらしい自らのスマホを示しながら、ツルギは指示を出す。
苛烈で無慈悲として知られる自らの組織の長から出された指示に、少女はいくらかびくびくと怯えるような素振りをしながらスマートフォンを操作し、自らの上司へと通信を繋げた。
『はいはい、イチカっすよ〜。どうかしましたか?』
「私だ」
『え?……って、その声、ツルギ先輩!?良かった、無事合流出来たんすね』
「時間がない。私とハスミは一度下る。前線に出て後を引き継げ」
『……随分と急に無茶なこと言いますねぇ』
「無理か?」
『だれも“出来ない”なんて言ってないっすよ』
「それでいい」
その言葉を最後に通話を切ったツルギは、部下へとスマホを返す。
トリニティにおける最強の戦術兵器とも呼ばれるツルギだが、それだけで“委員長”が務まるほど……組織の“長”は甘くない。
混乱と渾沌の満ちる災禍の中で、しかし“正義”を“実現”しつづける――それが、正義実現委員会の委員長たる由縁だ。
「スズミ、だったな」
「…………」
スズミは、ツルギの深紅の瞳を向けられ、思わず唾を飲む。
正義実現委員会とは、事の成り行きの果てに一戦交えた事もある。だからこそ、その長たる彼女のその気迫に、記憶にある委員会員達とは一線を画すその覇気に、気圧された。
「優先順位を間違えるなよ」
「優先、順位……」
その言葉に、スズミは自分の頭に上っていた血が、急速に引いていくのを感じた。
彼女の言う通りだ。今、ここで事を荒げた所で、誰も救うことは出来ない。それどころか、無駄に力を消費してしまえば、防げる被害も防げなくなる。
それでは、タカツキが“バケモノ”である事を明かしてまで護ろうとした物を……守れなくなってしまうかもしれない。
タカツキは確かに最後、スズミへ「無関係な素振りをしろ」と言った。ただ、一目散に逃げるのではなく、スズミの身を案じての言葉だった。
冷えた頭で思考を回し、その意図に気づく。
タカツキは、自分なんかよりもずっと冷静に判断をしていた。
「……ハスミさん、すみませんでした」
「スズミさん?」
勝手に危険に身を投じていると、その身を案じている人がいる事を知らないのだと、そう、憤りを感じていた。
けれどそれはきっと、タカツキも同じだったのだろう。
スズミは、自分がもし彼と同じ立場だったとして、彼と違う行動をしたのかと考えて、その先に答えを見た。
「今は、皆さんの撤退を支援します。一度体制を立て直しましょう」
そう提案するスズミの表情は、いつの間にか落ち着いていた。
焦りも、動揺も、怒りもなく。ただ、冷静に事の真意を見極め、そして、己の正義をなす。
ハスミのよく知る、“自警団の走る閃光弾”が、そこにはいた。
「……解りました。その申し出、ありがたく受けさせていただきます。良いですね、ツルギ?」
「あぁ。感謝する」
ハスミの問いに、ツルギは浅く頷くと、彼女達はトリニティの本校舎の方へと移動を開始した。
先陣をツルギが、殿をスズミが務めつつ、彼女達は前線を抜けて、後方へと退避していく。……それは、タカツキが向かっていった方向とは、全くの逆方向だった。
遠ざかっていく崩壊した古聖堂跡地を振り返ったスズミは、小さく、誰にも聞こえぬ声で呟く。
「…………私は、貴方を信じます。……信じさせてください、タカツキ」
きっと今も、彼なりの“正義”の為に戦っている、そんな彼の身を案じながら……スズミは、今出来ることの為に走るのだった。