「久し振りだね、ヒロくん」
「ひ……ろ……?」
少年は、少女の言葉に戸惑っていた。
それは、これ程までに親しげに話しかける少女が、自らの名前を間違えていることや、そもそも眼の前の少女を欠片も知らないことだけに起因しない。
なぜだかその声が、懐かしかったのだ。
「……どうしたの、ヒロくん?私だよ、アツコ。ほら、昔よく一緒に遊んだでしょ?」
困惑した様子の少年に、少女も釣られて首を傾げて問いかける。だが、呆然としたままの少年は、その問いに言葉を返さない。
「もしかして、驚きすぎちゃった?……私もまさか、こんな形で再会するなんて」
「ちょ、ちょっと待て」
「……?」
少年は、片手で額を抑えながら、もう片方の手で少女の言葉を遮った。
「お前は……お前は、何を言ってるんだ?“昔”?再会?……俺が、お前と?」
「ヒロ、くん……?」
「違う、俺は。俺は、ヒロじゃない……。俺には、そんな名前は、無い」
彼の名前は、あの日、白銀の少女に名乗る為産まれたものだ。それより以前の自分の名前など、覚えがない。いや、それどころか、自分には“幼い自分”の記憶など持ち合わせがない。
彼の記憶は。彼の生は――満月の夜、瓦礫の山の上。一糸まとわぬ、血汚れた生身の体一つで放り出されていた、あの日から始まっていた。
そうして生まれ落ちたあの日から、ずっと、最初から。自分の身体は、“バケモノ”のそれだった。その、筈だ。
「姫、やはりコイツは」
己の記憶の混濁に、頭を抱えて震える少年に、無慈悲な少女……サオリが銃を突きつける。
「待って、サオリ」
「姫。コイツは自ら“人違い”だと言っているんだ」
「ううん。間違い無いの。私がヒロくんを見間違える筈が無い」
「だが、もしそうだとして。コイツのヘイローはどう説明するんだ。“ヒロ”はマダムの連れ込んだ外の人間だろう。……コイツには、朧げで分かりにくいが、確かに“ヘイロー”がある」
少女は、サオリの銃を手で優しく抑え、下へと降ろさせる。
「多分……忘れちゃったんだと思う」
「忘れた……?」
「話した事あるでしょ。“実験”の事」
「…………まさか」
サオリが、少年へと視線を向ける。
「コイツが、マダムの……?」
「うん。きっと……そうだと思う」
「……そうか」
アツコといくつかの言葉をかわしたサオリは、その手に握っていた銃を収める。
少年へと向けられていたその視線は、いつの間にか敵対者へと向ける物ではなくなっていた。そこにあるのは、憂いを帯びた感情で。同情か、憐憫か。それとも――。
「ねぇ、ヒロくん」
混乱したままの様子の少年の顔を覗き込むようにして、少女の一歩、彼へと歩み寄る。
少年は、困惑のままに、ただ向けられた少女の瞳を見つめ返す。
――いや、視線を、外せなかった。
「――私達と一緒に行かない?」
手が、差し出されていた。
「私は、ヒロくんの事をよく知ってるよ。忘れていたって、構わない。きっといつか、君が全部を思い出すまで、私はあなたのそばにいる。私達が、共にいる」
「共……に……」
「うん。……辛くて、悲しくて、寂しくても。それでもずっと、みんなで、一緒」
「…………」
「怖がらなくていいんだよ。私は、君の全部を受け入れる。君がどんな思いで、どんな事をしても。それでも必ず、絶対……ね?」
だから。
少女は、少年へと――手を、差し伸べる。
「お、れ……は……」
その手を取れと。心の感じる温かさが、頭の中で囁いている。信じていいと、知らない自分が言っている。眼の前の、この少女を手を握るんだと。誰かの声が、頭に響く。
彼女なら、この、“
――それは、優しい力じゃないですか。
パシン。
乾いた音が、響いた。
「俺は……お前達とは違う……!どんな理由が合っても……!大勢の人を傷付けるような事に……迷いも、躊躇いもない……!お前らの仲間には……ならない……ッ!!」
アツコの手を打ち払ったタカツキは、決意の炎をその瞳に宿し、拒絶の言葉を口にする。
「俺は――」
なぜなら。
「――俺は、“トリニティ自警団”の……“タカツキ”だ!」
約束を、したから。
「…………」
手を打ち払われたアツコは、少しだけ目を丸くしてから。しかし、払われた手を静かに下ろして――笑みを。浮かべた。
「――うん。そうだよね。ヒロくんなら、きっとそう言う」
寂しげな、けれど、どこか満足そうな笑みを浮かべたアツコは、外していた仮面へと手をかけた。
「生きてたら……また会おうね、ヒロくん」
「…………」
拒絶をして尚、それでも向けられるその視線の意味にを理解できないまま、タカツキはその場に膝をつく。
もう、立っているのも限界だった。
「姫」
「うん」
サオリに促されたアツコは、再びマスクを装着すると、サオリに連れられるままその場を駆け出してゆく。
見逃された。だが、追う事もできない。
「……く……そっ……!」
頭の中に響く、少女の手を求める声と。混乱の元を逃さんとする理性が、その背中を追えとタカツキを、急き立てる。
だが、身体は鉛のように重く。思うように動かない。
「うる……さい……ん、だよ……」
ガンガンと、頭の中にぐちゃぐちゃと入り乱れる声に顔をしかめながら、タカツキは苦悶の声を漏らす。
「いま……は……!とにかく……一度……隠れて、きゅう、そく……を……!」
今の混乱の中で、トリニティの勢力にも自らが“吸血鬼”とバレているなら、見つかってしまえば戦闘は避けられない。
当然、敵対をしているアリウスの勢力も然りだ。“怪物”は敵にならずとも、生身の肉体を持つ兵士達に遭遇してしまえば……ひとたまりもない。
「俺……俺は……まだ……!」
痛む体を引きずるように、地を這うようにしてタカツキは路地の奥へと潜ってゆく。
まだ、戦いは……終わってはいない。
夜の帳が、下りる。
暗い影に蝕まれた三日月が、仄暗く戦場を照らしていた。
「タカツキは……。敵では有りません」
トリニティ総合学園、正義実現委員会詰所にて、スズミは取り調べを受けるようにして椅子に座っていた。
「……俄には信じがたい話ですね」
対面に座っているハスミは、スズミの言葉に口元を押さえ、思考のそぶりを見せた。
正義実現委員会の二人と共にトリニティの校舎へと戻ったスズミは、“トリニティの吸血鬼”に関する事情をハスミへと話していた。
先の戦闘の治療を概ね済ませてはいるが、まだ本調子ではないハスミが事情聴取を行うことに反対を示す生徒も見受けられた。しかし、“トリニティの吸血鬼”に関する情報を冷静かつフラットに処理できる生徒は自分の他に居ないと判断をしたハスミ本人の意見と、彼女を信じたツルギの意見により、この部屋には現在、スズミとハスミの二人のみが在席している。
そんな中で、スズミは彼と――“タカツキ”と出会ってからの事の仔細をハスミへと説明した。
もちろん、彼の“体質”に関しても、だ。
「神秘を喰らう少年。……それが、“トリニティの吸血鬼”の正体だった……ということですね」
「……タカツキ自身も、自分の体に振り回されている被害者です」
「望むと望まざるとにかかわらず、他者の神秘を吸収しなければ生きながらえることができない。もし、それが本当であるのだとすれば……確かに、考えるだけで悍ましく思いますね」
人の身でありながら、他者を文字通りの“食い物”にしなければ生きていくことができない体。……悪意を持って、他者を己の理の為に利用する生き方をする者がいることは、ハスミも知っている。しかし、今回のそれは、訳が違う。
“生き物”としての造りが違う。
それがハスミの感じた、“トリニティの吸血鬼”に対する印象だった。
「“神秘”を吸収……消耗することは、私たちにとって命の危機に直結します。“神秘”が無ければ、ヘイローは脆弱性を増し、その存在を維持することが困難になる……とされています」
キヴォトスに生きる生徒たちにとって、“神秘”とは、血液とそう変わりがない。いずれも、量に差異はあれど、己の体に満ちており、その生命活動に必要なものである。
その“神秘”を吸収することで生きるというのであれば……所詮は印象からくる噂でしかなった“吸血鬼”という俗称が、妙に説得力を持っていた。
「……確かに。彼の力を味方につけることができれば、それは強力な武器になります」
「なら」
「ですが同時に、わが身を滅ぼしかねない諸刃の刃でもあります」
ハスミは、静かにスズミの表情を覗き込んだ。
「彼は自警団活動の中で、対象を気絶させる程度に収めてその“力”を使っていた。そして、その力は一瞬で相手の意識を奪い去るほどです。そうですね?」
「はい、ですが」
「その“加減”は、彼の気分次第。という事でもあります」
ハスミの指摘に、スズミは思わず息をのむ。……確かに一度、彼が、自分から神秘を吸収する時。加減を間違えた末、意識を失ってしまうという事故を起こしていた。
もし、それが――普段のパトロールで、起こっていたら?
気絶にとどめるつもりで行ったその“吸収”が、加減を間違え、“その先”に至るほどになってしまっていたら――?
「――」
「“エデン条約”を掲げていたからこそ。我々は、“人殺し”を仲間として迎えるわけには……行かないのです」
――“人殺し”。その言葉を、スズミも考えたことがなかったわけではない。タカツキの言葉が真実であるとするのなら、彼のその力は確かに、いとも簡単に“人”を殺してしまえるだろう。
それこそ、指先1つで。だ。
だが、それでも。そんなことはあり得ないと、そうなるはずがないと。ただ、彼の言葉を、姿を、行動を。“信じて”いたから。
「でも、タカツキはまだ……!」
「そうです。“まだ”、でしかない。……やはり、スズミさんも気づいていたんですね」
「――っ」
言葉が詰まる。
感情ではその言葉を否定したくとも――理性が、事実が、それを許さない。
「……私たちには、“トリニティの吸血鬼”を信じることは――できません」
その現実は。変わらない。
「……それ、は」
「――敵対意識が無いのであれば、こちらから武力的な処置を取らぬよう、委員会の生徒たちには通達しておきます。少なくとも、敵でないのであれば、危険度はあの“怪物”より低い」
小さく、ハスミは首を振る。
「最大の譲歩です。彼を味方と認めることはできない。支援も、援護も用意できないでしょう。ただでさえ、私たちは――」
「“じゃあ、私が味方になろうかな”」
少女たちが、その声に振り返った。
「――先生!?」
傷つき、倒れたはずの大人が。……“先生”が、扉の前に立ってた。
「まだ治療中のはずでは……!?いけません、無理をしては」
「“生徒が困っているのに、ただ寝ているだけってわけには……いかないでしょ?”」
「それは……」
本調子ではないのか、少しひきつった笑みを浮かべながら、それでも彼は、ゆっくりと二人の元へと歩み寄る。
「“話は……聞かせてもらったよ”」
一呼吸おいてから、先生はスズミの顔を見る。……その表情は暗く、不安と、後悔に染まっていた。
「“タカツキくん。だっけ、……以前、話してくれた子だよね”」
「は、はい……。覚えていてくださったんですね」
「“うん。聞いたことのない子だったけど。生徒の事だから”」
先生の“生徒”という言葉に、ハスミが席を立った。
「ま、待ってください。“トリニティの吸血鬼”はどこの学校にも所属しない、それどころか、私たちと同じ“生き物”なのかもわからない存在です。それでも、先生は彼の事を“生徒”というのですか……!?」
「“うん。……きっと、彼にも何か特別な事情があるんだと思う”」
「……」
先生の言葉に、スズミも、ハスミもあっけにとられて、ただ彼の表情を伺った。
「“それに”」
「“生徒の事を信じるのが――”」
「“『先生』、だからね”」