これより第二部開幕となります。
Ep.14 逃避の行方
「本当に良かったの?ヒロくん」
少女は、静かに彼へと問いかけた。
「あぁ?だから、良いって言ってるだろ」
「そうは言うけど……。でも、“自警団”のお友達とか」
「……スズミには伝えてある。大丈夫だ」
「そうかな……」
廃校舎の一室で、少女と少年は椅子に座って向き合っていた。
この部屋には、二人の他には誰もおらず。電気の通らぬ教室の灯りは、ベニヤ板で塞がれた窓の隙間から差し込む日光だけだった。
漏れ出る光の筋道に照らされて、埃が当てもなく舞っていた。
「でも。嬉しい、かな」
「嬉しい?」
「うん。……こうしてまた、昔みたいにヒロくんと話せるのがね」
「……昔、ねぇ」
満面の笑みを自分へと向ける少女に、少年は眉間にシワを寄せてそっぽを向いた。しかし、少女はそんな彼の素振りを気にも止めず、にこやかにその横顔を眺めている。
今の少年は、どうしてこんな事に。などと、事の切っ掛けに思いを馳せる他に、やれることが無かった。
――ミサキに連れられて、古聖堂の地下にあるカタコンベへと訪れたタカツキ達が最初に目にしたのは、アズサと、一人の大人の前に膝をついていたサオリの姿だった。
仲間の危機を悟ったミサキが咄嗟に駆け出そうとするより先に、そんなサオリの前に現れたのは――アツコだった。
「私達の負けだよ、アズサ」
そんな言葉とともに、彼女は思いの丈を語る。自分達のこの“憎しみ”は、自分達のものではないと。そう、思わされていただけに過ぎないのだと。
だから。逃げてしまえば良いのだと。
「逃げるだなんて、そんな……」
「大丈夫だよ。だって――」
言葉とともに、アツコは静かに――“彼”の方を向く。
「ヒロくんが、助けてくれるから」
ヒビ割れたマスクの下から覗く、その瞳は、確かに笑っていた。
そんな少女の視線を向けられた少年は、静かに彼女へと近づいてゆく。
「……気づいてたのか」
「うん。だって、ヒロくんだもん。来てくれるって、信じてたよ」
「信じて……って、お前」
眼の前の少女が、どうしてこんなにも自分の事を信頼してくれているのか……、彼には解らなかった。
敵であると、そう宣言し。差し出された手を振り払った自分の事を。どうして、そんなにも。どうして、こんなにも。
その視線が、嬉しいと。感じてしまうのだろうか?
答えの出ない己の問いに困惑する彼に、少女はゆっくりと歩み寄る。
「ヒロくん。私達と一緒に――」
瞬間。空気が一変した。
その場の気配を塗り替える、圧倒的な存在感が。空間を震撼させて、形をなしてゆく。
赤い法衣をその身にまとう、見上げる程に巨大な無貌の怪物が、彼等の前に現れる。
「何だ……!」
「これは……まさか。“教義”が完成した……?ヒロくん!」
咄嗟に少年は少女を庇うようにして立ち、少女は彼の名を呼んだ。
「せ、先生……これは……!」
アズサが、不安げな視線を向ける。
その相手は。この場にいる、唯一の“大人”。
「“――どうやら、『犯則』みたいだね”」
生徒達のやり取りを静かに見守っていた彼は、ようやくその口を開き。上着の内ポケットへと手を伸ばした。
「“ヒロくん、……それとも。タカツキくん、かな?”」
「……なんだよ」
「“自己紹介してる時間はないみたいでごめんね。一つ、お願いしてもいいかな”」
少年は、背を向けたまま自分を呼んだ、その大人へと視線を向ける。
大人は、その少年の顔を見ると、微笑みを浮かべて。優しく語りかけた。
「“少しの間、みんなの事……頼めるかな?”」
「……“バケモノ”に頼むのか。アンタは」
「“『男の子』でしょ。君は”」
わざとらしい、からかうような、挑発するような言葉を。にこやかな表情のまま投げ返された少年は、面食らったように目を丸くしてから――嗤った。
「いいぜ、護ってやるから。存分にやれよ」
「“うん。ありがとう”」
少年の言葉を受けて、大人は一つ礼をしてから無貌の怪物へと向き直る。
そこから先の出来事は。まるで創作のようだった。
彼の用いた“大人のカード”の力に導かれ。そこに幾人かの“影”が現れる。
“影”、と言っても。それらは確かに実態を、力を、そして何より――“神秘”を持っていた。
まるで、生きているかの様に動くそれらの“影”は、“先生”の指示に的確に答え、力を発揮し――無貌の怪物を打倒する。
それが一体何なのか。“神秘”を喰らうタカツキだからこそ、なんとなくそのあり様が理解できた。
“大人のカード”を媒介に、“先生”と絆を結んだ生徒達の“神秘”を借り受け、複製し、増幅し、召喚し、使役する。
そうする事で産まれた“影”は、生徒本人に勝るとも劣らぬ力を持ち。その力を存分に“先生”へと貸し与える。
タカツキはそれを見て、一つの感想を得る。それはまるで――
――『王』の力だと。
他者の神秘を借り受け、信頼し、存分に振るわせる。それは、人が一人で無せることの範疇を大きく越えて、より大きな力を産み出す。
自分には無いものだと。そう、感じた。
「……これが、『先生』」
圧倒的な光景に、タカツキが呆然とそんな言葉を漏らした時。そんな彼の手を引く存在があった。
「ヒロくん」
アツコだ。
「……今のうちに、逃げよう。今ならきっと、気付かれずにここから離れられる」
「姫……!?」
眼の前で激しい戦いが繰り広げられる中、タカツキへそう提案するアツコの姿に、サオリが驚愕の表情を浮かべる。
「どうしてソイツに声を掛けるんだ。逃げるにしても、コイツはトリニティの協力者なんだぞ」
「私も、サオリの意見に同意。コイツを連れて行く理由がわからない」
「…………ソイツらの言うとおりだ。なんで俺が」
敵対している者の発言を肯定するというのも、おかしな話だったが。彼女達が真っ当なことを言っているのも確かだと思ったタカツキは、サオリとミサキの言葉に同意を示し、自分を見つめるアツコの顔を見た。
しかし。
「二人とも戦いの怪我で消耗してる。私は……私は、ヒロくんに、助けて欲しい」
「姫!」
それでも尚。アツコは――少女は。少年の手をしっかりと握り。ただ、その瞳を見つめていた。
その瞳は、どこまでも真っ直ぐで。澄み切っていた。
純粋に。嘘偽りなく。少女は少年に、助けを求めていた。
「……わかった。先導してくれ」
「なっ……!?」
「……ありがとう、ヒロくん」
だから、タカツキは。眼の前の少女達を守る事を選んだ。
誰にだって傷ついてほしくない。というのは、変わらない本音だ。たとえそれが敵であっても、助けを求められた時。それを無下にするような事は、タカツキにはできなかった。
そんな少年の決断に。少年は花が咲いたような笑みを浮かべて、頷いた。
「姫、本当に――」
「時間がない。ついてきて」
反論が出るより先に、アツコはサオリの手を取り、カタコンベの奥へと進む。
「先に行け。俺はあとから行く」
「……ヒヨリ」
「えっ?アッ……はい……」
ミサキは、タカツキの言葉に冷たい視線を一つ返してから、アツコとサオリの後を追う。
そして。
「…………」
少年は。静かに岩に覆われた天井を見上げてから、そんな彼女たちの後を追いかけるのだった――。
「……なんだかんだそのまま数日。追手を撃退しながら転々としちゃいるが。どうするつもりなんだ」
古ぼけた机に頬杖をつきながら、タカツキは呆れたような視線をアツコへ向けたまま問いかけた。
そんな話をする彼らは、未だにトリニティ自地区の範囲からは出ていなかった。それは同時に、アリウス自治区からそう遠く離れていないということでもある。
アツコたちの所属する学園――学園と言うには、少々複雑な事情を抱えているソレは、元を辿ればトリニティに近しい学園であった。
その名を、“アリウス分校”。
タカツキの記憶していた紋章は、その学園の校章であり、“アリウス”とは、学園及び自治区の名前だった。
過去、トリニティ総合学院が出来るにあたり、追放され、迫害され、忘れ去られた分校――それが、“アリウス分校”。エデン条約を襲撃したのも、その時の確執を要因としたモノだったらしい。
“アリウス分校”の生徒達は、その時の為に非道な軍事訓練を積み、ある種私兵のような役回りを強制されている。その中で、“誰かの憎しみ”を植え付けられていくのだ。
そんな“アリウス”の少女達である、アツコ達四人はアリウスを取り仕切る“マダム”の命に逆らい、逃亡を図っている……と言うのが、彼女たちの現状だ。
「考えなしに逃げりゃ、おそらく貼られてるだろう包囲網に引っかかる。とは言えこのままほとぼりが覚めるまでトリニティに潜伏するってのも如何なもんか」
“マダム”の追撃は、次第に苛烈になって来ていた。エデン条約の襲撃に私兵を大量に投入したと思われる状況で。しかしそれすら別の目的があった事を思わせる程の余力に、タカツキはきな臭い物を“マダム”にかんじていた。
しかし、その意図が読めようが読めまいが、“逃げる”と言う目的に干渉するものではない。……アツコ曰く、“マダム”はなんとしてでも自分たちを捉えようとしている。という話で、その魔の手から逃れる為にタカツキの――“ヒロくん”の力が欲しい。と言うようだった。
「ヒロくんのお陰で
タカツキは“トリニティの吸血鬼”として、人目を忍んで幾らかの拠点を転々としていた経験を持つ。故に、人目を避けるのに優れた拠点をいくつか知っており、その知識と経験を活かして、アツコ達に潜伏場所を提供しているのが現状だった。
追手の撃退に関しても、弾薬の補給の見込めぬ彼女たちと違い、己の体質を生かした肉弾戦を主軸にするタカツキの存在は状況に大きく貢献しており、確かに“タカツキの力が必要だった”というアツコの発言はものの見事に的を得たものであった事が証明されていた。
飲水に関しては、まあ。趣味が転じて功を奏したと言った具合だ。
「だろうな。他自治区まで行っちまえば、都合のわからん奴さんらも動きにくくなるだろう。……もっとも、それはヴァルキューレの御尋ね者であるお前さん方もそう変わらんだろうが」
「……それは、私達の行為の報いだもの。仕方ないよ」
「いっそ捕まっちまった方が、“マダム”から逃げるのは簡単そうだが――」
タカツキは、ちらり。と横目でアツコの様子を見る。
少女は静かに、こちらを見て笑っていた。
「……はぁ」
「ふふっ。ありがとう、ヒロくん」
「何がおかしいんだか」
なにか溜め込んだ言葉を飲み込んだようなタカツキの溜息に、アツコが思わず笑みをこぼす。どうにも、タカツキはこの少女を相手にいつもの調子を出すのが苦手だった。
「おかしいのはこの状況だと、私は思うけど」
そんな二人に、声がかかった。
二人して声の方を向けば、ビニール袋を片手に持ったミサキがそこに立っていた。
「ミサキ」
「食料。少しだけどとってきた……コンビニの廃棄品だけど。無いよりはマシでしょ」
「悪いな」
アツコに対してビニール袋を差し出すミサキは、タカツキの声に眉を顰めた。
「アンタの分はない」
「必要ねぇって説明したろ」
「チッ……」
「もう……。二人とも、私としてはもう少し仲良くして欲しいんだけど……」
「仲良く?……いつ裏切るかもわからない相手と仲良くなんてする必要なんて無いでしょ」
吐き捨てる様にそう言い切ったミサキは、そのままアツコにビニール袋を手渡すと、静かにその教室を離れて行く。
そんな彼女を呼び止める様な事はせず、アツコは苦笑を浮かべていた。
「ごめんね。直接戦ってたんだもんね」
「……まあ、そりゃな」
直前まで全力で敵対していた相手とこうして無防備に話している状況がおかしい。というミサキの意見は、タカツキも同意を示す所ではあったし、タカツキ自身も自分の胸のうちにある感情へ納得し切れていないところがあった為、ミサキの警戒には大いに理解があった。
むしろ、目の前で自分を知らぬ名前で呼びながら親しげに接してくる少女より余程共感している程度には。
「向こうからしても、女子の顔面本気でブン殴って来るようなやつと仲良く話すなんてのはおかしいだろ?」
肩を竦めて、わざとらしい言い方をするタカツキに、アツコは苦笑を浮かべ――
がらり。
「別にそんなのは慣れてるから気にしてないけど」
ぴしゃん。
「……だとさ?」
「あ、あはは……」
声が聞こえていたらしい、ミサキの一瞬の登場に、アツコは苦笑を返す他になかった。