「――どこに行ってしまったんですか、タカツキ……」
雨の降り続く、月の見えない夜。スズミは一人、廃教会で膝を抱えて呟いた。
エデン条約襲撃事件の最後、己の過去を知る為にアリウスの生徒達へとついて行ったタカツキは、それ以降スズミの前に姿を表していなかった。
連絡手段があるわけでもない二人の仲において、もし、なにかがあるとするならばこの“廃教会”の筈だと考えていたスズミは、毎夜この廃墟にて彼の帰りを待っていた。
――『俺はお前を裏切らない』
彼は確かに、そう言った。
――『私も貴方を信じます』
私は確かに、そう言った。
その気持ちは揺らいではいない。その覚悟はまだ生きている。
だが、もし。もし、あの時引き止めていたら。もし、無理を言ってでも彼について行ったなら。こんな気持ちにならずに済んだのか。等と考えてしまうのは、仕方のない事だった。
“ヒロ”。
それは、タカツキが立ち去る直前に口にした、誰かの名前。スズミの知らない、誰かの。
タカツキは、それがまるで自分の知らない自分の事かのように話していたし、たぶん、過去の記憶を持たない彼の数少ない手がかりなのだろう。
過去の事などどうでもいい。そう口にするのは簡単だ。だが、それはスズミが言うべきことではないし、タカツキ自身、過去に囚われるような性格をしていないことはスズミが一番良くわかっていた。
それでも尚、己の存在を、理由を、ルーツを知ろうとする彼を止めることはスズミには出来なかった。できるはずも無かった。
「はぁ」
スズミは一際大きく溜息をつく。
一人は苦手ではない筈だった。寂しさを感じることなんて殆どなかったし、ましてや、こんなふうに思い悩む事など以前ではあり得なかった。
どうしてこんなに変わってしまったのか。なんて、そんな理由は解らなくても、その原因は明白だった。
「……タカツキ」
“トリニティの吸血鬼”を捕らえる。最初は、市井の人々の安寧の為に始めた行いだった。
だが、その先にあった出会いは、思いもよらぬ程に衝撃的で、鮮烈で。数奇な運命に巡り会ったものだと、スズミは未だ時おり考える。
彼と交わした言葉の数々に、彼と過ごした日々の時間に、欠片の後悔も無い。
スズミは確かに、彼との――“タカツキ”と言う少年との思い出を大切に思っていた。楽しいと感じていたのだ。
いつの間にか、彼によってスズミの“毎日”は変わっていた。
それはきっと、ずっと最初から。
彼に出会った、あの運命の夜から――。
コツン。
「……今のは」
降り注ぐ雨音の中。誰もいないはずの教会に、不意に響いたその硬いモノ同士が静かにぶつかるその音を、スズミは確かに耳にした。
不良生徒が屋根を求めて迷い込んだのだろうか?
いや、そうであるなら、立て続けに物音や話し声が聞こえてきて叱るべきだ。
つまり。誰かが何かを置くためだけにこの教会へと訪れた、と言うことになる。
そんな事をする人を、スズミは一人しか知らない。
「――タカツキ!!」
スズミはすぐさま、音のした裏口の方へと彼の名を呼びながら駆け出した。
崩れた瓦礫で塞がれた未知を迂回しながら、スズミは目的地へと駆けてゆく。崩落によって複雑な迷路となっている筈のその建物の中を、慣れた様子で走り抜けると、裏口へとすぐさま彼女はたどり着く。
「タカツ――」
しかし。そこに彼の姿はない。
明かりのない、暗がりの部屋の中。スズミ以外の息遣いは感じられなかった。
確かに聞こえた物音の、その正体を確かめる為に、スズミはスマホを取り出して、内蔵ライトのスイッチを入れる。
明かりに照らされた床が、光を反射してキラキラと光る。雨のせいか、床が濡れていた。
そして、その水は扉の方へと続いており、誰かがここへ侵入したことを示していた。
一体、誰が、なんの為に?
その問の答えを得る為に、スズミは再び視線を入口から続く水濡れの痕跡の先をたどり、そこを照らすと――。
「――これって」
古ぼけたテーブルの上に、鈍い光を放つ、金属の小物が一つ。いや、一丁。そこに置かれていた。
それが何なのか。スズミはすぐに理解した。
「私がタカツキに渡した……。拳、銃……?」
飾り気のない、鈍い銀色の輝きを放つその銃は、間違いなく過去のスズミ自身が相棒とし、自警団の証としてタカツキへと託した拳銃そのものだった。
「なんで、こんなところに」
スズミはその拳銃を手にとって、様子を調べる。
銃身は濡れていて、コレもつい先程まで雨に打たれていた事がわかる。
マガジンを引き抜けば、そこに収められた弾数は指で数えるほどしかなく、戦うには心許ない。対応する弾丸はどこでも手軽に手に入るはずだが、資金を持たぬタカツキであるなら、補給が至難であり装填数が不足している事にも合点が行く。
つまり。これをここに置いたのは――。
「……タカツキ!!」
スズミは、彼の名を叫びながら裏口の扉を開けた。
その先に広がる闇夜の中に、人影はない。
「タカツキ!居るなら……居るならば返事をして下さい!!」
スズミは、タカツキの仕草を良く理解していた。彼が何に重きを置くか、彼が何を考えてモノを選ぶか。
――彼が、何を優先してしまうのか。
拳銃は、武器として意味がある。たとえ残弾が少なくとも、その用途は存在しているし、荷物になる程の重量の装備でもない。
だが事実としてタカツキはこの拳銃だけをここに残し、そのまま何処かへ姿を消した。
『帰ってくる』と、そう約束したはずのあの時には、そんな素振りを見せなかったのに。
つまり、だから。タカツキがここに拳銃を返したのは――スズミの為だ。
武器ではなく、メッセージとして。タカツキはこの拳銃をここに残した。これを、スズミが見つけると信じて。
そこまで考えれば、自然と答えは見えてくる。
「――本当に、世話の焼ける人ですね……!!」
スズミは、その身体が雨に濡れることも
スマホを叩き、連絡先から目的の相手を選ぶ。
助けを求めるのは不本意ではあったが、形振りを構っている場合ではなかった。
1コール、2コール、3コール――その途中で、通話がつながる。
「先生!!」
『“スズミ。……丁度良かった”』
通話先から聞こえた大人の声は、いつもの様に落ち着いていた。だが、その言葉の意味を理解したスズミは、違和感を覚え、眉間にシワを寄せた。
「……“丁度良かった”、ですか?」
『“うん。……こんな時間だし、時間も無かったから、本当は連絡するつもりはなかったんだけど。スズミの力を貸してほしくて”』
「それは、どういう?」
『“多分、スズミにとっても重要な事だから。……今から伝える場所まで来てもらえるかな。話は、そこで聞くよ”』
「助けて、頂けるんですね」
『“勿論。生徒の為に体を張るのが『先生』、だからね”』
先生のその力強い言葉に、スズミは小さく深呼吸をした。
「……急ぎます。場所の指定を、お願いします」
時は、一刻を争うのだろう。きっと、そんな予感がした。
「先生!!」
指定された場所へとたどり着いたスズミは、そこにいた大人の背中に声をかけて――、即座に足を止めた。
「……っ!?アリウスが、どうしてここに!!」
先生の周囲には、三つの人影があった。そして、そのうちの二つに、スズミは見覚えがある。
雨に濡れたレンガの上を、靴をすべらせながら移動し、セーフティの銃口をそれらへと向けた。
「……ああ。あの時の」
黒いマスクを顎にかけた、気だるげな雰囲気の少女がスズミの姿を確認して、疲れたような表情を浮かべた。
「先生、どうして彼女達と一緒に――」
「“流石に早かったね、スズミ。……ずっと走ってたと思うんだけど、大丈夫?疲れてない?”」
「え?あ、はい。このぐらいは特に……ではなく!」
トリニティを混乱に陥れた張本人たちに囲まれながら、けれどそれでも何時も通りの平静を保つ先生に、スズミは調子を崩されながらも、警戒を解くことはしなかった。
そんな彼女へと、長髪の少女が歩み寄る。
「……お前が、守月スズミだな」
「どうして、それを」
「タカツキから話を聞いた」
タカツキは、己の過去を知る為にアリウスの元へと行った。故に、眼の前のアリウスの少女から“タカツキ”の名前が出ることに違和感はない。
「……正義感が強く。それが強すぎるが故に苦労が耐えない、面倒なやつだとな」
「…………」
失礼だと思った。眼の前の少女が、ではない。あの朴念仁の事だ。帰ったら一回引っ叩く権利が有るだろうともスズミは思った。いや、間違ってはいないが、だとしてもそんな言い方を本人がいない所でするべきではないだろうと、そんな文句が浮かんだ。
だが、そんな気持ちは、眼の前の少女が、小さく笑いながら続けた言葉にかき消された。
「――敵であっても、それが真に助けを求めているのであれば手を差し伸べずにはいられないお人好しだと。……だから、何処までも信じられるんだと。そう、言っていた」
「……タカツキ」
その言葉を聞いて、スズミが感じたのは――まず、“安堵”。
たとえどんなに離れていても、たとえ誰と共にいても、たとえどれだけ時間が経っても。“タカツキ”は“タカツキ”のまま、たしかに変わっていないのだと。そう、実感した。
「守月スズミ」
「何でしょう?」
「……こんな言葉を言う資格が無いことは、良く理解している。だが、それでも。無理を承知で――お前に頼みがある」
彼女は静かに、深く、頭を下げた。
「……アツコと、タカツキを救う、手伝いをしてはくれないか」
その言葉を聞いて、スズミは先生の表情を伺う。
「“……事情を説明するね”」
そして、事のあらましが先生の口から語られる。と言っても、その話の出どころはアリウススクワッドの長、スズミに助けを求めた少女である、錠前サオリだということも含めてだが。
「タカツキが、アツコさんを救いに……」
「引き止められなかったのは、私の責任だ。済まない」
その光景を見ていたというサオリは、再びスズミへと深く頭を下げる。
だが、スズミはそんな彼女の肩に、優しく手をおいた。
「サオリさんの責任では、ありません」
「しかし――」
「いえ。一人で何とかしようというタカツキが全面的に悪いんです。……そう、思い詰めないで下さい」
困惑した瞳を向けられたスズミは、せめて彼女が安心できるようにと、その不安げに見える視線に微笑みを返した。
「大丈夫です。……私も力を貸します。だから、皆で助けに行きましょう。アツコさんを」
「……いいのか?」
「ええ。勿論です。私は――……いえ」
スズミは、タカツキの選択を咎める事はできても。否定することはできない。だってきっと自分でも同じ様に一歩踏み出しただろうから。眼の前で助けを求める人に、手を差し伸べないなんてことは、きっと自分が許せない。
なぜなら。
「“私達”は……自警団ですから」
それが、自警団の誇りだから。
スズミは、サオリへと手を差し伸べる。
「案内して下さい。私と、先生を。アツコさんの攫われた場所へ。きっとタカツキもそこに居ます」
「……守月、スズミ」
「スズミ。で構いませんよ。そう年も離れていないでしょう?私達」
たとえ彼女達がどんな罪を背負っていても。それは、救われてはならない理由にはならない。不幸になっていい理由にはならない。
だから、手を差し伸べない理由には。ならない。
差し出されていたスズミの手を、サオリはゆっくりと、しかししっかりと握りしめた。
「“それじゃ、準備はいいね?”」
そんな二人のやり取りを見て、静かに頷いた先生は、生徒達の顔を見回す。
「はい。いいですよね、サオリさん」
「……ああ。問題ない」
生徒たちも、それに応えるようにしっかりと頷きを返す。
「“――行こうか。大切な人達を、迎えに”」
少女達の長い夜が、始まろうとしていた。
「――ああ。もう、なんで私は。こんなんなんだろ?私だけが不幸になるなんて……」
「納得できないじゃん。ね?」
魔女は嗤う。己の道化を、嗤う他に知らぬから。