「それで。俺をこれからどうするつもりだ」
後ろ手に縛られた男は、スズミが思っているよりも案外素直に拘束を受け入れていた。
両手を縛られた彼は、そのまま地面の上に胡座をかいて座っており、眼の前で散乱したゴミを片付けるスズミの姿を静かに視線で追う。
「いつもであれば、反省を促すために電柱にでも括り付けて一晩中音楽を聞かせるところですが」
「何だその古臭い洗脳みたいな行為は」
スズミは、男の言葉にピクリと眉を動かした。
「音楽は人の心を豊かにしますから」
「反省の促し方が独特すぎんだろ。いや、それがお前の信念ならそれでいいんだろうけどよ……あ、そっちまだゴミ残ってるぞ」
「え?……本当ですね、ありがとうございま……す?」
男の指摘に、スズミは見落としていたゴミを拾い上げてから、ふと感じた違和感の元である男の方を見た。
くあぁ。と、丁度大きくあくびをしていた男は、スズミの視線に気がつくと気まずそうに目を細めた。
「なんだよ」
「いや、その……。妙に、親切だな、と」
「なんだ?“バケモノ”が人に親切じゃおかしいか?」
スズミの問いに、男は吐き捨てるように言葉を言い、大きくため息を付いた。
「別に逃げるつもりもねぇよ。この生き方にもそろそろ限界を感じてた。ちょうどいい最期だ」
「…………?」
散らかしたゴミを片付け終わったスズミは、座った男の前へと近づき、彼を静かに見下ろした。
彼の言い回しは、今までスズミが自警団活動の中で制圧してきたどんな不良生徒とも違う。イタズラに我欲のために他者を傷つけている訳でもなく。生活に困窮して開き直り襲撃行為に走る訳でもなく。ただ、淡々と己の状況を受け入れている様な。
「……貴方は、本当に“吸血鬼”、なんですか?」
「さぁ。どうだかね」
男はスズミの問いに答える気がないのか、適当な言葉で返事をはぐらかす。
「お前にはどう見える?」
質問に対してそう問いを返すことで、会話の主導を握り返そうとしているのか、男は逆にスズミに問いかけた。だが、スズミは静かに男の姿を見つめる。
全身を包む服は、いたるところにほころびと穴があり、ほぼ
身体は――頭が一つ、腕が二つ、足が二つで、髪も生えていて、目や鼻口も、一通りある。そういう意味では、自分とそうは変わらない。わかりにくいが、ヘイローだってある様だった。
男にしては珍しい風貌ではあるが、服装以外は極端に異常と思える容姿はしていなかった。
そして、なにより。
「……私には、貴方が意味もなく人を傷つけるような人には思えません」
「ふぅん。ほんの直前、俺に襲われてたのにか?」
「はい」
男は、スズミの答えに目を丸くする。はっきりとしたその答えには、一切の迷いがなかったからだ。
それほどまでに、スズミは男の目が、まっすぐに見えていた。
「理由を、聞かせてはいただけませんか」
「理由?」
「貴方が人を襲う理由です」
もし、彼が止むを得ぬ事情で人を襲っているのであれば、それは改心や更生の問題ではない。その原因を取り除かなければ、彼は何度でも人を襲うだろう。それは、スズミにとっては望ましい事態ではなかった。
そして、それは多分――この男にとっても、そうだろうと、スズミはなんとなく感じていた。
「“飯”のためだよ」
「食料、ですか?」
「ああ」
それは、予想どおりが半分、予想外が半分の答えだった。困窮からくる襲撃であることは、彼の様相から予想はできる。だが、単なる金銭ならともかく、“食料”となると、少し意図が読めなかった。
「……襲った生徒達の食料が奪われたという話は、聞きませんでしたが」
彼に襲撃された生徒達は、傷もなければ何かを奪われた形跡もない。だが、その中には当然何らかの食料を持っていた生徒達もいる。だが、その食料すら奪った形跡がないのであれば。彼の言葉には矛盾があった。
「人のもの勝手に盗って食う様な真似はしたくないんだよ」
「……襲撃しているのに、ですか?」
「そうだ」
スズミには、男の感性が分からなかった。
幾人かの生徒を襲い、確かに自分も襲撃を受けた。これは事実だ。そして、それは許される行為ではない。肯定されるべき行為ではない。だというのに、眼の前の男は、まるで自分に似た倫理観を持っているようにしか見えない言葉を繰り返す。
自分の言葉に戸惑いを見せるスズミに対し、男は静かに言葉を続ける。
「俺は身分がない。身元を保証する立場がない。そんな俺が金を稼ぐには、強盗にしろ襲撃にしろ。ろくでもない手段しか残されてない。だが、そんな汚い手段に加担するような悪人たちと組むのはゴメンだ。誰かの弱味に付け入るような、そんな生き方はしたくない」
俯きがちに、小さく首を振りながら、男は項垂れて己を語る。その声は、次第に小さくなっていた。
「……それに、俺の“飯”は金の問題だけでどうにかなるもんでも無い、からな」
最後のその言葉は、ほとんど掠れて、聞き取るのがやっとだった。
「あの……」
「気にするな、ほっておけ。俺は結局、こんな事を言いながらも誰かを襲うことでしか生きられない。そんな醜い、“バケモノ”だ」
心配するスズミに対し、男は自嘲の笑いを漏らしながらそう言葉を締めくくる。
「……私にも、何かできることが」
「じゃあ、助けてくれよ」
スズミの声に、男は不意に顔を上げた。顔の血色は悪く、軽薄そうな笑みを浮かべて誤魔化そうとしているが、それでも分かるほどに苦しさが浮かんでいた。
「携帯食料であれば、確か少し……」
「そんなもんじゃ腹の足しにならねぇよ」
「ですが」
「一回俺に触られたんだ。なんとなく言いたいことは分かるだろ」
「触られ……って」
スズミは男の言葉に怪訝そうな表情を浮かべる。見知らぬ異性に体を触らせる事には当然抵抗があるし、なにより、今の最大の問題は“食事”に関する事で、肉体接触で何か栄養を賄うような身体機能は無い筈――。
そんな事を考えながら、男が自らに触れた瞬間、最初に口元を抑えられた時の感覚を思い出す。
全身から、力が抜き取られていくような感覚。そして、彼に襲われた生徒達は皆、肉体的な損傷はなくとも体調を崩しており、まるでそれは貧血のような症状で。血を抜かれたようだと漏らしていた。
故に、“吸血鬼”。
そして。吸血鬼の食事は――。
「気付いたみたいだな」
「まさか……そんな事が」
「驚いたろ?俺は、お前たちとは根本に生き物として造りが違う。……正真正銘、“他人を喰らうバケモノ”なんだよ」
“他人を食い物にする”、とは言うが。まさか本当に他者の生気を食料としている人物に出会うとは思ったこともなかったスズミは、目を大きく見開いて眼の前の男を見る。
そんなスズミの視線に、男は薄ら笑いを浮かべたまま、瞼を閉じて首を横に振る。
「お前が言った御伽噺の“吸血鬼”と違って、俺は血を直接頂いてる程わかりやすい訳でもないが。……“吸血鬼”ってのはあながち間違いでもない。そして、そういうバケモノは正義の味方に倒される事で、世界に平和が訪れる……そう言うモンだろ」
「……」
「お前に捕まったのもなにかの縁だ。逃げ出してまで生き延びようなんざ考えてねぇよ。このままほっときゃいずれ飢えて死ぬ。……俺もそろそろ、この生き方には限界を感じてた。良い区切りだ」
まるですべてを諦めたように、どこか満足そうにも見える様子で呟く男を見て、スズミは――。
「駄目です」
「むぐゅ」
男の前でしゃがみ込み、両手で彼の頬を挟み込んだ。口を押しつぶされたことで、男の口からは奇妙で無様な音が漏れる。
「ふぉ、ふぉい!」(お、おい!)
「どんな理由があっても、命を投げ捨てる事が良しとされる筈が有りません。そもそも、貴方は望んで他者を傷つけようとする人よりも、ずっと優しいじゃないですか」
「ひったようはくきを……」(知った様な口を……)
不意に、スズミの身体から力が抜け始める。意識を吸い取られる様な、そんな感覚とともに、強烈な眠気が彼女を襲った。その感覚は彼に触れられた時のそれと同じで――――。
「だから、貴方は……生きる、べき、です」
「…………」
「貴方も、確かに、生きているんです……。バケモノなんかじゃ、ありま……せん……」
薄れゆく意識の中、懸命にそれを繋ぎ止めながら、スズミは男の瞳を覗き込んで言葉を続ける。
「きっと……なに、か。方法が……あ……」
だから。と、そう言葉を続けようとした所で、スズミの手から力が抜けた。
全身を支えていた力が失われ、ふらりと前へと姿勢を崩す。
もう、意識を繋ぎ止めるのも限界だった。
「…………変なヤツだな」
自分へと倒れ込んだ少女を、男は体で受け止めてから、一つ大きくため息を付くのだった。
スズミは、意識がゆっくりと覚醒していくとともに、その体に残る妙な疲労感に煩わしさを覚えながら、ゆっくりと身体を起こした。
「……あれ。私、は……」
明るい日差しに照らされて、ぼんやりとしたまま、周囲の様子をうかがう。至る所が崩れたその一室は、最早雨風を凌ぐ機能すら無い廃墟である事が一目で理解できる。だが、彼女の眠っていた床は傷んでいるながらも、それなりに身体を優しく包む柔らかさを担保されており、廃墟にしては悪くない居心地がした。
崩れた壁の向こうから降り注ぐ、朝日のまばゆい光に包まれながら、曖昧な記憶の中で自分が意識を失う前に何をしていてたのかに思いを馳せる。そして。
「しまっ――――」
「目が醒めたか」
不意に聞こえた声に、スズミは素早く振り返る。
そこには、彼女が意識を失う原因となった男が一人、両手にコップを持ってこちらを見ていた。
「あ……え?」
「なんだ。鳩が豆鉄砲食らったような顔をして。俺がいる事がそんなに意外か?」
「それは、だって。あの状況で監視の目が無いなら、普通は逃げ出すんじゃ……」
「捕まえた奴にわざわざ隙を晒す様な奴が普通みたいな言い草だな?」
「うっ……」
捕らえていたはずの男は、どうやったのか拘束から逃れ、しかしスズミから逃げるようなことはなく。むしろ彼女の眼の前でからかう様な笑みを浮かべてから、手に持っていたコップの1つを差し出した。
「とりあえず飲め。と言っても、水しか出せないけどな」
「あ、いえ……お構いなく」
歓迎されているのだろうか。なんて、調子外れなことを考えながら男から差し出されたコップを受け取るスズミ。そして、男はそんなスズミの姿を見て、呆れたように表情を緩めるのだった。
結論から言えば。気絶したスズミを、この“タカツキ”と名乗るこの男が、己の拠点であるこの廃教会まで運び込み、スズミはそのまますやすやと翌日の朝まで眠りこけていた――という次第だった。
タカツキは、スズミの前に胡座をかいて座りながら、可能な限り明瞭に事情を話した。
ちなみに、“タカツキ”という名前に関して、スズミが彼に聞いた所、「ちょうど昨日は月が高かったから」と返された。
「そもそもこれまで誰かに名乗るような生き方して無かったんだよ」
「名前を忘れるなんて事、有るんですか……?」
「違うな。俺が意識を持った時には俺に名前なんて無かったし。そこから先も必要なかったから、今の今まで付けてなかっただけだ」
「記憶喪失、なんですか?」
「さあな。そもそも俺は俺がどう産まれたのか知らないし、知りようもない。知ってもどうしようもないから、知る気もない」
自分のことだと言うのにひどく投げやりな様子のタカツキに対し、スズミは苦笑を浮かべる。
「どのみち、俺はこの街の奴等と馴染むにはあまりに生き物としての在り方が違いすぎるんだよ」
「……それは、“食事”の事、でしょうか」
「ま。そうなるな」
スズミは、眼の前に座る男の話に耳を傾ける。そんな少女の様子に、タカツキは己の事を話すことにした。どのみち、ここまで事情を知られてしまったのだ。無理に隠して詮索される方が面倒だったし、吹聴された所でまともに取り合ってもらえないであろう事は“吸血鬼の噂”が証明している。よしんばそれで討伐だのの話になろうと、どのみちスズミに捕まった段階で死ぬつもりでいたタカツキにとっては、どうでもいいことだった。
「俺は、“神秘”を喰らうことで命を繋ぐ事ができる。……普通の飯を食ってもいくらか延命はできるが、結局最後はどっかで“神秘”を喰わないと、飢えて、死ぬ。そう言う体質なんだ」
“神秘”。それは、キヴォトスに生きる学生達の身体に満ちる、不思議な力だ。
それがどこから来て、どういう作用をもたらすのか、未だに解明されていない謎の多い力である事から“神秘”と名付けられたその力は、しかし確かに存在していた。
その保有量は個人によって異なり、その用途は多岐にわたる。戦闘の際に弾丸の威力を向上させたり、自身の身体能力の向上や、治癒能力の活性、抵抗力の強化など。超常的な様々な現象を引き起こすその力を、キヴォトスの学生たちは保有していた。
そして、この少年。“タカツキ”は、その神秘を喰らう事で命を繋ぐ事ができるのだ。
「なるほど。貴方に触れて私が気絶した理由も、貴方が食事と言いながら、襲われた生徒達が何も奪われていなかった理由もよくわかりました」
スズミは、実際に彼が己の“神秘”を喰らう様を見た。それは、視覚的にわかるものではなかったが、だが、結果として自分がこうして朝まで眠りこけたことが何よりの証拠だった。
“神秘”を観測することはできない。襲われた生徒達は、何も奪われていなかったのではない。
“神秘”を、彼に喰われていたのだ。
「気持ち悪いだろ。俺は文字通り、お前たちを“喰い物”にして生きてるんだ」
タカツキは、歪んだ笑みを浮かべながら、吐き捨てるように言葉を続ける。
「言ったろ。だから俺は――――“バケモノ”なのさ」
少年は、口角を釣り上げて、白い歯を口の端から覗かせながら、狂ったように笑う。
そんな彼の顔が。スズミには、どうにも――。
「……それでも」
「ぁん?」
「それでも」
スズミの否定の言葉に、怪訝な顔を浮かべるタカツキに、スズミは胸元で小さく右手を握りしめながら、言葉を選ぶ。
「私は、貴方がバケモノだとは……思えません」
「あのなぁ」
「だって。貴方は、誰も傷つけようとはしなかった」
スズミの言葉にタカツキは口をつぐむ。
「確かに、神秘を吸われた彼女達は意識を奪われて、疲れた様子を見せていました。けれど、その誰もが無傷でいたのは……眠らせた彼女達を安全な場所まで貴方が運んでいたからでしょう?」
「……それは」
「証拠ならあります」
スズミはタカツキが否定するより先に自らを手で示す。
「私は、貴方に助けられた」
「…………」
気絶したスズミをここまで運び、ここに寝かせ、朝まで見守っていたのは。他の誰でもない。眼の前の少年なのだ。
「貴方の力は、誰も傷つけない。それは、貴方と敵対した相手でさえ。貴方を捕らえようとした、私でさえ」
闘う相手を傷つける事なく無力化することの難しさは。誰よりも知っていた。誰よりも経験していた。誰よりも、向き合ってきた。
「だから、それは――――」
だから。だからこそ、守月スズミという少女は。こう思わずには、いられない。
「――――それは、優しい力じゃないですか」
優しく、夢を語る少女のように、彼女は笑みを浮かべていた。
タカツキは、そんな彼女の姿に目を丸くして。しばらく、じっと、眼の前の少女を見つめてから。
「……やっぱ変なヤツだよ、お前」
柔らかく頬を緩めて、堪えきれない笑いを見せながら、そう言った。