ご注意下さい。
「失せろ」
アリウス自治区を駆け抜けながら、タカツキは目の前を遮る“怪物”をその手で消滅させた。廃墟との区別がつかないほどに荒廃した街並みを、彼は一人で突き進む。
研究所から移動を開始した先、現在彼が走っている市街地に突入したあたりから、一つの影を見るようになっていた。
それは、エデン条約を襲った悲劇の、その災禍の中に確かにあった“怪物”の姿だった。
「……アツコの血により目覚めた怪物。それを我が物顔で使ってやがるのか、アイツは」
怪物の名前は――“
本来であれば、それがどんな形であれ、私物化できるような物ではない。だが、“ベアトリーチェ”と呼ばれるあの大人は、どういう技術かは不明ながらもその力を我が物にしている。
――私兵を肥やすために、エデン条約に纏わる一連の流れを起こしたと考えれば、残された兵力の多さにも納得がいく。
「チッ。最初からスクワッドは使い捨てる気だったってことじゃねぇか」
人の生命を、人生を、まるでゴミのように使い潰し踏み躙る。そんな大人の汚い都合を垣間見たタカツキは、苛立ちを隠そうともせず舌打ちをする。
アレだけの研究所を木っ端微塵にするような存在だ。狂っているのは、まず間違いはない。
――気に食わない。
アツコが攫われた時、ホログラムで見たあの顔に無性に腹が立っていた。
一度や二度、この手で殴った所で収まらないであろう怒りが、タカツキの中に満ちていた。
タカツキの行く手の前に、突如として一際大きな影が現れた。
「デカブツが」
それは、他の複製の何倍もの体躯を持つ。人の姿をかろうじて留めているだけの完全な怪物だった。
だが、その存在感も、恐怖も、威圧感も。あの赤い法衣の無貌の怪物には、程遠い。
タカツキは走りながら、右の掌に意識を集中させる。あの体躯だ、その辺りの
「――――――!!」
怪物が吠え、その力を放射する。
力の直撃を受けた所で、タカツキにはなんの影響もない。だが、その力に伴う物理的な破砕現象は別だ。
放たれた力に路地が砕け、建物が崩れ、破片が飛び散る。
降り注ぐ質量の嵐をタカツキは身を捩り、跳び、足で蹴り飛ばし、掻い潜って懐へと潜り込む。
怪物がその手をタカツキへと振り下ろした。
「
瞬間、タカツキは足に力を込めて飛び上がる。
「――!!!!」
「邪魔だ……消えろ!!」
宙空で身動きの取れないタカツキへ、怪物は迎撃の腕を突き出し、対するタカツキも意識を集めた右掌を押し出した。
タカツキの掌と、怪物の腕が衝突する。
一瞬の干渉。エネルギーがまるで稲妻のような閃光を放つ。
直後、怪物の腕が崩壊を始めた。
「はあァァァァッ!!」
力の吸収と放出を繰り返し、放出された残滓をそのまま後方へと噴射するようにして、タカツキの身体が加速してゆく。
怪物の腕はみるみるタカツキの掌により崩れ落ちてゆき、一瞬の内にタカツキの掌は怪物の中心へと到達した。
「弾けろ!!」
その声とともに炸裂する“力”が、怪物を貫いた。
放たれたエネルギーは一瞬の発光を伴い、怪物はその肉体の実態を保てなくなり崩壊していく。
エネルギーの放出による斥力を受けたタカツキは、そのままくるりと宙でその身を翻し、全身を使って着地する。
消え失せていく怪物の姿を見送りながら、タカツキは己の右掌へと視線を向けた。
“力”の使い方が。段々と分かってきた。
急速に、彼の中で“何か”が、変わろうとしていた。
『私の計算違いを認める必要がありそうですね。まさか、あの失敗作がここまでの力をつけようとは思いませんでした』
不意に聞こえた声に、タカツキはゆっくりと振り返る。ホログラムの投影装置を持つ生徒と、彼女を先頭に中隊規模のアリウス生が武器を構えてた。
そして、投影されるホログラムにはタカツキの知った顔が映っている。
「テメェ……」
『報告に聞いていた能力。そしてその身体的な特徴は確かに過去私が実験の対象としていた“
此方を舐め腐った、見下すような視線。鈍く淀みきった眼が、タカツキを見据えていた。
『どうですか?“神秘の吸収”。……私がアナタへ与えたその“力”は?』
「…………」
『もう感づいているのでしょう?貴方のその力は、肉体は。私が授けたモノであるという事に』
扇子でもって口を元を隠しているが、しかしそれでもベアトリーチェが歪んだ笑みを浮かべている事はタカツキにも見て取れた。
「お陰様で。テメェの碌でもない野望をブチ砕けそうで感謝してるよ」
『恩を仇で返すとは……。もう少しマナーに関しても知識を刻んでおくべきでしたね』
「刻む……?」
『貴方の持つ知識の大半は、研究の過程で貴方の脳へ直接私が与えた物です。……貴方のその身体も、知識も、能力も。元を正せば貴方のものではないのですよ』
――“アリウス”という知識。そして、アリウスの電撃作戦の内容が手に取るようにわかった理由。記憶を持っていないタカツキが、それでもキヴォトスの常識を身に着けていた理由。
『そうですね。あえて言うのであれば……私があなたの、義理の母。となるのでしょうか?』
彼が神秘を喰らい。闇に生き、他者との共存を望めぬ身体となった全ての元凶。
それが――ベアトリーチェだった。
「息子の脳と体を切り刻む外道が、親な訳ねェだろ」
『おやおや。反抗期というのは困ったものですね』
くつくつと嗤いながら、ベアトリーチェは言葉を続ける。
『しかし……。処分した筈の貴方が生きていた事にも驚きですが。それ以上に驚かされたのは――貴方の頭の上に浮かぶ“ソレ”の存在です』
「……ァん?」
『“ヘイロー”です』
――ヘイロー。それは、キヴォトスに生きる生徒達なら、皆が持ちうる、頭の上にポッカリと浮かんだ円形のなにか。
神秘と何かしらの関係がある。ということだけが判明しているそれは、キヴォトスの内部の学生のみが持ちうる特徴であり、外部の人間は持ち得ないものだ。
キヴォトスの外からやってきたという、シャーレの『先生』も持ってはいないし、眼の前の大人であるベアトリーチェもその例外ではない。
だが。タカツキには確かに――朧げで、あやふやで、意識を向けねば分からないほどひっそりと、しかし、間違いなくヘイローが存在していた。
『神秘を必要とする肉体を持ちながら、神秘を生成する術を持たず。他者からその力を吸い上げることでしか肉体を維持することが出来ない失敗作……。そんなあなたになぜ、“ヘイロー”が浮かんでいるのでしょう』
「……」
『私が貴方へ与えた力は、あくまでも“神秘を注がれる器”としての肉体。己の神秘を持たぬが故に“空の器”として相応しいであろう、外部の人間……それも、無垢な子供を選定したのは。たしかに私の功績です』
“神秘の器”――ソレが、タカツキの本来の役割。
だとしたら一体。その“器”に、誰の神秘を注ぐことが目的だったのか――。
『最も。ただでさえ神秘を作れぬ体の癖、まるで欠けた杯の隙間から水がこぼれ落ちるかのように注いだ側から神秘を垂れ流してしまい、保持と定着が出来なかったのも事実ですが。……この際それは良しとしましょう』
ベアトリーチェが、パチン。と扇子を音を立てて閉めた。
『本題へ入りましょう』
『私の元へ戻りなさい。“
ベアトリーチェは、扇子をタカツキへと向け。
「クソ喰らえだ。ババア」
タカツキは、右手の中指を天へと突き立てた。
「今更テメェが俺に何したかなんざどうだって良いんだよ。俺がテメェに求めるのは一つ。アツコを返してもらうことだけだ」
『……いいのですか?苦を労せず、あなたの望みが叶う唯一の方法であると思いますが』
「“この力”の使い方は俺が決める。誰がどう言うつもりで俺に与えたかなんてどーだって良いんだよ」
中指を突き立てていた掌を開き。そして、握り込む。
「これは、他の誰でもない。俺の、俺だけの“優しい力”だ」
どんな経緯があろうとも。
どんな過去があろうとも。
どんな意図があろうとも。
それでも――彼は、あの少女との約束を、破らない。
「俺は……“自警団の
たとえ傍にいなくても、思いと誇りは、今も確かに彼女とともにある。
『……これだから。道理の分からない子供は嫌いだというのです』
タカツキの宣言に、ベアトリーチェは呆れたように大きなため息をつく。
『手足が千切れていても構いません、その被験体を回収しなさい』
「イエス、マダム」
指示を最後に、ベアトリーチェのホログラムが消える。もはや言葉を交わすつもりはないと、そう言わんばかりに。
指導者の指示に従い、一人の生徒が携行していた武器を構えて、その引き金を引いた。
その火器の弾丸……いや、“弾頭”は、人の頭ほどの大きさがあった。それは、個人が携行しうる限りの火薬を詰めた炸裂弾。飛行する爆薬、ロケット弾とでも言える代物だった。
おおよそ、一人単位の対象に向けて放たれるべきではないその武装がタカツキへと飛来する。
だが、タカツキはそれを避けるでもなく、左腕を突き出した。
炸裂。爆発。響く轟音と、撒き散らされる火炎と黒煙。
「着弾、確認!対象――」
先頭の生徒の一人がその光景を確認して声を上げる。
ふと、爆炎の宙を舞う、細く歪んだ“枝”のような影が見えた。
瞬間。
「っ……てぇ、なァ……!」
「がフッ……っ!?」
喉が突然押さえつけられる。突然の痛みに呼吸が乱れ、締め付けられる圧力に息が止まる。
反射的に、その原因である眼前の影を見た。
全身に煤を纏う少年が、自らの首を片腕で掴んでいた。……良く見れば、そんな彼の左腕は
腕だ。あの、爆炎の中を舞う枝のような影は。彼の千切れて飛んだ“腕”だったのだ。
「ヒッ……!!」
肉が焼け、骨がひしゃげ、丸ごと千切れて無くなったその腕を物ともせずに怒りの形相を向ける眼の前の存在に。少女は思わず喉を鳴らした。
それは、訓練されていたはずの彼女が久し振りにだした年相応の少女のような悲鳴。
「そんなに知りたきゃ教えてやるよ……」
タカツキのそんな声を最後に、少女の意識が急速に遠のいていく。
頭に酸素が回らなくなるような、耐え難い眠気のような暗黒が意識を蝕んだ。
「テメェが寄越した、俺の力の“全力”を……」
視界が闇に閉ざされていく中。少女は夢と現の区別もつかず、幻覚を見る。
無かったはずの、彼の腕が――。
「フン」
少女の神秘を限界まで吸い尽くしたタカツキは、意識を失った彼女をその場へ手放す。
「……なん、なんだ。いまの」
そんな彼の姿を見て、生徒の一人が呆然と呟いた。まるで、“夢”でも見たかのように。
常軌を逸した、あまりに現実離れした光景に、その場の誰もが口を閉ざした。それはまるで。捕食者に狙われれ、竦み上がるようで。精鋭として訓練された、恐怖を克服した兵隊である己が感じる、不快な心のざわめきに、何も言葉が出なかった。
誰かが。小さく口にした。
“バケモノ”、と。
タカツキは、“左腕”を突き出して、その手の指をクイクイと引き寄せる。
「バケモノ退治は初めてか?ビビってねェで纏めて来いよ」
光の粒子が群をなすようにして、彼の左腕を形作っていた。次第にそれは、はっきりとした形と実体を持ち、彼の肉体へと同化する。
傷一つない鍛え上げられた腕が、そこにはあった。
「ラスボス前の腹ごしらえだ。全員纏めて、死なねぇ程度に喰い尽くしてやる」