――私はいつも、手遅れで。誰かを護るということは、既に護るべき人は傷ついている。
どれだけ早く走っても。私はいつも、間に合わない。悪意や敵意は、いつも決まって、誰かを傷つけてからようやく私の前に姿を表す。
だからせめて、せめて。少しでも早く、少しでも被害を少なく、少しでも。
誰かの力に。なりたかったから。
「オラァっっ!!」
「ぐっ……やぁッ!!」
「がっ……グッ!?」
鈍い音が、石でできた通路に響く。
「こな……クソォ!!」
拳を突き出し、身体へぶつける。
「いっ……たぁい、なぁ!!」
肉と骨とがぶつかり合うたび、二人の体は痛みを訴えていた。
互いに一歩も引かず、殴られ押し返されたなら、それを助走に力に変えて、己の拳を突き出す。
握った拳で、人の体を殴るのは……己の拳も傷つける。握った指の突き出た骨の上に張られた皮が、衝突の度に傷ついて。握りしめるその指が、衝突の度に軋み、爪を包む掌は、食い込む先端に血が滲む。
どちらも、限界だった。
それでも、交わした拳の傷みが、己の身体に突き刺さる拳の痛みが、互いに同じと分かっていても。
互いに一歩も、退けなかった。
「いい……加減にッ!しな、よッ!!」
苛つきを隠さずに、言葉とともにミカの拳がタカツキの頬を打ち抜いた。
「こと……わるッ!!」
ぐらつく頭を、気合で意識を繋ぎ止めて、右の上からミカの頭を打ち下ろす。
「ここまでして……なんの意味が、あるのッ!!」
ぐん。と、ミカが頭を突き出した。
「がっ……ッ!?」
「諦めれば、楽になれるのに、なんで君は!諦めないの!?」
ミカの頭突きに打ち上げられ、大きくのけぞるタカツキの胸ぐらを左腕で掴んだミカは、右の拳を振りかぶる。
「痛い思いも、しなくて済むのにッ!!」
重い一撃がタカツキの顔面へと突き刺さった。
「君は逃げても……元々そうだった、何も無い時に戻るだけでしょう!?そんなに一人になるのが怖いの!?」
激情のままに、ミカはタカツキへと拳と共に言葉を浴びせる。
「なんでバケモノと言われても!誰かの為に頑張れるの!?なんで、痛い思いをしてでも立ち向かい続けるの!?なんで!君は!」
ボロボロと溢れる涙を拭う隙もなく、ミカは拳を振るい続ける。
「何一つ、思い通りにならないのに!それでも!君は!!」
怒りと、嘆きと、悲しみと、寂しさと。行き場のなくなった感情の全てを拳に込めて。ミカは右手を振り上げた。
「誰も――――助けてくれないのに!!!!」
それはもう。彼へ向けた言葉なのか。ミカ自身にもわからなくなっていた。
「簡単だ」
振り抜いたはずの拳が、乾いた音ともにタカツキの左手に受け止められた。
「しまっ……!?」
「テメェはすこし、考えすぎだぜ」
急激に、急速に、ミカの神秘が吸収されてゆく。
「俺が諦めない理由?……お前にもわかりやすく、一言で説明してやる」
ゆっくりと、解かれていた右手の拳を、人差し指から順番に握り込む。
それは、相手に真っ向からぶつける為の――拳の形。
「憧れたんだよ――」
身体に残る、力のすべてを拳へ乗せて。真正面から拳を突き出した。
「“
強烈な一撃が、ミカの身体の芯を捉える。
ミカの右手を掴んでいたタカツキの手も離され、支えを失ったミカの身体は、そのまま後へと倒れ込んでゆく。
「――あぁ」
ミカは、ぷつんと、まるで身体の中でなにかの糸が切れたかのような感覚を覚えながら。自分の体が重力に逆らえず、景色がゆっくりと流れていく様に見えていた。
同じ、“バケモノ”なのに。あんなにも信じられていて、こんなにも信じているなんて。自分には出来なかったのに。自分では、こうはならなかったのに。どうして。と、そう感じていた。
何か、特別な違いがあるのだと思っていた。体質から違う、生命の形の時点で、自分達とは異なる、本物の“バケモノ”なら。……自らの行為で、自らの過ちで、自らの罪で、“魔女”と呼ばれた自分とは違う、“吸血鬼”なら。何か答えがあるのかと。そう思っていた。
けれど、違った。
――“
だって。それは。
「……なぁんだ」
ミカは、胸に支えていたものが、ポロリとこぼれ落ちるような感覚を覚えて。
「
床へと、倒れこんだ。
ミカは倒れ込んだまま、両手を大きくその場に開き、ぼんやりと薄暗い天井を見つめていた。
タカツキと、ミカの二人の荒い呼吸音だけが残っていた。
「ねぇ」
ふと、ミカが口を開く。
「なんだ」
タカツキは、敵意を失ったようにも取れる、その何処か吹っ切れたような声色に、痛む身体の様子を確かめながら応えた。
「君が私の立場だったら……どうしたのかな?」
「ぁン?」
突然の問いに、タカツキは顔を顰めて苛ついたような声を上げた。
「知るかタコ。テメェの立場なんてテメェの時点からしか解りようがねェんだ。過ぎたこと聞いてもどうにもならねェだろうがよ」
「うわっ、辛辣。女の子の悩み相談には、親切にしておいたほうが良いよ?」
「へいへい。そりゃ忠告どーも」
「……」
「……」
沈黙。
会話の終わりを悟り、タカツキが踵を返そうと――。
「ねぇ」
「まだなにかあんのか」
ミカに呼び止められたタカツキは、足を止める。
「君は、囚われのお姫様を助け出したら……どうするの?」
「何が言いたい」
「“
自分が、そうだったように。
皆が仲良く、笑顔に満ちた国の、優しい優しいお姫様には、なれなかったように。
「眼の前で助け求める女ボコボコにしてる時点でンな事解りきってンだよ」
「……へぇ。気づいてたんだ」
「泣きそうな顔で『私を一人にしないで〜〜』ってヘラりながらこっちに暴力振るいやがって。ンな元気があるなら一人で筋トレでもしてろアホが。こっちは命かかってんだぞ」
「言い方酷すぎない????」
「だいたいテメェ。“
「…………」
「オイ。まさかテメェ……」
「しょ、しょーがないじゃん!!だって!だって私を騙した奴らと一緒にいたんだよ!?!?私をこんな目に合わせた子達を助けようとしてるのに、一緒に助けてなんて言い出せるわけ無くない!?」
「はぁ〜〜……メンドクセェ」
「めんどくさいって言わないで欲しいんだけどなっ!!」
両手を振ったり、首を振ったり、視線をそらしたり視線を落としたり。ドタバタとコミカルな身振り手振りを交えながら、二人はそんな会話を交わし、呆れたタカツキは、今度こそ道の先へと足を向けた。
「そんだけ元気残ってりゃ、一人で問題ねェな。お前の口ぶりなら、後から先生方も来るんだろ。そのまま寝て助けを待ちな。後はなんとかしてくれるだろ」
「でも……」
「お前は“生徒”だ」
タカツキは振り返らずに言葉を続ける。
「先生が生徒のケツ持つのは自然だろ。テメェがヘラって突っ走らなきゃ問題ねェよ」
「……余計なお世話ですー」
「そォかい。ンじゃ。も一つおまけに余計なお世話だ」
チラリ、と横目でミカを覗いてから。
「ちょいと前に零したのを聞いただけだが。サオリは後悔してたぜ。……例え指示されてやった事とは言え、お前を騙して傷つけたことをな」
「…………サオリが?」
「そっから先は本人に聞くんだな。ま、安心しとけよ、俺をこんな身体にして、サオリやアツコを苦しめて、ひいてはオマエが苦しむ原因となったクソババアは、俺が代わりにボッコボコにしておいてやるからよ」
そこまで言い切って、これ以上は無いと判断したタカツキは、ひらひらと右手を振りながら一歩を前に――。
「待って」
「なンッだテメェはよォ!?」
三度かけられた声に、タカツキは思わず怒鳴りながら振り返る。折角格好つけて去ろうとしたのにこれでは台無しだ。なんてことは、これっぽっちも思っちゃいない。
「これから、“
振り返った先では、フラつきながらも立ち上がったミカが、拳を握りしめてタカツキを見つめていた。……その口元に、僅かな笑みを浮かべながら。
「……ほーう?」
「君の言葉が本当なら、私にも殴る権利はあると思うんだよね?……囚われのお姫様を助けに行く。ってのはもう、ガラじゃないからさ。その方がいっそ
不敵な笑みを浮かべるミカに、つられて自然とタカツキの口角が上がる。
「……いいぜ。ただし、邪魔はするなよ――“お姫様”?」
ニヒルな笑みを浮かべるタカツキの挑発的な言葉に対し、ミカは笑って言葉を返す。
「当然。そっちこそ、足引っ張らないでよね、“
そうして二人は、全てに決着をつけるため、決戦の地へと足を進める。
そんな二人の姿は、囚われの姫を助ける騎士と言うには、あまりに攻撃的で、優雅に悪を嗜める姫と言うには、あまりにも猛々しい。
だが、その決意に揺らぎはなく、目指す先は――何よりもハッキリとしていた。
通路を通り、階段を進み。二人は、薄暗い一室――“バシリカ”へと、辿り着く。
「――待っていましたよ。“
その最奥。崇めるべき神を祭るための祭壇の前に、一人の女が立っていた。
祭壇には一つのオブジェが備えられている。……それは、まるで絡みつく茨のようにして、一人の少女を縛り付けていた。
秤アツコが、そこにいた。
その顔には仮面が被せられており、表情は伺えない。だが、身動ぎ一つ見せない様子から察するに、意識は失っているようだった。
「待たせたな、クソババア。預けてたモノを返してもらいに来たぜ」
「
タカツキは、祭壇の前に立つ女――ベアトリーチェに挑発的な悪態をつき、ベアトリーチェもそれに皮肉を返す。
「隣の小娘は……。新しいお友達ですか?一人二人で飽き足らず、三人目に手を出すのは、些か不義理が過ぎますね」
「ちょっと。勝手に“そー言う話”にしないで欲しいんだけど?おばさん、もしかして恋愛とかしたことない感じ?」
「……乳臭い子供に心配される謂れはありませんね」
「ククッ……。“乳臭い”、だとよ」
「後で君もグーパンね」
笑顔で拳を見せるミカに、タカツキは肩をすくめて、両手を広げ、静かに首を横に振るった。
そんなやり取りを見せるタカツキとミカに対し、ベアトリーチェは広げていたセンスを畳むと、一歩前へと歩み出た。
「どんな手段を取ろうと、何人束になろうと。今の私に敵う者はいません」
「ほぉーう。随分デケェ口叩くじゃねぇか。そんな貧相な身体で、俺達の暴力にどう抗おうってんだ?」
「…………フフ」
「ぁン?」
タカツキの問いに、ベアトリーチェが静かに笑い声を零した。
「フフフ……ハハハハ……アハハハハハ!!」
「うわ。急に笑い出した。情緒おかしいんじゃない?」
「更年期だろ」
「戯言を言っていられるのもそこまでです!!」
高らかに宣言したベアトリーチェは、大きくその手を広げ、天を仰いだ。
「この姿を見るのは、貴方達が最初となります……!!その身に余る栄誉を感じながら――絶望と敗北の中に沈んでいくが良い!!!!」
その宣言とともに、背後の、アツコに絡みつく茨のオブジェが赤く鳴動した。
「アツコ!!」
「ククク……フハハハハハ!!!!」
オブジェから導かれた光は、ベアトリーチェへと流れ込んでゆく。
全身に光と力が満ちたベアトリーチェは、その姿を変貌させてゆく。
ミチミチとその体躯を膨らませ、ギチギチとその腕を変貌させ、メキメキとその頭部がヒビ割れてゆく。
それはまるで、華が開くかのように。ベアトリーチェは――変貌していった。
「――みよ!!これが儀式により私に与えられし、“神秘”の、いや!“神の力”!!」
見上げる程に巨大化したベアトリーチェはその頭部につけた無数の赤い瞳をギョロギョロと動かしながら、眼下のタカツキとミカを見下した。
「畏れなさい!敬いなさい!崇めなさい!!私が!私こそが――貴方達の新たなる“神”だ!!」
喜悦と狂気に歪んだ声が、バシリカへと響く。変貌したベアトリーチェの放つプレッシャーが、空間を震わせるような幻覚を見せていた。
「黙れクソババア!テメェのそれはアツコの神秘を奪っただけだ!テメェの力じゃねェだろうが!!」
タカツキには、その変貌がどういう理屈で起きているかは理解できずにいた。しかし、どういう“因果”でそれが起きたかは、感覚でわかる。
茨のオブジェが、アツコの神秘を彼女の血とともに吸い上げ、ベアトリーチェへ注ぎ込む事でその姿を変貌させている。
――タカツキの身体に施された改造は。この為の布石でしか無い。そう、骨身に染みるほどに実感していた。
「好きに吠えるがいい!所詮貴方達はすべて私の掌の上で踊っているに過ぎない……私が掌握するすべてをどう使おうと、それは私の力です!」
ベアトリーチェはタカツキの言葉を嘲笑うようにして己の姿と力を誇示するような素振りを見せ、その姿にミカが静かに口元を釣り上げた。
「あはっ☆
「聖園ミカ……。貴方の憂いも無駄ではありませんよ。私がこの姿へ至れたのは、貴方という存在があってこそ、その褒美――その身でしかと味わうといい」
嘲りを込めたその言葉に、ミカは静かに拳を構えた。
「オイオイ、テメェの身体は一つだろ?……こっちは二人。ケーキを切り分けてのパーティなんてあっという間に終わっちまうぜ?」
「フフ、安心しなさい。子供の食欲を満たすのも大人の役目……。貴方のための取っておきを用意しておきました」
「あン?」
ベアトリーチェの言葉とともに、彼女の前に青白い光の粒子が集まってゆく。それは、“
――だが、そこに現れた“
レオタードのようなシスター着と言うには、あまりに歪な服装は、その身を幾重にも縛る拘束具にみえた。
無数のベルトにその身を縛り付けられながら、両の手に身の丈程の方針を持つ巨大なガトリングガンを拵え、圧倒的な存在感を放つソレは、これまでタカツキが戦ってきたどれと比較しても圧倒的な脅威を感じさせる。
「ご紹介しましょう。ユスティナ聖徒会の切り札……“バルバラ”です」
バルバラ。それが、ベアトリーチェの用意したもう一つの切り札の名だ。
「……オイ」
「なに?」
「武器は」
バルバラとベアトリーチェの放つ威圧に気を緩めること無く、視線をそれらへ向けたまま二人は言葉を交わす。
「誰かさんが蹴り飛ばしたお陰で御釈迦様。使えそうなのはコレぐらいかな」
ミカは静かに拳を構えてタカツキの問いへと応える。
「そォかい。保険が利くといいな」
「心配しないで。どの道終わった後の“アテ”なんて一つしかないからさ?」
「計画的でなによりだ」
隣り合わせに拳を構えたままの二人の会話に、緊張の素振りはない。
見ている先も、違わない。
「“バルバラ”は俺がやる。ババアはくれてやる」
「いいの?後で文句言われても受けないよ?」
「アレは俺の専門分野でな」
「そう?じゃ、それで」
息を合わせた戦闘。などという高尚なモノをするつもりは互いに無い。目的が同じで、肩を並べている。ただそれで十分だった。
「さあ」
「やろうか」
「「“バケモノ退治”の始まりだ」じゃんね」
走る。
「先生、大丈夫ですか!?」
「“だ、大丈夫!とにかく急ごう!”」
走る。
「バシリカはすぐそこだ!……ここまで戦闘痕はない、まだ間に合うはずだ!」
とにかく。
「この振動……!もう始まってるのかも」
早く。
「この戦闘痕……いや、今は先へ急げ!この先が“
間に合え。
「通路を抜けます!」
間に合え――――
通路を抜けた先、視界がひらけた瞬間。スズミの目に飛び込んできたのは――見慣れた少年の後ろ姿だった。
「間に合――」
直後。
一条の赤い光線が、その左胸を貫いた。
「――た……」
吹き出る鮮血。
倒れゆく身体。
そして。
「――タカツキィィィィィィィ!!!!」
私はいつも――手遅れだ。