Bloody Arriver   作:Ziz555

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Ep.6 月下の約束

 

「良い、月だ」

 

 

 

――スズミとタカツキが出会って、2ヶ月程の時が経った。

 

 日の当たらない場所に潜んでいた“バケモノ”は、ある月の夜に一人の少女に捕らえられた。彼女の不器用で、暴力的とも言える善性に導かれ、日の当たる街での生活を始める。

 初めは、彼の食事のための契約で、仕事であったはずの自警団活動もその意味を次第に変えていた。

 疎ましいと忌避していた自分の力で、誰も傷つけずに街の人々の平穏を、毎日を守る方法があることを知り。そして、誰かに感謝されるという事が……嬉しかった。

 

 あの少女とともに街を歩くのが、楽しかった。

 

 他愛のない話を交わし、好きな音楽について語る彼女の小さな表情の変化を見つけて、少し嬉しくなったり。数少ない自分の楽しみと拘りである“水”に関して語る、あの瞬間には、心か踊った。

 

 独りが好きな訳じゃない。

 

 ただ、独りであるしか無かった。だから、誰かと話すなんてことがこんなに楽しい事だなんて。知らなかったのだ。

 

 

 

 

「今日も……平和だったな」

 

 少年は、瓦礫の山に腰を掛け、夜空に浮かぶ月を静かに見上げていた。そして、片手に持った、欠けた杯に満ちた水を、彼は静かに口へと運ぶ。

 

 視線の先に映る月の姿は、あの日と変わらぬ大きさで、優しく世界を照らしている。だが、こうして一人で月を眺める時間は、いつしかその意味を変えていた。

 

 少し前の自分であれば、静かに無常と静寂をその身に感じながら、無心に水の味わいに意識を傾けて。空の自分に水を注ぐような、そんな時間だったのに。

 今は、目を閉じれば思い浮かぶ、刺激的で、魅力的な思い出の数々を肴に杯を傾けている。月の向こうに、少女と――スズミと過ごした日々を映して。

 

 悪くない。そう思っていた。

 

 こんな日々がいつまでも続けばいいと、そんな事を思うぐらいには。

 

「ここにいたんですね、タカツキ」

 

 声が聞こえ、少年は振り返った。

 

「スズミ?起きたのか」

「はい、今し方」

 

 少年の視線の先に、一人の少女が立っていた。見慣れた制服姿の上に、彼の愛用しているジャージを肩にかけたその少女に、少年は少し心配そうに声を掛ける。

 少女は少年の問いに、静かに頷いて答えを返すと、瓦礫の山を一歩一歩慎重に踏みしめながら彼へ近寄った。

 

「あぶねぇから無理するな。回復しきってないんだろ」

「大丈夫ですよ、これぐらい。それに――あっ」

 

 突然、少女の足場の瓦礫が崩れ、フラリとその体が揺らぐ。

 だが、少女の身体が瓦礫に打ち付けられることはない。

 

「ったく……、だから無理するなって」

 

 一瞬の跳躍で少女の下へとたどり着いた少年は、倒れゆく少女の身体を抱きとめて、呆れたように彼女を咎めた。

 

「ですから、大丈夫ですよ。……タカツキなら間に合います」

「あ?……あー……。…………ナルホドな」

 

 少女は、少年に微笑みかけて。少年は、少女の意図する所を汲み取って。彼は決まりが悪そうに空いた片手で頬をかいた。

 

 少年は、未だ少し足元のおぼつかない様子の彼女を連れて、自分の腰掛けていた辺りへ戻る。

 ちょうど平たくなっていたそこには、一本のボトルと小さな杯が用意されていた。

 

「“月見水”、ですか?」

 

 月見“酒”ならぬ、月見“水”。それがタカツキの趣味だと聞いていたスズミは、その様子を見てすぐに答えにたどり着いた。

 

「まあな。今日は満月だ、これを逃すのは流石に勿体ない」

「それで、その秘蔵の一本を持ってきたんですね」

「ただの渓流の水だ。汲んだ時に一緒にいただろ」

「そうですね。わざわざ細かく場所を選んで汲んでいたのを、しっかり覚えていますよ」

「…………」

 

 タカツキはその体質上、食事を必要としない。だが、その唯一と言っていい例外として、水分を補給する必要だけは存在していた。

 神秘を供給さえしていれば経口による食物の摂取を必要としないタカツキが、唯一口にする必要があり、そして、最も口にする物。それが、“水”だった。

 

 ただ生きる為の生活を繰り返すだけで、なにか娯楽をするにも金銭などを持たぬタカツキが、けれどその味気ない人生に唯一感じる事のできた“味”であるもの――“水”にこだわるようになるのはある種自然なことだったのかもしれない。

 まるで大人が酒を嗜むかのように、タカツキは月を見上げながら、冷やした湧き水を味わう事が彼の唯一の趣味だった。

 

 我ながら爺臭いと感じている上に、“水”にこだわるなどという珍妙な己の癖を指摘され、なんとも言えぬ恥ずかしさを感じたタカツキは傍らの少女の視線から目を背け、己の場所へと腰を下ろした。

 

「お邪魔します」

 

 そんなタカツキのとなりへと、スズミも腰を下ろす。タカツキは、その様子をちらりと横目で確認しながら水の注がれた杯に再び手をかけた。

 

 一口、水を飲み込む。

 

 次第に強さを増す、夏の暑さの残る夜中にその水の冷たさが心地よかった。廃教会の地下に備えた、タカツキ特製の冷暗所から取り出していくらか時間が経ったそれの温度は次第に温くはなっていたが、ともすればそれは体に馴染む冷たさになっているようにも感じた。

 

 どちらが何を言うでもない、静寂の時間が流れていた。

 

「……帰らなかったのか?」

 

 先に口を開いたのは、タカツキだった。

 

「書き置きのことですか?ちゃんと見ましたよ」

「なら」

「良いじゃないですか。夜が明ける前には帰ります」

 

 タカツキが言っていたのは、スズミが眠っていたそばに彼が残したメッセージの事だった。

 

 そもそも、スズミがつい先程までこの廃教会で眠って――いや、意識を失っていたのは、タカツキに因るものだった。

 

 

 

 タカツキがパトロールを行う上で、“都合がいい”と感じていた要素の一つ。それは、“食事”だった。

 パトロールの最中、暴徒と遭遇した場合、タカツキが暴徒の神秘を吸収する事で意識を刈り取り、鎮圧している。当然、その主目的は短時間かつ無傷で対象の無力化を行うことにあるが、結果としてタカツキは“神秘を吸収する”機会を得ることとなる。

 当初は、スズミから神秘を提供してもらう条件としての“パトロール”であったが、暴徒の鎮圧によるタカツキの神秘吸収の都合が発覚した事により、スズミによるタカツキの神秘提供の回数は極端に減少することとなった。“暴徒鎮圧”の無かった日、つまり、タカツキの食事が不十分な日にのみスズミの神秘を喰らう。そういう構図が完成していたのだ。

 

 そして、都合がいいのか悪いのか。ここ最近のキヴォトスの治安の悪化には目を見張るところがあり、暴徒鎮圧は十分すぎるほどの機会に恵まれていた。

 加えて、ここ最近のスズミは、以前までのようにタカツキのもとに毎日訪れるような生活を送っていなかった。

 独立連邦捜査部“S.C.H.A.L.E(シャーレ)”と呼ばれる、連邦生徒会の新設した生徒のためのお助け組織――組織、と言う割にはその実態は一人の“大人”による運営らしいが――に、当番として呼ばれる機会が増えていた。

 その縁の始まりは、スズミがトリニティの治安問題を連邦生徒会へと直談判しに行った際の偶然らしいが、ともかく。その際に知り合ったらしい“先生”の協力の為に、タカツキにパトロールを任せて席を外すことが増えていたのだ。

 

 

 

 そんな、互いの距離がいくらか空いてから、ある日。久しぶりにスズミとタカツキが共にパトロールをしたのが今日という日だった。

 幸か不幸か、その日の街はやけに穏やかで。暴徒の一人も現れず、二人はただ久しぶりのパトロールで会話を楽しむだけで終わってしまった。となると当然、タカツキは食事が抜きになってしまった為、スズミから神秘を提供してもらう必要が出てくることとなり。しかし、最近タカツキの行っていた“神秘吸収”は相手を気絶させる目的の物が専らで、加減の感覚が狂っていた。

 

 結果、手元が狂ったタカツキは、スズミが気絶する程にまで神秘を吸収してしまった。というのが、事の顛末だ。

 

 タカツキは、己の油断でスズミの意識を奪ってしまった。

 

「仮にもここは男の住まいだ。年頃の女が遅くまでいるべきじゃない」

「もしかして、気にしていますか?」

 

 冷たくあしらうような態度に対して、核心を突くような言葉を返すスズミ。

 口を閉じるタカツキ。図星の時の彼は、いつもこうだった。

 そんなタカツキの様子に、くすくすと笑みをこぼすスズミに、タカツキは眉間にシワを寄せたまま、気まずそうに杯に残った水を飲み干した。

 

「……いつまで」

「?」

 

 タカツキの言葉に、スズミは小さく首を傾げて彼の方を見た。

 

「いつまで、この関係を、契約を続けるつもりなんだ?」

「この関係、ですか?」

「ああ。お前と、俺の関係だ」

 

 タカツキの言葉の示すところが、男女の色恋に関するものでも、友人関係と言うものでもない事は、スズミにはすぐわかった。

 

「そうですね……、わかりません。少なくとも、今、終わりにすることは無いと思います」

「お前な」

 

 タカツキは険しい顔のまま、睨みつけるようにしてスズミを見る。

 

「お前がどう感じていようが、どう思っていようが、俺は“バケモノ”なんだ。そこにどんな善意があっても、自分の身体を切り売りするような真似が正しい筈がない」

 

 タカツキの、他者の“神秘”を喰らうその生命としての在り方が変わることは無い。

 

 いつの間にか、杯を握るタカツキの手には力がこもっていた。

 

「今の俺はもう、堂々と“狩り”をする手立てがある。お前に神秘を貰わなくても、一人でやっていける」

「それは、今のキヴォトスの治安があってこそです。あなた個人の問題が解決した事にはなりません」

 

 スズミのキッパリとした反論に、タカツキが言葉を返す。

 

「なら、どうするつもりなんだ。お前は、……これから、ずっと。一生、俺に神秘を喰われ続けるつもりでいるのか」

 

 その瞳は、変わらずスズミを見つめていた。

 真っ直ぐな彼の瞳は、わずかに揺れている。

 

「さあ……どうなんでしょうか」

 

 そんな彼の視線から目を逸らして、スズミは静かに月を見上げる。

 

「どうって……」

「これからがどうなるか。なんて……私には何もわかりません」

 

 タカツキの言葉を遮るように、スズミは口を開いた。

 

 ゆっくりと、夜空へ向けて手を伸ばす。

 

「……綺麗な夜空ですね。ここからなら、星が掴めてしまいそうです」

 

 そうして、ゆっくりと広げていた指を、一つ一つ丁寧に折り曲げて、握りしめ、手繰り寄せる。

 

「昔と比べて、こうしてゆっくりと時間を過ごす事が増えました」

 

 引き寄せ、広げた掌を、少女は優しい眼差しで見つめていた。

 

「貴方と出会う前には、想像もつかなかった程に」

 

 その視線は、いつの間にか、となりに座る少年へと向けられる。

 

「……タカツキ」

「……なんだよ」

 

 少年は、少女に名前を呼ばれ、小さく応える。

 そんな少年に、少女は優しい笑顔を浮かべて語りかけた。

 

「貴方が良ければ……これからも、一緒に居てくれませんか?」

 

 どこか恥ずかしそうに、すこし照れを隠した笑顔を浮かべ。

 

「私はいつも、つまらない事ばかり口にしてしまうかもしれませんが……」

 

満天の星空の元。月明かりに照らされた、彼女は――

 

「それでもいつかは、私も――」

 

 少年は、そんな彼女の言葉に大きく溜め息を付く。

 

「……“いつか”が来るまでは、一緒に。ってか」

「……だめ、でしょうか?」

 

 いつの間にか、彼の心のうちのざわつきは収まっていた。

 

「いいよ。いや、むしろありがとう……なのか」

 

 険しかった彼の表情は解れ、温かい笑みを浮かべて彼は応える。

 

「俺からも頼むよ、スズミ。もう少し、その、“いつか”が来るその日まで……一緒にいてくれ」

「――――」

 

 少年の言葉に、少女はすこし頬を赤らめる。同じ様な言葉を言ったばかりだが、言うと聞くではあまりにその言葉の与える印象はかけ離れていた。

 

 だって。それはまるで――――

 

「――――なあ、スズミ」

 

 少年は、穏やかな笑みのまま、静かに夜空に浮かぶ、一際大きな輝きを見上げる。

 

「今日は、月が綺麗だな」

 

 その言葉に。スズミは表情を崩す。

 

 ああ、そうだ。彼は、そういう人だった。

 

「……そうですね。きれいな満月です」

 

 彼の視線の先にある、優しい光を放つその星の美しさに。同じ様に静かに見入る。

 こんなに綺麗な月を見たのは、多分。初めてだった。

 

「タカツキ」

「今度は何だ」

 

 スズミは、タカツキへと声を掛けた。

 

「貴方に渡すべきものがあります」

「渡すもの?」

「はい」

 

 そんな言葉とともに、スズミは上着の内から何かを取り出すと、それをそのままタカツキへと差し出した。

 

 そこに握られていたもの。それは――――

 

「これは……」

「自警団のバッジと……、私が以前使っていた拳銃です」

 

 トリニティの自警団に所属している事を示す、彼女達の志の象徴たるバッジ。それは、部活という認可された組織でなくとも、彼女達が仲間であることの証明でもある。

 

「貴方はもう、一人でもこの街の治安を守る、立派な自警団員です。ですから、このバッジを持つ資格があると、私は思います」

「俺は、“バケモノ”だぞ」

「“自警団”の条件は、その志と行動によってのみ示されます。そこに、本人の立場も地位も関係ありませんよ」

「…………」

 

 タカツキは、差し出されたバッジをもう一度見てから、スズミの目を覗き込んだ。

 

「“一緒に”、居てくれるんですよね。なら、受け取ってください。……自警団として、これからもこの街の、みんなの平穏を護りましょう。……“一緒に”」

 

 スズミは、ただまっすぐに。自分に向けられた視線へ応える。

 

「…………わかった。約束する」

 

 タカツキは、持っていた杯を横に置くと、差し出されたバッジと、銃を受け取った。

 

「俺は、……俺は、“自警団のタカツキ”だ。だから、街のみんなを、トリニティのみんなを守れるよう、全霊を尽くすよ。……お前と、“一緒”に」

 

 ぎゅっと、静かにそのバッジを握りしめ、タカツキは決意の宿った瞳をスズミへ向ける。

 

「ええ。……約束です」

 

 

 

 そうして、少年少女は、月夜に一つの契りを交わす。

 

 互いの心に、魂に。その誓いを立てて。

 

 

 

 

「せっかくですから、私にも一杯、頂けませんか?」

「あ?……杯はこれ一つしか無いぞ」

「構いませんよ。一口飲むだけですから。……注いで、くれますよね?」

「……しゃぁねぇな。ほら、出せ」

「ふふっ……。ありがとうございます」

 

 

 

 穏やかな時間が、ゆっくりと過ぎてゆく。

 かけがえのない、大切な時間がいつまでも続けば良いと。二人は、心のなかで静かに願っていた。

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