葦名の白兎、ミレニアムに忍ぶ。   作:ラストおはぎ症候群

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リアル竜咳もとい風邪を引いたり私生活の変化諸々で遅くなってしまいました。
この先は更新頻度を上げたいと思います。

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記憶の欠片:竜咳

 

 

 

 

 

 

 

 

「────────ひゅ、ぅっ……げほっ、げほっ、ごほっ……!」

 

 

 咳の音が聞こえる。

 耳を塞ぎたくなるほどに、酷く苦しげな、咳の音が。

 

 

「……………白、兎」

「げほっ、げほっ、ごほっ、がはっ、はっ、はっ……お゙お、かみさっ……え゙ほっ、ゔえ゙っ……ぜぇ、ぜぇ、え゙っ、がはっ……!」

 

 

 これは、罰だというのか。

 不死の力を濫用した、狼への。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

『咳の音・妹弟子』

 

 

どこかで、苦しげな咳が聞こえる

 

咳をしているのは、

死に急ぐ兄弟子を案ずる、

心の優しい一人の少女のようだ

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 回生の力の仔細を確かめ、狼は改めて赤鬼に挑んだ。他に進める道がなく、倒す他ないという結論に至ったからだった。

 狼を易々と死に至らしめる化生、白兎であっても危うく殺されてしまうような化け物。しかし今の狼ならば、いくらでも死に、生き返る。主から授けられた死なずの力を惜しみなく用い、赤い怪物の動き、攻め手、そして殺し方を見出さんと幾度となく繰り返した。

 死に、また挑み、されどまた殺され、そして甦り……そうして、何度死を重ねたのか。

 

「白兎殿、しっかり……!」

「がほっ、げほっ、え゙ほっ……!」

 

 もはや、少しばかりの慣れすら生まれつつあった『死』より返った狼を迎えたのは、蹲り、喉を裂かんとばかりに止まらぬ咳を吐き続ける、白兎の姿だった。

 

「……いったい、なに、が…………」

 

 荒れ寺の中で、狼は呆然と立ち尽くすしかない。エマに背をさすられながら、異様に止まぬ咳と共に、時折血の塊を吐く妹弟子に。狼は、何もできずにいた。

 

 見れば、白兎の頭上に浮かんでいる、桜色に輝く光の輪が。常ならば、はっきりと形と像を持つそれが。今は、掠れた墨とほつれた筆で書かれた文字のように先細り、震えるように明滅を繰り返していた。

 白兎の意識がなければ消え、あれば灯る。それだけだったはずの光の輪の、見たことのない様相が、ただならぬ事態であることを物語っていた。

 

「……竜咳か」

「竜、咳……?」

「淀みの溢れで、振りまかれ……やがて死に至る病じゃ」

「……なん、だと」

 

 死に至る。淡白な、されど何かしらの感情が込められた仏師の言葉に思わず息を呑んだ。それはつまり、白兎が────

 

「エマ。こいつは儂が見ておく。詳しいことを話をしてやりな」

「はい。……狼殿、こちらへ」

「……………わか、った」

 

 足取りは重く。尚も咳き込み続ける白兎の声を背に受けながら、狼はエマの後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────我が師、道玄(どうげん)より聞いたことがあります」

 

 荒れ寺の出入り口から外、灯籠の側に佇むエマは徐に語り始めた。白兎を蝕む何か、その仔細を。

 

「竜胤は、回生の力を授けることができる。しかし、それは常ならぬ力。繰り返せば、やがて淀みが溢れ……関わった者に、病として降りかかる」

「その病が、竜咳だというのか」

「…………知りながら、それを止められなかったのは、私の不明です」

 

 静かに頭を下げるエマに、狼は二の句を告げられずにいた。

 関わった者。その言葉から推し測るに、回生の力を持つ者と(えにし)が深い者に、その病が降りかかるのだろう。つまりは──狼と最も親しく、近い場所にいた、白兎に。

 

「…………………っ」

 

 怒りの矛先は病か、それとも義妹の制止を無碍にした挙句に致死の病を負わせた己か。狼は胸中に溢れる情念を抑え込むように、両の拳を強く握り締めた。刀の妨げとならぬよう短く切り揃えている筈の爪が掌に食い込み、忍び義手が強く軋む。頑強な義手から響く歪んだ音は、さながら悲鳴のようであった。

 

「…………その竜咳を、治す術は」

「分かり、ません。ですが、突き止めねば────」

 

 ともすれば縋るような、そんな掠れた声で問うた狼に対し、エマが躊躇いがちに返した答えは非情なものだった。言葉にするのが憚られたのか、薬師は途中で言葉を切ったが、その先は狼でも察せられた。

 

 

 突き止めねば。白兎は、死ぬ。

 

 

「まずは、師が残した記録を漁ってみます。……それから、白兎殿の介抱も。今ある薬で、せめて、痛みだけでも」

「…………………ああ」

 

 狼が、如何な顔を浮かべていたのか。気遣わしげにそう言ったエマに、返せたのはそれだけだった。

 

 

『────おい、お前さん……!』

 

 

 そうして、行きよりも殊更に重い足取りで、荒れ寺の中へ戻ろうとした狼に、そんな声が耳に届いた。

 

「仏師殿……?」

 

 それは、気怠げで無愛想な声でしか話さぬ筈の仏師の、聞き覚えのないほど焦った様な声。不審を覚えた狼とエマは、心なしか足早に部屋の中へと足を踏み入れ。

 

「え…………?」

 

 その中の光景に、薬師が驚いた様に小さく声を上げた。

 

 

「──────ゔ、ぅ……ぐ、ぎ……ぃ……!」

 

 

 二人の視線の先にいるのは、病に伏せって居なければならぬ筈の白兎が──鞘に収めたままの刀を杖代わりに、無理矢理にでも立ち上がらんとしている姿であった。

 

「お主……」

「………ひゅ、っ……ゔっ……には、は……なに、しょぼくれた顔、してるんですか……さっさと、いきますよ」

 

 上向いた顔は酷い有様だった。血色が失せた肌は白く渇き、眼差しもどこか虚であり、どこで焦点を合わせているのかもわからない。吐き出した血は黒々と澱み、口の周りを汚している。それでも妹弟子は、笑って言って見せた。

 

 常ならば、決して見ぬような笑顔。

 心の臓を、鷲掴まれるような心地がした。

 

「なりません、白兎殿……!その身体で動いては……!」

「こん゙、な咳……い゙っ……!どうってこと、ない、です……よ」

「しかし……!」

 

 先程まで、あれほど聞こえていたはずの咳の音が、今の白兎からは聞こえない。代わりに、何かを()()()()()様な、無理矢理に呑み下すような声が、喉の奥から発せられていた。

 

「しかしも、かかしも、無いです……主は、ぜったい……そうでしょ……?」

「それ、は……」

「はやく、さき、にっ……ん゙、ぐっ、ゔっ……すすま、ないと……」

 

 白兎が言ったそれは、狼が語った忍びの掟だった。死に走る狼を止めようとした白兎を説き伏せる為に話したものが、今はその白兎が無理に進む理由にしている。どれもこれも、狼自身が蒔いた種であった。

 エマの制止も意に介さず、白兎がゆっくりと片足を前に──

 

「あっ────」

「白兎……!」

 

 踏み出さんとした途端に、白兎の足が頽れた。力無く倒れ伏しかけたその身を咄嗟に受け止める。ぜひゅ、ぜひゅと隙間風に似た吐息の音は、聞いているだけで不安を煽られるよう。

 直ぐに跪いて身体を診始めたエマは、土気色すら通り越した肌を目にするや否や、一段と表情を曇らせた。

 

「…………やはり、駄目です。行かせられません。動こうと出来ること自体有り得ざることですが……それでも、このまま行けば、死んでしまいます」

「…………で、も……」

「────っ、なりませんっ!」

 

 まだ短い関わりであるが、物静かで穏やかな人となりだと断じて相違無い。そう感じさせるようなエマが、鋭く声を張った。旧知であるらしい仏師だけでなく、狼が顔を知るよりも前から既知の仲であった白兎にとっても予想だにしなかったようで、白兎はびくりと肩を震わせて黙り込んだ。

 

「────白兎」

「おお、かみ、さん……」

 

 小さな身体を支える手に、あえて力を強く込め、狼は口を開く。

 

「今は、休め」

「…………………っ」

「それが……今、お主が、すべきことだ」

 

 

 ────どの口が、言っている。

 

 

 ────白兎に病を齎した、(おまえ)が。

 

 

 心の裏から響く声を、奥歯を噛み締めることで押し留めながら、白兎に言い聞かせる。そうしなければ、ただでさえ危うい己の命を削ってでも、この少女は立ち上がってしまうのだと、考えるまでも無く悟ってしまったから。故に狼は、己の責を棚上げしてでも、言わねばならなかった。

 

「……………………しのびのおきて……でしたっ、け」

 

 暫しの沈黙の後。苦しげにしながら白兎が溢したのは、そんな言葉であった。掠れた声を聞き逃すまいと、鍛えあげた忍びの耳を澄ませる。

 

「さっきはああ、言いました、けどっ。わたし……ふまじめ、で……もんだいじ、だから……しょーじき、掟なんて……どうだって、いいん、です」

「…………ああ」

 

 知っている。

 もはや幾年も前、御子と出会うよりも以前の頃。いずれ主を持つと言い聞かせる義父に、唇を尖らせて面倒臭いと文句を垂れては諌められていたのを覚えている。

 

「……い゙、ぎっ……でも……それ、でも……そんなわたし、でもっ……!」

 

 震えながら伸ばされた手が、狼の忍び装束を弱々しく掴む。縋るように。(こいねが)うように。目を伏せて、その言葉を紡ぐ。

 

 

 

「九郎さまは、たすけたいっ……!」

 

 

 

「…………ああ」

 

 それも、知っている。

 主を持つということを、主従という関係性そのものを、いっそ疎んですらいた筈の白兎が。いつの間にか、あの平田の屋敷の中で、誰よりも御子の側にあり、誰よりも親しくなり、そして誰よりもよく支えていた。

 

「だか、らっ……()()()()()()の、ために……足を止めちゃ、いやですからね」

 

 それは、ともすれば遺言のようでもあった。己が竜咳によって命を落としたとしても、主を救う為に進み続けろとでも言うような。

 頷きたくなどなかった。私なんか、などと。そんな言葉を認めたくはなかった。けれど、白兎の言う通り、進まなくてはならないことも事実であった。

 

「………………承知、した」

「には、は。やくそく、ですよ?」

 

 小さな声で、安堵したように微かに笑った白兎は、握りしめていた狼の忍び装束から手を離した。尚も苦しそうに息をする少女を草鞋の上にそっと横たえ、傍の薬師と仏師へ向き直る。

 

「仏師殿。エマ殿……白兎を、頼む」

「…………ああ、任せな」

「はい。心得ました」

 

 再び、鉛の様に重い足を引き摺る様にして外へ向かう。刀を突き立てられたものとは異なる、刺す様な痛みを胸の中に宿したまま荒れ寺を出て行った。

 

「…………………」

 

 少しばかり、部屋の中からこちらが見えぬであろう場所で、狼はふと立ち止まり。静かに、耳を済ませた

 

 

 

 

 

『──────げほっ、げほっ、ごほっ、がはっ、はっ、はっ……え゙ほっ、ゔえ゙っ……ぜぇ、ぜぇ、え゙っ、がはっ……!』

 

 

 

 

 先程よりも、酷く苦しげな激しい咳の音が、狼の耳朶に届いた。

 

『無理に咳を抑えようとするからです……!下手をすれば、息が吸えなくなってしまいますよ…!』

『げほっ、げほっ…!……いいん、ですよ……それくらいじゃ、死なない、ですし……たぶん……』

『ですが……』

 

 次いで、微かに聞こえたのは話し声。輪をかけて弱々しく、そして此度は咳を交えながら、辛そうに。

 

『は……でも……ごほっ、ごほっ……しっぱい、したなぁ……たぶんバレてるし……よけーに傷つけちゃいました』

『白兎殿……』

 

 気付いては、いた。こみ上げて来る咳を呑み下すように、無理矢理押さえつけながら話していた。それはひとえに、狼に心配など要らぬと伝えるための見栄、あるいは虚勢。

 昔から、変わらない。そんな誤魔化しや嘘の類が、ほとほと苦手なのだ。あの義妹は。

 

『あんな、かお……してほしくなかった、んだけどなぁ……りゅーがいなんかより……胸が、いたくなるから……』

 

「…………………っ!」

 

 聞けたのは、そこまでだった。

 足早に寺の石畳と小さな階段を降り、離れる。

 

「………………………俺、は」

 

 生い茂る竹に寄りかかる。並ならぬ想いが渦巻くばかりで、ただ歯を噛み締めることしかできない。

 

 これ以上、不治の病を振り撒くわけにはいかない。されど、この先に進むにはあの赤鬼に挑む他なく、そして挑めばまた、殺される。死ねば狼の意思に関わらず、否応なしに回生の力が使われる。

 

 であれば、進まなければ良いのか。刹那に満たぬほど微かに脳裏をよぎった思案は直ぐに否定された。それは御子を捨てることと同じであり、掟に背くことに等しく、そして白兎との約束を守らぬということ。進むこと、それ以外に余地は無し。

 

(……………力が、足りぬ)

 

 先へ進むための力が。死なずに、回生せずに済むための力が。今の狼に足りていない。せめて、あと少しだけでも、勘を取り戻せれば────

 

 

 

「──────もし、其処許(そこもと)よ」

 

 

 

 

 不意に、聞き覚えのない嗄れた声が響き。狼は徐に顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 それから、暫し後。

 またしても虎口階段へと足を運んだ狼は、離れた場所で今なお彷徨うように辺りを見回す赤鬼を見据えていた。

 

(葦名城へ向かう為には、奴を斬らねばならぬ)

 

 目的とそれを為すためにすべきことを、今一度心の内で整える。

 

(そして……その最中、出来うる限り死なぬようにせねばならぬ)

 

 ともすれば、あちらを立てればこちらが立たずの袋小路になりかねぬ状況。だとしても、狼は進む覚悟を決めていた。

 

『────随分と、眉間に皺が寄っておる』

 

 あの時、そう言って狼に世話を焼いて来たのは、荒れ寺に身を寄せていたもう一人──落ち武者の半兵衛。故あって、()()()()()()()()なのだと語るその男と、狼は刀を打ち合わせた。

 

『刀を振らば、気も紛れようというもの。死ねぬ身体故、幾度でも斬られてやれるぞ』

 

 刀による戦いの基本、あるいは(いしずえ)。この初歩に立ち帰り、見つめ直しながら修練を行った。死なぬ程度に加減をし、されど鋭さと迫力を損なわず、実戦と何ら変わらぬ経験を狼に積ませた半兵衛により、短い時間ながら、今ひとつ足りていなかったものを狼は補うことが叶った。

 

「……押し通らせて貰うぞ、赤鬼」

 

 聞こえる筈もなければ解す筈もないであろう言葉を吐き、狼は赤鬼に向かって行った。

 

 

 

 

 

 

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