宝具を使って巨大化したカーマの掌の上で、藤丸立香は懐かしいサーヴァントたちと再会した。
掌の中央に居る藤丸たちの後ろに停車した装甲トラックを振り返ると、サンタ服を着たネモ船長が、運転席上部のハッチから顔を出していたのだった。
「メリークリスマス、マスター。
———プレゼントを届けにきたよ」
立香はとりあえず「メリークリスマス」と返した。他に何と挨拶すれば良いのか、それが咄嗟に出てこなかったからなのだが……まぁ、汎人類史の時計は地球白紙化の間、2017年の12月31日で止まっている訳だし。6日のズレなら誤差かもしれない、と頭の中で言い訳をする。
「どうしたんだい、マスター」
「ああ、ごめん。ちょっと……変な考え事してた」
そう言って、トラックのハッチから上半身を出すネモに笑いかける立香の右に、スルリとモルガンが並んだ。
カルデアのマスターたちを警戒しなければと、立香が戦場を振り返ると、頭上からカーマの巨大な唇が「大丈夫ですよ」と大きな声で囁いてくる。
「大丈夫ですよマスターさん。今、カルデアは完全に停滞してます。……まぁ、頭の回る人たちは色々と考えてるんでしょうけど……。それも含めて、攻撃の気配はありません」
カーマは、「そりゃあ、未知の宝具が発動したんですから、効果と結果が解析できるまで動けないですよねー」なんて笑っている。
「だからマスターさん。危なくなったら呼びますから、警戒は任せてくださいね」
カーマの言葉の後押しを受けて、立香はもう一度、ネモサンタと向き合った。
当のネモサンタは運転席から降りて、同じく荷台横のドアから降りてきたマリーンたちやモルガンと会話していた。
「———久しぶり、サンタさん」
立香の声に振り向いたネモサンタは笑みを浮かべて、軽く片手を上げながら「久しぶりだね、マスター」と返答する。
「ネモサンタは輸送に関しては最優だからね。
———約束通り、品物を届けにきたよ」
「カードに書かれてたのは確か……果心居士がくれたお返しだったよね、ありがとう」
ネモ・マリーンたちがワイワイ言いながら、いつだったか果心居士がバレンタインのお返しにくれた漆塗りの絡繰人形を運び出してくるのを見て、立香はネモサンタにお礼を言った。
ネモサンタは、立香のお礼を正面から受け止めた。
「どういたしまして。他への輸送は完了しているよ、だからここへのプレゼントで最後だ。
僕たちの戦いの記録は“やり直し”によって“無かったこと”になってしまったし……。
今回使われたカードは、君の霊基に付属する宝具ではなく僕が君にプレゼントしたものだろう? つまり君にとって、宝具の原典という位置付けになるかな」
前回、“トリトンギフトカード”という宝具が発動したのはオリュンポス。サーヴァントの藤丸立香は、自分の霊基に付随したトリトンギフトカードを、宝具として使用した。
では何故、今回はモルガンが封印していた“本物のカード”を使ったのかというと———ビーストの立香の霊基情報にトリトンギフトカードが付随していなかったからに他ならない。
立香が妖精國の過去にレイシフトした時、彼はまだカードを持っていた。だから異聞帯で召喚され続けていたサーヴァント藤丸立香は『生涯に渡って持ち続けたもの』としてカードを所有していた。
……けれど、2017年の妖精國で目覚めてからの立香は、モルガンがカードを封印していた事もあって、カードを持たないままにカルデアと戦っていた。
だからこそ、カードを持たずに死んだ藤丸立香は、これを持ってビーストとなる事ができなかった。
……もちろん、藤丸立香の記録の中に『カードを使用したという情報』が書き加えられていた事も、要因の一つではあるのだろう。
———アルトリア・ペンドラゴンは死の直前、微睡みから目覚めた時に第四次と第五次の聖杯戦争の記録を持っていた。それは性質上、聖杯戦争で戦ったアルトリアの経験は『生前のアルトリアが経験した事』だったから、目覚めたアルトリアは夢の中の出来事として記録を持っていた。
立香についても同じ事。2017年に妖精國で目覚めた立香は『トリトンギフトカードを使用したという情報』を記録として持っている以上、ビーストの立香の霊基には、カードが存在しないのだ。
ネモサンタは、バーコードリーダーで立香の持つカードを読み込む。
『ピッ……』という音がした。
「今回の発注で、『原典としての“トリトンギフトカード”を使用した』という記録すらも、その霊基には刻まれることになった。だからもう二度と、僕たちはここに来られない。
この輸送が終わり次第、きっと僕たちも消滅する。君がやり直し前の存在に触れる機会は皆無になり、僕たちサーヴァントと君との記録は、どこにも保存されないままデリートされる」
いつの間にか、ネモ・シリーズたちが立香の前に勢ぞろいしていて———
「英霊ネモ。まだ戦闘中ですから、迅速な報告を要求します」
さっきから少しソワソワしていたモルガンが、耐えきれなくなったように口を開いた。
「貴方方に要請したマスターへのギフト。その最後のピース、“霊基グラフ”を、早くこちらに。
我々の計画の最終ステップに進むため、ここでカルデアに打撃を与えます」
「……うん?」
ネモが、首を傾げる。
「“霊基グラフ”は、持って来てないよ」
———瞬間、立香の右隣に立つモルガンの眉間にシワがよった。
「……冗談では、ないようですね」
モルガンは眼を大きく開きながら、ネモを視ている。
立香はその眼をみて、『トネリコとして召喚されたこのモルガンは、6000年もの時間を妖精國で過ごしながら“妖精眼”を曇らせていない』という事を嬉しく思った。
モルガンは魔力を滾らせてネモを睨みつける。虚空から槍を召喚していた。
「答えろ、ネモサンタ。何故です」
「マスターが線で消していたからね」
「だからといってこんなッ! この機会を逃せば、もう逢えないと解らないのですか!」
モルガンの荒い声を聞いて、立香は彼女に語りかけた。
「モルガン、オレのために怒ってくれてありがとう。……でもいいんだ。
———それは大切な記憶だけど、使ってはいけないものだ。
失ったものは戻らない、時空や道理を歪めてはいけない。……当たり前だからこそ、間違えてはいけないところだ」
モルガンは口を開き———何も言わずに固まってしまった。
「何よりオレたちは、“汎人類史を書き換えようとして特異点を作った人たち”にも、空想樹を切除する時に“異聞帯の人たち”にも、この理屈を強要してきた。
そうやってカルデアは人理を修復して、そうやってオレは異聞帯の人たちを殺してきたんだ」
藤丸立香は装甲トラックの荷台に目を向ける。荷台の側面にある金属製のスライドドアはあまり大きなものではなく、立香の目では荷台の中は暗くて見えない。
荷台から目を引き剥がして、立香はモルガンを真っ直ぐに見た。
「だからこそ“霊基グラフ”は———道理を受け入れることをみんなに強いた、オレが使うべき記録じゃないと思うんだ」
———いつか別れると知っているからこそ、人は一瞬一瞬を大切にできるものだから。
「だからモルガン、オレも———前を向いて歩いていくよ」
モルガンは少しの間目を瞑っていた。
目を開けた彼女は視線だけを動かして右を、ネモサンタを横目で見る。
「本当に、持って来てないのですね」
「そうだよ。それに———仮に持って来ていても、マスターは受け取らないだろうしね」
「…………。
我が夫であれば、カルデアにいる小娘の盾を使って英霊を召喚する事もできた。霊基グラフがあればやり直し前の記録を持つサーヴァントを、100や200は呼べたでしょうに」
立香は少し目を伏せながら、彼女にもう一度「ごめん……モルガン」と謝った。
「でも……それだと前のサーヴァントたちと、現カルデアのサーヴァントたちとで霊基の奪い合いが発生してしまう。この星が危ないって時に、団結せずに勝てるだなんて思えなかったんだ」
モルガンは手を伸ばして立香の服の、胸のあたりをグッと掴んだ。
「あなたの、やり直し前の“最後の記憶”ですか」
「———うん。カルデアが解体されて、サーヴァントたちも退去して、霊基グラフは時計塔に封印された。その後にやって来たものが、戦力のなくなったオレたちカルデアを蹂躙した。
———だから、今度こそ。カルデアのマスター達からサーヴァントを奪うような真似は、したくなかったんだ」
「……そう、ですか」
「そもそもオレは“異聞帯の王”であって汎人類史のマスターじゃない。汎人類史は———彼らカルデアに頑張って貰わないといけないから」
———かつて、特異点Fでレフ・ライノールはこう言った。「おまえたちが2017年に到達することはない」「おまえたちは進化の行き止まりで衰退するのでも、異種族との交戦の末に滅びるのでもない。我らが王の寵愛を失ったが故に滅びるのだ」と。
未来視の魔眼を持つレフ・ライノールは、人類史の滅びの例としてあの時『進化の行き止まりでの衰退』と『異種族との交戦』とを挙げていた。
『進化の行き止まりでの衰退』とは魔術世界の並行世界論における事象の剪定、つまり異聞帯のことだった。
では『異種族との交戦』とは———
レフ・ライノールが視ていた未来は、『異聞帯との殺し合い』だけではなかったのだろうと、今になって立香は思う。
◇ ◇ ◇
地球白紙化事件が解決して、つまり汎人類史の止まっていた時間が———2018年1月1日から先の時間が刻まれ始めてから何日かが経った、ある———新年の夜。
藤丸立香は、さっきからずっと夜空を見上げていた。
ここは南極。普通なら元日付近は白夜といって一日中陽が沈まない期間なのだけれど、南極圏の少し外側にあるここでは、真冬でも陽が沈む。
日没から少したった今、空は見惚れるような群青色のグラデーションで。下の方が明るく、上になる程だんだん暗い。地平線付近が太陽の残り火で明るい以外は、星と星雲がよく見える———そんな、夜の入り口だった。
———この日、白紙化事件が解決された世界において組織の引き継ぎが完了したカルデアのスタッフたち一同は、自分たちの荷物を運び出すための準備を終えて、集まっていた。
『南極なんて場所からの引っ越しに何往復もしていられない』という理由での同時移転だったのだが、それに託けて自由時間を確保したのだった。
そして全員で『自分たちが取り戻したものを、せめて最後にみんなで見よう』と満天の下に繰り出した。
そうやって、生き残った僅かな職員たちが肩を寄せ合って大きく息を吸っていると———誰かの声が、イヤに響いた。
「あれっ?」という声。
「どうしたんだね」と新所長。髭の生えた口元を引き攣らせながら「そう言う恐ろしげな発言は控えたまえ。何故ならそういう予感は、だいたい最悪の方向で当たるのだから!」
職員たちは一列に並んでいるのだから新所長の姿など見えないというのに、彼が今どういう表情をしていてどんな風に慌てているのか、立香には手に取るようにイメージできた。
「いや本当にやめなさいね! 今の我々に地球の危機と戦えるだけの戦力なんてないの!」
新所長の叫びを聞きながら、立香は体に力を入れる。
いつでも、動けるように。
———白紙化事件解決によって世界がまた動き出した後、魔術協会と国連の対応は早かった。『人類史を破壊できるだけの戦力が一家系(ムジーク家)の子飼いとして存在している事の脅威』について重くみたこれらの組織によって、カルデアは即時解体が決定。1月1日のうちに各国から直接派遣されてきた調査官たちがカルデアの資料をごっそりと全部持っていき、翌2日にはカルデア職員全ての転属先が正式に決定していた。
———よって現在、1月3日。
カルデア職員は明日4日を持って転属先への移動を開始。これに伴って全員で会えるのは、今夜が最後になってしまった。
ムニエルの声が、ボヤっと聞こえる。
「……でも新所長、見てくださいよアレ。箒星ですよ箒星、最後の日に見れるなんてツイてますよね」
立香もあらためて宙を見ると、……なるほど。夜空の真ん中に、長く尾を引く星がある。
「そうだ新所長、知ってます? “箒星”と“流れ星”の違い」
「ムニエルくん君ねぇ…………、いや、やっぱりいい。話しなさい。
私の嫌な予感を吹き飛ばすような、豪快な豆知識を頼むよ君ィ〜」
「豪快な豆知識って矛盾してません? ……まぁいいですけど」
暫く見ているうちに、だんだんと明るくなっていく箒星を見ながら、立香はムニエルの蘊蓄に耳をそば立てていた。
「“箒星”は、見たまんまのアレです。尻尾みたいなものが付いた星のこと。
その正体は“遊星”といって、『宇宙の塵や金属を含んだ氷状の星である』というのが定説ですね。異説としては『磁石のように磁場を持つ星である』という説もあって、その磁場が、太陽から噴き出すプラズマと反応して発熱。ああやって光っているんだ。なんて言われてたりもします。
一方“流れ星”は、大気圏の中で燃える物体のことです。
砂粒みたいに小さな物体が地球に飛来、地上に向かって大気圏内を高速で移動する時に、大気中の分子との衝突や圧縮によってプラズマ化して、光りながら溶けているものを“流れ星”って言うんですよ。
だからこの2つって、似てるようで全然違うものなんですよ」
ムニエルが「凄いですよね」と締めくくって暫くしてから、ゴルドルフ新所長は低いテンションで言い返していた。
「うん、スゴイネー。…………それで君ぃ〜、そんな蘊蓄を垂れ流して一体何が言いたかったのかを説明したまえよ。
全然、豪快じゃないんじゃないかね?」
「そんな事ないですよ。
だって“箒星”と“流れ星”って、全く違うものではあるんですが、無関係のものではないんですから」
「…………はい?」
「例えばですね。“流星群”って、箒星から派生した現象であることが多いんです。
———遊星は太陽風によってプラズマ化しながら溶けて、破片をこぼす。その破片は地球の重力に引かれて流れ星となって飛来する。
このパターンって結構あるみたいなんですよね」
「……ちょっと待ちなさい。何だか不穏な———」
「そういえば新所長、妖精國を更地にしたのって流れ星でしたよね。オリュンポス異聞帯でギリシアの機神たちが合体しなければ倒せなかったのは、遊星から落ちてきたものじゃなかったでしたっけ」
◇ ◇ ◇
———モルガンは、ゆっくりと言葉になおした。
「宙を周回する“収穫の星”。1万4000年前にやって来た遊星は、1万4000年周期でこの銀河に接近する。
———それが、白紙化が解けた後に来るのだと」
「うん、きっと……。“みんな”知ってたんだと思う」
———終局特異点で、魔神王ゲーティアは言った。
『紀元前1000年から西暦2016年までの人類史の全てを魔力に変換できれば、それは星の始まりに跳ぶ魔力量になる』と。
どうしてゲーティアは、“西暦2016年”というタイミングで人類史を区切ったのか。別に、もっとキリのいい年数でもよかった筈なのに。
それに———地球白紙化が起こったのが、人理焼却から間もない2017年12月31日だったのは何故なのか。
モルガンは、ゆっくりと目を閉じた。
「それが……あなたを倒したモノなのですね」
「実は……、あまり憶えていないんだ。気がついた時には、2016年のフィニス・カルデアにいたから。
だけど…………オレでは上手くいかなかったんだ、って事だけは判っていたから、———だからオレは、真っ先に先輩たちを頼ろうと思った」
藤丸立香はモルガンから目を逸らして、右を、カルデアのマスターたちが集結している戦艦の甲板の上を見た。
キリシュタリアと太公望とを中心にして皆が集まり、おそらくは相談しているんだろう。小さく半透明のウィンドウも見える気がする。
ここからでは誰が話しているのかなんて分からないけれど、雰囲気だけを感じとって、立香はもう一度モルガンを見た。
「あの“やり直し”が何だったのかは解らないけど……。あの時、コフィンの中にいたAチームのみんながどういう存在なのかも———あの瞬間は解らなかったけど……。『オレ一人でやって上手くやれなかったなら、それは先輩を頼るべきだろう』って……思ってたんだ」
少し俯いたモルガンの手が、そっと、立香の服から離れる。
立香は、ネモの方に向き直り、その後ろで、しゃがんで作業しているネモ・ナースに聴いた。
「……確か、サンプル兼オレが負傷した時用に、果心居士からのお返しを書いてたんだっけ。あのカードには。
———どう? 他人でもいけそう?」
ネモ・ナースは手を止めて、立香に「見ての通り、完璧です」と微笑んだ。
「流石は果心居士さんです。これはヒトガタの素体として完璧に動作していますよ」
「……良かった。ほっとしたよ」
ネモ・ナースの背後で軽くジャンプするドラコーと、両手の指の感触を確かめているキアラ。2人は立香に気づくと凄惨に笑う。
左の膝をパンッと叩いたドラコーは、顔を上げて立香に一歩踏み出した。
「下総国は恙なく掻き乱され、修復された。
我が騎手の試みの通り、あの特異点に加藤段蔵と風魔小太郎とが、両方とも召喚された事を確認している。———確と見た」
「ありがとう、ドラコー。
それなら、あのカルデアも果心居士との縁ができているだろうし……。どこかの特異点か何かで彼女を召喚できているなら———外付けの肉体を作ってもらえているのなら、少なくとも大令呪を取り外せなくても死ぬ事はないだろうし。
これでカルデアは———全力で外敵と戦える訳だ」
立香はやっと、ため息をついた。
「———だったらもう、終わりでいいかな」
それから少し大きな声で、サーヴァントたちに話かけた。
「それにしても……、上手くオレを嵌めてくれたね、みんな」
立香は笑う。
何というか、この流れの発案者が誰か判る気がした。多分、ゲーティアだろう。
オレには一工程多い戦略を示して、それに全力で取り組ませる。そしていざという時に発動させる宝具によって戦略工程を一気に終わらせる事で、目標までの時間感覚を誤認させる。
……きっと、カルデアに対する策だったのだろう。『敵を騙すなら先ず味方から』という訳……だったのかも、しれない。
「オレに知らされていた計画では、もっと粘らないといけなかった。カルデアを倒すとまではいかなくても、少なくともここに釘付けにして、追い詰めるところまではやらないといけなかった。
———現在異聞帯で何が起きているのか、それを完璧に隠し通すために」
1人1人の、顔を見る。
ドラコー、キアラ、カーマ、そしてモルガン。
「———でも、もうその必要はなくなった。
ネモサンタが輸送を完了してくれたってコトは、計画は最終段階に移行したって事だ」
グッと、右の手を握り込む。
「オレは最弱のマスターだったけど、みんなが頑張ってくれたから。それにたくさんの人が助けてくれたから———こうして、異聞帯を守れるところまでやってこれた」
握った手を開いて、モルガンにそっと差し出した。
「なら———これでお別れかな。モルガン」
でもモルガンは、キッと立香を睨んでいる。
「イヤです」
「えっ? ……でも———」
「イヤです。まだ別れたくありません。
だって、あなたは最弱ではないのですから。あなたの最優を、あなたが真に素晴らしいマスターであることを証明するまでは、別れません」
「……どうしようか」と、立香は頭をガシガシと掻いた。
ネモサンタが来た事によって、立香とカルデアの、マスターとしての能力を比べることに意味はなくなったのだ。
何故ならこの『マスターとしての格付け勝負』。勝負そのものというよりも、『カルデアのマスターたちが正面からネガマスターを突破しようとしている』という状況そのものが、ある種の検査薬としての働きを持つからだ。その策の名を———
「“オペレーション⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎”。『最初の出会いで名前を名乗らず、カルデア側が付けた名称で呼ばせる』という策の目的は、『カルデアの戦略誘導を兼ねたDr.ロマンの対策』だった。
……けど、もう彼らの輸送が終わっているから、ドクターを牽制する必要も無くなってしまったし」
「でも私は、『格付け』で負けたくありません」
モルガンの、珍しくツンとした態度に立香が何も言えなくなっていると、横からネモの声が割り込んできた。
「ねえマスター、さっきから何を言っているんだい? “最弱”とか“最優”とか、“証明”とか“格付け”とか」
ネモ船長の後ろに並ぶマリーンたちが一斉に『うんうん』と頷き、「どういうコトなのマスター。説明して〜」と声を出す。
そんなネモシリーズの面々に、立香がザッと経緯を話した。
最初は思案顔だったみんなの表情が、終わりに近づくにつれ明るくなっていく。そして立香が話し終わると、マリーンたちが「「「いぇ〜い!」」」と叫んだ。
ネモがふふっと笑って言った。
「『格付け』? そんなもので争ってたのか。
でも……なるほど。それなら大丈夫。
これがやり直し“前”と“後”との意地の張り合いなら、取っておきのものがあるんだ。言っただろう? 『プレゼントを持ってきた』ってさ」
ネモの後ろで、ネモ・プロフェッサーが大きな三角定規をチャキッと天に掲げた。
「はい勝ち〜。『どちらがよりマスターとして素晴らしいか』を競っているなら、このプレゼントはそういった比較が意味を成さなくなる品物であるかと〜」
ネモ・エンジンは自分の肩を、スパナの先でトントンと叩いている。
「まぁ……なんだ。このままアタシたちの痕跡が消えちまうのには、思うところがあったからよ。
今回カードが使われたタイミングに乗っかって、虚数潜航で色々なところに行ってきたんだ。『仕入れ』という体でさ」
作業が終わったネモ・ナースが、ネモシリーズたちの隣に並びながら、頬に手を当てて補足する。
「そして、“やり直し”の真相を知りました。何故やり直しが起きたのか。
———誰がそれを望んだのか」
ネモは一歩、二歩と前に出て、立香の目の前まで来て。
そして“それ”を、立香の前に差し出した。両手に余る大きさの、ちょっと大きなガラス球を。
「メリー・クリスマス & ハッピー・ニューイヤーだね。———おめでとう、マスター」
◇ ◇ ◇
———ああ。この星の人類は本当に、佳く戦いました———
マシュ・キリエライトに力はなく、霊基グラフは取り上げられ、南極からは追い出された。
この未曾有の事態を解決するために地球人類は必死になり———必死になった結果、旧カルデア職員たちは蚊帳の外に置かれてしまった。
『旧カルデア職員? 地球時間を1年間奪った事件の元凶だろ』
『いつの間にか『世界を救いました』って言われて、それを信じろっていわれてもな……』
『聞けば、国連の監査の時にも何か隠蔽してたらしいじゃない。あんなヤツらに下手に頼ると、背中から刺されるわよ』
『今は世界が、地球がヤバいんだぞ! あんな得体の知れない連中に心を砕く時間なんて無いんだよ!』
———だから、まぁ……。何が悪かったのかと言われると『信頼されてなかったことが悪いのだ』としか、言いようがないのだった。
それぞれの人たちが、自分が最も信頼できる人と組んで戦った。
科学の世界においては高名な科学者だったり、世界に名だたる事業家だったり、各国の首脳だったりした。
神秘の世界においては魔術協会の三大部門がそれに当てはまる。“時計塔”、“アトラス院”、“彷徨海”。
もちろんこれらも一枚岩ではなく、『信頼できない者に背中を預けるリスク』を考えるなら、『そもそもそんなヤツとは組まない』『そいつら全員を出し抜いてでも自分たちが解決する』という思考に至るのはごく自然な流れだったのだろう。
よってこの時、魔術・科学の別なくそれぞれが『競争しながら危機に立ち向かう』という形で、汎人類史は“収穫の星”と戦ったのだ。
———本当に、佳く戦った。
遊星から降ってきた7つの流れ星は、その全てが倒された。
地球のテクスチャの8割以上が引き剥がされていて、この星はもうまともな文明を持ち得ないモノになってしまったが、それでも何とか、ヴェルバーの従える星舟と呼ばれる衛星———ヴェルバーが星に接近するたびに地上に向けて落とす流れ星、から顕現した、かつてのセファールの同系機を7つ、撃破する事に成功していた。
藤丸立香は私の目の前で、その成果を噛み締めている。
目の前には、私の力で封印された大きなウサギが三つだけ。
———つまり、遊星の先兵たる7つのアンチセルの内、残りの4つは彼以外が倒したという事他ならない。
「…………やっと、終わったのか?」
「———ええ、7つの敵は倒されました。この星の文明を資源として回収する見込みが立たなくなった以上、ヴェルバーの本体も戻ってくる事はないでしょう。よって———この星の勝利です」
藤丸は、少し後ろにいた私を振り返り、頭を下げた。
「ありがとう、それからごめん。この星の文明を……守れなかった。
貴女のお陰で、アンチセルたちに殺された人たちは殆どいなかったけど、それは殺されていないだけだ。
———辛い役目を背負わせてしまってごめんなさい。
でもありがとう。オレたちの文明は終わったけれど、貴女が碑文を、この星に刻んでくれたから」
私は、その言葉に首を振る。
「いいえ。感謝も謝罪も、本来なら私の役割です。
緊急だったとは言え、“事象収納”で格納したのは私の落ち度です。貴方方人類に、反省すべき点など一欠片もありません」
———本当に、人類は佳く戦った。
本当は、叶うなら宙に飛び立って欲しかった霊長ではあった。
「そんな貴方方に、この星はたった数万年の時間しか与えてあげられなかった。それも私の落ち度です。
ですが———
「…………あれっ?」
私の口から、声が漏れた。
「……どうして?」
イヤな感触がして、自分の手を見る。
「どうして私は……、血で濡れているのですか」
ドレスの白い袖、蒼い手袋。それが赤色に染まっている。
ハッと、周りを見る。目の前で、藤丸立香が倒れている。胸に穴が空いている。
私の周りが、私の体が、血で———
「ぁぁぁあああああ!!! ——————ッツ!」
藤丸に歩みよる。その肩を抱き寄せる。
胸に手を当て、流れ出る血を止めようとする。
…………止まらない。———いや、止まっている。だってもう、流れ出るものが無くなっているのだから。
「……藤丸? ———マスター? 返事を、どうか返事を!」
何も、喋らない。
———どうしよう。
そもそも何故? 私は何をしたの? 何が起きて———
「よくないモノが、君の魂と引き換えに現れようとしていただけさ」
すぐ目の前で、穏やかな男性の声がした。
気がついた時には、何もない場所に立っていた。目の前にいるのは、白いローブを着た白髪の男。
「……マーリン? ここはどこですか?」
「夢の中さ。あぁいや、今までが夢だったんだから、ここは現実って事になるんだけどね」
「……夢?」
「そうとも、夢魔としての力を全て使って、君たちを夢の中に沈めたんだ。君の殺人は夢の中のできごとだった。
そういう事になったんだよ」
「ああ、それで……」
この両手に血が付いていない。ドレスが血で塗れていない。
夢魔の力を確認してから、白い男をちゃんと視る。
「———だから貴方は、マーリンではないのですね」
「そう見えるかい?」
———声が聞こえる。聞こえない筈のこの場所で、聞こえない筈の声が聞こえる。だってアナタには———
「口がない……でしょう?」
「確かに僕には口がない。でもね、マーリンが鋳型をくれたんだよ」
ボクはマーリンを真似ているんだと、ソレは軽快に声を出す。口どころか、目も鼻も髪の毛も見当たらないソレは……笑っているのか、泣いているのか。それとも気合いを入れているのか。
ソレは透明で、まん丸でガラスみたいな球で。その中には星が一つと、枯れ木が何本か植っていた。
「あなたを知っています。マスターの枕元にあったもの。それが何故ここにあるのですか?」
「この時代に飛んできた蒼崎青子が回収してね。そうしてボクは持ち出されて、夢魔に逢ったんだ」
「青子とマーリン……ですか。———なるほど。それであるならば、この事態にも納得です」
私自身の、記録を手繰る。
確か……、カルデアのデータベースにあった。妖精國の異聞帯で、ケルヌンノスを大穴に押し返した一幕。
マーリンは大穴の付近を夢に沈めて、ケルヌンノスの覚醒と呪層の発動とを、『夢の中のできごと』として無かった事にしたのだったか。
———音に聞く“無”の魔術属性の領域。『ありえないが、物質化するもの』を扱う神秘。
マーリンはあの時、ケルヌンノスが覚醒してからボーダーに呪手が触れるまでの時間を『物質化しているが、あり得ないもの』として扱い、これを夢の中に封じ込めた。
結果として現実は逆行した形になり、これを討伐する事に成功した。
アーキタイプ:アースは、自分自身の手指の感触を確かめる。———血の感触は消えている。あれだけの衝撃だったのだから私の精神に爪痕を残し、藤丸の血の感触がトラウマになっていてもおかしくないのに……。綺麗さっぱり、何もない。
まるで彼の負傷など、はじめから無かったかのように。
「マスターの負傷が、私がマスターを傷つけた時間が『夢と置き換わった』のですね」
「そうだね、その通りだ。だから、まだ君の中には何もいない。
花の魔術師が、自分の全存在を懸けて発動させた大魔術だ。“この星の頭脳体”である君そのものを、確実に夢に落としきって余りある性能だったよ」
「あの時……、私に何が起きたのですか」
「———何も。ただ、かねてから存在していたバックドアが開いただけさ。
君がまだ君としての形を得る前、『とてもむかしむかし』の話だよ。霊長が生まれた頃、未来を案じた地球は月の王様の提案を受け入れた。『月の王様をお手本にして、地上の王様を作ります』———その結末だよ」
「そう……ですか」
「『人間の血は猛毒で。精霊でも、血を吸うと悪魔になる』。
アルクェイド・ブリュンスタッドは真祖の姫として長く運用されてきた。星を穢す悪魔たちを屠るためにね」
“星を穢す悪魔”とは、バックドアが開いた精霊の事。バックドアから月の意思が流れ込み、故に『大好きな筈の地球の子供を食べてしまうという欠陥』を発現する。
「“星を穢す悪魔”の大元は月の王様だ。1700年くらい前に魔道元帥がそれを退けたからといって、いなくなった訳じゃない。
この星が隙を晒す瞬間を、『いまかいまか』と待っていたんだよ」
アーキタイプ:アースは話を聞いて、そっとため息を溢したのだった。
「『この星の隙』ですか。……なるほど、確かに隙でしかなかったのでしょう。ヴェルバーから落とされた7つの星舟、そのアンチセルを全て撃退した———あの瞬間。間違いなく“星の抑止力”は、安心してしまったのですから」
アーキタイプ:アースは視線を下げた。けれど目の前から『ピシッ』という音がして、何事かと顔を上げる。
目の前のソレ———どこから声が出ているのか分からないガラス球みたいなソレの表面に、ほんの僅かに亀裂がはしっていた。
「おっと……、出力に対して器が耐えきれなかったか。マーリンの霊基情報を元に補強した夢の幻影だったけど、これは流石に限界かな?」
なんて言葉を響かせながら明滅するガラス球に、アーキタイプ:アースは、ちょっと強めに声をかけた。
「あなたの、要求を提示してください。
わざわざ“星の内海”に来たのには相応の理由があるのでしょう?
———このままもう一度、現実時間が稼働しても、それはさっきの焼き直しになるだけです。人類が疲弊したタイミングで、朱い月は私に施されたバックドアを開くでしょう」
アーキタイプ:アースは朱い眼を見開き、幻影の向こうにある無機質で透明な球を、しっかりと視た。
「あなたは、何故ここに来たのですか?
それがこの星の子供たちを、救う手立てになるのなら。私は協力を惜しみません」
「そうか、それは良かった。じゃあ———消えてくれないかい」
ガラス球は説明する。
“真祖”というのは、この星が直々に造り上げた月の王様の模造品。つまり“月の人”だ。
真祖が存在するだけで、それは月の王様に対して不利になる。無防備な背中を晒し続けるようなものだからだ。
「だから、君には消えてほしい。その代わり君自身を燃料として、何か一つ願いを叶えようじゃないか」
そんな言葉を発しながら、ガラス球は、その中にある一つだけの星は明滅する。
「———あぁでも、そんな大層な願いは叶えてあげられない。出来るのはせめて、少しばかりの幸運を分け与えてあげるくらいのものだ。しかも藤丸立香に対してはそれすらもできない。
彼以外の何かに対して幸福を願うなら、君のささやかな願いくらいは———砕け散った後のボクでも、何とか叶えてあげられる筈だからね」
アーキタイプ:アースは考える。
自分が消える事に否はない。元より、星というのは自分の子が大好きな存在だ。地球に人類史を与えてくれたお礼として、彼らに少しばかりの時間をあげられるというのなら……。
———あぁ、でも。藤丸立香の事は少しばかり心配だろうか。
今回の危機に対しても当然のように戦う姿勢を崩さなかった彼のためにアーキタイプ:アースは頑張って、カルデアでの記憶と経験とを持って現界した。
受肉した精霊として、アーキタイプ:アースは一方方向ではあるものの星の内海から目的地へと実体化できる。この性能を行使して彼女は、カルデアでの経験を無理矢理にでも引っ提げて彼の近くに実体化したのだ。
———まぁ、だから。私の現在地が星の内海にあるという事は『私自身は地上への実体化前に巻き戻っている』という事だけど。
でも目の前のそれが言うように『担い手である藤丸立香には何もできない』という性能を有珠に付加されているというのなら、ダメだ。
つまりまだ藤丸立香は、胸に穴が空いたままで地上にいるのだ。
もう……助からない。
それだけが、心残りだった。
「『誰かへの幸福の願いを叶える』……ですか。
…………そう、ですね。私は———」
言いかけて、アーキタイプ:アースは顔を上げて周りを見渡した。
この領域に、入ってくる何者かを感知したからだった。———いや、『何者か』などとは言うまい。この魔術の癖はよく知っている。
魔術と現代科学とを併用した虚数潜航、つまりカルデアのボーダーだ。
彼女が振り返るのと、その車両が浮上してくるのとが同時だった。
虚数空間を通って星の内海に、正確には星の内海と夢の狭間にやってきた存在は、一台の装甲トラック。アーキタイプ:アースには見覚えのある、懐かしい車両だった。
いつかのクリスマス、カルデアの契約サーヴァントたちにプレゼントを配り渡っていた———
「メリー・クリスマス……と、言うには10日も過ぎているけれど———。
うん、時間軸の管理も完璧だ。やはり輸送の安定性にかけては最優だね、僕たちは」
そして、さらに二人。
トラックの荷台から颯爽と降りてきたのは、生きている人間たちだった。
先に降りてきた、真っ赤な髪を真っ直ぐに伸ばした女性が話す。
真っ白なTシャツと真っ青なジーンズ。スニーカーのようなフォルムの革靴が地面を踏むたびに『サクッ……サクッ』と、草を踏み分けるような音がしていた。
「へぇー、やるじゃない。いざとなれば内海の外殻をブチ抜いてでも道を繋いであげようと思っていたけれど———これがカルデア、器用に停車するものねぇーー」
もう一人は真っ黒な少女。
真っ黒なワンピースに真っ黒なケープ。真っ黒なストレートボブは、歩くたび少し揺れている。
「ペーパームーンの恩恵は計り知れないわね。
———“平面の月”。本来なら三つの次元を必要とする現実空間を、情報を取りこぼす事なく二次元に落とし込む魔術礼装。その結果として、余ったもう一つの次元で虚数という概念の距離を観測することを可能にした。
———とても面白いアプローチだわ」
その3人を、アーキタイプ:アースは知っている。自分自身の経験ではなく、かつてカルデアに召喚されていた霊基が持って帰ってきた記録として。
そんな彼女の右隣に、ガラス球が移動してくる。独りでに、フワフワと。もちろんマーリンの幻影は、ちゃんと歩いているのだが。
「どうしたんだい? 貴女が解き放ったボクを、貴女が回収に来たという訳かな」
「当たらずとも遠からず、と言ったところね。ここでアーキタイプ:アースに消滅されてしまっては頭脳体の空白を招くの。それはどうしようもなく危険な状態よ。特に、この危機に際しては」
「じゃあどうするんだい。『担い手である藤丸立香以外を照らす一つ星のプロイ』。
僕に与えられた役割は、そういったものである訳だけど」
「ええ。けれどわたしが、その枠を取りはらってあげましょう。———“オンリーワン/ナンバーワン・シャイニースター”。私ではない私が造った、“願い星箱”の成れの果て。
あなたに、願いを捧げに来たの」
アーキタイプ:アースは彼女の言葉に、そっと胸を撫で下ろしていた。藤丸を殺す事によって発生する対価を、願わずにすんだという事に。
久遠寺有珠の後ろから、ネモサンタが前に出てきて、無意識に後ろに引いたアーキタイプ:アースの前を通りすぎていった。
「マスターが、トリトンサービスのプラチナカードを使ってね。それによって一時、僕たちネモシリーズは存在を証明されているんだ。
本来ならあり得ない、一夜限りの特別というヤツだね」
ネモはガラス球、“ブライトスター”の前に立った。
「僕たちは『プレゼントの仕入れ』という言い訳をして、迅速に虚数潜航を連発した。カルデアから退去する前のサーヴァント全てに会うため、そして———僕たちのカルデアに召喚された彼女たちじゃない、別人の2人を連れ出すために」
ネモはクルリと振り返り、アーキタイプ:アースに視線を合わせる。ネモは、少し笑っていた。
「———願いはあるかい? アーキタイプ:アース。どんな願いでもいい。何の制限もなく、何か一つを願えるとするなら———君は今、何を願うんだい?」
◇ ◇ ◇
「メリー・クリスマス & ハッピー・ニューイヤーだね。———おめでとう、マスター」
目の前にいるネモサンタが、両手に載せた大きなガラス球のようなものを手渡してくる。
立香が受け取ったそのガラス球はかなり沢山ひび割れていて、その内の一つは球を両断する勢いだった。
「元々は、君のベッドの枕元にあったもの。“マイディアー・ブライトスター”。
とは言えこれはもう魔術的効果は見込めない。ニュアンスとしては『壊れてしまった』と言うのが正しいのかな」
「———ありがとう、サンタさん。
確かこれは……、トランクにでも詰めてたんだっけ」
「そうなるかな? まぁでも、大変だったのは認めるよ。
———人理の狭間を往復し、生きている人々には一切気づかれないままに各サーヴァントたちと接触する。かなりの高難易度ミッションだった」
立香はブライトスターから顔を上げてネモを見た。
「でも確か……これが、オレがマスターである事の証明になる……とか、言ってなかった?」
「うん、そうだね。
これが僕たち———カルデアのサーヴァントからあげられる、最後のプレゼントだ」
立香はプレゼントを受け取った。ずっしりと重い。
でも、別に何も変わらなかった。
「……うん?」
立香がどう反応すれば良いのか分からずに棒立ちしていると、それを見たネモが「ふふっ」と笑った。
「あぁ、うん。それ自体に何か効果がある、という訳じゃなくてね。その過程で発生したもの———つまり“壊れてしまったブライトスター”が齎した変化こそが、僕たちからのプレゼントなんだ」
ネモは指で、ブライトスターのひび割れをツツっとなぞる。
「———“マイディアー・ブライトスター”。これは南極に放置された君の、トランクの中にあったものだ。それを、どこかの未来から射出されてきた蒼崎青子が確保して、久遠寺有珠に手渡した。
———そして彼女によって、その枠が外されたんだ」
ブライトスターは、マーリンから全てをもらった。文字通りの、全て。
有珠によって枷が外されたブライトスターは『担い手である藤丸立香の周りの人に幸福を与える』という性能を最大限に発揮して、マーリンの魔術を後押しした。
これによってマーリンは星の頭脳体を夢に沈めることが可能になり、アーキタイプ:アースを“星の内海と夢の狭間”に留めおく事を成功させた。
「アーキタイプ:アースが君を殺した。その事実と時間を『夢の中の出来事だった』として消し去る為に、マーリンは消滅してしまった。
“やり直し後の世界”で、マスターはマーリンに会ってないだろう? それはね、彼がもういなくなってしまったからだ」
立香はひび割れたブライトスターを見たままで、ネモの声を聞いている。
息を吸って、吐いた。
「……そうか。この世界では、第7の特異点に行ったのはレディ・アヴァロンだったって、男の方のアーサー王が言ってたんだっけ」
「マーリンの消滅の間際、彼は自分自身をブライトスターに明け渡したんだ。夢の狭間でかつての力を取り戻した“オンリーワン/ナンバーワン・シャイニースター”はマーリンの残留霊基と、僕たちが集めてきたかつてのカルデアサーヴァントたちの願いを受けて、その力を発動させた」
立香はそっと顔を上げる。
それからずっと気になっていたことを、口に出す。
自分の手にあるこれは———やはりいつかの、“オンリーワン/ナンバーワン・シャイニースター”から作り直された物のようだった。確か……あの時のプロイキッシャーの能力は『“この世で唯一”かつ“この世で一番”の願いを叶える』こと、だった筈だ。
そして、自分の手の中にあるこのプロイは今、ひび割れてしまっている。
———何となく、判る。
立香がずっと枕元に置いていたこのブライトスターは、誰かの———そして何かの願いを叶えたのだ、と。
「———ねぇ、ネモ。このプロイは、誰のどんな願いを叶えたの?」
もしも、このプロイが本来の性能を取り戻し、そして願いを叶えたというのなら、その願いは『唯一で一番の願い』だったという事だ。
ネモは少し退がって、少し考えて、そしてもう一度言葉を発した。
「シャイニースターとしての性能を解き放たれたそれは、アーキタイプ:アースの魔力をありったけ焚べられることによって———その願いを受領した」
少しだけ、彼は息を吸い込んで———
「その願いとは、あらゆるサーヴァントが異口同音に願うもの。けれど、彼女以外のサーヴァントは誰一人その時空には存在せず。また僕たちは、あの世界から切り離された存在となっていた。
カルデアに所属する全てのサーヴァントが『この願いは自分一人だけが望んでいるものではない』と知っていたから、それをボクたちに託してくれた」
ネモサンタに協力しない事で、彼ら彼女らは藤丸立香への想いを語ったのだ。
「だから、“それ”を願う存在は———あの世界ではあの瞬間、彼女ただ一人になっていた」
『世界で一番頑張った人が、世界で一番報われますように』
———されどシャイニースターは、所有者である藤丸立香にではなく、『彼の周りにいる彼の大切な人に幸運を与えるお守り』として造り治されていた。
よってその力は決して藤丸立香に及ぶことはなく、その周りにのみ作用する。
そんな制限を課されたシャイニースターが、マーリンという残留霊基を使って自分の能力をブーストしたのは、偏にアーキタイプ:アースの願いを叶えるためだった。
———そこまでして、ようやく。彼女の願いは実を結ぶ———
ネモは立香から少し離れて、大きく両腕を広げてみせた。
「マスターを襲った“世界のやり直し”。その原理はマーリンの夢の魔術と同じものだ。
マーリンから受け継いだ“残留霊基”を最大限に利用して、シャイニースターはアーキタイプ:アースをもう一度夢に沈めたんだよ。『今まで地球が体験したもの、藤丸立香との思い出は、地球が見ていた夢だった』のだと。そうやって、この星はもう一度目を覚ましたのさ」
ネモが、広げた両手をグッと握る。
「この星が目覚めたのは『はじめから』。
———僕たちの冒険、その全てのはじまり。特異点Fにレイシフトする前のカルデア。
そこで『ブライトスターとしての特性が故に、唯一照らされる事のない存在』———つまり君が、目覚めた」
立香は、ネモの言葉を正面から受け取って、目を閉じた。
「オレの命を、救ってくれたのか……。ありがとう。その為にこんな事まで……」
「何か勘違いしているようだけど……。“君の命を救う事”は、今回のプレゼントには含まれていないよ。
僕たち、カルデアに所属する全ての存在にとって、君の命を救うだなんてのは当たり前だ。そんなのはプレゼントのうちに入らない。
———そうじゃなくてね」
ネモは立香に近づいて、その手の中にあるひび割れたブライトスターをそっと触った。
「この、全ての能力を使用可能になった“願い星箱”が、最後まで“マイディアー・ブライトスター”としての特性を手放さなかったのは何故だと思う?」
その、一番大きなひび割れを、指でなぞる。
「……もちろん、最後まで君のプロイとして在りたかった、というのもあるんだろうけど……。それでもブライトスターとしての特性に拘ったのは———きっと、君に笑ってほしかったからだと思うんだ。
だってほら、“今この地球に生きている命”を思い浮かべてごらん?
———ねぇマスター。今、誰が生きてるんだい?」
———生きているもの、生きているもの。
立香は、ふと振り返る。ちょっと遠くにある、大きな戦艦を見る。
———あぁそう言えば、レフ・ライノールの爆弾で死ぬ筈だったたくさんのカルデア職員たちが、あそこにはいるんだっけ。
オプリチニキたちに殺された、ダストンやオルビアたちも……生きてるんだっけ。
Aチームは健在で、マシュも生きてる。
そして立香は、自分の服の裾に目をやった。モルガンがその裾を、そっと摘んでいたからだ。
———そうだモルガン。妖精國では悲惨に殺されたモルガンも、こうして元気にここにいるし、罪を償った妖精たちだって、ちゃんとツングースカに避難している。
異聞帯の人たちも無事だ。
ロシアのヤガたち、北欧の集落の人たち、中国の皇帝と民のみんな、インドの……、オリュンポスの、ミクトランのディノスたちも。
「…………そうだ、みんな生きてる」
立香は裾をつまむモルガンの顔を見て、詰め寄って———
「みんな———みんな生きてるんだよッ! モルガン!
助けられなかった人、オレが殺した人!
全員ではないけど……それでもね、モルガン。みんな、生きてるんだ」
「そうですね、我が夫。
———とても、素晴らしいプレゼントを貰いましたね」
モルガンが、ネモに顔を向けた。
「キャプテン・ネモ、素晴らしい配送でした。
貴方と会うのはこれで二度目、そして最後になるでしょうけど———ここに最大限の感謝を。
ありがとうございます、ネモ」
「畏まらなくていいよモルガン。僕たちが渡したくて渡したものだ。
願い星箱の頑張りをもってしても、ここまでが限界だったし」
ネモはモルガンの胸で泣く藤丸を見て、そっと笑っている。
「僕たちはここで消える。冒険の記録は夢としてなかった事になる。だから後はお願いね。
———夢を越えた、サーヴァントたち」
ネモシリーズはみな揃って敬礼して———そして静かに、消えていった。