チョコラータが物心ついた時には、彼は自分は底辺にいると気付いた。
金や身分とかでは無い、根本的なツキのなさ。どれほど強く願っても、生命を賭けて望んでも、変えられない現実があるとチョコラータは成長するにつれてそれを確信していった。人の死、すれ違う想い、叶わない夢、悪への道。チョコラータが血反吐を吐く思いで媚び諂いと偽善を身につけようとも、チョコラータは『悪』へ進んだ。上辺だけで外道を叫ぶ人間にチョコラータの苦しみはわからないだろう。
傷つけば傷つくほど人は優しくなれる、なんて言葉は嘘っぱちだ。少なくともチョコラータは傷つけられれば傷つけられただけ、あるいはそれ以上に、相手を傷つけ返したくなる。優しさとは共感だ。上にいる連中の『当然』に塗れた甘い言葉を、チョコラータが鵜呑みにする価値などなかった。
『チョコラータ。お前の努力は『正しい』。理不尽に怒り、人生に苦しみ、糧として打破するならば、どれほどの悪行も俺は肯定しよう。トロッコのレールで一人が助かる為に五人を生贄にする行為は、決して悪にはしてはいけない。
だから、好き勝手に生きる為にチョコラータは少しだけ『悪』を信じてみようと必死を選んだのだ。
「ゴールド・エクスペリエンス!!」
最短でチョコラータに拳を向けたのはジョルノだった。最も素早く、場慣れした拳をグリーン・ディで受け止めれば、手から伝わる感触が異常加速したことが分かった。感覚暴走の切り札は確かに驚異だったが、生憎チョコラータには
「数十倍の感覚暴走を…受けてなお…ッ!?」
「こちとらお前らより数千倍は身体張ってんだよォーー!!吸血鬼の肉体の劣化再現くらいィィィ!!
速度の上がったチョコラータ自身とスタンドを合わせてのラッシュにジョルノは対応が遅れた。チョコラータの左手の振り下ろしにより、ジョルノの右鎖骨と上腕骨が粉砕された。トリッシュもミドラーの捨て身の噛みつきにより左手をちぎり食われる。ミドラーの腹部は伽藍堂の穴となっていたが、ミドラーの挙動に一切の支障は無い。本当の意味で化け物と戦うことがなかった彼らは、強引な力にアドバンテージを奪いとられた。
「
吹き飛ばされたジョルノ達をミドラーのスタンドが捕食する。距離は近距離で、大きさはジョルノ達を包む程度に、粉々に歯が砕けようとも再生能力と剛力で怒りのままに。
「
掘削機のような轟音が地面から鳴り響く。ミドラーはスタンド自体を鋼鉄化しながら確実に執念深く咀嚼を行なった。ダメージフィードバックで切断された舌を吐き出しながら、ミドラーはチョコラータに手話で確認した。
『骨 感触 無し カビ 追加 ?』
「一応頭だけはしておくか。奴らも人間だ。肉体は兎も角脳髄だけで復活する余地は否定できない」
グリーン・ディによる特濃カビを拵えながらチョコラータは答えた。人類の可能性はチョコラータ自身がその身で体感している。テロメアを鼻で笑う再生能力にオリンピック選手を凌駕する剛力。日光のデメリットを受け入れない中途半端な施術でこの有り様だ。
チョコラータはケンゾーのエンバーミングを軽く行い、彼の宗教に従って遺体を整えた。不信心なチョコラータ故に祈ることはしない。ケンゾーの右手から作り上げた即死レベルのカビ毒を右手に構えながら、チョコラータはミドラーに頷いて。
そして、コロッセオに安らかな光が降り注いだ。
「「!?」」
春の木漏れ日のような光だった。チョコラータ達の全身を洗い清めるような安らぎが身体に満ちた。毒対策に強制的に覚醒を続ける筈の頭がチョコラータへ安眠を誘惑する。『矢』のパワーだとチョコラータは本能的に理解した。セッコ達が落ちた方角の更に遠くの建物の上から輝く黒い太陽はチョコラータ達が仮想敵として狙っていたディアボロ達の場所だった。
ディアボロが求めていた『力』の出現。その余波に巻き込まれるチョコラータ達の戦いは強制終了される。チョコラータの口から異音が鳴った。食い縛ることにより奥歯が粉砕された音だった。チョコラータが憎む『正義』が下す幸運の沙汰に魂の奥底が震え出した。血の涙を流したチョコラータに、眠気などカケラも入る余地はなかった。
「巫山戯るな!!私達は勝った!こんなくだらない横槍で私達の権利を奪われてたまるか!」
「…吐き出すわよチョコラータ!!」
ミドラーの
「ゴールド・エクスペリエンス!!」
ミドラーとチョコラータが驚くよりも先にジョルノのスタンドがミドラーの顔面に拳を頂戴した。その拳から産み出した生命はカビだった。ジョルノが仲間であるフーゴのスタンド能力に対して作り上げたワクチンを元にした殺人カビだった。カビはミドラーが吸血鬼の肉体を活用して反撃を繰り出す前にその頭部を分解し、続けざまに放たれたトリッシュの一撃で脳を粉砕された。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!」
足元から来たラッシュをチョコラータはスタンドで防いだ。スタンドの足が殺人カビにより崩壊し、チョコラータの右脚が不恰好にふらついた。
「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄!!」
左脚と右肺が粉となり砕け散る。チョコラータの上半身は勢いで空中に浮かび上がった。バラバラとなった下半身はジョルノが踏み台として乗り上げたが、その脚は凍りついてジョルノを地べたへ引き摺り下ろした。
「舐めてんじゃねぇぞクソガキャァ!!」
チョコラータのカビは擬似的な神経として分離した肉体すら操作できる。血液操作による体温の吸収によりジョルノの片足をもぎ取った下半身が骨の刃でジョルノの心臓を狙う。トリッシュがそれを咄嗟に防いだ時には、チョコラータの肋骨の散弾が彼女の全身に突き刺さっていた。
「WRYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYYY!!」
気絶するトリッシュを他所にジョルノは全身全霊でチョコラータに拳を振るった。上半身の全てに拳をへこませたチョコラータがひっくり返って頭頂部から落下する。ぜいぜいと息を荒げたジョルノはトリッシュに触りながら、その肉体を睨んだ。
「ハァーッ、ハァ、ハァ…僕は…ゲホッ…お前に、近寄らない」
どう見てもボロ雑巾以下の肉体もどきに対してジョルノは宣言した。
「お前の…スタンド能力…生命維持の為にカビを作り出しても、殺人カビはお前だけを蝕む。
「…………チッ」
切断された胸元から上の身体を動かしてチョコラータはずりずりとミドラーの死体へ這い寄った。彼は髪を一房ちぎり取ると、それをバラバラにしてミドラーの右手を合わせて崩壊した顔面に何かをした。チョコラータの左腕が粉々に散り、ジョルノの視界へミドラーが映り込む。如何なる技術か、その顔は傷一つ見当たらない美しい容貌だった。
「…何故、ここまでできる」
治療を済ませたジョルノがふらふらと立ち上がった。気絶したトリッシュを背に向ける彼は、年相応の若さが浮かんでいた。
「未来やら運命やら、絶望を避けたい理由は分かる。だが、それに無関係な人々を死に追いやるのは間違っているはずだ。十年だ、純粋に生贄を求めるなら幾らでも時間はかけられる。良心も、道徳も、アンタなら利益と効率から考えても、あからさまに性急すぎる」
チョコラータは興が削がれた顔でジョルノを見た。余命僅かな患者に対してオリンピック選手の行き先を尋ねるような嫌味垂らした問いだった。チョコラータは底辺であり、ディアボロも底辺である。この光の存在はディアボロをまともに見ることが出来ていない。
「お前が歴史ドラマを観たとして、殺した奴が実物の役者で、殺された奴がヒトラーを演じたとして、
「ディアボロが悪いとでも?」
「
チョコラータは皮肉げに笑った。光の住民らしい、甘ったれた責任感だと心底思った。ディアボロは悪人に対してカリスマは無い。恩を感じ取れる…理解できない人間には忠誠を知ることは出来ない。ディアボロは本質的に正しい道を歩む性格なのだ。能力が強くとも悪を理解することを困難に感じている。
「『チョコラータ』は
のそりと緩慢な動きでチョコラータはうつ伏せに転がった。動かない背骨が反射的に痙攣する。千切れて別れている右脚が勝手に動いてジョルノのカビにより崩壊した。
「逆さ枝。交差枝。平行枝。とび枝。ふところ枝。幹吹き枝。ひこばえ。剪定された理由は数知れない。私は『不幸』でお前は『幸運』だった。
核心を突かれた顔をしたジョルノにチョコラータは呆れたため息を吐いた。チョコラータが外道の言葉を吐き連ねると思い込んでいた顔だった。
「見たかったなぁ〜上からの景色を。『勝ち続ける』人生は素晴らしい人格を備えているんだろうなぁ〜。宝くじに当たった人生は幸福だろう?」
「思っても無いくせによく騙る。絶望の表情を見ることが至上のお前が、勝者の何を目指せるんだ」
ジョルノの否定は細々とした声だった。
「
チョコラータの指摘にジョルノは完全に動きを止めた。あからさまにできた隙にチョコラータは手出しをしなかった。げらげらと笑い転げた彼には敗者に追撃する悪趣味は無かった。チョコラータ役の名も無き彼はチョコラータを超えた。ジョルノ・ジョバァーナは流されるままに『チョコラータ』を敵視して殺しにかかった。
「ひっー!ひゃっひゃー!ばか、馬鹿馬鹿しい!ジョルノ!おまえは私が下衆の悪党だから殺せたのか!善人でも殺したのか!ディアボロがお前を毛嫌いするわけだ!」
胴体が崩れ落ち始めたチョコラータは手に持ったメスを放り捨てた。衝撃で手首が転がる様を傍目に、チョコラータは冷めた目でジョルノを見据えた。
「負け組には与えられ無いはずのチャンスを…見逃して『当然』と言う奴が…『悪』を罰する権利を…語るとは…なんて酷い野…」
チョコラータは言い切れずに灰となった。その灰に膝をついたジョルノはかろうじて手を前に出して灰に塗れることを阻止した。触れるには失礼だと、何となく実感したからだ。スタンドによってアスファルトが剥げて剥き出しとなった地面の匂いを嗅ぎながら、ジョルノはチョコラータを真似て舌打ちをした。
「殺人鬼が好き勝手に…言いやがる…最期まで…厄介な…敵…だ…ったな」
ジョルノは一瞬だけ目を煌めかせ、気絶した二人を見て崩れ落ちるように眠りについた。チョコラータの灰の中にあったカビは消え去り、風に流されてどことも知れない空へ掻き消えた。
その行き先は、誰も知ることはなかった。