金田少年の生徒会日誌   作:珍明

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先ずは水崎 丈次の視点です
誤字報告により、修正しました。ありがとうございます


30休 幽霊客船を流刑船と呼ぶならば・後編

 水崎(みずさき) 丈次(じょうじ)は栄えある二等航海士。

 船の舵を握り、青空に反射した海を突き進む。

 雲の動き、漂流物、波しぶき、それらの微かな変化に緊張していた頃が懐かしい。若輩の身ながら、幾度となく目にした美しき光景もこの航海を以て、終わり。

 最後故、一心不乱に舵を握りしめる。

 鷹守(たかもり)船長は中村(なかむら)刑事に拘束され、若王子(わかおうじ)航海士は無線室、加納(かのう)航海士は病の眠りから覚めない。

 今、全責任が自分にかかっている。重責の中で起こる高揚感は船長の特権に似ていた。

 ノックの音に振り返らず、返事をする。

 こんな時、操舵室へ来るのは恋人の香取 洋子(かとり ようこ)だ。

 

「――来ちゃった♪ ――」

「ああ、構わないよ。洋子」

 

 開いたドアから聞こえた雰囲気は間違いなく、愛しい洋子。足音と気配が真後ろに迫り、心が和らぐ。

 

「――あたし、アナタに聞きたい事があるの――」

「なんだい?」

 

 言いたい事なら、丈次にある。

 プロポーズだ。船乗りを辞する事、結婚して家庭を築きたい想いをちゃんと伝えよう。

 

「――にいみさんに家族がいるって、知ってた? ――」

「!?」

 

 その問いに背筋が凍り付き、丈次は勢いよく振り返った。

 洋子はいない。

 代わりに立っていたのは少年、金田(かねだ) (いち)

 

「香取さんだと思いましたか? 残念、自分でした」

 

 悪戯が成功したように金田は笑う。彼だとわかり、更に混乱が増す。

 まず、声が違う。いくら背を向けていようとも、洋子と間違えるなど有り得ない。足の運びや口調は彼女そのものだった。

 

「……金田様、操舵室はお客様の立ち入りをご遠慮頂いております」

 

 驚きながらも、言い慣れた定型文がツラツラと舌に乗る。

 ここにいる疑問よりも、ついに(・・・)現れた納得が勝っていると感じた。

 

「良いですよ、ここでなくても。金田 にいみとの間に何があったか、皆さんにも聞いてもらいたいなら」

「……お気遣い、ありがとうございます」

 

 スッと金田から笑顔が消えた。

 乗客ではなく、金田(かねだ) にいみの息子としての顔だろう。人相は似ていないが、丈次は名前を聞いた瞬間に彼女の家族だとすぐに分かった。

 『幽霊船長』からの手紙が鷹守船長に届き、相次いで「金田」姓の乗客が現れるなど、偶然のはずはない。

 

「水崎さん、自分に伝えたい事がありますか?」

「……金田様、アナタ達親子が『幽霊船長』ですね。手紙や写真も、アナタが用意した。鷹守船長、若王子航海士、加納航海士を追い詰め……3年前の真相を自ら暴露させる為に」

 

 丈次は速度を調整し、舵から手を離す。

 抱えていた疑念をブチ撒けたが、金田の表情は微動だにせず、何も恥じる必要はないと物語っていた。

 

「……その言い方ですと、貴方も共犯ですか……。3年前の隠蔽工作に……」

「……私が全てを知った時、裁判も何もかも終わっていました。鷹守船長と若王子さんが加納君を買収したと知っても……何もせず、口を閉ざしたんですから、共犯である事に変わりありません」

 

 金田の三眼目、丈次の心の奥底を見透かしているように感じられた。

 3年前の海難事故、本当の責任はオリエンタル号側にある。それを竜王丸側・唯一の生存者たる加納を買収し、船長だった鹿島 伸吾(かしま しんご)の飲酒による粗末な運航が原因と、残酷にして横暴な嘘を裁判で証言させたのだ。

 

「……何故、知ったのですか?」

「……オリエンタル号に、乗っていた(・・・・・)からです。あの事故の原因は、私なんです」

 

 あの日、丈次は補充人員としてオリエンタル号へ乗船し、監視台を任された。

 鷹守船長に言われるまま、持ち場を離れた。

 同じ時間、若王子航海士も自動操縦に切り替え、取り巻きと一緒に操舵室を無人にした。

 その事実を知る者は自分達以外、全員……もうこの世にいない。

 

「死人に口なし、ですか」

 

 金田の口調に軽蔑を感じ、反論の余地はない。

 世間は上手く誤魔化せたが、鷹守船長と若王子航海士はエリートコースから外れた。元々、2人の派閥争いに東亜オリエント海運の上層部は嫌気が差していた。

 そこへ来ての悲惨な海難事故。

 厄介払いとして子会社に飛ばされる際、鷹守船長は丈次も出向へついて来るように命じた。

 唯々諾々と受け入れたのは、罪滅ぼしの為ではない。船に乗れるなら、どの会社でも良かった。

 そこまで事情を語り、金田は静かに口開く。

 

「母はどうして、加納の偽証に気付いたのですか?」

「……金の動きです。加納君は会社からも相応の責任を取らされたにも関わらず、裁判の後……株に投資していました。その資金の出処を探って……鷹守船長達へ辿り着いたんです」

「わざわざ、水崎さんが母とお会いに?」

「……元同僚に相談されました。その方も事故の当事者で、すぐに会社を辞めてしまいましたが……鷹守船長の周囲を調べている人がいる……関わりたくないから、どうにかしてくれと」

 

 事故を生き延びた乗組員の多くは後遺症のトラウマに苦しみ、会社を辞した。

 裁判の結果に疑問を抱く者はいたが、自らのケアに専念する道を選んだのだ。それを丈次は責めない。彼らの当然の権利だ。

 

「最初、私はやめてもらう様に頼みました」

 

 丈次の心は、あの日へ引き戻された。

 にいみと向き合った記憶は波のように、押し寄せる。

 

「今更、蒸し返さないで欲しい。乗客、乗組員の遺族には充分な補償をされた。誰も得をしない」

 

 自分が口にした言葉が録音されたテープが如く、脳内で再生される。

 

「……愛する人を亡くした悲しみが……金に(・・)変えられるのですか? 初めて知りました」

 

 そして今、金田の声が重なる。

 感情の抜けた物言い、にいみと別れ際に交わした言葉と寸分違わぬ響き。

 声の温度、言葉の間、全く同じだ。

 丈次は背筋が凍り付き、唾を飲み込む。時間の経過で忘れた過去が今、この瞬間に蘇ったのだ。

 

「母が加納と会っていたか、分かりますか?」

「恐らく。……加納君には裏金と同等の金額を払って、証言を撤回してもらうと」

 

 一度は金で船の仲間を売ったのなら、再び金で共犯者を売る。加納は迷わないだろう。悍ましい真実が明るみになる時は、迫っていた。

 

「だから……貴方は母の写真を撮り、送り付けたのですね」

「はい、ポストに入れました。口封じのつもりだったんです。それ以上、探るなら次があると……」

 

 我ながら、大胆な行動だった。

 にいみの住まいを探し出し、ベランダに干された洗濯物に家族の存在を推測。マンションの階段から下りてくる姿を見かけ、カメラに収めた。

 丈次は祈る気持ちで、ポストへ投函した。指先が投函口に触れてしまった感覚を今でも、思い返せる。

 

「正確な日付を言えますか?」

「……2月20日です」

 

 奇しくも、裁判後に鷹守船長と若王子航海士へ出向の辞令が下ったのと同じ日付。

 審判が下ったと言ってもいい。

 幽霊客船と呼ばれるコバルトマリン号に加納まで乗船し、丈次は決して罪から逃れられないと知った。

 

「では、それを警察に話し、保護を求めてください。『地獄の傀儡師』が母を探しているのは本当です。彼はいずれ、貴方にも辿り着くでしょう」

!? 金田様、私はアナタのお母さんを……」

 

 金田の声が降り注ぎ、顔を上げる。そこで、丈次は自らが床に這いつくばっている姿勢に気付く。無自覚に膝が床へ触れていた。

 

「金田 にいみは貴方の敵です。貴方は敵の目的を妨害した……ただ、それだけです」

「……敵」

 

 言い得て妙だった。

 

「今度はアナタが敵だと?」

「いいえ。貴方は……ずっと、気付かせようとしてくれたじゃありませんか。部屋へ案内してくれた時も、写真を拾ってくれた時も……頃合いを見て、真相を伝えようとしてくれたのです。そんな水崎さんが、自分の敵であるはずはありません」

 

 敵ではない(・・・・・)。その言い回しは突き放されたような、冷たさがある。もっと言うならば、荒れ狂う吹雪のように他者を拒んでいた。

 

「水崎さん、どうか……時原さんと話してください。彼女はオリエンタル号の生存者です」

「!? どうして、アナタがそれを……」

「新聞でお名前を拝見しました。船長は覚えていたと思いますよ。だから、時原さんが『幽霊船長』だと誤解した(・・・・)のです」

「……ああ……」

 

 知らなかった。気付かなかった。

 生存者も死亡者、行方不明者、それが載っている記事に目を通した事は一度もない。そんな我が身に愕然とした。

 

「時原さんがあの事故で何を失い、保険金でそれが癒えたのか、貴方は知らなければならないのです」

「……はい」

 

 金田は踵を返し、ドアを通ろうとする様子はさながら、退席する裁判長だ。告げられた判決に丈次は立ち上がり、深く頭を垂れた。

 

「丈次さん……」

「洋子……」

 

 入れ違いに現れた洋子の唇は震え、目は見開かれていた。話を聞かれてしまい、胃が竦む。軽蔑か、怒りか、彼女の表情は読み取れない。

 しばらく見つめ合った後、洋子は普段通りの天真爛漫さを見せる。

 一歩、丈次へ近付いた。

 

あたしなの……」

 

 表情とは裏腹に声は掠れている。首を傾げる丈次に構わず、洋子は続けた。

 

「あたしが……『幽霊船長』よ」

!!

 

 紡がれた告白に丈次の心臓は大きく跳ねる。

 『幽霊船長』に至るまでの経緯、その動機――。

 洋子の隠された過去を知り、丈次は自分の愚かさに絶望するのであった。

 

〇●……――操舵室の外は潮の匂いが濃く、船の揺れや軋む音が一層、際立った。

 (いち)は半ば開いたドアへもたれ、香取の告白に耳を傾ける。波音も重なった騒々しさの中、彼女の声は不思議とよく通った。

 

「あたしは竜王丸の船長だった鹿島 伸吾の娘よ」

 

 恋人へ父親を紹介するような口振りで、明かされた衝撃の人間関係。

 『香取』は亡き母親の旧姓。

 海難事故の首謀者と汚名を着せられ、父子で暮らしていた家屋は誹謗中傷を浴び、語るのも惨い仕打ちを受けた。

 住み慣れた家を離れ、母方の親戚からの僅かな援助で古びたアパートへ放り込まれた。誰も守ってくれない独りの時間、いつ、加害者の家族と非難されるか、戦々恐々とした日々。

 そこへ、にいみは現れた。

 鹿島船長の遺品とも言える航海日誌を持って――。

 

「にいみさん、探偵を雇ってまで……あたしの居場所を突き止めたのよ」

 

 香取は運命の出会いを語るように、声を弾ませた。

 

「あたし……咄嗟に返してって、掴みかかって……泣いたわ。ちゃんと泣ける場所へ行こうって、わざわざ温泉へ連れて行ってくれたわ。とっても、温かかった……」

 

 涙が落ち着いた後。航海日誌、鹿島船長の真実の叫びを読んだ。

 にいみが言うには発見当初はスーツケースに入れられ、ビニール袋で厳重に保管されていた。彼は何があろうと日誌だけは守り抜こうとした。そうやって、香取の心へ訴えかけた。

 そんな事を言わずとも、文章に書かれた想いは汲み取れた。赤の他人にズケズケと踏み込まれ、香取は反発したそうだ。

 

〝貴様からの連絡を待つ〟

 

 その日は裏書きしたルポライターの名刺を渡され、別れた。

 真相を知らない親族の非難に満ちた眼差し、荒れ果てた我が家の悲惨さ。

 向ける相手が違う理不尽さにやがて、香取の心は憎悪で荒立った。

 

 ――利用してやる

 

 そんな意味で頼れば、加納達の金の流れを記録した書類、オリエンタル号の破損状況、裁判の証言との矛盾点を指摘した文書、重要な証人の当て、次々と用意していく。

 香取の私生活も援助し、高校にも行かせてくれた。

 いくら、航海日誌を持っていたとは言え、両親の親戚からも見放されたと人間を何故、助けようとするのだろうか?

 一度だけ、問うた。

 

〝貴様らが、安心して暮らす為だ〟

 

 その一言に憐みなんて、情けなんて、微塵もなかった。香取はやっと心から、にいみを信頼した。

 全ては順調に見えた。

 

「でも、にいみさんは……いなくなった。あの写真を残して……」

 

 途端に道標を失い、失望していた香取へ例の写真が届けられた。彼女の住まいのポストへ投函されていたそうだ。

 

「あたしは確信したわ。あいつらが……にいみさんを口封じに何かしたって、手に入れた情報を新聞社に売る事なんて……いつだって出来る。彼女の居場所を聞き出さなきゃって、この会社に就職したの。あいつらは、あたしの顔を知らなかったしね」

 

 驚きはしたが、(いち)は納得した。

 竜二の言う通り、香取は高遠と似ている(・・・・)

 やり方は違うが、親を事故死させられた。その真相を探る為に、仇の懐へ潜り込んだ。

 同僚として、愛想を振り、相手の顔色を窺う日々。その孤独に耐えながら、誰にも本心を明かせず、笑顔の裏で爪を研ぎ続ける。

 まるで罪に対する罰のような拷問だ。

 にいみがいなくなった為、香取はそれを選ばざるを得なかった。(いち)は胸が痛んだ。

 

「この船が廃船になったら、あいつらはバラバラに他の船へ配属されるでしょう? 本当の事を知る最後のチャンスだと思ったの。写真は効果覿面だったなあ、加納の顔……丈次さんにも見せたかった。クスクス」

洋子……私は……

 

 あまりにも、香取が穏やかに話す為、恋人達の睦言と誤解しかけた。

 ずっと黙っていた水崎二等航海士の震え上がった声により、これは裁きの瞬間だと理解した。

 

「水崎さん、あたしはアナタを利用した。この船に乗る為、アナタの恋人になった……それだけよ(・・・・・)

 

 その声に先程までの甘く暖かな温度はなく、海の底に沈められたような重さがあった。

 主演・香取 洋子の舞台は終わり、幕を下ろす。

 観客と化していた(いち)は拍手やアンコールをせず、静かにその場を離れた。

 直後、操舵室から床に何かが崩れ落ちる音がしたが、振り返らない。

 その鈍い音、水崎二等航海士の足がもつれたか、それに足る何かだろう。彼は事故の責任、遺族の悲しみもオリエンタル号側の視点でしか、見ていなかった。

 竜王丸側は加納だけを意識し、鹿島船長に娘がいたなど、想像すらしていなかったのだ。

 

(……時原さんと話せっかな、水崎さん……)

 

 愛する人を亡くした悲しみが、金で癒える(・・・・・)

 そんなお目出度い思考に現実を叩きつけたくて、(いち)は2人の対面を望んだ。

 彼は愛した人の素性にショックを受け過ぎて、それは叶わない気がした。

 

 ベストシーズン真っ盛りの八丈島。

 観光客で賑わう島へ予定外のコバルトマリン号が入港、乗客は皆ひと安心。香取の船内放送に従い、通路へ出た。

 タラップの設置された階には八丈島警察署の警官が数名、控える。乗客の下船を見守る為だ。防弾チョッキこそ報道で見慣れたものの、特殊警棒は緊迫感を漂わせる。

 予想よりも大事にされ、(いち)は冷や汗でビッショビショ。

 

「うわ~、映画みたい……」

「これはこれで良い資料に……」

「こらっ、勝手に写真を撮るなっ。そこのビデオ小僧も下ろせ!」

「中村さん、刑事だったんですね~。人は見かけに寄らないなあ」

 

 美里(みさと)鷹杉(たかすぎ)は緊張を飛び越え、ハイテンション。身分を明かした中村刑事がカメラやビデオの撮影を厳しく注意し、竜二(りゅうじ)は全く物怖じしない。

 

「……大丈夫。心配しなさんな、優。万事、上手く行くさっ」

「うん……絶対、電話するから」

 

 自分達と離れた場所にて、大槻(おおつき)飯島(いいじま)は名残惜しそうに肩を寄せ合っていた。

 

「あの2人、生き別れた家族だったんです。大槻さんと、疎遠だった娘さんの娘さんが、飯島さんです」

「……そんな偶然、ありますか?」

 

 竜二のあっけらかんとした説明に驚き、(いち)は改めて再会した祖父と孫娘を見やる。

 

「あれ、船長……なんで先に降ろされてんだ?」

「連行されている様にも、見えますね」

 

 岡持(おかもち)白神(しらがみ)の声に興味を示し、乗客どころか、船員まで港を見下ろす。鷹守船長がパトカーへ押し込められる様子を目撃した。

 タラップの下りた先には若王子一等航海士が立ち、静かにそれを見届けていた。

 1台のパトカーが去った後、雪峯(ゆきみね)刑事に付き添われた時原(ときはら)が通される。被害を訴える彼女の下船が優先だ。

 水崎二等航海士は間に合わなかったが、仕方ない。

 

「時原さん。ちゃんと見た事、警察に全部言うのよ」

「そうだよ。黙っててもな~んにも、伝わらないから」

「……ありがとう」

 

 美里と飯島に励まされ、時原(ときはら)は力なく微笑む。慎重にタラップを下り、若王子一等航海士の前を通り過ぎようとした。

 

「若王子っ」

 

 わざと足を止め、時原は若王子を呼ぶ。その声は波音とカモメの鳴き声を突き破る程、鋭い。気弱な女性の面影はなく、今にも彼を刺す勢いだった。

 

「3年前、アナタは私と夫を……見捨てて、先に逃げた。私はその事を絶対に忘れないわ!

「……っ」

 

 海の風に乗り、人々の耳を打った。

 若王子一等航海士の心にも(・・・)、間違いなく届いた。微かに呻き、彼は時原をじっと見つめた。その視線は初対面の相手に向ける眼差し。

 深く息を吐いて、肩の力を抜いた若王子一等航海士は静かに船員帽を外し、白い制服も脱ぎ捨てた。

 時原の動揺に構わず、若王子は3年の重みを抱え、静かに頭を下げた。その沈黙には、逃げずに罪と向き合う決意が重く、確実に宿っていた。

 カモメの鳴き声すら止み、誰も目を逸らせない。

 

「……ううっ」

 

 時原の涙が頬を伝った。

 

「……行きましょう」

 

 涙する時原は雪峯刑事の肩へ身を預け、パトカーへ乗り込んだ。

 (いち)達も順番にタラップを下りる。若王子は乗客が下船するまでの間、決して頭を上げなかった。

 彼はようやく乗船する(・・・・)

 贖罪の航海に、終わりはない。怒りと憎しみの荒波に翻弄され、海の藻屑と消えるかもしれない。それでも、若王子は自ら舵を取るだろう。それを乗り越えてこそ、航海士なのだから。

 

「中村さ~ん、俺達ってどうなんの?」

「父島へ行かねえなら、東京に帰りたいんだけど」

「ツアー中止に決まっとるだろ。東太平洋汽船から対応待ちだ。これから署へ行って、順番に事情聴取していく。全員、指示があるまで勝手に出歩かないように」

「いや、ちょっと! 私はコバルトマリン号で帰ります。現場検証? 知りませんよ、そんなの!」

 

 大沢(おおさわ)吉田(よしだ)に問われ、中村刑事は至極まっとうな指示をする。赤井(あかい)だけが抗議し、(いち)達は従順に用意されたバスへ乗り込んだ。

 

「島の警察署に行けるなんて、桜樹先輩に自慢できるね♪」

「まさか、幽霊騒ぎで警察がここまで動くとはなあ」

「全く……珍しいですね」

 

 鷹杉と岡持の会話に同意した白神の視線が煩く、(いち)は車窓の向こう側を眺めた。

 

 八丈島警察署には明智(あけち)警視が待ち構え、(いち)だけ皆と別室に連行される。竜二に助けを求めるが、無情にも見送られた。

 

「やってくれましたね、金田君。まさか、高遠を使うとは……」

「……ナンノコトデショウ」

 

 明智警視のキラキラをより一層、眩しくさせる。『幽霊船長』からの手紙を机へ置き、嫌味ったらしく小突かれる。高遠の筆跡ではないと、言いたげだ。

 (いち)は顔を背け、緊張を解そうと咳払い。まず、嘘の通報ではないと順を追って説明した。

 勿論、香取の素性や鹿島船長の航海日誌についても、話さねばならなかった。

 

「香取 洋子、加納 達夫、水崎 丈次、この3名は失踪前のお母様に会っていると……眠っている加納の証言は取れていないんですね。こちらからいくつか、質問が……」

ひえ、洗い浚い喋りましたよ」

 

 1時間も喋り通し、喉はカラカラ。明智警視は遠慮なし。

 

「お母様が香取 洋子へ写真を託した意味はなんでしょう?」

「……恐らくですが、警告です。母は……加納に脅されていると確信がありました。香取さんに無茶をさせない為、釘を刺したのだと思います」

「手紙の筆跡、お母様に間違いですか?」

「……今は疑問を抱いています。香取さんが母の筆跡を真似て書いたと言われたなら、納得します」

 

 香取は手紙の話をしなかった。まだ語っていないだけか、それとも彼女自身が書いたのか、自供は明智警視の腕にかかっている。

 

「お母様がこの件に関わろうとした理由……心当たりはありますか?」

「……小林さんです。明智さん、覚えていますか? 画家の小林 星二です。あの人もオリエンタル号の生存者なのです。事故以来、小林さんは水恐怖症に陥りました。今でも、水辺に近寄れません」

「あの方も……。金田君はお母様が何らかの形で航海日誌を手にし、真実を知って……放って置けなかったと言うんですね」

「はい、母は鷹守達の所業を許せなかったのだと思います。だから、香取さんを助けたかったのです。自分なら、そうします

 

 多くの人を死へ導いたオリエンタル号。

 乗組員も多大なる犠牲を払ったが、それは彼らの捩じれた人間関係による人災だ。巻き込まれた竜王丸側には何の罪もない。

 正直、事故の真相を知り、腸が煮えくり返る。

 竜二達の前では抑えていた感情が全身を駆け巡り、(いち)の首筋は火花が如く熱い。

 

「分かりました。今日はもう下がってよろしい。後日、またお話を聞かせて頂きます」

「……え? これ以上、明智さんに話す事はありませんが……」

 

 肩を優しく叩かれた後、(いち)は我に返る。正直になり過ぎたのか、明智警視に目を丸くされた。

 

「金田君、加納の供述次第では……お母様の失踪も捜査対象です。ご家族の方にも改めて、詳しいお話を伺います」

げえ!?

 

 当たり前だった。

 公正な裁判にて、口裏を合わせた偽証罪。その関係者たる加納と会った後に失踪、完全に事件発生である。(いち)の予想せぬ事態に脳髄は疲れ、項垂れた。

 今更、にいみがどうなっていようが、どうでもいい。

 だが、香取を孤独にした責任は取ってもらう。そして、気になる点がひとつ。

 

「香取さんが……裁判をやり直したいと言えば、明智さんは協力してくれますか?」

「……金田君、それは出来ませんよ」

 

 明智警視の言葉は重く、(いち)の胸を刺した。

 

「再審請求の権利は、竜王丸を所有していた会社(・・)にあります。残念ながら、3年前の判決後に解散しました。元経営者の行方はこちらで調べておきましょう。お母様が接触した可能性もありますので」

 

 唐突に口調も軽くなり、キョトンとした。

 すっかり存在を忘れていた竜王丸側の海運会社。3年前も鹿島船長への誹謗中傷の陰に隠れ、様々な対応に追われていただろう。会社が無くなっても、不思議ではない。

 

「……香取さんは船長の遺族ですよ? 訴えられないのですか?」

「彼女はあくまでも乗組員の家族(・・・・・・)です。鹿島 伸吾の名誉毀損を事故の責任とは別で、訴えられます」

 

 去年の春に高校卒業したばかりならば、香取はまだ二十歳にもなっていないだろう。あの語り口から、信頼できる親戚もいない雰囲気。しかし、事故の真相を知れれば、手の平も返す輩は必ずいる。

 顔見知りの弁護士の方々を一先ず、紹介しておこうと思う。

 

 

 事情聴取を終えた翌日、定期便で東京へ帰る段取りが整った。

 赤井は最後までコバルトマリン号に乗船したいと駄々を捏ねたが、寝不足な男性陣に説得され、ようやく折れた。

 

「まさか、バスで雑魚寝なんて……警察署に泊めてくれてもいいと思いません? センパイ……」

「仕方ありません……この繁盛期、どこも満室です。ねえ、白神さん」

「野宿よりはマシです。それに署内の駐車場で寝る。こんな貴重な体験は滅多に出来ませんよ」

 

 夏休みピークの為、島の宿泊施設は満室。警察署の手配で女子3人分は確保出来たが、男性陣はバスの車内で眠った。竜二は大沢達と楽しそうに盛り上がっていたが、不満はあったらしい。

 白神の言葉に、ちょっとだけ竜二は元気になった。

 

「皆、疲れた顔してんね。帰りは船の中で寝れるよ~」

「アハハ……そっちはよく眠れたみたいで……」

 

 底土港で合流した女子達、特に美里は元気いっぱい。岡持も苦笑いだ。

 

「最後に皆で写真撮ろう、金田君も」

「私、撮りますよ。さあ、皆さん入って、入って♪」

 

 鷹杉が提案し、撮りたがりの赤井は撮影係を引き受けた。自分達を見送りに来た警官に頼めず、(いち)達は海を背景に撮ってもらう。

 ポラロイドカメラから現像された写真、女子高生2人組と大学生2人組へそれぞれ手渡す。

 

「わあ、貰っちゃていいの♪」

「あたし達は現像すればいいしっ。旅の記念にどうぞ」

 

 飯島の喜び様、鷹杉も嬉しそうだ。

 

「そういや、2人の大学ってどこデス?」

「……ああ、無名だから……知らないかも。な? 吉田」

そう~そ。ほら、そんなコトより乗ろうぜ。これに遅れたら、足止めされるぞ」

 

 竜二に問われた2人は突然、汗だくと化す。吉田が真っ先に定期便へ駆け出す。明らかに事情を隠している様子が微笑ましくて、クスクスッと笑いが起こった。

 まだ後処理が山の様に残り、これから始まる問題もある。

 それでも今日、撮れた写真は確かに一生の記念(・・・・・)となった。




加納「加納 達夫……です。起きたら、警官に囲まれてた俺がどんな気持ちだったか……分かる奴いるか? さて、次回は『幽霊客船に気を取られて-中村』。……は? え? ……船長!?」

水崎 丈次
本人曰く「卑怯で小心」
事故後、別の船で航海に出ている間に裁判が終わってましたと言い放ったシーンはドン引き
上層部に補充人員だった事実を報告せず、事故処理も任せっきり。裏工作したのは鷹守達だけど、この人の神経は怖すぎる
アニメ版では意識不明の重体で入院していた為、証言する機会がなかったと変更された
作中にて、卑怯者になる覚悟ガンギマリの為、にいみを妨害する。結果、洋子の愛を失った。これが水崎に下された罰です
最初は原作通りにマリッジエンドを目指していたんですが、書いている内に「貴様に洋子は渡さん!」と謎な親心が芽生えました

若王子 幹彦
プライドの高い神経質な男
原作では、事故を起こした罪悪感から胃潰瘍になる。アニメ版では、乗客を海に突き飛ばせる程の横暴な性格へ改変された。ドラマ版では事故当時、避難誘導してました
作中にて、時原から咎められた事により、償いを始めた

加納 達夫
金で仲間を売った男
その報いとして、株の投資は失敗。ナルコレプシーの一種を患って職を失う。この症状は極度のストレスも原因のひとつとされており、無自覚に罪悪感を抱えていたかもしれない(許されないけどね)
作中にて、にいみの協力者になるはずだったが、水崎のせいで誤解される

飯島 優
家出中の少女、祖父の大槻に会う為に乗船していた

竜王丸側の海運会社
原作でも、水崎の口からしか存在を語られない
事件後も描写がなく、マスコミ主導の再検証後に検察が再調査へ動いたとある事から、会社は倒産している可能性がある
作中にて、にいみの接触はあったが、詐欺だと思って取り合わなかった
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