金田少年の生徒会日誌   作:珍明

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Q3 異人館ホテルへの寄り道・前編

 新学期の登校初日、遠野 英治(とおの えいじ)先輩が消えた。

 彼の自宅へ急いだが、誰も対応してくれない。ご近所の人へ聞いて回れば、先週、警察が訪問した後に遠野夫人が発狂して倒れ、救急車を呼ぶ騒動になったと教えてくれた。

 それ以上の事情を知る者は、いなかった。

 

 翌日、冬部(ふゆべ) 蒼介(そうすけ)弁護士が金田家を訪問しに来た。

 何事かと思えば、亡くなった小林(こばやし) 星二(せいじ)画伯の遺言書を開示に現れたのだ。以前、彼は旅行の度に用意していると話してくれた。

 まさか、(いち)へ宛てたなど思わず、覚えていただけだ。

 金田祖父母や姉・さとみは遠慮し、冬部弁護士と居間に2人。事細かな説明を受けた後、便箋の封が切られた。

 堅苦しい文面を要約すれば、(いち)に指定したスケッチブックを相続。所持している絵画は懇意の美術館に寄贈、預金口座は指名された遠縁に相続させるとあった。

 

「こちらが金田君の相続分です」

 

 丁寧に梱包されたスケッチブックはページが手作りの紐で綴られており、「色が着けられなかった下描き」とメモが挟まれていた。

 開く。(いち)がソファーに座った絵。日付、今年3月。

 次を開く。(いち)が学ランを着て、正座する絵。日付、今年1月。

 次、次、次。全部、(いち)の絵。日付が遡る度、段々と幼くなっていく。

 最後のページに目を見張る。

 愛した伯父・氷室(ひむろ) 一聖(いっせい)と幼い(いち)が寝転んだ絵、日付の書き込みは11年前。

 目の前がボヤけた。

 目眩かと思えば、涙だった。絵の中の自分が遠くに感じた。

 もう紙を濡らさぬよう、卓袱台へ置く。それしか、出来なかった。

 

「……小林さんの……葬儀は?」

「小林さんは司法解剖の後、大学病院の検体に出されます。検体後、大学病院側より埋葬されるでしょう」

 

 冬部弁護士の淡々とした口調は聞き取りやすく、正確な情報を脳髄に行き渡らせる。彼は普段、非行に走った未成年者を担当する。感傷的な相手の対応にも、慣れ切っていた。

 そこに憐みや情けが混じっていれば、(いち)の脳髄で荒れ狂う吹雪の犠牲となっていただろう。

 それさえ見抜き、小林画伯は冬部弁護士へ依頼した。只の友人の息子でしかない自分をそこまで大切にしてくれたのに、何も返せない。

 

 ――相手は誰だ?

 

 知らねばならない。

 故意か無差別か、小林画伯を殺した動機。衝動的か、計画的か、事件の真相。

 悲恋湖に沈んだ犯人の遺体は未だ、発見されていない。

 

 ――湖を枯らしてでも、見付け出す!

 

 脳髄に浮かんだ言葉が吹雪のように叫び続けた。

 

 更に翌日。

 週刊誌記者・宇治木(うじき) 政宗(まさむね)から、依頼した調査の報告を聞いた。

 開発計画が進んだ悲恋湖リゾート、その会員権を巡ったモニターツアー。コンダクターを含め、選別された9人。3年前の沈没事故、オリエンタル号の生存者。

 知り、分かり、理解し――判断材料は揃った。

 

 ――遠野先輩が小林画伯を……。

 

 動悸は不明。

 だが、ツアーを企画した観月旅行会社の親会社は遠野家の経営する大企業。

 オリエンタル号の乗客名簿を入手でき、養父に企画を提案し、選抜にも細工し、監視と言う名目でツアー参加者に紛れ込める。遠野先輩にしか(・・・)、出来ない。

 事件の遭ったツアーとは言え、未成年者だけでなく、他の参加者も公表されない理由。

 遠野家の跡取り息子が犯行の後に死亡、大企業の醜聞を世間に晒さない為だ。

 これらは集めた情報により、憶測しただけの言い掛かり。

 (いち)には、外れて欲しい推理。

 当事者達と捜査した警察関係者しか、知らない。誰とも答え合わせなんて――出来ない。

 

「……ごめん、金田君……俺、役に立った?」

「――はい、ありがとうございます――」

 

 無論、宇治木も知らない。口から溢れた感謝は本心なのに、自分でも嘘っぽく聞こえた。

 もっと、相応しい言葉を返したかったが、何も浮かばなかった。

 

 

 週明けの月曜日、(いち)は『銀流星』1号のB寝台にいた。

 つまり、学校をサボった。無断欠席である。

 行先は北海道、函館の異人館ホテル。

 当選したミステリーナイトが今週の金曜日開催される為、参加しに行くのだ。

 飛行機なら、時間短縮。けれども、空港は意外にも足取りを辿り易い。家族に気付かれる恐れがあった。

 今の自分を誰かに、見られたくない。

 封筒に入った参加券を見やり、小林画伯と最後に話した内容を思い返す。彼は抽選に落ちても、一緒に行くと約束してくれた。

 

(いち)君しか、チケットが取れなくても……僕は北海道について行くからね〟

 

 そもそも、(いち)が当選する前提の会話に笑いが込み上げ、フフッと零れた。

 あちこちからのギシギシッと人の動きが寝台を通して伝わり、ボソボソと話し声も聞こえてくる。他の乗客も起床したなら、一も動き出そう。

 学ランに袖を通し、学帽を被る。安堵感に包まれ、涙が落ち着く。

 

 ――これは追悼の旅、心なんて踊らない。

 

 走行中の車窓を眺めながら、湯気の立つコーヒーの香りが鼻をくすぐる。なのに、味はしない。他の乗客が賑わう朝食は別世界の出来事、現実もなく、ブラウン管の向こうを見ている気分だ。

 

「キミ、ここ座っていい?」

(……座ってから、聞いた……)

 

 長髪を背中に流し、前髪を揃えた眼鏡の女性。(いち)の返事を聞くより先に、向かい席へ腰かけた。

 

「キミ、東京の人よね。死骨ヶ原湿原ホテルに行くの?」

「……」

「あそこのホテル、4月の事件から客足が絶えないそうよ。『幻想魔術団』、最後の舞台。創立者だった左近寺ってマジシャンも、ソロマジックショーの事故で亡くなって……犯人は指名手配の逃亡中。話題が尽きないったら、ありゃしないわ」

(……この人、まさか……高遠さんの変装?)

 

 『銀流星』は終点こそ、死骨ヶ原駅だ。しかし、途中の旭川駅にも停車し、大方の乗客はそこで下車していく。

 それに死骨ヶ原湿原ホテルは先述の通り、GW中に世間の関心を集めた事件現場。いきなり、初対面の相手に振る話題ではない。怪しさ全開。

 だが、(いち)は以前に老女を逃亡犯の変装と疑ったが、別口だったパターンを経験済み。判断出来ず、扱いに悩む。本当に通りすがりのお喋りな人ならば、無視は失礼千万だ。

 

「……どこかで、お会いしましたか?」

「ううん、初対面よ。キミだけ、他の人と違ってノスタルジックだからさ。タイムスリップとか、コールドスリープで過去から来た学生だったら、面白いと思ってね」

「それは面白いどころか、世紀の大発見になります。……残念ですが、ここに居るのは何の面白味もない只の学生です」

「いやいやっ。こんな平日に列車で優雅な朝食タイムやっちゃってる時点で、十分に面白いわよ。学生さん♪」

 

 どうやら、学生服が目立つらしい。

 既に廃校になった学校の制服、不動高校生とバレない偽装の意味もあった。身元を探られては厄介故、差し障りない話題へ変えよう。

 

「行先は函館駅です」

「ふう~ん……もうちょっとで着くわね。折角なら、私と一緒に死骨ヶ原まで来ない? キミの制服姿、とっても映えるわ。素材になってくれるなら、バイト代として運賃と宿泊料金も出してあげるっ」

 

 最初の質問に答えてみれば、(いち)に興味津々な眼差しはより一層、強くなる。女性の唐突な提案は強引だけれども、どことなく馴染み深い言動だ。

 

「貴女は小説家か、編集の方でしょうか?」

「当たり! 私は小説家の右竜 あかねよ。言い当てられたのは初めてだわっ」

 

 眼鏡の縁を押しながら、右竜(うりゅう) あかねはキャッキャッと喜ぶ。(いち)の予想通りだが、まさかの著名人と分かり、少し驚いた。

 

「……貴女のお名前、書店で拝見しました。先月に新刊を出されていますね」

「ウフフ……名前も知られているなんて、嬉しい」

 

 親しき現役推理小説家と年齢も近そうに見受け、(いち)は右竜先生への警戒心を緩めた。

 何の企みもない。彼女はただの通りすがりだ。

 

「湿原ホテルのバイト代、食事は付きますか?」

「! ええ、勿論よ。キミを見ていたら、創作意欲が湧いちゃってね。ちょっとロマンチックな話が書けそうなの。……あ、キミの名前も教えてよ。登場人物の名前にしたくないから」

 

 予定日までは函館市内を適当にウロつこうと思っていた為、バイトを引き受ける。(いち)はその意思を質問にして、伝えた。

 ご満悦の右竜先生はウットリしたかと思えば、名を問われる。名前自体に興味なく、これから書き綴る登場人物と被らせない為だそうだ。正直すぎる態度が殊更、可笑しい。

 

(名前……)

 

 一瞬、口ごもる。右竜先生は(いち)を知らない。それが何故か、とても新鮮な心地。感情も治まり、心も穏やかだ。

 もう少しの間だけ、彼女には自分を知られたくなかった。

 

狭山(・・)……、狭山 恭次です」

「OK、狭山クン。3日間、ヨロシク♪」

 

 顔も知らぬ他人の名、妙にしっくりくる。

 右竜先生は疑わず、この自己紹介を物語の始まりが如く、心躍らせていた。ウェイトレスに運ばれた朝食を美味しそうに召し上がる姿を見て、(いち)はようやくコーヒーに味がした。

 3日間だけの仮の自分。丁度、良かった。

 

 函館駅停車中に切符を買い足してもらい、終点の死骨ヶ原駅へ到着。

 区切られた線路はトレイン・シェッドに護られ、長い旅路を労わるような優しさを感じた。

 

「狭山クン……荷物、それだけ?」

「はい、身軽なのです」

 

 (いち)の荷物は着替え入りのサイドバック、現金を詰め込んだヒップバッグ。2つと少ないけれども、他に持ちたい物が何も、浮かばなかった。

 ステーションホテルと名高い死骨ヶ原湿原ホテルは目の前にあり、古風な洋館そのものが乗客を出迎えていた。

 

「5階建て? こんな辺鄙なトコロ、そんなに部屋数揃えて……お客さん来るワケ?」 

(高遠さんの……一世一代の大魔術を起こした舞台……)

 

 それ以上に、(いち)の家族ぐるみで因縁めいた場所。

 到着してから思うのも何だが、何の覚悟もないままに来てしまった。湿原地の為だろうか、薄い霧がとても幻想的だ。

 先を歩く御一行が赤い煉瓦を見上げ、感嘆の息を吐く。

 

「素敵な場所……思い切った甲斐があったわね」

「おいおい、演奏するのは別館だぜ」

「これは劇場も期待できるって」

 

 右竜先生のキャリーバッグを持ちながら、彼らよりも先に自動ドアをくぐり抜ける。緑の絨毯と赤い壁紙、白い柱、バランスの良い配色。格調高い広々とした内装が目に飛び込み、見入った。

 ホテルを出発する客人達と入れ違いになり、ジロジロと見られた。

 ある女性は瞬きせず、足まで止める。異様な視線が全身に突き刺さり、(いち)は絶対に相手の顔を見ぬ様に通り過ぎた。

 

(タイムトラベラーとでも、思われたんかな?)

「予約した右竜です。もう1部屋お願いできる? 彼の分よ」

「畏まりました。お客様、こちらへお名前とご住所を……」

 

 (いち)が胸中で皮肉を述べている間、右竜先生はフロントスタッフへ追加を申し込む。宿泊名簿を差し出され、しれっと【狭山(さやま) 恭次(きょうじ)】、横浜で暮らした際の住所を記入した。

 

「ようこそ、いらっしゃいました。城様、当ホテルの支配人・長崎と申します」

「お世話になります。本番前にリハーサルをしたいので……」

「皆は先に荷物の確認を……」

 

 死骨ヶ原湿原ホテル支配人・長崎(ながさき) 功史朗(こうしろう)がわざわざ出向き、(じょう) 晋一郎(しんいちろう)へ挨拶する。彼の連れ達はフロント傍に置かれた楽器ケースを各々、手に取っていた。

 

「あの集団は何?」

「社会人クラシック楽団の方々です。今夜、劇場でコンサートが催されます。お客様も是非、ご鑑賞ください」

 

 部屋のキーを受け取り、右竜先生も集団に興味を持つ。フロントスタッフの説明はあまり、聞きたくない内容だった。

 

「もしかして、東京で活躍されている……サンフィッシュ室内楽団ですか?」

「はい、その通りです」

 

 フロントスタッフの回答を聞き、チクッと胸が痛んだ。

 

〝8月にコンサートの予定があるわ……金田君、良かったら……〟

 

 かつての同級生に誘われたかけた声が蘇り、(いち)は聴覚を覆い隠さんと学帽の鍔を深く被った。

 

「へえ、私はその辺にはあんまり興味なくてね。狭山クンはコンサート、聴きに行く?」

「いいえ……ですが、右竜先生にお勧めします。素人であるには、惜しい演奏力をお持ちだそうですよ」

 

 チェックインを済ませ、(いち)は臓物の竦みに知らずと声が震える。段々と脳髄が騒ぎ出し、スタッフの案内を煩わしく感じる。1人になりたくて、歩幅を早めた。

 インテリアに翡翠の原石が置かれても、興味は湧かない。

 ベッドへバッグを放り投げ、背中を預ける体勢で床へ座り込んだ。

 激情が心臓を発端に血液の如く、巡る。学ランごと自らを抱き締め、深呼吸してみる。神経を襲うざわめきが深々と治まった。

 誰もいない。

 他人の声も聞こえない。

 本当の独り。

 小林画伯との約束以外にも、(いち)は独りになりたかったと今、気付いた。

 湿地帯に囲まれ、外界から隔離された陸の孤島。こんな辺鄙な土地へホテルが建築された意味、深く理解出来たように思えた。

 

 心が落ち着けば、体感も正常となってジワッとした蒸し暑さが肌につく。

 いくら避暑地と銘打った北海道でも、土地によっては霧が発生する程の湿気が纏う。折角の学ラン、脱ぐしかない。

 チェックのカーテンを開けば、白樺の大木。これなら、外からも見えにくい。本当、都合の良い部屋を割り振られた。

 右竜先生の部屋を訪ねた後、ホテルの散策に付き合わされた。

 ホテルバーは勿論、劇場の下見にも向かう。湖の中島に建てられた円柱型、跳ね橋以外に渡る術なし。

 

「あれが例の事件が遭った……ある意味でも、舞台ね」

(……近宮 玲子の……)

 

 天才マジシャンが最期を迎えた現場と知ってはいるが、自分でも意外な程に何とも思わない。

 彼女が亡くなった時刻は深夜、まだ夕方故に実感が湧かないのだろう。

 そこにホテルスタッフが現れ、跳ね橋を下ろす。ガガガッと音を立て、向こう岸へ繋がる様子は見ていて楽しい。

 

「こんにちは、同じ列車に乗り合わせた方……ですよね? こんな所で、どうしたんですか?」

「ああ、サンフィッシュ室内楽団の……私達は散策です。そちらはリハーサル?」

 

 楽器ケースを運ぶ一行がゾロゾロと続き、城が気さくに声を掛けて来る。右竜先生が対応した。

 

「あら、ご存知? 今日の公演は宣伝してないのに」

「ひょっとして、東京の人?」

「ご想像にお任せします」

 

 ハープの吉野 音美(よしの おとみ)は嬉しそうに周囲を見渡し、チェロの赤堤 響介(あかつづみ きょうすけ)がズイッと(いち)へ詰問。一先ず、満面の笑みで誤魔化した。

 

「普段は日曜日に、コンサートをやってるのね」

「はい、今回は全員で有給休暇を取ったんです」

「でも、わざわざ曰く付きの劇場を選ばなくても……まさか、事件を知らない?」

「いえ、ちゃんとニュースを見ましたよ。……他人事に思えなくて、どうしても……ここで演奏したいなってね」

 

 右竜先生もズケズケと質問しているが、苦笑交じりの城は律儀だ。息を抜いた微笑み方から、彼も今の心情を誰かに聞いてもらいたかった。そんな気がする。

 

「今夜7時ですので、お2人も聴きに来て下さい」

「ええ、是非。ね? 狭山クン」

「……はい」

 

 吉野の誘いに右竜先生が勝手に答え、(いち)の腕をガッチリと掴む。

 結局、サンフィッシュ室内楽団のコンサートを観賞する羽目になった。

 

 前の座席付近は既に埋まり、(いち)達は最後列の座席へ腰かける。

 劇場の暗がりに身を沈めれば、遠野先輩の笑顔が脳裏に浮かんだ。あの晩を思い出させ、視界と脳髄が乖離した。

 自分ではない他人の体にいる。そう思えば、心が楽だ。

 

「見ていて飽きないわね、狭山クン」

「……そうですか?」

 

 隣にいる右竜先生がクスリッと笑い、現実に引き戻される。否、離れた体と心が繋がったのだ。彼女に会えて良かったと心から、思う。

 

 ――曲目、ショパンの『ノクターン』

 

 時刻も夜の帳が下りた頃、静かな雰囲気に相応しい曲が体の芯を揺さぶった。

 照明が上がり、拍手が巻き起こる。

 もっと聴いていたい演奏が終わり、(いち)はその余韻にしがみつく。心の中で、音は続いていた。

 

「コレよ、コレ♪ やっぱり、タイムトラベラー物で行こう。ああ、奥ノ木クンを連れて来れば良かったわあ。狭山クン、私……徹夜するっ。朝まで声をかけないでっ」

「……おやすみなさい」

 

 夕食を終えた後、右竜先生は興奮冷めやらぬ内に執筆の為、引きこもる。今夜はお役御免らしい。

 自由行動になったが、(いち)の就寝時間はまだ先。

 足は自然と劇場へ向け、歩く。

 湖の水面が風に揺られ、涼しい風が頬を打つ。跳ね橋も上がってしまい、どこにも人影はない。他の行楽地がない為、劇場をライトアップする照明が無ければ、建物の周辺は闇に閉ざされるだろう。

 

(近宮 玲子は……真夜中に天井裏へ行った……)

 

 どう考えても、罠なのに対策を練らなかった。

 

(貴女が死んで……息子さん、人を殺しましたよ)

 

 己を死へ追い込んだ弟子への報復は考えていた。

 

(どうして……生きようとしてくれなかった?)

 

 八つ当たりの感情が脳髄を支配し、吹雪が荒れ狂った。

 

「お客様……狭山様!!」

「!? ……はい?」

 

 その低い声に呼ばれ、勢いよく振り返った。

 糸目の長崎支配人が血相を変え、(いち)を呼ぶ。自分が呼ばれていると思わず、疑問形で返事してしまった。

 

「危のうございます故……お部屋にお戻りください」

「……危ない……? ……!?

 

 注意を受け、自分を見下ろす。足元の石が僅かに崩れ、湖の闇がこちらを覗き込む。傍から見れば、確実に落ちる手前だ。完全に誤解させた。

 

「いえ、その……自分、ここで死にませんよ。決して……」

「……狭山様、アナタは……っ」

 

 慌てて取り繕おうとしたが、長崎支配人の顔色は更に悪くなる。暗がりでも分かる程、青褪めていた。

 (いち)の言動に記憶が触発され、彼が何かを思い返したと気付く。

 事件の事柄にしては、違う。

 長崎支配人はチェックインの際、サンフィッシュ楽団を出迎えていた。にも関わらず、飛び込みの宿泊客の名を迷わずに叫んだ。

 彼は「狭山 恭次」を知っている。

 

「長崎さん……自分が何でしょうか?」

「……いえ、私の勘違いにございます」

 

 流石、ベテランの支配人。追究をかわすのが上手い。だが、(いち)も諦めない。

 

「長崎さん、教えてください。貴方の知る「狭山 恭次」を……自分、知りたいです」

「……畏まりました。どうぞ……中へ、外はお体を冷やします」

 

 真実が知りたい。その真摯な態度で頼めば、長崎支配人は決意したように口元を引き締める。湖に背を向ける彼の足取りは、過去へ戻る支度をしていた。

 

 支配人室へ招かれ、ソファーを勧められる。遠慮なく座ったが、別の緊張に体が強張った。自分の部屋、何だったらロビーでも良かった。

 

「あれは5年前の11月の出来事でした」

 

 前置きしながら、長崎支配人は紅茶を淹れてくれる。目礼にて感謝を伝え、(いち)はすっと背筋を伸ばして傾聴。

 5年前の冬、あの事故が遭った半年後。

 「狭山 恭次」の名を使い、1人の女性客が宿泊に現れた。

 

「女性……ですか?」

「はい、明らかに偽名とは思いましたが……よくある事ですので、素性の詮索は致しませんでした」

 

 消灯時間以外、跳ね橋も渡らず、劇場を遠巻きに眺めて過ごす。吹雪が酷かろうとも、簡単な防寒具だけで立ち続けた。それは今にも湖へ飛び込みそうな勢いに見え、長崎支配人は急いで声をかけたと言う。

 

〝アタシはここで死なない。決して!!〟

 

 吹雪の中でも、彼女は泣いていた。

 悔やみに満ちた涙を放って置けず、長崎支配人は急いで暖炉の前へ座らせた。

 そこで事情を聞けば、兄に赦しを請いに行ったが、何もかも遅かった。誰の責任でもないから、誰も憎めず、恨めない。そんな胸中を語ったそうだ。

 

「兄に赦し……?」

「生まれた時から、お互いに嫌い合っていた。けれども、尊敬はしていた。誰よりも努力家で……それが報われたから、天才ともてはやされた。そう、悲しそうに……笑っておいででした」

 

 奇妙な感覚に襲われ、(いち)が何気なく疑問を口にする。

 次いで、長崎支配人は感慨深げに目を閉じた。瞼の裏に彼女の表情が見えるのだろう。憐れむ口調から、語られた思い出話にゾッとする。

 

「他に、何か言っていましたか……?」

「一通り泣いた後……近宮 玲子さんは本当に亡くなったのかと聞かれました。ソックリさんとか、実は別人かとか……後にも先にも、そんな質問してきたのは……その方だけです。ですが、狭山様のお名前を拝見するまで……すっかり、忘れておりました」

 

 非礼を詫びるように、頭を下げられた。

 白髪交じりの頭部を見るとはなしに見つめ、(いち)の心は吹雪けない程に凍り付いた。

 

(……アイツだ……)

 

 母・金田(かねだ) にいみが「狭山 恭次」の偽名にて、死骨ヶ原湿原ホテルに来ていた。更に、(いち)は信じられない事実に気付く。

 

(……伯父さんが、偽者(水沼)と知っていた……)

 

 離婚後、東京の金田家を追い払われてから、横浜市を住まいへ選んだ理由。

 (いち)を少しでも北海道から遠くへ、引き離したかった。

 この身は氷室伯父が立ち直り、会いに来てくれるのを待っていた。いつか、待ち切れずに自分から会いに行っただろう。

 天才画伯に瓜二つの顔、隠し子と誤解されるのは明白。そうなれば、母子共々、口封じに殺される。

 だから、偽者から隠す意味もあった。

 通報しなかった理由は近宮(ちかみや) 玲子(れいこ)の事故。あれが殺人と見抜けない警察を信用出来なかった。

 オリエンタル号の事故直後、小林画伯の入院に爆笑していた。あれは死別の恐怖に対する裏返し、だったのかもしれない。

 竜王丸船長の航海日誌を読み、裁判の不正を知った。嘘吐き達の隠蔽工作が許せなかったのではない。兄の死を知っていたからこそ、小林画伯の身に何らかの危険が及ぶと感じていた。

 鹿島 洋子(かしま ようこ)を探そうと探偵まで雇い、味方に付けた。そうまでして、偽証を暴きたかったのは最終的に小林画伯を守れると信じての事。

 所詮は憶測、答え合わせする相手はいない。

 

(……母さん、……小林さん……死んじゃったよ……)

 

 にいみの捜索願を記してから、初めて言葉が浮かぶ。彼女に伝える為でもなければ、返事も要らぬ。

 家族の誰にも真相が言えず、たった独りで泣いていた。

 その涙への手向けに過ぎない。どうか、届くように――祈った。




俵田「俵田だ、閲覧ありがとう。俺もこれから、函館へ行かんとな。道警とはこの前、合同で捜査したが……まさか、同じ刑事と組まされんだろ。さて、次回は『異人館ホテルへの寄り道・後編』!! 函館の夜は冷えるから、さっさとタクシーに乗りな」

金田 一
オリ主、不動高校生徒会執行部役員

冬部 蒼介
吸血桜殺人事件ゲストキャラ

右竜 あかね
聖恋島殺人事件ゲストキャラ

長崎 功史朗
魔術列車殺人事件ゲストキャラ
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