金田少年の生徒会日誌 作:珍明
歌島とオペラ座館、事件の舞台になる度に島の形と内部が違います(原作側の都合による舞台改変)。アトリエは場所的に気付かないで済ませてたけど……塔を生やし忘れてた(悔しい)
本来なら、両親も同伴すべきだが、間久部画伯は純矢1人で来るように条件を付けた。同じ筆を持つ者として、自分の本質を見極めたいからと説明された。
取材や絵の展示へ赴く際は必ず、父・
本当の意味での独りぼっちの外泊、初めてだ。
ガッチガチに緊張し、訪問した大自然に包囲された孤島。軽井沢の我が家とは違う静けさに少しだけ、胸を撫で下ろす。クルーザーの運転手・
アトリエ以外にも、『オペラ座館』と称するリゾートホテルが営業中。何と黒沢がオーナーだった。
しかも、純矢も名前だけは知る劇団『幻想』の役者が宿泊。備え付けの劇場で公演も予定されている。
肝心のアトリエはホテルから、5分程の距離。
丸太を重ねたログハウス、隠れ家にピッタリ。モチーフにしたくなる程。虫避けやネズミ対策らしき木箱も、【毒注意】と書かれる文字さえお洒落だ。
間久部画伯の代表作『幻影少女』シリーズがアルバムの如く、壁一面に飾られていた。
丸みを帯びた輪郭、短い髪ながら毛先のひとつ、瞼の厚みにさえも高潔さが描き込まれ、モデルとなった少女に会いたくなる。
イーゼルに掛けられた描きかけの絵は恋人だろうか、顔のない青年と寄り添っている。
――紛うことなき、純愛。込められた想いに胸を打たれた。
「ようこそ、純矢君。こんな格好でゴメン。マスクは外せないんだ」
「いえ、お招きありがとうございます」
間久部画伯はマスクと目元を覆うゴーグルで素顔が見えないが、極度のアレルギー反応により変貌した皮膚を見せない配慮だ。
「明るい時間は私とアトリエで過ごし、夜と食事は『オペラ座館』に居て欲しい。明日、劇場で公演があるから、一緒に観よう」
「はい、よろしくお願いします」
優しい物言いに色々と疑問はあったが、純矢は緊張に上擦った返事しか出来なかった。独りになった自分はこんなにも弱いのか、思い知らされた。
その夜、晩餐を共にした劇団の方々と挨拶程度に話せば、『オペラ座の怪人』を公演すると言う。その演目は先月、ビデオで観た。〝仲間〟の友達がクリスティーンを演じ、素直に魅せられてしまった。
幼い顔立ちの
そして、噂をすれば影が差す。
話を聞けば、黒沢オーナーに招待され、現役刑事による引率。金田一には本当に驚かされる。何故、腕に包帯を巻き、頬に擦り傷や瘡蓋があるのか、聞かないでおこう。
食堂は昨日よりも賑やか。
他にも、医者の
「ほお、金田一と変わらん歳から画家ねえ……。それじゃあ、あの絵はキミが描いたのか?」
「まさか、あちらは間久部先生ですよ」
食堂の壁に掛けられた肖像画、『幻影少女』はここにもある。
「それよりも、剣持さん。金田一が警察から表彰されるくらいに活躍したって……本当ですか?」
「ま……間違っちゃ、いないな」
「純矢、ポタージュ飲めよ」
「まあ、はじめちゃんったら……絵馬君にそんな自慢してたの?」
「表彰!? わあ、すご~い。おめでとう、金田一君♪」
純矢の好奇心が抑えられず、剣持警部へ確認してみる。金田一は冷や汗ダラダラに話を逸らそうとするが、七瀬はプリプリッと怒り出し、日高は目を輝かせた。
「その表彰って、ここで起きた事件じゃないでしょうね? あれには参ったわ。ただでさえ、曰く付きと言われた島ですもの。元々……黒沢先生が住まわれるのに、相応しくないんです」
「……アンタ、聖子さんと言いましたな? それは違うとだけ……伝えておこう。そう言う話よりも、公演について聞きたいな。今夜、上演するとか……」
「は~い、『オペラ座の怪人』ですよ。刑事さん♪」
能条夫人は至極、迷惑そうな口調。剣持警部はさらりと話題を変え、水を差された雰囲気が加奈井の元気な返事にて、盛り返した。
(事件? 曰く?)
純矢は県外の事件に興味なく、歌島の曰くも知らない。だが、金田一が関わるならば、事前に調べて置けば良かった。否、〝
事件についてだ。きっと偏見を持たせない為だろうと信じる。
「『オペラ座の怪人』? じゃあ、加奈井さんがクリスティーン?」
「正解。よく分かったね、織江ちゃん。本来なら、黒沢先生の選考は……」
日高がチラリッと加奈井を見つめ、緑川は出番が来たと言わんばかりに話へ割り込む。
「待て待て、緑川。飯時くらいは落ち着け」
咄嗟に滝沢が咎め、彼は先輩に叱られた後輩のように黙り込む。陰湿かつ、姑息そうな男2人の力関係が見えた。
「あら、あたしがクリスティーンに見えないって言うの?」
「うん、クリスティーンは美しいだけじゃあ、ダメ。……エリックが恋焦がれるくらい、純粋で可憐じゃないとっ。聖子さん、人妻でしょう。無理あるわ」
「……プッ」
能条夫人の薄笑い笑顔に咬みつくような迫力、問われた日高は物ともしない。噴き出した緑川は己の口を押さえ、さっと顔を逸らした。
「緑川……アナタね!」
「……っ」
「聖子、お客さんの前だぞ。それに彼女の言う事も一理ある。お前は俺の妻なんだから、舞台とは言え怪人なんぞに惚れられてたまるかっ」
興奮した能条夫人が声を荒げ、純矢は自分事ではないのにビクッと身構えた。能条はすぐに諫めたが、彼女は納得しない雰囲気。
言葉も口調も態度も夫婦の在り方に違いない。しかし、純矢には能条の言動が、芝居がかったように見えた。
嘘臭いとか、薄っぺらいとか、表面的だとか、比べ物にならない
それ程まで、能条夫妻の婚姻は訳アリ。
男女の機微に疎い純矢だが、流石に気付く醜悪さ。巻き込まれまいと、ポタージュを飲んだ。
「あんな子供を庇うだなんて! あなた、理央さんとはどうな……」
「そこまで、そこまでだ」
能条夫人が更に言いかけたが、パンパンと手拍子が鳴る。黒沢オーナーだ。手慣れた静かな声を聞き、彼女は驚く程、すんなりと従った。
先生と教え子の関係に似ている。
「絵馬君、驚いてる。黒沢オーナーはね、元は劇団の演出家だったの」
「日高さん、詳しいね。じゃあ、皆さん……黒沢オーナーの指導を受けているんですか?」
「勿論、我々は栄えある第12期黒沢門下生さ。今回の公演に呼ばれたメンバーは黒沢先生にとって……」
「「緑川っ」」
日高がニッコリと人間関係を教えてくれた。
純矢はそれとなく、歳の近そうな加奈井へ問いかけたつもりだったが、緑川が我先に返答。遂に能条夫人と滝沢の2人から、注意された。
「ウフフ、緑川さん面白い……よく喋る」
(……よく喋ると言うより、黒沢オーナーにおべっかを使ってるな)
日高は良い様に受け取っているが、純矢は緑川の態度に覚えがある。父の元教え子達や〝仲間〟に取り入ろうとする大人達と同じだ。
正直に苦手。彼らは純矢に興味を示さず、有り難い。
「黒沢オーナー、きれ~な女の子の絵ですね。間久部って人が描いたんでしょ? 前来た時はなかったけど、モデルは誰ですか?」
流石、金田一、とても自然に話題を変える。純矢もモデルが気になっていた為、丁度良い。何故だろうか、
「私の娘です。随分前に亡くなりましたが」
黒沢オーナーは一瞬の翳りを見せ、それでも慈しみに満ちた答え。亡き娘の哀惜を感じ取り、純矢は反射的に動きを止めた。
「バッカ、ちっとは気を配れ」
「もぐもぐ(すいません)」
勿論、場の空気も凍り付く。剣持警部は手にしていたサンドイッチを金田一の口へ突っ込み、小声で叱り付けた。
「知ってるよ、黒沢 美歌さん。クリスティーン
ボソッと日高は呟き、
しかし、門下生の誰も恩師の娘を見ようともしない。思えば、純矢が『オペラ座館』に来てから、彼らは目配せさえしていなかった。
この意味を知りたくない。
胃が満たされた後、純矢はアトリエに戻るのみ。
「緑川さん、さっきはありがとう。あたしが聖子さんに叱られないようにわざと、笑ったんでしょう? プロの方に無理なんて、あたし……調子に乗っちゃた……ごめんなさい」
「い、いや。織江ちゃんの慧眼は正しいと思うよ。それに、おれって、よく喋り過ぎてウルサイとか言われるから、今更ひとつやふたつ怒られても平気さ」
日高は先に廊下へ出た緑川を追いかけ、非礼を詫びている。他にも謝罪すべき相手がいる気もするが、純矢はツッコまない。
「緑川、何やってんだ。舞台のチェックに行くぞ。すみません、黒沢先生。あいつ、先生のお客様に声かけられて、舞い上がっちまったみたいで」
「ハハハ、良いじゃないか」
滝沢に呼ばれ、緑川はさっと黒沢オーナーに付き従う。会話の流れから、封鎖された劇場へ行くのだろう。オーナー自ら、上演の準備に取り掛かる様子だ。
「絵馬君、折角だし……あたし達と過ごさない? 『雲場村』の時、全然お話出来なかったもの」
「いえ、間久部先生がアトリエで待ってますから、どうぞ……俺の事は気にせず」
「アトリエ? この島にそんなモンあったんだ。知らんかった」
「行きたい、行きたい。プロの役者に続いて、画家までいるなんて、最高だわ」
七瀬に引き留められたが、純矢は出来るだけ丁寧に断る。
金田一が疑問すれば、日高はキャッキャッと黄色い声を上げる。その申し出は嬉しいが、間久部は体質が理由で人との接触は極力、控えている人だ。予想外の客人を連れては、迷惑をかけてしまう。
「アトリエは結構、歩くんだ。2人とも、足……怪我しているように見えるけど……大丈夫?」
「……美雪ちゃんも足、怪我したの?」
「うん、ちょっとね。あたしも頑丈だけが取り柄だし。何なら、織江ちゃんだって背負えるわ」
女子2人の左足、動きがぎこちない。七瀬の強張った笑顔と冷や汗が事故や不注意と違い、何かしらの事件による後遺症と察した。
「まあまあ、俺がこいつらの歩くペースに合わせる。金田一は絵馬君と画家の先生トコ、先に行ってろ。いきなり、押しかけるもんじゃねえだろ」
「そっか、そうだな。間久部先生が会えないってんなら、そのまま散歩と洒落込む。良いか? 純矢」
「ああ、良いよ」
剣持警部の気遣いに純矢はホッと一安心。
後方と付かず離れず、土道を歩く。
純矢がゴツゴツした感触を靴の下で味わう度、先人の苦労が目に浮かぶ。木々を切り倒し、草を抜き、小石を手作業で取る。そうして、拓かれた。
指先が絵筆の感触を思い出し、宙に描く。
「純矢は何しに『オペラ座館』へ来たんだ? 個展の準備に忙しいと思ってたぜ」
「……間久部先生へ会いにさ。弟子入りみたいなもんだ」
純矢は個展の終了と共に住み慣れた我が家を離れ、間久部画伯と暮らす。その下準備と言えば、語弊がある。
まだ弟子と認められておらず、今回の訪問は言うなれば、試練。
そこまでする必要があるのかと問われれば、
何故ならば、純矢が成人した暁に正式な養子縁組を結ぶ。間久部画伯が慎重になるのは、当然だろう。
最初、養子縁組は早い内が良いと家族で話し合った。しかし、父の顧問弁護士は絵馬家の裕福な財政、純矢の年齢を考えれば、成人を待つ他ないそうだ。
別の事情も絡んでくるが、ここでは語らない。
「……龍之介おじさんと翠おばさん、ちゃんと飯食ってるか?」
「まあね、父さんの食は細くなった気がするけど……食べるには食べてる。そうそう、母さん……金田君を見習って、ジョギング始めたんだ。その分、お腹が空きやすくなったから、オレらの目を盗んで摘まみ食いばっかり」
「金田、お前の個展……楽しみにしてたぜ。比呂の小説、あいつにプレゼントしておいた。俺は届く前に自分で注文しちまったんだ。手紙の返事、ちゃんと読んでくれたか? 結構、気合い入れて書いたんだぜ」
「うそ……届いても、オレが出発した後じゃん。くっそお……」
純矢は金田一を独り占めし、笑い合う。〝仲間〟に知られたら、羨ましがられるのは間違いない。
「金田君が比呂と行った火災現場、ノンフィクション作家の別荘を建築中だったらしいぜ。その人の誕生日パーティーの招待状が来てさ、知り合いでもないのに」
「絶対に行かない方がいいぜ、そういうの」
「だろ? なのに、比呂は行くって言うんだ。あの構造はジュゼッペ・ヤッペッリ設計に違いないとか、言い出して」
「……ジュテーム?」
世間話が続けば、行きは遠かった道程は短い。あっという間にアトリエだ。
「……おお、如何にも隠れ家って感じ」
「だろ? オレも良いなって思う」
来訪者の足音に気付き、間久部画伯はドアからそっとこちらの様子を窺う。一瞬、金田一はマスク姿に驚いたが、一歩前に進んで挨拶した。
「どうも、金田一です。純矢とは〝仲間〟って言うか、友達で……」
「噂の名探偵クン? 純矢君と友達だったんだね。わざわざ、ここまでありがとう。私は夜にはそっちへ行くから、それまで純矢君は友達に島を案内すると良い」
「ありがとうございます」
間久部画伯はマスク越しでも分かるようにニッコリと笑い、純矢に金田一と過ごす時間をくれた。
剣持警部達とアトリエの手前で合流し、島の散策に切り替えた。
「あら~素敵なアトリエ、こんな場所があったのね」
「本当……前も、見たかった」
「剣持さん、その前が……事件の時ですか?」
「心配しなくても……間久部画伯はそん時、島を留守にしていたからな」
アトリエを褒められた喜びと同時にちょっとした好奇心が湧き起り、純矢は剣持警部を見やる。
間久部画伯が事件の話に触れなかったのは、そもそも知らなかった。それを聞き、安堵の息を吐く。純矢は無自覚に、彼を心配していたと認識した。
「ああ、留守だったんだ。そうだよな……俺、会ってねえし」
「絵馬君、事件を知らずに『オペラ座館』に来たの? 結構、大騒ぎになったのになあ……」
金田一が納得したかと思えば、日高はじ~っとこちらを見る。
「絵馬君は今度、東京で個展を開くんでしょう? 準備とか大変じゃない?」
「手配はもう済んでるから、後はオレの心構えの問題かな」
「カッコイイな、それ。金田一も見習え」
視線の意味を知る前に、七瀬から質問攻めを受けた。差し障りのない返事をすれば、剣持警部はケタケタッと笑う。
「あ、可愛い箱、見っけ……【毒注意】?」
会話に混ざりたいと言わんばかりに、潮風が吹く。日高の髪が頬を覆い、肌へ張り付いた。
「日高、髪長くなったし……前みたいに結んだら、どうだ? あの蝶々みたいな可愛いリボンとか」
「金田一君ったら……あんな子供っぽい物、もう着けないよ」
日高の髪を指先で解きながら、金田一は笑う。彼女も笑っているはずなのに、妙に冷たい言い草。ゾッとする。
「アハハ、冗談よ。あたし、今はリボンも持ってちゃダメなんだ。あれから、お母さんがすんごい神経質になって……、髪に櫛も入れさせてくれないんだもん。……あれ? 結城先生じゃない?」
「なんでリボンがダメ……え? 結城先生? どこどこ?」
「結城って……」
「「結城先生?」」
己の髪を撫でながら、日高はゆっくりと歩く。急に木々の奥を指差し、全員がその名を呼ぶ。まるで応えるように茂みから、長身の人影がぬっと現れる。そう、結城先生だ。
「皆さん、お久しぶりです。お散歩ですか?」
「アナタもいらし……」
「きゃ~、結城先生だあ♪ 相変わらず、素敵な眼鏡ですね。どうしてまた、この島に?」
眼鏡をキラリッと光らせ、結城先生は紳士的な口調でご挨拶。剣持警部が何か言おうとしたが、日高の声に掻き消された。
「そんなに眼鏡を褒められると、照れますね。日高さん、髪が伸びて随分と大人っぽくなりました。私は事件以来、この場所が気に入りましてね。営業を再開してから、毎週お世話になっているんです。皆さんも今夜の公演に招待されたんでしょう。私もです。会えて嬉しいですよ。従業員の方にはお会いになりましたか?」
「俺も会えて嬉しいっスよ。それはそうとなんで、藪の中から?」
話を聞いている限り、結城先生も事件の当事者らしい。
金田一達は決して話題にせぬ様、心掛ける。けれども、日高や結城先生は平然と口にする。純矢は事件の形がイマイチ掴めない。
「あちらの塔に居たんです。そこから、皆さんの動きを見ていました」
「塔? そんな建物、ありましたっけ?」
「織江ちゃ~ん」
「緑川さん」
結城先生の問いに、七瀬が更なる疑問を呟く。そこへ緑川の呼び声が割り込み、純矢も考えるのを止めた。
「これから、稽古に入るんだ。黒沢オーナーがよろしければ、劇場へどうぞって」
「それで、わざわざ? 是非、是非♪」
最早、緑川には日高しか、見えてない。完全にこちらはガン無視された。否、目の動きから直視せず、視界の隅で人数や顔触れを捉えている。
絵画の展示会にいる警備員を思わせる。
「それとコレ、衣装の中にあったんだけど……良かったら、織江ちゃんの髪に……」
「! あたしに……貸してくれるの?」
緑川の手から、金色の糸で刺繍された黒いリボンが取り出される。日高が驚いた声を上げた隙に手早く、ハーフアップに纏め上げた。動きは見えたが、動作は見えなかった。
正に早業。
「わあ♪ 織江ちゃん、すっごく素敵。緑川さん、ヘアメイクアーティストみたい」
「はあ……櫛も使わず、見事なもんだ」
「緑川さん、アンタ……やりますな」
「日高さん、おキレイです」
「どうなってるの? ……わあ~♪ これがあたし?」
七瀬のひと言から、金田一、剣持警部、結城先生と称賛の嵐。純矢は褒め時を無くし、ノーコメントを貫いた。困惑する日高へ手鏡を向け、緑川はその髪型を映す。
「おれ、自分の髪もヘアメイクしないといけないからね。こういうの、得意なんだ」
「ありがとう、緑川さん……」
腕は確かだが、緑川の満足そうにニヤッと歪めた面。どうも不信感が拭えない。日高は彼の下心に気付いていないのだろうか、他人事ながら心配だ。
片方だけ真新しい扉、その奥にある劇場の内装は壮大のひと言に尽きる。鹿鳴館に似た設計から、建造時期は明治時代とすぐに分かった。
一部の照明は最近、取り付けたのだろう。ステージ台を照らすライトの加減に違和感があった。
「織江ちゃん、もっと近くにおいでよ」
「あたし、興奮すると大声出しちゃから」
「そうそう、稽古の邪魔になっちゃう」
「こっからでも、十分に見えるし」
金田一達は一番後ろの列へ座り、緑川に前の席を勧められる。彼らの言い訳が事件現場をステージ台と教え、純矢も同じ列を選んだ。
結城先生は堂々と一番前の列へ座り、肝が太い。
「飲み物をどうぞ」
「ああ……江口さん、助かる。ほれ、金田一。回せ、回せ」
「へいへい……純矢とこういう場所へ来た事ねえから、新鮮だな。瑠璃子には内緒な」
「……プッ、はいはい……」
江口がドリンク入りの飲み物を渡し、剣持警部はさっさと配る。金田一の悪巧みっぽい耳打ちに思わず、純矢は噴き出した。
ステージ台に役者が立つ。稽古着を纏った彼らは食事時と違い、張り詰めた表情。本当に役者か、疑っていた滝沢と緑川も同じ顔だ。
声がよく通り、瞼が瞬き、指先が動く。
聴覚、視覚、嗅覚を魅了し、純矢の全神経に電撃が走る。脳裏の奥から『オペラ座の怪人』に近い背景を勝手に重ね合わせ、ヴァイオリンの音色を引っ張り出す。
自分だけの舞台を作り上げ、手は筆を持つ感触が蘇らせる。前席の背もたれをキャンバスに代わり、描く。そうしたところで、背もたれには何も残らないが、手はひたすら動いた。
――パンパンと手を打ち鳴らす音で我へ返った。
「よし、皆。休んでくれ」
黒沢オーナーの声に腕時計を見やり、小1時間経過していたと知った。
「終わっちゃった……」
「これだけの完成度なのに……稽古なんて、本番が楽しみ~」
「……おい、金田一。……最後まで起きていたのか、お前が?」
「オッサン……俺だって真面目に舞台、ちゃ~んと観ますよ?」
舞台とは他人の人生を観る。その余韻から抜け出そうと各々が身じろぐ。剣持警部は舞台とは関係ない理由で驚き、金田一はイラッとしていた。
「「「「「お先に失礼します」」」」」」
役という色彩を落とし、彼らは黒沢オーナーへ頭を下げて退出。
「皆さん、本当に素敵でした♪」
「フィリップ伯爵をあそこまで魅力的に演じるなんて、緑川さん……万能なんですね」
「いやあ、はは……」
通り過ぎていく役者へ、満面の笑みにて七瀬は心からの称賛を送る。微笑んだ日高も黄色い声を張り上げ、照れた緑川を褒め称えた。
それを面白くなさそうに、滝沢が一瞥して去る。純矢は見逃さなかった。
絶対にひと悶着ある。
せめて、公演が終わってからにして欲しいと願う。
「やっぱり、クリスティーンは春美ちゃんよね」
肝心の火種は役者陣が劇場から見えなくなってから、ボソッと呟いた。彼女の瞼を細め、口元に弧を描く笑みは何とも蠱惑的であった。
「さあ、皆さん。食堂へお越しください。午後3時のおやつを用意しています」
「わあい、食べる食べる♪」
「はじめちゃん、劇をしっかり見てると思ったら……」
黒沢オーナーの誘いより兎も角、絵筆を動かしたい。今、感じ取った色を絵具で作り上げ、キャンバスへ塗り込みたい。脳髄に浮かべた絵を描き起こしたい。
「ごめん、金田一。オレ、アトリエへ行く」
「お? おう……、純矢の分は残しとくぜ」
純矢は興奮冷めやらぬ内に走り出し、劇場から飛び出す。
勢いのままにアトリエへ帰還。
間久部画伯は勿論、ビックリ仰天。純矢が自前の画材道具を広げれば、すぐに察してくれた。
キャンバスへ木炭による下描き、納得の行く構図にならず、消す。描いて消しての繰り返し、1時間。やっと脳髄と指先が合致し、ノリに乗って来た。
「? なんだ?」
己の作品に集中していた間久部画伯が何かに気付き、呟く。
全く気にならない。純矢の興奮が線となり、形を成した時に戸が激しく叩かれた。
「純矢! 間久部先生、無事か!!」
「~!! あ~……金田一、オレと先生は無事だ!」
集中力が乱れ、怒りよりも悔しさが勝る。予想していた男女の諍いが起こるより前に、純矢は描き上げられなかった。
ため息を殺し、間久部画伯へ戸を開けると目配せした。
そこには緊張の汗に塗れ、金田一が肩で息をする。更に眉を寄せ、瞳に強い力を宿す様は事件に立ち向かう探偵そのもの。
つまり、事件が起こった。
「滝沢さんが……塔から、
金田一の息詰まるような声を聞き、純矢の背筋が凍り付く。間久部画伯も動揺のあまり、手にした鉛筆を落とした。
――カターンッ
床への落下音はさながら開幕のベルが如し、自分達の耳へ不気味に響いた。
従業員B「閲覧ありがとうございます。私もドラマ版従業員です。塔から落ちる! まさに劇的! 事故か事件か、噂の名探偵クン! 是非、真相に……何だね、江口君? ああ、夕食の仕込みが……はいはい、すぐ行きます。さて、次回は『オペラ座館・新たなる惨劇‐結城』!! 緑川様、どうされました?」
絵馬 純矢
邪宗館殺人事件ゲストキャラ、天才少年画家。作中にて、間久部画伯に招かれて『オペラ座館』へ宿泊する