金田少年の生徒会日誌   作:珍明

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Q51 露西亜人形殺人事件・母を知る人

 話し合いの末、竜太(りゅうた)(いち)の部屋へご招待。彼の部屋へ梅園(うめぞの)先生は移り、隠し金庫部屋を施錠しておく。その鍵は、田代(たしろ)執事のポケットへ厳重に保管する形となった。

 

 ――これでトリックノートは、誰の目にも触れない。

 

 元フロントだったカウンターに備え付けられたキーストッカーを見るまでは、そう思った。

 

「このヒモは細い金属と炭素繊維で組み織られ、ワイヤーに負けず丈夫な代物です」

……そうですか

 

 田代執事の丁寧な説明を受けながら、(いち)の感情が死んだ。

 特注リングに束ねられたマスターキー。ヒモの通し方もユーリ・イワノフの発案らしく、ツッコめない。

 ローゼスをチラ見したが、その口元は爆笑を堪えていた。

 

「ここに置かずとも、田代さんが常に持ち歩いてくれた方が……自分としては安心です」

「ですが、皆様がいらっしゃる間はキーストッカーへ必ず保管するようにと……山之内先生のご指示です。私も基本的には、こちらへ掛けております」

 

 余計な指示にイラッとする。

 

「まあまあ、そこの鍵は田代さんが管理してて、大丈夫だって」

(マジで言ってんのか、この聖人……)

 

 ハジメが気付かぬなら、他の人達も同様だろう。それでいいと断念した。

 

「夕食は夜10時半です。10時には、東の塔の応接間へお越しください」

 

 有頭(ありとう)弁護士はひと安心と連絡事項を告げ、一時的に解散した。

 

「……田代さん、自分は夕食要りません。夜9時以降の飲食は、控えていますので……」

「畏まりました。では、寝る前のお飲み物をご用意致します」

 

 (いち)の突発的な要望にも、田代執事は快く承諾してくれる。非常に有難い。

 

「金田……飯、食わねえつもり? 俺、今からでも腹減ったてんのになあ。美雪~お菓子……」

「あたし、お菓子じゃないわ。金田君、もっと探索しましょう。遊戯室見た? ビリヤードもあったわよ」

「いえ……自分は、ローゼスさんとユーリ・イワノフ談義で盛り上がろうかとっ」

「金田先輩……いつの間に、ローゼスさんと仲良くなったんです?」

 

 ハジメの空腹を気にせず、各々これからの行動を伝え合う。(いち)はクルクルと回転しながら、ローゼスへおねだりした。

 

「随分と気に入られたわね……クスクス」

「金田君、生憎ですが……ここまでにしておきます」

「残念です……」

 

 幽月(ゆづき)先生にからかわれたが、ローゼスはやんわりと断る。手の動きと合わせ、足はくるりと方向転換。まるで、舞台袖へ退場するような優雅さがあった。

 

「有頭さん、時間まで仮眠を……」

「それはちょっと……せめて、皆さんの様子を見るとか」

 

 一気に暇となり、欠伸を必死に噛み殺す。

 有頭弁護士は眠るのを許さず、されど別行動はOK。隠れて睡眠を取れる為、彼の判断基準はよく分からない。これも山之内の指示ならば、もう少し臨機応変にお願いしたい。

 

 行き着く先は、ハジメの部屋。

 ベッドのシーツは肌触りの良く、頬に触れた肉枕が格別。外の気圧の影響もあってか、心地好い暖かさ。ついでに羽毛布団も頂戴した。

 

「金田、退()けとは言わんが……俺を枕にすんなっ

「今夜は竜太君と、ここで寝ます」

「このままだと……僕、足枕じゃないですか」

「佐木君、寝るのはOKなの?」

 

 (いち)は部屋主のハジメに遠慮せず、ゴロゴロと寛ぐ。ようやく、肩の力が抜けた。

 

「金田君。にいみさん、山之内先生とどんな関係か聞いてもいい?」

「いいえ」

「そう……まあ、にいみさんは多岐川先生ともお友達だし……何かあるんだろうなあと思ったわ。他に知り合いはいるの?」

「……神明先生が、母と知り合いです」

 

 好奇心旺盛な七瀬(ななせ)にしては、謙虚な態度だ。ハジメと同じく人の良い性格の彼女でさえ、山之内(やまのうち)のビデオメッセージから異様な妄執を感じ取ったのだろう。

 

「やっぱり♪ にいみさんの名前が出てから、金田君への態度が違うし……そんな気はしてたわっ」

「そういや、幽月さんって挿絵画家じゃん。金田、知ってる人?」

「あの犬飼さん、金田先輩に当たり強いですけど……何かあったんですか?」

「いいえ、覚えはありませんね。後……ハジメちゃんにも言いましたが、犬飼君も知りません」

 

 七瀬が予感的中に喜ぶ中、ハジメと竜太は矢継ぎ早に質問を投げてくる。(いち)は答えながら、一方的過ぎて釈然としない。

 

「こちらからも質問ですが、宝田さんはどっかのフリーライターさんの紹介ではありませんよね?」

「「「……」」」

 

 ベッドから起き上がり、3人へ満面の笑みを向けての質問。沈黙は肯定だった。

 脳裏に浮かぶは、煙草を咥えたフリーライター。

 先月に続いて、またもや高校生を醜い争いへ巻き込む(いち)はその所業に、怒りを通り越して呆れるしかない。

 

「……思ったんですけど、山之内先生も橘先生みたいに(・・・・・・・)……誰か特定の人へ相続させたいんですかね?」

「そうなると、梅園先生かしら? 師弟のようなもんだって、言ってたし……。そうじゃなくても、トリックノートだけは渡したいんじゃない? 候補者の部屋割りは山之内先生の指示だって、犬飼君が言ってたモノ」

 

 竜太は気まずそうに前例を持ち出し、七瀬もわざとらしくベラベラと喋り出した。

 

「指示された部屋割り……?」

「うん、正確には犬飼君が桐江さんに聞いたんだって」

「美雪……お前、いつの間にか聞きだしやがって~」

 

 隠し金庫の部屋は偶然、梅園先生が選んだのではない。ならば、疑問点がひとつ。

 

「ハジメちゃん、山之内先生はどうしてトリックノートを処分しなかったのでしょう?

「……へ? ……それは……疚しいコトがねえからだろ。宝田さんと有頭さんみたいな……プロからしたら問題ないって言ってたしよ」

「ですが、プロではない犬飼君のような読者に発見されれば、盗作疑惑が掛けられてしまいます。用心深い人が、証拠のノートを残しておくなんて……何の意味が……」

「……その意味があったとして、誰に対する罠だ?

 

 語れば語る程、胸がざわつく。

 以前、トリックノート(マジックのネタ帳)が絡んだ悲劇を知っている。元の持ち主があえて、弟子へ奪わせた理由は、『炎の鉄槌』を受けさせる為だった。

 ここにいる全員が、ジワリと思い返した。

 

「……やっぱり、金田先輩のお母さん?」

「か……考え過ぎよ。神明先生も余計な深読みは良くないって……言ってたわよね? はじめちゃん……」

「いや、俺も……あのノートには何かあると思う。なんて言うか、近宮 玲子とは違う……嫌な感じ(・・・・)が……」

 

 現状、竜太の推測が近い気がする。

 七瀬の言う通り、神経質過ぎるかもしれない。

 ハジメは不吉な前兆を感じ取っても、対策が立てられない様子だ。

 予断を許さない状況なら、(いち)は即座に役目を放り出し、逃げるべきだろう。

 ボートは湖の対岸にあり、迎えは5日後。この時期の北海道は、初冬と変わらない寒さ。

 完全にクローズド・サークル。

 

「……こういう時、高遠さんが(・・・・・)いてくれたら……」

は?

 

 凍えた唇が口走った願いを自分自身こそ、理解していなかった。

 ――ピピッと鳴り響く電子音にビビりながら、(いち)は慌てて音源を探す。学ランの内ポケットへ忍ばせた携帯電話だと分かり、咄嗟にバスルームへ飛び込んだ。

 着信相手は銭形(ぜにがた)警部補、何たるタイミングだろう。

 

「ぜ……銭形さん」

〈やっと繋がった! (いち)君、よく聞いて。週刊誌記者の宇治木さん、分かる?〉

「はい、知っています。よくお世話になります」

〈その人に連絡付いて、(いち)君のいるところへ行ってもらう様にしたから〉

 

 顔馴染みの道警の声から、嬉しい驚き。

 正確には、月刊編集者から週刊誌記者へ繋いでもらったと後で聞いた。

 頼れる存在が近くへ来る。これだけでも、凍り付いた心臓は解かされ、緩んだ足はバスタブへもたれかかった。

 

「あ、あの……この館は湖の真ん中にありまして。ボートは……」

〈ああ……成程。分かった、宇治木さんには伝えておくよ。僕に連絡出来なかったら、花火とかで緊急を報せるように〉

 

 5日間の縛りによる外部との遮断を伝え、銭形警部補は頼もしい返事をくれた。

 礼を言う前に通信を切られてしまったが、会えた時に言おう。

 

(……携帯電話は、肌身離さず持っとこ……)

 

 (いち)は勇気を与えられ、空のバスタブへ身を沈める。ちょっとの安心を得られ、ふうっと目を閉じた。

 バスルームの戸が勝手に開き、革靴の足音が床板を踏み締めても、気にしない。

 

「金田さん、携帯電話……使わないで下さいと言いましたよね?」

キャアア、バレたあ!?

 

 有頭弁護士の表情は部屋から差し込む照明が影となり、見えない。だがしかし、その平坦な口調に鳥肌が立ち、甲高い悲鳴を上げさせた。

 

「悪い……金田がバスルームへ行った途端、入って来たんだよ……」

「いいですか? 外部との連絡を絶っているのは、山之内先生のご指示です」

「自分、候補者じゃありません!」

 

 ハジメに詫びられても、携帯電話は言うまでもなく取り上げられる。(いち)は小煩い弁護士から逃走。竜太は何も言わず、付き添ってくれた。

 コントのような騒動のお陰で、不安は少しだけ和らいだ。

 

「宇治木さんが近くにっ。それは心強いですが……どうやって、連絡を取ります?」

「昼間も相当、霧が濃くては……狼煙も見えませんねえ」

「狼煙って……何を燃やす気だね、キミ達。物騒だな……」

 

 探索の続きと出歩けば、神明先生とバッタリ出くわす。彼は妙に物静かだ。

 

「すみません、神明先生。対岸の方へ緊急を報せるなら……と考えていました」

「……素直に、モールス信号を使いなさい。時計の塔が一番高いから、対岸でも灯りが見えるはずだ」

「確かに、この霧なら……フレア現象もあります。信号を送っても伝わりますよ」

 

 自分達の会話が原因と思い、事情を伝える。神明(じんめい)先生は窓の向こうに見える塔を指差し、雨雲に覆われた空を見上げた。

 竜太の冷静な判断へ頷いたが、神明先生の笑い方は引き攣る。さっきまでの陽気の欠片もなくて、怖い。

 

「神明先生、酒が抜けたんですか? さっきまでと違います」

(オイイ!! 失礼過ぎんだろ!!)

「……あ、ああ。酔いが醒めてしまった私なんて……大体こんな感じだよ。ハハハ……

 

 竜太の質問に何の意図もなく、寧ろ勇敢に思えた。

 神明先生の卑屈で自嘲的な笑みが、本人の弱さを物語っていた。酒の力、凄まじい。

 

「神明先生……樹海へ行かれた時、飲んでいらしたのですか?」

「……!? ……にいみ君に、聞いたな。その辺へ座ろうか、ちょっと長い話になる」

 

 富士の樹海は噂でしか知らないが、気弱な人間が踏み入れる場所ではない。

 少しだけ演技を疑い、(いち)はカマをかける。神明先生が驚いたのは一瞬だけ、恥ずかしそうに笑うと手招きしてきた。

 誰もいない遊戯室の灯りを点け、ビリヤードの玉が来訪者を歓迎するように揺らぐ。

 どれもこれもロシアからの調度品だが、その華やかさも今は楽しめない。3人はお互いが離れない程度に腰かけた。

 

「にいみ君から、どこまで聞いた?」

「かほる先生と3人でお出掛けしたとだけ……」

「……彼女らしいよ。あれは……去年の1月だったな。にいみ君と多岐川先生に拉致……お誘いを受けて、樹海へハイキングしに行ったんだ」

「「危険すぎでしょっ」」

 

 ほろ苦い思い出を語る言い方だが、真冬の樹海など只の危険地帯。命知らず以前の大問題だ。

 

「にいみ君が先導して、私が中間地点、多岐川先生は樹海の入り口で見張り……私達を繋いだロープが切れないように見守ってくれた」

((地元のパトロールから、逃げ隠れしたな))

 

 神明先生は腰元にローブを巻く素振りにて、当時の状況を再現。地元住民に大迷惑な行為は別の意味で緊張し、冷や汗が止まらない。

 

「毎日、出発点を変えて……3日くらいしてからかな、遭難者と出会ったんだ。もう映画に出てくるゾンビ……失礼、幽霊みたいな見た目で……私はもう殺されるかと思って、へたり込んでしまったね」

 

 想像しただけで、怖すぎる。

 (いち)と竜太は相槌も打たず、口を閉じる。聞きに徹した。

 

「でも、にいみ君はそんな彼に……『生きたいか? 生きたいなら、こっちへ来い』と呼び掛けたんだ。彼は掠れた声で『生きたい、生きたい!』と叫んで……にいみ君の手を取った。どんなミステリー小説より……心躍らされたよ。魅入られた……とも言えるな」

 

 素晴らしい作品を読んだ。

 神明先生は声を弾ませ、そう訴えている。その熱意は恐怖心を好奇心へ変え、物語へ誘う。樹海を彷徨う男がにいみへ救いを求めて、縋り付く姿も目に浮かぶ。

 

「その方はどうして……樹海に? いえ、聞いてはいけないのかもしれませんが……」

「さあねえ、警察は駄目だと言うから……連れて行った病院には大金払って口止めしたり、てんやわんやさ。にいみ君は私達にも……あっいかん。この話、秘密だった……」

 

 事情を詮索してはならないが、遭難者の素性がどうにも気になる。

 神明先生はここへ来て、今更とんでもない事実を思い返す。血の気が失せ、哀れな程に白くなっていた。

 

「母には、黙っておきます」

「……うう、すまない

「お2人って……今日が初対面っぽいですよね。神明先生、金田先輩がにいみさんの息子って、よく気付きましたね」

 

 落ち込んだ神明先生を励ましている最中、竜太の淡々とした質問にゲンナリ。何故、彼は唐突に空気が読めないのだろう。

 

「山之内のビデオメッセージを聞いて、ピンと来たんだ。にいみ君に子供がいるのは、知っていたしね。お母さんに似なくて良かっ……想像していたより、ずっと礼儀正しくて驚いたよ」

「それは、神明先生が自分にお優しいからです」

 

 ちょっと元気を取り戻し、神明先生は言葉を慎重に選び直す。そこへ鐘の音が時を告げ、反射的に時計を確かめた。

 

「まだ7時か……ちょっと仮眠を取って来るかな。夕食が夜10時半なんて、夜食だろうに……」

「お休みなさい、神明先生」

 

 グッと背伸びした神明先生は軽くストレッを行い、体を解す。やれやれと夕食時間に文句を言いながら、扉を開ける。思い立ったように、振り返った。

 

「金田君、そんな畏まった喋り方はしなくていい。犬飼君や金田一(きんだいち)君みたいに生意気なくらいが、年相応だ」

「はい……いえ、うん」

 

 スッとこちらへ人差し指を向け、神明先生は敬語を指摘してくる。

 意表を突かれ、心が温かくなる。そう言ってくれる大人は何人もいて、『金田(かねだ) (いち)』を1人の人間として真正面から向き合ってくれた。

 神明先生も『にいみの息子』をキッカケにし、(いち)を尊重してくれた。

 

「金田先輩、割と子供っぽいですよ。それに僕も敬語のつもりですが?」

「キミのは、敬いを感じんから……そのままで」

「……ぷぷぷ」

 

 首を傾げる竜太への返事が面白過ぎて、笑いがこみ上げる。彼が高校生を子供扱いするのは、対等に思うからこそだ。

 辛口という噂は本当だが、(いち)には愉快で――優しい人だった。

 

 東の塔の応接間には時間より早く、人が集まる。一部のカーテンを閉められ、窓の向こう側は雷雲立ち込める夜空だ。

 仮眠でも取ったのだろうか、皆の表情は活き活きとしている。犬飼(いぬかい)は瞬きすらせず、ずっと暗号文を眺めていた。

 田代執事も深夜帯にも関わらず、テキパキとした動き。

 

(神明先生、まだ来ないなあ。爆睡?)

 

 (いち)はソファーをひとつ占領し、瞼の重さと戦う。

 

「金田君、眠そうな顔してるけど……大丈夫? すっかり涅槃のポーズ取っちゃってるし……」

「眠いです。有頭さんが寝かせてくれないのでっ」

「金田先輩が寝ちゃっても、僕がキチンと撮ってますから」

「俺……腹減り過ぎて、胃液が逆流しそう~」

 

 相続人候補者が沈黙する中、自分達だけが騒がしい。静けさに耐えかね、天候まで土砂降りとなった。

 対岸で待機しているはずの週刊誌記者の身を案じた。

 

(宇治木さん……ごめん)

 

 しかし、鐘の音は明瞭に聞こえた。

 

「10時の鐘だわ」

((……あれ? 5分も遅れてる))

 

 七瀬が鐘の方角を何気なく見やり、(いち)とハジメは腕時計を確かめた。

 

!? 金田先輩……寝てないですよ? ひょっとして……目を開けたまま、寝てます?」

「本当だわっ、金田君……瞼に目を描いてたりする?」

「10時になりましたので、再び山之内のビデオメッセージをご覧頂きます」

 

 竜太と七瀬が騒ぎ立てても無視し、有頭弁護士はビデオテープをデッキへ挿入。人数が揃っていないが、時間優先らしい。困ったような笑顔に空腹が窺え、彼も食事にあり付きたいのだと思う事にした。

 

《にいみお嬢様、我が親しき友人であり、愛すべき五重奏(クインテット)によるミステリー。愉しんで頂けていますか? ディナーの前に僭越ながら、この場を借りて……一聖坊ちゃまへのご逝去、謹んで哀惜の意を表します

 

 一瞬にして、眠気が吹き飛ぶ。

 

(……しまった! コイツ……伯父さんを、知ってる人だった!!)

「一聖……?」

 

 山之内は画像越しでも血色が悪く、雨音に混じった言葉は一字一句違えずに耳へ届く。(いち)は背筋が粟立ち、ソファーから飛び起きた。

 ハジメと七瀬も息を飲み、竜太は状況を理解していないが沈黙。

 犬飼の疑問が場を代表した。

 

《一聖坊ちゃまに関しまして、この山之内……力及ばず申し訳ございません。たった独りで逆境を跳ね返し、天才と謳われるまでになった氷室 一聖が……まさか、あのような末路を迎えるなど……不憫でなり……》

黙れ!!

 

 ビデオメッセージが進む度、視覚と脳髄が切り離される。指先の感覚も無くなり、怒鳴った声が自分も物と思えない。他人の肉体を借り、ここにいる。そんな錯覚に陥った。

 誰かの驚いた視線を感じたが、体はビデオデッキへ迷いなく突き進む。(いち)が手を伸ばした時、有頭弁護士は慌てて防いだ。

 

《犬飼 貴志君、私の良き隣人……》

「金田さん、何をするんです……力強……」

「邪魔すんな! こいな話、聞いでられねあ~!!」

 

 画面の外で行われる争いなど知らず、メッセージは続く。

 気弱で貧弱な肩を突き飛ばすのは、容易い。それは暴力だ。僅かに残った冷静さが、おどろおどろしい叫びを上げさせた。

 

《梅園 薫君、私の良き後輩……プチンッ

金田一(きんだいち)さん! ちょっと、勝手に……」

「有頭さん、俺達は外へ出てるよ。その後にでも、流してくれ」

 

 メッセージが途切れ、ハッとして有頭弁護士はデッキを振り返る。ハジメが停止ボタンを押し、茶化さずにゆっくりと立ち上がった。

 彼の手が肩に触れ、(いち)はようやく視覚と脳髄が合致する。指先の感覚が戻り、自分の荒い息と目に浮かんだ涙を自覚した。

 

 雷は怒りで、豪雨は涙。

 小説の一文にしても、平凡な表現が自分には合っている。

 ハンカチで目元を拭い、暗闇が心音を落ち着かせる。隣にいるハジメの体温が優しくて、余計に涙が溢れてきた。

 何も聞かず、話さない。無言だけの時間。

 途中で足音が聞こえたが、こちらへ近付く気配ではない。誰かが様子をチラ見したのだろうかと、些細な事を気に掛けるまでに思考はクリアだ。

 

「……ありがとう、ハジメ」

「おいおい、いつもみたいに『ハジメちゃん』で良いんだぜ」

「ハジメちゃん、ハジメちゃん……」

「う~す」

 

 ようやく開いた口は感謝だが、もっと礼が言いたい。ハジメは陽気に笑い、肩をポンポンと撫でてくれた。

 世の中が彼のような人間であれば、良い。想像の中にいる大勢のハジメが、七瀬1人を取り合う。そんな様子が勝手に再生され、笑いを堪えた。

 

「金田……笑ってる? お、終わったっぽい」

「……はじめちゃ~ん。あの後も、人の神経を逆撫でするようなメッセージだったわ。宝田さん、すっごい怯えてて……なんか可哀想」

 

 ぞろぞろと大勢の足音が聞こえ、ハジメは曲がり角の向こう側へ首をグイッと伸ばす。七瀬と竜太に見付かり、聞きたくない報告を聞いた。

 犬飼は父親の事業が失敗し、5匹の愛犬さえ抵当に入る程の多額の借金。

 梅園先生は自動車事故による損害賠償。

 宝田は株の投資失敗、病気に臥せった奥方の治療費。

 幽月先生は、植物状態の弟の治療費。

 神明先生は離婚の慰謝料。

 

「候補者の皆さん、今すぐ大金が必要みたいです」

「……田代さんと有頭さん、桐江さんの話はしましたか?」

「ううん、当然だけど……あたし達もなかったわ」

 

 竜太はそう締め括り、七瀬の補足は不可解な点を増やす。

 哀悼にかこつけたメッセージなど、にいみに聞かれれば、ビデオ画面ごと粉砕される。豪雨の中、寒中水泳してでも帰る人だ。そうなれば、『第3の遺言状』の内容が執行されてしまう(・・・・・・・・)

 目的が見えない。

 途中退場ならば、例外かもしれない。だが、有頭弁護士の「帰るな~」と言わんばかりの態度は違う気がする。

 

「竜太君、神明先生は……」

「来ませんでした。僕が夕食の時にでも、メッセージの内容を教えておきます。他の方は多分、言いませんので」

「金田君、ここにいたのね。気分はどう?」

 

 確認していれば、幽月先生が妖しげな笑みを向けてくる。呼び方も「立会人さん」から苗字呼びへ変わり、態度の軟化が窺えた。

 そう、金の匂いを嗅ぎ付けた人間と言えよう。一番、真面な人だと思っていただけにショック。

 

「ハジメちゃん、食堂へ行きましょうか?」

「うっス」

「ちょっと2人とも! ゆ、幽月さん……来夢ってお名前なんですね。とっても魅力的です」

「ありがとう、金田君も是非……覚えて欲しいわ」

 

 (いち)とハジメは嫌な予感に回れ右、七瀬が急いで取り繕った。

 意外な事実にふと、足が止まる。にいみが若かりし頃、少年少女と撮った写真が脳裏を横切った。

 

「幽月さん、昔……埼玉に住んでいませんでしたか?」

 ……ええ、ほんの数年。よくご存じね」

「私も、知りませんでした」

 

 まさかと思い質問すれば、幽月先生は素の表情で驚いていた。

 ローゼスも意外そうに、クスリッと笑う。流石、人の心理を見抜く奇術師。こちらの動揺が、丸分かりらしい。

 にいみの元教え子ならば、今出せる最大級の礼儀をもって接しよう。

 

「――フッ、勘ですよ――」

 

 堂々たる嘘を吐き、笑って見せた。




和田「どうも、和田です。皆さん、閲覧ありがとうございます。イタッ、にいみさん……宇治木さん、行かせましたんで……堪忍っ。私は……明日、娘の歯医者の予約が……。いや、娘を言い訳にしてませんって!! さて、次回は『露西亜人形殺人事件・首、刈られ』!! あわわ……」

ユーリ・イワノフ
露西亜館、最初のオーナー。屋敷中に色んな仕掛けをしたロシア人。ローゼス曰く、建設当時は世界的に有名な奇術師だった
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