金田少年の生徒会日誌   作:珍明

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オリ主、完徹の朝


Q53 露西亜人形殺人事件・霧、晴れて

 徐々に夜が明け、どんよりした曇り空は乳白色へ変わる。小鳥の囀りがなければ、朝だと気付かない濃霧。本物の白夜を知らないがきっと、こんな光景だろう。

 間もなく、午前8時を廻る。扉の向こうに人の気配はあるものの、誰も応接間へ入って来ず。

 一夜を共にしたハジメ、七瀬(ななせ)、竜太(りゅうた)も室内を歩き回る。朝食どころか、トイレにも行かない彼らに敬意を抱いた。

 

「誰も来ないわね、はじめちゃん」

「……ハジメちゃん、このまま誰も来ないなら……自分に任せてください」

「ああ、分かってる」

 

 七瀬の呟きに、一(いち)の胃は竦む。堪らず、ハジメへ念押した。

 この間、彼の頭脳は推理を纏めている。

 昨晩、神明(じんめい)先生を殺害した指揮者(コンダクター)の正体。一(いち)は状況証拠から、1人の人物へ絞り込んだ。

 ハジメは信じ難いとビデオ映像を確認し、まだ結論に至っていない。それは該当者を深く憐れみ、その尊厳を守る為だ。

 

(本当……あの人(コンダクター)、命拾いしたなあ……)

 

 ハジメがいなければ、一(いち)は我慢しなかったと言える。

 一晩、抑え込んだ〝吹雪(憎悪)〟は今にも、溢れ出そうだった。

 ――リーンゴーン、リーンゴーンと時間が告げられ、タイムアップ。

 

「金田先輩……」

「竜太君、何があっても……カメラを止めないで」

 

 竜太の声掛けは、舞台本番前の緊張感を与えてくる。一(いち)は学帽を深く被り、頼んだ。

 開いた扉からの一番乗りは犬飼(いぬかい)、こちらの様子を注意深く観察してくる。ローゼスと幽月(ゆづき)先生も入り、壁際へ寄った。

 

「ずっと……起きてたのか?」

「犬飼君、おはようございます。自分、起きていましたよ」

「あたし……途中で寝ちゃった。すごく眠くて……」

「僕と金田一(きんだいち)先輩は、交代で仮眠を取りました」

(お前ら、律儀に答えんなよ……)

 

 挨拶抜きに質問され、こちらは順番に答える。ハジメはムスッと黙り込んだ。

 犬飼の視線はテーブルに残されたティーカップへ向けられ、唐突に目を剥いた。

 

「七瀬さん、これ……飲んだのかい?」

「へ? う、うん……飲んだわ」

 

 次いで犬飼は男子高校生を見やる。

 

「他の人は、飲まなかった?」

「はい」

「僕も金田先輩が飲まなかったので、何となく……」

「……はいはい、俺もだよ。飲む気がしなかったんだ」

「失礼致します。昨夜はお疲れ様でございます。コーヒーとサンドイッチをお持ちしました」

 

 自分達が答えた時、田代(たしろ)執事はティートローリーを押してくる。桐江(きりえ)がテーブルへ人数分のサンドイッチを並べ出した。

 犬飼はバッと振り返り、ティーカップを手で庇った。

 

「田代さん、ビニール袋を持ってきて! これが入るくらいのっ、誰も触らないでくれ!」

「は、はい……直ちに。桐江君、コーヒーを御配りして」

「はい、田代さん」

「ワッ……何、犬飼君。元気良いわね」

「それより……犯人は?」

 

 命じられた田代執事と入れ違いに、梅園(うめぞの)先生と宝田(たからだ)が現れる。2人は頭が重そうに眉間へシワを寄せ、寝過ぎた表情だ。

 

「皆さん、おはようございます。ご覧の通り、誰も名乗り出ませんでした。従って、トリックノートを燃やします。竜太君、宝田さん、梅園先生。お手数ですが、田代さんと一緒に隠し金庫から持って来てください」

「はい」

「ええ~……なんで、あたしまでぇ~?」

「私も……ですか?」

 

 一(いち)は両手を広げ、室内を見せ付ける。案の定、竜太以外はブーイング。

 

「燃やす前に、お2人がノートの中を見るかどうか……自分は関知しません」

「「……っ」」

 

 ニッコリと微笑んで見せれば、2人はお互いの顔を見合わせる。我先にと走り出した。

 

「あの……幽月先生と犬飼君は?」

「桐江さん、僕はいいんです」

「……あら? あの弁護士さんは……」

「おや、寝坊ですかね」

 

 桐江のオドオドした質問に、犬飼はキッパリと答える。幽月先生は不意に周囲を見渡し、1人の不在に気付く。ローゼスの言う通り、一(いち)も気にしていなかった。

 

「有頭さんは時間にうるさ……忠実な方です。どこかに隠れているのでは?」

「金田……ちっとは心配してやれよ」

 

 ハジメに呆れられたが、全く不満が襲って来ない。有頭弁護士は無事と確信した。

 暫くしてから、パタパタと慌てる足音が近寄った。

 

「スミマセン……朝食頂いてから、2度寝しました。」

「有頭さん、おはようございます。……よく眠られたようで何より。自分、2徹です」

「そう! 昨夜、あんな事が遭ったのに……僕も他の人もやけにぐっすりと眠りこけてしまったんだ。このカップに……睡眠薬が仕込まれているんだとしたら……」

「あ! まだ底に残ってる! 警察が来た時、調べてもらうのね!」

 

 有頭弁護士へ嫌味をブツければ、犬飼はティーカップを指差す。感心した七瀬が小さく拍手した為、ハジメの仏頂面が酷くなった。

 

「流石はミステリー愛好家ですね、犬飼君」

「金田君……」

 

 一(いち)は名案と褒めたつもりが、犬飼の目付きは鋭いままだ。

 

「た、大変だ!! トリックノートが……!!」

「金庫が……ハアハア、空(から)に……」

 

 今度の駆け込みは緊迫感に溢れ、宝田と梅園先生が息を切らす。一気に緊張が高まり、誰かが息を呑んだ。

 

「先輩、間違いないです。田代さんが部屋の鍵を開けて、僕がダイヤルを回すところまで……バッチリ映しました」

 

 竜太が報告する傍らで、田代執事は犬飼とビニール袋へティーカップを入れた。

 

(……ここからが、本番……)

 

 一(いち)は学帽の鍔からローゼスを見やる。その口元はフッと歪んだ。

 

「皆さん、大変な事になりました……。犯人の狙いはトリックノートだったのです! 神明先生はその為に、あのような惨い仕打ちを受けました! さあ、警察に報せましょう。推理合戦は……中止ですっ」

「「「な!?」」」

「そんな……」

 

 大袈裟に驚き、一(いち)はさも残念そうに膝を折る。窓の外へ手を差し出し、強く拳を握りしめた。

 幽月先生以外の候補者が慄き、桐江は絶句した表情に嘘はない。

 

「金田さん、だから……何があろうと相続レースは続行されます」

「警察が介入すれば、この館は現場(げんじょう)となります。現場検証の為、強制的に追い出されますよ」

 

 面倒な依頼人をどうか説明する口調はこの際、置いておこう。

 

「……いえ、ですが……私の方で話を付けてみます。神明先生のご遺体があった部屋には、立ち入らないとか……」

「有頭さん、そもそも……犯行現場が、分かっていません。遺体発見現場=犯行現場とは限りません。そして、犯行動機のトリックノートを警察は証拠品として、絶対に探し出さなければならないのです。この館、全ての仕掛けを暴いてでも!!」

 

 有頭弁護士へ言い返し、一(いち)はゆっくりと鷹揚に立ち上がる。ヒュウッと部屋の中へ風が舞い込んだ。

 

「は?」

「何、はじめちゃん……え?」

 

 ハジメと七瀬が風音に振り向いた先、うっかりと忘れ去られていた窓が開く。窓辺にローゼスが足をかけ、今にも外へ飛び出しそうな体勢だ。

 

「ちょっとローゼスさん!」

「まさか……アナタがっ」

 

 梅園先生は愕然とし、流石の田代執事も驚きを隠せない。

 一(いち)も段取りを確認していなければ、強烈にビビっただろう。

 

「ローゼスさんはこれから、警察を呼びに行きます。……どうか、お気を付けて」

「ええ……金田さんの期待に応えるとしましょう。それから、金田一(きんだいち)さん……彼をお願いします」

「お、おい……ローゼス……き、気球だとお!?」

 

 説明している間、窓の下から気球が昇ってくる。ローゼスは慣れた手付きでロープへ掴まり、足場にした輪へしっかりと足を乗せた。

 ハジメの詰問は動揺のあまり、消え失せた。

 

「GoodLack(グッドラック)」

 

 濃霧が途中退場を見送るカーテンのように幻想的だが、気球を飛ばすには危険な天候だ。

 ローゼスも命懸けで、外へ助けを呼びに行ってくれる。一(いち)は学帽を脱ぎ、恭しく頭を下げた。

 気球の影が濃霧に消え、突然の脱出ショーの余韻は応接間に沈黙をもたらした。

 

「……金田、これ(・・)は聞いてねえけど?」

「金田先輩はそういうトコあるんで、金田一(きんだいち)先輩がちゃんと確認してください」

「そうよ、はじめちゃん」

(……庇われてる……んだよな?)

 

 ハジメに囁かれ、意外にも2人が冷静に対応。一(いち)は首を傾げつつも学帽を深く、被った。

 まだ、終幕ではない。

 

「いいんですか? 幽月さん……ローゼスさんは助っ人じゃあ……」

「クスクス、こうなってはレースどころじゃないわ。命は惜しいモノ……」

 

 犬飼の心配に幽月先生は、名残惜しそうに答えた。

 

「あ、あんなフザけた奴が……本当に、警察を呼べるのか? 大体、中止は認めないんだろ? なあ、弁護士さんっ」

「……どうにか、館の外にテントを張って……過ごせば……」

 

 泣きじゃくる宝田に縋られ、有頭弁護士は続行の流れへ持って行こうと画策する。一体、何が彼をそこまで突き動かすのだろう。全く考えが読めない。

 

「宝田さんのおっしゃる事も、尤もです。ですから、警察が到着する前に……暗号文を解いてください。『第2の遺言状』を手にした時点で、ゲームセットとします。有頭さんの上司の方には、苦渋の決断だったと……自分が説明しておきます」

「……そうして頂けるなら……まあ、ええ……でも」

 

 かなり譲歩したはずだが、有頭弁護士は納得し切れない様子。現状を忘れて、イラッとした。

 

「こっから町まで車を飛ばしても1時間……、気球だと……いや、余裕を持ったとしても……3時間かそこら?」

「……せめて、ロシア人形が揃っていれば……」

「もう……お手上げだわ」

 

 梅園先生はブツブツとタイムリミットを逆算し、乱暴な足取りで部屋を出ていく。犬飼はロシア人形・イワンを手に取る。幽月先生はやれやれと椅子へ座り込んだ。

 

「桐江君、梅園先生にブランデーを……他の皆様にはココアを」

「……は、はい。田代さん」

「桐江さん、僕も行くよ。何かしていないと落ち着かないんだ」

 

 田代執事は皆の逼迫した状態を少しでも、リラックスしてもらおうと懸命に気を配った。

 一(いち)はその姿に、胸がズキッと痛む。

 

「田代さん、折角……山之内先生が残してくれたゲームがこんな事に……何とお詫び申し上げればよいか……」

「金田様っ、そんな……。こうなったのは……犯人の咎。金田様には、何の責任もございません。山之内先生も、そうおっしゃられるはずです」

 

 若造の詫びを恐縮と受け取り、田代執事も頭を下げる。彼は只々、誠実に客人を持て成しているだけだ。

 

「幽月さん、ローゼスさんが警察呼びに行く話……知ってたんですか?」

「昨夜の内にね、重要な……頼まれ事ですもの。私も喜んで、ローゼスさんにお願いしたわ」

(……幽月さんには、それ相応の礼をするって……伝言が効いたな)

 

 ハジメに確認され、幽月先生はニッコリと微笑む。報酬を約束されし人の余裕は違う。

 

「では、この場にいらっしゃる方へお伝えします。トリックノートですが……あれは昨夜、既に盗まれていました」

「なんと……」

「え!? 金田さん、いつの間に……そんな確認を……」

「?? ……あの宣言は?」

 

 ジト目に見つめられ、一(いち)は惚けずに人差し指を立てる。田代執事と宝田は驚き、有頭弁護士は困惑した。

 

「僕が金田先輩に呼ばれた後です。ローゼスさんと3人で、金庫の中を見に行ったんです」

「……もしかして、ローゼスさんの為の時間稼ぎかしら?」

「はい(ハジメちゃんに暗号文を解いてもらう目的もあったし……)」

(俺に真相を話す時間も……、必要だった)

 

 竜太の補足を聞き、幽月先生は納得して頷く。一(いち)の視線に気付き、ハジメは神妙な面持ちで頭を掻いた。

 

「しかし……隠し金庫の部屋の鍵は……私が。こちらのマスターキーもその時間……キーストッカーへ収めました。もしや、別の抜け穴が……」

「田代さん……これを伝えるのは大変、心苦しいのですが……アレは防犯として、何の意味も成さないのです」

 

 ――は?

 

 一度目を伏せ、深呼吸した後に懺悔する心地で告げた。自分達以外の心の声が、聞こえたような気がする。

 

「いやあ、しかし……カッターとか、鋏でも切れないんでしょ?」

「田代さん、貸してください。俺が実演します」

 

 宝田が不思議そうにマスターキーを見つめ、ハジメは紐解きに挑戦。先ず、初見が必ず陥るやり方で悪戦苦闘してみせた。

 

「ヒントは……根付です」

「根付……、ストラップ?」

「……ああ! そうかっ、金田一(きんだいち)様……私が……」

 

 申し訳ない気持ちで、一(いち)は助言する。有頭弁護士が呟いた途端、田代執事はハッとした。

 彼はシワだらけの手で、リングの持ち手を逆にして楕円形部分へ外したい鍵を持ってくる。後は根付の紐を外すのと同じ要領で、鍵は紐を傷付けずに外れた。

 皆、感嘆の息を吐いた。

 

「改めて見ると……こんな簡単なのね。映像より驚いちゃった……」

「マジシャンなら、大体の方は分かりますよ」

「あら、ローゼスさんも分かってたってコト?」

「そ~でしょうね」

 

 七瀬は繁々と鍵の束を眺め、一(いち)は付け加える。幽月先生が感心した時、ハジメはムッとした。

 

「……え? ちょっと……じゃあ、我々にこれを見せたってコトは、犯人は(・・・)……」

「皆! 解けました!!」

 

 呟いた宝田がゾッとした表情で青褪めた瞬間、犬飼が大急ぎで駆け込んでくる。その手には彼のパート、第1ヴァイオリンがあった。

 

「犬飼さん、もしかして……暗号文が?」

「はい、『第2の遺言状』の隠し場所……結論から言います。時計……その窓の下にある大時計です」

 

 有頭弁護士から期待を込められ、犬飼は呼吸を整えながら、イワン人形を飾ったマントルピースの向こう側を指差した。

 その横から、桐江がココアを持ち込んでくる。

 

「ど、どうして……? 人形の名前を使っても、そうは……」

「そこは引っ掛けです。次に注目するのは、ロシア人形の持つ楽器です。実寸大はバラバラ……なのに全て20㎝にされていました。だから、人形の身長を楽器の比率に合わせて、拡大するんです。この計算で僕と同じ奏者だったコンスタンチンは、150㎝になります」

「! 確か……そこのイワンは背丈20㎝、楽器も20㎝だから……2m!」

 

 先を越された宝田が震える手で人形を指差し、犬飼は己のヴァイオリンを見せ付ける。幽月先生はさっとイワン人形へ駆け寄り、閃いた。

 

「拡大した人形の順番に頭文字を取れば……ローマ字の『TOKEI』!!」

「成程……」

「更に……『さあ、お次は』の2番の子の頭文字を5番の子の右へ置けば……」

「数字の『10』じゃない! ちょっと~、あたしがいない間に暗号解読してんじゃないわよ!!」

 

 有頭弁護士と田代執事に繋げるように、犬飼は更に解読を進める。いつの間にか、梅園先生は戻っていた。

 

「最後の……楽しいリズム、時計が10時になれば……『奇術師(ユーリ・イワノフ)の仕掛け』が動く!」

「……その時間まで、まだ30分近くある。これが正解なら、相続は犬飼さんに……」

 

 宝田は居ても立っても居られず、窓を開け放つ。有頭弁護士は油断できない状況だが、遺産相続レースの終わりに安心を見せていた。

 暗転させるなら、ここ(・・)。

 

「犬飼君、暗号は自力で解いたのですか?」

「……っ、……桐江さんのアドバイスだよ。それと……佐木君だ」

「「え?」」

「は?」

 

 一(いち)の問いかけに、犬飼は桐江を一瞥してから、竜太を見やった。

 桐江と宝田の疑問は当然だろう。梅園先生もキョトンとする。幽月先生は怪訝そうに目を細めた。

 

「僕が寝る前、佐木君は……暗号の答えは『時計』かもしれないって教えに来たんだ」

「な、なんで……佐木さん……アナタは私の助っ人で……」

 

 犬飼は悔しそうに視線を下げ、ひと呼吸。狼狽える宝田を無視し、一(いち)をしっかりと見据えた。

 

「そうだ、キミは宝田さんの助っ人。僕にアドバイスするように指示したのは、金田君。キミだ!」

「はい、自分の指示です。他にも(・・・)……伝言を聞いたはずですが……貴方のご意見は?」

 

 素直に答えた瞬間、胸ぐらを掴まれた。

 

「フザけるな、そんなはずないんだ! 何を根拠に!!」

「おい、やめろ!!」

 

 犬飼の怒号を受けようが、ハジメが庇ってくれようが、一(いち)の気分は氷点下。

 怒りに震えた手を払い除け、襟元を正す。

 

「え、何? 説明してよ」

「コイツは……僕に暗号を……」

 

 困惑した雰囲気の中、梅園先生は問いかける。犬飼は犯人を一瞥してから、一(いち)を睨んだ。

 その続きは絶対、語らせない。

 

「言うのですか、犬飼君? 貴方にとって、根拠はないのでしょう? 立会人の戯言だと思っているなら、黙っていろ」

「……っ」

 

 肺に溜まった〝吹雪(憎悪)〟知らずと口から溢れ、犬飼は慄いていた。

 

「……金田さん、犯人は教えてもらえないんでしょうか? 気になる……」

「はい、ここでは教えません。全て警察にお話しします」

「……そんなっ。あたし、てっきり……自首してもらうように説得するもんだと……」

「金田……」

 

 有頭弁護士は不安そうに顔を近付け、一(いち)は冷たく言い返す。七瀬はそっと犯人を盗み見した。

 ――指揮者(コンダクター)の指先は自覚なく、動揺のあまりに痙攣。ハジメはその仕草に気付き、憐れんでいた。

 

「自分は推理ショーなんてしません。ハジメちゃんではありませんからね。ですが、犯人逮捕の瞬間は……立ち合いますよ」

「……だったら、俺が!」

 

 小説の語り手が如く、一(いち)は声に抑揚を乗せる。焦ったハジメへ指先を突き出し、チッチッチと動かした。

 

「ハジメちゃん、指揮者(コンダクター)には猶予を与えました。この情けを……受け取らないと決めたのは、本人です。尊重しようではありませんか」

 

 この手で討てないなら、せめて法の下に――その気持ちにも、嘘なんてない。

 

「違う! そんな残酷なやり方、彼女の為にならない! ただ、追い詰めているだけだろ!」

 

 ハジメの切羽詰まった声は、純粋な同情だ。

 

「それじゃあ……、誰も救われねえよ」

 

 彼は同世代にして、多くの事件に遭遇した。惨劇の裏に悲劇あり、そう知る人間の言葉の重みは絶大だった。

 今まで見て見ぬふりした現実が(・・・)、重くのしかかった。

 

(……ああ、葉崎さんにした事は……)

「金田先輩! パトカーです……ローゼスさん、やってくれました!」

 

 季節外れの桜の花びらが視界にチラつき、竜太の声に我へ返った。

 

 ――ウーウー

 

 開け放たれた窓から、微かに聞こえる機械音。誰かが安堵の息を吐いた。

 

「午前10時まで後10分……とにかく、犬飼さんに……」

「いやいや……私の助っ人の佐木さんが、『答え』に気付いたんだ! 私が……!」

 

 外部の救出が近付けば、今度は相続問題。何とも騒がしい連中だ。

 

「有頭さんが、遺言状を取り出して下さい。出来るだけ、指紋を付けずに……そのまま警察へ渡してください」

「え……そ、それだと……相続が……」

「言い忘れていましたが、暗号文は指揮者が既に解いています。従って……遺言状には、証拠である指紋が付着しているのです。これ以上の理由が、要りますか?」

「……犯人が、とっくに解いていた?」

 

 昨晩の内に、遺産相続レースは瓦解。監督役たる有頭弁護士はその事実を知らされ、絶句した。

 

「田代さん、お客様です。出迎えに行きましょう」

「……っ、畏まりました。金田様、お供いたします」

「金田!」

 

 収拾がつかぬまま、一(いち)は田代執事と共に応接間を後にする。ハジメの悲痛な声は制止のようでいて、縋っているように切なかった。

 

「……金田一(きんだいち)先輩、誤解しないで下さい。金田先輩は……もう限界なんです」

「……佐木?」

 

 重苦しい雰囲気が漂いながら、竜太は静かに声を出す。彼は先輩を庇う立場にあると、誰もが思った。

 

「あたしも、そう思うわ。金田君は大切な人を……すぐ傍で失ったのよ。仇が目の前にいるなら……そういう気持ちが、起こらないはずないの。ずっと……堪えてたんだわ、はじめちゃんの為に……」

「……美雪……」

 

 七瀬は哀しげに眉を寄せ、指揮者(コンダクター)へ向けて頭を下げる。辛そうな犬飼は止めずに、目を伏せた。

 

「桐江さん……お願いです。どうか、自首してください……」

「……っ」

 

 そんな会話が為されたと後で聞いた。

 

 正面玄関の扉を開け、1日振りの外へ出た。

 目の前の霧が少しずつ晴れ、岸へ着いた頃には青空が広がる。対岸にいるパトカーもよく見え、一(いち)は学帽を手に振ってみた。

 物凄い勢いで振り返してくる人達が誰か、もう分かっている。

 警官達が対岸のボートへ乗り込み、エンジン音を吹かす。隣に立つ田代執事と話せる機会は、今しかないだろう。

 

「田代さん、ありがとうございました。山之内先生の本当の財産は、貴方だと……自分は思います」

「以前、アナタ様のお母様にも……お同じ言葉を頂きました。この田代、光栄の至りに存じます」

 

 金に変えられない忠誠心、これを宝と言わずして何とする。

 そこだけは、山之内を褒めよう。

 田代執事は感涙に頬を濡らし、そっと拭う。彼のこれまでの働きを祝福するように、鐘の音が鳴り響いた。

 

〝そんな畏まった喋り方はしなくていい〟

 

 神明先生の声と重なり、頬の冷たさに湖を覗き込む。水面に映る自分は、哀惜の涙を流していた。

 

 桐江 想子(きりえ そうこ)はハジメ達の懸命な説得に応じ、自首を選んだ。

 殺害動機は遺産。

 『第2の遺言状』には候補者5人が不在ならば、桐江にも相続のチャンスが与えられる。そのような内容が、記されていた。

 そもそも、山之内の『富』は件のトリックノート――彼女の父親・純一郎(じゅんいちろう)の遺品が貢献して、築き上げた。

 その父親は9年程前、仕事先のヨーロッパで事故死。幼かった桐江は浅ましい大人の策略により、無一文で施設へ放り込まれた。

 露西亜館も、亡き父との思い出の詰まった我が家。彼女は全てを(・・・)取り戻そうとしただけ。ハジメはそう、語って聞かせた。

 

 ――そんな波瀾万丈な他人の人生など、一(いち)には知った事ではない。




神明「天下の神明ともあろう者が、やっちまったな。すまん、にいみ君。キミの息子にも、辛い思いをさせた。私の方は、気にせんでいいさ。さて、次回は『第3の遺言状-幽月』!! ……そうか、山之内。お前は陰湿じゃなくて……吐き気を催す邪悪ってヤツだったんだな。見くびっていたぜ、全く……」

田代 富士夫
山之内に長年仕えた執事。部屋の仕掛けなし、表裏なく純粋に仕えていた
ドラマ版では、目の前で何が起ころうが動じないどころか、冷徹な性格になっていた(怖)

有頭 大介
顧問弁護士代理人、相続レースの監督役。ドラマ版は未登場
部屋の仕掛けは壁の文字(アニメ版ではカット)。指示された事を忠実に守るが、それ以外はやらないタイプ
作中にて、黒沼の知人。残間とも面識がある

純一郎
桐江の父親、ドラマ版にて名称判明。ラサール石井が演じている
山之内とは大学のミス研で知り合った友人、ドラマ版では後輩
ネタだけ溜め込んで、一度も出版社に持ち込まず、娘にしか創作内容を語っていなかった(落選覚悟で投稿しろよ、そこは!)
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