金田少年の生徒会日誌   作:珍明

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オリ主、完徹の朝


Q53 露西亜人形殺人事件・霧、晴れて

 徐々に夜が明け、どんよりした曇り空は乳白色へ変わる。小鳥の囀りがなければ、朝だと気付かない濃霧。本物の白夜を知らないがきっと、こんな光景だろう。

 間もなく、午前8時を廻る。扉の向こうに人の気配はあるものの、誰も応接間へ入って来ず。

 一夜を共にしたハジメ、七瀬(ななせ)竜太(りゅうた)も室内を歩き回る。朝食どころか、トイレにも行かない彼らに敬意を抱いた。

 

「誰も来ないわね、はじめちゃん」

「……ハジメちゃん、このまま誰も来ないなら……自分に任せてください」

「ああ、分かってる」

 

 七瀬の呟きに、(いち)の胃は竦む。堪らず、ハジメへ念押した。

 この間、彼の頭脳は推理を纏めている。

 昨晩、神明(じんめい)先生を殺害した指揮者(コンダクター)の正体。(いち)は状況証拠から、1人の人物へ絞り込んだ。

 ハジメは信じ難いとビデオ映像を確認し、まだ結論に至っていない。それは該当者を深く憐れみ、その尊厳を守る為だ。

 

(本当……あの人(コンダクター)命拾いしたなあ……

 

 ハジメがいなければ、(いち)は我慢しなかったと言える。

 一晩、抑え込んだ〝吹雪(憎悪)〟は今にも、溢れ出そうだった。

 ――リーンゴーン、リーンゴーンと時間が告げられ、タイムアップ。

 

「金田先輩……」

「竜太君、何があっても……カメラを止めないで」

 

 竜太の声掛けは、舞台本番前の緊張感を与えてくる。(いち)は学帽を深く被り、頼んだ。

 開いた扉からの一番乗りは犬飼(いぬかい)、こちらの様子を注意深く観察してくる。ローゼスと幽月(ゆづき)先生も入り、壁際へ寄った。

 

「ずっと……起きてたのか?」

「犬飼君、おはようございます。自分、起きていましたよ」

「あたし……途中で寝ちゃった。すごく眠くて……」

「僕と金田一(きんだいち)先輩は、交代で仮眠を取りました」

(お前ら、律儀に答えんなよ……)

 

 挨拶抜きに質問され、こちらは順番に答える。ハジメはムスッと黙り込んだ。

 犬飼の視線はテーブルに残されたティーカップへ向けられ、唐突に目を剥いた。

 

「七瀬さん、これ……飲んだのかい?」

「へ? う、うん……飲んだわ」

 

 次いで犬飼は男子高校生を見やる。

 

「他の人は、飲まなかった?」

「はい」

「僕も金田先輩が飲まなかったので、何となく……」

「……はいはい、俺もだよ。飲む気がしなかったんだ」

「失礼致します。昨夜はお疲れ様でございます。コーヒーとサンドイッチをお持ちしました」

 

 自分達が答えた時、田代(たしろ)執事はティートローリーを押してくる。桐江(きりえ)がテーブルへ人数分のサンドイッチを並べ出した。

 犬飼はバッと振り返り、ティーカップを手で庇った。

 

「田代さん、ビニール袋を持ってきて! これが入るくらいのっ、誰も触らないでくれ!

「は、はい……直ちに。桐江君、コーヒーを御配りして」

「はい、田代さん」

「ワッ……何、犬飼君。元気良いわね」

「それより……犯人は?」

 

 命じられた田代執事と入れ違いに、梅園(うめぞの)先生と宝田(たからだ)が現れる。2人は頭が重そうに眉間へシワを寄せ、寝過ぎた表情だ。

 

「皆さん、おはようございます。ご覧の通り、誰も名乗り出ませんでした。従って、トリックノートを燃やします。竜太君、宝田さん、梅園先生。お手数ですが、田代さんと一緒に隠し金庫から持って来てください」

「はい」

「ええ~……なんで、あたしまでぇ~?」

「私も……ですか?」

 

 (いち)は両手を広げ、室内を見せ付ける。案の定、竜太以外はブーイング。

 

「燃やす前に、お2人がノートの中を見るかどうか……自分は関知しません」

「「……っ」」

 

 ニッコリと微笑んで見せれば、2人はお互いの顔を見合わせる。我先にと走り出した。

 

「あの……幽月先生と犬飼君は?」

「桐江さん、僕はいいんです」

「……あら? あの弁護士さんは……」

「おや、寝坊ですかね」

 

 桐江のオドオドした質問に、犬飼はキッパリと答える。幽月先生は不意に周囲を見渡し、1人の不在に気付く。ローゼスの言う通り、(いち)も気にしていなかった。

 

「有頭さんは時間にうるさ……忠実な方です。どこかに隠れているのでは?」

「金田……ちっとは心配してやれよ」

 

 ハジメに呆れられたが、全く不満が襲って来ない。有頭弁護士は無事と確信した。

 暫くしてから、パタパタと慌てる足音が近寄った。

 

「スミマセン……朝食頂いてから、2度寝しました。」

「有頭さん、おはようございます。……よく眠られたようで何より。自分、2徹です」

「そう! 昨夜、あんな事が遭ったのに……僕も他の人もやけにぐっすりと眠りこけてしまったんだ。このカップに……睡眠薬が仕込まれているんだとしたら……」

「あ! まだ底に残ってる! 警察が来た時、調べてもらうのね!」

 

 有頭弁護士へ嫌味をブツければ、犬飼はティーカップを指差す。感心した七瀬が小さく拍手した為、ハジメの仏頂面が酷くなった。

 

「流石はミステリー愛好家ですね、犬飼君」

「金田君……」

 

 (いち)は名案と褒めたつもりが、犬飼の目付きは鋭いままだ。

 

た、大変だ!! トリックノートが……!!

「金庫が……ハアハア、(から)に……」

 

 今度の駆け込みは緊迫感に溢れ、宝田と梅園先生が息を切らす。一気に緊張が高まり、誰かが息を呑んだ。

 

「先輩、間違いないです。田代さんが部屋の鍵を開けて、僕がダイヤルを回すところまで……バッチリ映しました」

 

 竜太が報告する傍らで、田代執事は犬飼とビニール袋へティーカップを入れた。

 

(……ここからが、本番……)

 

 (いち)は学帽の鍔からローゼスを見やる。その口元はフッと歪んだ。

 

「皆さん、大変な事になりました……。犯人の狙いはトリックノートだったのです! 神明先生はその為に、あのような惨い仕打ちを受けました! さあ、警察に報せましょう。推理合戦は……中止ですっ

「「「な!?」」」

「そんな……」

 

 大袈裟に驚き、(いち)はさも残念そうに膝を折る。窓の外へ手を差し出し、強く拳を握りしめた。

 幽月先生以外の候補者が慄き、桐江は絶句した表情に嘘はない。

 

「金田さん、だから……何があろうと相続レースは続行されます」

「警察が介入すれば、この館は現場(げんじょう)となります。現場検証の為、強制的に追い出されますよ」

 

 面倒な依頼人をどうか説明する口調はこの際、置いておこう。

 

「……いえ、ですが……私の方で話を付けてみます。神明先生のご遺体があった部屋には、立ち入らないとか……」

「有頭さん、そもそも……犯行現場が、分かっていません。遺体発見現場=犯行現場とは限りません。そして、犯行動機のトリックノートを警察は証拠品として、絶対に探し出さなければならないのです。この館、全ての仕掛けを暴いてでも!!

 

 有頭弁護士へ言い返し、(いち)はゆっくりと鷹揚に立ち上がる。ヒュウッと部屋の中へ風が舞い込んだ。

 

「は?」

「何、はじめちゃん……え?」

 

 ハジメと七瀬が風音に振り向いた先、うっかりと忘れ去られていた窓が開く。窓辺にローゼスが足をかけ、今にも外へ飛び出しそうな体勢だ。

 

「ちょっとローゼスさん!」

「まさか……アナタがっ」

 

 梅園先生は愕然とし、流石の田代執事も驚きを隠せない。

 (いち)も段取りを確認していなければ、強烈にビビっただろう。

 

「ローゼスさんはこれから、警察を呼びに行きます。……どうか、お気を付けて」

「ええ……金田さんの期待に応えるとしましょう。それから、金田一(きんだいち)さん……彼をお願いします」

「お、おい……ローゼス……き、気球だとお!?

 

 説明している間、窓の下から気球が昇ってくる。ローゼスは慣れた手付きでロープへ掴まり、足場にした輪へしっかりと足を乗せた。

 ハジメの詰問は動揺のあまり、消え失せた。

 

GoodLack(グッドラック)

 

 濃霧が途中退場を見送るカーテンのように幻想的だが、気球を飛ばすには危険な天候だ。

 ローゼスも命懸けで、外へ助けを呼びに行ってくれる。(いち)は学帽を脱ぎ、恭しく頭を下げた。

 気球の影が濃霧に消え、突然の脱出ショーの余韻は応接間に沈黙をもたらした。

 

「……金田、これ(・・)は聞いてねえけど?」

「金田先輩はそういうトコあるんで、金田一(きんだいち)先輩がちゃんと確認してください」

「そうよ、はじめちゃん」

(……庇われてる……んだよな?)

 

 ハジメに囁かれ、意外にも2人が冷静に対応。(いち)は首を傾げつつも学帽を深く、被った。

 まだ、終幕ではない。

 

「いいんですか? 幽月さん……ローゼスさんは助っ人じゃあ……」

「クスクス、こうなってはレースどころじゃないわ。命は惜しいモノ……」

 

 犬飼の心配に幽月先生は、名残惜しそうに答えた。

 

「あ、あんなフザけた奴が……本当に、警察を呼べるのか? 大体、中止は認めないんだろ? なあ、弁護士さんっ」

「……どうにか、館の外にテントを張って……過ごせば……」

 

 泣きじゃくる宝田に縋られ、有頭弁護士は続行の流れへ持って行こうと画策する。一体、何が彼をそこまで突き動かすのだろう。全く考えが読めない。

 

「宝田さんのおっしゃる事も、尤もです。ですから、警察が到着する前に……暗号文を解いてください。『第2の遺言状』を手にした時点で、ゲームセットとします。有頭さんの上司の方には、苦渋の決断だったと……自分が説明しておきます」

「……そうして頂けるなら……まあ、ええ……でも」

 

 かなり譲歩したはずだが、有頭弁護士は納得し切れない様子。現状を忘れて、イラッとした。

 

「こっから町まで車を飛ばしても1時間……、気球だと……いや、余裕を持ったとしても……3時間かそこら?」

「……せめて、ロシア人形が揃っていれば……」

「もう……お手上げだわ」

 

 梅園先生はブツブツとタイムリミットを逆算し、乱暴な足取りで部屋を出ていく。犬飼はロシア人形・イワンを手に取る。幽月先生はやれやれと椅子へ座り込んだ。

 

「桐江君、梅園先生にブランデーを……他の皆様にはココアを」

「……は、はい。田代さん」

「桐江さん、僕も行くよ。何かしていないと落ち着かないんだ」

 

 田代執事は皆の逼迫した状態を少しでも、リラックスしてもらおうと懸命に気を配った。

 (いち)はその姿に、胸がズキッと痛む。

 

「田代さん、折角……山之内先生が残してくれたゲームがこんな事に……何とお詫び申し上げればよいか……」

「金田様っ、そんな……。こうなったのは……犯人の咎。金田様には、何の責任もございません。山之内先生も、そうおっしゃられるはずです」

 

 若造の詫びを恐縮と受け取り、田代執事も頭を下げる。彼は只々、誠実に客人を持て成しているだけだ。

 

「幽月さん、ローゼスさんが警察呼びに行く話……知ってたんですか?」

「昨夜の内にね、重要な……頼まれ事ですもの。私も喜んで、ローゼスさんにお願いしたわ」

(……幽月さんには、それ相応の礼をするって……伝言が効いたな)

 

 ハジメに確認され、幽月先生はニッコリと微笑む。報酬を約束されし人の余裕は違う。

 

「では、この場にいらっしゃる方へお伝えします。トリックノートですが……あれは昨夜、既に盗まれていました」

「なんと……」

「え!? 金田さん、いつの間に……そんな確認を……」

「?? ……あの宣言は?」

 

 ジト目に見つめられ、(いち)は惚けずに人差し指を立てる。田代執事と宝田は驚き、有頭弁護士は困惑した。

 

「僕が金田先輩に呼ばれた後です。ローゼスさんと3人で、金庫の中を見に行ったんです」

「……もしかして、ローゼスさんの為の時間稼ぎかしら?」

「はい(ハジメちゃんに暗号文を解いてもらう目的もあったし……)」

(俺に真相を話す時間も……、必要だった)

 

 竜太の補足を聞き、幽月先生は納得して頷く。(いち)の視線に気付き、ハジメは神妙な面持ちで頭を掻いた。

 

「しかし……隠し金庫の部屋の鍵は……私が。こちらのマスターキーもその時間……キーストッカーへ収めました。もしや、別の抜け穴が……」

「田代さん……これを伝えるのは大変、心苦しいのですが……アレは防犯として、何の意味も成さないのです」

 

 ――は?

 

 一度目を伏せ、深呼吸した後に懺悔する心地で告げた。自分達以外の心の声が、聞こえたような気がする。

 

「いやあ、しかし……カッターとか、鋏でも切れないんでしょ?」

「田代さん、貸してください。俺が実演します」

 

 宝田が不思議そうにマスターキーを見つめ、ハジメは紐解きに挑戦。先ず、初見が必ず陥るやり方で悪戦苦闘してみせた。

 

「ヒントは……根付です」

「根付……、ストラップ?」

「……ああ! そうかっ、金田一(きんだいち)様……私が……」

 

 申し訳ない気持ちで、(いち)は助言する。有頭弁護士が呟いた途端、田代執事はハッとした。

 彼はシワだらけの手で、リングの持ち手を逆にして楕円形部分へ外したい鍵を持ってくる。後は根付の紐を外すのと同じ要領で、鍵は紐を傷付けずに外れた。

 皆、感嘆の息を吐いた。

 

「改めて見ると……こんな簡単なのね。映像より驚いちゃった……」

「マジシャンなら、大体の方は分かりますよ」

「あら、ローゼスさんも分かってたってコト?」

「そ~でしょうね」

 

 七瀬は繁々と鍵の束を眺め、(いち)は付け加える。幽月先生が感心した時、ハジメはムッとした。

 

「……え? ちょっと……じゃあ、我々にこれを見せたってコトは、犯人は(・・・)……」

「皆! 解けました!!」

 

 呟いた宝田がゾッとした表情で青褪めた瞬間、犬飼が大急ぎで駆け込んでくる。その手には彼のパート、第1ヴァイオリンがあった。

 

「犬飼さん、もしかして……暗号文が?」

「はい、『第2の遺言状』の隠し場所……結論から言います。時計……その窓の下にある大時計です」

 

 有頭弁護士から期待を込められ、犬飼は呼吸を整えながら、イワン人形を飾ったマントルピースの向こう側を指差した。

 その横から、桐江がココアを持ち込んでくる。

 

「ど、どうして……? 人形の名前を使っても、そうは……」

「そこは引っ掛けです。次に注目するのは、ロシア人形の持つ楽器です。実寸大はバラバラ……なのに全て20㎝にされていました。だから、人形の身長を楽器の比率に合わせて、拡大するんです。この計算で僕と同じ奏者だったコンスタンチンは、150㎝になります」

 確か……そこのイワンは背丈20㎝、楽器も20㎝だから……2m!」

 

 先を越された宝田が震える手で人形を指差し、犬飼は己のヴァイオリンを見せ付ける。幽月先生はさっとイワン人形へ駆け寄り、閃いた。

 

「拡大した人形の順番に頭文字を取れば……ローマ字の『TOKEI』!!」

「成程……」

「更に……『さあ、お次は』の2番の子の頭文字を5番の子の右へ置けば……」

「数字の『10』じゃない! ちょっと~、あたしがいない間に暗号解読してんじゃないわよ!!」

 

 有頭弁護士と田代執事に繋げるように、犬飼は更に解読を進める。いつの間にか、梅園先生は戻っていた。

 

「最後の……楽しいリズム、時計が10時になれば……『奇術師(ユーリ・イワノフ)の仕掛け』が動く!」

「……その時間まで、まだ30分近くある。これが正解なら、相続は犬飼さんに……」

 

 宝田は居ても立っても居られず、窓を開け放つ。有頭弁護士は油断できない状況だが、遺産相続レースの終わりに安心を見せていた。

 暗転させるなら、ここ(・・)

 

「犬飼君、暗号は自力で解いたのですか?」

「……っ、……桐江さんのアドバイスだよ。それと……佐木君だ

「「え?」」

「は?」

 

 (いち)の問いかけに、犬飼は桐江を一瞥してから、竜太を見やった。

 桐江と宝田の疑問は当然だろう。梅園先生もキョトンとする。幽月先生は怪訝そうに目を細めた。

 

「僕が寝る前、佐木君は……暗号の答えは『時計』かもしれないって教えに来たんだ」

「な、なんで……佐木さん……アナタは私の助っ人で……」

 

 犬飼は悔しそうに視線を下げ、ひと呼吸。狼狽える宝田を無視し、(いち)をしっかりと見据えた。

 

「そうだ、キミは宝田さんの助っ人。僕にアドバイスするように指示したのは、金田君。キミだ!」

「はい、自分の指示です。他にも(・・・)……伝言を聞いたはずですが……貴方のご意見は?」

 

 素直に答えた瞬間、胸ぐらを掴まれた。

 

フザけるな、そんなはずないんだ! 何を根拠に!!

「おい、やめろ!!」

 

 犬飼の怒号を受けようが、ハジメが庇ってくれようが、(いち)の気分は氷点下。

 怒りに震えた手を払い除け、襟元を正す。

 

「え、何? 説明してよ」

「コイツは……僕に暗号を……」

 

 困惑した雰囲気の中、梅園先生は問いかける。犬飼は犯人を一瞥してから、(いち)を睨んだ。

 その続きは絶対、語らせない。

 

「言うのですか、犬飼君? 貴方にとって、根拠はないのでしょう? 立会人の戯言だと思っているなら、黙っていろ

「……っ」

 

 肺に溜まった〝吹雪(憎悪)〟知らずと口から溢れ、犬飼は慄いていた。

 

「……金田さん、犯人は教えてもらえないんでしょうか? 気になる……

「はい、ここでは教えません。全て警察にお話しします」

「……そんなっ。あたし、てっきり……自首してもらうように説得するもんだと……」

「金田……」

 

 有頭弁護士は不安そうに顔を近付け、(いち)は冷たく言い返す。七瀬はそっと犯人を盗み見した。

 ――指揮者(コンダクター)の指先は自覚なく、動揺のあまりに痙攣。ハジメはその仕草に気付き、憐れんでいた。

 

「自分は推理ショーなんてしません。ハジメちゃんではありませんからね。ですが、犯人逮捕の瞬間は……立ち合いますよ」

「……だったら、俺が!」

 

 小説の語り手が如く、(いち)は声に抑揚を乗せる。焦ったハジメへ指先を突き出し、チッチッチと動かした。

 

「ハジメちゃん、指揮者(コンダクター)には猶予を与えました。この情けを……受け取らないと決めたのは、本人です。尊重しようではありませんか」

 

 この手で討てないなら、せめて法の下に――その気持ちにも、嘘なんてない。

 

「違う! そんな残酷なやり方、彼女の為にならない! ただ、追い詰めているだけだろ!」

 

 ハジメの切羽詰まった声は、純粋な同情だ。

 

「それじゃあ……、誰も救われねえよ」

 

 彼は同世代にして、多くの事件に遭遇した。惨劇の裏に悲劇あり、そう知る人間の言葉の重みは絶大だった。

 今まで見て見ぬふりした現実が(・・・)、重くのしかかった。

 

(……ああ、葉崎さんにした事は……)

「金田先輩! パトカーです……ローゼスさん、やってくれました!」

 

 季節外れの桜の花びらが視界にチラつき、竜太の声に我へ返った。

 

 ――ウーウー

 

 開け放たれた窓から、微かに聞こえる機械音。誰かが安堵の息を吐いた。

 

「午前10時まで後10分……とにかく、犬飼さんに……」

「いやいや……私の助っ人の佐木さんが、『答え』に気付いたんだ! 私が……!」

 

 外部の救出が近付けば、今度は相続問題。何とも騒がしい連中だ。

 

「有頭さんが、遺言状を取り出して下さい。出来るだけ、指紋を付けずに……そのまま警察へ渡してください」

「え……そ、それだと……相続が……」

「言い忘れていましたが、暗号文は指揮者が既に解いています。従って……遺言状には、証拠である指紋が付着しているのです。これ以上の理由が、要りますか?」

「……犯人が、とっくに解いていた?」

 

 昨晩の内に、遺産相続レースは瓦解。監督役たる有頭弁護士はその事実を知らされ、絶句した。

 

「田代さん、お客様です。出迎えに行きましょう」

「……っ、畏まりました。金田様、お供いたします」

「金田!」

 

 収拾がつかぬまま、(いち)は田代執事と共に応接間を後にする。ハジメの悲痛な声は制止のようでいて、縋っているように切なかった。

 

「……金田一(きんだいち)先輩、誤解しないで下さい。金田先輩は……もう限界なんです」

「……佐木?」

 

 重苦しい雰囲気が漂いながら、竜太は静かに声を出す。彼は先輩を庇う立場にあると、誰もが思った。

 

「あたしも、そう思うわ。金田君は大切な人を……すぐ傍で失ったのよ。仇が目の前にいるなら……そういう気持ちが、起こらないはずないの。ずっと……堪えてたんだわ、はじめちゃんの為に……」

「……美雪……」

 

 七瀬は哀しげに眉を寄せ、指揮者(コンダクター)へ向けて頭を下げる。辛そうな犬飼は止めずに、目を伏せた。

 

桐江さん……お願いです。どうか、自首してください……」

「……っ」

 

 そんな会話が為されたと後で聞いた。

 

 正面玄関の扉を開け、1日振りの外へ出た。

 目の前の霧が少しずつ晴れ、岸へ着いた頃には青空が広がる。対岸にいるパトカーもよく見え、(いち)は学帽を手に振ってみた。

 物凄い勢いで振り返してくる人達が誰か、もう分かっている。

 警官達が対岸のボートへ乗り込み、エンジン音を吹かす。隣に立つ田代執事と話せる機会は、今しかないだろう。

 

「田代さん、ありがとうございました。山之内先生の本当の財産は、貴方だと……自分は思います」

「以前、アナタ様のお母様にも……お同じ言葉を頂きました。この田代、光栄の至りに存じます」

 

 金に変えられない忠誠心、これを宝と言わずして何とする。

 そこだけは、山之内を褒めよう。

 田代執事は感涙に頬を濡らし、そっと拭う。彼のこれまでの働きを祝福するように、鐘の音が鳴り響いた。

 

〝そんな畏まった喋り方はしなくていい〟

 

 神明先生の声と重なり、頬の冷たさに湖を覗き込む。水面に映る自分は、哀惜の涙を流していた。

 

 桐江 想子(きりえ そうこ)はハジメ達の懸命な説得に応じ、自首を選んだ。

 殺害動機は遺産。

 『第2の遺言状』には候補者5人が不在ならば、桐江にも相続のチャンスが与えられる。そのような内容が、記されていた。

 そもそも、山之内の『富』は件のトリックノート――彼女の父親・純一郎(じゅんいちろう)の遺品が貢献して、築き上げた。

 その父親は9年程前、仕事先のヨーロッパで事故死。幼かった桐江は浅ましい大人の策略により、無一文で施設へ放り込まれた。

 露西亜館も、亡き父との思い出の詰まった我が家。彼女は全てを(・・・)取り戻そうとしただけ。ハジメはそう、語って聞かせた。

 

 ――そんな波瀾万丈な他人の人生など、(いち)には知った事ではない。




神明「天下の神明ともあろう者が、やっちまったな。すまん、にいみ君。キミの息子にも、辛い思いをさせた。私の方は、気にせんでいいさ。さて、次回は『第3の遺言状-幽月』!! ……そうか、山之内。お前は陰湿じゃなくて……吐き気を催す邪悪ってヤツだったんだな。見くびっていたぜ、全く……」

田代 富士夫
山之内に長年仕えた執事。部屋の仕掛けなし、表裏なく純粋に仕えていた
ドラマ版では、目の前で何が起ころうが動じないどころか、冷徹な性格になっていた(怖)

有頭 大介
顧問弁護士代理人、相続レースの監督役。ドラマ版は未登場
部屋の仕掛けは壁の文字(アニメ版ではカット)。指示された事を忠実に守るが、それ以外はやらないタイプ
作中にて、黒沼の知人。残間とも面識がある

純一郎
桐江の父親、ドラマ版にて名称判明。ラサール石井が演じている
山之内とは大学のミス研で知り合った友人、ドラマ版では後輩
ネタだけ溜め込んで、一度も出版社に持ち込まず、娘にしか創作内容を語っていなかった(落選覚悟で投稿しろよ、そこは!)
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