金田少年の生徒会日誌   作:珍明

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Q59 銀幕に立つ役者達・後編

 眠れなかった。

 ホテルの寝具、室内の騒音対策に問題なく、寝付けなかった。

 遠野(とおの)先輩が消えた時期に、この金沢に現れた身元不明の患者。安直に考えれば、同一人物だ。

 しかし、声質や口調、しぼんだ筋肉、もう別人だと心が訴える。

 次第に彼の置かれた立場を考え、千思万考を重ねる。

 

(あれだけ意思疎通が出来て……身元不明、あ……記憶喪失か!

 

 有力な説だ。ベテラン看護師にも守秘義務があり、最低限の情報しか話さなかった。

 

(……だとしても、余計に……キツイな……)

 

 ぬか喜びは勿論、その後の扱いに困る。かほる先生の推理小説でも、記憶喪失の容疑者が釈放になる展開があった。

 遠野夫婦は彼を受け入れるだろうか、母・にいみはその報せを知り、何を思うだろうか? 嫌な想像が瞼の裏に浮かび、通報は躊躇われた。

 どの道、患者()は石川県県警へ引き渡されるだろう。

 

(……あの看護師さん、手掛かりが欲しいって……警察に連絡していない?)

 

 彼本人が拒んだにしては、妙な違和感。

 起床時間になり、朝のストレッチ。ダルさと戦いながら、ノソノソと朝食目当てに食堂へ向かう。バッチリメイクの緒方先生以外、部員は眠そうな目付きだ。

 神矢(かみや)と鉢合わせ、ショボショボした瞼を見やる。碌な睡眠が取れていない痛々しい様子から、心配をかけたと分かった。

 

「金田、昨日の……話なんだが」

「神矢君……もうその話はしないと、言いましたよ」

 

 神矢の言葉を遮り、周囲をコッソリと見渡す。同じ人を目撃した伊志田(いしだ)先輩は、女子に囲まれてパンを齧っていた。

 

「本当に……金田一(きんだいち)へ相談しなくて、いいんだな? 割り切れるんだな?」

「はい、昨日の事は……この胸へ仕舞います」

 

 神矢が遠野先輩の事情をどこまで把握しているか、知らない。彼はあくまでも、クラスメイトの身を案じている。その気持ちに対して、感謝を込めた。

 

「……ちゃんと15分で戻って来たからな、信じてるぜ……金田」

 

 不完全燃焼のように困った笑みを見せ、神矢はやれやれと頭を掻いた。

 今は、考えない。

 そう自制すれば、胸の痛みは治まった気がする。

 

 泉鏡花演劇祭会場。

 日本庭園の真ん中に建てられた3階建て、瓦屋根も立派だ。

 多くの人々が来場し、ほとんど満席。

 吉野高校の出番まで時間を潰そうと、出店や野外パフォーマンスを見て回る。(いち)もじっとしておれず、皆の流れに付いて行く。

 

「金田君、あそこ2人……どう思う? 刑事っぽくない?」

「七瀬さん、人様に対して……何を言っているのですか?」

 

 急に七瀬(ななせ)から腕を引っ張られ、視線の先を確かめる。

 髪の長いサングラスの女性、肩まで髪の長い男性の2人組。どちらもスラリとした美男美女、ファッション誌のモデルが着そうなコーディネート。寧ろ、何かの撮影に思えた。

 刑事の要素が分からぬ。

 

「手に持ってる週刊誌、宇治木さんトコの雑誌よ。あれには『4億円事件』特集記事が載ってるの」

「本当ですねって……そりゃあ、時効を覆した世紀の大捕り物ですよ。こんなお祭り騒ぎの中でも、話題になるのは当然です」

 

 七瀬の可憐な指が雑誌を指差し、(いち)はそっと下ろさせる。その雑誌は読破済み、名前こそ伏せていたがどこぞのエリート警視に関する記事だった。

 宇治木(うじき)ならでは、脚色なしの内容。二代に渡る執念の捜査、素直に敬服する。

 

「話しかけてみますか? 本当に刑事の方なら、剣持さん……いえ、明智さんと知り合いかもしれません」

「ううん、非番だったら悪いし……」

 

 言われる前に提案すれば、七瀬は躊躇いがちに視線を下げる。ホッと安堵の息を吐き、彼女に背を向けた。

 

「でも……話しかけるくらいは、いっか……すみませ~ん♪

「七瀬さん、ジョークですって!」

 

 油断大敵、七瀬のコミュニケーション能力を侮っていた。

 

「七瀬さん! 刑事の方なら、失礼ですよ」

「何だあ……また写真を撮ってくれか? ……あっ、お前……群馬の……!」

 

 (いち)の声に反応し、咥え煙草の男性がキザっぽく振り返る。お互いに視線が絡んだ瞬間、記憶が触発された。

 

「石川県警の……猪川さん、その節はどうも……」

「どうもじゃないぞ、お前。よくも、後始末を押し付けてくれたな。相棒のゲジ眉はどうした?」

 

 石川県警の猪川(いのがわ) 将佐(まさすけ)警部。夏休みのタンデム中に遭遇した事件、そこで出会った。

 彼の言う通り、逮捕劇の後は任せた為に冷や汗がビッショビショ。

 

「……金田君の知り合い。すみません、お休みのところ。はじめちゃんは、来ていないんです……? 群馬で……石川県警?」

「七瀬さん、そこは気にせず……」

 

 礼儀正しい七瀬がふと疑問に思い、(いち)は慌てる。

 

「クスクス、面白い偶然だわ。私は如月、猪川さんの同僚よ。もしかして……アナタが、噂の名探偵のお孫さん?」

「違います。自分、金田(かねだ) (いち)です」

「あ、あたし……七瀬 美雪です(茅警部といい、刑事さんにも美人が多いなあ)」

 

 如月(きさらぎ) 美和(みわ)刑事からの認識を正し、高校生2人で自己紹介。七瀬の驚きが、手に取る様に分かった。

 そして、(いち)は疑問が浮かぶ。

 

「……自分が猪川さんと群馬でお会いした時、名乗っていませんよね? やっぱり、バイクのナンバープレートから……」

「ほお、鋭い。お前の相棒、多少やれるんでな……余所でも事件に関わっているだろうと思って、警視庁捜査一課に問い合わせてみたんだよ。剣持警部、色々と話してくれたぜ」

 

 猪川警部、出来る男だ。

 患者()が悲恋湖で殺人を犯した人間と知れば、キッチリと仕事をこなす。ハジメがここにいたなら、どうしただろう。

 あの僅かな時間にいがみ合った姿を思い返し、素直に頼る姿が想像できない。

 (いち)も猪川警部を頼るには、まだ覚悟が決まらない。七瀬の言葉を借りるならば、話すくらいは良いかもしれない。

 

「七瀬さん、皆と合流してもらえますか? 猪川さんに聞きたい事があります」

「あたしも聞いちゃダメ?」

「男同士の話です」

「……ふうん、珍しい。吉野高校の時間、忘れないでよ。猪川さん、如月さん。失礼します」

 

 (いち)の願いを七瀬は素直に(・・・)聞き入れ、刑事2人は探るような視線に変わる。男同士の部分は、彼女を追い払う口実と察した様子だ。

 

「……ツマラナイ話なら、お断りだぜ。非番なんでな」

「高遠 遙一の話です」

「!? ……タレこみかしら?」

 

 流石、逃亡犯。刑事を相手にする時、利便性が良すぎる。いつか、どこかで償う日が来るだろう。そんな不確かな未来よりも、今からの発言の方が臓物を痙攣させた。

 

「いいえ、質問です。もしも……高遠さんが記憶喪失だった場合……どうすればいいでしょうか? 頭殴って、思い出させるとか……」

「……どういう質問だ、ソレ?」

「猪川さん、市民としては当然の疑問よ。先ずは通報と……言いたいけど、金田君の質問はそこじゃないわね」

 

 案の定、怪訝される。猪川警部を諫め、如月刑事はサングラスの隙間からこちらをじっと見つめた。

 見透かされている気がして、ゾクッとする。

 

「記憶喪失の方は、釈放されると推理小説で読みました。高遠さんの場合も、同じですか?」

「成程、現実とフィクションの違いが気になるか……。正直に言えば、起訴も難しくなる。悔しいが……」

「高遠のような身寄りのない人だと、特にね。本人と断定できないのよ

 

 彼らは丁寧に答えてくれるが、意外に思う。(いち)はハッとした。

 

「……DNA鑑定する血縁が、いないっ」

「半分、正解。高遠の血縁について、詳細を知る者がいない。ここが問題だ。奴に生き別れた一卵性双生児の双子がいて、別人の可能性も視野に入れないといけなくなるんだよ」

 

 猪川警部は涼しい表情で煙草を吹かすが、大問題に気付かされる。

 遠野先輩は養子、実妹がいると聞いたが、恐らくこの世にいない。患者()もまた血縁が現れない限り、その正体を証明する術が事実上存在しない。

 

「……指紋、取っていますよね? 高遠さんが逮捕された時……」

「その指紋こそ、別人の物とすり替えて警察のデータベースに保管された。マジシャンなら、あり得ないコトねえよな? 逃げられた道警だしよ

「……猪川さん、飛躍し過ぎね。でも、指紋があるからって油断はしないわ。それはあくまでも、物に触れた証拠、そこにいた事実を示すだけよ」

 

 懐疑的な視点は、刑事に相応しい。質問の意図を忘れて、感心した。

 

「……記憶喪失で人違いだったらと思うと、通報しづらいですね」

「話、聞いてたか? 身元の確認はこっちでする。逃亡犯に激似な一般人でも、通報してくれ」

 

 ポツリと零れた本音に、猪川警部はやれやれと煙草を吹かす。一般市民には結構、勇気がいる行動だ。

 

「……通報して、相手に恨まれたくないのかしら?」

「そう思ってくれて、構いません」

 

 如月刑事の見当はずれな質問に取り繕った答えを返す。(いち)が恨まれて済む話なら、それでもいい。

 

「……ふう、この坊主は……名探偵のお孫さんが傍に居るから……感覚、狂ってんのか? いいか、その恨みとやらは、俺達が引き受けるんだよ。警察ってのは、嫌われてなんぼだぜ

「合っていたら、間違っていたら……それを拭う払拭するのも、こちらの仕事よ

「……猪川さん、如月さん」

 

 逃亡犯に関する相談だったからか、とても親身に聞こえた。

 かつての神奈川県警(兵頭刑事)と比べてしまう自分が心底、嫌だった。

 会場のアナウンスが次の公演を伝え、吉野高校の出番を知る。ここにいる目的を思い出し、(いち)は無礼を承知で頭を下げる。

 

「どう見る? 如月」

「剣持警部に、連絡ね」

 

 足早に去った高校生に対し、余計な会話がなされていたなど、知らない。

 

「どこにいたんだよ、金田」

「すみません、バタバタしておりまして」

 

 退席と着席が入り乱れ、(いち)はどうにか有森(ありもり)達と合流。彼は部長として、部員の確認をしていく。全員、集合を確認したところで開幕だ。

 

 ――演目、『嘆きの鬼伝説』

 

 『藤の院』は錯乱の果てに我が子を殺し、その自責の念に耐え兼ねて井戸へ身を投げた。古くからの伝承に、アレンジを加えた活劇。

 演じ手の鬼頭(きとう)は、まさに圧巻。舞台の上にいる彼女は、鬼を身に宿したと言える。呻き声ひとつ上げただけで、観客席から小さな悲鳴が聞こえた。

 

(この鬼は……嘆いているだけで、誰も傷付けたくなかった……)

 

 幕が下りた後は感傷に浸り、(いち)は背もたれへ深く体を預けた。

 

「ほらほら、次の人が来るぞ。席を立てっ」

「「「う~す」」」

 

 有森の号令に退席し、向かう先はひとつ。疲労困憊の吉野高校演劇部へご挨拶しに行った。

 

「辻口先生、こんにちは。こちらへいらしたのですね」

「いや、今来たところじゃよ」

「お~布施君、久しぶりだな。……受験、大丈夫?」

お前も聞くんかい……ゴホンッ、中野君は自分の心配したまえよ」

 

 辻口(つじぐち)先生もいれば、引退した元部長3年生・中野(なかの) 宏和(ひろかず)もいる。心配そうな発言に、布施(ふせ)先輩の眉が吊り上がったが、見事にかわした。

 

「皆さん、どうでしたか? 鬼頭さんの演技!」

「……ウチの部、役者は1人だった?」

 

 元部長同士の会話を尻目に、令衣子(れいこ)は我が事のように鬼頭を褒めまくる。坂本(さかもと)の切れ気味な笑顔に、後輩達が宥めに掛かった。

 

「有森さん、その様子ですと……満足されたようですね」

「美奈子さん、素晴らしい……嘆きでしたよ」

 

 こちらの新部長同士は穏やかに語り合い、(いち)は鬼頭を見やる。グッタリとした彼女の目には、まだ鬼がいた。役が抜けきっていないのだろう。

 

「鬼頭さん、お疲れ様です。最高の鬼です」

「……ええ、私自身……ここまで演れると思わなかったわ。……アナタのせいかしらね、金田君

「……自分?」

「観客席にいるアナタ……と見間違えたわ。それも血塗れの……次の役柄?」

 

 目尻に手をやり、鬼頭は怯えたようにこちらの様子を窺う。彼女は相当、疲れているらしい。

 (いち)の配役は盲目の預言者、鬼とは程遠い。

 

「自分……1月に発表会がありますから、もう気負っているのかもしれませんね」

「あれ、発表会って……東京はまだ来年に向けた大会で忙しいだろ?」

 

 差し障りなく答えたつもりが、岡安(おかやす)のひと言で不動高校側を硬直させる。地区大会で落選など、彼の前では言いたくない。

 

(バッカ、金田!)

(すみません……)

「それでは、顧問の先生。今日はありがとうございました。またの機会に……」

 

 (いち)が部員から無言の叱責を受け、緒方(おがた)先生は吉野高校側の顧問と別れの挨拶を済ませる。新幹線の時間を言い訳に、回れ右。

 

「金田君、次に来る時はウチへ泊まりなさい」

「!? 宜しいのですか? 年頃の娘さんが2人もいらっしゃるのに……」

(金田君、秋絵ちゃんの実家に泊った記憶、無くしちゃったの?)

 

 辻口先生から衝撃の誘いを受け、(いち)は狼狽する。七瀬の煩い視線に、しっしっと手で追い払う仕草は忘れない。

 

「いいんじゃよ、今度は……ノミを握らせてやろう。面を作ってごらん」

「……はい、辻口先生」

 

 面打ち師にとって、命とも言えるノミ。それに触れさせて貰える光栄さが、胸を高鳴らせた。

 だが、辻口先生の憂いを帯びた瞳の意味は、悟れなかった。

 

 帰りの新幹線も全員、乗車。演劇を観ただけでも、十分に疲れて眠る者もいた。

 

「江塔先輩、建物の写真を分けてもらえますか? 現像代、払うんで」

「OK、演劇部に請求しとくわ」

 

 仙道(せんどう)にお願いされ、江塔(えとう)先輩は快く承知。そんな会話を聞いている間に車窓の向こうは、仙台市から離れていた。

 

(遠野先輩……)

 

 置き去りにした患者()への想いが、蘇る。(いち)はタオルで強制的に視界を封じ、無理やり仮眠を取って過ごす。伊志田先輩の視線は感じていたが、無視した。

 

 東京駅到着、予定通りの行程。本日はこの場にて、解散。

 

「この場で解散する人は、気を付けて帰りなさい」

「「「ありがとうございました」」」

 

 緒方先生は皆を見渡し、安心の微笑を浮かべる。威勢の良い声には、解放感と名残惜しさがあった。

 

「有森君、バイト行きます?」

「いや~今夜は勘弁、と言うか……今言うのもなんだけどよ。あの店、辞めるわ。元々、掛け持ちだったし……」

 

 有森とバイトへ繰り出そうと思えば、突然の退職宣言。

 

「……店長に、迫られたのですか?」

「金田……大人を信用しようぜ。単純に、時間が足りねえの。緒方先生と担任の先生が……両親を説得してくれてさ。掛け持ちしなくても、良い様になったんだわ」

 

 有森の口から出た両親という単語だけで、物凄い家庭の距離を感じた。

 これ以上の詮索は、良くない。

 

「偶には、ご飯……食べに来てくださいね」

「……ああ、それは約束する」

 

 有森の笑顔は、本心だ。彼の眼鏡のレンズに映った自分が、酷く疲れた顔に見えたのは相対効果だろう。

 

「金田君! 一緒に帰ろう……ちょっと金田君ったら!」

 

 やたらとしつこい七瀬を撒いた為、無駄に疲れた。

 彼女には時間稼ぎする事情があったらしいが、知る事はない。

 

 自宅へ帰り着き、夕方なのに珍しく出迎えない。鍵も掛かり、履き物もない留守だ。

 届いた小包が玄関の上がり(かまち)へ置かれ、何気なく視界へ入れる。差出人は遠野先輩のご両親、その文字へ導かれるように手を取った。

 動揺しない自分に驚きだ。否、もう沈み過ぎて浮かんでこない。

 紙箱の中には、遠野先輩の父親から便箋と新聞紙の包みがひとつずつ。

 遠野先輩を我が子として迎え、如何に幸せだったか、事件が起きるまで本心に気付けなかった後悔が、延々と書き綴られていた。

 歪んだ筆跡は立ち直りの兆候を示し、(いち)は仕方なく読み続ける。

 遠野先輩が被疑者死亡による書類送検となり、一家も東京を離れる。その部分が、本題だっただろう。最後に、彼が大切にしていたバカラを返すとあった。

 新聞紙を開けば、バカラがあった。

 背氷村で遠野先輩と選んだグラス、大人になったら一緒に飲み交わそう。

 そんな将来の約束を、彼は父親に話したのだ。

 

 ――たった3年後の未来も、共に過ごせなかった。

 

 涙がジワリと滲み、グラスを包み直し――決意が生まれた。

 金沢にいる患者()を守ろう。遠野先輩であろうとなかろうと、匿うのだ。

 幸い、背氷村の別荘がある。身を隠すには、打ってつけだ。

 電話台の棚へ入れた電話帳を開き、病院の住所から電話番号を発見。

 迷わず、受話器を握る。無音に首を傾げれば、電源コードが抜かれていたと忘れていた。

 

「お忙しいところ恐れ入りますが……」

 

 ベテラン看護師に取り次いでもらい、件の患者を引き取る旨と伝える。彼女は息を呑み、予想外の返事をくれた。

 

「え……もう引き取り手が、決まっているのですか?」

 

 身元引受人は、金沢でも有名な資産家。

 知る人ぞ知る蝶マニアが、縁も所縁もない青年を引き取る。慈善行為に病院側も深く感銘を受け、その方向で話も進んでいると言う。

 

(蝶の図鑑……ソイツのっ)

 

 警察へ通報しなかった理由は、蝶マニアが金に飽かせた圧力だ。

 善意どころか邪悪な気配、虫唾が走る。

 

「彼は、知り合いかもしれないのです。違っていても、こちらが絶対に面倒を見ます!」

 

 必死の説得も虚しく、ベテラン看護師は詫びるように受話器を切ってしまう。配慮のある切り方だったが、悔しいさが募った。

 

……出遅れた!

 

 怒りに身を任せ、受話器を叩き付ける。瞬間、電話が鳴り響いた。

 着信も文字にビビりながら、取らなければならない。強い確信に受話器を持ち、恐る恐る耳に当てた。

 

「はい、金田……です」

(いち)君、合宿から戻ったんだな。携帯電話に掛けようかと思ったが……〉

 

 剣持(けんもち)警部。男気溢れる声が、妙に怖かった。

 

〈石川県警の猪川警部から、聞いたぞ。高遠の件で、相談したんだってな?〉

「……はい、その……すみません(猪川警部~!!)」

 

 流石、逃亡犯。こんな時だけ、報連相が成り立つ。イラッとするし、今後は控えよう。

 

〈責めてるんじゃない。スカーレット・ローゼスの事なら……金田一(きんだいち)も気付いてな、ちゃんと俺に報せてくれた。幽月にも、聞き取りしてある。心配せんでいい〉

「……ローゼスさん?」

〈スカーレット・ローゼスが高遠だったって話だ。(いち)君、確信が無くて黙っていたんだろ?〉

……!? あの人が、高遠さん……?

 

 突然、話が変わった思いきや衝撃の事実。

 仮面の奥にあった眼差しを思い返し、冷や汗が止めどなく流れる。何たる偶然だろうか、自分の相談は上手い具合に、噛み合ってしまった。

 

「……実は、そうなのです。自分、最後に高遠さんの声を聞いてから随分……経ちますのでっ」

〈やっぱりな……だからと言って、記憶喪失はちょっと面白かったぞ〉

 

 剣持警部の勘違いに、全力で乗っかった。

 

〈次に奴を見付けたら、俺んトコに持って来い。猪川警部から聞いただろうが、人違いの心配はせんでいい〉

「……はい、高遠さんを見付けたら……そうします」

 

 ここで遠野先輩に似た患者()の話をすれば、きっと助けてくれる。でも、それは事件の蒸し返し。どう足掻いても、立ち直りかけた遠野夫婦を再び、苦しめる結果となる。

 (いち)は白々しく、言ってのける。手にしたままのグラスをそっと抱き締めた。

 

「ただいま~、(いち)……誰に電話しよん」

「剣持さん、これから夕食に取り掛かります」

〈おっ、2人ともお帰りになったか。それじゃあ、(いち)君。またな〉

 

 玄関の扉が開き、金田祖父は怪訝そうにこちらを見やる。剣持警部の名を大きめの声で呼べば、納得してくれた。

 向こう側が通話を切る寸前、不可思議な言葉を言い残す。

 今、玄関で喋ったのは金田祖父のみ。何故か、金田祖父母が両方とも、不在だったと知っていた(・・・・・)

 

「剣持さんと、会っていたのですか?」

「せやせや、ホンマに時間食ってもうたわ。お惣菜()うて来たで、飯にしようや」

「あなた、お味噌汁だけ用意してくださいな」

 

 気怠そうな物言いは、また事情聴取だったと感じ取った。

 金田祖父は買い物袋を見せ付け、飄々と歩く。金田祖母も疲れた様子で、そう頼む。2人が開封された小包へ目を向けなかったのは、有難い。

 自分も金田祖父が電話コードをそのままにした点に、疑問を抱かなかった。

 

 荷解きの為と言い訳し、自室へ踏み入れる。独りになった瞬間、涙が止めどなく溢れた。

 

 ――昨日、あの手を掴んでいれば!!

 

 この身を案じてくれる人々を裏切り、患者()を匿うと決めたが、この様だ。

 判断の遅さに咽び泣く。

 ひと頻り泣いた後、勉強机へ置かれた携帯電話を手に取る。患者()を傍に置けないなら、他で手を尽くそう。幸い、人手はある。

 

〈もしも~し、宇治木です。……小声でごめん、金田君……どうしたの?〉

「宇治木さん、お願いです。斑目 紫紋について、調べてください」

 

 枯れた声故、普段以上に平静を装う。

 細心の注意が、必要だ。

 決して悟られぬ様、普段と変わらぬ生活を送ろう。金田祖父もそうであるように、自分も役者。『普通』を演じるという点において、名探偵の孫という身近なお手本がいるのだ。

 

 ――大丈夫、キミなら……きっと上手くいくよ。

 

 脳髄で囁く遠野先輩の声は、まるで生きている様に生々しかった。




黒河「金田君……牡羊座ね、何事にも挑戦的だわ。周りが見えなくなるとこも、あるようね。これから木星に止まり……調和を成すわ。あたしに分かるのは、ここまで……。さて、次回は『銀幕に立つ役者達-佐木 竜二』。大人達の……話が、メインね」

猪川 将佐警部
黒死蝶殺人事件ゲストキャラの石川県警。32歳にして警部とは、相当に優秀かエリート組

如月 美和
嘆きの鬼伝説殺人事件ゲストキャラ。階級不明の刑事、サングラスが特徴的

中野 宏和
嘆きの鬼伝説殺人事件ゲストキャラ。作中にて、部を引退。受験勉強に励む
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