金田少年の生徒会日誌   作:珍明

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昼食後、のんびりタイムで終わらない


9話 悪魔組曲の調べを聴いて

 『悪魔組曲』。

 第一楽章、第二楽章は詩の通りに荒々しく、それでいて逆境に立ち向かう不屈の精神めいたメッセージを訴える。第三楽章は嵐が過ぎ去り、救いに溢れていた。

 ピアノの旋律を堪能しつつ、(いち)は昼食後のコーヒーを啜る。客間には金田一(きんだいち)剣持(けんもち)警部、そして椿(つばき)が残り、他は書斎に籠りっきりだ。

 

「……キレイな曲だな。しっかし、本当に紅さんへ渡して良かったのか? 楽譜、お前が受け取るはずだったんだろ? わざわざ、オッサンの手まで借りちゃってさ~」

「ゴホゴホ!? 何の事だ……金田一(きんだいち)っ、俺にはサッパリだ!」

「どういう事でございましょうか? 金田一(きんだいち)様っ」

「……椿さん。絵を梱包する段ボール、2つ重なっていましたね。そこへ挟まれていたのですよ」

 

 ヴァイオリンケースと同じく、段ボールも御堂(みどう)先生が用意したモノ。封筒そのものを二重にした段ボールの間へ挟み、(いち)は知らずと贈与された絵と共に持ち帰る。

 それこそが彼の計画だった。

 企みに気付けた為、(いち)は剣持警部へ事情説明。喫煙を言い訳に客間へ行かせ、絵の裏側へ楽譜を隠して貰った。

 

「……紅様に楽譜を渡すどころか、下手をすれば…。……いえ、(いち)様が必ず気付くと信じておられた?」

「そこは分かりません。仮にゴミと一緒に処分されても、御堂先生はそれさえも神がお決めになられたと諦めるでしょう」

「そして……紅さんは生涯、楽譜を探し続け……御堂先生を想い続けるというワケか……。そんな惨い結果にならんで、俺は安心したよ。きっと、御堂先生も同じ気持ちだろうな」

「オッサン、昨日から御堂 周一郎に感情移入し過ぎじゃねえ? 演歌しか知らんくせにっ。」

 

 椿は自らの仕えた主人の遺志に絶句。

 矛盾した愛情表現や楽譜の行方はさておき、(いち)を本格的に楽譜騒動へ巻き込んだ点だろう。その理由は未だに不明だ。

 

「……(いち)様が楽譜を紅様へ見付けさせる為、お膳立てなされた。それは解りました。ですが……わざわざ、紅様に敵と言い放った理由をお聞かせ願えますか? あの場を誤魔化すにしても、もっと言い様があったと……」

「本当の事を言っただけです。自分が如何なる本心を持とうと、紅さん達にとっては敵でしかありません」

「……(いち)君っ、それは……」

 

 椿の更なる質問へ愛想よく答え、剣持警部が疑問した瞬間に扉がノックされた。

 

「内緒話なら、もっと小さい声で。折角のお膳立てが聞かれてしまいますよ。剣持君、連絡がありました。復旧工事は無事、終わったそうです」

「意外と早かったな。これで明日の学校には間に合うぞ、金田一(きんだいち)っ」

「それを言うなって~」

「黒沼先生からの連絡はまだですね……椿さん?」

 

 明智(あけち)警視から工事終了の朗報。安堵の雰囲気が流れる中、椿はすっと(いち)へ近寄った。

 

(いち)様、先にご無礼を詫び致しますっ」

 

 ――パァン

 

 横面に衝撃が走り、(いち)の視界がブレる。椿に頬を平手打ちされたと自覚したのは数秒遅れ、3人の絶句した表情を見たからだ。

 

「誰かの敵になるなど……馬鹿な真似は2度とおやめくださいっ。亡くなられたご主人様も……一聖様も悲しみます……。どうか……もっと、ご自身を大切になさってください……」

「? ちゃんと剣持警部に相談しましたし、1人で何とかしようとしていません……」

「金田君っ。椿さんの気持ちが分かりませんか?」

 

 椿の悲痛な訴え、(いち)は頬の痛みよりも強烈に胸を痛ませる。彼が必死になる理由に心当たりがなく、言い訳をしつつも疑問を投げかけてみたが、明智警視に宥められた。

 (いち)の勝手な行動を馬鹿な真似と呼び、身を案じてくれたスキー部3年生・白峰 辰貴(しらみね たつき)先輩と違う。別の理由で椿を心配させている。それだけは理解し、虚しさに襲われた。

 だが、謝りたくない。

 

「金田っ、どこ行くんだ!?」

「不貞寝っ」

 

 ダッと廊下へ飛び出し、慌てた金田一(きんだいち)に返事だけはした。

 2階の寝室へ入ろうとした瞬間、『悪魔組曲』が今度はヴァイオリンの音色にて奏でられる。ピアノも美しいが、弦楽器ならではの独特な調べに魅了される。思わず、戸を中途半端に開いたままの状態で聴き入った。

 御堂先生が悪魔を題材にし、(くれ)へ愛を語ったのは神への信仰心故。

 悪魔と遊べば悪魔になるけれども、いずれは何処かで必ず出会うだろう。決して、避けては通れぬ試練であり、良くも悪くも後の運命を変えるのだ。

 そう言う意味では御堂先生も悪魔だ。人を惑わし、幸せを与えるだけ与え、突如として消える。実際、(いち)も喪失感に苛まれた。

 

(……悪魔のような人間……)

 

 色のない薔薇をくれた「彼」が瞼の裏に現れる。顔や声など未だに思い出せず、代わりに幸せだった横浜の暮らしが脳裏に浮かぶ。

 中学校の恵まれたクラスメイト、面白ろ可笑しい先輩後輩の集う演劇部、不器用ながらも反抗期の息子と向かい合った母親。

 こんな時に思い返すなど、まさに悪魔的な力が働いているかのような厭らしさを感じた。

 ヴァイオリンが第二楽章を奏で、詩を思い浮かべる。

 

(されど悪魔は呪われし、地獄の詩を口ずさむ。……地獄……)

 

 不意に1人の男を連想し、ゾクッと衝動が走る。無性に会いたくて、この目で確かめたい。切望する思いを抑え込もうと学帽を深く、被った。

 

「金田君っ、不貞寝はどうされました?」

「明智さん……お願いがありますっ」

 

 明智警視は氷袋を持ち、さっきの深刻な雰囲気が嘘のようにキラキラと眩しい。それには構わずに以前、彼から提案された話を今になり、(いち)は受け入れた。

 理由も聞かず、フッと微笑んだ明智警視は取り計らう約束をしてくれた。

 

 ずっと続いていた演奏の終わりは別れの時、青空はどこまでも晴れやかだ。

 

「ケンゴ~、また会いまショウ♪」

「勿論ですよ、ミッシェル」

(……ミッシェルだろうが、マイケルだろうが、俺には違いが分からん)

 

 明智警視に呼ばれたミッシェル、マイケルの本名だそうだ。剣持警部に区別できないが、フランス人によくある名前。会話の節々にフランス語が混じっていた理由はコレだ。

 心底、どうでも良い。

 ただ、マイケルは相当に明智警視を気に入り、挨拶のハグがやたらと長かった。

 

「金田君は? 一緒に帰らないの?」

「あ~、椿さんに叱られてな。ちょっと不貞寝してるっ」

「気の毒に……。キミ達は同じ学校でしたね、彼にもよろしくと……」

「私からもお願いっ」

 

 (いち)を探す七瀬(ななせ)金田一(きんだいち)が本当の事を伝えれば、夏岡(なつおか)に同情される。

 紅は信じられない程、穏やかな態度を見せる。彼女は元々、年下にも礼儀正しかったと実感した。

 

「では、優歌さん。お先に失礼します」

「ええ、山根さん。私は椿と帰るわ。心配しないでっ」

 

 御堂嬢と椿は山根(やまね)達の車を見送り、エンジン音も遠ざかる。

 (いち)の電話に弁護士の黒沼(くろぬま)先生から連絡。山道を一般車両も通れるようになり、これから別荘へ向かう旨だ。

 

「金田君っ、楽譜は亜里沙さんへ渡して本当に良かったの?」

「それはこちらの台詞です」

 

 安心して通話を切った時、御堂嬢は椿と客間へ現れる。(いち)はずっと暖炉の前にて立ち、玄関ホールの会話は丸聞こえ状態。

 彼女が紅と言葉を交わす様子はなく、そこに何かしらの不満を感じ取った。

 椿は無言で紅茶を入れ直す。

 

「御堂さん達が絵について触れなければ、紅さんは何も気付きませんでした。偶然にしては出来過ぎだと思います。教えたがりの七瀬さんが勝手に喋ったのはともかく……自分、貴女には何も教えていません」

「……私がお祖父様だったら、この絵に隠したと思っただけよ。中々の名推理でしょう」

「はい、御堂先生の間近におられたご家族ならではの名推理です」

「フンッ、褒められた気がしないわ」

 

 釈然としない御堂嬢と本当の話をした。

 金田祖母は御堂先生が中学生時代の恩師であり、世界的に評価の高い天才画伯たる氷室 一聖(ひむろ いっせい)の実母。その氷室伯父を悼み、(いち)と会っていた事実。

 アルバム手帳にある古い写真を見せれば、御堂嬢は今までにない程に目を輝かせた。

 

「初めて見た……こんな写真があったのね。金田君のお祖母様に是非とも、お会いしたいわっ。椿、お祖父様はどうして、私に紹介してくれなかったのかしら?」

「恐れながら、姉はハッキリと線引きをされる方です。大旦那様の恩師である前に、私の姉。直接、お会いすれば、弟の私に立場がないと考えたのでございます」

「……ええ、祖母は元教師とあってか、人の目を気にする方です」

 

 もっと言えば、世間体。

 金田祖母は周囲の目が如何に恐ろしいか、知っている。(いち)を金田家へ住まわせると金田祖父が勝手に決めた時の顔を未だに忘れられない程、ご近所の目を気にしていた。

 

「……それでも、お祖父様には会いに来て欲しかったわ。ずっと孤独な人だと思っていたから、……昔を懐かしめるだけでも、違ったと思う」

(御堂先生も……孫娘に同じ心配してんだろうぜ。性格がそのまんま、一緒だもんなあ……)

 

 不服そうに御堂嬢は紅茶を啜り、(いち)はしみじみと祖父に似た性格の孫を眺めた。

 

「アナタの伯父様はどんな方? お祖父様はあまり、お話下さらなかったの。お写真を見る限り、アナタを溺愛していたように思えるわ」

「……ええ、伯父に愛されていましたし……自分も愛していました。貴女が御堂先生を愛したように……」

 

 氷室伯父は甥と写る瞬間だけ、笑う。紛う事なき愛を御堂嬢と語り合えるなど、夢にも思わなかった。

 (いち)は知る覚悟を決め、学帽を被り直した。

 

「……椿さん、ずっと聞きたかったのですが……伯父は甥である自分を養子にしたいと言っていませんでしたか?」

「……!? ……おっしゃる通りです。一聖様は(いち)様を養子にしようとお考えでした。ですが……アナタのお父上に強く反対され、叶わなかったと……」

「この写真の方ね……」

 

 あからさまに動揺しつつ、椿は粛々と事実を告げる。御堂嬢はアルバム手帳のページを開き、父・残間(ざんま)の若き日の姿を眺めた。

 母・にいみの発言は本当だったと確認出来たが、嬉しくない。氷室伯父の日記に記された「甥の一」は養子を諦めた自身への戒めと考えられた。

 

「……反対するなら、祖母だと思っていました」

「姉は反対などしません。寧ろ……一聖様がご自分の家庭を築く絶好の機会、そう……喜んでおられた程です。ご存知でしょうが、姉も元は椿の家へ養子として迎え入れられた身。ご理解あっての賛同にございます」

「……祖母は椿の家で……幸せだったのでしょうか? 椿さんが御堂先生に仕えるまで疎遠だったと聞きましたっ」

「……姉にしてみれば、恵まれた環境だったとだけ申し上げておきます」

 

 椿の返事が全てを物語る。これ以上、金田祖母が椿家で過ごした日々を蒸し返さないと決めた。

 

「娘にしか、興味のない父が自分を手放さなかった理由……何かご存知ですか?」

「……私には何とも。姉が申しますには……養子を甘く見るな、犬猫を引き取るのとワケが違う。子供が欲しいなら、結婚して実子を持てなど……、お父上は一聖様へ厳しく説教したと聞き及んでおります」

「伯父は結婚など、しません」

「はい。それが出来れば苦労はないと……姉も嘆いておられました」

 

 思いの外、キツイ言い方で断られていた。

 そうまでして手元に置いた息子への仕打ちを思い返し、イラっとした。

 

「……金田君、姉か妹がいるのかしら?」

「姉が1人います。御堂さんも会っていますよ。新春を祝うパーティーでマジシャンとして、お屋敷に招待されたと聞きました」

「……え? ……『幻想魔術団』の方!? ロバートと言う人形を使う方なら、……アナタのお父様に似ていたわ。でも、残間……役者名なの?」

「離婚したのです。父と母に分かれました」

 

 恥じるべき行為でもなく、隠すつもりはない。だが、御堂嬢は気まずそうに黙り込んだ。

 

「椿は……知っていたわね?」

「勿論にございます。背氷村の事件を知り、姉へ連絡した際にお聞きしました。まさかの事態に、この椿も背筋が凍り付きましてございます」

「父の友人達も離婚を知らない方が多いですよ。それに自分は「金田 正太郎」へ憧れていますので、金田姓を名乗れて満足です……アイタッ」

 

 養子騒動を知るなら、椿の反応も当然だろう。

 正直な気持ちを打ち明ければ、(いち)は椿から後頭部をぺチンッと叩かれる。さっきと違い、痛みはない為、軽い注意のつもりだろう。言葉が過ぎた。

 

「……折角だから、聞いてしまうけれども……お姉様は死骨ヶ原湿原ホテル事件の当事者よね? 『幻想魔術団』は解散してしまったでしょう。その後はお元気かしら?」

「はい、再就職に勤しんでおりますっ。精神がゴリラのように野性的ですので、事件の後遺症もないようです。この前、取っ組み合いのケンカをしましたが、頸動脈を平気で狙われました」

「……フフッ」

 

 姉・さとみを気遣われ、無用の心配と金田宅での私生活を教える。御堂嬢は当然ながら、椿もやっと微笑んでくれた。

 

「もっと……早く、金田君に会いたかったわ。……お祖父様の告別式へ来なかった理由は……氷室画伯の件があったから? 報道陣も多かったし、アナタの素性を知っている人でもいたの?」

「……棺に眠った御堂先生を見たくありませんでした。自分と握手してくれた……あの日の姿を目に焼き付けていたいのです」

「そう……そこまで、お祖父様を想ってくれたのね。ただの狂信的ファンだと思ったわ」

「間違っていませんよ。御堂先生は「コウノトリ」や「キャベツ畑」でお子さんを授かったと今でも、信じています」

 

 しんみりした雰囲気を脱する為、今度は御堂先生への想いを暴露。高校生に相応しくない子供染みた発言を聞き、御堂嬢はサ~ッと青褪めた。

 椿の手が動いた瞬間、レンタカーが到着したブレーキ音を聞く。(いち)は我先にと黒沼先生を出迎えた。

 

「金田君、無事で良かった。何も事件は起きてないね? ……頬っぺた赤くない?」

「ええ、とっても賑やかな一晩でした。ああ、こちらは弁護士の黒沼先生です。御堂さんは御堂先生のお孫さんです。早速ですが、封筒をお願いします」

「!? お祖父様の筆跡……っ」

 

 待ち焦がれた黒沼先生の挨拶もそこそこにし、『悪魔組曲』の詩が書かれた手紙を御堂嬢へ渡す。彼女の食い入るように文字を見つめる形相はちょっと怖かった。

 

「お祖父様は……どうして、金田君を巻き込んだのかしら……」

「おそらく……楽譜と同じ理屈かと……。大旦那様が何故、詩を(いち)様へ託したか……。そうお考えになられている間、(いち)様の御心は大旦那様の物にございます故」

「確かに……ここの所、御堂先生の事ばかり……。フフッ、先生にはまんまと心を盗まれてしまいましたねっ」

「事情は分かりませんが結構、洒落になっていない気がします」

 

 詩のメモを手にし、ようやく御堂嬢は安心したように見える。その独り言に答えた椿の推測は概ね当たっているだろう。何も知らぬ黒沼先生のツッコミが的確過ぎた。

 

「これは……金田君の物よ。私は暗記できるくらい、覚えてしまったわ。その代わり、アナタのお祖母様に会わせて頂戴。学生時代のお祖父様を知りたいわ」

「……!? ありがとうございます。お言葉に甘えて、頂いておきます。代わりと言っては何ですが、こちらを差し上げます」

 

 てっきり、返却を求められると思った。

 純粋に嬉しくなり、学帽を外す。内側へ隠し持っていた便箋、【亜里沙へ】と宛名書きされているのも構わず、お礼として御堂嬢へ手渡した。

 

「亜里沙さんへの手紙!? ……何処で?」

「楽譜と別にして、ずっと帽子へ隠していました。意外と気付かれませんね♪ まさか、自分の手元を疑いもせず、そのまま帰ってしまうとは思いも寄りませんでしたよ」

「便箋? また……何か、御堂 周一郎から渡されたと?」

「……ご主人様のご遺志です」

 

 ギョッとした御堂嬢は便箋を裏返し、封を剥がしたい衝動を抑え込んでいた。

 

「……アナタのご家族はマジシャン関係者ばかり、帽子に隠すなんて常套手段ね。仮にこっちを先に見付けていたとしても……楽譜はなかったと勝手に結論を付けるでしょうね。それで……この手紙は間違いなく、亜里沙さん宛よ。なのに、私へ託して構わないの?」

「ええ、中身は見ていません。御堂さんが手紙をどうするか、神のみぞ知るです」

 

 これまでの会話中も学帽を不審に思われないか、(いち)は緊張しっぱなし。ようやく、解放された気分だ。

 一方、運転中の剣持警部は手紙の存在がバレずに終わってしまい、現在進行形でヒヤヒヤした状態のままだろう。

 後日、詫びておく。

 ちょっとした嫉妬心による意趣返し、明智警視には気付かれると踏んでいた。だが、彼の目的は楽譜探しのみ。もしくは氷袋を持って来た時、追求するつもりだったのかもしれないと思った。

 

「神じゃなく、私の意思よ。この手紙の行方はっ。天国のお祖父様もきっと許してくれるわ」

「はい、失礼しましたっ」

 

 不満そうに口を尖らせ、御堂嬢は初めて年相応の表情を見せてくれた。

 黒沼先生が一息入れる為にコーヒーを飲んでいる間。(いち)は御堂嬢と暖炉前に並んで立ち、椿が嬉しそうに写真を撮る。現像が楽しみだ。

 その次は荷物を運び出そうと寝室へ向かう。椿も一緒になり、やっと2人きりだ。

 

「椿さん、自分に聞かせた事があるのではありませんか? 昨日、そう言っていたと記憶しています」

「……仰る通りです。……お聞き苦しいとは思いますが、私からの懺悔も含まれております。あの旅客機墜落事故の少し前、優歌お嬢様はご両親を亡くされました。ご主人様は突然の死別を嘆き悲しむ暇もなく……お嬢様に心細い思いをさせまいと必死で愛情を注ぎ、育てられていたのです」

「……お気の毒に……。御堂先生が……伯父を見舞えなかったのは仕方ありません」

「はい……一聖様は大火傷を気にされ、誰とも会わない。私共も鵜呑みにしておりました。まさか……姉、いえ……(いち)様さえ遠ざけているなど、思いも寄りませんでっ。背氷村の事件より、(いち)様を気に掛けずにいたと……悔やまれておいででした」

 

 御堂嬢の両親は推定通りだが、御堂先生の後悔は一部だけ共感はする。(いち)へ感情を向けるのは正直、行き過ぎだ。

 

「御堂先生にとって自分は友人の甥で、恩師の孫なだけ……ですよね? 責任を感じる必要はないと思いますが……、新品のピアノも買って貰いましたし……自分としては十分かと……っ」

「……(いち)様はいずれ、お分かりになられるでしょう。今一度、申し上げます。ご自身を大切になさってください」

 

 口に出たのは自分自身への言い訳、御堂先生から気に掛けられる謂れが思い付かない。

 だが、長年仕えた椿には理解できる様子だ。

 頬を打たれる程に心配させた理由もコレだろう。それだけは分かるが、消化不良に胸やけがしそうだ。

 ピアノの演奏が聞こえ、ハッと我に返る。

 『悪魔組曲』の第三楽章を奏でるのは御堂嬢しかいない。プロの演奏と違い、己の祖父への愛に満ちた指使いだ。

 実に心地良い旋律。

 

「今はまだ……御堂先生の気持ちも……椿さんの気持ちも分かりません。けど、自分を大切にしますよ。――陽造叔父さんっ――」

「……!? ……ありがとう、(いち)っ」

 

 分からない故、自分を大切にする。矛盾した約束と共に氷室伯父のように振る舞う。呼び方に保証はないが、椿の親戚としての柔らかい表情から正解だと知り、誇らしかった。

 

 見送りは椿のみ。御堂嬢の奏でるピアノの音色を聴きながら、別荘を出発した。

 

「結局、御堂先生はお孫さんと会わせたかった。そう言う事ですかね?」

「いえ……多分、伯父との思い出を教えたかったのでしょう」

 

 アルバム手帳を見ながら、残った問題と向かい合う。

 書斎で撮られた写真。

 あのフィルムカメラならば、撮影者の3人目が必要になる。おそらく、にいみがシャッターを押した。彼女は兄と同じく、写真を嫌う。夫以外の男と写るなど以ての外だ。

 しかし、この仮説には無理がある。

 兄妹は本当にお互いを忌み嫌い、妹は兄の名前が「一聖」だと忘れてさえいた。いくら、御堂先生の仲介があろうとも、同じ屋根の下でお行儀よく過ごせると思えなかった。

 それはあくまでも、(いち)の知る大人達の確執。

 御堂先生に恋人の紅がいると知らなかったように、兄妹の間に切り離せない絆があったかもしれない。そんな悍ましい想像はここまでにしよう。

 黒沼先生に重要な連絡事項があり、思考を切り替えた。

 

「黒沼先生、北海道へ行きます。一緒に来てくれませんか?」

「……証拠品返却の手続きでしたら、はい……ご一緒します」

 

 確かに還付請求までした重要な案件だが、違う。そっちじゃない。北海道を訪問する別件、それを伝えるのに緊張し、(いち)も数秒の覚悟を要した。

 

「高遠 遙一に面会します。……ちょっ!?」

「……金田君、……相手がどんな人間か……理解していますか?」

 

 告げた瞬間の急ブレーキ、シートベルトが(いち)の肩へ食い込む。問いかける黒沼先生は瞬きせず、瞳に強い警戒心を宿していた。

 何故だろう、高遠 遙一(たかとお よういち)への批難や軽蔑は感じない。それが不気味でゾッとする。だが、臆してはいけない。(いち)は会うと決めたのだ。

 

「はいっ、3人を殺害した容疑者です。自分の姉を……事件に巻き込んだ人です」

「同情ですか? 憐憫ですか? それとも……」

 

 高遠の罪状と事実だけを答えれば、黒沼先生は更に見開く。重ねられた問いは最後だけ、言い淀んだ。

 

「……確認です。……高遠 遙一が何者か……何故、4人目を見逃した(・・・・・・・・)のか……。直接、会って話を聞きたいのです。それを……黒沼先生に見届けて欲しいと……思います」

「……っ。あまり(・・・)、賛成出来ません。だから……私が危険だと判断したら、止めます」

 

 判決が出ていないとは言え、拘留中の容疑者と高校生の面会。

 弁護士として、黒沼先生の考えは寛大な部類だ。但し、瞬きしない表情が怖い。何かの感情が浮き彫りになったまま凍り付いている。そんな表現しか、できない。語彙力の足りさが情けなかった。

 

「ありがとうございます。……黒沼先生、もしかして……怒っていますか?」

「いいえ、……心配なだけです。高遠 遙一は綾辻 真里奈と違い、(いち)君が関わる必要はないと……思っていましたから……」

 

 申し訳なさを抱え、(いち)は感謝を述べる。黒沼先生は眉間のシワを指で解し、普段の表情へ戻った。

 

(あれ? 呼び方が……金田君から……(いち)君になってる。なんで? 嬉しいけど、なんで?)

(いち)君、電話が鳴ってます」

 

 (いち)は困惑しながら、発進させた黒沼先生の指摘にゴソゴソと携帯電話を見やる。つい先ほど、別れたばかりの明智警視だ。

 

「金田でございます」

〈金田君、面会の段取りが整いました。キミが良ければ、明日にでも可能です。どうしますか?〉

 

 小一時間前に頼んだばかりで早すぎる。これが本庁捜査一課エリート警視による権力、恐れ入った。

 返事はもう決まっている。

 

 ――瞼の裏にて、色のない透明な薔薇がチラついた。

 




金田「(いち)の祖母にございます。私が予告してもいいのかしら? それにしても、長い一夜だったわねえ。それもこれも御堂くんがやらかすからよ。……う、あの子の学生時代を思い出したら、頭が……。四六時中、傍に居た陽造はさぞ……苦労したでしょうねえ。え? してない? ……そうですかっ。さて、次回は『悪魔組曲の調べを聴いて‐残間 さとみ』。……げえ! 山之内っ」
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