金田少年の生徒会日誌   作:珍明

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3年前の事故は『悲恋湖伝説編』では5月だが、『幽霊客船編』では7月になっている
流石、設定に拘らない原作者の自由な発想(褒め言葉)

誤字報告により修正しました


27休 幽霊客船ツアー・後編

 星の瞬きは吹雪のチラつきに似て、空間の奥行も曖昧になる。

 窓越しの暗闇を海と信じられるのは潮の香り、轟々と騒がしい波の咆哮、船を軋ませる揺れがあるからだ。

 目の前の光景を夢と言われれば、どれだけ楽だろう。

 窓硝子に映った自分へ問いかけたが、返事はない。ノックの音が聞こえても、船体にカモメか波が当たったと思い込んだ。

 

「センパ~イ、ボクです。夕食、持って来ましたよ~。開けてください」

「どうぞ、開いていますよ」

 

 ノブが回り、竜二(りゅうじ)の気配がじりじりと近付く。振り返らず、素っ気ない態度だと思う。

 折角の船上パーティーを抜け出し、部屋に引き篭もった自分を心配で見に来てくれたとは分かっている。

 

「失礼しま~すって、ダメですよ。センパイ、鍵はちゃんと掛けないとっ。具合はどうです? 魚料理を中心に取り分けてもらいましたっ」

「わざわざ……佐木君が持って来なくても」

 

 不用心を叱られる。

 施錠したい気分ではなかった。そんな言い訳はやめておこう。

 

「ボクが言い出したんです。香取さんってウェイトレスがいるんですけど、この人しか料理を運んだり、空いたお皿を片付けてないんです。コックまでお喋りに夢中でっ。どうやら、鷹守船長がギリギリまで人件費をケチったそうですよ。機関長の大槻さんが言ってましたっ」

「……佐木君、自分に構わず……大槻さんとお喋りを楽しんでください」

「……っ。はい! ボクに任せてくださいっ」

「え?」

 

 皆と和気藹々と賑わって欲しい。

 そんな想いとは裏腹に竜二は胸を叩き、しれっとウィンクして出て行く。その後ろ姿は探偵の助手だ。小1時間程で部屋に帰還。

 ちょうど、(いち)も食事を終えたところだった。

 

「この船を運行する東太平洋汽船ですが、面白い事が分かりましたっ。あの東亜オリエント海運の系列企業……つまり、子会社です」

「……うん?」

「船長の鷹守、一等航海士の若王子 幹彦、二等航海士の水崎さんは親会社からの出向組です。この若王子さんが無線士も兼ねています。従って、専任者はいません。大槻さん、船医……etcは以前からコバルトマリン号の乗組員です。雑用係の香取さんは半年前からで……コック、三等航海士の加納 達夫は今回、初めて乗船します。コックは本来、この船の担当ではないんですが、水崎さんが上に無理を言ったそうです」

「……っ」

 

 違う。情報収集を頼んでない。

 こちらが項垂れたにも構わず、竜二は続ける。

 

「ボクら以外の乗客については……ナンパ野郎の大沢さんと吉田さんは、父島でダイバーのアルバイトをしに行きます。美里 朱美さんと飯島 優さんは高校生ですが、な~んか事情がありそうだと……ボクは思います。赤井さんは写真家でなんと、ボクらと同じ目的でした。中村 一郎さんは雪峯さんのお知り合いです。最後に時原 優さんは1人旅行と、鷹杉センパイがどうにか聞き出してくれました。この方、ボクが戻った時、会場に居ませんでした」

 

 報告終了と胸を張り、自信満々の竜二へかける言葉が見付からない。

 目の奥がジンワリと痛み、情報の洪水に脳髄は悲鳴を上げる。

 

「……白神さんを呼んでください」

「そう言うと思いまして、廊下で待たせています。ジャカジャン♪」

「思ったより、早かったですね」

 

 呼吸を整えながら、絞り出した声は自らのSOSだろう。頼んだ瞬間、竜二は喜んで扉を開け放つ。白神(しらがみ)は火のない煙草を口に咥えたまま、壁にもたれて佇んでいた。

 何という用意周到。

 気の利き過ぎた後輩の配慮、呆気に取られた。

 

「……ップ、フフフ、フハハ……ハハハッ」

「センパイ?」

 

 (いち)は腹の底から笑いが出る程、可笑しい。愉しい。

 竜二がキョットンと、目を見開く。

 

「……いえ、大丈夫です。佐木君がいてくれて……本当に良かったと思っただけですよ」

「センパ~イ♪ 元気出たんですね、良かったっ」

「ただの船酔いではないと思っていましたが……金田君、私に確認したい情報とは?」

 

 少年達の和んだ雰囲気を遠慮せず、白神は灰皿を探す。それだけで、(いち)の言葉を引き出そうとするような圧があった。

 仕方なく、(いち)は窓を少しだけ開ける。質疑応答の覚悟を示す為だ。

 

「船長の鷹守 郷三、一等航海士の若王子 幹彦、そして、乗客の時原 優さん。3年前、海難事故に遭ったオリエンタル号の生存者です」

「!? ……鷹守と若王子については……私も覚えていましたが、時原さんも?」

「ボクもその事故、知ってますよ。あ……東亜オリエント海運って、オリエンタル号を運航したっ」

 

 流石、ルポライター。既にご承知であった。

 自分も竜二の口から、時原の名を聞いた時は驚いた。同姓同名の別人の可能性は勿論ある。

 今、この状況では本人だろう。

 

「……海難事故の当事者が3人も乗ってるなんて。センパイはそれも『幽霊船長』の仕業と考えて?」

「いいえ、佐木君。4人です」

「……金田君、今日は勿体ぶりますね」

 

 考え込んだ竜二へ即、訂正。白神は煙草を吹かし、苦笑交じりに文句を言われた。

 普段、彼とのやり取りはすぐに終わらせたくて、(いち)は速攻で答えるのが常。

 指摘され、自分の緊張を自覚。深呼吸し、脳髄の奥で貼りつけられた名を舌へ乗せた。

 

「三等航海士の加納 達夫、竜王丸の生存者です」

 

 部屋の空気が一瞬で、重くなった。

 波の音すら、遠退いたように感じる。誰かの息遣いが響き渡った。

 

「……在り得ない(・・・・・)。そもそも、竜王丸の生存者は報道に名が上がってません。金田君、どこで……アツッ

「裁判の傍聴を聞かれた方から、教えて頂きました」

 

 声を出す度、(いち)の喉は詰まりそうになる。

 その強烈過ぎる事実に白神も動揺し、口に咥えた煙草の灰が手に落ちる。

 加納 達也(かのう たつや)

 オリエンタル号に衝突したタンカー・竜王丸側の唯一、生き残った乗組員。裁判にて、自らの上司だった船長・鹿島 伸吾(かしま しんご)に、事故の責任があると証言した。

 その結果を語る必要はない。

 

「……なら、鷹守船長達も加納が何者か知っているはず……それなのに肩を並べて同じ船に? ……いや、信じがたい……」

「ええ!? ……3年前の事故で、向こう側だった人が今ここに……? 金田センパイ、船ってそんな……適当に人を乗せるもんじゃないでしょう。人違いじゃないですか?」

「では、聞いてみますか? 加納本人に」

 

 竜二の言葉は混乱の末、疑問が出ただけ。

 加害者側と被害者側が同じ船に乗り、航海士の役割を担う。

 そんな事があり得る(・・・・)なら、人間の感情も倫理も、すべてが海に沈んだのだろうか。

 納得できない。理解したくない。それでも、知ってしまった。

 

〝気付いて……どうしても放置出来なかった〟

 

 記憶の底で、金田一(きんだいち)の声が泡の様に浮かぶ。彼の言葉が自分の背中を押し、更なる追究に対する勇気をくれた。

 

「佐木君、大槻さんは加納については何か言っていましたか?」

「はい。加納さんは厄介な持病を患ったから、まともに仕事が出来なくて……この船に来たと」

 

 竜二に確認で問えば、大槻(おおつき) 健太郎(けんたろう)機関長の口の軽さに何とも言えない。

 初対面の中学生に、内部事情を暴露し過ぎである。

 表向きの事情があろうと、加納三等航海士の病床に東太平洋汽船が情けを掛けたとは考えにくい(・・・・・)

 

「白神さんは船長と、どのような話をされましたか?」

「『幽霊船長』ですよ。お噂について、いくつか質問したところ……鷹守船長の方から乗り気になってお話してくれました。今朝方、船長室にあのお手紙が置かれていたそうです」

「ヒェッ、やっぱり……去年に亡くなった船長の幽霊が書いたんですかね?」

 

 怪奇文書の話になり、気が重い。誤魔化そうと知らなかった点に着目した。

 

「佐木君、亡くなった船長とは?」

「センパイ、そこは知らないんですか……。前の船長、航海中の事故で亡くなったんです。事故に遭った乗り物って、気味悪いし、自然と幽霊の噂が立つもんなんですよ。そこに2ヶ月前の目撃者証言! 兄が言うにはミス研で相当、盛り上がったそうですよ。学園祭で発表するテーマにしようって」

 

 別の意味で、頭が痛い。生徒会執行部として、責任感が疼く。

 

「……鷹杉さんは写真部ですよね? 掛け持ちの届出はありませんが……」

「写真部も幽霊撮りたくて、今回も企画に協力したとか」

 

 いっそ、合併した部になれば良い。

 

「……佐木君、その船長……本当に事故で亡くなったのですか?」

「はい、葬儀も上げてます」

 

 さて、ここまでは前置き。竜二のお陰で緊張も解れた。(いち)は本題に入ろうと口元を手で覆い、深呼吸を隠す。

 

「白神さん、香取さんと面識がありますよね? 彼女からは何を聞いていますか?」

「……やっとその質問をしてくれましたね。ですが、金田君。先に答えてください。金田 にいみとはどのようなご関係で?」

(にいみ、センパイのお爺ちゃん達の名前じゃない……なんかで聞いた気が……)

 

 香取(かとり)の名を出せば、必然的に来る質問。

 ここからは家庭の問題。出来れば、竜二は関わらせたくない。かつて、竜太(りゅうた)にも遠慮してもらったのだ。

 

「ボク、お皿を片付けてきます! センパイ、ちゃんと鍵をかけてくださいね」

「佐木君……」

 

 流し目を送った途端、竜二は片付けを名目に部屋を後にする。閉める直前に見せた笑顔、気を遣わせてしまった。

 白神は煙草を灰皿に押し付け、遠慮なく施錠。(いち)に窓を閉めるように指で指示し、扉から最も離れたバスルームの手前へ招いた。

 

「佐……竜太君から、聞いていませんか?」

「いいえ、彼は何も……金田君に気を遣ったんでしょう。香取さんから「金田 にいみ」の行方が知りたいと申し出があった時、任せてくれと……私を遠ざけましたからね」

 

 竜太はあんな態度を取った自分に、どこまで優しいのだろう。

 

「……母です」

「ああ、やはりそうでしたか。失礼ですが、長く連絡が取れていない様に見受けられます」

「はい、去年の2月からずっと……」

「……それはさぞ、心配でしょう」

 

 意を決し、告げる。白神は想定通りと目を伏せた。

 

「……香取さんがお母様の名を出したのは、私の名刺を見せた後でした。どうやら、お母様は私を知っているようなんですが、金田君は何かご存知ですか?」

「……二神先生を覚えていますか? 横浜で開業されている医師です。先生は母の高校生時代の先輩になります」

 

 白神の端正な顔が絶句で歪んだ表情を初めて、見た。

 

「金田君、お母様は友人を選んだ方が良い。いえいえ、それより……成程、香取さんはお母様から私の名を事前に聞いて……彼女は私に何か、伝えたい事があるというワケですね」

「そもそも、香取さんとどう知り合ったのですか?」

「このコバルトマリン号を深夜に張り込んでいたところ、香取さんにお会いしました。宇治木さんと交代して、何日もかかりましたよ」

「深夜の時間帯に……高校生の竜太君が一緒だったと?」

 

 (いち)の疑問に白神は口を噤む。竜太なら、勝手に付き纏った可能性が高い。半分、呆れた。

 

「この船の乗組員だとは、知りませんでした。あちらも初対面のフリを望まれたのでね」

「……でしたら、竜太君も香取さんがここにいると知らないのですね……」

「おや、香取さんに呼ばれたワケではないんですね。金田君は何故、ツアーに?」

「お世話になっている方から、クーポン券を頂いたのです」

 

 口に出しながら、不安に駆られる。

 

「白神さん、『幽霊船長』の狙いは何でしょうか? 鷹守船長に出したなら……3年前の事故が関係していると思いますか?」

「金田君はオリエンタル号にご執心のようですが……お母様もその船に?」

「いいえ、親戚同然の付き合いをしている方が乗っていました。……事故がトラウマになって、水恐怖症に陥っているのです」

「……それだけですか? もっと深い因縁を感じます」

 

 誤解されまいと事実のみ伝えたが、白神に納得されない。

 現時点において、怪奇文書の書き手を知られるのは危険だ。一般家出人扱いの行方不明者が今、関与している。乗船中の雪峯(ゆきみね)刑事も事件性を疑い、捜査に乗り出す。

 凶と出るか、吉と出るか、見当も付かない。

 船の到着は明後日の午後5時。

 いっそ、船をわざと故障させて東京湾に引き返す手もある。

 

〝気付いて……どうしても放置出来なかった〟

 

 再び、金田一(きんだいち)の声が反響する。まるでこれから起こる出来事に、立ち向かえと囁いているような感覚だ。きっとこの場に彼がいたなら、頼ったに違いない。

 

「金田君、竜二君がいて良かったと言ってくれましたね。私には同じ気持ちは抱けませんか? 私はっ、金田君に呼ばれて嬉しかったです」

「……白神さん、それは……」

 

 白神は虚実を許さず、真実を暴く。捜査する側の目をしている。

 出会った頃は怖かったが、今は違うと心は訴えた。

 

「……あれは母の筆跡です

「!? では、お母様がこの船に乗っていると?」

 

 声は怯える。自分でも分かる程、掠れていた。

 

「分かりません。本当にそれは……」

「金田君、ここまでしましょう。歩けますか?」

 

 (いち)の異変を察知し、白神はすぐに話を中断。肩に手を添え、ゆっくりとした足取り。ベッドへそっと横にしてくれた。

 太陽の匂いが染み込んだ布団へ包まれ、呼吸が楽になる。

 

「後は雪峯さんと相談してみます。ゆっくり、休んでください」

「ありがとう……」

 

 白神は横たわった相手の靴を脱がし、気配が遠ざかる。

 カチッと音が鳴り、場は暗闇に落ち着く。船の揺れに身を委ね、静かに瞼を閉じた。

 

 

 早朝6時、船室で目を開ける。天井と岡持(おかもち)の顔にビビり、布団を被った。

 

「金田、鍵かけてねえなんて。不用心だぜっ」

「……岡持君、おはようございます。寝起きの自分に何の御用でしょうか?」

「聞いて驚け、出たんだよ。調査対象の『幽霊船長』♪」

「……!? 誰に何が、あったのですか!」

 

 糸目を更に垂れ下げ、岡持は呑気な口調。冷や汗を掻きながら、咄嗟に布団を蹴り飛ばす。

 『幽霊船長』の怪文書に従い、事件が起きたと思うのは当然だ。

 

「ま~ま、落ち着け。怪我人はなし、……誰も欠けてない(・・・・・・・)。時原さんが夜中に1人で甲板にいたら、出たんだとっ。すぐに香取さんが駆け付けたけど、その時は誰もいなかったってさ」

「……ホッ、……時原さんのご様子は?」

「俺が見た感じ……結構、怯えてた。ソイツのせいで……海に落ちかけたらしくて」

「事件ですよ、それっ」

 

 同級生絡みの事件経験を踏まえ、岡持は言葉を選ぶ。あまりにのんびりされ、衝撃の報告が天気の話と誤解しかけた。

 急ぎ足でシャワーを浴びている間、外から聞こえる彼の声は妙に悠長。

 もっと警戒心を持って欲しい。

 

「雪峯さんはこれだけだと事件じゃないって言うんだ。鷹守船長は勘違いだって決め付けて、馬鹿にして来たんだぜ。腹立つ~」

「乗客が海に落ちかけたのですよ。何故、船長は深刻に考えないのですか? 白神さんやえ~と、赤井さん達は何と言っていますか?」

「すぐに調べようとしたぜ。けど……船長がお客様はさっさと寝ろ!! って怒鳴るんだ! 仕方ないから、日の出まで待とうって話で落ち着いた」

(嘘だろ、そんな扱いされんのかよ)

 

 事件云々以前に鷹守船長の責任感の無さにゲンナリ。人として、その態度は如何なものだろう。

 ドライヤーで髪を乾かし、カーテンを開ける。天気は快晴だ。

 地平線から太陽がかかる。美しい日の出に見入っていたいが、のんびりしていられない。

 

「夕方みてえに真っ赤だ……偶にはこう言う光景も良いもんだ♪ 鷹杉さんも写真撮りに起きてるかもな」

「……岡持君、随分と落ち着いていますが……。分かっていますか? ミス研がまた事件に巻き込まれるかもしれません」

「……怖くないって言ったら、嘘になる。でもさ、俺達は船から降りられないんだぜ。ジタバタしてもしょうがないなら、元々の目的は果たす。折角、調査にかこつけて部費でツアーに参加してんだしな」

「岡持君……部費を使っている自覚があって、何よりです」

 

 慌てふためくより、岡持は状況を見極める。

 彼は日々、家業の弁当屋に携わる。そこで培った対応力故の判断だろう。同じ接客業でバイトする身だが、その逞しい態度は見習いたいものだ。

 身支度を整え、(いち)と岡持は甲板を目指す。隣の部屋にいる竜二へ声をかけようとした。

 

「朝飯の時間になるまで、寝かせてやろうぜ」

「今は6時半ですから、後1時間はそっとしておきましょう」

 

 船尾のベランダには甲板へ続く非常階段がある。その途中に上下階へ繋がる階段から、大沢(おおさわ)吉田(よしだ)が勢いよく駆け上がる。ぜえぜえと息を切らし、汗だくでこっちを見た。

 

出た……また出た!

「レストランに……」

「出たって……『幽霊船長』? 金田!」

 

 2人の途切れ途切れの訴えを最後まで聞かず、(いち)は駆け出す。詳細など後回しだ。

 レトロな雰囲気の家具が置かれたレストラン、鷹杉(たかすぎ)赤井(あかい)のカメラ組、中村(なかむら)もいた。3人は壁紙に貼られた何かを注視している。

 

「鷹杉さん、何がありましたか?」

「金田君、今度は写真が貼られているのっ」

 

 鷹杉に場所を空けてもらい、写真を見た。

 

「どこかの階段で撮られたみたいですな」

「アパートかマンションに見えるが……」

 

 中村の指摘通り、場所はマンションの非常階段。そこから下りて来る青いワンピースコートの女。

 無駄に長い前髪、遠くを見る眼差しはカメラ目線ではない。撮影者の反射がない。誰が撮ったのかが、曖昧だ

 紛れもなく、にいみがそこに写っている。

 写真を見た瞬間は何も思わない。ただ、胸の奥が氷の様に強張る。怒りより、もっと古くて冷たい感情。言葉にならない拒絶が指先に集まり、拳を握りしめた。

 

「やれやれ、今度は何です? お客さん方、写真が~って走って行きましたよ」

 

 疲れた歩き方の航海士が野次馬を遠巻きに見つめ、せせら笑う。

 

「加納さん、見て下さいよ。私、6時からずっとここにいたのにっ。ちょっと目を離している隙にここへ貼られたんです」

 

 目の下の隈が沈む程に窪んだ男、加納……三等航海士だと今、認識した。

 赤井に事情を説明されても、知らん顔。イラッとする。

 

「そんなコト言って、お客さんが貼ったんでしょう? 昨晩も幽霊が出たって喜んでいたくせに」

「何だと」

「あたし達、何もしていません」

 

 小馬鹿に笑う加納は写真も見ず、わざとらしいため息。侮辱された中村は怒り、鷹杉は真剣に訴えた。

 そこでようやく、加納は興味なく写真を見た。

 余裕綽々の笑みが崩れ、目を見開き、口はあんぐりと開く。(いち)は彼の感じる恐怖が伝わり、ゾワッと背筋が粟立つ。

 

……あ、ああ

「おい、どうした?」

 

 ガタガタと震え、加納は呻き声を上げる。心配した中村が彼のモールに手をかけた瞬間、バシッと弾かれた。

 

俺に触るな!! 誰だ! 誰がこんなイタズラしやがった!!

 

 加納は喚き散らしながら、レストラン内にいる全員へ凄む。今にも、手にかけそうな迫力にコックもタジタジになる程だ。

 

「知っているのですか? この人を……!?」

 

 (いち)は初めて、加納へ問う。

 彼もこちらに気付く。否、絶対に聞かれたくない質問に反応しただけだ。

 

「違う……俺じゃない、俺のせいじゃない!!

「加納さん!」

 

 恐怖に慄きながら、加納は叫ぶ。赤井の引き留める声も無視し、廊下へ飛び出した。

 

「うお……加納! 何をしているんだ!! お客様の前だぞ!!」

 

 ガリガリに痩せた船員服の男、若王子(わかおうじ) 幹彦(みきひこ)一等航海士が加納へ激しく叱責する。それも構わず、加納三等航海士は走り去った。

 

「皆さん、不審な写真があったと聞きましたっ」

「これです。加納さん、この写真を見て逃げたんです」

 

 さっと現れた雪峯刑事へ、鷹杉は詳細を述べる。

 それらの声が遠い。

 怯えた加納の叫びが(いち)へ突き刺さす。ひとつの確定した事実。

 

(加納は……会っている……)

 

 容赦のない現実に痛みは感じず、荒れ狂う吹雪の音が心を支配した。

 

〇●……――時原(ときはら) (ゆう)は日が変わる深夜、甲板に出ていた。

 綺麗に片付けられ、船上パーティーの名残はひとつもない。

 先程の光景が目に浮かぶ。

 一等航海士の若王子 幹彦、自分と対峙しても差し障りのない挨拶のみ。殺意を抑え込みながら、名乗ってみたが、無反応。あの男はかつての乗客だった時原(ときはら) 昌樹(まさき)全く(・・)、覚えていなかった。

 自分は昨日の事、それこそ数分前の様に3年前を思い返せる。

 激しい衝突音がした後、危機感を察知した優と昌樹は甲板へ向かった。救命ボートへ乗る為だ。

 そこで見た(・・・・・)

 甲板にある救命ボートを下ろし、白い船員服を脱ぎ捨てて、我先に救命胴衣を身に着ける人影。若王子の乗員としてあるまじき行為を――。

 昌樹はそれに構わず、先ずは優へ救命胴衣を着せた。駆け付けた他の乗客にも見付けた救命胴衣を渡してしまい、彼自身の分が無くなったのだ。

 

 ――他を探す! キミは先に飛び込んで、出来るだけ船から離れろ!!

 

 それが昌樹との最後の会話だった。次に会った彼は呼吸もせず、ブルシートに横たわっていた。

 不思議と涙は出なかった。

 この3年、優は思い出す。何度も何度も。

 若王子が乗客に紛れ、最初の救命ボートに乗って逃げて行く様を――。

 コバルトマリン号に付き纏う幽霊の噂は、知っていた。

 昌樹に会えるかもしれない。幽霊でも会いたい。そんな気持ちを抱え、事故以来の乗船を果したのだ。

 若王子と再会は、昌樹の導きに違いない。

 

 ――許さない

 

 乗客を、昌樹を、見捨てたくせに、まだ船乗りをやっている。目の当たりにした現実に沈んでいた波が嵐の如く、荒れ狂う。

 この船には都合の良い『幽霊船長』がいる。若王子に何かあっても……そこまで考えながら、不意に虚しさが襲う。馬鹿々々しいと自身を諫める。

 同時に心は荒む、殺意は押し寄せる。また虚しくなる。

 その繰り返しに囚われ、背後から近付く足音に気付かなかった。

 背中に受けた衝撃が突き飛ばされる力と認識した時、暗い海を捉えた視界は満天の空を映す。前屈みになっていた為、手摺を掴んだのは僅かに残った生存本能だ。

 優の居た場所に人影があると思った瞬間、それは走り出した。今度の足音はハッキリ、聞こえた。

 

「た、助けて……」

 

 船のエンジン音、夜の荒波、優の絞り出した声は掻き消されそうで怖い。生きたいと手摺に縋った。

 

助けて~!!

「誰!? お客様、大丈夫ですか!」

 

 甲高い声が駆け寄って来た。

 ライトの光に照らされ、反射的に目を細める。雑用係の香取 洋子だと分かった途端、助かったと安心した。彼女が呼んだ船員の助けもあり、引き上げられる。

 

「何があったんですか!?」

 

 親身になってくれる香取に問われながら、返答を躊躇う。動揺もしていた。

 あの事故と違うが、死にかけた。1人でいるところ、背を押された。

 殺されかけた。

 悪意と殺意によって――。

 誰にだ? 若王子の可能性は勿論、ある。

 だからこそ、この名は使える。臓物が竦む恐怖の中、脳髄の一部は恐ろしいまで冷静だった。

 

「……『幽霊船長』が……」




剣持妻「和枝です。閲覧ありがとうございます。ドラマ版はタイタニックの上映後だから、映画のネタがたくさん入ってるのよ♪ 私もいるしね、ちょっとだけど……。さて、次回は『幽霊客船を流刑船と呼ぶならば』!! 船の上は意外とゆっくり出来ないのよね」

時原 昌樹
アニオリ回想キャラ。劇中にて事故発生時、我が身可愛さの若王子に海へ突き飛ばされる
原作小説と違い、流石にやり過ぎと思ったら「乗客に紛れて、救命ボートで先に逃げる」が某豪華客船のオマージュ。映像化の際、改変するしかなかったんだろうなあと思います
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