その有名な生徒は、自身の住んでいる寮以外にもう1つ小さな空き部屋を持っていた。
それは元は単なる空き部屋で、汚れ荒れ果てていて、持ち主も物置にさえ使えないと放置していたような場所。そんな部屋を命を救った対価として格安で使わせて貰えることになり、彼女は徹底的に清掃を施した。そうして生まれ変わった小さな診療所、つまりは彼女の小さな城。
「……なるほど、分かりました」
「ほ、ほんと?じゃあ原因って……」
「姿勢の悪さです」
「え」
「勉学に励むことは素晴らしいことではありますが、自然と猫背になってしまっていませんか?または長時間座りっぱなしだとか」
「そ、それはその、確かに……」
「少し矯正をしておきましょうか。そちらのベッドの上でうつ伏せになって下さい。それと固定用のコルセットも後ほどご紹介します」
「う、うん!ありがとう!」
年中バタバタとしている救護騎士団には頼りづらいような、小さな健康の悩み事。それこそ腰痛だったり肩凝りだったり、お腹の調子だったり。そんな軽い悩み相談がメインとなって、彼女の元には舞い込んで来る。もちろん人には言えない様な身体の悩みなんかも。
1年生ではあっても既に噂は学園内に広がっており、常日頃であれば厄介なそんなトリニティ気質も、彼女にとってはむしろ有難いこと。特に医療に関しては決して譲ることなく先輩だろうが役職だろうが遠慮することのない彼女の気質は、そういった立場の者ほど好ましく思う傾向にあったりもする。絶対に自分の悩みを言い触らしたりしない人間、その信頼の裏付けにもなっている。
「……つまり、ご自身の身体の成長具合を少し不安に思っていると。そういうことですね」
「え、ええ。……その、見ての通り他の生徒達とは違うというか、異様に大きいというか。それを揶揄されることもそれなりにあったり。きょ、去年まではここまででは無かったのですが……」
「……成長ホルモンの過剰分泌により身長が異常に発達する"巨人症"、女性ホルモンのバランスが崩れることによる"乳房肥大症"などが事例としては有りますが。ハスミ様の場合は病と結論付けるほどの症状は見られません。恐らくそれに類似した原因があったとは考えられますが、健康上の問題はなさそうです」
「な、治ったりとかは……?」
「それは、これ以上の成長を抑えたいということですか?」
「そ、そうです……出来ればその、今の状態も少し……」
「……乳房はともかく、身長の改善には非常にリスクの高い手術が必要になります。薬品により成長を阻害することも出来ますが、それもまた健康上のリスクが伴います。現状の成長度合いであれば、様子見が最善かと思われますが」
「……あの、ダイエットとかは効果があるのですか?」
「理論上は。しかしハスミ様の役職を考えるに、適切な食事によるエネルギーの補充は不可欠かと思われます。身長体重比も現状決して気になるほどではありません。しかし、それでもと言うのであれば、食事管理を徹底すると言う方法もあります。助言程度は出来るかと」
「お、お願いします……!」
「承知しました、では日々の生活に支障が出ない程度に食事を管理していきましょう。……ちなみにハスミ様、間食は取られますか?甘い物が好物という噂は聞いたことがありますが」
「…………………」
「……なるほど、これは難儀しそうですね」
というように、成長期の少女達には体の悩みは付きもので。当然ながらこういった成長に関する相談が持ち込まれることも多い。それは彼女が感情が薄く、というよりは興味を示すような下世話な人物ではないという理由が大きい。
悩みには真摯に向き合い、可能な限りの協力をしてくれる。特に彼女に相談した内容は決して外に出てこないという事実も大きい。これもまた組織ではなく個人で活動しているが故の利点でもあるだろう。
「ね、ねえねえ……?いきなりで予約とかはしてないんだけど、今って良いかなぁ?なんか今日、っていうか今月、ちょっと重過ぎて……ここに診療所があるって聞いたんだけど……」
「もちろん構いませんよ、ミカ様。そういった月もあるでしょう。そこのベッドをお使いください。毛布やクッション等もご自由に。湯たんぽ、ハーブティー、ラベンダーのアロマ等も用意可能ですが如何でしょう」
「い、いたれり尽せり〜……出来れば全部お願いしたいかなぁ、うぅ」
「カーテンもありますので、どうぞ衣服も崩して頂いて構いません。必要であれば着替えもご用意致します。……少し室温も上げましょうか」
「……もしかして、割と私みたいな子って来たりする?」
「ええ、それほど珍しい事ではありません。ですのでお気になさらず、十分に必要なだけお休み下さい」
「うぅ、助かる〜……」
近くに救護騎士団の支部が無いという立地故に、移動教室や部活動中に体調を崩してしまった生徒。我慢していたものの限界になってしまった生徒。果てはこうして女性特有の悩みから助けを求められることもしばしばある。
こればかりは仕方のないことであるし、求められれば教員に代わりに連絡を入れることもある。あまり頻繁に利用されても困るが、逆に遠慮もして欲しくない。その辺りの調整も腕の見せ所と言えるのだろう。
「血行を良くするためにも、なるべく体を丸めずに……そうです。少し身体を押しますね」
「おお、手慣れてるね」
「いえ、それほどでは。ミカ様は普段から運動もされているようですし、少しの解しでそれなりの改善が見込めるかと。……とは言え、この具合を見るに万全では無さそうですね」
「たはは、最近は色々と忙しくてね〜。これでもほら、ティーパーティの1人だから。ナギちゃんやセイアちゃんみたいに政治は出来ないけど、お仕事には困らないんだよ」
「そうでしたか、お疲れ様です」
今は他に患者は居らず、まあなんだかんだ言いつつ基本的に生徒達は救護騎士団を利用するのでそれほど繁盛している訳でもない。むしろ繁盛してしまうと困るのだが、これはこれくらいがベストとも言えるのか。1人の患者に向き合える、疎かにしなくて済む。良いことだ。
「……ふーん。噂通り、ではないかなぁ。ミネ団長の妹みたいな子が来たって聞いてたけど、イメージと少し違うっていうか?」
「そうでしょうか」
「うん、ミネ団長よりもっとクールな感じがするね。あんまり表情も変わらないし。……これはこれで厄介かなぁ」
「そうですか」
「……あれ、今のはもう少し深く聞くところじゃないの?何が厄介なのかー、とか。わざわざ下見に来たのかー、みたいな」
「政治をされる方は足りているでしょうから。故に私が政治に関わることはありません、可能であるなら関わりたくありません」
「……へえ?それはつまり、必要なら関わるってこと?」
「私が必要だと判断すれば、そうなることもあるでしょう」
「ふ〜ん?やっぱり不思議な子だね」
「そうでしょうか」
「うん、気質はむしろナギちゃんに似てるかも」
「……」
未だに顔色悪くはありつつも、こうして話をする程度の余裕は出て来たのか。若しくはその為にここに来たのか、その辺りは分からないし聞く気もないが、その言葉には少しの引っ掛かりを覚えたりもした。思いも寄らない一言と言うか、言われたこともないような発言というか。
「ん?どういうところが似てるか気になる?」
「ええ、正直に言えば」
「ナギちゃんもミアちゃんも、他人のために嫌な仕事を引き受けちゃう優しくて損な子ってことだよ」
「……」
「私は政治とかあんまり得意じゃないんだけどさ。結局こういうのって、変に前のめりな人より、ナギちゃんみたいに他人の為に渋々やってるような人達の方が向いてると思うんだよね。……だってそうじゃない?そういう人って、目の前の悪意を解決するより、見過ごす方が疲れちゃうんだから。損してるよね。でもミネ団長みたいに熱くもなれないから、冷静にも居られるでしょ?」
「……確か、ミカ様はナギサ様の幼馴染でしたか」
「うん、だからナギちゃんのことは良く知ってるよ。ナギちゃんが今の立場に実はそこそこ疲れてることとか、それでも責任を投げ出すことも出来ず頑張ってることとか。私の我儘に呆れつつ、それでもちゃんと尊重してくれてることも。……大事な幼馴染だから。そんなナギちゃんが友達になりたいなんて言い出した子のことを知りたいって思うのも、当然のことじゃない?」
「そうですね、当然の話かと」
「だよね〜」
つまりはまあ、別にここには政治的な思惑を持って来た訳でも、本当に体調不良が理由の偶然であったという訳でもなく。大切な幼馴染の友人候補を、少しのお節介であっても確認しに来たと。そういうことらしい。
それを過保護と思うか執着が強いと捉えるかは人によるであろうが、まあ特段思うことはない。彼女と自分が似ているという点に関しては未だによく分からないが、しかしミネと自分の違いに関しては、彼女はよく見ていると感心するしかないだろう。
「では、私はミカ様のお眼鏡にはかないましたでしょうか。……どのような回答を頂いたとしても、私の為すことに変わりはありませんが」
「だろうね〜、でもそういうところも好印象。うん、いいんじゃないかな。少なくともナギちゃんの相談相手にはなれそう」
「それはなによりです」
「……でもね、一つだけ疑問はあるよ」
「?」
「ナギちゃんは確かに君とお友達になりたいって言ってたけど、君の方はどうなのかな?ほら、だってお友達って片思いで成り立つものじゃないでしょ?」
「……」
一瞬、ピリッと空気が揺れる。
電流が走ったような感覚、向けられる視線は鋭い。しかしそれに対しても一切の動揺を見せないこともまた、この女の胆力とも言えた。
「……それはそれほど難しい話でしょうか」
「うん?」
「誰かに『友人になりたい』と願われて、それを嬉しく思うのは人間にとっては当然の話です。それがナギサ様ほどの方からとなれば、より確かに。それは私とて例外ではありません」
「……へえ、意外と人間味あるんだ」
「どころか、先ほどの話を聞いてその思いはますますに深まりました」
「さっきの話?」
「ミカ様が語ってくださったではありませんか。桐藤ナギサという女性の良いところを」
「……!」
「私は自分の人を見る目をそれほど信じてはいませんが、しかし少なくとも私の感じていたことを彼女の幼馴染である貴女も感じていた。それを嬉しく思いました。……ミカ様の質問に対する回答として、これが適切かどうかは分かりませんが」
「……ミアちゃんって、もしかして感情が表に出難いだけだったりする?」
「他者より薄いことは自覚しています」
「あはは、なるほどね〜」
その答えに納得したのかどうかは言葉にしてくれなかったが、ミカはそれを最後に目を閉じて寝息を立て始める。喋るだけ喋って満足したら寝始めるのだから、勝手な女だと言う者もいるかもしれないが、むしろ彼女は『はよ寝ろ』と思っていたので丁度良い。
それから大凡1時間ほど仮眠をしてから、彼女は少し回復した顔色のままに診療所を去っていった。いくら体調が悪くとも、風のように、アクティブに、噂に偽りはなしとでも言うかのように。
「………セイア様とミカ様の様子からして、そろそろなのでしょうね」
「"先生"がお越しになるのは」
ティーパーティー、救護騎士団、正義実現委員会、シスターフッドと、既にトリニティにおける代表的な組織の(実質的な)トップ達が1人の生徒と接触している。
この事実は実際のところ偶然の要素も含まれていたりはするのだが、だからと言って何も知らない者達にとっては必然にしか見えないのは仕方がない。それこそどの派閥の者達も彼女の動向には注目しているし、憤っていたり、むしろ熱を上げている者さえ居る始末。
そして噂というのは何処からともなく広まるもので、彼女とミレニアムのセミナーとの関係も薄らとではあるが広まり始めている。これがゲヘナでないだけマシではあるが、それ故に実はビッグシスターの差し向けたスパイなのではないかという根も葉もない噂まで出て来たのだから、あまりにもである。
「……とは言え、セミナーから正式に転属の要望があったのは、どうやら事実のようですし。セイアちゃんも興味津々みたいじゃないですか、聞きましたよ?色々と」
「わざわざシスター服まで着て接触を図った君がそれを言うのか。どういう風の吹き回しだったんだい、ハナコ」
「一切の派閥に入らず、あらゆる権力に屈することのない新入生……気になるじゃないですか、そんな噂を聞いてしまったら」
「彼女の性質は君の求めている改革、否、革命を齎すようなものではないだろう。一見すれば二代目"蒼森ミネ"、二台目"壊れた救急車"と呼ばれるのも致し方のないところではあるが、その本質は明らかに別質の異なるものだ」
「そう、ですね……セイアちゃんの言う通りです。"期待外れ"というより、理想とは違うタイプでした。彼女はトリニティの壁を破壊するような方ではなく、その壁を障害とさえ見做していない様に感じました。私と彼女では真に分かりあうことは出来なさそうです」
わざと部屋の灯りを消し、星の光と月の光に照らされた窓の下で、白い湯気と温かさを楽しみながら、学年の異なる2人の少女達は呟く様に語らう。
互いの表情は見え難くとも、互いに互いの性質故に、そこに込められた心情、感情を読み解いていく。失望、興味、困惑、疑問、混沌とした感情模様。
「彼女はそれほどセイアちゃんの予知に影響を与えたんですね。またこうして落ち着いてお茶を楽しめる機会が出来るとは思いませんでした。それくらい酷い顔をしていたので」
「……未来そのものは、それほど大きく変動してはいない。けれど気紛れに彼女とナギサを結び付けてみたら、対する暗雲に比べればあまりに微かなものであったとしても、確かな光明を生むことが出来た。それは希望だ」
「組合せによる変化?若しくは彼女そのものの特異性?どちらにせよ確かに未来が好転したというその事実こそが、セイアちゃんにとっては大切だったんですね」
「ああ、だからこそ今日はこうしてハナコを呼んだんだ。多少無理矢理になってしまったし、君の嫌がる行為であると分かっていたとしても、それでも」
「……嫌ということは、ないですが」
ある日から異様なほどに落ち込み、塞ぎ込み、ミカとの口喧嘩さえもしなくなり、むしろ心配されてしまうほどの顔色の悪さを見せる様になった彼女から、こうして呼び出された。
確かに周囲の目を気にする彼女にとって、ティーパーティたるセイアに呼び出されるという事柄は悲しくも嬉しいことでは無かったが、少なくとも彼女は深夜に呼び出すという形で便宜を図ってくれている。
それだけで十分だと。立場は確かにあるけれど、それ以前に2人は友人であるのだから。
「ハナコ、彼女のことを調査……いや、監視して欲しい」
「……!」
「少なくとも私のこの選択もまた意味のあるものであったし、同時にまたもや彼女の関わる事象で未来は好転している。私が信頼している君の目で彼女のことを見極めて欲しい」
「なるほど……そこまで言われてしまったら、断る訳にはいきませんね。それにまあ、私も彼女には少しばかり興味がありますから。なにせ彼女は来週、シスターフッドに"自慰行為"の講習を行うつもりなんですよ!?そんなの見に行かない選択肢なんてないじゃないですか!」
「……そうだね」
珍しく本気で興味津々と言った顔をしているハナコを見て、まあ多少であってもこうして今の彼女を喜ばせることの出来る要素があることにセイアは苦笑いを浮かべる。こういう意味でも意味があると、ハナコのためにもなると、提案することを決めたのだから。
「さて……未だ暗雲の表皮さえも剥がす事は出来ていないが、漸く傷を付けられた程度ではあるが。不思議な話だ。にも関わらず絶望するどころかむしろ足を動かしているのだから、自分自身さえも真の理解は遠く難しい」
「ふふ。絶望し切ったのか、はたまた漸く見つけた可能性に心が躍っているのか……少なくとも私は本当に嬉しく思っていますよ。元気なセイアちゃんの顔がまた見られたんですから」
「お互い様だろう、それは」
この和やかな時間もまた、今度こそ最後だと思うのか、もう一度必ずと考えるのか。そういった小さな考え方一つで人の生き方は変わるもの。それはつまり未来を変えるということでもある。
目にするだけで膝を折りそうになる暗雲を前にしても、果たしてどれほど抗い続けることが出来るのか。セイアは今正にそれを問われていた。