よろしくお願いします。
今更言うまでもないが。
トリニティ総合学園というのはアビドス程でなくとも敷地面積が尋常ではなく、その辺りは流石に三大校の1つと言われるだけのものはある。それこそ元は争い合っていた多くの学園が1つになったことが成り立ちであるから当然とも言えるだろう。
しかしそうなると、これもまた当然に、今はあまり使われていない区画や建造物なども多くある。そういった場所にセーフハウスを作るという動きは実のところ珍しくはなく、今回ミアが呼び出されたのは正にそんな隠れ家の1つであった。
「……正直意外でした。ミネ様もセーフハウスをお持ちだったのですね、それもこのような場所に」
「それこそ、こういった場合を想定してのものです。定期的な清掃を心掛けているとは言え、衛生的に万全な状態で無かったことだけは改善の余地がありますが」
「便宜を図っていただきありがとうございました」
「いえ、事情は聞いていましたので。もちろん、浦和ハナコさんと乙花スミレさんが構成員であるということも。この状況で一刻も早くハナコさんに援軍を送りたいという貴女の気持ちも理解出来ます」
「……それでは、お聞かせ願えますか?なぜ私からハナコさんやナギサさんへの連絡を禁じられたのか。正直なところ意図を図りかねています」
「……」
外見からは想像も付かない程に綺麗に清掃された建物の中、地下室の1つで。救護騎士団:団長の青森ミネは、今もベッドの上で意識を取り戻さない百合園セイアを横目にミアに対して以前と変わらぬ瞳を向けてくる。
それに対して一歩も引く事がない姿勢はミアも同じで。両者がこうして向き合えば自然と妙な緊張感が発生してしまうのは、仕方のない事なのだろう。それとも本当にそれだけの理由があるからなのか。
「今回の件について、私は事前にセイア様から相談を受けていました。こうして襲撃を受けることまで含めて」
「……!!」
「そして今回ここに貴女を呼び出したのも、ハナコさんへの連絡を禁止したのも、セイア様の指示によるものです」
「セイア様の……?」
知らない、そんな話は。
ミアの知っているルートにはそのような話は無かったし、そのようなことをされる理由にも心当たりは無い。致命的な失敗をしたのはミレニアムでの一件だ。その余波が既にこのトリニティにも及んでいるということなのか?しかしそれにしては関連がなさ過ぎるように見える。
「……」
そして、そんなミアの表情の変化をミネもまた見逃さない。
眉を顰めて確信した。
「なるほど、やはり貴女は……セイア様の見る未来に何かしらの影響を与えているのですね」
「っ」
「セイア様は仰っていました、自分の見る未来に妙な変化があると。そしてそこには必ず甘使ミアの姿があったと」
「……それで?」
「否定はしないのですね」
「ええ、しません」
ミアの相変わらずの態度に対して、彼女より少しだけ長く生きているミネは色々な気持ちを込めた溜息を吐く。もう少し賢く生きられたのなら、少しは楽だろうに。まあそんな生き方はミネにも出来ていないものではあるのだが。
「それでは……仕方ありませんね」
「はい?」
「貴女にはしばらく、ここで大人しくしておいて貰います」
「っ!?」
そうしてミネは、後手に隠していたリモコンのスイッチを押した。
「なっ!?」
あまりにも古典的な罠。
それは落とし穴だとか、檻を落とすとか、技術の進んだミレニアムで一時期でも暮らしていたミアからしてみれば何の冗談なのかと思うような代物。
しかし古典的なものだからこそ、洗練されているという見方もある。例えばそれは古くから存在する強者達を封じ込めるために、尋常ではない強度で作られていたりとか。そんな古典的な罠を、二重で仕掛けてどちらかに確実にハメる手法だとか。そういう。
「………っ、ミネ様。これはどういうつもりです?」
天井に擬態していたものは可変式の檻であり、それを落とすのと同時に落とし穴も起動する。いくら甘使ミアと言えど足場が無くなった状態でまともな回避行動などすることは出来ず、落ちるだけ。
そして常識的な火器程度では破損させることもほぼ不可能なこの檻から……ミアが脱出することなど出来る筈がない。隠し扉から地下室に降りてきたミネに対して、出来ることなど睨むだけ。
「このようなことが許されるとでも」
「貴女を守るにはこうするしかありませんので」
「守る……?」
「ええ、それを違えれば貴女は亡くなる可能性があるそうです」
「……!」
武器は部屋に入る前に持ち込まないで欲しいと取られてしまって。端末は圏外の表示、これも恐らく意図的なものだ。事前に言われた通りスミレにはこの場所を伝えていないし、助けを呼んだところでこれでは……
「セイア様は仰っていました。犠牲が最も少なく済む、今の状態で未来を固定したいと」
「なっ」
「そのためには、貴女をエデン条約関係の荒事が収束するまで隔離させておく必要があると。このトリニティを守るため、頭を下げて頼み込んできたセイア様の意思を、私は尊重します。貴女をここから出すつもりはありません」
鍵や扉さえ存在しない檻の前で、蒼森ミネは仁王立つ。あらゆる意味で絶対に敵に回したくない存在が、今こうして何よりも在って欲しくない壁として立ち塞がった。
「敢えてもう一度言います。トリニティを守るため、そして貴女を守るためにも、私は死力を尽くします。……甘使ミア、貴女はどうなのですか?貴女は一体何のために戦っているのですか?」
「っ……」
「セイア様も仰っていましたが、貴女の行動は未来を知っているにしては半端が過ぎます。貴女は本当に他者を守るために戦っているのですか?」
「それ、は……」
「……」
「……」
「………………セイア様からの願いがなくとも!そのような半端な覚悟のまま死地へ向かう事など決して認めはしません!医療士としてだけでなく、1人の先達としても!私の救護の意志にかけて!貴女をここから出すつもりはありません!!」
壁は高い。
『セイアちゃんが、襲撃された……!?』
始まりはそんな報告。
ミアと共に連邦生徒会を訪れた際にトリニティから連絡があり、ハナコとナギサは急ぎトリニティへと戻った。話はそこから始まり、そこから捻れは始まったと言ってもいいのかもしれない。
「はぁ……何故こうなってしまったのでしょう」
結局、こうして自分が最も苦手に感じている立場に追いやられてしまって。仕方ないことだと分かってはいても、それを受け入れられるかどうかは別の話。
「とは言え、流石にこの状況では……」
雨が降る窓の外を見つめながら、報道に映っていた彼女に思いを馳せる。
もう少し時間がかかるものかと思っていたが、彼女はどうやら簡単に3人の生徒会長から推薦を貰えたらしく、自分以外のもう1人の加入者を見つけることも出来たという。しかもナギサからの情報では、何故かまた怪我をして入院中なのだとか。
ゲーム開発部の手伝いとか、そういう話を聞いた際には疑問にも思ったが、やはり遊んでいた訳ではないらしい。彼女は彼女なりに必要な努力をしていた。
だからこそ、ここでの問題だけでも、自分の力で自分なりに解決したいと思っていたのだが……やはりつくづく、自分にはこういう才覚というか、センスが無いのだと思い知らされる。
テストの問題とは違い、現実の問題を解決するというのは、単に知識があれば良いというものではないのだから。少なくともこういうものについては、やはりミアほど自分は上手く出来ない。そのことをハナコはここ数日で強く認識させられた。
「補習授業部……トリニティの裏切り者を探す為の隔離場所。その臨時教師を務めることについては、まあいいのですが」
今こうして与えられている補習授業部の教師役という立ち位置はナギサの指示によるもので、それはつまりナギサが疑っている人間を集めた場所の見張り役。
しかし集まった人物達の素性は……もうなんというか、理屈は分かるものの、どう反応したらいいか困るもの。もしミアと行動を共にしていなかったら話は別だったかもしれないが……
「ヒフミさんの銀行強盗は、まあ事実として。下江コハルさんは本当に成績が致命的に悪いだけ。こちらは正義実現委員会への牽制のつもりもあるのでしょうけれど、残念ながらコハルさんの成績が度を超えて悪過ぎます。これではハスミさんも気付かないでしょう。この成績では処置的に妥当と言えなくもありませんし」
補習授業部、それは表向きには単なる成績不良者の寄せ集め。もしこのまま改善が見込めなかった場合、部活は強制退部、特別クラス行き。朝から夕方まで勉強漬けのほぼ軟禁状態になる……と表向きにはしている。
まあ何も分からなければ監禁してしまえ、という判断なのだろうが。ハナコからしてみれば既に犯人だって分かっている。
「犯人は白州アズサさんですね、迷う必要もありません」
ヒフミは疑われても仕方ないが白だ。なんなら彼女が疑われている銀行強盗はミアの指示だし、ヒフミからの直接の願いが無ければハナコも話していた。けれど改めて念を押すくらいにはヒフミはナギサに自分がブラックマーケットに出入りしていたことを知られたくないらしい。
正義実現委員会も副委員長のハスミの過激な言動はあったものの、彼女はあれで意外と暗殺や騙し討ちなどという手段を嫌う。なにせあの蒼森ミネと同部屋だった過去もあり、今でも出会せば口論をするような直接的な気質なのだから。本当にそれほどに激昂した相手であれば、彼女は暗躍や暗殺どころかそのまま殴りに行くくらいするだろう。その方が余程イメージしやすい。
まあ、少なくともハナコ自身が疑われていることはまずない。ナギサも混乱はしているが、今のところはそこまで判断力が低下している訳ではない。
……なによりナギサは、ハナコがミアのことを心酔しているのを知っているのだから。そこを本気で疑い始めたら、彼女は本当に何も信じられなくなってしまう。そこは本能的に回避しているはず。
「ですから、この問題の解決自体は簡単。大凡の証拠を集めて、アズサさんをセイアさん襲撃の犯人として突き出せば良い。それだけ。……そう、それだけ」
だが、そんな簡単な解でいいのかと。どうしてもハナコの頭の中からそんな考えが拭えなくて、今もこうしてただ証拠を揃えるだけの日々を送っている。
この問題が根深い事はハナコだって分かっている。そして未来を見通すセイアや、奇妙な視点で戦っているミアがあれほど苦悩している問題だと。そんなものが、この程度の解法でどうにかなるものだとは到底思えない。
「もっと、もっと深い根から知らないと……私では結論を出せない。ミアさんが困らないような十分な回答を」
ならばその答えをミアに直接聞けば良いと誰もが思うだろうが、そこはハナコにも面倒なプライドがあった。ミアの助けとなると決めた自分が、彼女の力となると決めた自分が、そんなにも簡単にミアに助けを求めていいものかと。せめて自分なりに最善を尽くしてからでなければならないのではないかと。
……この間にもしミアから連絡があれば別だったであろうが、ミアの方もミアの方でハナコの邪魔をしたくないと思っていたのだから仕方ない。自分より上手くやってくれるだろうと。連絡がないのは順調という証だと。その辺りに悲しいすれ違いが生じていた。
「ハッ、ハナコさん!」
「……ヒフミさん?」
「あ、えっと、実は先ほどナギサさまから合宿を行うようにと指示がありまして。今直ぐに準備をするようにと」
「……あの、今回のテストの結果は?時間的に5分ほど前に皆さんの端末に送られていた筈ですが」
「……コハルちゃんとアズサちゃんが、その」
「なるほど、赤点だったということですか」
「は、はい……」
それなりに頑張って勉強はしていた筈なのだけれど。さて、今回はどんなミスがあったのか。名前の書き忘れか、解答欄の間違いか、それとも割と致命的な勘違いを持ってしまっていたのか……
「ミアさん、早く来て下さい……」
思わずポロッとそう漏らしてしまうくらい、ハナコはぶっちゃけ困っていた。そもそも未来が分かる筈のあのセイアが襲撃されたという事実に困惑しているし、それに付随して押し寄せてくる大量の案件によって精神的にも肉体的にも精一杯なナギサは頼りに出来ない。正直このトリニティにハナコが頼れる人間というのがほぼ居なくなっていた。
せめてもう1人くらい頼れそうな人間は居てくれないものかと、そう心の中では思ったりするのだが、やはりそんな都合の良い話というのはなかなか無くて……
「今日より補習授業部の健康管理のため派遣されました!ミレニアムサイエンススクール……いえ、連邦調停部フラスコ所属の乙花スミレです!よろしくお願いします!」
「……………???」
「え、誰?」
「よ、よろしくお願いします!」
「なるほど、健康管理か。確かにそれは重要な問題だ、よろしく頼む」
「ええ!それでは早速、まずはストレッチから!その後にランニング!せっかくプールがあるのですからスイミングも取り入れることにしましょう!では早速、体育館へ!」
「え、勉強は???」
心強い援軍が現れました。
何故こうなったのか、本当によく分からない理由で。
「さあさあ!いっちに!いっちに!白州アズサさん!素晴らしい姿勢ですね!呼吸もバッチリです!」
「これくらいなら問題ない、慣れている。……スミレ、貴女もよく鍛えられている。これほど鍛え抜かれた身体は滅多に見られるものじゃない」
「もちろんです!トレーニングは全てを解決します!この世の全ての問題は筋肉と運動で解決出来るのです!」
「そ、そんなわけなくない……?」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「あ、あのー?せ、せめて少しお話しとか……ス、スミレさーん?」
分からない、本当に分からない。
というか、どうやって理解すればいいというのか。
彼女だって分かっている筈だ。ここに居るのが自分と同じフラスコに所属している人間であると。であるならば普通、こういう時は当然に、事前に挨拶をして、少しくらい事情の説明とかをするものなのではなかろうか。
なぜそれがない。
なぜそれをしようともしない。
なぜそれどころかランニングを楽しんでいる。
「運動は素晴らしいものです!一生ものです!」
「同意する、鍛えた身体は緊急時でも裏切ることはない」
「ちょ、ちょっと!?この2人合わせたら駄目なパターンじゃない!?」
「す、水泳なんて……む、むりです……」
「全ては虚しい、だがそれは健康管理をしない理由にはならない」
「そうですとも!どんなに辛く苦しくとも!運動をやめる理由にはなりません!というか運動は楽しいものなのでやめるという選択肢がありません!さあ!水着に着替えましょう!ハナコさんもですよ!」
「ミアさーん!?通訳はどこですかー!?どうして電話に出てくれないんですかー!?ミアさーん!?」
ここに来て初めてハナコはミアに電話をかけた。もちろんミアは出なかったのだが。それほどにどうにかして欲しかったのだ。
何故こんな頭のおかしい運動狂いを仲間に引き入れたのか。本気でよく分からない。というか、本当に彼女はミレニアムの人間なのだろうか。まったくもってそうは見えない。
「ちょ、ちょっと待って……あ、あんた!本当に何しに来たの!?邪魔しに来たわけ!?私達これから勉強しないといけないんだけど!!」
そうだそうだ、言ってやれコハル。
ここでの本題は勉強なのだから、健康管理のための運動など最低限で良いのだ。だから運動ばかりで勉強の出来ない人間など不要……
「はい、そうですね。事前に皆さんの回答は見せて頂きましたが。基本は整っているようですし、これなら後はケアレスミスを無くすだけで赤点脱出は目指せるはずです。しかし現状、そのミスが課題の1つと言っても良い状態になっているようですね」
「え、勉強も出来るの!?なんで!?」
「これでもミレニアム生ですので、最低限は。それにスポーツとは科学です。効率を求めるのであれば勉強というものは避けて通れないものなんですよ」
「む……なるほど、運動にも勉強が必要なのか」
「ああもう……」
ああ、ああ、優秀な人物だという事は分かったとも。運動だけでなく勉強だってそれなりに出来る、そして人格面だってスポーツ狂いなところ以外は善人だと。
……だが、だからと言って。
「せめて説明の一つくらいはなかったんですか、ミアさん」
心の底からそう思った。