「貴女が甘使ミアか」
「ええ。はじめまして、アズサ様。事情は知っています、トリニティでの生活は如何ですか?」
「……悪くない、かな」
「そうですか、それは何よりです。それでは早速始めましょうか、アリウス・スクワッド及びマダムを名乗るゲマトリア:ベアトリーチェに対抗するための作戦会議を」
「……流石に事情を知り過ぎじゃないか?」
「知っていますから。そこを説明することは出来ませんので、ただ受け入れて頂く以外にはありません」
「なるほど、聞いていた以上に真正面だ」
病室で寝ているというその姿、しかしそれだけでも存在感というものが感じられる。これほど目立つ人間というものはなかなか見られるものではないし、何よりその何処までも正面から自分をぶつけて来る精神性にアズサは驚く。
……しかし、なるほど確かに。これほど信じやすい人間というのもなかなか居ないだろう。信頼がなくとも信用は出来る。それは代え難い性質だ。
「……分かった。まず前提として、貴女はアリウスのことについてよく知っている。それもマダムやサオリ達のことも、それでいい?」
「ええ、アリウススクワッドの彼等が秤アツコ様を解放するためにベアトリーチェの指示を受けて動いていることまで」
「……本当にすごい、それはアリウスの中でも極限られた生徒しか知らない話。私だって触り程度しか聞かされてない」
「本件に関して目立った問題は2つあります」
「2つ?」
「大人であるベアトリーチェの排除方法と、単にベアトリーチェを排除しただけではアリウス分校が正常化することはないということです」
「……!」
「ベアトリーチェの支配前から内戦をしていたアリウス分校の闇は根深く、染み付いた教育による洗脳もまた固い。故に前提としてアリウス分校は解体します。これは避けられないことだと思われます」
「っ」
何をどうしたらそこまでの内情を知ることが出来るのかと何度も驚かされるが、そこはもうやはり彼女の言う通りに受け入れるしかないのだろう。何度も驚いていても何も変わることはない。
アズサがすべきなのは、回答である。アリウスに所属していた生徒として、そこを抜けた生徒として。これはアズサの役割だ。
「……私もそう思う。アリウスの問題は決してマダムだけが原因じゃない。もしマダムを排除したとしても、次のマダムが同じことをするだけ。それでは何の意味もない」
「ありがとうございます、賛同して頂けたことに安心しました。しかしアリウス分校を解体するとなると、これはやはりトリニティ総合学園として動くしかなくなります。つまりは戦争が前提となる」
「……」
「更に言えば、つまりそれはアリウス分校の生徒達が行き場を無くすことと同義。このキヴォトスにおいて所属を無くすというのは家を無くすも同然。仮にトリニティに残すにしても、彼等には敗者という不名誉が付けられてしまいます」
「……それでは、どうしたらいいんだ?」
「そこを今考えているのです。全てをベアトリーチェに押し付けることも可能ですが、恐らくそれでは意味がない。アリウスの生徒達に価値観を変える機会を与えつつ、次の居場所を用意する。アズサ様にはその道筋を私と共に考えて欲しいのです」
「そういうことか……」
なるほど確かに、これはアズサでなければ出来ないだろう。アリウスの内情を実際に見たことのない者がいくら頭を捻ったところで意味がない。
問題の根本を治すには、ミアの力だけでは出来ない。知っているのは知識だけ、実態など見たこともないのだから。
「分かった、任せて欲しい。ただそのためには少し時間が欲しい。トリニティの力を借りる以上、現実的に何処までのことが出来るのかをナギサと相談した方が良いと思う」
「ええ、仰る通りです。……しかしそうなると、逆に私はあまり関わるべきではないような気もしますね。何処まで行こうと、私は部外者ですし。少なくともメインの計画はお二人が作ったものであるべきでしょうから」
「……あるべき?」
「私が作った計画で、私が両者を繋げたとして、それでは歪みが生じると思うのです。それではまるで、私が強引に繋げたようですから。事実が必要です、建前だとしても。それは侵略や戦争ではなく、トリニティとアリウスが共に手を取った結果であると」
「……」
アズサは思う。彼女は真正面からだし、愚直ではあるけれど、馬鹿ではない。どころかむしろ、彼女はかなり先のことまで考えている。それこそトリニティやアリウス、両者が辿るであろう未来を見据えている。
……もちろん、それは完璧なものではないけれど。出来得る限りの思考を費やしている。
「私には他にやるべきことがあります。アズサ様、この件については貴女とナギサ様にお任せしてもよろしいでしょうか。どのようにアリウス分校を解体するのか、きっとお二人なら最善に導いて下さることでしょう。ベアトリーチェ打倒は私の方で考えます」
「……その重い期待に応えられるかどうかは分からないが、全力は尽くす。だからどうか貴女にも協力して欲しい。サオリ達を止めて欲しい」
「そちらについてもお任せ下さい。正直まだプランはないのですが、必ず最後まで責任を持って取り組みましょう。錠前サオリを含めた、貴女の家族は必ず私が"救い"ます」
「……ありがとう、甘使ミア」
そこまで話すと、ミアは松葉杖を取り出してベッドの上から降りようとする。アズサは慌ててそれを補助しようとするが、しかし彼女は慣れたようにして重傷を負っているはずのその身体を動かす。
安静にしていなければならないと言われているのに、そんな時間はないとばかりに。
「また、何処かに行くのか?」
「ええ、私はまだミカさんを救えていませんので」
「聖園ミカか……彼女を救うと言っていたと聞いた、いったい何処まで肩入れするつもりなんだ?」
「無論、最後まで」
「……」
「私は自身の罪と責任を常に自覚し、その可能な限りを清算しなければなりません。しかしそれと同時に、この手の届く限りの人々を助けたいのです」
「……つまり、義務と趣味。その両面を以て貴女は聖園ミカを救おうとしている」
「後者に関しては、それほど難しい話ではありませんよ。目の前で転んだ方を見てしまえば、手を差し伸べ、治療をする。しなければならない。否、したい。それだけのこと」
「……手を差し伸べることがあったとしても、治療までしたいと思う人間はそうは居ない。そして恐らく、貴女の治療は怪我の治療だけでは済まない気がする」
「可能な限りの治療をする、医療士として当然のことです」
「……その上で、その大きな手で届く限りを救いたいと」
それだけの言葉を残して、彼女は迷うことなくコツコツと音を立てながら聖園ミカの居る場所へと歩いていく。補助をする隙さえも見せることなく、アズサはその後ろ姿をただ見送るだけ。
「そんなことは不可能だ、出来る筈がない。……それをするには貴女は、限度を知らなさ過ぎる。妥協の出来ない貴女がそんなことを続けていたら、きっと……」
故に彼女が容易く語る"救いたい"という言葉は、他者が感じ得るそれより遥かに重く深い。つい先程に気軽に約束してしまった、サオリを含めた自分の家族を救うというその願いだって……
「……いや、彼女のことはハナコに任せよう。それこそ部外者である私が口を挟むことじゃない。それに」
その願いは確かに不可能なことではあるし、破綻するようなものではあるかもしれないけれだ。そうだとしても、間違ったものではないし、尊く美しいものではあるのだから。
それを無関係な人間が無造作に触って手垢を付けるようなことは、したくない。
「やっぱりめちゃくちゃ重傷じゃんか!!」
「いえ、それほどでも」
「それほどだよ!目とか大丈夫なんだよね!?それ本当に治るんだよね!?」
「治ります、まだ失う訳にはいきませんから」
「根性論じゃんそれ!?」
地下の一室に閉じ込められている聖園ミカ、そんな部屋に立ち入ることが許されている甘使ミア。何故か入る時に監視をしていた生徒達にヒソヒソとされていたが、そんなことを気にするはずもなくミアは今ここに居る。
「さて、ミカさん。そんなことはさておき、今後の方針について話し合いましょう」
「さておけないんだけどね!?」
「治りますから、大丈夫です。ですから、それはさておき、今後の貴女の動きについて話しましょう」
「……まあ、治るんならいいけどさ」
「ではまず、聖園ミカさん。貴女には今後、アリウス分校の潜むカタコンベ内で、とある災厄を打ち倒して頂きます」
「…………うん、ごめんね。ちょっと話のペースが早過ぎてついて行けてないかも」
「分かりました、では少しずつ説明します」
ここでも変わらぬ単刀直入。
ミカの前に座りながら、彼女はバッチリと目と目を合わせて言葉を紡いでいく。
「まず本件について減刑を進めるためには、前提となるアリウス分校の現状解明と、貴女自身の挽回の機会が必要です。もちろん深い反省も」
「……まあ、分かるには分かるかな。そのために戦力として私を利用するってことだよね?でもそんなこと仮にもスパイだった私に許可が出るのかな?」
「出るでしょう。責任をトリニティ以外に押し付けた上で、トリニティに被害が生じないように配慮さえすれば」
「それって……」
「フラスコ主導で私と共にカタコンベ内に先陣として突っ込む、ということです。貴女を運用するにあたるリスクや責任については全て私が引き受けます」
「っ、またそういうことする!」
「貴女が私を裏切ることはないでしょう、であれば何の問題もありません」
「それは、そうかもだけど……」
しかしそれは言うまでもなく自己犠牲の一種である。ミカとしては裏切る気などないけれど、そこまで背負い込まれるというのにはやはり抵抗感というか、申し訳なさが強い。
もちろん彼女にとっては、ミカも救えるしアリウスの問題も解決出来るし戦力も確保出来るしで良いことづくめなのだが。
……それが他者から見れば全て他人のための献身に見えてしまうのだから仕方がない。
「そしてアリウスの内情を知るためには、アリウスの中で最も核心に近い人物を確保することが一番です。これについては目処がついています」
「……誰のこと?」
「ミカさんもご存知のはずです。アリウススクワッドの錠前サオリと秤アツコ。この両者を確保し保護することと、マダムを名乗る大人を打ち倒すことが今回の最終目標です」
「っ」
「分かります。錠前サオリは貴女を騙し、セイア様に牙を剥かせた張本人ですから。貴女としては面白い相手ではないでしょう」
「……本当に何でも知ってるんだね」
「ですが、彼女自身は実のところミカさんと同様にトリニティとの融和を望んでいたことはご存知ですか?」
「え?」
「冷静に考えて下さい。彼女はあの真っ直ぐなアズサさんを、傍目にも裏切る可能性の高い彼女をわざわざ送り込んだ張本人です。本当にトリニティに害を為すためのスパイとして送り込むなら、もっと他に適任は居たと思いませんか?」
「…………………………マダム?」
「流石に理解が早いですね」
「その大人に逆らえない、それがアリウスの内情ってこと?」
「そう仮定してみて下さい」
「……錠前サオリが誰かのことを姫って呼んでたのを聞いたことがある。それって誰のことか分かる?」
「秤アツコさんですね」
「ただの妙な呼び方ってことはないよね、じゃあ彼女はアリウスの中で特別な存在ってことになるのかな。サオリはアリウスの中でもかなり優秀みたいだし、ミアちゃんがその2人を核心に最も近い人物って表したのも分かる。……けど、同時に保護するとも言った。……保護?」
ミアが何を言わなくとも、ミカは与えられた情報で現状を組み立てていく。彼女は自分のことを馬鹿だと自称するが、実際のところそんなことはない。考えが足りないところはあるが、頭は非常に優秀だ。
彼女の邪魔にならないように、ミアは言葉を紡ぐ。教える方が早いけれど、自分で辿り着くのならその方が良いに決まっている。
「……錠前サオリはマダムに対して反抗的な意思を持っている?いや立場を考えるとそれは考え辛いか。でも秤アツコと一緒に確保するってことは、2人はセット……サオリはアツコのことを大切にしている?まあ親しそうな雰囲気はあったかな」
「そこにマダムの狙いという要素を取り入れてみたらどうでしょう」
「っ、そっか。アリウスを支配している大人、そこには何かしらの目的があるはず。融和を拒絶したのが彼女なら、それは不都合ってこと。……カタコンベに引き篭もって何かをしている」
「少なくともミカさんの提案は、錠前サオリさんにとっては魅力的で、マダムにとっては不都合だったのでしょう」
「……秤アツコか。つまり、彼女の存在はそのマダムの目的にとって何かしらの意味がある。だから姫なんて呼ばれる立場にいる?そして錠前サオリは……」
「……」
「…………………人質にされてるってことかな、秤アツコを」
「流石です、大凡間違っていないです」
「かなり予想も含んでるけど、これなら聞いてた他の話も理由付け出来て納得も出来る。そもそもこの辺りの話も、アズサちゃんに聞けば分かるよね?」
「ええ、そうですね。少なくともその二人の関係についての確証は取れるかと」
「……そっか、そういうことか」
きっとミアが全部話していたら、ミカもここまで納得することはなかっただろう。ヒントは与えられたとはいえ、自分で考えついた結論だからこそ、反発せずに納得出来た。
色々な人間に色々な立場と理由があって、問題は表面だけを見ても仕方がない。
「その上で1つ語るのであれば、アリウス分校の生徒全てを救うことはどうやっても不可能です。これはアズサさんとも共有しています」
「え?」
「意外ですか?」
「う、うん……ミアちゃんなら一人残さず救う、とか言いそうだから」
「可能ならそうしたいのですが、元よりアリウス分校というのは色々な問題を抱えている学校です。マダムに反発する者より、疑うこともせず粛々と従う者の方が多いくらいでしょう。ですのでその後処理を、アズサさんとナギサさんに考えて頂いています」
「……じゃあ私達の役割は」
「はい。当初話したように、カタコンベ内に突入して錠前サオリと秤アツコを確保。マダムを打ち倒した後に帰還する。あくまでここまでです」
「納得したよ、単純明快だね」
そう、あくまで今回の目的はそこまで。
それ以降のことは自分達の仕事ではないし、そこは任せることに決めたのだから。それ以上の欲張りはしない。あくまで駒の一つに徹する。
「しかしここでも問題があります」
「え?まだあるの?」
「私の実力が不足している上に、そもそも他の案件が重なり過ぎて実行出来る時期がかなり先になってしまうことです」
「あぁ……」
「既に連邦生徒会から呼び出しが掛かっている上に、他の自治区からも幾つか緊急の要請が来ています。式典前に一度ゲヘナに顔を出しに行く必要もありますし、書類仕事もかなり溜まっています。他に細かな案件もかなりあり、とにかく時間がありません」
「うわぁ……」
「正直、入院している時間さえ惜しいのです。可能ならエデン条約締結前までにカタコンベに入り込みたいのですが、カタコンベに侵入するパターンの整理とアズサさん達の準備、そもそもの締結式の準備なども重なると、これも現実的ではなく……どうやっても間に合いません。こうなればアリウス側も逃げの一手でしょうし」
「……悩ましいね、締結式なんて間違いなく狙われるだろうし」
「いっそのことカタコンベごと爆破することを考えています」
「周辺一帯が丸ごと崩落するかもしれないからやめようね」
ただ、どうやっても時間が足りないことは確かだ。今日だってこの後にミカの処遇について話し合う場に呼ばれているし、その後にはナギサとサクラコに今後のティーパーティーの在り方について相談したいなどとも言われている。
実力不足を自覚しているのに、そのための鍛錬をする時間さえ努力しなければ作れないほどだ。正直なことを言えば、もう少しミカのフォローもしておきたいのに……
「申し訳ありません」
「え?な、なにが?」
「貴女を救うなどと豪語しておきながら、忙しさを理由に微々たる助力程度しか出来ていない現状についてです」
「あ、あぁ……なる、ほど……」
「もう少し貴女に寄り添って物事を進めるべきだと分かってはいるのですが、それも難しいところです。貴女を救いたいという意思は変わっていませんが、それはキヴォトスの存続を前にしては収めざるを得ないものです」
「や、うん……それは当然だと思うよ?流石にそのレベルで思われてたら私も引いちゃうと思うし」
それほど面識のないはずの相手にここまで強い感情をぶつけられているというだけで実際のところ少し戸惑っているというのに。流石にキヴォトスの存亡より優先させられたら、それはもう恐怖である。
誠実なのは分かるけれど、いくらなんでもそこまでは求めていない。
「でもさ……あんまりこういうことばかりしてると、背負い切れずに押し潰されちゃうよ?」
「……」
「ミアちゃんの人柄は分かったし、すっごく優しい子ってことも分かった。でもやっぱり、その気持ちは私に向けるには重過ぎる。……もう少し加減して生きないと、何もかも抱えたまま沈むことになっちゃうよ?」
「……忠告ありがとうございます」
「まあ、そう簡単に見捨てられたらもう少し楽だったんだろうけどね。何でもかんでも救えるほど、今のミアちゃんには余裕はないんだよ」
ミカから見ても彼女は歪だ。
けれどそれが好ましくも思える。
能力も容姿も既に3年生に引けを取らないというのに、その内面は中等部の子よりもずっと純粋だ。彼女は本気で自分を助けようとしてくれているし、見捨てろと言って見捨てることなど出来ず、目に映ってしまったら誰であっても助けようとしてしまう。その結果として自分が不利益を被ることになったとしても、気にすることはない。
「ミアちゃんの気持ちは嬉しい。けど私はこれでも3年生だし、そもそもは自分で蒔いた種。少しくらい後回しにされても大丈夫だよ」
「……申し訳ありません」
「ううん、普通に考えれば私の方こそ何様気取りって態度とってるから。でも正直、もう私は助けられてるところがあるって言うか」
「?」
「……昨日、ナギちゃんに久しぶりに本気で怒られたから」
「!」
「いつぶりだろうね。けど一番大変だった筈のナギちゃんが素直に私に怒って、泣きながら頬を叩いて、その上で話を聞く余裕まであったのは、多分ミアちゃんのおかげだと思うから。もうその時点で私は救われているんだよ」
「……」
だってそれは、結局のところ、ミカが一番欲しいものであったから。悪いことをしたから叱られる、そんな当たり前をして貰えたから。だから今は、ミカにも少しだけ余裕があった。それは最悪の場合になったとしても仕方ないと思えるようになった、悪い意味での余裕でもあるかもしれないが。
「いえ、それでも自分の言葉に責任は持ちます。例え貴女がナギサさんに救われていたとしても、私は私が納得出来るまで貴女に付き添います。他の仕事も可能な限り早急に終わらせて、ここへ戻って来ます。約束します」
「……ミアちゃんは、簡単に約束とかしない方がいいと思うなぁ」
「っ……申し訳ありません、時間のようです。早ければ明日にでもトリニティを出ることになりそうなので、次にお会い出来るのは戻って来た時になりますが。ナギサさんと連絡を取りつつ対応はしますので」
「うん、分かったよ。気を付けてね」
「はい。ミカ様もどうかご自愛を」
「……ほんと、そういうところだよ。ミアちゃん」
「?」
「なんでもない。ミアちゃんも自分のこと大切にね」
「はい」
「……」
分かっているのか、いないのか。
まあ分かっていたとしても変わらないのだろう。
最後にもう一度頭を下げて部屋を出て行った彼女は、まだまだ怪我だらけで、少し足を引き摺りながら歩いている。それでも明日には出立するというのだから、笑い話にも出来ない。
「何やってるんだろうなぁ、私……」
こんな立場でもなかったら、先輩らしく振る舞って彼女を引き留めることだって出来たかもしれないけれど。今の自分にそんな資格はなくて、だから自分を犠牲にしようとする後輩を止めることもできやしない。
明らかに間違っていると分かっていても、止めなければならないと分かっていても。それでも。