恐らくはナギサの手回しもあって、自治区を渡ることにそれほど難が生じることはなかった。
それなりに交通機関を跨いで、数日の時間をかけて、途中からは徒歩になる。どうやっても到着までに長い時間がかかることを予想して、あの情報を聞いた瞬間に足を動かした。可能な限り最悪を避けるために。それでも悪化しているとは予想しながら。
『はい、次の道を右です。あとは道沿いでアビドス高等学校:現本校に辿り着く筈ですよ、廃屋が倒壊なんかしていなければの話ですが』
「ふむ……ありがとうございます、"ハナコ様"。貴女のおかげで当初の予定より早く目的地に到着することが出来そうです」
『いえいえ〜、これもセイアちゃんからの頼みですから。……本当は私もご一緒したかったのですが、何分突然の話でしたので。こうしてドローン越しで許して下さいね。このドローンもそこまで性能は良くないのですが』
「構いません。むしろ稀代の才女として有名な浦和ハナコ様の力を借りられることは私にとっても幸運ですので、願ってもないことです」
『……ハナコ、で構いませんよ。それと基本的にはその場の方針や判断には干渉しませんので、私はあくまでお手伝いということでお願いしますね』
「分かりました」
砂の吹き荒れる廃れた町を、小さなドローンを頭の上に乗せて走る、一見すれば間抜けな姿。身体中に砂だらけ。対塵機能の付いたドローンでなければ壊れてしまっているのではないかと思うような有様。
そしてそこから通信で声を掛けてくる少女についてはミアも知っていたし、そんな彼女が力を貸してくれると言うのだから、ならばと何も言わずに受け入れた。
……なんだか"才女"という言葉に妙な反応を示したように思うが、それも今はそれほど気にしてはいられない。そんな余裕もない。
「……と言うのも、あまりよろしくはないのでしょうか」
『はい?何の話ですか?』
「いえ。先程の反応を見るに、ハナコさんはご自身が優秀であることを受け入れたくないのでしょうか?その辺りを先に明確にしておいた方が良いのかと考えまして」
『……また突然ですね』
「貴女のことはそれなりに情報を持ってはいますが、心の内までは分かりません。その辺りの軋轢を後々の余裕のない瞬間に持ち込まれても困りますので。突然であろうと失礼であろうと、仮にここで貴女の協力を手放すことになろうとも、そのリスクを早めに処理しておいた方が良いのではないかと考えました」
『それは……さて、どうでしょう。本来ならばギリギリまで引き延ばして、ギリギリまで利益を搾り取るべきなのでは?それが賢いやり方だと思いますけど』
「まあ、単に効率を取るのであればそうすべきなのでしょう。しかしこれは単なる私の好みの問題ですので」
『好み、ですか』
「貴女も実は嫌いなのではないのですか?回りくどい、思考を縫い合わせるような、そんな面倒なやり取りは」
『……そうですね。嫌いではあります』
その話題もまた、彼女にとっては何とも言い難いものであったらしく、会話というか人間関係の難しさを考えさせられる。
所謂トリニティらしい言葉のやり取りというのは、性根の底までこびり付いている者も居るが、同時に病的なまでに嫌悪している者も居たりする。それはトリニティの中ではそれほど珍しい話ではない。
政治、派閥、学年以外の上下関係が明確に存在するトリニティだからこそ、陰湿とも言えるような関係が溢れ、黒い感情が渦巻いている。他者を利用し、過剰に褒め称え、その裏では悪意を潜めていたり。
そして彼女はそういう事情をよく知っていた。少なくともミレニアムという政治的な空気感が薄い世界に留学していた人間よりは、確実に多くを見てきたことだろう。そして自分はそれを嫌っていても、身に染みてしまってもいる。そんなやり取りは嫌いなのに、それを崩されると何故かムッとしてしまう。そんな矛盾が生じている。
『……』
「……分かりました、今は構いません。セイア様に頼まれたとは言え、私達は未だ互いにそれほど理解を得られている訳ではないのですから。取り敢えずは時間を共にすることにしましょう。流石にそこまで踏み込むのは性急でしたね」
『いえ、これは単に私が面倒なだけですから。私も初対面から遠慮なく言葉を投げ掛けられるような人間であったら良かったのですが』
「それこそ無意味な仮定です。なぜなら貴女は別に、そのような人間になりたいと本気で思ってはいないでしょう。今の言葉は単なる私への当て付けでしょうから」
『……』
「今はただ、互いに目の前の問題に目を向けることにしましょう。お気付きの通り、事はトリニティ内部だけで収まるような話ではありませんので」
『……そうですね。そうしましょう』
大人になる、と言うべきなのか。
それでも子供である彼女達は、不躾な物言いに不快感を感じて揶揄したり、相手の気持ちより合理性を優先して言葉を叩き付けたりもする。けれどそんな噛み合わなさを何度も衝突し合うことで噛み合わせるのもまた子供というもの。
カタカタとマイク越しに聞こえるキーボードを叩く音と、ただ只管に砂を踏み締める音だけが聞こえる静寂。それを快と捉えるか気不味さを感じるのかも、今は互いに分からない。
……そんな中でも幸運があるとするなら、それは今が非常事態であるということだろうか。本来ならばこのまま無言が続いてしまうような状況であっても、世界の方がそれを許してはくれない。
ーーーーーッッ!!!!!!!
『っ!?今のはなんですか!?』
「……連鎖爆発?いえ、複数箇所の同時爆破でしょうか。ここから5kmほど先になるかと思いますが、その辺りには何かありますか?」
『……アビドス高等学校が』
「なるほど、では急ぎます。ハナコさんはドローンの飛行機能を利用した戦闘指揮をお願い出来ますか?恐らくアビドス側にもオペレーターは居ると思いますので、可能であれば連携を」
『分かりました。どうかお気をつけて』
「はい、ありがとうございます」
地面がヒビ割れる程に踏み込み、全身の筋肉をフル稼働させて飛ぶように走り跳ぶ。あれほどの爆破と規模、果たして間に合うかどうかはあまりにも怪しいところ。それでも1%でも可能性がある以上、足を止めることなどあり得ない。
……きっと、彼女だってそうする筈だ。可能な限りの最善を、その手に掴み取るために。
「ホ、ホシノ先輩!!」
「……ぐっ」
「あはは、すっご〜い!あの爆発受けても倒れてないなんて、ちょっとやり過ぎかな〜って思ったくらいなのに!」
「……」
「あり?アルちゃん?どしたの?」
「ああ、ハルカの仕掛けた爆弾の威力に驚いてるんでしょ。流石にあれだけ離れてる校舎にまで被害が出る威力だとは思ってなかったんじゃない?」
「わ、わわ、私またなにか間違えましたか!?死にましょうか!?死んだ方がいいですか!?死にますね!?」
「うーん、まあいいんじゃない?取り敢えずは依頼も問題なく終わりそうだし、気にしない気にしな〜い」
半壊したアビドス高等学校:現校舎。
それを守るように立ち塞がる"3人"と、対峙する集団。
「っ……どうして、どうしてこんなことをするんですか!?私達の学校を!」
「……まあ、依頼だし」
「貴女達の後ろのカタカタ・ヘルメット団も、誰に雇われてるの?セリカを返して」
「あっはは、それは難しいんじゃないかなぁ?セリカって子は知らないけど、雇われ先なんて誰だって言わないって。ねえアルちゃん?」
「……………え?あ、え、そ、そうね!い、言うはずがないわ!クライアントとの信頼関係は第一だもの!いくら積まれたって売り渡したりはしないわ!」
「さ、流石はアル様です!!」
アビドス高等学校は現在5人しか所属していない廃校寸前の学校であり、それに対峙するのは何者かから雇われたテロリストと武装不良集団。
そこには単なる圧倒的な数の差だけではなく、純粋な戦力差もまた存在する。爆弾を仕掛けた張本人である"便利屋68"を名乗った彼女達は、相応の実力を持つアビドスの生徒達でさえ正面からでは攻略し切れない練度を持っていた。
……とある事情で現在前線に出られる生徒が3人しか居ないアビドス高等学校。校舎は半壊し、弾薬は尽き、物資も残りわずか。最大戦力である3年生の"小鳥遊ホシノ"が先程の爆破から咄嗟に2人を庇ったことから、元より無理のあった均衡も、いよいよ崩れ始めることだろう。
このままアビドス本校は乗っ取られ、果たして自分達はどうなるのか。せめて自分以外の後輩だけでも無事を保証させるべきなのか。今日まで自分のやってきた事はなんだったのか。
不意の爆破を超感覚で察知し、強引に盾を後輩達に被せたせいで自身の右半身を焼かれ、それでも立ちあがろうとしながら、小鳥遊ホシノは唇を噛む。
救援など来ないし、そんなものを望めるような関係性も作り上げては来なかった。ならばこうなったことは必然だったのかもしれない。
……それこそ数日前のシャーレの先生が、もし生きてこの場に居てくれたらと。そんな情けない"もしも"まで考え始めてしまって。
「では、ここから先は私が引き受けましょう」
「……?」
「「「?」」」
「っ、社長危ない!!」
「え?………がふぁっ!?!?!?」
「ア、アルちゃぁああああん!!!?!?!?」
突如として"便利屋68"の後方から弾丸のように飛んで来たドロップキックが、社長たる"陸八魔アル"の後頭部に突き刺さる。
地面が砂であったことは不幸中の幸いだったのだろうか。どちらにせよ凄まじい勢いで顔面から吹き飛び、グラウンドの真ん中に突き刺さったその姿は、あまりにも情けない。
……情けない、が。
問題はそこではない。
より重大な問題は、ここに来て乱入者が現れたということ。それも見るからに、どう考えても、アビドス側に対しての加勢。
「だ、誰……?」
「救援なんて、そんな……」
「でも、あの校章……それに翼は……」
「トリニティ総合学園、甘使ミア。現着しました。ハナコさん、指示を」
『はい!こちらもアビドス高等学校オペレーター"奥空アヤネ"さんと接触に成功しました!物資を積んだドローンがあと2分で到着します!ミアさんはそれまでの時間稼ぎをお願いします!』
「了解、アビドス側へも情報共有を願います」
甘使ミアは間に合った。
数多の廃屋の屋根を破壊し、数本の電柱を薙ぎ倒し、最後は大凡30mの大跳躍からのドロップキックを決めて、この場に立ち塞がったのだ。
重々しいショットガンに弾丸を装填し、小楯を構えて、一切の恐れもなく前を睨む。そこに怯えはないし、恐怖もない。驕りもなければ、余裕もない。
「あちゃー、なんかヤバそうな子が来ちゃったなぁ。アルちゃんも起きそうにないし、どうしよっか?」
「はぁ……どうするもなにも、やるしかないでしょ。数ならこっちが勝ってる、押すしかない」
「ハルカちゃん爆弾ある〜?」
「し、仕掛けたものは使いきっちゃいましたが、手持ちになら少し……」
「なるほどね〜、じゃあいつものアレやろっか」
「そうだね、ハルカお願い」
「わ、分かりました!」
伊草ハルカ。便利屋68における前衛兼爆破を担当する生徒(社員)の1人であり、主に攻撃を引きつけたり、戦端を切り開く役割を行うことが多い。
「ア、アル様の仇ィィィィ!!!!死んでください死んでください死んでください死んでください死んでください死んでくださいぃい!!!」
『っ、気をつけてください!爆弾を突撃しながら投げています!自爆特攻です!』
「なるほど、了解」
「なぁっ!?」
そんな伊草ハルカは自身のタフネスを活かした自爆特攻染みた行動にも一切の躊躇をすることはなく、爆弾を投げ、その隙に敵の懐に潜り込むという芸等を披露することも多い。
爆弾を対処出来ようとも出来なくとも、次点の至近距離からのショットガンを対処する余裕など本来は存在しないのだから。敵が単体であろうと複数であろうと呆れるほどに有効なその策は、確かに何も知らなければ致命的なダメージを受けることであろう。
ーーーーーッッ!!!!
「ガフッ………!?」
「ば、爆弾を完全に無視して……」
「ラリアット……」
『えぇ……』
左手の小楯で顔面だけを防備し、視線は走り寄るハルカにだけ向け続ける。爆破の衝撃とダメージの一切を無視し、爆風によって互いの視界が一瞬塞がれる隙を狙って、気道狙いのラリアット。
伊草ハルカは近接戦闘力もまた優れており、その見た目に反した強靭なフィジカルによって数多の敵対勢力を屠って来た実績がある。
……そんな彼女が今、その一撃をまともに喰らい、後頭部から地面に叩き付けられる。
しかし、これは単純な話。そんな伊草ハルカよりも甘使ミアの方が体格に優れ、フィジカルに恵まれ、近接戦闘力に優れていたからに他ならない。
……それと、尋常ではない脳筋だった。ただそれだけ。
「あっはは!ハルカちゃんよりとんでもないことするじゃん!銃も使わずラリアットとか初めて見た!」
「ムツキ、笑ってる場合じゃないから」
「っ」
そしてこちらも当然ながら、ハルカの突撃だけで終わる便利屋68ではない。
仮にハルカの突撃が失敗したとしても、その左右から回り込み、挟み込むようにして銃撃を行う。本来ならばアルも含めて3人で行う予定のそれは、元はゲヘナの風紀委員長のような単体で凶悪とも言えるような戦闘力を持つ敵を想定して用意していた策の一つであった。
「ハァッ!!」
「っ、ムツキ!!下がって!!」
「うっそ!?やばっ!?」
……それでも恐らく、もし本当にゲヘナの風紀委員長を相手にこの戦法を使ったとして、それほど有効打になることはないだろうと想像していたところもある。
何せこのように、結局は飛んでくる弾丸を無視して1人ずつ潰されてしまえば何の意味もないのだから。スナイパーライフルの弾丸を頭部に受けても顔色ひとつ変えることのないような化け物達相手に、常識的な戦法など何の意味もないと、便利屋68の参謀こと鬼方カヨコはよく知っている。
「ヘルメット団!援護射撃!!一斉掃射!!」
ーーーーーッッ!!!!
目の前に現れたこのトリニティの生徒の実力、その情報を少しずつ蓄積していく。
少なくともハルカの爆弾は相応のダメージになるが、ムツキと自分の銃撃では足を止めることさえ出来はしない。しかしヘルメット団による一斉掃射であれば盾を使ってガードをするらしく、ムツキは鞄から取り出した小型爆弾も活用して離脱に成功した。
撤退時に回収して来たハルカも気絶まではしておらず、苦しそうに咳き込みながらも戦闘自体は続行可能だろう。
(……大体把握できた。近接戦闘力は高いけど、銃はショットガンだけ。恐らく他に隠し球もない。ヘルメット団を逐次投入して爆弾と一斉掃射で削れば問題ない。社長が起きてくれれば早いんだけど、まあ仕方ないか)
アビドスのホシノという生徒の下位互換、少なくとも校舎を吹き飛ばすほどの爆弾で未だ立ち上がれるだけの怪物染みた存在ではない。それだけで十分だ。
「………?あれ、そういえばアビドスは」
『ミアさん!その場で伏せて下さい!!』
「了解」
「っ!!?」
度重なる爆破。
砂の多いアビドス自治区。
一度の爆発で巻き上がる砂塵は視界を塞ぎ、カヨコは今回の戦闘においてそれを可能な限り利用して来た。
……それでも、元よりここはアビドス自治区。地の利があるのは本来ならば自分達ではない。
「ノノミ!いっきまーす!!」
「しまっ!?」
瞬間、数で圧倒していた筈の戦力差を覆す数多の弾丸の雨霰。
"リトルマシンガンV"と名付けられたその武装は、通常であれば単独の重量だけではなく凶悪な反動によって弾道をコントロールすることすら困難な代物である。
……しかし、そんな武装を軽々と持ち、一切のブレを生じさせることなく戦場を薙ぎ払う怪物のような生徒がアビドスには居た。
「「「ぎゃあああああああ!!!!!」」」
「くっ……うっ……!」
「シロコちゃん!今だよ!」
「うん、任せて」
「あ〜……これはだめそうだね」
「ア、アルさまぁああ!」
敗因は、勝因は……そう考え始めたカヨコの前に、紛れもなくその要因たる女が影を下ろす。
背後でアビドスの生徒達が何をしていたとしても、結局のところ重要だったのは、この女だったのだ。この女の一切の躊躇を見せぬ性質と、退く姿勢を見せぬが故の圧力と雰囲気。気付かぬうちに自分達はそれに飲まれ、それに目を向け過ぎてしまっていた。思考を蝕まれていた。
「……はあ、降参。社長はああ言ってたけど、全部話すから。ハルカ達は助けてやって」
「分かりました、約束しましょう」
「……一応聞くけど、イメチェンした救護騎士団の団長とかじゃないよね?」
「別人です。私はまだ1年生ですから」
「そう……トリニティは安泰だね」
もう既に治り始めているハルカの爆弾による傷を見ながら、カヨコは大きく溜息を吐く。
こういう怪物のような生徒が定期的に現れるのが、このキヴォトスなのだ。少なくとも例の条約が結ばれるようなことがあれば、自分達は今以上に動き難くなるだろうなと考えを巡らしつつ、背中で手を結ばれる。
……さて、社長にはこれをどう説明するべきか。起きた時の分かりやすい反応が想像出来てしまって、一先ずはされるがままにすることにした。