士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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一つ屋根の下

 

 

 

『解析が終わったわよ。確かに〈ウィッチ〉の霊波反応と一致したわ』

「そう」

 

 電話越しの声に、AST所属の魔術師、鳶一折紙は空を見上げて小さく頷いた。

 予報をやや外れた悪天候だが、こうした秘密裏の連絡を行うのには都合がいい。

 折紙が本部への報告に挙げたのは、先程の不可思議な現象の件である。

 物体の変貌とでも呼ぶべきそれは、とある精霊の能力によく似ていたのだ。

 現在、精霊は複数体確認されており、いずれも非常に強大な力を振るうことは共通しているが、その能力の特徴や方向性には個体差がある。

 全てを焼き払う炎、大地を凍てつかせる氷禍、一切を巻き上げる嵐、そして純粋な破壊能力。

 中には得体の知れない能力を行使する個体、遭遇例が少なすぎて詳細がわからない個体もいる。

 遭遇例は多くはないし、その全容も計り知れないが、〈ウィッチ〉と呼ばれる精霊に関しては、ある程度の推測が立っている。

 それは有機物、無機物問わず対象の姿を変えてしまう……正におとぎ話の魔女のような能力だ。

 

「精霊本体の足取りは?」

『残念ながら。隠れているのか、もう消失したのか』

 

 生憎の報告に、折紙は小さく息を漏らした。

 精霊は空間震と共に現れ、そしてしばらく時間が経過すると唐突に消失する。

 対精霊部隊と言えば聞こえはいいが、ASTは精霊に対して十分な戦果を挙げられていない。

 相手が消失して戦闘が終了した事を、撃退と称して取り繕っているのが現状だ。

 両親の仇でもある精霊の打倒を悲願とする折紙にとっては、到底認められるものではない。

 積み重なった苛立ちについ携帯を握りつぶしそうになるが、寸前でこらえる。

 そうでなくとも、最近はストレスの要因が多い。

 二年四組にやってきた転入生、夜刀神十香はその最たるものだ。

 何故なら彼女は事あるごとに、副担任である穂村士道との恋人同士の逢瀬を邪魔してくるのだ。

 家庭科の実習で作ったクッキーを振舞うために、人気のない場所まで連れ出そうとしたら邪魔をされ、保健体育の教科における疑問点について尋ねるために、人気のない場所まで連れ出そうとしたら邪魔をされ……今日の放課後もそうだ。

 とにもかくにも、目の上のたんこぶなのだ。

 折紙が中々少子化対策に踏み切ることのできない理由の大半は、彼女にあると言ってもいい。

 そして何より気に入らないのは、ASTの対応だ。

 夜刀神十香は精霊〈プリンセス〉と同一人物で間違いない。

 ただ見た目が似ているというだけでなく、それは折紙や士道に対する態度からも明らかだ。

 しかしどういうわけか霊波反応は検出されず、彼女を精霊と判ずる根拠が見つからないのだ。

 戸籍上も不審な点は見当たらず、これらが示すのは、夜刀神十香が一般人であるということだ。

 ASTの行動には、様々なしがらみが付き纏う。

 精霊であるという確証がなければ、ましてや一般市民に攻撃の許可など下りるはずがない。

 それは理解はできるが、納得は別だ。

 もし仮に折紙が攻撃を強行したら、最悪の場合懲戒処分の上で、記憶処理を施されるだろう。

 そうなれば魔術師としての力を奪われ、仇の精霊を打倒するという目的も果たせなくなる。

 倒すべき対象がすぐ傍にいるのに、手を出すことができない。

 この状況は正しくジレンマ……折紙にとっては、非常に苛立ちが募る展開と言える。

 

『それにしても、また空間震なしとはね。この前の〈プリンセス〉といい、最近は例外ばかりね』

「最早前提を見直すべき。精霊が人知れず潜んでいる可能性も考慮した方がいい」

『しばらく捜索と調査は継続するわ。ところで折紙、あんた大丈夫なんでしょうね?』

「体調は問題ない」

『私が言ってるのは穂村士道の件よ。不必要な接触は避けるように言ってあったはずだけど』

 

 言及されたのは、折紙のクラスの副担任についてである。

 穂村士道は、記憶処理を施された元AST隊員だ。

 しかし、顕現装置を用いた記憶処理とは言っても、完全無欠というわけではない。

 正しくは記憶の封印と言うべきで、不必要な揺さぶりを与えれば綻びが生じる可能性がある。

 そのため、記憶処理を施された元AST隊員に対して、現AST隊員は不必要な接触を控えるように厳命されているのだ。

 もちろんそれは承知しているし、折紙も来禅高校で彼に再会するまではそのようにしていた。

 だが、今や二人は生徒と教師の間柄。

 接触が増えるのは仕方がないし、その際の多少のアクシデントは不可抗力というものだ。

 その末に恋人同士という関係になってしまったのだが、一分の隙もなく不可抗力である。

 不可抗力なのだから仕方がない、全く以て仕方がない。

 

『折紙、聞いてるの?』

「大丈夫、問題ない。それより引き続き〈ウィッチ〉の捜索を」

『ちょっとあんた、話を終わらせようとしてるでしょ』

「私は可能な限り地上から足取りを追ってみる。それじゃあ」

『あ、待ちなさ――――』

 

 通話の途切れた携帯をポケットにしまって、再び雨空を見上げる。

 折りたたみ傘一つ分のスペースが、やけに広く感じられた。

 

 

 

 

 

「あーもう! あんの問題児がっ!!」

 

 陸上自衛隊・天宮駐屯地のAST本部にて、日下部燎子は髪を振り乱して怒号を上げた。

 その激昂っぷりに、本部に詰めている隊員たちは戦々恐々といった様子。

 部隊長である彼女がここまで激しているのには、もちろん理由がある。

 

「折紙め……次に顔を合わせたらどうしてくれようか……!」

 

 それは、先程まで連絡を取っていた部下の隊員の一人、鳶一折紙についてだ。

 折紙は年若いにも関わらず非常に有能なのだが、特定の状況下において、しばしば上官の命令を軽視する傾向があるのだ。

 それはASTの標的である精霊が絡んだ時だったり、ある人物が絡んだ時だったり。

 特に精霊が絡んだ時は最早、暴走の類である。

 あんな戦い方では、いつ戦死するかわかったものではない。

 確かに折紙は、戦闘技術も随意領域の扱いも部隊内では頭一つ抜けているのだが、それでも精霊を相手に真正面から立ち向かうのは無謀に過ぎる。

 事ある毎に忠告はしているのだが、中々改善が見られないのが頭の痛いところだった。

 

「本当に何やってんのよ……先輩も」

 

 そして折紙が執着するある人物……穂村士道について。

 彼は記憶処理を施された元AST隊員である。

 不必要な接触は避けるべしという規則もあり、もう二度と会うこともないだろうと思っていたのだが、彼は驚くべき場面で姿を現した。

 

「なんで精霊なんかと街を歩いてたのよ……!」

 

 経緯はさっぱりわからないのだが、何故だか〈プリンセス〉と行動を共にしていたのである。

 顔を確認できたのは最後の最後なので、燎子一人なら見間違いと判断したかもしれない。

 しかしあの場には折紙も一緒にいた。

 自分ならともかく、彼女が見間違えるはずがない。

 なんでも士道は現在、彼女の通う学校で教師をしているのだという。

 何の報告もないことは気になったが、彼は現在は一般人。

 そうする義務は確かにない。

 ないのだが、どうにもあの折紙がおとなしくしているとは思えなかったのだ。

 しかしあれ以来事情を尋ねても、「大丈夫、問題ない」の一点張りである。

 何が大丈夫で問題ないのか、具体的なことが何もわからない。

 士道の方に尋ねようにも、それは不必要な接触というものだろう。

 

「これより二十四時間は、警戒レベルを引き上げて搜索にあたって」

 

 部下に支持を下して、遼子は自身に割り当てられた執務室に向かった。

 書類仕事も残っているし、取り乱す姿を見せては余計な心配をかけるだろう。

 自分が少々ナーバスになっているという自覚はあった。

 言う事を聞かない部下はいるし、上層部は相変わらず頭が固い上に嫌味ったらしくて無理難題ばかり押し付けてくるし、両親は早く結婚しろとせっついてくるし、久しぶりに顔を合わせた先輩は能天気に精霊とデートをしているし。

 個人的なものも混じっているが、とにかくストレスフルなのだ。

 

「はぁ~、やってらんねぇーー!!」

 

 椅子に乱暴に腰掛け、デスクに足を放り出す。

 いつもならこんな行儀の悪い真似はしないが、今は色々とどうでもよくなっているのだ。

 そもそも先輩とは言うが、実際は一つ年下。

 魔術師としての適性を持つ者は数少ない。

 そのため、AST隊員の採用にはしばしば特例が現れる――――折紙はその一人だ。

 士道もその口であり、防衛大学を経て陸自に入った燎子よりも年下ながら、AST隊員としては先輩という立場だったのだ。

 出会った当初は、何だか気の毒な人、という印象を抱いていたことを思い出す。

 様々な誤解が重なって、部隊内の女性(つまりほぼ全員)から白い目を向けられていたようだ。

 数少ない男性隊員ではあるが、性格的にも能力的にも普通の一言。

 どちらに関しても、とある一点を除けば、という但し書きはつくが。

 後にも先にも、あれ程容易く自分の身を危険に晒せる人間を、遼子は見たことがない。

 

「というかアレ、一体どういう状態なのかしら?」

 

 記憶処理は、本人の認識に矛盾が生じないように調整される……らしい。

 認識の矛盾が元で封印が解けてしまっては、元も子もないからだ。

 それを避けるために、自分の記憶を残していてもおかしくはない。

 しかしこれはあくまでも推測だ。

 あの時、思わず呼びかけてしまったのは、良くなかったかもしれない。

 それがトリガーとなって記憶が戻ったのかもしれないし、CR‐ユニットで武装した魔術師としての姿も見せてしまっている。

 いや、それを言うのならそもそも、観測機を気にしたような動きを見せていたのも気になる。

 状況を考えれば黒に近いグレーといった所だが、いずれにせよ確証はない。

 まさか、直接本人に尋ねるわけにはいかないだろう。

 どうするべきかと、遼子は頭を抱えた。

 上に報告するのは簡単だが、そうまでする必要があるのかどうか。

 そもそも記憶が戻ったとして、あのお人好しが知識を悪用するとは思えない。

 それに、彼が無理矢理保護される様を想像するのは、中々に気分が良くない。

 

「…………よし、保留っ!」

 

 散々うんうんと唸った末に出した結論は、決定の引き延ばしである。

 

 

 

 

 

「ふぅ……もうびしょ濡れだよ」

 

 五河家の軒下に駆け込んで、穂村士道は一息ついた。

 就職祝いにと義兄から送られたスーツは、すっかり水を吸って重たくなってしまった。

 ここまで濡れてしまったら、もうクリーニングに出したほうがいいだろう。

 ため息をつきながら、ドアに鍵を差し込む。

 そのままひねっても、期待していた手応えはなかった。

 眉をひそめた士道がドアノブを握って引くと、扉はなんの手応えもなく開いた。

 今朝、家を出るときは確かに施錠をしたはずなので、別の誰かが鍵を開けたということになる。

 これが一人暮らしなら空き巣や泥棒の類を疑うのだが、同居人はきちんといる。

 ようやく帰ってきたのか、と口元を緩める。

 この家で一緒に暮らしている姪……五河琴里は先月からずっと帰っていない。

 中学二年生といえば多感な時期で、家族との諍いや良くない付き合いから家出に発展することもあるだろう。

 もちろん、そうなったら士道は寝食を惜しまずに捜索を行うのだが、今回は当てはまらない。

 何故なら士道は、琴里がどこで何をしているのかを把握しているからだ。

 彼女は如何なる理由からか、とある組織で司令官という立場に収まっているのだ。

 士道も所属するその〈ラタトスク機関〉は、精霊の平和的な無力化を目指す組織だ。

 先月にはどうにか十香の力を封印することに成功し、保護をした次第である。

 琴里はその事後処理に追われ、ずっと家に帰ることができていなかったのだ。

 

「ったく、不良娘が」

 

 安堵に嘆息する。

 聞くところによると、司令官の仕事もある中、学校にも通っているらしい。

 二重生活の辛さは士道も知るところだ。

 無断外泊していたことに思うところはあるが、とりあえずは労わってやろう。

 ドアを思い切り開け放ち、キャッチャーの如く腰を落としてどっしりと構える。

 

「――ただいま!」

 

 勢いよく出迎えてくれる琴里を受け止めるための姿勢なのだが、姪弾丸は飛んでこない。

 リビングから響くテレビの音に、少しだけ切なくなってしまった。

 心の汗を堪えながら、靴下まで脱いで家に上がる。

 とにかくこの濡れ鼠の状態をなんとかしたい。

 体を拭くタオルを手に入れるべく、士道は脱衣所のドアを開け、そして凍りついた。

 

「――ぬ?」

 

 濡れて体に張り付いた夜色の髪、驚きに丸くなった紫水晶の瞳。

 今や来禅高校の生徒となった精霊の少女――十香が、何故だか脱衣所で全裸になっているのだ。

 いや、脱衣所なので服を脱いでいることはおかしくはない。

 きっといきなりの雨に濡れてしまったのだろう。

 だがしかし、この場所にいることへの疑問は残る。

 ここは確かに、士道が暮らしている家で間違いはないはずだ。

 そんな場所でこんな美しい少女が、あられもなく裸体を晒して――――

 

「いっ、いつまで見ているのだ……っ!」

 

 惚けている士道に、十香の右ストレートが飛ぶ。

 狙い通りなら鳩尾に突き刺さるはずのその一撃は、途中であらぬ軌道を描いた。

 足元が濡れていたのか、十香が足を滑らせたのだ。

 このままでは転んでしまう――士道は咄嗟に前に踏み出し、その体を受け止めた。

 その際に押し付けられた柔らかい感触は、気にしないことにした。

 他にも伝わってくる体温や、シャンプーの匂いが鼻腔をくすぐるが、全く以て気にならない。

 

(十香は生徒十香は生徒十香は生徒十香は生徒十香は生徒……!)

 

 舌を噛みながら必死に自分へと言い聞かせる。

 生徒であるなら……いや、そうでなくとも欲望を向けるわけには行かない。

 士道には心に決めた相手がいるのだ。

 

「し、シドー……」

「わ、悪い。今離れるから――」

 

 咄嗟の行動ではあるが、抱きしめるような形になっているのは確かだ。

 震える声に慌てて体を離そうとするが、背中に回された手がそれを阻んだ。

 困惑する士道に、目を合わせないまま十香は頬を薄赤く染めて……

 

「離れるな……その、見えてしまうではないか……」

 

 なんというか、天真爛漫な少女が見せる恥じらいは、格別なものらしい。

 キャパを越えつつある事態に、士道は半ば現実逃避気味にそんな事を考えた。

 

(あ、やばい……勃つ)

 

 しかし、どれだけ気を逸らそうとしても限度がある。

 男性特有の生理現象が、士道の身に降り掛かろうとしていた。

 最早自分の意思ではどうにもならず、せめて腰を引いて悟られないようにするしかない。

 傍から見れば情けない限りであり、もし琴里や彼女に見られでもしたら、泣くしかなくなる。

 

「――何かあったのかと様子を見に来てみれば」

 

 噂をすれば……とは言うが、もちろん考えただけで口になんて出していない。

 それなのにこの家に住む琴里ではなく、彼女が出てくるのは如何なる運命の悪戯か。

 

「……お邪魔だったかな?」

 

 眠たげな目元に深いクマ、不健康そうな顔色。

 首を傾げながら尋ねる彼女――村雨令音は相変わらず綺麗だった。

 意中の相手にこんな場面を見られてしまった士道は、さめざめと泣いた。

 

 

 

 

 

「く、訓練……?」

「ん、そだよー」

 

 着替えを終えた士道に、姪っ子は到底受け入れがたい言葉を発した。

 咥えたチュッパチャプスはそのままに、今日は白リボン……つまりはいつもの琴里だ。

 訓練……士道の脳裏に、あの悪夢の日々が蘇る。

 選択肢をミスっては黒歴史を晒され、バッドエンドを迎えては黒歴史を晒され……また涙が出そうになったので、それ以上は思い出すのをやめた。

 ともかく、現在十香がこの家にいるのは、〈ラタトスク〉の訓練の一環であるらしい。

 これからも精霊を相手にすることを考えれば、その必要性については否定できない。

 この前はどうにか十香の力を封印することができたが、士道の恋愛スキルはまだまだヒヨっ子。

 向上の余地はいくらでもあるのだ。

 

「それとねー、十香は今日からしばらく、うちに住むことになったのだ!」

「はぁー!?」

 

 更なる信じがたい情報に、士道は素っ頓狂な声を上げた。

 遊びに来る程度ならまだしも、同棲は色々とマズい。

 曲がりなりにも十香とは教師と生徒の関係。

 ただでさえ生徒たちの中に流れる風聞が痛いというのに、それを補強しかねない。

 

「いやっ、俺の立場的にそれは色々とヤバいだろ……!」

「あははー、しーくんガンバ!」

 

 士道の抗議に琴里はケラケラと笑うのみ。

 これは最早決定事項であり、司令官様の意思は揺るがないのだろうか。

 せめてと、この場に同席している令音へと説明を求め視線を送る。

 

「君の訓練の件もあるが、どうも施設や〈フラクシナス〉だと彼女のお気に召さないらしくてね」

 

 どうにも、今の住居では十香のストレス値の蓄積が、学校にいる時と比べて激しいのだとか。

 検査の結果も安定してきたので、そろそろ外に住居を移そうという話になったらしい。

 この家に住むのはそれまでの繋ぎということだ。

 確かに自分の住居で安らげないのは、辛いものがあるだろう。

 うんうんと唸った末、士道は受け入れた。

 

「……わかったよ。新しい住居が出来るまでの間だな?」

「おー、さっすがしーくん」

「ったく、こんなの事後承諾だろうが」

「ちなみに、彼女の精神状態が不安定になると、精霊の力が戻る恐れがある。気をつけたまえ」

「なるほど……って、それ本当ですか!?」

 

 衝撃の新事実に悲鳴じみた問いが漏れる。

 その疑問に答えた令音によると、そもそも封印した精霊の力――霊力は士道の中にあるらしい。

 例によって理由も理屈もさっぱりだが、これには朧気ながらも実感がある。

 十香とキスした時に流れ込んできた暖かい何か……それが霊力だったのだろう。

 そして封印した精霊と士道の間には、霊力の経路とでも呼ぶべきものが通っていて、精神状態が不安定になるとそこを経由して力が逆流してしまうとのことだ。

 もしそうなってしまったら、再びASTに狙われることになってしまう。

 それになにより、心優しい彼女にこれ以上誰かを傷つけさせたくない。

 瓦礫にまみれた景色の中で、悲痛な面持ちをした十香の姿がよぎった。

 

「……最後の理由だが、君といる時が一番、十香の状態が安定するんだ」

「それって……」

「君が最も彼女から信頼されている……そういうことだよ」

 

 十香が〈フラクシナス〉の女性陣に世話を焼かれている、というのは伝え聞いている。

 学校から帰る時は大抵の場合は令音が付き添っているし、今日みたいに艦橋クルーである椎崎か箕輪が迎えに来ることもある。

 それでもまだ、信頼を得るには至らないらしい。

 出会ったばかりの頃を思い出すと、無理もない話か。

 自分が一番信頼されているというのは……まぁ、封印が有効なことからもそうなのだろう。

 照れくさくはあるが、嬉しいというのが本音だ。

 

「あー、しーくん顔赤くなってるー」

「うるせぇ、このっ」

「わー♪」

 

 しかしながら、大人をからかう子供にはお仕置きが必要だ。

 手早く拘束すると、士道は姪っ子を可愛がりの刑に処した。

 歓声を上げているところを見ると、お仕置きになっているかは少々怪しい。

 急におっぱじまった家族のスキンシップを、令音は興味深げに見つめた。

 そして現在、この家にはもう一人。

 

「令音よ、この服はこれで良いの……か」

 

 着替えを終えた十香が、リビングにやって来たのだ。

 ドアを開けたまま固まった彼女は、何というか、目のやり場に困る格好をしていた。

 何故だかTシャツ一枚しか身につけていない。

 サイズが合わないのか裾が長く、ちょっと短めのスカートぐらいに収まっている。

 きっと、それで上下一体の服だと勘違いしてしまったのだろう。

 ブカブカの襟元から覗く鎖骨に、裾からチラつく太ももに、容赦なく目が吸い寄せられる。

 先程の全裸とはまた違った刺激に、士道は思い切り顔を背けた。

 

「と、十香! 何て格好してるんだお前!?」

「……それは、私の言葉だ」

 

 その言葉に、己の現状を振り返る。

 可愛がりの刑を執行中の士道は、琴里を背中から床に組み伏せるような格好になっていた。

 そして撫でるために体のあちこちに手を回して……見ようによっては痴漢行為だろう。

 というか、事情を知らない者が見ればそうとしか見えない。

 成人男性が中学生女子を組み伏せて体を弄っている……立派な事案である。

 十香の静けさはまるで、噴火前の火山のようで。

 士道はその背中から立ち上る気炎を見た……ような気がした。

 

「何をしているのだっ、シドーーッ!!」

 

 次の瞬間、渾身の右ストレートが士道の頬に突き刺さった。

 

 

 

 

 

「…………疲れた」

 

 自宅のベッドに倒れ伏した士道は、最早虫の息だった。

 十香がこの家にやってきてから、まだ一日ほど。

 その僅かな期間で、訓練という名の恐るべき拷問に、すっかり疲弊しきっているのだ。

 目的としては、これから精霊と共に過ごすことを想定した、士道の平常心を養うものらしい。

 成程、それは道理ではある。

 しかしトイレや風呂場での鉢合わせ、朝起きたら同衾しているなど、内容に文句は否めない。

 特に、ベッドにいつの間にか十香が潜り込んでいた時は、一ヶ月程前の一夜の過ちを思い出して肝が冷えたものだ。

 丹念な確認作業によってその可能性は否定されたものの、目覚めた十香の鉄拳が飛んできたり、琴里のダメ出しを食らったりと本当に散々だった。

 というか、今回の訓練に関しては失敗続きである。

 そして失敗のペナルティとは即ち、黒歴史の暴露。

 公共の電波に乗ってしまった自作のポエムに、士道は男泣きした。

 にも関わらず学校では相変わらずの状況なので、とにかく疲れているのだ。

 

(にしても……まだまだ分からない事ばかりだな)

 

 十香の封印以降、琴里とじっくり話す機会は取れていなかった。

 なので、今までなし崩しになっていた部分にも突っ込んでみたのだが、結局は謎が増えただけ。

 琴里が秘密組織で司令官をやっている理由、そして自分が持つ特異な力について。

 共通して出てきたキーワードは『五年前』。

 五年前に琴里は〈ラタトスク〉に司令官として見出されたとのことだ。

 そして自覚はないが、五年前のとある出来事で偶然、士道の能力も発見されたのだという。

 世界で初めて確認された、精霊の力を封じることのできる人間。

 どうやら預かり知らぬところで、そんな大層な肩書きを背負っていたらしい。

 それが本当なら、琴里のあの時の言葉は……

 

『……力を封印された精霊は、今は学校に通って家族と一緒に暮らしているわ』

 

 その精霊の封印は、他でもない士道が行ったことになる。

 それが五年前のとある出来事なら、琴里の件を除いて筋は通る。

 しかしながら、士道にそんな記憶はない。

 思い当たる可能性としては、ASTを辞める際の記憶処理だ。

 何故だかほとんど効力を発揮しておらず、ASTや顕現装置、精霊に関する記憶も保持したままなのだが、その部分だけ抜け落ちてしまったのだろうか。

 考えても記憶が蘇ることは、そもそも本当にそんな記憶があるのかも定かではない。

 琴里が本当のことを語っていない可能性もあるが、出来ることなら信じてやりたい。

 五年前のことを語ろうとする姿は、少しだけ辛そうに見えた。

 

「……五年前、か」

 

 五年前は、士道にとって契機となった時期である。

 とある精霊を助けて最強の魔術師にボコられ、そして大火災の中でとある少女を助け、ASTを辞めて教師になることを志した。

 めまぐるしい時期ではあったが、精霊の封印などという一大事があったら忘れるわけがない。

 となればやはり、忘れさせられていると見るべきだろうか。

 そうだとして、封印した精霊とは誰なのか。

 今まで出会った精霊の顔を思い浮かべる。

 十香は除くとして、〈ナイトメア〉〈ベルセルク〉……そして〈シスター〉

 本棚に目を向けて頬を緩める。

 あの飲んだくれは、また空腹で行き倒れたりしていないだろうか。

 もしそこらへんで野垂れ死にしていたら、かの悠久のメイザースにボコられた甲斐がない。

 誤解を与えたまま別れることになったのは悲しいが、連載が続いているのは無事な証拠だ。

 また記憶にないのなら、面識のない精霊の可能性もある。

 つまり、〈デイドリーム〉と〈ハーミット〉。

 もしくは、十香のように士道が全く知らない精霊の可能性も……そこまで考えて頭を振る。

 一人で考えても分かりそうにないし、幸せに暮らしているのなら言うことはない。

 

「……もう寝るか」

 

 疲れた頭を振り絞るよりも、そっちの方が断然建設的だ。

 十香との同棲はしばらく続きそうだし、学校ではより一層気を使う必要がある。

 休める時に休んでおかねば、身が持ちそうにない。

 疲労のおかげか、眠気はすぐにやってきた。

 欠伸をしながら、電気を消すために身を起こすと……

 

「し、シドー……少し、いいか?」

 

 寝巻き姿の十香が、僅かに開いたドアの隙間から顔を覗かせていた。

 いつもの爛漫っぷりは鳴りを潜めて、申し訳がなさそうに眉を八の字にしている。

 ひょっとして小腹でも空いたのだろうか。

 夕飯をあれだけ食べたというのに、相変わらずの食欲だ。

 苦笑しながら立ち上がる。

 疲れてはいるが、夜食を一品こさえるぐらいなら出来るだろう。

 何だかんだで、美味しそうにご飯を食べてくれるのは悪い気はしないのだ。

 しかし十香は静かに首を横に振って、士道の申し出を断った。

 士道は雷に打たれたかのような衝撃に、愕然とした。

 

「と、十香、お前……どこか具合悪いのか……!?」

「ぬ、それはどういう意味だ?」

「ああいや、大丈夫ならいいんだが……どうしたんだ?」

「今朝……いや、昨日のことも謝りたいのだ」

 

 風呂場で溺れさせられそうになったり、トイレでトイレットペーパーを投げつけられたり。

 今朝のことを除いても謝られる心当たりはあるのだが、それもこれも訓練のために琴里に仕組まれたという側面がある。

 トイレの電球を交換して来いと言われたら、何故だか十香が使用中だったり、先に風呂に入れと言われてその通りにしたら、十香を差し向けられたり。

 その極めつけが、いつの間にか同衾である。

 司令官様の辣腕は、士道を確かに追い詰めていた。

 ……何より先に謝らせるべきなのは、姪っ子なのかもしれない。

 

「……すまなかった、シドー」

「まあ、俺も確認不足だったし、今朝のは……その、寝起きでテンパってたんだよ」

 

 寝起きだからというのは違うが、取り乱していたのは本当だ。

 訓練ということもあるし、それを差し引いても相子がいいところだろう。

 こんな風にあらたまって謝りに来るということは、余程気にしていたのだろう。

 なんとも律儀というか、何かに怯えているようにも見えた。

 その姿が、まだ小さい頃の琴里と重なった。

 

「嫌いになったりなんかしないよ。だからそんな顔すんな」

 

 そう言うと、十香は顔を輝かせた。

 憂いを上手いこと払拭することができたのだろう。

 そして部屋の中に入ってくると、ベッドの上にちょこんと腰掛けた。

 その手には枕……士道は首を傾げた。

 

「そ、それは?」

「枕だぞ。この部屋にもあるではないか」

「な、何をするおつもりで?」

「寝るのだ」

「ど、どこで?」

「ここで」

「な、なにゆえ?」

「……言わせるのか?」

 

 枕で赤くなった顔半分を隠すさまは、くらりと来るぐらい魅力的だった。

 意味がわかっているかはともかく、どうやら恥ずかしがってはいるらしい。

 それは結構なのだが、一体何故こんなことに……

 

「箕輪が言っていたのだ。シドーともっと仲良くなるなら、これが一番だと」

「あの人か……」

 

 士道は〈フラクシナス〉の艦橋に座る女性の顔を思い浮かべた。

 随分と余計なことを吹き込まれているようだった。

 

「それとこれを渡されたのだが、一体どうやって使うものなのだ?」

 

 十香が寝巻きのポケットから取り出したのは、四角く平べったい包装だった。

 浮き出た形から、中に輪っか状のものが入っているのがわかる。

 駄菓子の類に見えなくもないが、士道はそれが何なのか理解していた。

 間違いなく近藤さんだった。

 具体的なアイテムの登場に、いよいよ嫌な汗が流れ出してきた。

 

「椎崎に渡されたのだ。なんでも、きせいじじつ? というのが大事らしいぞ」

「あの人もか……」

 

 士道は、同じく〈フラクシナス〉の艦橋に座る女性の顔を思い浮かべた。

 思いっきり余計なことを吹き込まれているようだった。

 なんだろうか、十香の面倒を任せていることが段々不安になってきた。

 

「そういうことならダメだ。シャレにならん」

「なっ、シドーは私と仲良くしたくないというのか……?」

「その仲良くの意味、わかってるのか?」

「仲良くは仲良くではないのか?」

 

 どうやらわかっていないようだった。

 どうしたものかと頭を抱える。

 そもそも今朝の様子では抵抗を感じているはずだが、そのへんはどうなっているのか。

 ともかく、これ以上部屋に留まらせておくことに、危機感しか湧いてこない。

 多少強引ではあるが、もう引っ張って自分の部屋まで連れて行った方がいい。

 ため息をついて、十香の手を引く。

 

「ほら、自分の部屋に戻るぞ」

「だ、ダメだ! 私はここでシドーと仲良くするのだ!」

「あー、俺と十香は仲良し仲良し、OK?」

「おお、そうか! ならば一緒に――――」

「それはダメだ」

「何故だっ、仲良しの男と女は一緒に寝るのだと聞いたぞ!」

「本っ当に余計なこと吹き込んだなあの二人……!」

 

 士道は自分の部屋から連れ出すために、十香はそれに抵抗せんと引っ張り合う。

 結構な力を込めているのだが、中々ベッドから離れない。

 それどころか、気を抜いたら力負けしかねない。

 そんなわけであまり余裕はない……どころか、日頃の疲れがバッチリと祟った。

 不意の虚脱感が士道を襲った。

 

「うがぁーーっ!!」

 

 掛け声を上げた十香の渾身の力で、ベッドに引っ張り込まれてしまった。

 天地が激しく回転して、衝撃とともに柔らかい何かが顔面に押し付けられる。

 この感触には覚えがあった。

 何しろつい昨日、この家の脱衣所で味わったばかりである。

 引っ張り合いの結果、士道は腹部に馬乗りされる形でベッドに押し倒されていた。

 士道の上で身を起こすと、十香は潤んだ目で見下ろしてきた。

 唇に目が行く――――明確にマズいと、理性が警鐘を鳴らしていた。

 このままでは本能が自分の意に反して、十香に牙を剥きかねない。

 十香が手に持つ近藤さんが目に入る。

 これさえあれば安心、安全……ではなく、使うような事態は避けねばならない。

 歯を食いしばって堪えるが、そんな士道の努力をあざ笑うかのように事態は進行する。

 十香がゆっくりと顔を下ろしてきたのだ。

 しかも避けられないように、顔をしっかりと両手で固定するというおまけ付きだ。

 思い出すのはきなこ味のキス……今の彼女の唇は、どんな味がするのだろうか。

 

「……それ以上は、看過することはできないね」

 

 コンコンと、こちらの注意を引くように開けっ放しのドアが叩かれた。

 十香と同じく寝巻き姿の令音だった。

 昨日に引き続き今日も、十香の様子を見るためこの家に泊まるようだ。

 本来ならば士道にとって非常に落ち着かない事態なのだが、幸か不幸か訓練のおかげで気にする暇がなかった。

 彼女が取り乱す場面は見たことはないが、今は眉をひそめている……ように見える。

 ひょっとして不機嫌になっているのだろうか。

 

「十香、その仲良くは君には少々早い」

「むう……そうなのか」

「……それに、そんな事をしなくても、シンは君のことを大事に思っているよ」

「……本当か?」

 

 不安気に見つめてくる十香に、士道はこくこくと頷いた。

 それでひとまずは納得したのだろう。

 あれだけ意地を張っていた十香だが、令音に促されるとあっさりと士道から離れていった。

 また明日、と令音に連れられ部屋から出ていくのを見送って、目元を覆って深く息を吐き出す。

 

「はぁ……寝る前に大変なイベントが起きたもんだ……ん?」

 

 ベッドに下ろした手に何かが触れる。

 十香が持ち込んだ近藤さんだった。

 忘れていったのだと思うが、なんとも扱いに困る。

 まさか律儀に返しに行くわけにもいくまい。

 その際に起こりそうなハプニングを想像して、さらにため息が出た。

 またあんな場面を令音に見られてしまった。

 さっきは不機嫌そうに見えたが、もしかすると嫌われてしまったかもしれない。

 胸中はどんよりと曇り模様だった。

 放っておけばその内、雨が降ってくるかもしれない。

 

「……それはこちらで預かっておこう」

「――っ」

 

 不意の声に、士道の体が跳ねる。

 十香を部屋に返してきたのか、いつの間にか令音が戻ってきていた。

 ベッドの上の近藤さんを拾い上げると、士道の耳元に口を寄せて――

 

「……もし我慢できなくなったら、いつでも言うといい。できる限り力になろう」

「……へ?」

 

 その言葉の意味を計りかねて、なんとも間抜けな声が出てしまった。

 そんな士道に、令音はさらに顔を寄せた。

 右頬に柔らかく湿った感触……何をされたのか中々理解が追いつかない。

 

「今はこれぐらいにしておこう……おやすみ、()()

 

 呆然とした士道を残して、令音は去っていった。

 残った感触を逃さないように手を当てる。

 ひょっとすると、今とんでもない事を言われたような……

 疲れがあるからか、思考がうまく働かない。

 

「俺の名前、覚えてたんだ……」

 

 辛うじて出てきたのは、そんな言葉だった。

 

 

 




週一の投稿を心がけたい所存……できるだけ
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