士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
今回から七罪がまともに出てきます。
建物の陰から、街を歩く人々をうかがう少女の姿があった。
広がりっぱなしのボサボサの髪、猫背が小柄な体を更に小さく見せている。
幅広の帽子に隠されたエメラルドの瞳は、不安気に揺れていた。
彼女は精霊と呼ばれる存在だった。
災害とも称され、人間とは一線を画す、絶大な力の持ち主でもあった。
にも関わらず、その姿はどこか自信というものに欠けていた。
道行く人に手を伸ばそうとして引っ込める様は、超常の存在と呼ぶには少々似つかわしくない姿でもあった。
(はぁ……何やってるんだろ、私)
それはこの世界に来るたびに、幾度となく繰り返した自問だった。
少女は人間に、その社会に興味があった。
そのため結構な頻度でこの世界に顔を出しては、色んな物事を見聞きしているのだった。
しかしながら、それは誰かと交流を持っているという意味ではない。
人と面と向かって話そうとすると緊張に体が強張り、足がすくむ。
彼女は世間一般で言うところの、コミュ症に当たる存在だった。
それ故興味がありつつも誰かに話しかけることはできず、手を伸ばすこともできない。
そして、そんな彼女に関わろうとする者もいなかった。
落胆しつつも、そこには仕方がないという諦めもあった。
自分なんかに興味を持つ人間なんて、ましてや好かれるなんてことがあるはずがない。
理由はわからないが、少女の心の奥底には常にそんな思いがあったからだ。
それでも、諦めと反するように同時に期待も存在しているのだ。
(今日ならきっと……)
この日の街は、いつもと違う装いだった。
どうやらハロウィンという催しらしい。
人間の子供たちが仮装して、お菓子を貰って歩き回る日なのだとか。
あちこちに飾られた目と口を彫られたカボチャも、自分の感性と合致する。
今日という日なら、誰からも相手にされない自分も、誰かと交流できるかもしれない。
そんな淡い期待を打ち砕いたのは、突然の雨だった。
降り注ぐ雨粒を避けるように、通りを歩く人の姿は疎らになってしまった。
通りがかる者は皆駆け足で、そこにいる少女に気を留めることはなかった。
伸ばしかけた手をそのままに一人、雨に打たれる。
本来ならば濡れるのを防ぐことなど造作もないのだが、そんな気力は湧いてこなかった。
「…………」
トボトボと、近くの軒下に入る。
雨はまるで視界を覆うスクリーンのようで、その向こうで人々が足早に通り過ぎる様は、さながら別世界の光景だった。
どうしようもない隔たりを感じて、立ちすくんでしまう。
やっぱり、こんなに醜い自分が、誰かに見てもらえるはずなんてない。
そんな考えが、少女の頭の中を埋め尽くそうとしていた。
首を振って必死に否定しようとしても、強迫観念は自分の影のように付いて離れない。
「――――ぅぁ……ぁの……」
やっとの思いで発した声は、はっきりとした言の葉を結ぶことはなかった。
長い間一人でいるせいで、ロクに声を出していなかったというのもあるだろう。
雨音に紛れ、聞き届ける者はいない……そのはずだった。
「悪いな、今これだけしかないんだ」
「……え?」
何が起こったのか、理解することができなかった。
差し出されたクッキーを、呆然と受け取る。
どこにでもいるような、そんな普通の男の人だと思った。
でもその優しげな笑みは、少女の心に強く焼き付いた。
これは望んでいたはずの展開だった、それは間違いない。
ただ、悲しいかな……人とのつながりをずっと得られなかった彼女にとって、いきなりの善意は少々刺激が強すぎたのだ。
例えば、暗闇に慣れすぎた目に急に光を当てたら、反射的に光を遮ろうとするだろう。
彼女がとった行動も似たようなものだ。
こんな時、どんな言葉を返せばいいか知ってはいても、それが口から出てくることはなく――
「――――うきゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
握らされた傘……更なる親切にどうするべきかわからなくなった少女は、絶叫を上げてその場から逃げ出してしまった。
これ以降、その根底に淡い期待を抱いたまま、彼女は失望と諦念を重ね続けることになる。
相変わらず世界は冷たく、人々は持たざる者には無関心だ。
それでもまた、自分を見つけてくれる誰かが現れるのではないか、と。
それは凍えた身を暖める希望か、はたまた自分の身を縛り付ける呪いか。
ビニール傘を携えたまま、少女は伝えられなかった言葉を、ずっと抱え続けている。
「――――ん、ここは……?」
目を覚ましたら、辺りには壊れた世界が広がっていた。
それはさながら爆心地……その中心に立つ少女は、自分の身に何が起こったのかを理解した。
彼女のような存在が人間の世界を訪れる際、二種類のパターンがある。
破壊を伴う場合と、伴わない場合。
それは、そこに自分の意志が介在するか否かとも言い換えられる。
今回のように一方的に引っ張り出された場合は、現界の際に破壊を引き起こす。
そしてその破壊は空間震と呼ばれ、こんな時に近づいてくる連中にも覚えがあった。
今はまだ姿が見えないが、じきにやって来るだろう。
それならば、このままの姿では色々とおぼつかない。
憂鬱そうに眉根を寄せて、少女は目の前に手をかざした。
「――〈
かざした手の中に現れたのは、一見すると一本の箒だった。
先端部には宝石があしらわれ、どこか幻想的な輝きを放っている。
しかしこれは、精霊が振るう絶大な力の具現――天使と呼ばれる絶対の矛なのだ。
手にした箒を振るうと、少女の姿が光に包まれる。
やがて光が治まると、現れたのは長身の美女だった。
艷やかで長い髪に、スラリと伸びた手足。
丸まっていた背中は、豊満なバストを強調するようにピンと伸び、エメラルドの双眸は先ほどと打って変わって自信に満ちていた。
「さぁて、お次は場所のセッティングね」
文字通り変身を果たした少女は、弾むような調子で周囲を見渡すと、箒に跨って手近な廃墟へと降り立った。
そして幅広の帽子を押さえながら、その場でクルリと一回転。
その手に持った箒の先端から放たれた光が、辺りを包み込んでいく。
すると、まるでおとぎ話の魔女が魔法をかけたかのように、世界が一変した。
その出来栄えに満足気に頷くと、少女はたった今自分で拵えた建築物の上に悠然と腰掛けた。
贅沢を言うのなら薄暗くなるような時間帯がベストなのだが、文句を言っても詮無きことだ。
精霊の中には時間や天体を操る者もいるかもしれないが、少なくとも自分の領分ではない。
なんにしても、後は来客を待つだけ。
上からの訪問を予期して、空へと目を向ける。
ASTとかいうその連中は、文字通り飛んでくるのだ。
だからか、下への注意が疎かになっていたのは否めないだろう。
まさかこの場所に誰かが歩いて近づいてくるなど、考えもしなかった。
「あの、ちょっといいかな?」
だけどそれ以上に、この展開が予想外に過ぎたのだ。
どこにでもいるような、スーツ姿の男性。
しかしその顔には、はっきりと見覚えがあった。
あの、雨の日の記憶が蘇る。
「――っ」
思わず身を乗り出してバランスを崩した体を、重力は容赦なくその手にかけた。
自由落下……少女は空を見上げながら、地面へと落ちていく。
通常、精霊にとって、この程度の事態は窮地でもなんでもない。
そもそも飛行が可能なので、落ちるというアクシデント自体、回避できるはずなのだ。
だがこの時の彼女は、確かに動揺していた。
まさかの相手に声をかけられたことに頭が一杯で、アクシデントへの対応が遅れてしまった。
(あ、これ間に合わないやつだ)
自分が落下していることへ思考を割けるようになったのはいいが、少々遅かったようだ。
今からでは何をやっても、地面との衝突は避けられない。
(……まあ、別にいいや)
どの道そうなったところで、自分の体に傷がつくわけではない。
少女がその身に纏う霊装は、天使と対をなす精霊の守りの要だ。
霊装を解いているならともかく、この状態なら痛みもほとんどないだろう。
少しばかり無様な姿を晒すことになるが、そうでなくとも自分は存在自体が無様なのだ。
ミジンコに毛が生えた程度で、気に留める者はきっといない。
目を閉じて、投げやりに体の力を抜く。
もうどうにでもなれ、という心境だった。
しかし、いつまで経っても予期していた程の衝撃はやってこない。
代わりに感じたのはもっと柔らかく、それでいて力強く受け止められるような……
「ふぅ……驚いた。いきなり落ちたもんだから、肝冷やしたよ」
随分と近くで聞こえる声に、恐る恐る目を開ける。
クッキーを渡された時よりも、傘を渡された時よりも、ずっと近くにその顔があった。
緊迫を含ませたその表情は、すぐ目の前で安堵に綻んだ。
それは、あの日に見せた笑顔と確かに同じもので……
(――って近い近い、近い近い近い近い…………ッ!!)
少女の心を、見事にかき乱すのだった。
(落ち着け、落ち着きなさい私……ずっと、この人に伝えようとしていた言葉があるはずでしょ)
この姿は、完璧な自分を想像して形作ったもの。
今の自分は自分ではなく、誰からも好かれる理想の自分。
あの時は逃げ出してしまったが、今ならちゃんと伝えられるはずなのだ。
(言え、言うのよ私……!)
たとえ理想の姿になったとして、態度がそのままでは何の意味もない。
少女は変身する際、その姿に見合うキャラクターを演じるようにしていた。
単にそういった素養があったからか、もしくは凝り性な性格からか、それは最早自己暗示に迫るレベルにまで達していた。
奥底にいるのは素の自分だとしても、表面に現れるのは演じている自分。
今の自分は気さくで相手を手玉に取っちゃう系の、ミステリアスな美女なのだ。
この姿ならば、普段は縮こまって出来ないようなことも容易く行える。
別の言い方をすると、気が大きくなっているとも表現できるだろう。
ただ、それが上手く働くかどうかは当然、時と場合による。
そして今回は、思いがけない方向へ舵を切った。
演技の自分が本意を飛び越えて、勝手な動きを取ったのだ。
「ふふっ、ピンチに駆けつけてくれるなんて、まるでおとぎ話の
それはまるで不随意筋が意思とは関係なく動くように、陶然とした様子で少女は、自分を受け止めた相手の頬にその唇を押し付けていた。
「私は七罪。それとも〈ウィッチ〉の方が通りがいい? ねぇ
(何やってんだ私ぃぃぃぃぃーー!?)
自分の完璧すぎるキャラ付けと演技に、精霊の少女――七罪は心の中で絶叫した。
「……こりゃなんというか」
その地に降り立った士道は、視線の先に広がる光景に何とも言えない声を漏らした。
空間震発生地点には、円形にくり抜かれたような広大な破壊の爪痕が広がっている。
しかしこれは少なくとも士道にとって、それなりに見慣れた景色である。
よって関心は、別の部分に向いていた。
「あれ、遊園地……だよな?」
目を向けた先は空間震発生地点の南側。
事前に〈フラクシナス〉内で聞いていた通り、そこには遊園地があった。
現界した精霊は、そちらの方へ移動したらしい。
丁度良く被害を免れたのだろう、アトラクションは形を残していた。
とは言っても、とても営業しているとは思えない有様だった。
レールが途切れたジェットコースター、馬の首がないメリーゴーランド。
他にも例を挙げればきりがなく、何とも廃墟然とした遊園地だった。
しかしそれだけならば、士道が気後れする理由にはならない。
天宮市の郊外には、このように手つかずのまま放置された施設がそれなりにあるからだ。
この遊園地も運良く大空災の範囲からは外れたものの、その後の来客の激減で経営が立ちいかなくなったのだろう。
施設の解体にも費用がかかるため、後回しにされ続けて現在に至る……といったところか。
その経緯を考えれば哀愁を感じなくもないのだが、それを押しのける程の違和感があった。
廃墟となった遊園地の一区画が、およそ現実のものとは思えないデフォルメを遂げていたのだ。
そびえ立つゴシック建築に、立ち並ぶ十字の墓標。
道端の所々で、ジャック・オー・ランタンが目を光らせていた。
今は五月なのに、あそこだけハロウィンをやっているのだろうか。
あそこだけまるで、ゲームや映画の中のCGで作られた景色のようだ。
だとしたらモチーフは、ゴシックホラーかファンタジーか。
恐らくではあるが、精霊の仕業だろう。
意図は分からないが、目印としてはわかりやすい。
接触を図るべく、士道は異界へと移動を開始した。
「せめてもうちょっと暗ければ、雰囲気も出たんだろうけどな」
正午を過ぎたとは言え、空はまだまだ明るい。
時期外れの上に、時間帯も外れてしまっている。
士道が何とも言えない声を漏らしたのは、そのチグハグさゆえである。
イヤホン型インカムから、可愛らしい声が耳に届く。
『その周囲の霊波反応、微弱だけど、どうやら〈ウィッチ〉のものと見て間違いなさそうね』
「その〈ウィッチ〉ってのはどんな精霊なんだ?」
『なによ、元AST隊員のくせして、そんなことも知らないわけ?』
「いや、そんなこと言ったって仕方ないだろ」
『ま、それもそうね』
琴里の指摘した通り、士道は陸自の対精霊部隊、通称・ASTの元隊員である。
そのため精霊について全くの素人よりは知識があるのだが、そこにはおよそ五年の空白がある。
今回の〈ウィッチ〉は、士道がASTを辞めてから発見された個体である。
知らなくても無理はない、というかそれで当然だ。
出動の前は慌ただしく、満足にブリーフィングも行えなかった。
あまりモタモタしているとASTがやって来るため、精霊との接触はスピード勝負なのだ。
もっとも、時間がなかったのには別の理由もあるため、士道としては若干以上に気まずかった。
『とは言っても、〈ウィッチ〉は遭遇例が少ないから情報もそれなりなのよね』
十把一絡げに精霊といっても、発見時期や遭遇回数の差によって情報の多寡はある。
その点で〈ウィッチ〉は比較的新参であり、確認できた現界数も多くない。
わかっているのは大体の風貌と、その能力の予想のみ。
外見に関しては識別名にも表れていて、そのまま魔女らしい見た目のようだ。
安直かもしれないが、未知の対象に付ける呼び名など往々にしてそんなものだ。
分かりやすい特徴を取り上げるのは、あだ名を付ける感覚と似ているかもしれない。
例えば「し」で始まる名前ならば「しーくん」などと呼ばれるし、腕っ節は大したことはなくとも異常に打たれ強かったら〈不沈艦〉などと呼ばれたりもするし、男性の教師が女子生徒を侍らせていれば「淫行教師」と蔑まれたりもする。
「……ダメだ、メゲそう」
手頃な大きさのジャック・オー・ランタンに腰掛けて、士道は項垂れた。
自分で心の傷を抉って、精神的ダメージを受けていた。
後ろめたいことをしているつもりはないのだが、陳列された事実が伸し掛ってくるのだ。
生徒に交際を申込み、また別の生徒とは唇を重ねて同衾までしている。
もし仮にそんな教師がいたら、士道だって淫行教師と罵るかもしれない。
『ちょっと士道、あなた大丈夫なの?』
「すまん、平気だ。ちょっと世間の風当たりの冷たさが身に沁みただけなんだ」
『そう? ならいいけど、不調を感じたら倒れる前に言うこと。いいわね?』
「わかってるよ」
体調を慮ってか、いつもより当たりが柔らかい。
反抗期(司令官)モードの時は、結構な頻度で罵倒が飛んでくるのだ。
出動前は不調といえばそうだったのだが、具合が悪かったのかと言われたら少し違う。
そこらへんの齟齬はとても説明できるような内容ではないので、そのままにしている。
まさか、ムラムラしてどうしようもなかったので発散していました、なんて言えるわけがない。
作戦の前に医務室へ向かったのは本当だが、そこで行われていた行為は、とても中学生の琴里に聞かせられるものではないのだ。
付き合ってくれた令音には、本当に感謝しかない。
感謝以上の感情もあるのだが、そちらに意識を向けたら彼女の事で頭が一杯になってしまう。
ともかく、彼女のおかげで今は非常にすっきりしているのだ。
きっと今なら精霊に対して、十香の時よりも落ち着いた態度で臨めるだろう。
『〈ウィッチ〉の能力は、簡単に言うと対象の姿を変えてしまうものよ』
「それでここはこんなになってるのか……」
『ええ。周囲の霊波反応も、その力を行使したからと見ていいでしょうね』
顕現装置でも似たようなことは出来るかもしれないが、ここまでの規模となると、やはり精霊の力によるものだろう。
先日も似たような出来事があったことを思い出す。
あれは、自分の生徒である鳶一折紙と、一緒の傘に入っている時だったか。
街灯が目の前でいきなり光に包まれ、ハロウィンチックにデフォルメされてしまったのだ。
思えばあの時、彼女が急用だと言って離れたのは精霊の関与を疑ったからなのかもしれない。
空間震警報は発せられていなかったが、十香という前例もある。
精霊が密かに現界している可能性を考慮したのだろう。
もう少ししたら、きっと折紙はここにCR‐ユニットを纏ってやって来る。
ASTの存在意義も、彼女が戦う理由もわかってはいる。
だがその光景は決して、士道が見たいものではない。
「……あれか」
元はどんな形だったのか、ゴシック調にデフォルメされた教会が見えてくる。
その屋根の上に誰かが腰を掛けて、空を見上げていた。
距離を隔てているが、その特徴的な帽子はしっかりと目に付く。
広がったつばに、先端の折れた円錐。
なるほど、確かに『
『こっちでも確認できたわ。早速だけど接触してみてちょうだい』
「了解、やってみる」
インカムからの指示に頷くと、士道は教会へと歩を進めた。
緊張はあるが、心はそれなりに落ち着いていた。
大事なのは第一印象。
とは言っても、士道に大した手練手管はない。
ただ相手に不快感を与えないよう、気をつける程度しかできない。
つまり、いつも通り普通に声をかけるのみだ。
右手を上げて、士道は屋根の上の人影に呼びかけた。
「あの、ちょっといいかな?」
「――っ」
相手の身動ぎは、明らかに動揺を孕んだ動きだった。
上に気を向けているところに、唐突に下から声をかけられたのだ。
驚かせてしまったのだろう。
しかも、少々どころではなく場所が悪すぎる。
屋根の端であんな風に身を乗り出したら――――
「おいおい、マジかよ……!」
マズいと思った時には、士道は既に走り出していた。
相手は精霊なのだから、あの高さから落ちたとしても無事だろう。
冷静に考えればそうなのだが、半ば反射のようなものである。
滑り込むような形で、どうにかその体を受け止めた。
衝撃もそれなりだったし、その際にあちこちを擦ってしまったが、右腕を切り飛ばされるよりは全然マシだ。
痛みはあるが、この分では怪我はないだろう。
「ふぅ……驚いた。いきなり落ちたもんだから、肝冷やしたよ」
相手の方も士道の腕の中で呆然としているが、どこかを痛めた様子はない。
余計な手出しだったかもしれないが、安堵に頬が緩んだ。
魔女帽の下には艶やかな長い髪に、エメラルドのような瞳。
見た目としては二〇歳かそこらだろう……紛うことなき美女であった。
そもそも、士道が知る限り精霊というのは、どの個体も趣の違いはあれど容姿は美しい。
ただ、十香が天然自然の化身とするのなら、腕の中の彼女は人が抱く理想をどこまでも突き詰めたかのような……そんな印象を抱いた。
『士道、気をつけて! 精霊の精神状態がかなり不安定よ!』
「き、気をつけろってもな……」
まさか放り出して離れるわけにはいかないだろう。
見たところ、攻撃の予兆……つまり霊力の乱れのようなものは感じられない。
とりあえず丁重にどこかに座らせて、それから対応を考えるべきか。
すると、細やかな指の感触が頬を撫でた。
「ふふっ、ピンチに駆けつけてくれるなんて、まるでおとぎ話の
そして次の瞬間には、何か別の柔らかい感触が頬に押し付けられた。
相手の顔が見えない……いや、近すぎて視界から外れたのだ。
どうやら頬にだが、キスをされているようだ。
女性というのは何というか、とにかく良い匂いがする生き物なのか。
士道は場違いにもそんなことを考えていた。
「私は七罪。それとも〈ウィッチ〉の方が通りがいい? ねぇ
そして、どれだけすっきりしていようと、自分は賢者には程遠いらしい。
目の前で妖艶に笑う精霊に、そう思い知るのだった。
しかし心拍数が高まろうが、名乗り返すのが礼儀というものだ。
『士道、ちょっと待って』
口を開こうとする士道の耳に、インカムからストップの声が入った。
「――選択肢、出ました……!」
サイレンが鳴り響く〈フラクシナス〉艦橋に、緊張が走った。
スクリーンには、超小型カメラから送られてきた映像が映し出されている。
士道の腕に抱えられた精霊がアップになっており、まるでギャルゲーのイベントCGである。
その周囲には、彼女の精神状態を数値化した各種パラメータが配置されていた。
令音が顕現装置で解析したものであるが、今は若干の変動はあれど概ね安定している。
琴里は艦長席からその推移を眺めて、眉をひそめた。
「さっきのは何だったのかしら? 屋根から落ちたことに動揺していただけ?」
「……何とも言えないね。どんな理由があるにせよ、少々立ち直りが早いようだ」
如何に超技術の結晶である顕現装置といえど、心を丸裸できるわけではない。
心拍や微弱な脳波などの変化を読み取っているだけで、その考えを見通せるわけではないのだ。
故に得られた情報から推察するしかないのだが、この七罪と名乗った精霊のパラメータは、実におかしな変動を見せたのだ。
士道に受け止められた時はあれ程乱れていたのに、ほとんど間をおかずに落ち着いている。
変動の推移が逆ならば、接触を機に不安定化したと読み取れるのだが……これではまるで、突然別の何かが乗り移ったかのように思えてしまう。
咥えたチュッパチャプスにガリッと歯を立てて、琴里は震えを押し殺した。
部下の前で、ましてや作戦中に情けない姿を晒すわけにはいかない。
何にしても、選択肢が現れたということは、多少なりとも付け入る隙があるということ。
ならば今回こそ、集まった精鋭の力の見せ所だ。
十香の時は士道の我侭を許したために、腕を振るう機会がなかったのだ。
言うなればこれが初陣。
琴里は真剣な面持ちで、画面中央に現れたウィンドウを見据えた。
①「俺は穂村士道。君に会いに来たんだ」情熱的に手を握る。
②「これは失礼、レディ。穂村士道……君の
③「そんなことよりおっぱい揉ませてください」ハァハァと息を荒げて。
「総員、五秒以内にこれだと思う選択肢を選びなさい!」
司令官の言葉に、艦橋に座るクルーたちが一斉に手元のコンソールを操作した。
集計の結果が琴里の手元のディスプレイに表示される。
①が三票、②が四票、当然ながら③には一票も入っていなかった。
「①で固まると思ってたけど、少し意外ね」
「何を言うんですか、司令。寄り添ってくれる人がいるだなんて最高じゃないですか!」
「そうですよ! 女子はこんなシチュエーションに憧れているんです!」
法律で愛する人に近づけなくなった箕輪の言葉には、物凄い実感がこもっていた。
同調する椎崎は、いかにも夢見がちなことを言っていた。
きっと、今まで恋人ができたためしがないからだろう。
「少々キザったらしくはありますが、好感度は悪くない。ここは押してみてもいいのでは?」
「ですね。魔女とその騎士なんて、中々に萌える関係じゃないですか」
川越の言うとおり、初対面の割には好感度が高い。
二次元に精通している中津川の意見も、おいそれと無視できるものではない。
訓練の教材であるギャルゲーを作成するにあたって、彼の意見も大い反映されているのだ。
好感度はまだ封印出来る域には達していないが、ここで一気に押し上げるのも悪くはない。
「ここは気を衒わず、無難に行くべきかと」
「……私も同意見だよ。①ならば相手に疑問を与えて、それが話を広げる余地になる」
幹本と令音の意見は、言うなれば元々想定していた精霊攻略である。
順当に対話を重ねて好感度を上げていく、王道のやり方だ。
相手が士道に対して興味を抱いているなら、会話の余地も十分にあるだろう。
それにしてもと、琴里は後方へ目を向けた。
そこには顔立ちが整った変態……もとい副司令である神無月恭平が背筋を伸ばして控えていた。
「あなたも①にしたのね。てっきり③でも選ぶんじゃないかと疑っていたわ」
「胸は膨らみかけが至高。あのような脂肪の塊に興味はありません」
「…………」
「もし②の選択肢で跪いて靴を舐めるのであれば、迷わずそちらにしたのですが」
「…………」
琴里は無言のままちょいちょいと手招きして神無月を屈ませると、その目に向けてプッ、と舐め終わったキャンディの棒を吹き出した。
「ぬぁォうッ!」
神無月は目元を押さえながら、床をのたうちまわった。
これが普通の人間ならば心配されてしかるべきなのだが、彼はよく訓練された変態である。
次の瞬間には恍惚とした表情を浮かべて、琴里が今しがた吹き出したキャンディの棒を回収しにかかっていた。
ハンカチで包み込むという丁重っぷりである。
持ち帰ってコレクションにでもするつもりなのだろうか。
琴里はため息をつきながら、新しいチュッパチャプスを取り出した。
③は考えないものとして、①と②はいわば、巧遅か拙速かの二択だ。
つまり、安全を重視するのなら①を選ぶべきで、スピード勝負を仕掛けるなら②となる。
前回のような状況ならば安全策の方を優先すべきだが、今の状況は――――
「……②で行くわ」
近くには解体処理を先延ばしにされた廃墟しかないため、ASTも突入を躊躇わないだろう。
つまり屋内で時間を稼ぐのは望みが薄い。
となれば、多少拙くとも速度を重視するべきだ。
琴里はマイクを引き寄せると、指示を下すべくスイッチを入れた。
『士道、これから私の言うとおりに答えなさい』
インカムからの声に、気を引き締める。
精霊攻略については、軽くだがレクチャーを受けている。
こうして指示が下ったということは、〈フラクシナス〉のAIが導き出した選択肢とやらが表示されたのだろう。
前回もそうだったらしいのだが、どこぞの新米教師が勝手をしたために出番がなかったそうだ。
反省会の際には、随分と小言を言われてしまった。
何にしても、サポートを受けられるのは願ってもないことだ。
十香の時はどうにかなったからといって、それがこの先も通用するだなんて楽観はしていない。
多少経験を重ねたとは言え、士道の女性への対応はまだまだ未熟。
知らずの内に、地雷を踏み抜いてしまう可能性だってあるのだ。
そうなった時の女性の恐ろしさは、よぉく身に沁みていた。
知られたくないものや見られたくない場面が他人の目に触れた時、想像を絶する凶暴性を露わにするのだ。
精霊が野良猫に餌をやっている場面を偶然見つけてしまった結果、追い回されて殺されかけただなんて魔術師は、恐らく士道の他にいないだろう。
いや、もしかすると目撃者は士道以外全員消されてしまったのかもしれない。
相手があの〈ナイトメア〉なら、十分にありえそうな話だ。
……そんなちょっとしたトラウマの話はさて置き、今は目の前の精霊の攻略だ。
どんな選択肢が選ばれたのか……士道はゴクリと唾を飲み込んだ。
そして程なくして聞こえてきた言葉に、耳を疑った。
『――「これは失礼、レディ。穂村士道……君の
「…………」
『聞こえなかったかしら? 「これは失礼、レディ。穂村士道……君の
もちろん、ちゃんと聞こえている。
聞こえてはいるのだが、それを今から自分が言わなければならないという現実が、どうにも飲み込めないのだ。
というか、それは一体どんなキャラ付けなのだろうか。
それにしても、そのキザったらしい口調は微妙に黒歴史を掠めている。
自分の口から発した場合、確実に精神にダメージを負ってしまうだろう。
しかしこのまま沈黙していては、相手から不信感を抱かれかねない。
ダラダラと汗を流しながら、士道は重たい口を開いた。
「――こ、これは失礼、レディ。穂村士道……君の
なんとか言い切った。
しかしこれからもう一つ、アクションを起こさなければならない。
今ので自爆じみたダメージを負ったというのに、これ以上どれだけの恥を背負えというのか。
『ほら、口にじゃないんだからひと思いにやっちゃいなさいよ。キースっ! キースっ!』
『キースっ! キースっ!』
この世界に存在するキースさんに、申し訳ないとは思わないのだろうか。
艦橋のクルーを扇動したのか、琴里の声に続いて遠雷のようなコールが聞こえてきた。
確かに、十香の力を封印した時と比べたらハードルが低いのかもしれないが、あれは士道の状態や場の状況が極限だったからこそ取れた動きなのだ。
観念すると、精霊・七罪の手を取る。
この際、羞恥心はかなぐり捨てるしかない。
そして意を決して、顔を寄せて――――
『士道、来たわよ!』
切迫した声に、空を見上げる。
上空から飛来するのは、ASTの魔術師たち。
その中には当然、見知った顔がいた。
無表情ながら冷たい視線を向ける少女と、恨みがましい視線を向けてくる女性。
鳶一折紙と日下部燎子の姿を認めて、士道は思いっきり顔を背けるのだった。
機械の装備を纏った影が、列をなして飛行する。
彼女たちは全員、対精霊部隊、通称・ASTの隊員である。
これほどの速度ならば風圧も相当なのだが、それを苦にした様子はない。
それは一人一人が周囲に展開した随意領域によるものだ。
その中では、物理法則ですら己の意思で捻じ曲げることが可能となるのだ。
そんな超常の力を振るうことを許された者は、現代の魔術師と呼ばれている。
そして人間の域を越えた力を以て立ち向かう存在もまた、超常の怪物である。
精霊……世界各地に破壊を振りまく特殊災害指定生命体。
ASTはそんな存在を相手取るのが務めであり、今回も空間震……つまりは精霊の現界の予兆を受けて出動した次第だ。
『対象の姿、補足しました!』
先行した観測機を通した討滅対象発見の報告に、その先頭を飛ぶ折紙は内心で闘志を漲らせた。
恋人との逢瀬を良い所で邪魔されたという苛立ちもあった。
あと一息で少子化対策に踏み切ることができたというのに……思い出すだけで腹立たしい。
そんな部下をやや後方から注視しつつ、AST隊長の日下部燎子は気を引き締めた。
今回特定された霊波反応のパターンは、先日も確認された〈ウィッチ〉のものと一致する。
先月に相手取った〈プリンセス〉と比べたら、純粋な攻撃性能は劣る個体だ。
だからと言って油断することはできない。
遭遇例は少ないが、確認できた限りでは物体の姿を変えてしまう能力を備えているらしい。
それがどこまで適応されるかは分からないが、あまり楽観はしないほうがいいだろう。
言う事を聞かない部下の手綱を握りつつ、情報の少ない精霊を相手取る。
どちらもこなさねばならないのが、隊長の辛いところだ。
覚悟はしているが、ストレスが溜まるのには変わらない。
特に、先頭を飛ぶ折紙は精霊のこととなると暴走しがちな面もある。
自分の身を惜しまずに突っ込んでいく様は、かつての先輩と重なるが、彼女の場合はどうにも破滅的な印象が拭えない。
もしこれでこの前のように、その先輩が精霊と一緒にいようものなら、より暴走に拍車がかかることだろう。
『一般市民と思われる男性が、目標と接触している模様!』
ヘッドセットに届いた報せに、顔が引きつった。
やがて、精霊がいる地点……廃墟となった遊園地が近づいてくる。
肉眼でその姿を捉えられる距離まで来ると、遼子は内心で悪態を吐いた。
その男性は、十字架の墓標と笑うカボチャに囲まれ、如何なる状況か精霊である〈ウィッチ〉をその両腕に抱きかかえていた。
穂村士道……件の先輩は、〈プリンセス〉のみならず〈ウィッチ〉とも接触しているらしい。
これで折紙の暴走が確定したようなものだ。
とりあえずあの男、いつかぶん殴ろう……遼子は心の中で誓うのだった。
(やべぇ……顔を上げられん)
上空に集まったASTに包囲される中、士道は必死に地面に顔を向けていた。
自分の存在が認知されるのは当然よろしくないのだが、それ以上に痛い視線が飛んで来るのだ。
精霊である七罪を抱きかかえているのも相まって、非常に気まずい。
『士道、どうにかそこを離脱して。ASTに捕まったらおしまいよ!』
「どうにかつってもな……」
この状況でどうしろというのか。
仮に七罪を放り出せば〈フラクシナス〉の転送装置で拾ってもらえるかもしれないが、彼女からの心象は間違いなく悪化するだろう。
『バカっ、ちゃんと上見なさい!』
声に促されて見上げると、折紙がレイザーブレイドを振りかぶって突撃してきていた。
狙いは間違いなく七罪――庇おうと半ば無意識に動こうとした時だった。
「もう、せっかく良いとこなのに……〈
いつの間にか七罪の手の中にあった箒の先端が開いて、光を発した。
しかし折紙は怯まない。
そのまま七罪に対して斬りかかって――――
「いったぁーい……これ、剣道じゃ一本って言うんだったかしら?」
「――っ!?」
全く痛くなさそうな様子で、七罪は自分の頭を叩いたビニールの剣を掴んだ。
折紙は驚愕を顔に貼り付けているが、それもそのはず。
彼女が手に持っていた殺傷性抜群の武装が、全く安全な玩具に変わっていたのだ。
危険を感じたのか、即座に玩具の剣を手放して飛び退いていった。
「さぁて、折角だし私も
七罪は立ち上がると、箒の柄尻を地面に突き立てた。
再びその先端が開いて、現れたのは鏡。
「――ショウタイムよ、〈
鏡から発せられた眩い光が、周囲を埋め尽くした。
ポンッ、とコミカルな音がそこかしこで鳴った。
「や、やだっ」
「何よこれ……!」
光が治まると、上空に陣取っていたはずのASTの姿はない。
士道が辺りを見回すと、地面に何やらファンシーな連中がいた。
ずんぐりしたウサギやら犬やらパンダやらの着ぐるみ……どうやら魔術師たちは、身にまとう装備をアレに変えられてしまったらしい。
呆気にとられていると、手を掴まれる……七罪だった。
箒に跨り、どうやら飛んでこの場から離脱するつもりらしい。
何ともまた、魔女のイメージとぴったりである。
「さ、今のうちに行きましょ?」
「あ、ああ……」
こうなったAST隊員たちには気の毒だが、この場から逃れられるのは好都合だった。
七罪の後ろに同様に跨ると、浮遊感に包まれる。
少し懐かしい感覚だった。
傍から見たらきっと、まるでおとぎ話のような光景だろう。
なし崩しに七罪の体に後ろから抱きつく形になっているが、少々マズいかもしれない。
さっきまであまり気にしていなかったのだが、彼女は非常にスタイルがいい。
前に回した腕に、豊満な感触が伝わってくるのだ。
事前にすっきりさせとかなければ、反応していたかもしれない。
士道は貧乳か巨乳で言えば、巨乳派だった。
(平常心っ……!)
心の中で一喝して、どうにか煩悩を鎮める。
そうしているうちに地面が近づいてくる。
市街地まで飛んできたらしい。
空間震警報の影響で、人の姿はなかった。
「ここまで来たら、ひとまずは大丈夫そうね」
「悪いな、助かったよ」
「ふふっ、私も助けてもらったし、お互い様ね」
そう言って七罪は覗き込むように見上げてきた。
思わず顔をそらしたが、両頬を手で挟まれてぐりんと戻される。
いきなり頬にキスしてきたのといい、あまり接触に抵抗がないのかもしれない。
攻略の上では好都合かもしれないが、士道の心拍数は跳ね上がる一方だ。
「ねぇ、さっきは私の手を取って、何をしようとしていたの?」
「いや、それは……」
「こんな風に顔を近づけて……もしかしてキスとか?」
「――っ」
士道の反応に、七罪は目を細めて笑った。
これでは白状したようなものだ。
焦りに背中を汗が伝った。
「じゃ、続きしちゃいましょ」
「……え?」
「あら、私の
差し出された手に、逡巡する。
ASTの介入で有耶無耶になっていたが、そうしようとしていたのは事実だ。
仕切り直しという意味では、そうするべきなのかもしれない。
まだこちらの位置を補足できていないのか、インカムを叩いても反応はない。
少しの間目を閉じてから、士道は七罪の手を取ってその場に跪いた。
そして手の甲に唇を寄せて――――
「――シドー……」
突然呼びかけられて、動きを止める。
声がした方に振り向くと、意外に過ぎる姿があった。
シェルターに避難しているはずの十香が、そこに立っていたのだ。
「……その女と今、何をしていたのだ?」
全く心覚えはない(ということにしたい)のだが、士道の脳裏に修羅場という言葉が過ぎった。
修羅場る士道くんの明日はどっちだ……!