士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
薄暗い部屋を、ディスプレイの光がほのかに照らし出す。
室内は何に使うかいまいちよく分からない機材で埋め尽くされていた。
これでは、どこかの研究施設と言った方がしっくり来る。
久しぶりに訪れた物理準備室を見回しながら、穂村士道はそんな感想を抱いた。
彼はここ、来禅高校に勤める新米教師である。
そして精霊をデレさせるという使命を帯びた、秘密組織〈ラタトスク機関〉のエージェントでもある。
その他、経歴も一般人を名乗るには少々特殊な身の上なのだが、下手に掘り返すと黒歴史が顔を見せるため、ここでは割愛しておく。
当然だが、教師として働いている以上、士道は成人である。
今月の末で二七歳になる、見た目の上ではこれといった特徴のない男性だ。
直近の健康診断では、身長が175cm程で体重は67kg程だったはず、なのだが……
「…………」
「……よしよし」
子供サイズのハーフパンツと特撮ヒーローのシャツ。
それらを身につけた今の士道は、どこからどう見ても小学生男子だった。
このように、女性の膝の上に腰掛けても苦にされない程度にちびっこいのだ。
小さくなった士道を乗っけて撫でているのは、やんごとない理由で突如転勤した長宗我部教諭に代わるこの部屋の主、村雨令音である。
士道と同じく来前高校に勤める彼女であるが、やはりというか同じく〈ラタトスク〉の所属だ。
彼女の場合はそちらが主であり、この学校での立場はあくまで任務上という意味合いが強い。
士道にとっては色々な意味で特別な女性であり、こんな風に扱われているのも本来なら気が気でないはずなのだが……
「……あの、令音さん?」
「……なんだい?」
「……この状況は一体?」
「……ふむ、お気に召さなかったかな?」
「あ、いや……そういうわけじゃ」
「……なら、もう少しこのままでも構わないね」
一旦手を止めた令音だったが、すぐにまた撫でるのを再開した。
この状況に対する疑問はあるものの、士道も決して嫌がっているわけではない。
ここに居るのは学校の様子が気になるという、こちらの我侭を汲んでもらった結果でもある。
あのまま〈フラクシナス〉にいては、どうも身の危険を感じるというのもあったのだが。
特に琴里の暴走は完全に予想外であり、士道の姉との血の繋がりを感じさせるものだった。
大魔王の娘は、やはり魔王の素質を秘めているということなのか。
令音が介入していなかったら、今頃は心に新しいトラウマが刻まれていたに違いない。
元の姿に戻ったら、姪っ子の教育について考えるべきだろう。
ただでさえ教育に悪い存在が近くにいるので、注意は怠れない。
何しろ『技術は至宝・性癖は通報』の異名を持つ男である。
本来ならば即座に引き剥がしているところなのだ。
士道がそれをしないのは、正直言って積極的に関わりたくないというのが大きいが、やはり琴里の意思を尊重したいという思いがあるからだ。
経緯はどうあれ、立派に司令官を務めている姪っ子の妨げになるようなことはしたくない。
それと、変態は変態でも、とある一点においてだけは信頼できる。
差し引きで見ればマイナスの方が大きいのだが、それだけは確かなのだ。
とまぁ、向こうの話はさて置き、問題はこの状況だ。
今、士道が令音の膝の上で愛でられているのには、一体如何なる理由があるのだろうか。
重ねて言うが、嫌かといえばそうではない。
しかしあの柔らかい感触を押し付けられているというのに、元の姿の時のように心臓が騒いだり性欲が首をもたげてくることはない。
むしろ、今まで感じたことのない安心まで覚えてしまう始末。
それはまるで、母親の腕に抱かれているような……
「ふわぁ……」
かつてない心地よさに、士道は気の抜けた声を漏らした。
果たして、こうしていることの何処に問題があるというのか。
何だかもう、色々とどうでも良くなってきてしまう。
仕事のことも精霊のことも忘れて、このまま――――
「……ん、そろそろ行かなくては」
校内のスピーカーから、予鈴が鳴り響いた。
もうじき授業が始まる。
士道をそっと膝から下ろすと、令音は椅子から立ち上がった。
この学校で物理教師を務めている彼女も、授業に赴かなければならないのだ。
「……ごめんね、一緒にいてあげられなくて」
申し訳なさそうに謝る姿が、遠い記憶の中の誰かと重なった。
その記憶の中では、ただ泣いていることしかできなかった。
以前、名前も知らないまま一夜を共にした時にも、こうして彼女に朧気な面影を重ねていた。
その時は手を伸ばしつつも、引き止めることはできなかった。
今だって、そうするべきではないことは分かっていたはずだ。
それでもそうせずにはいられなかった。
気がつけば士道は、白衣の裾を掴んでいた。
「……参ったね、もうすぐ授業が始まってしまうというのに」
その困った顔に申し訳ないと思いつつも、手を放すことができない。
まるで駄々をこねる子供のように……或いは、精神が体に引っ張られた結果なのかもしれない。
置いていかれることに対する不安や寂しさを、抑えることができない。
そんな士道を、令音は正面から優しく抱きしめた。
「……今晩は一緒に食事をとろうか。もちろん琴里や十香が一緒でも構わない。是非とも私に腕を振るわせてほしいんだ」
「え……」
「……意外かな?」
「ううん、楽しみにしてます」
「……いい子だ」
令音は微笑むと、士道の頭を一度だけ撫でてから出て行った。
不安や寂しさは、すっかり消えていた。
「暇だなぁ……」
とはいえ、一人では時間を持て余すというもの。
今は時間的に言えば、二限目の途中だろうか。
不安や寂しさが解消された代わりというわけではないのだが、今度は退屈が顔を見せていた。
この物理準備室の中に、それを紛らわせてくれるものが何かあるだろうか。
そこらにある機械も弄り方がよくわからないし、そもそも勝手に触っていいものなのか。
少し悩んでから、コンピュータの電源スイッチを入れる。
これならば、例の訓練でギャルゲーをプレイするために触っていた経験がある。
何か面白いものはないか、という好奇心に後押しされたのもあるだろう。
しかし、ホーム画面に表示されたとあるものを見て、士道は真顔になった。
『恋してマイ・リトル・シドー2(仮)』
頬を抓ってみても目を擦ってみても、見えるものは変わらなかった。
夢や幻でも見間違いでもないのなら、あの理不尽なゲームの新作が開発途中だということだ。
もしかしなくても、訓練の教材として使うつもりだろう。
「……よし、見なかったことにしよう」
士道はそっと電源を落とした。
あまり深く考えていたら、それこそ悪夢にうなされてしまいそうだ。
気を取り直して、部屋の外に出る。
入校証はきちんと貰っているので、出歩いても問題ないだろう。
授業中だから当たり前なのだが、廊下に人の姿はない。
この背丈から見る学校は、まるで知らない建物のようだった。
何だか柄にもなくワクワクしてきてしまう。
冒険心をくすぐられた士道は、スリッパでペタペタと歩き出した。
「んっと、二年四組は……」
あちこち覗きながら目指すのは、自分の担当クラスの教室だ。
学校が気になるという我侭で、ここまで連れて来てもらった士道だが、実際のところ本当に気にかけているのは十香のことだ。
昨日の七罪との一件以来、顔を合わせていない。
十香も〈フラクシナス〉に回収されていたはずだが、互いに検査でその暇がなかったのだ。
とりあえず霊力の逆流は治まったと聞いているが、実際に顔を見るまではどうも安心できない。
登校はしているそうなので、何事もなければ教室にいるはずだ。
「あれ……いない?」
しかし教室はもぬけの殻だった。
荷物は置いてあるので、全員揃って休み、延いては学級閉鎖の可能性はない。
となると、体育か移動教室といったところか。
どうも自分の担当以外の時間割は曖昧だった。
少なくとも、二限目が終わるまでは戻ってこないだろう。
このまま待っているのも手だが、人目に触れたいわけではない。
その場を離れようとした士道だが、いきなり床から足が離れ、視点が高くなる。
何事かと混乱して振り返ろうとするが、地に足がつかなければそれも叶わない。
両腋に差し込まれた誰かの手の感触から、持ち上げられているのは辛うじてわかった。
「何この子、迷子?」
「わ、ちびっこいね」
「マジ引くわー」
背後から聞こえる声に、ぎくりと背中が震える。
ひょっとしなくても、二年四組の三人娘、亜衣麻衣美衣だろう。
ほんの僅かだがやましい事をしている自覚はあるので、士道の内心に焦りが立ちこめた。
いやでもしかし、まさか子供姿の自分を穂村士道だと見破れるはずがない。
「お、下ろして……」
「あ、ごめんごめん」
そうではあるのだが、意識せずとも声が不安に揺れてしまう。
身動きが取れずに声を震わせる様は、正に見た目通りの子供だった。
やっとのことで振り返ると、やはりと言うべきか体操服姿の三人娘。
声と立ち位置から察するに、士道を持ち上げていたのは亜衣のようだ。
まだ授業の途中のはず……時計を見ると、いつの間にか二限目の終わりに差し掛かっていた。
どうやら探検気分でウロウロしているうちに、時間が経っていたようだ。
教室で着替えるために、女子は一足先に戻ってきたのだろう。
「いやー、驚かせちゃった?」
「君、迷子? お名前は?」
「マジ引くわー」
見ると、三人の後ろの方に他の女子の姿も確認できる。
士道は瞬く間に、女子に取り囲まれてしまった。
女子とは言うが、自分より背の高い集団に囲まれては思わず萎縮するものだ。
それが伝わったのか、三人娘は苦笑すると屈んで目線を合わせてきた。
その優しげな対応と普段とのギャップが大きすぎて、何だか涙を誘うものがある。
「んー? この子、なんかほむっち先生に似てない?」
「言われてみればそうかも。まさか……」
「マジ引くわー?」
しかし、こんな至近距離で顔をまじまじと見つめられては、緊張するなという方が無理な話だ。
それが自分の正体を疑われているとなれば尚更だ。
顔に汗を浮かべながら、士道は唾を飲み込んだ。
「「「まさか、隠し子……!?」」」
「叔父の穂村士道がお世話になってますっ、高宮進次郎です……ッ!」
声を揃えて恐ろしい結論に至りそうな三人に、慌てて口を挟む。
それで納得したのか、ふむふむと頷いてくれた。
自由に想像の翼を広げさせては、次の日にどんな噂が飛び交うことやら。
どう考えても、元の姿に戻った時に色々と酷い目にあう未来しか見えない。
ちなみに『高宮進次郎』というのは、入校証に記載された名前である。
令音が即席で考えたもので、多分深い意味とかはないだろう。
そこらへんの設定に関しては事前に打ち合わせているのだが、それにしても仮の名前だというのに違和感がないのは不思議だった。
まるで、以前によくそう呼ばれていたかのような……
「ぬ、なんだ? 皆そこに立ち止まっていては、教室に入れないではないか」
人垣をかき分けて現れたのは、他の女子と同じく体操着姿の十香だった。
こうして間近で身につけている所を見るのは初めてだが、健康的な印象の彼女にはよく似合っている。
昨日の事があった手前、何かしら気落ちしているのではないかと心配していたのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
捉えようによっては自惚れとも取れるため、何だか気恥ずかしくなってしまう。
普段通り話しかけるわけにはいかないが、これで一安心といったところか。
後は、どうにかこの包囲から逃れるだけだ。
「むぅ……」
しかし士道の姿を見た瞬間、十香の顔は曇ってしまった。
何かを含んだような、何とも難しげな表情である。
令音によると、一応士道が小さくなったことに対して、口止めはしているとのことだ。
もしかすると、うっかり余計なことを口走らないよう、口を噤んでいるのかもしれない。
「あれ、十香ちゃんはこの子のこと知ってるの?」
「し、知らん……そのような名探偵のことなど知らんのだ……!」
亜衣の問いかけに謎の一言を残して、十香は逃げるように走り去ってしまった。
昨日、士道が茫然自失としている状態で口走った言葉を、真に受けているらしい。
「名探偵? 見た目は子供で頭脳は大人的な?」
「じっちゃんの名にかける的な?」
「マジ引くわー」
十香の過剰な反応は気になるが、女子たちの注意がそちらに向いているのは好都合。
その隙を突いて、士道は包囲網から脱した。
振り返らずに無我夢中で走る。
子供の脚の上にスリッパではすぐに追いつかれてしまうだろうが、まさかわざわざ見知らぬ子供を追いかけてくる物好きはいないだろう。
「待てぇーい!」
「そこの少年! 今なら罪は軽いよ!」
「マジ引くわー!」
(なんであいつら追いかけてきてるんだよ……!)
三人娘に追われながら、士道は心の中で叫んだ。
というか罪とは一体何なのか。
入校証はあるので、校内を歩いていても問題はないはずだ。
まさか廊下を走っていること言っているのなら、それはあちらも同罪である。
しかし、やはりというべきか子供と高校生。
開いていたはずの差は、あっさりと縮まっていく。
士道の小さな背中に、三人娘の手がかかる寸前だった。
「うわっ」
ぽふっ、と何かにぶつかり、士道の足が止まった。
しかし、ぶつかったというには衝撃が少ない。
まるで誰かに受け止められたかのような……だが、視界が塞がれていて何も見えなかった。
付け加えると頭も押さえられているようで、何かに顔を埋めたまま離すことができない。
「むー、むー!」
口も塞がれているため、むがむがとくぐもった声しか出てこない。
しかし嗅覚に伝わるこの匂いは、どこか覚えがある。
ジタバタしてようやく顔を離した士道の視界に、見知った少女の顔がどアップで現れた。
肩口で切り揃えられた短めの髪に、人形のように整った無表情。
鳶一折紙……学年一の才女にして、ASTの魔術師。
士道が気にかけている相手ではあるが、どう接していいかいまいち分からない相手でもあった。
どうやら、彼女の胸元に顔を埋め(させられ)ていたようだ。
こちらの顔をジーッと見つめているが、何か気になることでもあるのだろうか。
今の自分は子供姿なのだから、いつも感じている危機感とは無縁のはず。
いくら奇行が目立つとはいえ、彼女は心根が優しい少女である。
こんな幼気な子供に、いきなり襲いかかったりはしないだろう……そうであってほしい。
体を強ばらせながら、士道は心の中に必死に祈った。
しかし、次の瞬間に襲ってきたのは浮遊感である。
抵抗する間もなかった。
士道を脇に抱え、折紙は何処かへと走り出していた。
「……何あれ、おねショタってやつ?」
「というか誘拐……?」
「マジ引くわー……」
取り残された三人娘は、犯行の始終を呆然と見送るのだった。
「あなたは……?」
「た、高宮進次郎です……」
誘拐、もとい連れてこられた屋上で、士道は折紙の質問を受けていた。
受ける側の気分的には尋問や詰問だが、問う側にその意図があるかどうか。
蛇に睨まれた蛙の体で、震えながら答える。
「よく似ている。士道先生の親類か何か?」
「お、甥です」
「なるほど……こういうのも中々」
中々、とは一体どんな感想なのか。
何にしても、納得してくれたのはありがたい。
折紙は精霊・七罪の振るう天使の力を体験しているため、士道が子供の姿になっていると気づく可能性もあったのだ。
バレなかった事に胸を撫で下ろすのも束の間、唐突に肩をガシッと掴まれる。
「折紙お姉ちゃん、そう呼んで欲しい」
「へ……?」
これまた唐突なお願いに、士道の目が点になった。
一体何をどう納得したら、『お姉ちゃん』などという言葉が出てくるのか。
その呼び方は、それこそ士道が丁度これぐらいの年齢の頃、愛すべきクソ姉貴様に対して使っていたものである。
しかし、当時の思い出を振り返ると色々と辛いので、それ以上はやめておく。
士道に反抗期と呼べるものがあったとしたら、その頃だろう。
「折紙お姉ちゃん、そう呼んで欲しい」
「…………」
「折紙お姉ちゃん、Repeat after me」
見事な発音とアクセントだった。
英語教師としては満点をやるべきだろう。
学年一の才女は、スピーキングにおいても優秀らしい。
無表情はそのままなのだが、どことなく息が荒いし、目もキマっている気がする。
率直に言って怖かった。
「Repeat after me」
「お、折紙……お姉ちゃん?」
「――――っ!」
詰め寄られて怯えながら、たどたどしく言われた通りに呼んでみる。
声を震わせながら、不安気に目を揺らす士道の姿がどう見えたのだろうか。
折紙は鼻血を噴いて後ろへ倒れこんだ。
「くっ……凄まじい破壊力」
鼻血を拭って膝をつく姿は、まるで強敵と相対しているようだ。
しかし現実に目の前にいるのは、ただの無力な子供(姿の大人)である。
一体、彼女は何と戦っているのだろうか。
「だ、大丈夫ですか?」
「問題ない。私は先生と親密な仲。あなたとも是非仲良くしたい」
「……」
親密かと言われたら首を傾げたくなるが、生徒から親しみを持たれるのは嬉しいことだ。
何となく照れくさくなってそっぽを向いてしまったのは、素直になれない子供ゆえの反応か。
立ち上がった折紙は、懐から小型のデジタルカメラを取り出した。
特に写真が趣味と聞いたことはない。
というよりも、士道が彼女の私生活について知っていることは多くない。
諸々の事情を込みで話せるようになったのも、つい昨日のことなのだ。
「見て、先生とのツーショット写真もある」
「……ツーショット?」
カメラの中に収められている画像には、確かに士道と折紙が二人で写ったものがあった。
しかし士道にはそんな覚えはないし、見せられた画像もどこかおかしい。
例えば、画像の中の折紙はバッチリカメラ目線なのに、士道は明後日の方を向いていたり。
例えば、たまたま二人が並んだ瞬間を、定点カメラで撮ったような画像だったり。
確かに最近、やたらと身の回りでシャッター音が鳴っていたような気がしていたが……
「あの、これって――」
「ツーショット写真」
「自撮りやとうさ――」
「ツーショット写真」
「えー……」
あくまでもそれで押し通すつもりらしい。
訝る士道の視線に疑われていると思ったのか、折紙は体操着の懐から写真を一枚取り出した。
それは確かに折紙と士道が二人並んで写ったものだった。
二人の目線はバッチリとカメラに合っており、なんならピースまでしている。
しかしながら、やはりこんなモノを撮った覚えはないし、その写真はどこかおかしかった。
ロケーションは屋内で、部屋には電気が点いている。
家具などが写っているので、恐らくは彼女が暮らしている部屋だろう。
そう、写真は屋内で撮ったもので、天井に光源があるのだ。
だというのに、士道の体には左側に陰影がかかっていた。
それはまるで、窓から差し込んだ光が、体の右側に当たっているような……
「あの、これって――」
「ツーショット写真」
「合成写真じゃ――」
「ツーショット写真」
「…………」
どうあってもそれで押し通すらしい。
あまりの強引さに、今度こそ士道は閉口した。
まぁ、幸い写っているのは折紙と士道だけなので、悪用しない限りは問題ないだろう。
渋面を揉みほぐそうと眉間に指を当てていると、カシャッとシャッター音が鳴った。
見ると、折紙がプロさながらの構えでこちらにレンズを向けていた。
「あ、あの……」
「私のことは気にしないで。自然体のあなたを撮りたい」
まるでプロのような口ぶりだった。
しかし、こんな不自然な状況で自然体でいろとは、中々に難しい注文である。
こうしている間にも折紙は方向や角度を変え、引いたり寄ったりしながらシャッターを切る。
その様は情熱的というか、一心不乱という言葉がぴったりだろう。
何がそこまで彼女を駆り立てるのか、恐怖さえ覚えてしまいそうだ。
「出来れば一枚脱いでくれると、色々と捗る」
「ええっ」
「上でも下でも、私はどちらでも……むしろ両方脱いでも構わない」
「えっと、こ、困ります……」
「さあ、さあさあさあ」
「ひっ」
こんな屋外で裸になれば、それはかえって不自然体というものだ。
カメラを構える折紙は、先ほどと同様に息が荒く、目もキマっていた。
身の危険をヒシヒシと感じた士道は、涙目で一目散に校内へと駆け込もうとしたのだが、それをみすみす許す相手ではなかった。
即座に回り込まれ、校舎への入口を塞がれてしまう。
士道の脳裏に、RPGで逃走に失敗した時のメッセージが過ぎった。
こうなれば、最早フェンスに向けて後退するしかない。
ジリジリと距離を詰めてくる折紙は、さながら
そんな印象を抱いたのは、彼女がこちらを取って食いかねない程の迫力を放っているからだ。
元の姿ならまだしも、この姿なら抵抗は意味を成さないだろう。
ガシャン、と背中がフェンスに当たって音を立てた。
いよいよ後がなくなってしまった。
頭を巡らせても、この場を切り抜ける策は思いつかない。
なりふり構わず悲鳴を上げれば誰かに届くかもしれないが、騒ぎを大きくしたいわけではない。
こんなことになるのなら、物理準備室でおとなしくしているべきだった。
士道の胸中が無念と後悔で満たされようという時だった。
『士道くん、見ーっけ』
スピーカーを通したような、エコーがかった声だった。
校内放送ではなく、発生源は士道の後方……フェンスの向こうに箒が浮いていた。
先端に宝石をあしらい、どこか幻想的な輝きを帯びている。
士道、そして折紙にも見覚えがあるそれは、特殊災害指定生命体の力の具現。
天使と呼ばれる、精霊の誇る絶対の矛。
「これは……」
「まさか、〈ウィッチ〉の……!?」
ふよふよとフェンスを乗り越え、〈
そこに現れた鏡に、七罪の顔が映し出された。
こんな場所に現れた理由はわからないが、箒が向く先にいるのは士道だ。
子供が狙われている――そう判断した折紙の動きは早かった。
天使の行動を阻害すべく、即座に飛びかかる。
「させない……!」
『あらぁ? ごめんなさいね、今は相手してあげられないの』
「くっ――」
しかし顕現装置も持たない人間の力が、天使に通用するはずがない。
宙に浮いた〈
流石と言うべきか、受身を取ったので怪我の心配はなさそうだ。
ホッとする士道だったが、他人の心配をしている暇はなかった。
『さ、行きましょうか』
「え? な、なんだこれ……!」
鏡の中の七罪がパチンと指を鳴らすと、体が淡く輝き、宙に浮いたのだ。
そして〈
「やられた……!」
ぎしりとフェンスが軋む。
金網を握りつぶさんとするほどの力を手に込めて、折紙は彼方の空を睨みつけた。
今し方、突如として天使……精霊の振るう武器が現れ、一緒にいた男の子を攫っていったのだ。
あの箒のような天使から響いた精霊の声は、彼を『士道』と呼んでいた。
穂村士道の甥だと名乗っていたが、もしかしたら……
速やかに携帯を取り出し、AST本部の番号を呼び出す。
「――こちらAST所属、鳶一折紙一曹。至急、緊急着装デバイスを送って欲しい」
『鳶一一曹ですか? 識別コードを――』
「A‐0613。いいから緊急着装デバイスを送って」
『まずは状況の説明を――』
「早く……!」
焦れて語気が荒くなる。
自分でも冷静ではないことを理解していながらも、抑えることはできなかった。
既に天使の姿は見えなくなっている。
今すぐ追いかけなければ、完全に見失ってしまうだろう。
折紙は現代の魔術師と呼ばれる超人だが、それはあくまで随意領域を操った結果だ。
そして魔術師が周囲に展開する随意領域は、ワイヤリングスーツに搭載された基礎顕現装置によって展開されるものである。
折紙が求める緊急着装デバイスにも、基礎顕現装置が搭載されており、最低限だが随意領域を展開することが可能だ。
ただ、ワイヤリングスーツの補助なしにそれを行えば、脳には多大な負担がかかる。
そんな状態を継続したら、あっという間に活動限界が訪れるだろう。
戦闘行為など以ての外だ。
なのでその名の通り、緊急時に即座にワイヤリングスーツを装着するための装置なのだ。
随意領域とは、自分の意のままになる空間。
一瞬でもそれを展開できたなら、衣服の変更など造作もない。
今回のように、精霊と突然出くわした時には有用なはずなのだが、未だに了承の返事はない。
フェンスを軋ませる折紙の耳に、AST隊長、日下部燎子の声が届いた。
『――折紙、簡潔に状況を説明しなさい』
「〈ウィッチ〉が子供を攫って南南東へ逃走中。対象は飛行している。装備なしに追跡は困難」
『市街地方面ね……速度は? 姿は視認できる?』
「現状視認は不可能。けど、装備さえあれば……!」
『そう……なら一度こちらへ来て詳細の報告を。精霊の方はこっちで観測機を飛ばしておくわ』
「そんな悠長なことを……ッ!」
『あんた、自分でも冷静じゃないってわかってるでしょ?』
「――っ」
図星を突かれ、折紙は黙るしかなかった。
そう、今の自分は不必要に焦っている。
今からワイヤリングスーツを纏って追いかけたとしても、見つけられる可能性は低い。
ASTが本格的に捜索を始めたとしても、それまでのタイムラグで姿をくらませる猶予がある。
それに、大々的に動くには人の目が邪魔になる。
空間震警報という環境下でしか、ASTは満足に活動することができないのだ。
それでも、もしあの子が〈ウィッチ〉に姿を変えられた彼だとしたら……
そうでなくとも、自分のような者を増やさないために、というのが折紙が戦う理由の一つだ。
精霊が誰かに危害を加える可能性を、指を咥えて見ているだけなんて、出来るはずがない。
そのはずなのに……
「……了解、そちらに合流する」
緊急着装デバイスが得られないなら、どの道基地に赴かなければならない。
拳をフェンスに打ち付けると、折紙は校内へ駆け込んだ。
「んんっ……ここは?」
目を覚ました士道は空を見上げていた。
視界の大半は雲に覆われているが、所々に青空が見える。
この雲量ならば、まだ晴れの範囲だろう。
目をこすりながら上体を起こすと、落下防止用の柵が見えた。
そのさらに向こうの景色には、視界を遮るものがほとんどない。
どうやらここは、それなりに高い建築物の屋上らしい。
それからどうしてこんな所にいるのかという疑問に至り、士道は寝ぼけ眼をしっかりと開いた。
そう、学校の屋上でいきなり精霊・七罪の振るう天使が現れて……
「な、七罪? お前、なんだよな……?」
「はぁい、せ・い・か・い」
背後からの声に振り返っても、その姿はない。
かなり間近で聞こえたはずなのに……頭にはてなを浮かべた士道が正面に向き直ると――――
「――ばぁっ」
「うわぁぁっ!」
目の前に現れた顔に、士道は情けなくも驚き、一回転してひっくり返った。
その見事な後転っぷりに、その精霊はくすくすと笑った。
艶やかな長髪と、エメラルドの瞳。
夜空のような黒色のマントを、夕空のような橙色が縁取る。
先端の折れたつばの広い帽子は、童話の中の魔女さながらだった。
鏡の中ではなく、今度は実体を伴って七罪はそこに立っていた。
「それにしても、どうしたの? こんなに小さくなっちゃって」
「どうしてもこうしても、その天使の力のせいだろ!」
「うふふ、わかってるわよ。士道くんがあまりに可愛いから、からかっちゃった」
「いいから元に戻してくれよ!」
「えー? どうしようかなー?」
七罪はさも面白そうに唇の端を釣り上げた。
この前から思っていたのだが、この精霊は悪戯好きというか、中々にいい性格をしている。
それにしても、年上の女性がこんな顔をしていると、どうにも苦手意識が拭えない。
本来なら士道の方が見た目の上では年上なのだが、今は生憎と子供姿なのだ。
そして、そう意識してしまうということは、やはり感性も外見に引きずられているのだろう。
その証拠に、こんな意地悪をされただけで、泣きそうになってしまっていた。
「ごめんごめん、私が満足したらちゃんと元に戻してあげるから」
「ま、満足? どうしたらいいんだよっ」
「そうねぇ……じゃあ、小さな
「エスコート……もしかしてデートか!?」
思いがけない提案に、士道は動揺した。
確かに、精霊攻略という面では歓迎すべき事態だろう。
しかし、色々と状況が整ってなさすぎる。
自分は万全とは程遠い状態だし、例によって〈フラクシナス〉との連絡手段がない。
いつものインカムはサイズが合わなくなってしまったため、持ち歩いていないのだ。
携帯も向こうに忘れてきたため、もうとにかく連絡手段がない。
こちらは姪っ子の魔の手から逃げるために、焦っていたからだろう。
それでも元の姿だったら、ここまで気後れはしなかったのかもしれない。
心がやや退行気味な士道は、普段よりも未知に対する恐れが強かった。
ぶっちゃけると怖がりさんである。
「あれぇ? もしかして士道くん、自信ないのぉ?」
「うっ……」
「まぁ、こーんなにちっちゃいんだものね。仕方ないかぁ」
しかしながら、幼さ故に頭に血が上りやすいところもあるのだ。
もしくは、煽り耐性がないとも言う。
このように、煽られた上になでなでまでされてしまっては、最早我慢の限界だった。
そもそも、こんな姿になったのは誰のせいだと思っているのか。
ぐぎぎ、と歯噛みしながら、士道は強かに足を地に打ち付けて拳を握り締める。
「――出来らぁっ!」
そして手を振り上げて、高らかに宣言した。
それが七罪攻略・第二幕開始の合図だった。
次では終わらない可能性。