士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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本当の自分

 

 

 

「七罪ー! 早くこっち来いよー!」

 

 広大な公園の遊具がある一角で、外見の上では十にも満たない子供が、声を上げて手を振った。

 ハーフパンツに特撮ヒーローのシャツを身に付け、巨大遊具に登って笑顔を見せる様は、見た目の印象とものの見事に一致していた。

 傍から見たら、小学生男子が公園で遊んでいるようにしか見えないだろう。

 しかしながら、これには非常に特殊な事情が介在している。

 子供が首からぶら下げたネームホルダーの中には、都立来禅高校の入校証が収められている。

 外部の人間が校内に入る際、正式な手続きを経た上で渡されるものなのだが、そこに記載された『高宮進次郎』というのは、偽名である。

 そもそも、名前どころかこの姿自体が偽りなのだ。

 本来の彼は小学生男子ではなく、二十代後半の成人男性だ。

 それが子供の姿をとっているのは変装の類ではなく、もっと荒唐無稽な理由である。

 今の彼は超常の力によって変身させられているのだ。

 本名は穂村士道……来禅高校に勤める英語教師であり、秘密組織〈ラタトスク機関〉に所属するエージェントでもある。

 そして秘密組織のエージェントである彼には、とあるミッションが課せられている。

 現在、士道はそれを遂行している真っ最中なのだ。

 つまり、デート中なのである。

 

「はいはい、そんなにはしゃいでるとまた転んじゃうわよ?」

「もうスリッパじゃないから平気だっての!」

 

 そしてデートというからには、その相手は当然女性だ。

 艶やかな髪とエメラルドの瞳、スラリと伸びた手足。

 ワンピースの上にカーディガンを羽織った、初夏の装い。

 見た目の上では二十代前半の美女だった。

 苦笑しながら士道に追随する彼女の名は七罪……精霊と呼ばれる存在である。

 人間と同じ容姿を持ちながら、人間ではありえない絶大な力を有する者たち。

 本来ならば霊装という、自分の身を守護する鎧の役割を果たすものを纏っているのだが、今の格好は一般人のものと変わらない。

 これは街中を歩くに際して、それでは目立つからという士道の意見を取り入れた結果だ。

 精霊――別の呼び方をするなら、特殊災害指定生命体……そして世界を殺す災厄。

 現界時に発生する空間震はもとより、精霊は各々災害の如き権能を持つ。

 七罪の場合、規模や程度を考慮せず簡潔に言ってしまえば、変身能力といったところか。

 士道がこんな姿をとっているのは、現在一緒に行動している彼女の力によるものだ。

 来禅高校から連れ出された士道は、来客用のスリッパを履いたままだったのだが、それを動きやすいスニーカーに変えたのもその力である。

 このデートも本来ならば、元の姿に戻してもらうために行っているはずなのだが……

 

「何だよこれ。最近の遊具って、けっこうすごいんだな!」

 

 遊具の頂上に登ってはしゃぐ様は、やはりどこからどう見ても見た目通りの子供だった。

 童心がぶり返してしまった士道は、ものの見事に目的を忘れかけていた。

 そもそもは遊園地に入ろうとしたのだが、財布は空中艦〈フラクシナス〉に置き去りである。

 そこでお金がかからないデートと考えた結果が、公園だったのだ。

 あながち的外れとも言えない選択ではあるが、現状がデートかと言われたら疑問が残る。

 これでは、公園で遊ぶ子供とその面倒を見ている近所のお姉さんである。

 血縁を感じさせる要素はないので、傍から見た感想はきっとそうなるだろう。

 精霊攻略という任務を考えたら大目玉が降ってきそうなものだが、士道の耳にインカムはない。

 好感度だとかそういう面倒な事情を考えるのも忘れ、気の赴くまま振舞うのみだ。

 士道は自分の後を追って登ってくる七罪に、手を差し出した。

 

「ほら」

「あら、頼もしい。流石は騎士(ナイト)様ね」

「へへっ、だろ?」

 

 大人の姿の時は恥ずかしがっていたその呼ばれ方も、この姿だとどこか誇らしげである。

 そうしてしばらくの間、エスコートしているはずの相手を引っ張り回すのだった。

 

 

 

 

 

(って、これ子守じゃない……!)

 

 ベンチに座ったまま、遊び疲れて眠る士道の頭を膝の上に乗せ、七罪は心の中で突っ込んだ。

 散々遊び相手になった後で言及するのはどうかと思うのだが、これでも一杯一杯だったのだ。

 ただでさえ他人と接するのに慣れてないというのに、いきなり子供の面倒を見るのは些かどころじゃなくハードルが高い。

 何とか乗り切れたのは、ガッチガチに作り上げた理想の自分……つまり今の姿のおかげだろう。

 素の自分で対応していたら、一体どんな醜態を晒していたことか……

 思い浮かべただけで、鬱々とした感情が積もっていく。

 ため息をすると幸せが逃げていくというが、元から自分には無縁のものだ。

 俯いたまま、鬱積したものをため息と共に吐き出そうとして、のんきな寝顔が目に入る。

 自分の吐息なんかで起こされては、寝覚めも最悪だろう。

 いや、そもそもこんなものを枕にしている時点で、寝心地は悪いに決まっている。

 今の姿は理想の自分のものだが、気持ち的には全く以てなりきれていない。

 内面から滲み出る不快感で、気分を害してしまうことは疑いようもない。

 

「はぁ…………何やってるんだか」

 

 七罪は曇り空を見上げて、大きくため息をついた。

 これも()()()()()行いだ。

 理想の自分は、こんな鬱屈とした表情でため息など吐かないのだから。

 公園に他の人間の姿はない。

 こんな様を見る者がいないのは幸いだった。

 あるいは誰もいないからこそ、こうして素の自分が出てしまっているのか。

 

「だとしたら、あんたのせいね……このっ」

 

 憂さ晴らしとでも言うように、子供特有のぷにぷにのほっぺたを指で突っつく。

 こんな事が出来るのも、相手に意識がないからこそだ。

 理想の自分ならともかく、素の自分にはそんな度胸も勇気もない。

 穂村士道……彼がこんな姿になっているのは、七罪にとって予想外だった。

 先刻、この街を密かに散策している時に、その姿を見つけて思わず自分の目を疑ったものだ。

 それでも、思い当たるフシがないわけではなかった。

 十香と名乗った精霊の少女に対して、自分の天使……〈贋造魔女(ハニエル)〉の力を振るった際に、運悪く巻き込まれてしまったに違いない。

 咄嗟のことで力の調整が効かなかったため、余程のことがない限り戻りはしないだろう。

 別にすぐに元に戻してあげても構わなかったのだが、実のところ七罪は口実を欲していた。

 ある言葉を伝えるために、一緒にいられる時間が欲しかったのだ。

 それは特別でもなんでもない、ありふれた言葉だ。

 文字数にしたら五文字、『あ』で始まり『う』で終わる言葉。

 あの雨の日、誰にも見向きされないみすぼらしい精霊に対して、お菓子と傘を渡した人間への、たった一言のお礼の言葉。

 しかしながら、それを素面のままで伝えるのは、七罪にとって間違いなく難題だった。

 エスコートなどと提案したのは、機をうかがう、あるいは助走期間を確保するためである。

 そうでもしないと満足に気持ちを伝えられない自分には、辟易どころか嫌悪すら湧いてくるが、そんなのはいつものことである。

 醜い自分は、誰からも愛されないし見向きもされない。

 それは七罪に常に付き纏う強迫観念だ。

 士道があんなに楽しそうに遊んでいたのも、きっと自分がこの姿だったからだ。

 あまりにはしゃぐものだから、釣られて一緒にはしゃいでしまった。

 そう、自分はこんな子供に連れ回されて、振り回されて……楽しんでいたのだ。

 

「本当は大人なのに……みっともなくはしゃいじゃってさ」

 

 こちらの挑発にあっさりと乗せられ、どこかに入ろうにもお金がなく、スリッパで走って転んで泣きそうになっていた。

 見ていられなくて、ついつい慰めてしまったほどだ。

 そして公園にたどり着いてからは、エスコートをそっちのけで遊び出す始末。

 でもみっともないというのは、自分にも共通するものだ。

 それが何故だか嬉しくて、七罪は頬を緩めた。

 同病相憐れむとでも言うべきか、少し不健全な喜びかもしれない。

 士道が元の姿に戻ったら、それはきっともう感じられないものだ。

 

(じゃあ、この人がずっとこのままだったら……?)

 

 もしこのまま、元の姿に戻らなければ……いや、()()()()()()()()()

 このまま、みっともないままでいてくれたら……もしかすると誰からも愛されない惨めで無様な精霊と、お似合いなのかもしれない。

 それはあたかも童話に登場する悪い魔女が、王子や騎士を自分のものにするため、魔法をかけてしまうような……

 心の内に芽生えた昏い希望が、さざ波を立てる。

 その揺らぎに同調するように、風が木の枝を揺らして葉をさざめかせた。

 地面から砂埃が舞い上がり、七罪の鼻をくすぐった。

 それは天罰と呼ぶにはささやかすぎるものだろう。

 だが、今、この瞬間、七罪にとってはこの上ない罰となった。

 

「ふ……ふ、ふえっくしょん!」

 

 くしゃみと共に、七罪がその身に纏った幻想が光を放って剥がれ落ちる。

 光が収まれば、そこにはみすぼらしい少女が一人。

 理想とは程遠い真の姿。

 そして泣きっ面にハチというか、悪いことは重なるものである。

 これだけの音と光なら、もしくは必然だったのかもしれない。

 

「んん…………あれ?」

「――――っ」

 

 呑気に膝枕で眠っていた士道が、目を覚ましたのだ。

 目と目が合い、七罪の頭の中はものの見事に真っ白になった。

 本当の姿を見られてしまったという羞恥が顔を赤く染める一方、相手の反応に対する恐怖が顔を青ざめさせる。

 今度は叫ぶことも逃げることもできないまま、固まってしまった。

 士道は目を擦ってから立ち上がると、七罪の目の前に立った。

 その口からどんな言葉が飛び出すのか……ギュッと目を閉じる。

 

『うっわ、お前こんなにブスだったのかよ! マジないわー』

『キレイなお姉さんのフリして騙しやがって! キモイんだよテメェ、ふざけんなよ!』

 

 この姿に対する失望か、姿を偽っていたことに対する罵倒か。

 しかし思い浮かべたような言葉は……士道はそもそも声すら発さなかった。

 その代わりに、なにか暖かい感触が七罪の右手を包み込んだ。

 

「――――え?」

 

 士道は、固く握られた七罪の拳を両手で持って笑いかけた。

 理想の姿をとっていた時に向けられていたものと、変わらない笑顔だった。

 

「ほら、遊ぼうぜ」

 

 そして手を引かれるまま、七罪はベンチから立ち上がった。

 

 

 

 

 

「ふぃ……休憩休憩」

 

 汗を拭うと、士道はベンチに腰掛けた。

 その隣……というには少々大きく間を空けて、七罪もちょこんと腰を下ろした。

 ボサボサの髪に、不機嫌そうな目元。

 身長は琴里と同じぐらいだろうが、猫背のためかさらに小さく見える。

 それでも今の自分よりは背が高いのだから、士道は少しだけ落ち込んだ。

 とにかく、先程までの姿の面影は、そのエメラルドの瞳ぐらいしか残っていない。

 特に体つきは、ちゃんと食べているのかと心配になるほどだった。

 まぁ、精霊相手にそのような心配は無用かもしれないが。

 

(この子、やっぱりあの時の子だよな……?)

 

 そして士道には、今の彼女に見覚えがあった。

 大学二年の秋、雨のハロウィン。

 魔女の仮装……ではなく、恐らくは霊装姿の七罪は確かに記憶の中の少女と同じ姿をしていた。

 先程までの姿は、仮のものだったということだろうか。

 彼女が保有する〈贋造魔女(ハニエル)〉の力を考えれば、ありえない話ではない。

 そもそも、今の姿も本当のものかどうか……それ以上は考えるのをやめた。

 こんなことを言いだしたらキリがないし、この子供の姿は難しいことを考えるのに向いてない。

 疑問や尋ねたいことはあるが、そんなものは後回しでいいのだ。

 ただ士道は、不安げな少女を放っておけなかった……それだけなのだから。

 奇妙なめぐり合わせだとは思うが、自分のやることは変わらない。

 精霊とデートして――――

 

(…………そうだ、今はデート中だったんだ!)

 

 自分の使命を思い出した士道は、ハッとしてから頭を抱えた。

 公園に来るときはちゃんと頭の中にあったはずなのだが、徐々に片隅に追いやられ、今この時まですっかり忘れてしまっていたのだ。

 ただただ遊び呆けていただけというのは、流石に体裁が悪い。

 思えば七罪の不機嫌そうな顔も、散々連れ回したせいかもしれない。

 好感度という言葉が頭の中にちらついた。

 インカムがないため通信は取れないが、〈フラクシナス〉でモニターしていたら、けたたましくサイレンが鳴っているかもしれない。

 腕を組んで難しい顔で唸る士道を横目に、七罪は俯いたままボソボソと口を開いた。

 

「な、なんで……どうして、何も聞かないのよ」

 

 それが指すのは、彼女が自分の能力であんな姿をとっていたことについてだろう。

 確かに気にはなるが、今の士道にはそれほど重要なことだとは思えなかった。

 どう答えたものかと頭を捻っていると、その沈黙をどう捉えたのか、堰を切ったかのように七罪はヒステリックに喚きながらまくし立てる。

 

 

「ど、どうせ思ってるんでしょ!? こんなブスがキレイなお姉さんのフリしてキモーイ、とか!! そんなこと自分でもわかってんのよ! でも、だったら他にどうしろって言うのよ!? 私が私のままじゃ、誰も相手になんかしてくれないんだから……ッ!」

「え……」

「それとも何!? そんな姿に変えられた腹いせ!? 少しでもダメージがデカくなるよう後から笑いものにしてやろうっていう腹積もり!? 写真を撮ってSNSに投稿してワールドワイドで私を晒しものにしようとでも企んでるわけ!?」

「…………」

 

 なんというかもう、被害妄想が嵐のように荒れ狂っていた。

 あまりの剣幕に、士道は呆然と黙り込んでしまった。

 こんな時……幼い自分が喚き散らしていた時、姉はどうしてくれただろうか。

 その時感じた温もりは、胸が締め付けられるような思い出だ。

 同じように抱きしめてみたとして、果たして自分は無事でいられるだろうか。

 華奢な少女に見えるが、精霊の膂力は人間を軽く上回るのだ。

 拒絶されて思い切り突き飛ばされようものなら、それが致命傷になりかねない。

 体の丈夫さには昔から自信があるが、その限界にチャレンジする気は起きなかった。

 なのでもう少しマイルドに、その手を握ってみることにした。

 

「~~っ」

 

 しかしすぐに振り払われてしまった。

 すかさずもう一度手を伸ばす。

 

「~~~~っ」

「くっ、この……!」

「~~~~~~っ」

「よしっ、捕まえたぞこのやろう!」

「~~~~~~~~っ」

 

 声にならない声を上げて逃れようとする七罪の手を、執拗に追いかける。

 士道も少々熱く……どころか、半ば意地になっていたのは否定できない。

 そしてようやく捕まえた手を両手で強く握ると、真正面からその目を見つめる。

 真っ直ぐな視線を受けて目の置き場に困ったのか、七罪はそっぽを向いた。

 そんなのはお構いなしに、士道は屈託なく笑う。

 

「――楽しかった!」

「…………は?」

 

 

 

 

 

「――楽しかった!」

「…………は?」

 

 信じがたい言葉に、七罪は自分の耳を疑った。

 こんな自分と一緒にいて、遊んで楽しかった……そう言っているのだろうか。

 いや、そんなわけがない。

 自分の無様で滑稽な姿を見て楽しかった……そういう意味に違いない。

 というか、それこそが当然の帰結だろう。

 理想の自分ならともかく、今の自分は不快要素の塊だ。

 だから楽しいなんて言葉は、嘲笑もセットに決まっているのだ。

 そちらの魂胆などお見通しと言わんばかりに、口をへの字に曲げて明らかな不機嫌顔を作る。

 だけど、相手はそんなもので怯んではくれなかった。

 それどころか、お返しとでも言うようにまくし立ててきたのだ。

 仕事のプレッシャー、仲の悪い生徒同士の喧嘩の仲裁、同居人への気遣い、姪っ子から課される理不尽な訓練。

 中々に心労が溜まっていたようで、詰め寄られて七罪は思わずこくこくと頷いていた。

 先ほどの屈託のない笑顔とのギャップが激しすぎるが、本来の姿を考えたら納得はできる。

 他人事ながら、大人って大変だな、などという感想も抱いてしまった。

 話を聞く限りでは、教師をやっているらしい。

 たまたまと言うべきか、七罪はその教師という存在について知っていた。

 奴らはアレだ、クラスの人数が奇数で、しかも誰が余るのかもわかった上で、二人組を作れなどという指示を下す、暗愚の極みの連中なのだ。

 少しは「七罪ちゃんが二人組作れてませ~ん」などと、他の生徒から揶揄される者の気持ちを、考えてもらいたいところだ。

 ……無論、今のは例え話にすぎない。

 精霊が人間と同じように学校に通っているなど、それこそファンタジーである。

 とにかく、七罪は学校という場所や教師という存在に対して、あまり良い印象は持っていない。

 それでも、士道がどんな教師なのかは、少しだけ気になった。

 あの優しげな笑顔を、生徒に対して向けているのだろうか。

 分不相応にも、羨ましいなどと思ってしまった。

 

「――――だからさ、七罪……ありがとな」

「……………………なん、で」

 

 お礼の言葉で締めくくる士道に、たっぷりの沈黙の後、七罪はかすれた声で問うた。

 こんな姿にされて、どうしてそんなことが言えるのだろうか。

 自分が中々言い出せない言葉をいとも簡単に口にしてしまう様には、劣等感さえ覚えてしまう。

 

「どうして、そこでお礼の言葉なんかが出てくるのよ……!! わかってるの!? 私はあんたをそんな姿にした張本人なのよ……!?」

「たしかにこの姿は不便で、大変なこともあったけどさ。色んなことを忘れて、何も考えずに遊んでいられて、すっげー楽しかったんだ」

「――――」

 

 その晴れやかな笑顔に、七罪は言葉を失った。

 

『悪いな、今これだけしかないんだ』

 

 この人なら、本当の私を見てくれる。

 

『ほら、遊ぼうぜ』

 

 この人なら、本当の私の手を握ってくれる。

 胸に抱いた淡い期待は、確かな鼓動となって脈を打ち始めた。

 だがしかし――――

 

(――本当に?)

 

 七罪の足を絡め取ったのは、強迫観念から生まれた猜疑心だった。

 醜い自分は誰からも愛されない、見てもらえない。

 だから、この人が自分に構うのも、()()()()()()()()()()()()()()

 手を伸ばしたい……そう思っているのに、足が動かない。

 強迫観念と猜疑心は、今や影となって七罪を縛り付けていた。

 

「だからさ、俺と一緒に来ないか?」

「…………私が一緒だと皆に笑われるし、ASTにだって狙われちゃうわよ?」

「そこは俺たちが何とかするよ」

「――――おれ、()()?」

「精霊を保護してる組織で、〈ラタトスク〉って言うんだけど――――」

 

 スッ、と胸を冷たい風が通り抜ける。

 士道が語る内容は、七罪に確かな納得をもたらした。

 

「空間震はどうにかしなきゃだから、霊力は封印しないといけないけど……七罪?」

「――――やっぱり、そうだったんだ」

 

(――ほら、やっぱり理由があった)

 

 そうでなければ、こんな自分を誰かが気にかけるはずがない。

 この人が自分に笑いかけたのも、自分の手を握ったのも……

 声をかけてきたのも落ちる自分を受け止めたのも騎士(ナイト)に立候補だなんて調子を合わせてきたのも――――あれもあれもあれもあれもあれもあれもあれも、どれもこれも全部…………ッ!!

 

「もういい――――〈贋造魔女(ハニエル)〉」

 

 激情が形のない圧力となって噴出し、霊力の渦が上空の雲を撹拌する。

 大地の鳴動とともに、街にサイレンが鳴り響いた。

 眩い光を浴びて、七罪は理想の自分へと変身する。

 

「七罪っ、何を……!?」

「士道くんには悪いけれど、残念なお知らせよ。あなたは一生そのまま、元の姿には戻れないの」

 

 もとより勝手な期待だった。

 愚かにも希望を抱いて、そして失望しただけ。

 それでも、そんなまやかしを見せた相手が、そして何より惑わされた自分自身が腹立たしい。

 ギリッ、と歯を食いしばって拳を握り締めると、七罪は士道へ指を突きつけた。

 そして悪意と敵意を、エメラルドの瞳に漲らせる。

 

「覚えてなさい。あんたの人生、おしまいにしてやるんだから……!」

 

 これは八つ当たりに過ぎないし、そんなことは自分自身も理解している。

 だから哀れな被害者には、迂闊にも悪い魔女に近づいた代償と諦めてもらう他ない。

 

「せいぜい絶望なさいな…………!」

 

 箒にまたがると、〈ウィッチ〉は降り出した雨の中、空へと飛び立った。

 

 

 

 

 

 授業が終わると、校内はにわかに賑やかになる。

 それが昼休みともなれば尚更だ。

 廊下には食堂へ向かう者、購買へ急ぐ者、どこへ行くでもなく談笑する者。

 

「むぅ……」

 

 その中にあって、夜刀神十香は難しい顔で唸った。

 夜色の髪、紫水晶の瞳、見る者の目を奪う凛とした美貌は、ともすれば人間離れしている。

 それもそのはず……彼女は精霊なのだ。

 本来ならばこのように学校に通える立場ではないのだが、それには特殊な事情が絡んでいる。

 この場では割愛するが、ともかく色んなことがあった上で、十香はこの来禅高校の生徒になったのだ。

 

「……十香、浮かない顔だね」

「ぬ、令音か。今朝ぶりだな」

 

 十香に話しかけたのは、ここで物理教師を務める村雨令音。

 士道と同じく〈ラタトスク〉の所属であり、十香が何かとお世話になっている女性である。

 眠そうな目元に分厚いクマ、白衣姿が左右にふらふらと頼りなさげに揺れる。

 見る人に今にも倒れそうな印象を与える彼女だが、これが常態である。

 

「……今日はあの三人と一緒ではないのかね?」

「誘ってもらったのだが、辞退したのだ」

「ふむ……ではたまには私とどうかな。シンと一緒に昼にしようと思っているのだが」

「シドーと……」

 

 十香の頭の中に、子供サイズまで縮んだ士道の姿が浮かぶ。

 着替えるために教室に戻った際に、顔を合わせている。

 今日は休みだと聞いていたので、学校にいたのは首を傾げるところだ。

 そして実のところ、十香が難しい顔をして唸っているのと士道は無関係ではない。

 黙り込む様を見て、令音は眠たげな双眸を僅かに細めた。

 十香の元気がない時は、大抵空腹が関係しているのだが……

 

「……少し、場所を変えようか」

 

 黙って頷いてから、十香は先導する令音に追随した。

 向かう先は物理教師である彼女の拠点である物理準備室ではなく、校舎の外れだった。

 人気がないため、秘密の話をするにはうってつけだ。

 

「……単刀直入に聞くが、君が気にしているのはシンのことで間違いないね?」

「ぬ……な、何故わかったのだ!?」

 

 むしろ、それだけ気にしている素振りを見せていたら、何故も何もないだろう。

 しかしそこに突っ込んでいては話が進まない。

 

「……苛立っている、というのは少し違いそうだ。何があったのか、聞かせてもらえるかな?」

「むぅ……」

 

 再び、十香は難しい顔で唸る。

 胸の内を晒すことに抵抗があるわけではない。

 ただ、自分でも整理できていないのだ。

 

「……思ったことをそのまま話すといい。なに、口外したりはしないさ」

 

 言い淀んでいるところに、令音から助け舟が渡された。

 少しの沈黙の後、十香はそれを頼りにポツリポツリと語りだした。

 士道が見知らぬ女とキスをしようとしていたこと、その女が士道は自分の騎士(ナイト)だと言ったこと。

 

「それで嫌な気持ちになって、何も考えられなくなって……」

 

 気づけば無我夢中で、二人に向かって駆け出していた。

 もしあの時、自分が足を止めていなかったら、どうなっていたのだろう。

 十香の脳裏に、右腕を失って血塗れになった士道の姿が浮かんだ。

 恐怖が、体を震わせた。

 

「わかっている……士道があのような姿になったのは、私のせいなのだ」

 

 あの魔女が発した光は、確かに十香に向けられていた。

 士道は自分を庇ってそれに割り込み、子供の姿に変えられてしまったのだ。

 そこまで考えて、十香は自分が何を恐れているのかに気がついた。

 

「私は……私が傍にいることで士道が傷つくのが、恐ろしいのだ」

 

 士道に嫌われるのが恐ろしい。

 士道がいなくなってしまうのが恐ろしい。

 そして、士道が自分のせいで危険な目にあうのが、何よりも恐ろしい。

 もしそれで命を失うようなことになれば、きっと自分は――――

 震える手を握りしめて、胸元に強く押し当てる。

 令音はそんな十香の背中に手を回すと、正面から優しく抱きしめた。

 

「……十香、君はシンと出会ったことを後悔しているのかい?」

 

 無言のまま、十香は首を横に振った。

 あの出会いを否定するのは、今の全てを否定するのと同じことだ。

 

「……シンも同じさ。どれだけ傷つこうとも、彼は君と出会ったことを後悔したりはしない」

「何故、そう言い切れるのだ」

「……こう見えて、君よりは彼との付き合いが長いんだ。……ずっとね」

 

 その言葉から、十香は情念のようなものを感じ取った。

 いつもの、どこか捉えどころない振る舞いとは明らかに違う。

 しかしそれも一瞬のことで、体を離せばいつも通りの眠たげな目。

 

「……蟠りがあるのなら、一度二人で心ゆくまで話すといい」

「……わかった、そうしてみよう」

 

 再び先導する令音を追って、今度は物理準備室へと向かう。

 もやもやは消えない……どころか、前をゆく背中に対してももやもやが募ってしまった。

 それでも、心の中は幾分か落ち着いた。

 話してどうにかなるかは分からないが、話さないことにはきっと前には進めない。

 

「……ふむ、いないようだ」

 

 しかし、案内された先に士道の姿はなかった。

 教室の前で顔を合わせているし、学校にいたのは間違いない。

 迷子にでもなったのかと、十香は首を傾げたが、そういえばと頭の中に電流が走った。

 体育の授業を終えてから、鳶一折紙の姿が見えないのだ。

 そして同じく姿の見えない士道。

 小さくなったその体を脇に抱え、どこかへと連れ去っていく不埒な女の姿が頭に浮かんだ。

 そうなると、この場で足を止めているわけには行かない。

 十香が物理準備室を飛び出す、その時だった。

 

 ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ――――――

 

 耳障りな音が鳴り響いた。

 空間震警報……たしか、そう呼ばれていたはずだ。

 爆発が起こるのだと、タマちゃん先生は言っていた。

 しかし、恐らく、実際は――――

 

「……十香、君はシェルターへ」

「私と同じ、精霊が現れるのだな?」

「……気づいていたのか」

 

 士道も令音も、きっと精霊に接触するために姿をくらませていたのだろう。

 それが何のためかはともかく、気づいてしまった以上は、ただ待っているだけなんてできない。

 

「シェルタァには向かわない。私も連れていけ」

 

 

 

 

 

「霊波反応の大きな揺らぎを観測! パターンは〈ウィッチ〉!」

「空間震警報、発令します!」

 

 精霊の出現……もしくは発見の報に、AST本部内がにわかに慌ただしくなる。

 その中にあって鳶一折紙は、誰よりも早く動き出していた。

 本部を飛び出して、格納庫へ向かって駆け出す。

 待機状態であったため、既にワイヤリングスーツは着用済み。

 後はCR‐ユニットを装着して、精霊のもとへと向かうのみ。

 

(先生……!)

 

 折紙には、焦るだけの理由があった。

 二時間ほど前に〈ウィッチ〉は、穂村士道によく似た少年を連れ去って消えた。

 精霊の能力を考えれば、彼は士道本人である可能性が高い。

 士道は、折紙にとって何にも代え難い存在だ。

 命の恩人であり、笑顔を預けた相手であり、そして恋人でもある。

 もし彼を失うようなことがあれば、折紙は生きる気力を失いかねない。

 連れ去った理由はわからないが――――いや、理由などどうでもいい。

 奪われたのなら、取り返すだけ。

 装備一式を纏って、自分専用に設えられたドッグの天井を睨む。

 

「ハッチを開けて。すぐに出撃する」

「まだ出撃許可が出ていません!」

「――っ、わかった……こじ開ける」

 

 舌打ちとともに随意領域を展開する。

 とにかく時間が惜しい。

 もたもたしていては、全てが手遅れになってしまう。

 天井のハッチに向けて手をかざす。

 人命に比べたら、設備の破損程度安いものだろう。

 すると、慌ただしい足音とともにAST隊長、日下部燎子が姿を現した。

 ワイヤリングスーツこそ身に纏っているが、一分一秒を争う場では遅きに失している。

 

「折紙、待ちなさい!」

「事は一刻を争う。待つ余裕はない」

「まだ住民の避難も済んでない――――」

 

 追いすがる声を無視して、折紙はハッチをこじ開けて雨空へと飛び出した。

 

 

 




次回こそクライマックスです。
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