士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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家庭の事情&思ったより長くなってしまったため遅れてしまいました。
しかも昨日の夜に投稿しようと思っていたらぐっすりしていたという……

七罪編、クライマックスです。
いつもの二倍ぐらいの長さです。


「ありがとう」

 

 

 

 雨空の中を飛ぶ影がある。

 先端が折れた三角錐のつばの広い帽子に、夜空の黒を夕空の橙が縁取るマント。

 箒に跨る姿は、物語の中の魔女そのものだった。

 勢いを増してきた雨の中にあって、濡れた様子はない。

 まるで何かの皮膜に覆われているかのように、雨粒が避けて落ちていくのだ。

 しかしその表情は空模様と同様に優れない。

 人が抱く理想を形作ったかのような美貌を失意に歪め、エメラルドの瞳は眼下を睥睨する。

 どこまでも冷たく無関心な、人間の街。

 見下ろしながら精霊・七罪は歯を噛み締めた。

 希望は失望へと堕し、期待はやはり呪いでしかなかった。

 やっと解放されて自由になったというのに、心の中には何故か苛立ちが募る。

 

『悪いな、今これだけしかないんだ』

 

「――――っ」

 

 そう、人間なんてどうでもいい存在でしかない。

 完璧な存在が、そんなものに裏切られただなんて怒りを覚えるはずがないのだ。

 だからこれは、本当の自分(できそこない)の残滓にすぎない。

 理想の自分には不要のものだ。

 捨て去るためには、やらなければならないことがある。

 

「穂村、士道…………!」

 

 自分を惑わしたあの人間に、報いてやらなければならないのだ。

 一人、また一人と周囲の者を消していき、戦慄を、焦燥を、狼狽を与え、最大の恐怖の中で極限の絶望を味わってもらう。

 そして失意に膝をついた時こそが最後だ。

 その存在ごと呑み込んで――――いや、物言わぬ何かに変えて手元に置いておくのも悪くない。

 そうした方がきっと、より長い絶望が望めるだろう。

 愚かにも悪い魔女に近づいた者の末路としては、それこそが妥当だろう。

 その瞬間を思い浮かべて、七罪は昏い悦びに身を浸した。

 

「――、何?」

 

 横合いから、目映い光条が飛来した。

 難なく弾くと、その元を睨みつける。

 雨空を切り裂くように接近してくるのは、機械の翼を背負った少女だった。

 彼女がいかなる存在であるかはわかっている。

 AST……自分のような精霊を排除するため、攻撃をしてくる人間たち。

 その姿を認めて、七罪は口元を歪めて笑った。

 ――この苛立ちをぶつける、丁度いい相手が見つかった。

 

 

 

 

 

「見つけた、〈ウィッチ〉……!」

 

 目標の姿を捉えて、鳶一折紙は冷たい敵意の炎を燃やした。

 精霊という存在は、いつも自分の大切なものを奪っていく。

 五年前に炎の精霊は両親を……そして今、あの精霊は大切な人を連れ去ろうとしている。

 到底、看過できるものではない。

 折紙は手にした魔力砲を構えると、躊躇いなくトリガーを引いた。

 巨大な砲門から、膨大な熱を伴った光線が雨粒を蒸発させながら迸る。

 しかしそれは、精霊の持つ防護壁にいとも容易く弾かれてしまった。

 生半可な鉄板程度なら瞬時に溶かしてしまう程の熱量だが、霊装を貫くにはまだ足りない。

 雨や距離によって、減衰してしまったというのもあるだろう。

 武装を実弾系統に切り替えると、一斉に撃ち放つ。

 おびただしい量のミサイルと弾丸が、〈ウィッチ〉に殺到するがしかし……

 

「――っ」

 

 光が折紙の視界を覆った。

 精霊の持つ天使の力の行使……〈ウィッチ〉の場合は物体を変化させる能力。

 つい昨日、それで着ぐるみ姿にされたばかりである。

 そしてその変化が外見だけに及ぶものではないことは、身をもって知っている。

 また同様の事態になれば、顕現装置は沈黙して戦闘の継続は困難になるだろう。

 咄嗟に装備の一部をパージして盾にしたが、折紙自身にも、そして盾にしたスラスターユニットにも変化は現れなかった。

 その代わりに、標的に向かっていたはずの攻撃が全て、あの光によって変化させられたのだ。

 ミサイルはデフォルメされたニンジンのような何かに変えられ、狙いをそれてヒョロヒョロと、そこかしこでコミカルな爆音を上げた。

 弾丸は棒付きキャンディとなって、地面に落ちてバラバラと転がった。

 冗談じみた光景だが、これはこちらの攻撃の大半が無力化されるのと同義だ。

 飛行を補助するスラスターユニットを失った今、空中に留まるのは余計な消耗になる。

 地面に降り立つと、折紙は見下ろしてくる精霊を睨み返した。

 

「彼を……穂村士道を返してもらう」

「あの男は私の獲物よ。あなたなんかには渡してあげない――――〈贋造魔女(ハニエル)〉!」

 

 掲げられた天使が光を放ち、天を覆い隠した。

 雨が止み、代わりに空に黒い靄のようなものが蟠る。

 それは徐々に体積を増していき、やがて新たな雲となって空を覆い尽くした。

 

「さぁ、カーニバルよ。喰らいなさい!」

 

 そして靄が奔流となって折紙に迫る。

 正体がわからない攻撃を甘んじて受け止める道理はない。

 すぐさま退避しようとしたのだが、靄の量が膨大に過ぎる。

 あらゆる方向から殺到されては、逃げ場がなかった。

 包囲に穴を開けるために魔力砲を撃ち込んでも、焼け石に水。

 すぐさま靄は補填され、穴は塞がれてしまった。

 

「くっ……!」

 

 飲み込まれる前に、防性の随意領域を最大出力で展開する。

 しかしやってきた衝撃は、極々軽いものだった。

 それはまるで、傘に雨粒が当たるような――――内側から、防護壁に貼り付いたそれらの正体を見て、折紙は生理的嫌悪に体を震わせた。

 視界を覆い尽くす、おびただしい数の()()()()()()()()()()の群れ。

 天使の力を行使して、〈ウィッチ〉は雨粒を全てこれらに変えたのだ。

 強化された視力は、無数のコウモリが牙をむき出しにする様を捉えてしまっていた。

 同時に、暴力じみた音の重なりが脳を揺らす。

 一つ一つは虫のような鳴き声でも、これだけの量ならばそれは一つの脅威だ。

 しかし、騒音は随意領域で遮断できる。

 生理的嫌悪は我慢すればいい。

 そうすれば後は、攻撃力を持たない虫が集っているのと同じ。

 この程度ならば、随意領域の出力を弱めてもこちらに牙が届くことはない。

 警戒すべきなのは、これらによって視界を完全に塞がれてしまったこと。

 これでは〈ウィッチ〉の動向が全く確認できない。

 

「――BOMB!」

 

 次の瞬間、凄まじい光と熱と衝撃……爆発が折紙を襲った。

 その場から吹き飛ばされ、ビルの壁面に叩きつけられる。

 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。

 全身に痛みが走り、視界は明滅し、呼吸が途切れる。

 しかし、脳の動きを止めるわけにはいかない。

 再び随意領域を展開し、魔力砲を構える。

 上空に陣取ったまま、〈ウィッチ〉は折紙へ人差し指を向けた。

 再びコウモリの群れが殺到する。

 留まるのはマズい……先程の正体がわからない攻撃もある。

 折紙は舗装された路面の上を駆け出した。

 しかし、突っ切ろうとしても靄は離れない。

 それだけ量が膨大なのだ。

 そして、第二射が放たれた。

 

「――BOMB!」

 

 今度は背中を殴りつけるように、爆発が巻き起こった。

 前のめりに吹き飛ばされながらも、折紙は受身をとって体勢を立て直した。

 随意領域の防護を強めていたのも功を奏した。

 開けた視界の先では、〈ウィッチ〉が相変わらずこちらに指を向けている。

 

(爆発であの群れが吹き飛ばされて……いや、あれ自体が爆発を起こしている?)

 

 攻撃力のないコウモリの群れをまとわりつかせた理由が、ただ視界を遮ることじゃないのなら。

 あのコウモリ自体が爆発物、もしくは天使の力でそう変化させられたのだとするのなら。

 爆薬は量が多ければ多いほど威力を増す。

 その場で足を止めていては、さらに多量のコウモリに囲まれ、より大きな爆発が起こるだろう。

 防御は可能かもしれないが、随意領域の出力を際限なく高めては、活動限界が近づくだけだ。

 舗装路を駆け、壁面を蹴り、縦横無尽に不規則な動きを繰り返す。

 捕捉が追いつかないのか、視界を占める黒の割合が減じた。

 その隙間から、折紙は相手を観察する。

 降り続く雨を利用して、〈ウィッチ〉はこちらに攻撃を仕掛けてきている。

 雨が止まない限り、いくら攻撃に利用しようと、黒い靄が減ることはない。

 雨雲をどうにかしようとしても、現状の装備では極めて困難だ。

 第一、それを黙って見過ごす相手ではないだろう。

 

(……それにしても、奇妙な戦い方をする)

 

 確実にこちらを仕留めたいのなら、上空で待機させている分も一気に投入すればいいのだ。

 あれだけの量ならば逃げ場も何もない。

 そうしないのは出来ないからか、それとも理由があるからか。

 そして、そもそもの話――――

 

(どうして、〈ウィッチ〉はこちらに天使の力を向けないの?)

 

 確実性という意味ではこれが一番だろう。

 昨日のように無力化されてしまえば、折紙に攻撃を防ぐ手立てはない。

 これも出来ないのか、そうしない理由があるのか。

 

「アハハハハッ! そうよ、みっともなく逃げ惑いなさい! ――BOMB!」

 

 こちらの逃げる様を、高らかに嘲笑う様子はまるで……

 

(まさか、私を痛めつけて楽しんでいる……?)

 

 拳に自然と力が入る。

 もしそうだとしたら非常に気に入らないが、それは突破口になりうる。

 全力を出さずとも、油断のなかった〈プリンセス〉とは違う。

 相手がこちらを舐めているうちに、打倒する手立てを考えるのみ。

 しかし、動きながら散発的に攻撃を繰り返しているが、どれも全く通じていない。

 魔力砲は弾かれ、実体のある攻撃は天使の力で無力化される。

 有効打を与えられるとしたら、それは接近しての攻撃だろう。

 それも霊装の防御を貫きうる、強力な一撃だ。

 ただ、素直に接近しては脅威とみなされ、天使の力を喰らいかねない。

 そうならないためには……折紙はその場に立ち止まった。

 すると瞬く間に靄がまとわりつき、随意領域の外部はひしめくコウモリで埋め尽くされた。

 

「――BOMB!」

「――――今っ!」

 

 爆発が起こる瞬間、マウントしていた武装の大部分をパージし、後ろへ跳ぶ。

 武装内に残った炸薬が一斉に着火し、凄まじい爆炎を巻き上げた。

 相手への目眩ましには十分だろう。

 爆風を前面に展開した防性随意領域で受け、折紙は二階建てビルの一階部分に転がり込んだ。

 残った武装はただ一つ、対精霊レイザーブレイド〈ノーペイン〉のみ。

 顕現装置で生成した魔力で刃を形成するため、普段はグリップのみで携行しやすいという利点から、ワイヤリングスーツにデフォルトで備え付けられている装備だ。

 基本の武装ではあるが、扱うには一定以上の練度が必要とされる。

 随意領域を満足に制御できない者では、刃を形成することがままならないからだ。

 部隊内では、これを扱えてようやく一人前と認められる。

 しかしながら、全く補助がないというわけではない。

 それは魔力というエネルギーの出力を安定させる制御装置で、これがなければ極論、起動させたと同時に爆発してしまうだろう。

 極めて高精度に随意領域を操る者ならば、そのような状態でも使用できるかもしれないが、それは少しでも集中を乱せば己の命を危険にさらす諸刃の剣である。

 そのことを承知の上で、折紙は制御装置を物理的に破壊した。

 一瞬だけでいい、爆発的な出力を得られれば、あの霊装を貫くことも可能だろう。

 

「先生……」

 

 己の命がかかろうとも、引き下がれない理由がある。

 折紙はそれを、レイザーブレイドのグリップと共に握り締めた。

 辺りを黒い靄――水滴サイズのコウモリの群れが埋め尽くしていく。

 こちらの周囲だけに集中している様子はなく、場所が割れたわけではないようだ。

 恐らくは絨毯爆撃……辺りの避難が済んでいて良かった。

 逃げ遅れた市民がいたら、そちらにも意識を割かねばならなかっただろう。

 そんな状態では〈ウィッチ〉の攻撃も凌げていたか怪しいところだ。

 それに、人がいなければこのような無茶も通る。

 

「――――はぁっ!」

 

 普段の3倍以上のスケールに随意領域を拡大させる。

 ここまで範囲を広げてしまえば密度も薄くなり、精霊からの攻撃に対する防御効果は望めない。

 だが、今この時はそれでいい。

 そのために、ここに身を隠したのだから。

 二階建てビルの敷地面積を覆うほどに拡大した随意領域が、その柱を、外壁を破壊していく。

 コンクリートが剥がれ、ガラスが割れ、断熱材が裂かれ、鉄筋がギチギチと捻り切られていく。

 内外の支えを失ったビルはしかし崩落せず、そのまま随意領域に受け止められた。

 

「――――っ!」

 

 視界がスパークし、激しい頭痛が折紙を襲った。

 相当の重量を支えているため、脳に尋常ではない負荷がかかっているのだ。

 

「はぁああああッ!!」

 

 そしてそれを持ち上げたまま、上空にいる〈ウィッチ〉に向かって跳躍した。

 視界は赤く染まり、鼻から血が流れだし、口の中に錆臭い味が広がる。

 活動限界が近い……それでも、あと一撃の余裕だけあればいい。

 接近するにあたって、一番警戒しなければならないのがあの天使の力だ。

 盾が必要だった――しかし、生半可なものでは丸ごと変化させられてしまう。

 この規格外のサイズならば、十二分にその役割を果たすだろう。

 そして、相手が取る行動が迎撃だけとは限らない。

 

「――っ、どれだけ馬鹿力なのよ……ッ!」

 

 巨大に過ぎる盾の端から飛び出た影を、折紙は見逃さなかった。

 精神を研ぎ澄まし、集中する。

 活動限界の間際にあってなお……いや、極限の状態こそがその力を引き出したのかもしれない。

 握った〈ノーペイン〉から現出した魔力の刃は、大きく凶々しく炎のように揺らめいて、それでいてどこまでも鋭かった。

 ビルの残骸を蹴ってその影――〈ウィッチ〉へと接近する。

 

「〈ウィッチ〉…………!!」

「――――〈贋造魔女(ハニエル)〉ッ!!」

 

 光の刃と天使が交錯し、辺りに凄まじい光が迸った。

 地に広がった黒い靄が、雨粒に戻って滝のように降り注いだ。

 光が収まると、全ての余力を搾り尽くした折紙は地上へと落下していく。

 自分が今どうなっているのか、それさえ定かではなかった。

 意識が判然としないし、体が酷く動かしづらい。

 相手は――――

 

「あ、ああああああああああああああああ……ッ!?」

 

 悲鳴が雨空に響き渡った。

 腹部から多量の血を流しながら、〈ウィッチ〉が同じく地上へと落下していく。

 その光景を目にして、折紙は実感を噛み締めた。

 

(私の刃は、精霊に届いた……!)

 

 しかし確かな手応えを覚えたのも束の間、押し込めていた不安が顔を見せる。

 姿の見えないあの人は、果たして無事なのだろうか。

 それを自分の目で確かめられないのは無念極まりないが、最早余力は残っていなかった。

 後はASTの仲間に託すしかない。

 そのまま、折紙の意識はプッツリと途切れた。

 

 

 

 

 

「……あれだけ先走るなって言ったでしょうが」

 

 破壊の爪痕が刻まれた市街地で、AST隊長、日下部燎子は自分の部下の体を抱えて呟いた。

 鳶一折紙……出撃命令が下っていないのに飛び出していった愚か者だ。

 消耗しているが、脈も呼吸もある……命に別状はないだろう。

 しかし、その姿を無事と言っていいかはわからない。

 恐らくは〈ウィッチ〉の天使の力だろう。

 面影はそのままに、折紙は子供の姿になっていた。

 ワイヤリングスーツや認識票はそのままなので、まず間違いない。

 無謀にも精霊に一人で挑み、その能力で変身させられたのだろう。

 この精霊に対する暴走っぷりは、どこぞの精霊よりもよっぽど狂戦士の名が相応しい。

 

『〈ウィッチ〉の反応を捕捉。隊長殿の現在地から西方向です』

「B分隊とC分隊は先行して囲い込んで。私もすぐに向かうわ」

『了解!』

「A分隊は鳶一一曹の搬送をお願い。極めて特殊な状態だから驚かないように」

 

 じきに回収されるだろうが、それまで雨ざらしにしておくのはしのびない。

 インカム越しに指示を出すと、燎子は折紙の体を雨の当たらない場所にそっと横たえた。

 本当に、この問題児には困らされてばかりだ。

 平時の態度は模範的で、訓練にストイックに打ち込む様は見本としてもいいくらいだ。

 それに裏打ちされるように、随意領域の扱いや戦闘技能に関しては部隊の中でも随一で、何かしらの功績さえあれば、エースと呼んで差し支えないだろう。

 ただ、その生き急ぐかのような姿が、燎子にとって気がかりだった。

 精霊への復讐が戦う目的だからといって、死んでしまってはその目的を果たすこともできない。

 この少女にはきっと、生存することが目的となるような、そんな理由が必要なのだ。

 その理由になりそうな人物に覚えがあるが、そちらはそちらで悩みの種の一つである。

 あの男は〈ウィッチ〉とも接触していたようだが、今はどこで何をしていることやら。

 今度また戦場に現れようものなら、燎子は自分を抑える自信がなかった。

 

「ぅ、あ…………隊、長?」

「すぐに回収班が来るわ。あんたはここで大人しくしていなさい」

「私も……」

「そんな姿で何言ってるのよ。後で大目玉食らわせてやるから、覚悟しておくこと」

「……〈ウィッチ〉は、手傷を負っている……消失する、前に……」

 

 自分の腕をつかむ小さな手に、無言で頷く。

 独断での暴走を認めるつもりはないが、出した結果には報いねばならない。

 再び目を閉じた折紙を一瞥すると、燎子はスラスターユニットを駆動させて空へと飛び立った。

 

 

 

 

 

(――痛い、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……ッ!!)

 

 今まで感じたことのない激痛が、体中を刺し貫くかのように暴れまわる。

 視界は霞み、意識は朦朧としているというのに、痛みが気を失うことを許さない。

 まるで地獄のような連鎖の中で、七罪は腹部を手で押さえながらヨロヨロと前へ進んだ。

 止めどなく流れる血が、地面にポタポタと痕跡を残していく。

 変身能力の応用で傷を塞ぐこともできるが、いくら呼んでも〈贋造魔女(ハニエル)〉は現れない。

 とうとう自らの天使にも愛想を尽かされた……その場に崩れ落ちて、瓦礫を背に雨に打たれる。

 光と共に虚飾が剥がれ、みすぼらしい少女がずぶ濡れになりながら、雨空を見上げた。

 もう傘を差してくれる人はいない……その事実が、酷く寒々しい。

 じきにASTがやって来る。

 そして、きっと自分は跡形もなくこの世から消え去るのだろう。

 自分らしい惨めな最後……いや、綺麗に消え去るだけ上等なのかもしれない。

 自嘲に口元を歪めて、七罪は飛来する集団を出迎えた。

 

「目標を確認。包囲を開始します!」

 

 その集団――ASTは瞬く間に七罪を取り囲むと、四方からその銃口を向けてきた。

 揃いも揃って緊張した面持ちは、滑稽ですらあった。

 こんな抵抗する力を失った精霊相手に、何をそんなに警戒しているのか。

 しかし、何より滑稽なのは、銃口を向けられて震えている自分自身だった。

 苛立ちのはけ口に、止めを刺さないよう人間を痛めつけて、その隙を突かれて傷を負わされた。

 ただでさえ無様なのに、この状況になってもまだ生に執着する様は、最早醜悪と言ってもいい。

 どこまで行っても自分はみっともないままで、誰からも顧みられることはない。

 信じたいと思った希望も、まやかしに過ぎなかった。

 理想の自分に全てを任せるのも、ここで命を奪われるのも、本当の自分がいなくなるという意味では同じことだろう。

 

(――――もう、いいわよね……私?)

 

 この目を閉じていれば、少しは恐怖が和らぐはずだ。

 閉ざされた視界の中でも、腹部の痛みは相変わらず脈打つように、その存在を主張してくる。

 ただでさえ痛いのだから、せめて痛みを感じる間もなく終わらせてほしい。

 

「――ここまでよ、〈ウィッチ〉」

 

 地面を踏む音と共に冷徹な声が、その時が来たのだと告げる。

 目を固く閉じ、歯をガチガチと鳴らしたまま、七罪は腹部を押さえて縮こまった。

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ…………七罪!」

 

 ずぶ濡れのまま、穂村士道は無人の街を駆ける。

 黒い靄に覆われていた空は、元の雨空に戻っていた。

 先程まで響いていた爆発音も途絶え、今は雨粒が地面を叩く音しかしない。

 何が起こっていたのか、正確なところはわからない。

 しかし、もし精霊とASTが交戦していたのなら、その音が収まったということは……

 頭に浮かびそうになった光景を振り切るように、士道はさらにスピードを上げた。

 そして、瓦礫を乗り越えようとして――――

 

「――へぶっ!」

 

 足を引っかけて、ビターンと地面に顔を打ち付けるのだった。

 現在、士道は七罪の天使、〈贋造魔女(ハニエル)〉の力で子供の体に変身させられている。

 足元が若干危ういのは、大人の時との齟齬があるからだろう。

 子供と大人では、足の長さも歩幅も違う。

 元の体のように動こうとした結果、このように足を引っかけるのだ。

 安全性も考慮して設計された遊具ならともかく、足場が不安定では転びもする。

 顔面を強かに打ち付けた痛みやら情けなさで、士道は思わず涙ぐんだ。

 こうも簡単に泣いてしまうのも、この姿の弊害だ。

 それでも、痛かろうと涙が出ようと、ここで足を止めているわけにはいかない。

 目元を袖で拭って、立ち上がる。

 しかし、目の前に現れた影に、立ち止まらざるを得なかった。

 

「シドー、どこへ行くのだ」

 

 夜色の髪に紫水晶の瞳。

 精霊の少女――十香が行く手を塞ぐように立っていた。

 またいつぞやのように、その凛とした美貌を不機嫌そうに曇らせ、士道を睨みつけているのだ。

 そのいつぞやの事……昨日の修羅場を思い出して、息を詰まらせる。

 今まさに七罪の元へ向かっているのだと言えば、さらに不機嫌になってしまうだろうか。

 それでも、行かなければならない。

 独り、雨の中で途方に暮れていた少女を、放っておくことなんて出来るはずがない。

 七罪がああなった理由も、実のところ分かっていない。

 だとしても、無様でも、みっともなくとも、追いすがって言葉をかけることしか出来ないのだ。

 

「悪い、十香。俺は――」

「あの女の……私以外の精霊の元へ行くのだな」

「……ああ、そうだ。俺は七罪の所へ行かなくちゃいけないんだ」

「――っ!」

 

 十香の激情が噴出した。

 霊力の逆流現象……目に見えない圧力に吹き飛ばされないよう、士道はその場に屈みこんだ。

 

「何故だっ、シドー! そんなにその七罪とやらが大切なのかっ……!」

「……大切だとか、そういうことはよくわからない」

 

 七罪は、きっと自分自身のことが好きじゃないのだろう。

 だからこそ、天使の力で姿を変えていたのだ。

 

『――――ぅぁ……ぁの……』

 

 それでも士道は、彼女が本当の姿のまま、誰かに手を伸ばそうとしていたことを知っている。

 そして、それこそが七罪の本当の望みだとするのなら……

 

「でも、俺は七罪の手を握ってやりたい。そのままの自分でいいって、伝えてやりたいんだ」

「それはたとえ……おまえ自身が傷ついたとしても、なのか?」

「それでもだ」

「…………」

「心配すんな。俺、結構頑丈さには自信あるんだぜ」

「……………………そうか」

 

 おどけるように笑う士道に長い沈黙を挟むと、やがて十香はため息混じりの笑いを浮かべた。

 それは諦めるような、呆れるような……そしてどこか安堵を含んだ笑みだった。

 

「シドー、おまえは愚か者で慮外者で、大馬鹿で戯けで浮気者だ」

「うっ……そ、そこまで言うか」

「それでも……いや、だからこそあの時、私に手を差し伸べてくれたのだな」

 

 士道の目線に合わせるように、十香は一歩踏み出して屈んだ。

 そして手を取ると、小指と小指を絡め合わせた。

 

「必ず無事に生きて帰ってこい。これはその約束だ」

「――ああ、絶対帰ってくる!」

「絶対に絶対に絶対だぞ? 破ったら針千本だぞ?」

「おう、任せとけ」

 

 笑い合って、指を切る。

 そして十香は、士道の顔を両手で挟み込んで固定した。

 顔と顔が近づく。

 士道が狼狽えるより早く、唇が重なった。

 髪から漂う匂いが、唇に伝わる感触が、自分のものでない唾液の味が、脳髄を駆け巡る。

 数秒間呼吸を忘れ、間近に迫ったその瞳を見つめるしかできなかった。

 

「――――えっと……と、十香?」

「これからあの女……七罪とキスをしにいくのだろう?」

「そ、そういうこともある、かも……だけど」

「そうせねばならん理由があるのは……なんとなくわかる。だが、気に食わんものは気に食わん」

 

 真っ赤な顔のまま、十香は決然と士道に指を突きつけた。

 

「だから、これから他の女にしたのと同じだけ、私にも……その、するのだ」

「な……何を?」

「――っ」

 

 再度、問答無用で唇を塞がれた。

 先程より倍以上の時間をかけて唇が離れた後、わかったかと言わんばかりに睨みつけてくる十香に気圧され、士道はコクコクと頷いた。

 何かとんでもない約束をしてしまった気がするが、それを気にしている余裕はなかった。

 十香は満足気に頷くと、何かを思い出したかのように制服のポケットを探り始めた。

 そして小さな機械を取り出して、手渡したきた。

 イヤホン型のインカム……士道にとっては最早見慣れた装備ではあるが、一体何故十香がこれを持っているのだろうか。

 

「琴里や令音に伝令係なるものを任されてな。ここにはそれを届けに来たのだ」

「ってことは、〈フラクシナス〉が!?」

 

 空間震警報が鳴っている以上、〈ラタトスク〉が動いているのは確実だ。

 そして十香を寄越したということは、士道の現在地がバッチリ補足されていたということだ。

 状況的に仕方の無い部分もあったのだが、勝手な行動を取りまくっていたという自覚はきっちりあるのだ。

 それで七罪とも決裂してしまったのだから、大目玉は確実だろう。

 普段ならば、それが当然と粛々と受け入れるのだが、今はお叱りに対する恐怖が勝っていた。

 親に叱られるのを怖がる子供そのものである。

 恐る恐る、インカムを耳に装着すると――――

 

『黒歴史のこれでもかフルコースと、黒歴史の満漢全席……しーくんはどっちが好み?』

「すみませんでしたァーー!!」

 

 それは最早、どちらでも士道にとっては死と同義である。

 司令官様からの通信に、その場で平身低頭、地に伏すのだった。

 

 

 

 

 

『成程、とりあえず状況は把握したわ』

「すまん、俺が迂闊だった」

『毎回、どれだけ勝手な行動を取れば気が済むのかしら。猿並み――いえ、それは猿に失礼ね』

「ご、ごめんなさい……」

『……ま、まあ、済んだことを蒸し返しても仕方ないわ。これからのことを考えましょう』

 

 シュンとする士道に対して、それ以上の追求はなかった。

 通信の向こうでキャーキャーと姦しい声が聞こえたが、一体何を騒いでいるのだろうか。

 

「とにかく、俺は七罪を追う。サポート頼めるか」

『……こっちから確認できる情報を簡単に説明するわ』

 

 抑揚のない声で、琴里は事実を端的に告げた。

 七罪の霊波反応の減退。

 そして多数のASTの反応。

 この二つが示すのは、七罪が追い詰められていることに他ならない。

 堪らず、士道は駆け出した。

 

「こんな悠長に話してる暇なんかないだろ! 助けに行かないと……!」

『……どうやって? 何の力も持たない子供が向かったところで、一体何ができるのかしら』

「それは……」

 

 言い返すことが出来ず、立ち止まる。

 降り続く雨が否応にも頭を冷やしてくる。

 今の士道は無力な子供に過ぎない。

 言葉だけを武器に向かったところで、保護されるのがオチだ。

 そもそも精霊に対するスタンスの違うASTに、どんな言葉をかけたところで通じはしない。

 下手をしたら、戦闘に巻き込まれて無事では済まない可能性もある。

 生きて帰って来いと言った、十香の言葉に反することにもなりかねない。

 

『せめて自衛手段を持たないことには、助けに行くことは許可できないわ』

「まさか、俺に顕現装置を使えってことか?」

『小さくなってふやけた頭にしては察しがいいじゃない。その通りよ』

「…………」

 

 本当なら、一も二もなくその提案を受け入れるべきだろう。

 しかし、士道は黙り込んでしまった。

 顕現装置……士道が過去に捨てた、魔術師としての力。

 だというのに自分の無力を許せなくて、それに縋って、十香の心を傷つけてしまった。

 あの時の悲痛な声を、忘れることはできない。

 

「――シドー」

 

 立ち尽くす士道の手を、十香がとる。

 そしてそのまま、ある物を手の中に残していった。

 冷たく硬質な、機械の感触――――携行型の顕現装置だった。

 

「これが必要なのだろう?」

「何で十香が……」

「確かにそれは、メカメカ――ASTの連中と同じ力かもしれない。しかし、シドーはそれを傷つけるためでなく、守るために使うのだろう?」

「……いい、のか?」

「〈フラクシナス〉で聞いた。シドーたちは、私のような精霊を助けようとしていると。ならば、その力はきっと、誰かを救うための力なのだ」

「…………そうか、そうだな。ありがとな、十香」

 

 思い込みに囚われていたのは、自分の方だった。

 十香への感謝を口にすると、士道は意識を集中させた。

 一瞬の頭痛とともに、周囲を不可視の膜――随意領域が覆う。

 この体でも、顕現装置は問題なく使用できるようだ。

 

『覚悟は決まった? やっぱり、十香にそれを持たせたのは正解だったみたいね』

「折り込み済みかよ……ったく、司令官様にはかなわねーな」

『ここから先は戦場よ。気を引き締めなさい』

 

 インカム越しでは見ることは叶わないが、琴里が今、どんな顔をしているのかは容易に想像がついた。

 勝気な表情でチュッパチャプスを咥えながら、口元を笑みに歪めているのだろう。

 

『さぁ、私たちの戦争(デート)を始めましょう』

 

 

 

 

 

「――ここまでよ、〈ウィッチ〉」

 

 眉一つ動かさず、遼子は眼下の少女へ銃口を向けた。

 幼いその姿からは想像し難いが、相手は世界を殺すとまで称される怪物。

 今、こうして追い詰めているのが奇跡に近い状況だ。

 折紙の奮闘のおかげで、どうにか手傷を負わせることができた。

 しかし〈ウィッチ〉は精霊の中でも偽装に特化した個体。

 こうしているのも、こちらを欺く策かもしれない。

 

『対象の霊波反応、減退。天使の顕現も確認できません!』

 

 インカム越しの報告に、その可能性は限りなく低くなった。

 血を流しながら目を閉じ、震えている姿も……それ以上は考えるのをやめた。

 ようやくASTの本懐を遂げる機会が訪れたのだ。

 部下である折紙ほど精霊の打倒に血道を燃やしているわけではないが、このチャンスをみすみすフイにする程不抜けてはいない。

 ただ、こんな時に、あのお人好しの先輩だったらどうするのだろうか……そんな事が頭の片隅にチラついただけだ。

 

「撃て」

 

 隊長である遼子の合図と共に、一斉に銃弾が放たれる。

 正直に言えば、予感がなかったわけではない。

 顕現装置とは、魔力と呼ばれるエネルギーを生成する装置である。

 その魔力を運用することで、現代の魔術師は随意領域を展開し、それを操る。

 自分の意のままとなるその領域内では、物理法則を歪めることさえ可能となる。

 高位の魔術師ならば、それこそ魔法のような現象すら引き起こすかもしれない。

 遼子は適性こそ認められたが、前隊長や折紙のように魔術師として秀でているわけではない。

 ましてや、思い浮かべた人物を作り出すなんて真似が出来るはずがない。

 だからあれは現実……〈ウィッチ〉を守るように展開された随意領域に、口元を僅かに緩める。

 

「よぉ、お姉さんがた。寄ってたかって楽しそうだな」

「あんた……どう、して……」

 

 精霊が、途切れ途切れに尋ねる。

 現れたのは、一見するとただの子供だった。

 しかしその、どこかの誰かによく似た顔立ち――先の折紙の件、そして顕現装置を使用していることを考慮すると、その本人である可能性は極めて高い。

 これなら、折紙があれ程の暴走を見せたことにも納得がいく。

 報告の中にあった、〈ウィッチ〉に攫われた子供というのは、恐らく目の前の少年のことだ。

 一般人の乱入に隊員間に動揺が広がる中、遼子だけは冷静な視線をその少年に向けた。

 

「なんたって俺は魔女の騎士だからな、お前を守るのなんて当たり前のことなんだよ」

 

 思えば、彼はいつも誰かを守るために戦っていた。

 遼子は以前、自分の身を顧みずに戦うのを何故かと尋ねたことがある。

 そうしたら、彼は今と同じように、まるでなんでもないことのように答えたのだ。

 

『仲間がやられそうだったんだ。あれぐらい当たり前だろ』

 

 命知らずに精霊に立ち向かっていくのも、危険にさらされた仲間を助けるため。

 五年前の大火災の際も、救助のために勝手に装備を持ち出し、その結果記憶処理を施された。

 部隊にいた頃と何一つ変わっていない、ともすれば英雄のような精神性。

 それが今、弱った精霊に対して発揮されている。

 個人としてならともかく、ASTの隊長として、看過するわけにはいかない。

 

「……先輩、自分が何をやっているのか理解しているんですか?」

「さてね、どうなんだろうな」

「……精霊の脅威も、ASTの存在理由も知った上で?」

「はっ、何言ってんだよお前」

 

 燎子の問いを、少年は鼻で笑い飛ばした。

 その姿が光に包まれ、シルエットが変化していく。

 それはまるで、魔女にかけられた呪いが解けるような、童話じみた光景だった。

 だとしても、呪いで姿を変えられていた者が、自分に呪いをかけた張本人を守ろうとしているのは、どう考えてもおかしいとしか思えない。

 光の中から現れたのは、スーツ姿の男――穂村士道、その人だった。

 

「俺はただの一般人だぞ? 精霊? AST? 何だそれ、漫画の設定かよ」

「……あくまでシラを切り通すと?」

「だから知らねぇつってんだろ」

 

 とんでもない欺瞞だ。

 顕現装置まで持ち出して、そんな言い分が通るわけがない。

 恐らくは携行型の基礎権限装置だろう。

 ワイヤリングスーツやCR‐ユニットに搭載されている物と比べたら、断然出力も劣る。

 加えて補助もないため、使用したのなら脳には多大な負担がかかる。

 だが彼――穂村士道が使うのなら、こと守りに関してだけは一切の油断もならない。

 何故ならそんな装備で、彼は五年前に単独で炎の精霊と渡り合って、その上無傷で帰ってきたのだから。

 それにしても、熱くなってくると口が悪くなるのも相変わらずだ。

 知らずに口角が釣り上がる

 

「――迷い込んだ一般市民の『保護』を優先、〈ウィッチ〉の方は状況が許せば攻撃しなさい」

「了解。殺傷性のある武装の使用は控えて――――」

「不要よ」

「え? で、でもそれだと一般市民の安全が……」

「あの〈不沈艦〉が、その程度で沈むわけがないでしょうが……!」

「ひっ」

 

 獰猛な笑みを浮かべた隊長に、隊員の一人が短く悲鳴を上げた。

 全く関係ない話ではあるが、どれだけ殴っても、斬っても撃っても壊れないサンドバッグがあるとしたら、ストレスのはけ口には最適ではないだろうか。

 極めて冷静な心持ちで、遼子は対精霊レイザーブレイド〈ノーペイン〉を構えた。

 

 

 

 

 

「なんたって俺は魔女の騎士だからな、お前を守るのなんて当たり前のことなんだよ」

 

 七罪は自分の前に立った小さな背中を、呆然と見上げた。

 いまだにこの状況が理解ができなかった。

 誰かの為に、ましてやこんな自分のために体を張る人間なんているはずがない。

 それにあの時、自分は確かに拒絶したのだ。

 ありえない……そう思おうとして、雨の日のハロウィンの記憶が過ぎる。

 

『悪いな、今これだけしかないんだ』

 

 冷たい雨の中で、見ず知らずのみすぼらしい少女に傘を渡した男がいた。

 そんなことをしたら自分が濡れてしまうというのに――とんだ偽善だ。

 きっと、何かの間違いに決まっている……そう思って、しかし同時に希望も抱いてしまった。

 こんな自分でも、見てくれる誰かがいるのかもしれない。

 でも、やっぱり理由があった。

 こんな自分に、目的なく関わろうとする者なんて、やっぱりいなかったのだ。

 だから希望も期待も捨てて、そんなものを抱いてしまった自分を消し去って、後は理想の自分に全てを任せるつもりだったのに……

 

(なん、で……どうして、私なんかを守ろうとするのよ…………!)

 

 自分自身を好きになることが出来なかった。

 だからこそ誰にでもきっと好かれるような、理想の自分を作り上げた。

 それでも、分不相応にも、本当の自分を見てほしいだなんて思ってしまって。

 その秘かな願いを叶えてくれそうな人を見つけて、そして勝手に失望した。

 こんな傷を負ってしまったのも、突き詰めれば自業自得に過ぎない。

 助けられる理由なんてないし、向こうにだってそんな義理はないはずだ。

 だというのに、この人はどうして――――

 

(――そんなの、私が精霊だからに決まってる)

 

 七罪の中の猜疑心が、代わりに答えた。

 関わってきたのだって、精霊に接触するためなのだ。

 ここに来たのだって、同じ人間に狙われる危険を冒しているのだって、自分が精霊だからに決まって――――

 

(――本当に?)

 

 その声は、ともすれば消え入りそうなほどに小さかった。

 心の隅で打ち捨てられた、誰かを信じたいという気持ち。

 強迫観念と猜疑心の濁流の中で、それはあまりにもささやかなものだった。

 目の前の小さな背中が、光を放って大きな背中へと変わる。

 かけられていた〈贋造魔女(ハニエル)〉の効力が切れたのだろう。

 どれだけ強固にかけられた変身でも、かけた者が力を失えば自然と解けてしまうのだ。

 士道は振り返ると、七罪に対して笑いかけた。

 あの日と同じ、優しい笑顔だった。

 

「――けて……」

 

 口から、かすれた声が漏れた。

 濁流にのまれそうな思いを握り締めて、七罪は更に喉を震わせた。

 理想の自分ではなく、素のままの自分の声で、初めてその名前を呼んだ。

 

「――――助けて、士道…………!」

「ああ、任せとけ」

 

 

 

 

 

「アンタって人はァーーー!!」

 

 裂帛の気合とともに振り下ろされた光の刃を、防性の随意領域が受け止めた。

 魔力で形成された物同士が干渉して、火花のような光を散らす。

 士道は日下部燎子――AST時代の後輩に、鬼神の如き気迫を以て攻撃を仕掛けられていた。

 直前に『保護』とか言っていたような気がするが、あれは気のせいだったのだろうか。

 

「どれっだけ人が気を揉んでると思ってんだこの野郎! 毎回毎回のこのこと顔出しやがって!! 少しはどう報告したらいいかと頭痛めてるこっちの身にもなりやがれっ!! ちょっとばかし見た目が可愛いからって精霊に誑かされやがって!! それともアレか? 逆にてめぇの方からコマしに行ってるってパターンか!? 大した命知らずだなぁこの女っ誑しがよぉ!!」

 

 縦横無尽の剣撃に、銃弾とミサイルの雨が降り注ぐ。

 ついでに吹き荒れる暴風雨のような罵詈雑言に、士道は冷や汗を流した。

 女誑しという部分は否定したいが、精霊をデレさせるために接触しているのは事実である。

 それによってASTに迷惑どころか、その職務を思いっきり邪魔をしている自覚もある。

 燎子も隊長をやってる中で何かと苦労を抱えているのだろう。

 自分が抱えた責任は比較にもならないかもしれないが、察するところがないわけではない。

 

「あー、なんつーか……すまん」

「――――っ、ぶっ殺す……ッ!!」

 

 気遣いの言葉をかけたつもりだったが、火に油を注ぐ結果となった。

 更に憤激した燎子は、上空から魔力砲をぶっ放した。

 それを受け止めた士道の随意領域を基点に、光が拡散した。

 雨粒がその膨大な熱に晒され、あたりに水蒸気が立ち込める。

 

「ひぇっ」

「こわぁ……」

 

 周囲を固める隊員たちは及び腰だった……というより、隊長の形相に怯えていた。

 こんな様を見せられては、それも無理もない。

 形式的に士道に銃口を向けているが、攻撃してくる気配はない。

 いくら精霊を幇助しているとはいえ、一応は一般市民である。

 そんな相手に躊躇いもなく攻撃するのは、抵抗があって当然だろう。

 もっとも、この場にいる全員の攻撃が殺到したところで、士道の随意領域を破るのは不可能だ。

 それは憶測や希望的観測ではなく、純然たる事実である。

 精霊の災害じみた力に比べると、通常のCR‐ユニットの攻撃は軽すぎる。

 このままだと士道が活動限界を迎える前に、ASTの弾薬が尽きるだろう。

 高校時代から〈不沈艦〉と呼ばれ続けた男の耐久力は、伊達ではない。

 そのため、AST時代に攻撃の矢面に立たされ続けたのだが、今となっては良い思い出だ。

 能力的な適正もあったが、何より士道は味方が傷ついて平気でいられる性格ではなかった。

 当時の隊長はどうしようもない変態だったが、その指示は大体的確だった。

 気質も考慮した上で、そのような役割を課したのだろう。

 

「はぁ、はぁ…………ぁぐっ」

「待ってろ。今、安全な場所に連れて行ってやるからな」

 

 しかし相手の攻撃は届かないとはいえ、七罪の負った傷は浅くない。

 人間よりは耐久力があるとは思うが、このままにしておくべきではないだろう。

 その息は荒く、動けそうな様子ではない。

 できるだけ早く〈フラクシナス〉へ連れて行きたいところだが……

 

「琴里、その位置から回収は厳しそうか?」

『上空はASTに抑えられてるし、せめて包囲を抜けないと無理そうね』

「だよなぁ」

『あの隊長とは顔見知りなんでしょ? なんとか説得しなさいよ』

「無茶言ってくれるなぁ……」

 

 苛烈さを増す攻撃を受け止めながら、士道は苦笑した。

 この場で何を言ったところで、燎子が落ち着くとは思えない。

 下手をしなくても、先程のように火に油を注ぐだけだ。

 琴里も本気ではないとは思うが、穏便に切り抜けるのは不可能だろう。

 となると強行突破しかないわけだが、七罪の状態を考えるとあまり激しい動きは取れない。

 それにこの顕現装置では、防性随意領域を展開する以外の行動に大きな制限がかかる。

 短い距離の移動ならともかく、この包囲網を突っ切るのは厳しいと言わざるを得ない。

 

『――――穂村君、聞こえますか?』

 

 インカム越しに、低く厳かな……そして士道にとっては決して耳障りが良くない声が届いた。

 

 

 

 

 

「――緊急コードの発令、及びデート・タウン第二種戦闘モードの発動を進言します」

 

 艦橋に響いたその声に、クルーの大半が眉をひそめた。

 それは発言の内容と言うよりも、発言者に対してのものだろう。

 この〈フラクシナス〉において副司令を務める男、神無月恭平。

 常日頃から変態行為、及び変態発言で周囲をドン引きさせるスペシャリストである。

 そんな彼の発言は、いつも司令官である琴里はまともに取り合わないのだが……

 

「離脱の道筋の目処が立っている、と見ていいのかしら?」

「ええ、地下にはASTの輸送、運搬用の路線が張り巡らされています。それを利用しましょう」

「成程ね、そこは盲点だったわ」

「包囲から外れ、なおかつ一番距離が近い脱出地点は……ここですね」

 

 神無月がコンソールを操作すると、艦橋スクリーン上の地図に新たな光点が表示された。

 それを確認して、琴里は顎に手を当てて思案する。

 デート・タウンとは、精霊攻略のために〈ラタトスク機関〉が天宮市のいたる所に潜ませた設備の総称である。

 先日、十香とのデートに際して街の構造を変化させたのも、その機能の一部だ。

 本来は精霊とのデートをサポートするのが主目的なのだが、それを邪魔しようとする勢力が現れた場合、別の目的を帯びる。

 それは対象の妨害、及び排除だ。

 初期段階では街の構造の組み換えなどによる進路の妨害、神無月が言及した第二種戦闘モードならば、より直接的な手段による対象の排除を目的とする。

 相手が顕現装置を用いた魔術師ならば、それも一瞬の目眩まし程度にしかならないが、地下へと逃げ込む時間さえ稼げればいいのだ。

 

「――緊急コード発令。デート・タウン第二種戦闘モードの発動、そして士道たちが地下へ離脱したらデストロイモードへの移行を」

「……お見事です、司令」

「お膳立てしておいて、どの口が言ってるのよ」

「ああっ、その刺すような冷たい眼差し……!」

 

 悶えだした神無月は、やっぱり変態だった。

 それはともかくとして……ついにこの時が来たのか、とクルーの間に緊張感が走った。

 デストロイモードといえば、惜しげもなく火器を投入する完全排除の姿勢である。

 士道たちが地上にいる間は巻き込んでしまうため使えないが、地下へ降りた後のASTの足止めにはなる。

 そして相手の動きを止めているうちに包囲網を抜け出せたなら、こちらの勝利である。

 回収までの道筋を立てると、琴里は通信用のマイクを神無月に差し向けた。

 

「士道への指示を」

「――しかし、私では……」

「地下の構造を理解しているのは副司令、あなただけよ」

「……了解いたしました。この神無月恭平、僭越ながら司令の期待に応えてみせましょうっ!」

 

 

 

 

 

『――――以上が脱出までの詳細となります。いいですね?』

「……了解したよ」

『おや、こうもすんなり受け入れられるとは』

「こんな時に私情は挟まないよ。どれだけあんたが救いようのない変態でもな」

『ははは、これは手厳しい』

 

 能天気な笑い声にはぶん殴りたい衝動に駆られるが、そこは抑えておく。

 そもそも積極的に関わりたくないというのもあるし、話の腰を折るべきではない。

 それに、何とも憎らしいことに、こういった時は大体的確なのだ。

 

『それでは、これより六〇秒後に作戦を開始します。君は彼女を連れて地下へ退避を』

「了解」

『期待していますよ、〈不沈艦〉』

「その呼び名はもういいだろ……」

 

 頭の中でカウントを開始する。

 状況は相変わらずで、罵詈雑言と攻撃が降り注ぐ雨粒を消し飛ばすほどに荒れ狂っている。

 こんな中では七罪を連れての移動は不可能だ――――あと三〇秒。

 しかし、外部からサポートがあるとなれば話は別だ。

 そしてあの男が『そうなる』と言えば、ほぼ確実にその通りになる――――あと一〇秒。

 人間性は全く以て信用ならないが、その能力に対しては一定の信頼がある。

 荒い息を吐く七罪の体を、そっと抱き上げる――――あと五秒。

 

「七罪、ちょっと我慢してくれよ」

「え――――」

 

 カウントゼロ――――士道は駆け出した。

 

「――っ、何!?」

「上空から、何か粘液のようなものが……!」

 

 爆発音と同時に、攻撃の嵐が止まった。

 地面に粘性のある液体が降り注いで、ボトボトと水を跳ね上げた。

 しかし、士道の進路だけは綺麗にそのまま。

 その上を、強化した脚力で駆け抜ける。

 

「くっ――」

 

 絶え間無い頭痛が士道を苛む。

 ワイヤリングスーツの補助もなしに顕現装置を使えば、通常はこうなる。

 士道は防性随意領域以外に関しては、普通の域を出ない魔術師だ。

 こんなことを続けていれば、あっという間に活動限界が訪れるだろう。

 そうなる前に目標地点……地下へと続くマンホールへ駆け込んだ。

 

「――七罪、大丈夫か?」

「ぅぐ…………し、どう」

「いい、無理に喋るな」

 

 地鳴りのような振動が、間断なく続く。

 上でASTに対する足止めが行われているのだろう。

 降り立った地下には、ASTが使用する特殊車両の路線が張り巡らされている。

 その道の端に七罪を横たえて、士道は深く精神を集中させた。

 これほどの傷で、このまま移動するのは危険だ。

 展開された随意領域の淡い魔力光が、傷ついた小さな体を包み込んだ。

 

「な、にを……」

「いいから、じっとしてろ」

 

 光が七罪の切傷にまとわりついて、その傷口を徐々に塞いでいく。

 随意領域とは、使用者の意のままになる空間。

 その中では、このような魔法じみた真似も出来るのだ。

 医療用顕現装置であれば、それこそ千切れた手足をくっつけることも可能とする。

 ただ、それは専用の機材が揃った上でのことだ。

 こんな出力の弱い顕現装置で、しかもワイヤリングスーツの補助もなしに治療を行えば……

 

「ぐっ……!」

 

 視界の端が赤く染まる――眼球の毛細血管が破れたのだろう。

 確実に活動限界が近づいている。

 やがて七罪の傷口が塞がると、士道はその場に座り込んだ。

 

「……とりあえず、応急処置だな。後はちゃんとしたとこで治療しないとな」

「…………あんた、大丈夫……なの?」

「ひとまず、だけどな。それでも無理に動いたら傷が開くから――――」

「わ、私じゃなくてっ!」

 

 七罪は、震える手で士道を指差した。

 顔中に汗が浮かび、右目が赤く染まり、端から血が流れだしている。

 とてもじゃないが、無事な姿には見えなかった。

 士道はニッと笑うと、七罪の体を再度抱き上げた。

 

「なぁに、ちょっと頑張りすぎただけだ。さ、早いとこ行こうぜ」

「…………やっぱり、どうかしてるわ」

 

 二人は薄暗いトンネルの中を進んでいく。

 七罪の呟きは、その闇の中へ吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 地面が割れて、その下から数々の屋台がせり出してくる。

 たこ焼き、焼き鳥、射的など、およそ戦闘とは無縁に思えるものばかりだった。

 しかしここは戦場である。

 よって、これらも立派な兵器なのだ。

 

「くっ、ふざけた攻撃を……!」

 

 たこ焼き屋からはたこ焼き型の砲弾が放たれ、焼き鳥屋からは焼き鳥型のミサイルが放たれる。

 射的の景品のぬいぐるみの口から飛び出したコードは、スパークしながらAST隊員に迫る。

 最初のトリモチ爆撃といい、冗談じみた光景に、燎子は悪態を吐いた。

 しかしこれも〈ウィッチ〉の能力だと考えれば、このふざけた外見にも納得がいった。

 やはりあの追い詰められた姿は偽装……一刻も早く追わなければならない。

 だというのに――――

 

「やぁん! なにこれぇ……」

「め、麺が絡みついて……」

 

 そばとうどんの屋台が現れたかと思えば、麺が触手のように伸び、隊員たちを絡め取っていた。

 花屋に並べられた花からは睡眠ガスが噴出し、油断したものを容赦なく眠りに引きずり込む。

 そして、一際巨大な物体が、雨空に飛翔した。

 

「だ、大根が! 人参が飛んできます……!」

 

 八百屋だった。

 店舗丸ごと飛行しながら、入口から野菜型のミサイルをばらまいていた。

 傍目には馬鹿らしすぎる光景に、頭痛さえしてきそうだ。

 少しはこれを報告書に記載する側の身にもなってほしい。

 

「ちぃっ!」

 

 舌打ちとともに迫る大根と人参を切り捨てると、遼子は八百屋本体へと突撃していく。

 突撃の姿勢――――〈ノーペイン〉を構え、防性随意領域で自身を保護する。

 

「ざっけんなぁ、このぉぉぉっ!!」

 

 人間サイズの砲弾が八百屋を貫き、風穴をあけた。

 返す刀でミサイルを打ち込むと、巨体が黒煙を上げて墜落していく。

 トドメの魔力砲を構えたところで、遼子は何か影が差したことに気づいた。

 見上げると、巨大なカボチャが空を覆うように迫っていた。

 下手をしたら、先程の八百屋をも上回るサイズだ。

 アレに炸薬が積まれているとするのなら、規格外の爆弾だろう。

 防性随意領域を以てしても、受け止めきれるかは怪しい。

 当然、回避行動を取るべきなのだが、この時の遼子は見事に頭に血が上っていた。

 現場を知らぬ上司からの嫌味混じりのお小言、言う事を聞かない部下、早く結婚しろとせっついてくる両親……そして何より、精霊にちょっかいをかけるクソボケの先輩。

 ここに来て、抱え込んだストレスが最高潮に達していたのだ。

 

(ああ、温泉に行きたい…………!)

 

 ブチッと、忍耐を支えていた最後の一本が切れてしまった。

 巨大カボチャを躱すどころかそのスレスレをかすめる様に通り抜けて上空を取ると、スラスターを噴射させて勢いよく突っ込んでいく。

 

「やぁってられるかぁぁぁぁぁーーーーーッ!!」

 

 重力も加算された蹴りの一撃が、その巨体を吹き飛ばした。

 斜め上方からの力を加えられた巨大カボチャは、ヒョロヒョロと針路を変えて落ちていく。

 そして落下地点には黒煙を上げる八百屋……二つは衝突し、地盤を崩しながら巨大な爆炎を巻き上げて消滅した。

 

 

 

 

 

「次は……こっちだな」

 

 事前に伝えられた情報と、自分の記憶を頼りに薄暗闇の中を進んでいく。

 景色が変わり映えしない上に、通常歩くような場所でもない。

 気を抜いていたら迷ってしまいそうだった。

 ここではインカムの通信も届かないため、サポートを受けることはできない。

 それでも、徐々に地下を震わせる振動は遠ざかっている。

 これはASTの包囲網を抜けつつあるという証拠だろう。

 自身を苛む頭痛を噛み殺しながら、士道は足を早めた。

 

「…………どうして、助けに来たのよ」

「今更だなぁ……」

 

 士道は七罪の問いに苦笑した。

 こちらからしたら当然のことなので、言語化するのが少々難しいというのもある。

 十香に伝えたように七罪の手を握ってやりたいのは確かだが、結局のところは……

 

「俺が助けたいから助けに来た。それだけだよ」

「……何よそれ、自己満足じゃない」

「手厳しいな……でも、その通りだ」

 

 そう、士道は助けたいからこそ助けるのだ。

 その根底には、かつて姉に抱きしめられた時の温もりがある。

 どんなに辛くとも、どんなに孤独を感じても、きっと手を差し伸べてくれる誰かはいるのだ。

 

「ま、子供が難しいこと考えるなよ」

「ち、ちんちくりんで悪かったわねぇ……!」

「ははは、あれだけ子供姿の時はからかわれたからな。お返ししてやる」

「~~~~っ」

 

 七罪は顔を赤くして抗議したが、暴れだしはしなかった。

 傷口が開くのを恐れているのだろう。

 士道はからかうのをそこそこに、安心させるように笑いかけた。

 

「今は不安で、信じきれなくてもいいよ。だけど俺は傍にいる。こうやって手を握ってるからさ」

「だから……どう、して……どうして、こんなダメダメな私に、優しくなんかするのよぉ……」

 

 耐えきれず、七罪の目から涙がこぼれる。

 自分がこんなに優しくされる理由がわからない。

 いや、本当はもうわかりかけている。

 ただ、それを認めるのが難しいだけなのだ。

 

「……誰だって最初は何も出来ない。俺が子供の姿だった時も、出来ないことだらけだっただろ」

「でもっ――――」

「そもそも、ダメダメなんかじゃないんだよ。だって今日一日、俺はすごく楽しんでたんだぞ?」

「そ、れは……」

「俺は本当の、今の七罪とデートして、心の底から楽しかった」

「…………ロリコン」

「うぐっ」

 

 容赦ない言葉が、士道の心に突き刺さった。

 その若干へこんだ表情に、七罪は頬を僅かにほころばせた。

 今だったら言えるかもしれない。

 あの雨の日からずっと抱え込んだ、この言葉を。

 

「……ね、ねえ」

「……なんだ?」

「ま、前からずっと……伝えたいことが、あったんだけど――――」

 

 しかし、そこから先に続けることはできなかった。

 激しい振動と轟音。

 ボロボロと、頭上から何かしらの破片が落ちてくる。

 次の瞬間、七罪は空中に投げ出されていた。

 

「――――へ?」

 

 訳も分からず地面を転がり、土と埃に塗れる。

 乱暴に投げ出されたものだから、辛うじて塞がっている傷も痛みだす始末。

 いきなりの仕打ちに、七罪は涙目で自分を放り出した男を睨みつけた。

 

「…………なに、これ」

 

 しかし、そこに士道の姿はなかった。

 それどころか、今まで通ってきたはずの道すら無くなっていた。

 大量の瓦礫が、そこにあったものを全て、押しつぶして――――

 

「し、士道? ねぇ、ウソでしょ…………士道っ!!」

「――――ちゃんと聞こえてるよ。だから無理に大声出すなよ」

 

 瓦礫の隙間から、魔力の光が漏れ出る。

 咄嗟に随意領域で自分の身を守ったようだ。

 七罪は安堵に涙を流しかけて、慌てて不機嫌を装った。

 

「ら、乱暴に放り出してくれちゃってさ……! やっぱり、心の中では気持ち悪いとか思ってたんでしょ! そうなんでしょ……!」

「はは……いきなりだったもんでさ。悪かったよ」

「は、早く出てきて言い訳してみなさいよ……ほら、早く!」

「……ごめんな、ちょっと出るのに時間がかかりそうだから、先に行っててくれ」

「――っ」

 

 それは嘘だ。

 七罪にははっきりとわかった。

 気づけば魔力光は弱々しく今にも途切れそうで、これが完全に消えてしまった時、士道は……

 

「な、なんで、そんな……さ、さっきはあんなに余裕ぶって、攻撃を防いでたじゃない……ッ!」

「やっぱりバレちまったか……まぁ、ああやって守るのは得意なんだけどな」

 

 汗を浮かべ、右目を赤く染め、血を流す姿が思い浮かんだ。

 もし、自分を治療したために士道が余力を失ってしまったのだとするなら。

 七罪はふらふらと瓦礫の山の前まで進むと、その場に座り込んだ。

 

「あ、あんた一人だったら、ちゃんと逃げ出せてたんじゃないの!? 私なんかを助けるから――――」

「――それ以上は、言わないでくれ」

 

 瓦礫に押しつぶされそうになっていても、その声には力がこもっていた。

 自分を否定しようとする七罪を、諌める響きがあった。

 

「たとえ本人の口からでも、俺が気に入ってる奴を悪く言う言葉は、聞きたくないんだよ」

「――――」

「……七罪、これからお前には沢山嫌なことや、逃げ出したいことがあると思う。でも、きっと同じぐらい嬉しいことや、楽しいこともあるはずなんだ……だから、自分自身を諦めないでくれ」

「――どうしてよ……どうしてこんな時になっても、私の心配ばかりするのよ……ッ」

「だって俺は……先生、だからさ――――」

 

 それっきり、士道の声は途絶えてしまった。

 七罪がいくら呼びかけても、言葉が返ってくることはない。

 辛うじて持続していた魔力光が、淡く明滅して消え去った。

 

「あ……ああ……ああああああああああああああ…………」

 

 目の前が闇に覆われたような感覚。

 自分さえいなければ……そんな思いが、七罪の心を埋め尽くした。

 誰からも見向きされない出来損ないが、分不相応にも何かを求めた結果がこれだ。

 心が深く暗い、底なしの穴へ落ちていく。

 自分の存在がひっくり返りそうな絶望。

 最早七罪には抗う気力も――――

 

『だから、自分自身を諦めないでくれ』

 

 その言葉が、沈んでいく七罪の心を引き止めた。

 

「――――諦め……ない」

 

 目の前の瓦礫の山に、手をかける。

 動かせるものから順番に取り除いていく。

 指先が汚れて傷つき、爪がひび割れて血が流れる。

 霊力を自由に使えない今の七罪は、ただの人間と変わらない。

 それでも、埃に塗れて汗を流しながら、瓦礫を動かし続ける。

 あの笑顔を、温もりを失いたくない、諦めたくない。

 しかし、気持ちだけで動かせるほど、現実は軽いものではなかった。

 細かい瓦礫を除けてその下から出てきたのは、分厚いコンクリート片だった。

 どれだけ力を込めても動くはずもなく、再び七罪の心に絶望が立ち込めた。

 

「だ、誰か……誰か、助けてよ……この人を、士道を助けてよ…………!」

 

 涙を流し嘆いても、それに応える者はいない。

 ここには、七罪しかいないのだから。

 だったら、自分がやるしかないのだ――――何もない宙に手をかざす。

 

「…………〈贋造魔女(ハニエル)〉」

 

 その名を呼んでも、天使は現れない。

 

「――っ、〈贋造魔女(ハニエル)〉!」

 

 地面に手を打ち付ける――――天使は現れない。

 

「〈贋造魔女(ハニエル)〉……〈贋造魔女(ハニエル)〉〈贋造魔女(ハニエル)〉〈贋造魔女(ハニエル)〉〈贋造魔女(ハニエル)〉……ッ!!」

 

 幾度呼ぼうとも、天使は現れない。

 

(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だっ……! 絶対にこの人を失いたくない、またあの時のように優しく笑いかけて欲しい…………ッ!!)

 

 思いが逆転する。

 自分自身への嫌悪が、自分自身への怒りへと変わる。

 怒りが、自分を動かすエネルギーへと転ずる。

 その心に生まれた炎は、ここで立ち尽くす無力な自分を許しはしなかった。

 頭を打ち付けて、割れんばかりの声で叫ぶ。

 

「――――〈贋造魔女(ハァニエエエエエェェェル)〉ッ!!」

 

 吠える、光の柱が立つ。

 雨空を貫いたその光は立ちこめる雲を巻き込み、拡散した。

 空が晴れ、やがて天宮市に無数の飴玉が降り注いだ。

 

 

 

 

 

「まずったなぁ、まさか傘を忘れちまうとは」

 

 軒下から雨空を見上げ、士道は呟いた。

 今は五月の下旬。

 既に中間テストも終わり、仕事も少し落ち着いた頃だった。

 時期的には丁度、梅雨入りとなる。

 予報でも傘マークが出ていたのだが、今日は慌てて家を出たため置いてきてしまったのだ。

 それでも学校を出たときは降っていなかったため、大丈夫かと思われたのだが、買い物を終えてスーパーから出た瞬間、雨に降られた次第である。

 

「……あいつ、大丈夫かな」

 

 雨空を見上げながら、士道は七罪のことを思い浮かべた。

 瓦礫に押しつぶされたあたりで、あの日の記憶は途切れている。

 士道が次に目覚めたのは、〈フラクシナス〉の医務室だった。

 当然のように姪っ子にお叱りを受け静養していたのだが、一晩で回復したのには驚きだった。

 医療用顕現装置のおかげかと、技術の進歩に感心していたのだが、そもそも回収された時点で、大きな傷はなかったのだという。

 あれだけの瓦礫に押しつぶされてそれはありえない。

 何か他に要因があるとしたら、それは精霊の力だろう。

 例えば七罪の〈贋造魔女(ハニエル)〉ならば、見た目の傷を塞ぐようなことも可能かもしれない。

 ただ、あの時は霊力を使えなくなっていたはずだ。

 消失したらしいとは聞いているが、気がかりは気がかりだった。

 そして気がかりといえば、ASTの方もどうなっているのやら。

 あの場では一般市民と言い張ったが、何らかの措置を施される可能性は低くない。

 折紙は学校では相変わらずなのでよく分からないが、実際どうなっているのだろうか。

 ブチギレていた後輩の件も含めて、こちらも実に気がかりである。

 あれこれと気を揉んでいると、いつの間にか隣に誰かが立っていることに気づく。

 小柄な背丈、ボサボサの髪、不機嫌そうに曇ったエメラルドの瞳。

 魔女のような霊装を纏った精霊の少女――七罪だ。

 そっぽを向いたまま、士道に何かを差し出していた。

 

「……これ、使いなさいよ」

 

 ボロボロのビニール傘だった。

 まるで何年も使い古したかのような……士道は笑って、それを受け取った。

 

「――――と、トリックオアトリート!」

 

 それは時期外れの言葉だった。

 それでも、二人の始まりにはふさわしい言葉だった。

 雨のハロウィンに、軒下で誰かに声をかけようとして、出来なかった少女がいた。

 そんな少女に士道は、クッキーと傘を渡した。

 そして今、少女――七罪は士道に傘を渡し、あの時誰にもかけられなかった言葉を口にした。

 自分を卑下して諦めていた彼女は、一歩踏み出すことができたのだ。

 その事が、まるで自分の事のように嬉しかった。

 しかし、残念な点があるとしたら……

 

「悪いな。今、お菓子は切らしてるんだよ」

 

 生憎と、お菓子の持ち合わせはなかった。

 スーパーで調達したものも夕飯に必要な分しかないため、渡せそうなものはない。

 まさか、野菜や生肉を持たせるわけにはいかないだろう。

 すると、七罪は悪戯っぽく笑って――――

 

「じゃあトリックね――〈贋造魔女(ハニエル)〉」

 

 ポンッ、とコミカルな音を立てて、士道は子供の姿に変えられてしまった。

 視点がいきなり低くなり、今まで持っていた買い物袋が急激に重くなる。

 落とさないようふらつくうちに、尻餅をついてしまった。

 

「いてて……な、何するんだよいきなり」

「…………スー、ハー、スー、ハー」

 

 七罪は無言で深呼吸を繰り返すと、やがて恐る恐る士道の手を取って立ち上がらせた。

 背が縮んでしまったため、見上げるような形になる。

 

「その……あの時は、逃げ出しちゃったけど……お菓子をもらえて、傘も差してもらえて…………本当は嬉しかった」

 

 躊躇いがちに、目をそらしながら、七罪は言葉を続けた。

 

「……公園で一緒に遊んで、楽しかったって言ってもらえて……う、嬉しかった……っ」

 

 そして、その声には次第に涙が混じり始め……

 

「わ、私が怪我をして天使を使えなくなったとき……助けに来てくれて……本当に嬉しかったっ」

 

 そしてボロボロと涙を流しながら、それでも七罪は不器用に笑い――――

 

「……ありが……とう」

 

 呆然とする士道の唇に、自分の唇を重ね合わせた。

 体の中に、なにか暖かいものが流れ込んでくる感覚。

 一拍おいて、七罪の霊装が解け、光となって霧散していく。

 

「い、いやぁぁぁぁ! な、何これ……!?」

 

 露わになっていく自分の体に、七罪は慌ててしゃがみ込んだ。

 大人の姿に戻った士道は、顔中に汗を浮かべて狼狽えた。

 霊力の封印……それを行えばこうなることは、琴里から何となく聞かされている。

 しかし、いきなりのことだったので、全く以て準備をしていなかった。

 七罪にしても、キスをしてきた理由はともかく、突然こうなっては混乱しているだろう。

 どう説明するかはともかく、スーツの上を脱いで七罪に渡す。

 そのままの格好でいられては、色々とマズい。

 七罪自身も気にするだろうし、士道の世間体的にも非常に危険だ。

 幼い少女を裸に剥いていた、などという噂が立てば、教師生命が絶たれかねないのだ。

 もちろん、それだけでは済まない可能性も十二分にある。

 最悪の場合、後ろ指を差され続ける生活が待っているだろう。

 七罪はひったくるように受け取ると、体を隠すように巻きつけ、キッと眼光を鋭くした。

 猛烈に嫌な予感がしてその口を塞ごうとしたのだが、時既に遅し。

 そして次の瞬間、七罪は口をわなわなと震わせながら叫んだ。

 

「このっ、淫行教師ぃーーっ!!」

「ちょっと待ってぇぇぇぇぇっ!!」

 

 雨空に響き渡る罵倒に、士道は悲鳴じみた弁明を開始するのだった。

 

 

 




というわけで七罪編終了です。
なんだかんだ、今まで書いてきた中で二番目ぐらいに長くなってしまいました。

次は多分、狂三さんが出ると思われます。
ただ家庭の事情とかゲームをやりたいとかで間が空くと思いますので、気長に待っててください。
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