士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
……という言い訳はさて置き、およそ半月ぶりにこんばんは。
士道の過去を小出しにしつつ始めます。
穂村士道が空間震災害の実態を知ったのは、高校三年生の夏のことだった。
壊れた街並み、荒れ狂う風、その中で争う二つの影。
ひょんなことからシェルターの外に出て、その存在を認識したのだ。
特殊災害指定生命体、通称・精霊。
その後、少年漫画じみた経緯で入隊したASTで叩き込まれたのは、その脅威についてだった。
人の形をしていても、相手は空間震と共に現れ破壊を振りまく天災。
災害に対して、人格を認めるようなことがあってはならない。
幸か不幸か、精霊との戦闘はほぼ一方的で、会話を交わす余地など存在しなかった。
士道としても、少女の姿をした精霊へと銃口を向けることに思う所がなかったわけではないが、そこは与えられた役割が幸いした。
盾として配された者に、そのような余裕はなかったのだ。
もしかしたら、上官は士道の気性を見切った上でそのポジションに置いたのかもしれない。
ともかく、精霊の姿は認めつつも、面識を持つには至らなかったのは確かだ。
向こうからも有象無象の一人と見られているだけで、存在を認識はされていなかっただろう。
氷の精霊は逃げ回るだけで、風の精霊たちは互いにしか興味がなかった。
しかしいずれの精霊にもこちらの攻撃は通じることはなく、そんな戦闘とも呼べない接触が続く中、新たな精霊の現界が確認された。
観測機越しの映像は遠巻きだったが、血の如き赤と影の如き黒で彩られたドレス――恐らく精霊の鎧である霊装を纏った少女の姿。
一瞬だけ覗かせた赤と金の双眸が印象深い。
何より、その精霊を特徴付けるものとして決定的なものが、人間を襲うという点だ。
空間震警報や各種避難設備のおかげで件数は減ったものの、精霊の現界に際して人的被害が出るのは、珍しい話ではない。
被災経験が元でASTに入隊する者もいるし、大雑把に言えば士道もその口だ。
ただ、それが意識的になされるとなれば話は別だ。
人の形を取った天災が、悪意を持って人間の命を奪う……正に最悪の悪夢と言っていいだろう。
したがって、人間が彼女に与えた識別名は〈ナイトメア〉。
人を殺す故に、最悪と呼ばれる精霊である。
実際に遭遇するかどうかはともかくとして、士道はその精霊を確かな脅威として認識していた。
それだけに、その光景は衝撃的だったのだ。
だって、まさか、思いもしないだろう。
「ああ、ああっ……可愛いですわ。可愛いですわ!」
頭部にはヘッドドレス、胴部にはコルセット、腰元から伸びるスカートにはレースとフリル。
その少女は赤と黒で彩られたドレス……霊装を身に纏っていた。
そして赤と金の双眸に、長い黒髪を肩のあたりで二つに結わえている。
真珠のように白い頬を赤く染め、最悪の精霊は子猫と戯れていたのだ。
キジトラの子猫は「みゃあみゃあ」と鳴きながら、精霊の指先に翻弄されていた。
ここに猫がいること自体は、士道も予測していたことだ。
何せ自分も休日にふらついている最中、鳴き声に誘われてここまで来たのだから。
ただ、いくらなんでも、最近話題の〈ナイトメア〉がこうして猫にデレデレしているなど、一体誰に予想できるというのか。
「ヨモ吉さん、こちらをどうぞお食べになってくださいまし。さあ、さあ」
精霊はどこからか袋を取り出して、中身を地面に撒いた。
猫の写真がプリントされていて、まるでペットフードのような……というかそのものだった。
多分、お店のペット用品コーナーを覗けば置いてあるだろう。
一体どうやって入手したのだろうか。
あの霊装姿で買い物をする精霊を想像して、士道は頬に汗を流した。
目の前に撒かれた餌に子猫は鼻を近づけて、フンフンと匂いを嗅いでから食べ始めた。
見たところ野良猫のようだが、その『ヨモ吉』という名前は彼女がつけたのだろうか。
まさか尋ねてみるわけにもいかないため、謎は深まる一方である。
しかし、どうするべきかは決まっている。
相手は人間を手にかける危険な精霊だ、容赦をするわけにはいかない。
今は装備がないため本部への報告に留まるが、いずれ交戦状態になるだろう。
そこに自分の感情を挟む余地はないはず、なのだが……
(精霊も、あんな風に笑うんだな……)
士道は子猫と戯れる精霊の笑顔に、目を奪われてしまった。
それはまるでどこにでもいる普通の少女のようで……今まで抱いていた精霊への印象を揺るがすものであることに、間違いはなかった。
しかし、野良猫の気を引くためだろうか、「にゃあにゃあ」と鳴き真似をする姿は何というか、盗み見するのが非常に気まずい。
密かにその場を去ろうとしたのだが、間の悪いことに動き出そうとした瞬間、気配を察知してか野良猫も走り去ってしまった。
これまた悪いことに、士道が立っている方へ向けて、である。
なんでこちらにと悲鳴を上げたかったが、気まぐれな猫の行動だ。
抗議や文句を並べ立てたところで、詮無きことだろう。
「ああ、お待ちになって――――」
そして当然、精霊の注意もこちらに向くことになる。
目と目が合う――赤と金の
現実逃避気味に、カラコンの類かと考えたが、果たして精霊に人間の常識が通じるかどうか。
金の瞳の中では、長針と短針が時を刻んでいた。
いかなる仕組みか、時計の文字盤がそのまま、瞳の中にあるのだ。
「…………」
「…………」
沈黙が流れる。
目は口ほどに物を言うらしいが、この場合はどうだろうか。
最悪の精霊は目を見開いて、固まったまま口元をワナワナと震わせていた。
かつて士道も姉に黒歴史ノートを見られた時、このような反応をしたものだ。
懐かしくも呪わしい記憶である。
思わず叫びだしそうになる思い出はさて置き、これからどうすべきかが問題だ。
沈黙は金と言うが、この場合はどうだろう。
このまま押し黙っていても、状況は好転しそうにない。
というよりこの緊張感に負けて、士道は動いた。
なるべく友好的に見えるように笑顔を作り、気さくに手を上げる。
「……ど、ドーモ。〈ナイトメア〉=サン」
緊張からか、呼びかけは何かカタコト的アトモスフィアを醸し出していた。実際胡散臭い。
そして口にしてから気づいたのだが、相手の名前がわからないとは言え、〈ナイトメア〉という識別名で呼んだのは少しマズかったかもしれない。
その呼び名を知っているのは、精霊を知っている者に限られる。
つまり、自分が一般人ではないと白状したようなものだ。ウカツ!
もっとも、それは相手がその呼び名を認知していればの話だが。
とはいえ、〈ナイトメア〉は容赦なく人間に手をかける精霊だ。
この際どちらにしても関係はないのかもしれない。
やがて精霊は一度うつむくと、すぐに顔を上げた。
にっこりと、花の咲くような笑顔だった。
「――ブッ殺しますわ」
そしてその笑顔のまま、何とも物騒な言葉を投げかけてくるのだった。
かくして、士道の決死の逃走劇が始まった。
これが精霊との
士道が精霊に初めて人間性を見出した出来事。
そして人生で初めて死の恐怖を味わった、最悪の記憶である。
(何だ、何なんだ……どうして〈ナイトメア〉がここにいるんだ……!?)
汗をダラダラと流しながら、士道は混乱していた。
これはここ最近上がってきた気温もあるだろうが、極度の緊張のせいである。
最悪と呼ばれ、世間(とは言っても精霊を知る者たちに限る)を震え上がらせる精霊と遭遇したのだから、無理もない話だろう。
加えて言うなら、士道はこの精霊――時崎狂三に追い回された経験がある。
その時の恐怖が、ちょっとしたトラウマになっているのだ。
強烈な印象を刻まれたのにも関わらず、顔がどこか判然としなかったのは、きっとそのせいだ。
今となっては、あれは照れ隠しの超凶暴バージョンだったのだろうとは思うが、それで口封じに命を狙われては堪ったものじゃない。
一体、彼女はここに何をしに来たのか。
こちらから名前を告げた覚えがないのに、どうして自分の名前を知っているのか。
(まさか、ストーカーか……?)
ありえないとは思いつつも、そんな恐ろしい考えが浮かんだ。
何故だか無表情な自分の生徒の顔も浮かんだが、そちらは今この場では関係のないことだ。
何にしても最悪の精霊に付け回されるなど、それこそ命がいくつあっても足りない。
ここは〈ラタトスク〉に倣って、何か作戦でも用意するべきか。
咄嗟に思いつくものは作戦コードHL、名付けてオペレーション『Hearing Loss』……直訳すると難聴作戦である。
このまま聞こえなかったふりをして通り過ぎれば、どうにかならないだろうか……そんな士道の切なる願いが込められた作戦でもある。
しかしそんな願いを無残にも打ち砕くのが、彼女が〈ナイトメア〉と呼ばれる由縁である。
「あらあら、無視なんて酷いですわ。士道さん」
「……その士道ってのが誰かは知らないけど、人違いじゃないのか? それじゃあ――――」
世の中には自分とよく似た顔の人間が、二人いるらしい。
難聴作戦の失敗を悟った士道は、その法則に準じて次なる作戦を敢行した。
作戦コードD、名付けてオペレーション『Doppelgänger』……意訳すると、そのまま人違い作戦といったところか。
英語とドイツ語が混ざっているが、どうか気にしないで欲しい。
今の自分は『高宮進次郎』――彼女が口にした『穂村士道』とは別人なのだという、一部の隙もない設定だ。
これは七罪との一件で子供の姿を取っている際に、令音によって名付けられたものだが、何だかしっくりくるので結構気に入っているのだ。
そもそも命名した人が意中の相手だからというのもあるが、それは置いておこう。
ともかく、まさか人違いではこれ以上追求することはできまい。
口元に笑みを浮かべてクールに去ろうとした士道だが、ここで勘が仕事をした。
さっきから頭の中でアラームは鳴りっぱなしだったのだが、突如膨れ上がった攻撃の気配を察知して、その場から咄嗟に飛び退く。
短い銃声と共に、近くの電柱に小さな穴が穿たれた。
士道が身を躱していなければ、直撃コースである。
「失礼……人違いに引き続き、とんだ手違いをしてしまいましたわ」
手違いでいきなりブッ放すやつが、一体どこにいるというのか。
しかし彼女は精霊……人間の常識が通じると思ってはいけない。
このまま人違い作戦を続行するのなら、背中に風穴が空くのも時間の問題だ。
士道は観念すると、ゆっくりと振り返るのであった。
「……ドーモ。〈ナイトメア〉=サン――――ひぇっ」
引っ張り込まれた狭い路地で、まずは挨拶をと口を開けた士道の顔の横を、銃弾がかすめた。
思わず悲鳴が漏れる。
恐らくは彼女の保有する天使であろう、手にした短銃を構えながら、〈ナイトメア〉は笑う。
「以前申し上げました通り、その呼び名はあまり好きではありませんの」
そう言えば、そんなことを追われている最中に言っていたような気がする。
士道も士道で必死だったため、気にする余裕はなかったのだが。
時崎狂三という名前も、その時に名乗ったのだったか。
どうやら自分の名前にこだわりがあるらしい。
最悪の精霊と呼ばれながら、何とも人がましい。
しかし十香のことを考えると、それも決して否定できない。
名前とはアイデンティティ――自分が何者であるかを定義するものである。
人間に〈プリンセス〉と名付けられた精霊は、士道の贈った名前を大切にしてくれている。
それと同じようにきっと、彼女にも並々ならぬ思いがあるのだろう。
ならば〈ナイトメア〉呼ばわりは失礼に当たる。
士道は頬をかくと、恐る恐る口を開いた。
「えっと……時崎、さん?」
「うふふ、狂三で構いませんわ」
「…………」
本人に構わないと言われても、士道が構うのである。
もちろん女子を名前で呼ぶのが恥ずかしいとか、そんな思春期じみた理由ではない。
ただ、人間関係には距離感というものが重要なのだ。
大して親しくもない相手から、いきなり親しげに名前で呼ぶことを許可されたなら、戸惑っても仕方がないだろう。
ましてや彼女は、過去に自分の生命を脅かした相手である。
嫌な汗を流し続ける士道の心中は、全く以て穏やかではなかった。
(本当に何なんだこいつ!? 一体何が目的なんだ……!?)
何もかもが不透明で、混乱は深まる一方だ。
しかし、最悪とは言え相手は精霊。
そして士道の役割は、精霊とデートをしてデレさせ、力を封印することである。
つまり、目の前の少女も例外ではないのだ。
言うまでもなく、機嫌を損ねるのは下策。
複雑極まる感情を押し込めたまま、口を開く。
「く、狂三……?」
「はい、士道さん」
「…………」
「ふふ」
名前を呼んでみたが状況は変わらず、最悪と呼ばれる精霊の少女は意味深に笑うのみ。
士道は呼び名を改めろと遠まわしに言われ、その通りにしただけだ。
ここに連れ込んだのは彼女なので、何かしらの目的があるはずなのだが……
狂三からしたら士道は、過去に一度顔を合わせただけのしがない魔術師にすぎないはずだ。
それが今になって、こちらの名前まで調べて接触してきた理由とは、一体何なのだろうか。
数年越しの口封じというのが真っ先に思い浮かんだが、それならあの時に殺されていただろう。
それともまさか、こんなしがない元魔術師に何かを求めて訪れたとでも言うのか。
精霊・時崎狂三について知っていることは、そう多くない。
現界を観測されてから今日まで、数多の犠牲者を出してきたこと。
それでいて、野良猫にエサをやるような一面があること。
そこまで考えて、士道の頭に電流が走った。
(まさかこいつ、ペットフードを買うお金に困ってるのか……?)
現代社会において、物を得ようとすれば金銭が必要になる。
あの時持っていたペットフードも、やはり店で購入したと考えるのが自然だろう。
自身の天使の力でちょろまかしたという考えも浮かんだが、精霊と呼ばれる存在がそんなせこい真似をするとは思いたくなかった。
以前ならあの霊装姿で買い物をする光景を想像していたが、今は違う。
霊力で服装の自由が利くことは、十香の件で理解している。
その特徴的すぎる左目を隠せば、一般人に紛れることも不可能ではないだろう。
何せ漫画家として収入を得ている精霊もいるぐらいだ。
同じようにと一括りにするには創作業は特殊な職業だが、働くことも不可能ではないのだろう。
しかしながらこの精霊は、少し気に入らないことがあれば銃をブッ放す気性の持ち主である。
きっと仕事も長続きしなかったのだろう。
それからアルバイトを転々としながら……その姿を想像すると、涙を誘うものがあった。
そしてついには、顔見知りに過ぎない男の下まで金の無心にやって来たのだ。
士道は思わず、目元を手で覆った。
「……辛かったんだな」
「あの、士道さん? 何か、物凄く失礼な想像をされていらっしゃいません?」
「皆まで言うな。これ、少ないけど持って行ってくれ」
財布を取り出して、諭吉さんを一枚握らせる。
こうやって成人男性が制服姿の少女に金銭を渡すなど、下手をしたらいかがわしい関係を疑われかねないが、士道としては大真面目である。
突然のことにポカンと口を開ける狂三の肩に、優しく手を置く。
「お金に困ってるんだろ? じゃあ、ヨモ吉によろしくな」
そして今度こそクールに去るのである。
士道は善人を気取っているわけではないが、やはり善い事をしたら気分は良くなる。
情けは人のためならずとは、こういった場合も指すのかもしれない。
気分がいいので、今日は奮発して和牛でも買っていこうか。
鼻歌交じりに歩き去ろうとする士道だが、背後からの圧力を感じ、その場に身を伏せる。
今まで胴体があった場所を通り過ぎて、ビルのコンクリート壁に穴が複数穿たれた。
振り返ると、狂三は霊装姿に変じていた。
左右で長さの違う、不揃いのツインテール。
血の赤、影の黒を連想させる色合いの、レースとフリルであしらわれたドレス。
加えて、短銃の他に歩兵銃も構えた歪な二丁拳銃。
これが最悪の精霊の戦闘スタイルなのだ。
先ほど感じた圧力は霊力によるものだったようだ。
警報が鳴るほどのものではないが、人間を一人始末するには十分すぎる。
また何か地雷を踏んでしまったのか、狂三はワナワナと肩を震わせて目を見開いていた。
率直に言ってすごく怖かった。
「ブッ殺しますわよ!?」
「せめて撃つ前に言ってくれませんかねぇ!?」
士道の悲鳴じみた抗議などものともせず、歩兵銃が突きつけられる。
そして狂三は、コホンと咳払いしてから、きひひと笑った。
どうやら仕切り直したいらしい。
銃を突きつけられているので、士道としても付き合う他ない。
先程の動揺っぷりや、個性的な笑い方に言及しようものなら、脳天を撃ち抜かれておしまいだ。
「もう回りくどいことはやめて、いっそこの場で頂いてしまうのもいいかもしれませんわね」
「は、ははは……何のことやらさっぱりだけど、その髪型も似合ってるね、可愛いよ」
言ってから、士道は頭を打ち付けたくなった。
確かに今の彼女は過去と、そして霊装を纏う前と髪型が変わっている。
精霊とは言え女子なのだから、気分でイメチェンしたりもするのだろう。
七罪なんかはその最たるものだ。
しかしいつの間に、自分はこんな言葉が口をついて出るようになってしまったのか。
日々の訓練の成果が出ているのは結構なのだが、果たしてこの場に適した言葉なのかどうか。
その裁定は最早、目の前の精霊に託すしかない。
士道の命を握る〈ナイトメア〉はというと、キョトンと目を丸くしてからクスクスと笑った。
「流石、既に複数人の精霊を誑かしただけはありますわね」
「いや、言い方」
「事実でしょう?」
「うぐっ……」
何故彼女がそのことを知っているのかはともかく、十香や七罪にしてきたことを考えると言葉を詰まらせるしかなかった。
黙り込んだ士道に笑みを深めると、狂三は銃を下げて踵を返した。
突然の手のひら返しに訝るが、「なぁーご」という鳴き声が響く。
士道の隣に、いつの間にかキジトラの野良猫が、堂々たる居住まいで鎮座していた。
この体の模様にはどことなく見覚えがある。
視線を戻すと、既に狂三は姿を消していた。
「……本当に何だったんだ、あいつ」
結局何も明かさないまま去っていった精霊に対して、ポツリと呟く。
まるで通り魔にでも襲われたような気分だった。
長く息を吐き出すと、緊張から解放されたという安堵と、これからに対する嫌な予感が綯い交ぜになって襲ってきた。
とりあえず、この件は〈フラクシナス〉の方に報告しなければならないだろう。
これからまた精霊攻略が始まるのかと思うと、正直憂鬱だった。
路地に座り込んだまま空を仰いでいると、隣の野良猫が「なぁーご」と存在を主張した。
「また助けられちまったな」
およそ七年前、最悪の精霊に殺されそうになった士道を助けたのは、『ヨモ吉』と名付けられた野良猫である。
あの場に子猫が現れたことで、狂三は矛を収めたのだ。
もう時間を経ているし、飼い猫のようにわかりやすい印が付いているわけじゃない。
正直なところ、この猫があの時の子猫なのかはわからない。
しかし、野良猫のおかげでまた命を拾ったことに違いはない。
立ち上がって埃を払うと、士道は謝礼の餌を調達するため、近くのコンビニへと赴くのだった。
「――崇宮真那三尉であります。以後、お見知りおきを」
その日、天宮駐屯地のAST本部にやって来たのは、中学生ほどの見た目の女の子だった。
短めのポニーテールに、左目の下の泣き黒子が特徴的な少女である。
ASTの補充要員である彼女は、他の者と同じく陸自の常装を身に纏っていた。
こんな年端もいかない少女がそんな格好をしていると、正直コスプレにしか見えない。
だが魔術師という存在を見た目で推し量るのは、早計と言わざるを得ない。
奇跡の技術と呼ばれる顕現装置であるが、単独で使いこなせる者は非常に少ない。
そのため現代の魔術師の世界においては、年齢を度外視するケースがままある。
AST内にも、そういった特例によって若くして身を置く者が数人いる。
真那の場合、その幼さでここにいること自体が、規格外の才能を示していると言えるだろう。
しかしながら、この場にいる隊員のほとんどは、彼女に対して懐疑的な目を向けていた。
それはこうして本人が顔を出す前に、部隊長である日下部燎子が語った前評判のせいだろう。
曰く、陸自のトップエース。
曰く、顕現装置の扱いに関しては世界で五本の指に入る。
曰く、
前二つも大層な肩書きだが、最後の一つは隊員たちの間に明確な驚きをもたらした。
部隊総出でかかっても、精霊に対しては足止め程度の戦果がせいぜいだ。
世界を殺す災厄とまで称される存在を、単独で撃破してしまったと言うのだから、無理もない。
それでどんな戦士が現れるのかと期待していたら、やって来たのは可愛らしい少女である。
魔術師の実力を外見から判断することが出来ないのは確かだが、この幼さは予想外だったのだ。
隊員が揃って眉根を寄せる中、鳶一折紙だけは一人静かな視線を向けていた。
トップエースだの五本の指に入るだの、そういった肩書きに興味はないが、最後の実績にだけは多大な関心があった。
折紙がASTに入隊したのは、両親の仇である精霊を討滅するためである。
しかし彼我の戦力差は絶大で、空間震の度に歯噛みする日々が続いているのだ。
先日は相打ちに近い形で〈ウィッチ〉に傷を負わせることに成功したが、打倒にはまだ遠い。
それでもその時の手応えを元に、より訓練を重ねるつもりだったのだが、そこで悲劇が生じた。
独断行動や設備を破壊したことが祟り、折紙は二週間の謹慎処分を言い渡されてしまったのだ。
そうなると訓練への参加も認められない。
身体的なものに限れば自主的に行えばいいのだが、装備を必要とする訓練は別だ。
特にCR‐ユニットを用いた訓練は、他では賄えない。
二週間もの空白期間は、折紙にとって非常に手痛い処分となった。
それを取り返すために最近は特に力を入れていたのだが、今日現れた真那の存在は僥倖だ。
精霊を打倒したというその技術を吸収しようと、貪欲な光が目に灯る。
そして、それはそれとして気になる点が一つ。
(彼女の顔立ち、どことなく見覚えがある……?)
無表情な問題児がそんなことを考えてる一方、日下部遼子は隊員たちの反応に苦笑していた。
概ね予想通りの展開である。
こんな少女が精霊を殺したトップエースだなどと言われても、にわかには信じがたいのだろう。
自分で伝えたことなのだが、実のところ『陸自のトップエース』という肩書きは本当ではない。
というのも、真那はとある企業から出向してきた、いわば民間人なのである。
出向に際して尉官の階級を与えられているが、当然AST内における実績などあるはずがない。
それを候補ならともかく、トップエースだと祭り上げるのは、最早ちょっとした欺瞞だろう。
彼女を紹介された時の、上層部の嫌味ったらしい言葉の数々を思い出して、遼子は苛立ちに拳を握り締めた。
あの場で〈ウィッチ〉を仕留められたならともかくとして、取り逃がしたとなっては他所からの補充要員に異議を申し立てることはできなかった。
そして、ここ最近の精霊の現界数の増加によって警戒レベルが引き上げられ、予てから計画していた温泉旅行がおじゃんになる始末。
遼子のストレスは、再びボルテージを高めつつあった。
経緯はどうあれ、部隊で預かることとなった補充要員に目を向ける。
周囲の訝る視線などものともせず、堂々とした立ち姿である。
トップエース云々はともかく、他二つは本物らしい。
この容姿で世界トップクラスの魔術師で、精霊に比肩しうる実力を持っているのだ。
そして、それはそれとして気になる点が一つ。
(この子、なーんかどこぞの誰かに似ているような気がするのよね……)
部隊の問題児と隊長は、期待の大型新人に向けて似たような感想を抱いた。
折紙はクラスの副担任であり、自身の恋人でもある男性教師の顔を思い浮かべた。
遼子は年下の先輩であり、精霊に粉をかけるクソボケ女誑しの顔を思い浮かべた。
そして自己紹介の後、静観していた真那が口を開く。
「ふむ、どうもわかってねー人たちが多くいやがるみたいですね、ここは」
その可愛らしい声と共に放たれたのは、あまりにも適当な敬語である。
その場にいるほとんどの者は、口調に気を取られて発言の内容が頭に入っていなかった。
そんな周囲の反応など知ったことかと、真那はさらに言葉を重ねた。
「見た目で判断していやがるようじゃ、まだまだあめーって言ってるんですよ。それでよく精霊と戦ってこられたってもんです」
今度こそ言っていることを理解した隊員たちは、目を丸くした。
これが立派な大人の言ったことなら、反発する気概も湧いてきたのだが、こんな年端もいかない少女が言っていると、粋がっているようにしか見えなかったのだ。
周囲の視線が生温かくなりつつあることに眉をひそめながらも、真那は自身の目の前、最前列に着席した折紙に目を向けた。
「その点、あなたの気構えは中々しっかりしていやがります。鳶一一曹でしたか? 〈ウィッチ〉に一太刀浴びせたその腕前、見せてもらいてーもんです」
「私も、是非あなたの戦い方を参考にしたい」
「話が早いようで助かります。じゃあ早速、模擬戦と洒落こんで――――あいたっ」
後ろから小突かれて真那は頭を押さえた。
そして振り向いて、隊長へと恨みがましい視線を向ける。
「勝手に話を進めるんじゃない。ブリーフィング始めるから、とりあえず空いてる席に座って」
「はっ」
その適当すぎる敬語はともかく、上官に対する敬礼はしっかりとしていた。
そして真那はそのまま、自分のすぐ近くの椅子――折紙の隣へと腰を下ろした。
二人は何やら視線を交わして、頷き合うのだった。
意気投合したとでも言うのだろうか、あまり他人を寄せ付けない折紙にしては珍しい。
協調性の向上に喜ぶべきなのかもしれないが、それを見た遼子の感想はというと……
(もしかしてこれ、問題児が増えた……?)
「…………」
ブリーフィングを終え、結局部隊全体を巻き込んだ演習の後、折紙はワイヤリングスーツを着込んだまま、格納庫で座り込んでいた。
思い出すのは演習中の真那の動きだった。
自分専用の特殊兵装を手足のように操る技量、そして冗談じみた精度での随意領域の制御。
前評判に違わない、正に天才と呼ぶに相応しい腕前だった。
演習はチームを二つに分けた対抗戦形式だったのだが、実際は真那とそれ以外の一対多数。
これは新人に対する荒っぽい歓迎とか、陰湿なイジメとかではなく、本人からの提案である。
実力差を理解するには、これが一番手っ取り早いとのことだった。
結果はチームで挑んだ折紙たちの惨敗。
冗談抜きで、まるで精霊と対しているかのような気分に陥ったぐらいだ。
崇宮真那は規格外……そう知らしめるのに、あの一戦は十分すぎた。
その前評判や力量は、一切誇張のないものだと証明されたのだ。
部隊に実力の高い者が加入したのなら、作戦の成功率は高くなる。
それも精霊を打倒しうる程の者なら、尚更だ。
歓迎すべき事態だというのは分かっているが、心には苛立ちと焦燥が募る。
これらは真那に対してのものではなく、自分自身に向けられたものだ。
同じ人間であるにも関わらず、横たわる絶対的な実力差に、思ってしまったのだ。
何故、自分はこんなにも弱いのか、と。
先日、〈ウィッチ〉に一撃を加えた時の手応えすら霞んでしまいそうだった。
このように気分がささくれだった時に取る行動は決まっている。
折紙はゆっくりと立ち上がると、重たい足取りでロッカーに向かう。
動作が緩慢なのは、先程まで随意領域を展開していた反動である。
魔術師として超人じみた力を振るっていた代償、とも言えるだろう。
ともかく、重たい体を引きずるように自分のロッカーまで辿りついた折紙は、中から白無地のTシャツを一枚取り出した。
しかしサイズが合っておらず、そのまま身につけたらブカブカになってしまうだろう。
折紙が平均よりもやや小柄な体格だというのもあるが、そもそもこれは男性用のものなのだ。
それは本人も承知しているし、着用するのが主目的でもない。
Tシャツを両手で持つと、折紙はそこへ自分の顔を押し付けた。
そしてスーハーと鼻で大きく深く呼吸する。
すると鼻腔に広がるのは、自身の恋人の残り香である。
何を隠そうこのTシャツは、来禅高校の教員用ロッカーから拝借したものなのだ。
もちろん使用済みで、当然洗濯はしていない。
入手した手段はやや強引なものだが、恋人の私物の十や二十は手元にあって然るべきだろう。
ちなみに初犯は交際を申し込まれる前だが、この際順序など些細な問題でしかない。
乙女ならば、恋人の存在を身近に感じていたいと思うのは、極々自然な考えだ。
よって折紙がこうして残り香を堪能しているのも当然の帰結であり、何らおかしくはないのだ。
「えっと……鳶一一曹、何をしていやがるので?」
「……ちょっとした精神統一。大したことではない」
「そ、そーでしたか……」
戸惑い気味に声をかけてきたのは、先程の演習で化け物じみた実力を見せた真那である。
Tシャツから顔を離すと、自分よりもさらに小柄な少女へ目を向ける。
一人で部隊全員の相手をしていたので、消耗もより大きいはず。
だというのに、随意領域を解除した今でもその動きは軽やかなものである。
こんな所でも実力差を見せつけられたようで、折紙の心境は複雑だった。
着替えに訪れたのであろう真那は、両手にスポーツボトルを持っていた。
その内の一方を、折紙に差し出す。
「これ、よければどーぞです」
「……ありがとう」
受け取って口をつけると、冷えた感触が喉を通り過ぎた。
流石に心にこびり付いた諸々までは落とせないものの、この清涼感は一時の安らぎにはなる。
折紙が一息つくと、真那は満足気に頷いた。
「流石〈ウィッチ〉に一太刀入れやがっただけはあります、中々でした。私もかすり傷とはいえ、人間に攻撃を当てられたのは久しぶりです」
嫌味でも何でもなく、純粋に技量を評価しているようだった。
折紙としては全く歯が立たなかったという印象なので、正直複雑なのだが。
「日本のASTは、数年前に貴重な人材を放逐しやがったって話みてーですし。まったく、うちの社長が聞いたら嘆きやがりますよ」
「……社長?」
「ああ、実は私、DEM社からの出向でして。まぁ、そこらへんは気兼ねなしで接してくれてかまわねーです」
真那の口から出た社名は、折紙の知るところだった。
正式名称はDeus Ex Machina Industry……これを縮めてDEM社と呼んでいるのである。
世界的な大企業であり、手がける分野は様々だが、特に抜きん出ているのは顕現装置の分野だ。
各国に供給される顕現装置のシェアの大半はDEM社が占めており、日本の自衛隊に提供されるものも例外ではない。
そして顕現装置の開発を担うだけあって、有能な専属魔術師も所属していると聞く。
この少女がそこからやってきたのなら、その恐るべき実力にも一定の納得は行く。
「うちの執行部長殿が一杯食わされたって話みてーですし、興味はあったのですが。たしかホムラとかいいやがりましたか? 〈不沈艦〉とも呼ばれてたみてーですけど」
ASTに数年前まで在籍していた〈不沈艦〉のホムラと言えば、穂村士道のことだろう。
精霊の攻撃を矢面に立って受け続けたことから、そのような二つ名で呼ばれているのだ。
もっとも、その〈不沈艦〉については他にも由来があるそうなのだが、折紙は詳しく知らない。
AST内では珍しい男性の魔術師であり、五年前の大火災の際に無断で顕現装置を持ち出して、懲戒処分を言い渡された元隊員である。
そして現在は都立来禅高校に務める教師であり、折紙の恋人でもある。
「にしても、ホムラですか――ホムラホムラホムラ……うーん」
その名前に思うところがあるのか、真那は連呼して唸った。
事情は分からないが、随分と興味を惹かれているようだ。
いくら幼いとは言えど、性別の上では立派な女性である。
本来ならば恋敵の可能性に警戒を深めるところだが、彼女に対してはそれが呼び起こされない。
それどころか、折紙は普段なら考えられないような行動を取った。
「もしかして、彼を知っているの?」
自分の荷物の奥に忍ばせた、被写体の目線がカメラとあってない写真を、真那に見せたのだ。
浮気相手は根絶すればいいという考えを持つ折紙だが、悪い虫がつかないに越したことはない。
よって、みだりに自身の恋人の情報を触れ回るような真似はしないのだ。
しかし真那は、何故だか彼と他人であるとは思えなかった。
どことなく士道と顔立ちが、そして雰囲気が似ているのだ。
「――もしかして、兄様……?」
写真を見てそう呟くと、真那は胸元から小さなロケットを取り出した。
そこに収められていた写真には、小さな男の子と女の子の姿。
それぞれ、士道と真那の面影があった。
これは一体、どういった事実を指し示すのか。
折紙と真那が抱いた疑問を口にしようとした、その時だった。
「二人とも、ちょーっとこっちに来なさい」
出口で、燎子が二人に呼びかけて手招きをしていた。
一見すると笑顔であるが、目は笑っておらず、額には青筋が立っている。
咎められる覚えがない二人は、顔を見合わせて首を傾げた。
「模擬戦で貴重な装備ぶっ潰しといて、揃って不思議そうな顔してんじゃないわよ!」
ロッカールームに、雷が落ちた。
そして二人はしばらくの間、説教で拘束されるのだった。
「まずいことになったわね……」
五河家のリビングで、琴里は深刻な表情で顎に手を当てた。
士道が家に帰り次第、最悪の精霊・時崎狂三と出会ったことを報告したらこうなったのだ。
とはいえ、危惧する理由は十分に分かる。
人間を意図して害する精霊を野放しにできないというのは、士道も同意見だからだ。
よって琴里の懸念に賛じたのだが、姪っ子は静かに首を横に振った。
「問題は〈ナイトメア〉だけじゃないわ。のんびりしてたら、もう一人が来るのよ」
「もう一人?」
「悪いけど、説明している時間がないの。士道は十香たちを見ててちょうだい」
情報の共有が欲しいところだが、一刻を争うというのなら引き止めることはできない。
疑問を抱きつつも、士道はわかったと頷いた。
「ところで、その時崎狂三に関して、まだ何か情報を隠してないでしょうね」
「隠してってな……人聞き悪いだろ」
「そもそも、顔見知りだったってことも初耳だったんだけれど?」
「うっ……」
確かに話していなかったことは事実なのだが、士道にしても狂三のことは、あまり思い出したくない記憶だったのだ。
それに、猫と戯れる様子を思い出すと、みだりに言いふらすのも躊躇われた。
その他に気になった部分といえば……
「そういえば、うちの制服着てたな」
「何それ、まさか来禅に転校してきたりしないわよね」
「そんなまさか、十香じゃあるまいし」
十香が来禅高校に生徒としていられるのは、〈ラタトスク機関〉の後ろ盾あってのことである。
そうでなければ、戸籍が存在しない精霊が高校に通えるはずがないのだ。
よって、狂三のあの格好もただのコスプレ……もとい、周囲に溶け込むための変装なのだろう。
「まぁ、来週からうちのクラスに一人、転校してくるけども」
「この時期に? 珍しいわね」
「確か、名前はときさき――――あっ」
その転校生の名前を言いかけて、士道は己の迂闊さを呪った。
どうして今まで、そんな一大事の情報を忘れていたのか。
言い訳をするなら、忘れていたわけではなく、情報が結びつかなかったのだ。
そちらの対応は、担任である岡峰珠恵に任せていたというのもある。
俄かに汗を流しだした士道に、琴里は目を細めて非難がましい視線を向けた。
「それで、その転校生の名前は?」
「時崎狂三と申しますわ」
週が明けて、二年四組の教室に一人の転校生がやって来た。
彼女の名は時崎狂三……最悪と呼ばれる精霊である。
「そちらの士道先生とは、色々とお世話になった間柄ですの」
そして、士道の日常を破壊しにやって来た、紛れもない侵略者でもある。
ざわめき出す教室内で一人、士道は頭を抱えるのだった。
というわけで次回に続く。
なんか登場人物が増えていくごとに分量も嵩んでいる気がします。
このままだと最終的にどうなってしまうのか……
ちなみに、何の順番とは言いませんがこんな感じです。
五→三→八→二→一→九→七→十
それでは、また次回。