士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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約半月ぶりにこんにちは。
何だかこれがいつものペースになっている気がします。

昨日更新しようと思ったらうっかり寝落ちしてしまったので、ニチアサならぬニチヨルに投稿します。


妹を名乗る不審者

 

 

 

 授業の合間には、十分間の短い休憩時間がある。

 正確には次の授業の準備に充てる時間で、真面目な生徒なら予習をするだろうし、宿題を忘れた生徒が慌てていたりもする。

 しかしそうでない生徒にとって、十分という時間は何もしないで過ごすには少々長い。

 移動教室や体育でもなければ、大体は教科書やノートを入れ替えるだけで済んでしまうのだ。

 かと言って何かをしようとするには、少々短すぎる。

 中には教室の外に出ていく精力的な者もいるが、全体から見たらその割合は少ない。

 なのでトイレ等の事情を除けば、大方の生徒は教室で時間を潰すことになるだろう。

 しかしながらその時間は、教員にとっては正しく準備時間となる。

 生徒と違ってほぼ毎回教室間の移動があるため、あまりゆっくりしている暇がないのだ。

 各クラス毎の進捗に合わせて授業内容の確認がいるし、場合によってはまた別の教材を用意する必要がある。

 特にまだ経験が浅い内は、事前の準備には気を使うだろう。

 今年の四月に来禅高校にやって来た新米教師である穂村士道も、それは同じはずなのだが……

 

「ええと、士道さん? 職員室とは反対方向に進んでいるみたいですけれど」

「悪い、さっきのは連れ出すための方便だ」

「まあ」

 

 士道は今、次の授業がある教室には向かわず、一人の女子生徒を連れて廊下を歩いていた。

 彼女の名は時崎狂三……今朝、士道の担当する二年四組に加わったばかりの転校生である。

 肩のあたりで二つに結わえた長い髪は影のように黒く、露わになった右目は血のように赤い。

 このように、士道が狂三に対してどこか不吉な印象を抱いてしまうのには理由がある。

 彼女の正体は精霊――正式には特殊災害指定生命体と呼ばれる存在である。

 精霊は『世界を殺す』とまで恐れられる存在だが、その理由の大半は現界と共に引き起こされる空間震にある。

 その中でも狂三は、とりわけ危険視されている個体だ。

 何故なら彼女は他の精霊と比較して、より多くの被害を出しているからだ。

 士道も過去に、銃口を向けられながら追い回された経験があるためか、こうしている今も緊張が拭えない。

 さらに、これからしようとしていることを考えると、余計に尻込みしてしまう。

 しかし、もたもたしている時間はない。

 十分という時間は、何かをしようとしたら決して長い時間ではないのだから。

 廊下を進み、屋上への階段を上っていく。

 屋上への立ち入りは制限されているが、その手前なら人目につかず、秘密裏に話すにはうってつけの空間なのだ。

 そういえば子供姿に変えられている時、折紙に屋上に誘拐された覚えがあるが、彼女は一体どうやってここの鍵を開けたのだろうか。

 気にはなるが、あまり深く考えてはいけないような気もする。

 基本的には模範的な生徒なので、問題とされるようなこともしていないだろう……多分きっと。

 士道は思考を打ち切って、狂三と向き合った。

 こうしているとやはり体が強張ってしまうが、彼女には言わねばならないことがある。

 拳を固く握りしめて、ゴクリと唾を飲み込む。

 

「あらあら、職員室と偽って、このような人気のない場所まで連れてくるだなんて――――」

「もう、勘弁してください…………ッ!」

「……はい?」

 

 そして平身低頭、床に頭を擦りつけるのだった。

 あまりにも予想外だったのか、狂三は目を点にした。

 

 

 

 

 

「……土下座だ」

「……土下座ですな」

「……土下座だね」

「……土下座ですね」

「……土下座しちゃいましたね」

 

 来禅高校のはるか上空に待機した、空中艦〈フラクシナス〉の艦橋。

 そこに集められた精鋭たちは、そろって同じ言葉を口にした。

 スクリーンに映し出されているのは、見事な土下座姿の士道だった。

 かの最悪の精霊との接触には、十分注意しなければならない。

 そのため士道には小型カメラを随行させていたのだが、まさかこのような場面を目撃することになるとは、誰も思っていなかったのである。

 反応に困ったクルー間に、気まずい沈黙が流れる。

 そんな中、艦長席の座面に頬を擦りつけていた副司令・神無月恭平が口を開く。

 

「――――なるほど、考えましたね」

 

 その感心したかのような言葉に、艦橋下部に座るクルーたちは顔を見合わせた。

 副司令は一体、この土下座からどんな意図を見出したのだろうか。

 尋ねようにも躊躇してしまうのには理由がある。

 少しオブラートに包んで言うのなら、彼は常人とは違う感性の持ち主なのだ。

 艦長席の座面に頬を擦りつけているのも、普段そこに座る司令官を思ってのことだろう。

 そして彼は珍妙な言動を繰り返しては、懲罰を受ける常習犯でもある。

 女子中学生にお仕置きを受けて歓喜の声を上げる様は、端的に言って変態である。

 まともな意見が出てくるかは甚だ怪しい。

 しかし、この艦の司令官――五河琴里は登校しているため不在。

 加えて、何かと頼りにされている解析官である村雨令音も、今はいない。

 彼女も士道と同様に来禅高校に勤めているため、授業があるのだ。

 令音はともかく、琴里は作戦開始時間――昼休みまでは姿を見せないだろう。

 つまり、現状で最も発言力があるのは、この神無月(へんたい)ということになる。

 互いに目配せをして頷くと、クルーたちは一斉に手を差し出した。

 ジャンケンである。

 パーが一人に、チョキが四人。

 普通、人数が多ければ勝負は決まりにくくなるものだが、今回は一瞬で決着してしまった。

 幾度もの出会いと別れを経験した〈早すぎた倦怠期(バッドマリッジ)〉川越は、己の開いたままの右手を見つめて沈痛な面持ちをした。

 一応、この場にいる者の中では副司令に次ぐ立場なので、適役と言えなくもない。

 咳払いをして覚悟を決めると、単刀直入に説明を求める。

 

「――コホン……副司令、一体あの土下座にはどのような意味が?」

「よくぞ聞いてくれました!」

 

 待ってましたと言わんばかりに、神無月はぴょいんと立ち上がった。

 川越はパンドラの箱を開けたかのような心地になった。

 

「黒タイツ越しのパンツは人類の至宝と言っても過言ではない。それを拝むとなれば、自然と姿勢も低くなるというものです……そう、あのように!」

 

 ビシィッと、神無月は力強く艦橋スクリーンに映る士道を指さした。

 川越は最早声をかけたことを後悔した。

 

「しかし彼もまだまだ詰めが甘い……いくら至宝を拝むためとはいえ、いきなりの土下座ではただ相手を困惑させてしまうだけ」

 

 しかし熱く語ったかと思うと、次の瞬間には残念そうに首を横に振った。

 話を振った当人は、ようやくの真っ当な発言に胸を撫で下ろした。

 

「ここはやはり仰向けで廊下に寝そべり、彼女にパンツを見られているということを意識させるべきだったんですよ……!」

 

 だが神無月はあくまで神無月(へんたい)だった。

 川越は頭を抱えた。

 

「そうすることで自ずと、相手からの踏み付けという素晴らしいご褒美……もといスキンシップが――ああっ、司令! もっと強く……ッ!」

 

 仰向けになってビタンビタンと跳ねる変態は、まるで陸に打ち上げられた魚だった。

 それを目の当たりにしたクルーたちは、一刻も早い司令官の到着を切望するのだった。

 

 

 

 

 

『時崎狂三は精霊である』

 

 それはもうどうしようもなく取り返しのつかない、世界に刻まれた事実だ。

 とっくの昔に受け入れているし、今更どうこう言うつもりもない。

 

『〈ナイトメア〉は最悪の精霊である』

 

 多くの人間を手にかけてきた自覚はある。

 だから最悪と称されるのも悪夢(ナイトメア)などと呼ばれるのにも、好む好まざるとは別に納得があった。

 自身の目的を思えば、感傷に浸っている暇は……そもそも、そんな資格すらありはしない。

 ――そう、狂三にはとある悲願があった。

 そしてそれを果たすためならば、如何なる悪逆にも手を染める覚悟があった。

 そんな自分を人間が恐れるのは無理もないし、目の前で地面に頭を打ち付ける男には、過去に銃を向けたことがある。

 当時の自分はまだ若く、突発的な出来事や不本意な呼び名に対する動揺が大きく、ともかく感情のままに命を狙ったのは確かだった。

 つい先日も、キャットフードを購入する金銭に困窮しているなどという酷い誤解をされ、思わずぶっ放してしまったのだが、それは相手の自分に対する誤ったイメージを是正するために仕方なく取った、いわば緊急的な措置である。

 精霊と言えども体面やら沽券やら、そういうのがあるのだ。

 つまりこの土下座は命乞い……狂三はそう解釈して、どうにか冷静さを取り戻した。

 

「ふふ……そのように怯えないでくださいまし。いくらわたくしでも、なにもいきなり命を奪ったりは――――」

「もう十香や折紙の件で俺の世間体がピンチなんです! どうか何卒! 何卒っ、生徒たちに誤解を招くような言動だけは控えていただきたく…………ッ!」

「……はい?」

 

 命乞いは命乞いでも、社会的な方面のようだった。

 またしても狂三は困惑した。

 少しばかり揶揄うつもりはあったものの、ここまで深刻な反応は予想していなかったのだ。

 どうやらあの淫行教師というあんまりな呼ばれ方には、相当堪えているらしい。

 これが、既に二人もの精霊を篭絡した男の姿かと思うと情けなく思えるが、事前に多少リサーチした人柄と照らし合わせれば、納得はある。

 そのなりふり構わない様子に、思わず口元が綻んでしまう。

 

「士道さん、どうか顔をお上げになって――――」

「キャットフード代ならまた払ってやるから!」

「あの、士道さん?」

「月一万円ぐらいだったら大丈夫だから!」

「…………」

「路地裏で猫相手ににゃあにゃあ言ってたことは黙ってるから!」

「どうやら二度と口を聞けなくなりたいみたいですわねぇっ!?」

 

 それを口にされたらもう口封じ待ったなしなのだが、どうにか狂三は踏みとどまった。

 思わずぶっ放しそうになるのを、すんでのところで堪えるのだった。

 

 

 

 

 

『もう十香や折紙の件で俺の世間体がピンチなんです! どうか何卒! 何卒っ、生徒たちに誤解を招くような言動だけは控えていただきたく…………ッ!』

 

 艦橋スクリーンの中で切に訴える様は、精鋭たちの目頭を熱くさせた。

 彼らは士道の戦い(デート)をサポートする立場である。

 そして十香や七罪という精霊が身近にいる今、日常が戦場と言えるだろう。

 特に学校では、鳶一折紙という危険因子も存在する。

 十香と折紙に挟まれるという危地を、彼が如何にして潜り抜けてきたかをよく知っているのだ。

 その社会的立場を犠牲にする勢いで奮闘する様には、尊敬の念すら覚えるほどだった。

 先程はいきなりの土下座に困惑したが、今ではその悲哀が溢れる姿に涙を禁じ得ない。

 しかし、一人だけ士道に厳しい目を向ける者がいた。

 

「全く、穂村君は何もわかっていませんね……そこはむしろっ、お金を払ってでも踏んでくださいと懇願する場面でしょうがっ!!」

「副司令の言う通り、彼はまだまだ甘い。一日一万ならともかく、月一万では話になりませんな」

 

 訂正、二人だった。

 あろうことか艦橋クルーの一人である幹本が、士道に対してダメ出しをしていた。

 夜の街でも〈社長(シャチョサン)〉と呼ばれる彼は、そこで働く女性の心理に精通したプロフェッショナルである。

 まだまだ未熟な士道に物申すのは当然の流れなのかもしれないが、神無月(へんたい)と同じ側に立っていては、白眼視は避けられない。

 同僚からの冷たい視線に、幹本は誤魔化すように激しく咳払いをした。

 

「……これは一体どういう状況かな?」

「村雨解析官!」

 

 授業を終えた後なのだろう、艦橋に姿を現した白衣姿の令音に、椎崎は歓喜の声を上げた。

 声には出さなかったが、他のクルーも同様だろう。

 副司令の独壇場をどうにかするために、全員で速やかに状況の説明を済ませると、令音はいつも通り眠たげな眼のままふむ、と頷いた。

 

「……とりあえず、この場は私が預かろう」

「是非そうしてください」

 

 真顔で懇願するような椎崎の言葉に首をかしげると、令音はマイクを手に取った。

 

 

 

 

 

『……シン、落ち着きたまえ。今は昼の約束を取り付けるのが先決だ』

 

 耳心地の良い声に、士道は正気を取り戻した。

 重大な作戦の前ということもあり、耳には朝から小型インカムを装着している。

 どうやら一限目の授業を終えた令音が、〈フラクシナス〉に上がったらしい。

 

『……時間は限られている。ここは簡潔に用件を伝えた方がいいだろう』

 

 そしてようやく、自分が狂三をここに連れてきた理由を思い出した。

 そう、もう勘弁してくださいと懇願するためではなく、一緒に昼を食べようと誘うためなのだ。

 誤解を招く言動は勘弁と言った傍からこれでは、どの口案件である。

 しかし狂三をデレさせるのが急務となれば、そこにこだわってばかりではいられない。

 いまだに抵抗はあるものの、誘いの言葉自体はするりと口から出て行った。

 これも訓練の成果かと思うと、複雑な心境だった。

 

「……お昼ご飯、ですの?」

「ああ。せっかくだし、君とは仲良くしたいと思ってさ」

「先程の、誤解を招くような言動は控えるようにというのは、わたくしの聞き間違いですの?」

「……それはまぁ、他の生徒に見られなければってことで」

「あらあら、士道さんったら。隠れて生徒に迫るだなんて、いけないお方」

 

 クスクスと笑う狂三に、何も反論できなかった。

 転校してきたばかりの女子生徒を二人きりの食事に誘うなど、下心があると見られてもおかしくはないのだ。

 これが生徒同士だったらまだ健全なものだが、士道は教師である。

 そして実際に下心がないかと言われれば、ある。

 それが決して邪な目的ではないのは確かだが、自分に惚れさせた上で唇を奪おうなど、下心だとしか言いようがない。

 

「わかりましたわ。わたくしとしても、士道さんとはゆっくりとお話したいと思っていましたの」

「そ、そうか……それで、昼は用意してきたのか?」

「実はわたくし、今日はお弁当を持って参りましたの」

「まさか、手作りなのか?」

「ええ、もちろんですわ」

 

 得意げに笑う狂三に、ゴクリと唾を飲み込む。

 その様子から、出来栄えに自信があるのは窺い知れる。

 一体精霊が作るお弁当とはどのようなものなのか。

 料理が趣味である士道の興味は尽きなかった。

 ともかく、相手が昼御飯を用意しているなら話が早い。

 こちらもお弁当を持参しているので、後は集合場所を決めればスムーズに事を運べるだろう。

 

「それじゃあ、昼休みになったら――――」

「はい、教室でお待ちしていますわ」

「……ちょっと待ってくれ」

 

 嬉しそうに笑う狂三に、士道は待ったをかけた。

 何故ならつい先程、他の生徒に見られないならと言ったばかりなのだ。

 教室まで迎えに行っては、注目を集めるのは目に見えている。

 もう既に、今日は二回ほど嵐が吹き荒れているのだ。

 昼休みに迎えに行っては、三度目が起こりかねない。

 というか彼女は、何が面白くて笑っているのだろうか。

 魅力的な笑顔だとは思うが、植え付けられた印象とは乖離している。

 その真意が全く見えないことも相まって、このような態度を取られるたび、士道の胸中には困惑が渦巻くのだ。

 

「できれば待ち合わせって形にできないかな?」

「そうできたら大変素敵なのですけれど……わたくし、この学校には来たばかりでして、校内にはまだ不案内なのですわ」

「……なるほど」

 

 言われてみれば、もっともな話だった。

 まだこの学校に来たばかりで、右も左もわからないのは当然だ。

 待ち合わせも片方が地理に疎ければ成立しない。

 しかし、迎えに行くのであれば波乱は必至。

 生徒が騒ぎ立てるのは前提として、昼休みとなれば十香や折紙までもが動き出しかねない。

 ううむ、と士道が唸っていると、再び通信が入る。

 

『……ここは彼女の提案を呑むべきだろうね。十香や鳶一折紙に関しては、私がフォローしよう』

 

 こちらの懸念を察してくれたのだろう。

 彼女のフォローは正直複雑なところはあるが、この場では非常にありがたい。

 腹を決めると、士道は狂三の提案に応じるのだった。

 

 

 

 

 

「なるほど、ここが高校というやつでいやがりますか」

 

 来禅高校の校門の前で校舎を見上げる、見た目の上では中学生程の少女が一人。

 ポニーテールに、左目元の泣き黒子。

 短めのキュロットにパーカーというラフな格好は、少なくとも遅刻してきた生徒というような風体ではない。

 少女の名は崇宮真那。

 陸自の対精霊部隊、通称ASTに補充要員としてやって来た、凄腕の魔術師である。

 部隊内での立場はやや特殊であり、こうして平日の昼間に出歩いているのも、その特殊な立場が絡んでいる。

 彼女が今行っているのは、言うなればパトロールだが、ここにいるのはそのついでだった。

 そして、そのついでというのは人探しであり、彼女はホムラなる人物を訪ねてやって来たのだ。

 

『うげっ……穂村ぁ? どこでその名前を聞きつけてきたのよ』

 

 苦々しい顔をした隊長にしつこく食い下がって得た情報によると、ホムラはこの来禅高校で教師をしているらしい。

 そのホムラとは、五年程前にASTから放逐された元隊員である。

 記憶処理を施された立場ということもあり、現隊員は軽はずみに接触するような対象ではないのだが、真那は彼に興味があった。

 彼女の本来の所属であるDEM社には、世界で最強と名高い魔術師がいる。

 その最強に一杯食わせたという魔術師が、件のホムラなのだ。

 日常面においてはともかく、戦闘面において悠久のメイザースは確かに最強だ。

 その彼女が忌々しげに語る男に、興味が湧かないはずがなかった。

 もちろん現在は一般人という立場のため、必要以上の接触はしないつもりだ。

 ただ、彼がどのような人物なのか、それが純粋に気になっているだけである。

 強いて言うのなら、そのホムラという名前が妙に気になるというのもあるのだが。

 記憶の中には影も形もないが、自分にはそんな名前の()()()がいたような気がするのだ。

 

「鳶一一曹もここの生徒でいやがりましたか。もっと詳しく話を聞いておくべきでしたね」

 

 そしてこの高校には、真那の同僚である鳶一折紙も通っているらしい。

 高校生が陸自に所属しているなど本来ならばありえないことだが、そのありえないが却下されるのが、現代の魔術師の世界である。

 資質を持つ者が限られるため、そういった年齢等を無視した措置は珍しくないのだ。

 真那の場合もやや特殊な事情が絡むが、大枠ではその特例に当てはまる。

 折紙とは結局、先日の模擬戦以来話す機会を得られていない。

 彼女への印象は筋の良い魔術師、といったところだが、真那の最大の関心は別の部分にある。

 ホムラと真那の生き別れの兄……折紙はその双方を知っているような素振りを見せたのだ。

 つくづく、あの時に隊長の説教という横槍が入ったのが悔やまれる。

 何はともあれ、ホムラはこれから会いに行くところだし、兄の件はまた改めて話を聞けばいい。

 真那は来禅高校の敷地内に足を踏み入れ、そのままスタスタと入口へと向かった。

 

「あ、あなた! 校舎に入るならちゃんと靴は履き替えてくださぁい」

 

 そしてそのまま上がろうとしたところ、見咎められてしまった。

 見ると声の主は、ややサイズの合っていない眼鏡をかけた小柄な女性だった。

 注意をしているが、声が間延びしているせいで今一つ迫力がない。

 制服は着ていないが、教員を務めるような年齢には見えない。

 もしや自分と同じように外からの来報者だろうか。

 

「この学校の生徒ではないみたいですけど……もしかして来校希望ですか?」

「生徒じゃねーというのはそっちも同じみてーですが」

「それはまぁ、私は教員ですからねぇ」

「……What's?」

 

 ついネイティブっぽい英語が漏れてしまった。

 DEM社はイギリスが本拠であるため、英語が標準語なのだ。

 それはそうと、聞き間違いでなければこの女性は教員であるらしい。

 真那は日本の雇用制度について詳しく知らないが、飛び級という制度は知っている。

 この年齢で教員として働いているのなら、さぞ優秀なのだろう。

 しかし年齢に縛られずに能力を重視するというのは、何とも好ましいやり方だ。

 つい先日、ASTで人を見かけで判断する愚を正したばかりだというのに、自分の勘違いにはただ恥じ入るしかない。

 

「失礼。その年で教員をしてやがるとは、人は見かけによらねーもんです」

「もぉ、何を言ってるんですか。こう見えて私はもう二十九――――かふっ」

「ちょ、ちょっと!」

 

 いきなりその場にくずおれた女性教師の体を、咄嗟に支える。

 脈拍、呼吸、体温に異常はないが、何らかの持病があるかもしれない。

 最悪の場合は救急車を呼ぶ必要があるだろう。

 真那が大真面目にそんなことを考えていると、腕を掴まれる。

 こちらも見かけによらない強い力だった。

 何というか、執念というか、どこか怨念じみたものを感じさせた。

 気圧されて頬を汗が伝う。

 これほどの緊張は、精霊と対している時に比するかもしれない。

 

「後一年もしないうちにアラウンドが取れてサーになっちゃうんです! サーは嫌です! せめてサーになる前にゴールインしたいです!」

「お、落ち着きやがってください! サーは男性への敬称なのであなたはマムですよ!」

「いやぁあああ! 同級生から子供が出来てマムになりましたって報告がぁぁぁっ!」

 

 

 

 

 

 四時限目の終了を告げるチャイムが鳴ると、職員室内はどこか弛緩した空気に包まれた。

 午前中の授業の終了……つまりは昼休みである。

 生徒と同様に教員にとっても休憩のこの時間は、気を緩められる一時でもある。

 じきに授業に出ていた教員たちも戻ってくるだろう。

 今この場にいるのは、四時限目が空きコマだった教員たちである。

 その中の一人である士道は、お弁当の包みを取り出すと、緊張した面持ちで席を立つ。

 これから一緒に昼を食べる約束をしているのだ。

 普段は一人で食べるか、一人で食べている時に折紙が乱入してくるか、十香と食べるか、十香と食べようとしている時に折紙が乱入してくるか、それからたまに令音と食べるかだ。

 傍から見たら、相手をとっかえひっかえしたり、かち合って修羅場になっているように見えなくもないが、ただ一人を除いて士道にやましい意図はない。

 しかし今日の場合は、三人とは別の全く新しい相手である。

 時崎狂三……今朝二年四組に加わったばかりの転校生。

 そして精霊でもある彼女は、士道の攻略対象なのだ。

 つまりこれは立派な作戦行動の一環なのだが、第三者目線ではそう見えないのが辛いところだ。

 男性教師が大っぴらに女子生徒を食事に誘うのは、他意があると思われかねないのだ。

 デレさせるのが目的なのでむしろ正解なのだが、士道に邪な意図がないことだけは声を大にして言っておきたい。

 もちろん余計な騒ぎを避けるために誘う際は人目を避けたのだが、それがかえっていかがわしさを演出していたような気がしてならない。

 ともかく、これから向かうのは紛れもなく戦場である。

 まず手始めに、二年四組の教室まで狂三を迎えに行かなければならない。

 それだけでもうヤバい予感しかしないのだが、そこは令音のフォローを信じるしかない。

 そして迎えに行った後は屋上でランチという流れだ。

 本来なら屋上には鍵がかかっていて立ち入れないのだが、そこは〈ラタトスク機関〉の工作員がどうにかしてくれるらしい。

 秘密組織の工作員などいよいよ映画じみた設定だが、これは現実である。

 思い返せば十香の攻略中も街で色々やってくれたが、あれもその一環だろう。

 耳にインカムがちゃんとはまっていることを確認して、士道は職員室を出た。

 しかし、すぐ近くの階段に差し掛かったところで、足を止める。

 丁度階段を上ってきた少女と目が合ったのだ。

 目を引くのはポニーテールに泣き黒子。

 キュロットにパーカーという格好から、来禅の生徒ではないだろう。

 少女は士道をジッと見つめたまま、足を止めていた。

 そして士道も、少女から目が離せなくなっていた。

 猛烈な既視感が、頭の中に打ち込まれた楔のように、存在を主張していたのだ。

 覚えのないはずの記憶が、濁流のように溢れる。

 あまりの勢いに、どれも確たるイメージとして認識するのは不可能だった。

 ただ、その中から一つの名前がこぼれ出た。

 

「――――ま、な……?」

 

 士道は生まれて間もなく、穂村の家に引き取られた養子である。

 生き別れた実の家族のことなど、知る由もない。

 だというのに、目の前の少女に自分との血縁を感じずにはいられなかった。

 それに同調するように少女は駆け出し、士道の胸に飛び込んできつく抱き着いてきた。

 

「――兄様……ッ!!」

 

 飛び込んできた少女とその言葉を、呆然と受け止める。

 頭の整理は何一つ着きそうにない。

 周囲がざわついているが、混乱している頭では気に留める余裕はなかった。

 抱きつかれたまましばらく固まっていると、近くからすすり泣くような声が聞こえた。

 自分の胸に顔を埋める少女のものかと思ったが、それは違った。

 よく見ると少女の後方……つまり士道の前方に先輩教員である岡峰珠恵――みんなのタマちゃん先生の姿があった。

 目元を指で拭っている様子を見ると、泣き声は彼女のものだったらしい。

 

「よ、良かったですねぇ……」

「あの、岡峰先生はこの子を知っているんですか?」

「穂村先生に会いに来たそぉなので、真那さんをご案内していたところなんですよぉ」

「俺に、ですか?」

「それがまさか、生き別れのご兄妹だったなんて……ううっ、ほんとぉに良かったですねぇ」

 

 感動しているところ悪いのだが、士道としては今一つ以上に状況が飲み込めていない。

 この少女が何と説明したのかは分からないが、そんなあっさりと生き別れの兄妹というレアケースを信じてしまうのは、人が良すぎて心配になってくる。

 勿論、そんなタマちゃん先生だからこそ、生徒たちから慕われているのだとはわかっている。

 彼女は士道も尊敬する先輩教員なのだ。

 ただ、特定の話題になると途端に闇を噴出させることがあるのだが……

 今のところは落ち着いているが、彼女の荷物の中にチラつくとある書類に肝を冷やした経験は、一度や二度ではないのだ。

 何かまた下手なことを言えば、その書類に自分の名前を記入させられかねない。

 彼女の闇は、そんな恐怖を覚えさせるのだった。

 

「それじゃあ、兄妹水入らずで積もる話もあるでしょうし、私はこれで」

 

 そう言い残して、タマちゃん先生は職員室に引っ込んでしまった。

 混乱は残るものの、幾分か落ち着きを取り戻した士道は、自分たちが数多くの視線に晒されていることに気付いた。

 やや悪目立ちしている新米教師が、こんな年端も行かない少女に抱き着かれているのだ。

 注目を集めないわけがない。

 加えて言うなら、この昼休みというタイミングも悪い。

 今は授業から解き放たれた生徒たちが、わらわらと教室から出てくる時間帯なのだ。

 額にじんわりと汗を滲ませて、士道は自分の胸元にくっついて離れない少女に声をかけた。

 

「えーっと、君は……」

「はい! 兄様の妹の崇宮真那です!」

 

 ようやく体を離すと、少女は元気よく自己紹介をした。

 よく見ると、首から来校証をぶら下げている。

 崇宮真那……それがこの少女の名前のようだ。

 先程自分が呟いた名前は、確かに彼女のものだったらしい。

 またしてもぶり返した既視感に、士道は僅かに顔を歪めた。

 

「それにしても、兄様があのホムラだったとは……うん、流石は真那の兄様です!」

 

 あの、とは一体何を指し示しているのか。

 ここ最近轟いているのは、恐らく悪名ばかりだろう。

 背負わされた淫行教師という十字架の重さに、士道は涙を堪えた。

 しかし真那は少なくとも、ネガティブなイメージを持っている様子ではなさそうだ。

 こちらとしても彼女は他人と思えないし、兄と慕われて正直悪い気もしない。

 悪魔のような姉がいるため、可愛らしい弟か妹が欲しいと思っていたことがあるのだ。

 一度ゆっくりと話す場を設けたいところだが、もう作戦開始時間に差し掛かっている、というか遅刻を咎められる程度には過ぎている。

 せっかく訪ねてくれたところ申し訳ないが、ここは日を改めてもらうか、あるいは放課後まで待っていてもらうしかないだろう。

 士道が真那と目線を合わせるために屈んだ時だった。

 

「酷いですわ、士道さん。遅いと思ったら、まさか別の女の子の相手をしていらっしゃるなんて」

「く、狂三!?」

「時間になっても来られないので、様子を見に来たのですけれど――あらあら、あなたは……」

「――っ」

 

 その声は、昼休みという喧騒の中にあってよく響いた。

 時崎狂三……教室で待っているはずの彼女が、そこにいた。

 今まで士道に対してニコニコと笑顔を向けていた真那が、視線を鋭くしてその場から飛びのく。

 すぐにでも動き出せるようにだろう、腰を軽く落とし、その目には剣呑な光が宿る。

 

「何で貴様がここにいやがるんですか、〈ナイトメア〉」

「わたくし、今日からここの生徒ですのよ? 崇宮真那さん」

「悪い冗談ですね」

 

 二人のやり取りは、ある事実を端的に示していた。

 その〈ナイトメア〉という呼び名を知っていて、かつ精霊に名前と顔を覚えられている人間の素性など、自ずと限られてくる。

 自分の妹を名乗る少女、崇宮真那――――彼女は、魔術師だ。

 

 

 

 

 

「……また妙な状況になってるみたいね」

 

 自身が通う中学校の昼休みに合わせて〈フラクシナス〉に上がった琴里は、艦橋スクリーンに映し出された光景に、短くため息を漏らした。

 学校にいる間も逐一報告は受け取っていたので、事態は把握しているつもりだった。

 時崎狂三と昼の約束を取り付けたのは良い、というより大前提だ。

 その場所に屋上を選んだのは妥当な選択だろう。

 立入禁止されているため、あそこならば二人きりの食事を邪魔する者も現れないはずなのだ。

 そうして後は決戦を待つのみ……だったのだが、蓋を開けて見ればイレギュラーが生じていた。

 せめてここで事の成り行きを見守っていたら、もう少し落ち着いていられたのかもしれないが、緊急事態でもなければ授業をサボるわけにはいかない。

 司令官をやる上で、学校を疎かにする様では士道にも心配をかけてしまう。

 あんなのでも、一応は琴里の保護者なのだ。

 現在、来禅高校の屋上にいるのは三人。

 士道と、狂三と、そして見た目の上では中学生程の少女が一人。

 思いっきり私服なので、来禅高校の生徒ではないだろう。

 となると、ますますあの場にいる意味が分からない。

 一体何をやらかせば、二人きりのはずの屋上にあのようなお邪魔虫が発生するというのか。

 毎度のことだが、自分の叔父は想定外の展開を持ち込まないと気が済まないのだろうか。

 

「あの子は一体何者なのかしら?」

「詳しいところは不明ですが、名前は崇宮真那、穂村君の妹を名乗っています」

「妹ぉ?」

 

 クルーの報告に、琴里は口をへの字に曲げて、咥えたチュッパチャプスをガリッと噛んだ。

 たしかにあの少女はどことなく士道と面影が重なるが、にわかに妹などと言われても、はいそうですかと受け入れるわけにはいかない。

 仮に実の家族なのだとしても、士道は生まれてからずっと琴里の母の弟であり、琴里が生まれてからずっと叔父なのだ。

 それをぽっと出の家族などにくれてやる気はさらさらない。

 

「しかし、彼女は只者ではありませんね」

 

 そこらへんに這いつくばっていた神無月が、立ち上がると真剣な表情のままスクリーンに目を向けた。

 つい先程、この椅子の座面に頬を擦りつけていたのを折檻したばかりなのだが、全く堪えた様子がない。

 琴里は半眼視のまま、顎でしゃくって続きを促した。

 

「彼女の脚を見てください。タイツに覆われた脚は勿論、ニーハイが作り出す絶対領域も筆舌に尽くしがたい。しかし、あのように健康的なラインを惜しげもなく披露されては、嫌でも目が行くというもの。あの脚で蹴られることを考えるとこの神無月恭平、体の震えが止まりません」

「…………」

 

 額に手を当てると、琴里は無言でパチンと指を鳴らした。

 すると、艦橋に屈強な男が二人入って来て、神無月の両腕をガッチリとホールドして外へと引きずっていく。

 

「し、司令っ! お慈悲をっ! お慈悲をぉぉッ!!」

 

 スライドドアが閉め切られると、神無月の悲鳴も途切れた。

 如何なる状況でも揺るがないあの変態っぷりは、ある意味傑物なのかもしれない。

 

「街の様子は?」

「今のところ、異常はありません」

「そう。引き続き、警戒しておいて」

 

 そして〈ナイトメア〉を相手取るにあたって、もう一つ警戒しなければいけないことがある。

 それは〈デイドリーム〉と名付けられた精霊の存在だ。

 悪夢(ナイトメア)白昼夢(デイドリーム)……この両者が揃った時、何が起こるかは定かではないが、結果としてこれまでに二つの街が滅んでいる。

 街の設備もすぐ動かせるようにはしてあるが、精霊相手にどれ程の効果が期待できるものやら。

 勿論、むざむざこの街を滅ぼさせるつもりはないが、危険を呼び込まないに越したことはない。

 だからこそ〈ナイトメア〉の攻略は急務なのだ。

 最悪の精霊とぽっと出の妹を前に右往左往する士道に喝を入れるため、琴里はマイクを握った。

 

 

 

 

 

「…………」

「うふふ」

 

 狂三と真那……にらみ合う二人の少女を前に、士道は背中に嫌な汗を伝わせていた。

 しかしにらみ合うと言うには、視線の刺々しさが一方的だった。

 明らかな警戒を見せている真那に対して、狂三は涼しげな笑顔を崩さない。

 二人の間にある因縁は知りえないが、あのまま廊下で剣呑な雰囲気を放たれては堪ったものではない。

 そこで急遽二人を連れて屋上まで上がってきたのだ。

 その選択が吉と出るか凶と出るかはまだ分からないが、士道はまるでレフェリーにでもなったかのような気分に陥っていた。

 今頃はこの屋上で、狂三と二人きりの楽しいランチをしているはずだったのに……それはそれで地獄だったかもしれない。

 

『ちょっと士道。ボケッとしてないで、その妹を名乗る不審者を何とかしなさい』

「琴里、〈フラクシナス〉に上がってたのか」

 

 インカムから耳に届く、可愛らしくもツンツンした声は、士道の姪である琴里のものだ。

 作戦行動中ということもあり、今は反抗期……ではなく司令官モードのようだ。

 琴里は中学生ながら秘密組織の司令官を務める、非常に良く出来た子である。

 そして良く出来すぎて自分の休みを疎かにするところが、心配な点でもある。

 今日も中学校できっちり授業を受けた上で、今の作戦行動に参加しているのだろう。

 

『その女がいたら時崎狂三の攻略どころじゃないし、どうにかして遠ざけないと話が進まないわ』

「いや、それなんだけどな……あの子、魔術師だぞ」

『――なんですって?』

 

 士道は自分が察した真那の正体について、琴里に伝えた。

 狂三の〈ナイトメア〉という識別名を知っていること。

 そして精霊である狂三からその存在を認知されていること。

 少なくとも、それで一般人であるというのありえない。

 

『魔術師っていうことはAST……? 面倒なことになったわね』

「どうする? 正直、もう一緒にランチって雰囲気じゃないんだが」

 

 この状況でお弁当を広げられるのは、それはもう類まれなる精神力の持ち主に違いない。

 士道はもちろん、そのような剛の者ではない。

 そもそもそんな度胸があれば、精霊攻略も精神的にもう少し楽になっていただろう。

 

『そうねぇ……士道、学校サボりなさい』

「……Pardon?」

『耳か脳が腐ってるのかしら? 学校をサボれと言ったのよ』

「いやいや、流石にそれはマズいだろ……ッ!」

 

 同じサボるでも、教師と生徒では重みが違う。

 教師の場合は仕事をサボると同義であり、下手をしたら社会的信用を失いかねない。

 特に士道は新任という立場なので、そんなことをしたら評価はあっさりと地に落ちるだろう。

 

『マズいも何も、やるしかないの。わかってるでしょ?』

「……それはそうなんだが」

『時間が惜しいわ。体調不良でも何でもいいから、学校を離れて街に出なさい』

 

 体調不良で早退という形ならまだ体面は保てるかもしれないが、要するにそれは仮病である。

 かなりの抵抗があるが、ASTに察知された以上は取れる手立てには限りが出てくる。

 悠長にしている暇がないのも事実なので、士道はグッと堪えて飲み込んだ。

 街に出てどうするかは不明だが、琴里が言うのなら何か策があるのだろう。

 

『今なら街の設備がすぐに使えるわ。ASTも人目があるところで派手なことは出来ないだろうし、そのまま狂三とデートしちゃいなさい』

「おいまさか、転校初日の女子生徒と一緒に学校をサボって、街で遊べって言うのか?」

『当たり前でしょ。一緒にいないでどうやってデレさせるのよ』

「それもそうだけどさぁ!」

 

 琴里の言うことはもっともなのだが、狂三は転校初日で注目を浴びている生徒だ。

 加えて、今日はもう既に二度程、彼女の発言で嵐が巻き起こっている。

 それが、淫行教師などと呼ばれている教師と同じタイミングで早退するとなると、最早邪推の余地しかない。

 そしてそうするためには必然として――――

 

『というわけで、どうにかしてその妹を名乗る不審者を引き離しなさい』

「そりゃそうなりますよねぇ……」

『学校側への説明とかはこっちに任せて。令音が対応するわ』

「頼もしい限りだよ……」

 

 時々忘れそうになるが、令音は元々士道のサポートをする目的で来禅高校に在籍している。

 今も十香と折紙を引き止めていてくれることを考えると、本当に頭が上がらない。

 深く息を吐き出して、士道は状況が微妙に変化しているのに気づいた。

 聞こえる音は変わりないのだが、さっきから黙ってにらみ合っていた狂三と真那の視線が、士道に集中しているのだ。

 

「兄様、さっきから誰と話していやがるのですか」

「悲しいですわ。せっかく一緒にお昼をと誘ってくださったのに、無視なさるなんて」

「貴様はほざくな、〈ナイトメア〉」

「あらあら、わたくし、ちゃんと時崎狂三という名前がありますのよ? 真那さん」

「知ってて敢えて呼ばねーんですよ。こっちはとしては気安く呼んで欲しくねーもんです。反吐が出やがりますので」

「うふふ、難しいお方」

 

 二人を放置して独り言のような真似を続けていれば、怪しまれるのも当然だ。

 しかし士道への注目もそこそこに、二人はまた互いに向けて集中し始めた。

 狂三はより笑みを深め、真那の顔はより険しくなった。

 一触即発というか、段々と戦意が渦巻いてきたような気がする。

 インカムからは、引き続き真那をどうにかしろとせっつかれている。

 それにしても不審者だのあの女だのと、さっきから少々言葉がきついように思えるが、琴里には彼女に対して何か思うところがあるのだろうか。

 ともかく、作戦のためには真那をどうにかしなければならない。

 手を上げて呼びかけようとすると、険しい視線が今度は士道に対して向けられた。

 

「なあ、真那――――」

「大体兄様も兄様です! 澪さんというものがありながら――――」

 

 真那が発した言葉に、本人を含む三人全員が凍りついたかのように動きを止めた。

 士道は再三の既視感に顔を歪めて頭に手を当て、真那は困惑を顔に浮かべ、そして狂三は驚愕に目を見開いた。

 

「私、どうして……そんな名前、知らねーはずなのに……」

「たかみや……それに、みお……? ――――まさか、まさかまさかまさかまさか…………ッ!!」

 

 狂三を中心に、形のない圧力が噴出する。

 同時に、足元の影がその身体を這い上がり、ドレスを形成していく。

 血の赤と影の黒で彩られたそれは、精霊の纏う絶対の盾――霊装である。

 対応するように真那の身体が淡く輝いたかと思うと、次の瞬間には白い機械の鎧が出現した。

 ワイヤリングスーツにCR‐ユニット……完全に臨戦態勢だ。

 

「ついに本性を現しやがりましたね」

「ええ、ええ……真那さん。わたくし、あなたに俄然興味が湧いてまいりましたわ」

 

 激突寸前の二人を前に、士道はその場に膝をついた。

 インカムで琴里が何かを叫んでいるが、気に留める余裕はなかった。

 覚えのない記憶の奔流が、これまでにないほどの勢いで荒れ狂っていた。

 真那――覚えのないはずの妹……そして澪――覚えのないはずの恋人。

 その名を、判然としない面影を思い浮かべると、何故か()()に重なった。

 しかし記憶を塞き止めようとする何かが抵抗し、結果激しい頭痛が士道を襲った。

 痛みとは危険信号であり、人体には過剰な負荷に対するセーフティが存在する。

 プツン、とテレビの電源を落とすように、士道の意識が途切れる。

 

「貴様は多くの人を殺しやがりました。貴様がいると多くの被害が出やがります。――――貴様はこの世界にいちゃならねー存在なんです」

 

 意識が途切れる寸前、光の刃を構えた真那が士道の目に映る。

 そしてその言葉と、何より虚無を湛えた彼女の顔が、強く頭の中に残った。

 

 

 




士道くんの記憶の蓋がいまいち緩いのは、誰かと濃厚接触してるからかもしれません。
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