士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
「…………行ったわね」
人の気配が去ったことを確認した七罪は、物陰から顔を出してホッと一息ついた。
しかしそのすぐ後には、キョロキョロと周囲に警戒を張り巡らせる。
そして誰もいないことを確認すると、また別の物陰へと素早く移動した。
その様子はさながらスパイか脱走者といったところだが、彼女はそのどちらでもない。
こう見えても七罪は精霊――人間たちから天災と恐れられる存在だ。
しかしつい先日、偶発的にも力の封印を施され、とある組織でお世話になることになったのだ。
ここはその組織、〈ラタトスク機関〉が保有する空中艦〈フラクシナス〉の中である。
一般的には存在が秘匿されているらしく、そのことに胡散臭さを感じないでもないのだが、ここは穂村士道が所属する組織でもある。
どちらかと言えば疑り深い……どころか猜疑心でガッチガチな彼女が身を預けているのは、偏に彼に対する信頼があるからだ。
そうでなければ『精霊を保護している』などという文句を、簡単に信用したりはしないのだ。
そして実際、ここでの待遇は悪くないどころか、かなり良いとさえ言える。
そうしたらそうしたで今度は「こんなミジンコ以下の自分に何故……」という思考が湧いてくるので、それ以上はあまり深く考えないようにしていた。
ともかく七罪は現在、幽閉や監禁をされているわけではないし、この〈フラクシナス〉内ならば特に大きく行動を制限されているわけでもない。
だというのにこうしてスニーキングミッションを遂行しているのは、単純に人目が苦手なのだ。
とことんネガティブな彼女は、他人とのコミュニケーションには苦手意識しかない。
その苦手意識をどうにかするために理想の自分を作り上げたのだが、力を封印された今では変身することができない。
それなら部屋にこもっていればいいのかもしれないが、他人との接触に尻込みする割に、七罪は好奇心が旺盛だった。
「――っ」
人の気配を感じ、咄嗟に頭を引っ込める。
通り過ぎて行ったのは、この〈フラクシナス〉のクルーである。
確か、椎崎と箕輪だったか。
あの二人が以前に自分の部屋を訪ねてきたことを、七罪は覚えていた。
その時はまぁ、例によってまともに対応することが出来ず、あえなく撃退してしまったのだが。
物陰から通り過ぎていく後ろ姿を、何とも気まずい気分で見送る。
ここのクルーが、自分のために色々してくれているのはわかっているつもりなのだが、体と心はそう簡単に納得してくれない。
人と面と向かえば、条件反射のように被害妄想が湧いてくるのだ。
それを何とかするために、士道が協力してくれているが……七罪は今の自分を見直してみた。
ぺちぺちと頬を触ってみても、いつものカサカサとした感触はない。
これは丁寧な洗顔と下処理、そして軽い化粧によるものだ。
士道が施してくれたものを見よう見まねでやっただけだが、効果はあったように思える。
見た目の印象はさほど変わらないが、少なくとも触っても不快ではなくなった。
何というか、トゥルンとしているのだ。
髪もちゃんと洗った上で、きちんとドライヤーをかけてブラシを通している。
生来のくせっ毛は残念ながら撃退できなかったが、こうして二つに纏められる程度には大人しくなってくれた。
服装に関しては自分のセンスが全く信用できなかったので、セットで用意されたものをそのまま着用している。
部屋を出る前に鏡で自分の姿を見てみた時は、ひょっとするともしかして、万が一……いや億が一だが、悪くはないように見えたのだ。
(――って、何調子に乗ってるのよ私……!)
七罪は壁に頭を打ち付けて、調子に乗った自分を戒めた。
しかし予想以上に痛かったのか、額を押さえて通路の床にゴロゴロと転がった。
そして涙目のまま、浮ついた心を鎮めるべく言い聞かせる。
(落ち着きなさい、私。こんな存在自体が汚物みたいなのが、多少着飾ったところで――――)
『たとえ本人の口からでも、俺が気に入ってる奴を悪く言う言葉は、聞きたくないんだよ』
七罪にとって『自分は誰よりも劣る』というのが当然の認識なのだが、どこかの誰かにとってはそうではないらしい。
自分自身を卑下するような思い込みを途中で止めたのは、その奇特な誰かの言葉を思い出したからだ。
そしてその誰かにとって自分は、命を危険に晒してまで助けるほど気に入っている相手……とのことだ。
「うごぉぉぉ……」
悶絶して、七罪は再び地面に転がった。
今度は痛みではなく、体を内側からくすぐられるような、そんな感覚に襲われていた。
しばらくのたうち回ってから荒い息を吐き、立ち上がって壁に手をつく。
そして一息、というより盛大にため息をつくのだった。
「あれ、七罪ちゃん?」
「大丈夫? どこか具合悪いの?」
「ぎゃあああああああああっ!!」
不意に話しかけられ、七罪は飛び上がって悲鳴を上げた。
先程やり過ごしたはずの椎崎と箕輪が、何故か背後に立っていたのだ。
飛び上がって叫びだした七罪に、二人も驚いたのか目をぱちくりとさせていた。
「ご、ごめんごめん、驚かせちゃったね」
「お、落ち着いてくださーい。私たちは敵じゃないですよー」
「フーッ、フーッ……!」
まるで小動物のような威嚇だった。
そんな七罪に対して二人は汗を滲ませながら、敵意がないことを示すために両手を上に挙げた。
そして数呼吸の間を置いた後、威嚇の姿勢が説かれたことでようやく手を下げた。
少し冷静になった頭で、二人に気を使わせていることに気付くと、七罪は消えたくなった。
これ以上自分がここに居ると、二人に多大な不快感を与えてしまう。
そんな思い込みが湧いてきたのだ。
「あ、今日はオシャレしてるね。やっぱり化粧乗りいいなぁ……やはり年齢かっ」
「その服、私が選んだんですよ? うん、やっぱり七罪ちゃんに良く似合ってる」
精霊とは言え、力を封印された今の七罪は見た目通り、貧相な子供と変わらない。
だから、近所の子供に接するような二人の態度も仕方がないのだ。
それよりも問題は、七罪の耳にかかった被害妄想というフィルターである。
これが他人の言葉に思いもよらない変換を加えて、彼女の脳まで届けているのだ。
今の二人の言葉がどう変換されたのかは割愛するが、七罪の脳内ではそれはもう酷い嘲笑と痛烈な皮肉の言葉となっていた。
逃げ出したい気持ちと叫びだしたい気持ちが、濁流のように押し寄せる。
それでも、士道が助けに来た時に抱いた思いは、まだ心の中に残っていた。
川底に沈んだ小さな石のようにちっぽけだけれど、誰かを信じたいという気持ちは流されずに、しぶとくもしがみつくように確かに息づいていたのだ。
ゴクリと唾を飲み込んで、乾いて張り付きそうになる喉を潤す。
そしてちっぽけな勇気を握り締めて、七罪は震えながらも口を開いた。
「あ……ありが、とう」
消え入りそうな声で発した言葉だが、二人にはちゃんと届いたようだ。
椎崎と箕輪はキョトンと目を丸くした後、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「うん、その格好を見せてあげたら、穂村くんもきっと喜ぶんじゃないかな」
「ですね。七罪ちゃんを変身させるんだ―って意気込んでましたから」
「べ、別に士道がどうとかは関係ないわよ……」
そっぽを向く七罪に、二人は笑みを深めて頭を撫でてきた。
急に近くなった距離感と生暖かい視線には正直、というか思いっきり居心地の悪さを感じるが、口をへの字に曲げながらも七罪はその場に踏みとどまった。
ここで逃げ出しては、せっかく勇気を出したのに台無しになると思ったのだ。
しかし、士道がどうとかは関係ないが、その感想はほんのちょっとだけ気になる。
もう仕事は終わっているのだろうか。
七罪は二人に、それとなく士道がどうしているのか尋ねてみることにした。
人にものを尋ねるのにも多大な精神力を消費するのだが、先程勇気をひねり出したことに比べれば、どうということはないのだ。
すると、椎崎と箕輪は顔を見合わせて、少し気まずげにその居場所を告げた。
「え……医務室?」
「あー、でも大したことはなくてね? ちょっと眠っているだけっていうか」
「その内目を覚ますと思うから、七罪ちゃんも顔を見せてあげてくださいね」
二人はまだ仕事があるのだろう、去っていく背中を今度こそ七罪は見送った。
そして足早に、例によってスニーキングしながら、士道が眠っているという医務室へと向かう。
検査の際に何度か通ったことがあるため、場所はきっちり覚えていた。
「お、お邪魔します……」
スライド式のドアを開けて恐る恐る中へ入ってみると、他に誰もいない室内に一人、士道が寝台の上に横たわっていた。
また何か無茶をしたのだろうかと思ったが、体には特に外傷はない。
胸がちゃんと上下しているのを見て、七罪はホッと胸を撫で下ろした。
しかし安心したのも束の間、また別の不安が胸の内から湧いてくる。
自分がここに来たのは、言うなればお見舞いのためなのだが、目覚めた士道に何故と問われて、果たして納得のいく返答ができるのか。
それどころか、士道が低血圧か何かで寝起きが悪い人だった場合、ここにいることを咎められてしまうのではないだろうか。
他人に邪険にされるのは七罪にとって日常だが、その相手が士道だったなら、勝手ながらも少し……いやかなり……どころか、滅茶苦茶へこんでしまう予感があった。
嫌な想像が胸中を満たし、自分は本当にここにいていいのだろうかと、緊張感が高まっていく。
「――ん…………」
ぐるぐると負のスパイラルに陥り始めた七罪の前で、士道が呻きながら寝返りを打った。
すると緊張感は一気にピークに達し、次の瞬間、七罪の体は光に包まれた。
暗闇の中、意識が浮上していく感覚。
自身の目覚めの兆候に際して、穂村士道が真っ先に感じたのは何やら良い匂いだった。
とは言ってもそれは、食欲を刺激するような類のものではない。
そもそも食事の用意は大体自分でしているため、寝起きに料理の匂いが出迎えてくれるというのは稀有な事態なのだ。
今、士道の鼻腔をくすぐるのは石鹸のような、花のような……なんと形容するべきか正確な所はわからなかったが、これと同じようなものを過去に何度か味わったことがある。
女の匂い――寝起きでまだ混濁した意識が、一気に覚醒へと向かう。
寝台に横向きになって寝ていた士道の目に飛び込んできたのは、白くて大きく深い谷間だった。
勿論、大自然の中で眠っていたわけじゃないので、自分のすぐ横が崖になっていて、寝返りの際に落ちそうになっているわけではない。
いきなり目の前に現れた女性の胸部に、弾かれるように視線を上げる。
「ふふ……おはよう、士道くん」
紛うことなき美女が、士道の隣で寄り添うように横になっていた。
気怠げに細められたエメラルドの瞳、完璧なプロポーションを誇る体に纏わりつく様に垂れた、艶やかな長い髪。
それだけならまだ良い……とは言い難いのだが、一番大きな問題は彼女の格好にあった。
大抵の者は、身に覚えのない状態で下着姿の異性が隣に寝ていれば、動揺するものなのだ。
その例に漏れず、士道は大いに驚いた。
「えっ、まっ、ちょっ――――」
ひっくり返りそうになるところを、どうにか寝台にしがみつく。
ゆっくりと身を起こした美女は、一度大きく体を伸ばすと、妖艶な笑みを浮かべながらその長い髪を掻き上げる。
その美貌も相まって、まるで映画かドラマのワンシーンのようだった。
健全な男性ならば見蕩れている場面かもしれないが、士道としてはそれどころではない。
顔を青ざめさせながら、恐る恐る呼びかける。
「な、七罪さん? い、一体どうして俺の隣に……?」
「あらぁ? そんなことを私の口から言わせるだなんて……士道くんのえっち」
「――――!?」
胸元を抱くようにして頬を染める様子は、あたかも何かがあったのだと示しているようだった。
いよいよ頭が真っ白になり始めた士道は、心の中で誰かに謝ろうとしたが、その相手も理由も、どうしてだか思い浮かばなかった。
まるで不自然な空白が、頭の中に存在しているようだった。
その違和感が、混乱する頭に幾ばくかの冷静さをもたらした。
「待て待て! そもそもどうしてお前、その姿になってるんだよ!?」
その冷静さで、士道は疑問を叫んだ。
叫んでいる時点で冷静さからはかけ離れているような気もするが、そもそもが混乱状態なのだ。
ともかく、士道の言う通り、彼女が今の姿でいることは本来ならばありえないはずだ。
自他共に自由自在に姿を変化させる権能を持つ精霊・七罪。
彼女はこちらの世界に現れる際に、その変身能力によって現状のように、自身が思い描く理想の自分の姿をとって活動をしていた。
しかし、精霊の力を封印された今となっては、ただの少女と変わらないはずなのだが――――
(ま、まさか……!)
士道の頭に、とある閃きが走った。
力を封印された精霊は霊力を失うが、一定の条件を満たせば力を取り戻すことがあるという。
即ち、ストレス。
過剰な負荷により精神が不安定になって、士道の体から霊力が逆流するという現象は、以前にも説明されているし身に覚えもある。
今の七罪がその状態だとしたら、その原因は……
「またあの変態に何かされたのか!?」
士道の頭の中に、爽やかな笑顔で親指を立てる
奴は一人で『女子中学生を見守る会』を発足させ、挙げ句の果てに通報された筋金入りである。
七罪に対しては前科もあるため、情状酌量の余地は存在しない。
食ってかかる勢いで、七罪の両肩を掴む。
「大丈夫か!? どこか変なとこ舐められたり、顔を踏むよう要求されたりしなかったか!?」
「えっと……」
迫られた七罪は、困惑に眉根を寄せた。
頬を薄赤く染める理由も変化していたが、士道がそれに気づくことはなかった。
しかし、彼女が作り上げた
逆に、迫る士道の頬を宥めるように撫で、陶然とした瞳でその顔を見上げる。
「もう……守るべきご主人様を押し倒すだなんて、イケない
「……はい?」
そのどうも噛み合わない指摘に、ロリコンの変態野郎への義憤を燃やしていた士道は、ようやく自分が何をしているのかを客観的に見つめ直す機会を得た。
スーツ姿の男(この際自分の格好は些細な問題だが)が、下着姿の美女を、寝台の上で組み敷いている。
おまけに、掴みかかった時の勢いが良すぎたせいか、何とは言わないが豊満なものが溢れそうになっていた。
そして悪いことは重なるものである。
泣きっ面にハチ、似たような意味の英文を訳せば、降れば土砂降り、となるだろう。
「――無事かっ、シドー!」
スライドドアが開いて、夜色の髪を翻して駆け込んできたのは、血相を変えた十香である。
その自分を心配している口ぶりに、士道は遅ればせながら、ここが〈フラクシナス〉の医務室であることに気がついた。
そして少し遅れて、今のこの状況を彼女に見られることが、どれだけマズいことなのかも。
「……ひ、人が心配して来てみれば……ッ!」
案の定というか、十香は目の前の光景にプルプルと震えだした。
士道にはそれがまるで、不機嫌というゲージが溜まっていくかのように見えてしまった。
膨れ上がる爆発の気配に、じんわりと額に汗が滲み出す。
とりあえずはこの、七罪を押し倒している(ように見える)体勢は非常によろしくない。
しかし、可及的速やかに体を退かそうとした矢先、更なる状況の変化が士道を襲った。
「――へくちっ」
全裸の一歩手前という薄着のせいだろう、七罪が小さくくしゃみをしたのだ。
すると、ポンッ、とコミカルな音を立てて、そのシルエットに変化が現れた。
小柄な少女――七罪の本来の姿。
先ほどとは打って変わって、エメラルドの瞳からは余裕というものが吹き飛んでいた。
作り上げた
口をパクパクとさせてワナワナとその身を震えさせる様は、十香と同じようにやはり、爆発前の雰囲気を思わせた。
段々とその顔が赤く染まっていくのも、爆発までの秒読みか何かだろうか。
前門の虎、後門の狼ならぬ、部屋の入り口に爆弾、真下にも爆弾である。
最早この状況に諦念を覚え始めた士道は、ここに至って逆に落ち着いた境地に達していた。
そして凪いだ心地のままで見てみれば、新たな変化も見つかるというもの。
ほんのりと化粧づいた肌、くせっ毛をどうにかするまでには至らないものの、梳られた髪は緩く二つに結わえられていた。
服の方も〈ラタトスク〉が用意してくれたのだろう、自室にいるときのザ・部屋着からは脱却していた。
七罪は、慎ましくもオシャレをしていたのだ。
つい先日、自分が彼女に化粧を施した際のやり取りを思い出して、士道は口元を綻ばせた。
自身の天使の能力に頼らずとも、七罪は変身を遂げようとしている。
ずっと俯いていた少女が前を向いてくれたことが、堪らなく嬉しい。
教師として、その努力を見ないふりは出来ない。
「よく似合ってる。頑張ったな」
よく出来ました、と頭を撫でる。
すると、ボルテージが振り切れたかのように、七罪の顔が一気に真っ赤になった。
被害妄想というか、ネガティブな思い込みの中で生きてきたため、褒められることにはまだまだ耐性が付かないのだろう。
今の言葉にしたって、士道以外の人間が言えばアクロバティックな解釈をされて、嘲弄の類だと受け取られかねない。
これからのためにも、是非とも慣れてもらわねばならないだろう。
「よしよし、かわいいかわいい」
さらに頭を撫でてやる。
反抗期によってめっきり減った姪っ子との時間が戻ってきたような気がして、士道は涙ぐんだ。
しかし失われた時間を取り戻そうとするあまり、自分が二つの爆弾を抱えていることはうっかり失念していた。
「ううううう……ううううううう~~~~っ!!」
部屋の入口の方から発せられる重圧……と言うよりも唸り声に、ようやく正気を取り戻す。
ぎこちない動きで首を回すと、十香がその紫水晶の瞳一杯に涙を浮かべて、今にも飛び掛かってきそうな体勢を取っていた。
「~~~~~~っ」
そして自分の下からは、声にならない声。
これまたぎこちない動きで首を戻すと、七罪が目をグルグルとさせていた。
最早決壊は目前――次の瞬間、声にならない声は悲鳴へと変わった。
「――――うきゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
第一の爆弾によって、士道の両頬に引っかき傷が刻まれた。
錯乱状態の七罪はジタバタと暴れだし、ひっくり返るように寝台の端まで追いやられる。
ジンジンと痛む頬に手を当てるも、事態はさらに進行していた。
爆弾は一つだけではないのだ。
「うがぁーーっ!!」
第二の爆弾……名付けるなら『シアートーカアタック』。
横合いからのタックルじみた突撃を受け止めて、士道は寝台から転がり落ちた。
その際にあちこち打ち付けてしまったが、その程度ならば怪我の内には入らない。
飛び込んできた十香にも怪我はないようで、何よりもそのことに胸を撫で下ろす。
しかしこの、馬乗りされた体勢はいただけない。
十香には何度かこうされる機会があったのだが、いずれも妙な事態に発展しているのである。
詳しく語ることは憚られるのだが、少なくとも教師と生徒が陥っていい状況ではないのだ。
寝台の上で錯乱している七罪も放っておけないが、今は差し迫った方を優先するべきだろう。
どうにか宥めようと、士道は十香に呼びかけた。
「と、十香? とりあえず落ち着いて話を――――」
「したのだな? したのだな!? また私以外の女とキスをしたのだなっ!?」
しかし、胸ぐらを掴まれてガクガクと激しく揺さぶられては、喋るどころではないのだ。
また何やら誤解している様子の十香に、どうにか精一杯声を張り上げる。
「――――ご、誤解だ! 俺はついさっき目が覚めたばかりなんだぞ!?」
「五回だと!? 寝起きだというのに、またそんなにもしたというのかっ!!」
「どーしてそうなるかなぁ!? というかこれ、前もやらなかったか!?」
「ええいっ、問答無用だ……!」
残念ながら、士道の悲鳴じみた主張は受け入れてはもらえなかった。
ただ、このままではまた五回も唇を奪われてしまうため、流石に抵抗をした。
実は十香との間には『他の女性とキスをしたら、それと同じだけ十香にもキスをする』という、何とも悩ましい約束がある。
どうしてそんな約束をしてしまったかはともかく、決して嫌がっているわけではないのだ。
というか、十香とのキスを嫌がる男が、一体どれほどいるというのか。
それどころか、その美しさを考えれば同性にすら受け入れられかねない。
しかしながら、そもそもが誤解の上に、そこには当然道義上の問題もある。
少なくとも士道が生きてきた現代日本において、自身のパートナー以外の異性とそういった行為を重ねるのは、問題があるとみなされるのだ。
ましてや、十香との表面的な関係は教師と生徒である。
道義上の問題の上にコンプライアンス的なものも加わるし、そういった行為が常態化した暁にはいずれ、ボロが出ないとも限らない。
……これに関してはもう既に若干手遅れな気もするが、開き直るわけにもいかない。
そもそも十香との約束にしても、前提条件が『他の女性とのキス』なのは明確な問題なのだが、そこには精霊攻略と言う事情がある。
やはり、精霊をデレさせるという行為は一筋縄ではいかない。
ゲームのように攻略したらそこがゴールではなく、彼女たちとの関わりは続いていくのだから。
今後、他の精霊の力を封印していったとして、果たして自分にどんな未来が待っているのか。
士道は非常に不安を覚えるのだった。
大航海時代ならぬ、大後悔時代が到来しないことを祈るばかりである。
修羅場という荒波に漕ぎ出すのは、是非とも勘弁願いたい。
「シドーよ、おとなしく唇を明け渡すのだ!」
「人の体の一部を、そんな土地や建物みたく言うのはやめなさいっ」
とはいえ喫緊の問題はこの十香との攻防である。
流石に霊力を封印されている状態ではこちらに分があるが、ご機嫌次第では逆転されかねない。
というか、こうして抵抗を続けていればその危険性は高くなる一方だ。
中々思う通りに行かないというフラストレーションが溜まった結果、霊力の逆流という可能性はありえない話ではない。
その状態の十香との力比べは、いくらなんでも無謀に過ぎる。
そうして押し負けてしまったが最後、士道の唇は蹂躙されてしまうだろう。
別にそうなったところで失うものはないのだが、先に挙げた諸々の問題がある。
それに士道も健康的な男性なので、いつ本能が十香に牙を剥くとも限らないのだ。
そして心の片隅には、ほんの僅かな罪悪感があった。
不毛な初恋に始まり、これまで恋人がいた例もなく、心に決めた相手がいるわけでもない。
ならば、小さなトゲのように存在を主張するこれは、一体何に由来するものなのだろうか。
何かとても大事なものを失った気がして、士道は空虚にその身を震わせた。
そしてその隙を十香が見逃す道理はない。
彼女は近接戦闘において無類の強さを誇る精霊である。
たとえ霊力を失ったとしても、戦闘におけるセンスが損なわれるわけではない。
勘所を押さえ、勝機を自分のものとする感覚が、その身に染みついているのだ。
だがしかし、十香はその機を見送った。
武力において無双の精霊である彼女は、また同時に優しい心根の持ち主でもあった。
そんな彼女が、己の勝機を見逃す理由は――――
「――シドー……泣いているのか?」
「はぁ? そんなはずは……あれ、本当だ。どうして俺、こんな……」
自分の頬を伝う雫に、士道は首を傾げた。
この涙の理由はおろか、自分が泣いていた事にさえ気づいていなかったからだ。
「悪い……はは、こんな年にもなってみっともないよな」
馬乗りになった十香をやんわりと退かすと、涙を拭う。
最近は理不尽や悲しい現実によく涙しているような気がするが、こんな風に泣いたのは一体いつ以来だったろうか。
ともあれ、湿っぽくなりそうな空気を払拭するため、士道は立ち上がると声を張り上げた。
「よし、今晩は肉食おうぜ! 和牛だぞ、和牛。美味いぞ~」
取り繕った態度なのは確かだが、これが空元気かと言われればそうでもない。
実のところ、休んでいたおかげか体の調子は良い感じなのだ。
この訳の分からない罪悪感や喪失感も、きっと体の調子に合わせて気にならなくなるだろう。
自分を心配してか浮かない顔の十香に笑いかけると、士道はいまだに寝台の上でジタバタする七罪を宥めにかかるのだった。
「琴里、入るぞ……」
「あら、士道。もう平気なの――――って、なんでそんなにボロボロなのよ」
「ちょっとな……」
七罪を部屋まで送り、更に十香を家に帰らせた士道は、何だかボロボロになっていた。
精霊の……というよりは、多感な女子の相手は骨が折れるものなのだ。
ヨレヨレのスーツ姿のままで訪れたのは、琴里の部屋である。
とは言っても、ここは自宅である五河家の部屋ではない。
天宮市のはるか上空、一五〇〇〇メートルを浮遊する空中艦〈フラクシナス〉内の、艦長に割り当てられた執務室である。
士道にとって執務室とは、書類に埋もれているイメージなのだが、〈ラタトスク〉ではペーパーレスが進んでいるらしい。
それとも既に処理が済んでいるのか、デスクの周りは整然としたものだった。
しかし、作戦行動後は少なからず事後処理に追われるものだ。
現在はもう夕刻だが、琴里の帰りはまた遅く……下手をすると今日は帰れないのかもしれない。
室内に設置された時計の針が刻々と動く様を見て、士道は今日の出来事を振り返る。
時崎狂三……士道の担当クラスに転校生としてやって来た、最悪と呼ばれる精霊の少女。
崇宮真那……来禅高校まで士道を尋ねてやって来た、妹を自称する魔術師の少女。
この二人が屋上で対峙している場面を最後に、本日の学校での記憶は途切れていた。
その後は空間震警報で授業どころではなくなり、校舎に被害はなかったものの、警報解除後は下校となったらしい。
二人の激突の隙を縫って〈フラクシナス〉に回収された士道は、つい先程まで気絶していたので、大体五時間はぐっすりしていたということになる。
最近(というより〈ラタトスク〉に所属してから)は、慢性的に疲れ気味だったのもあるだろうが、そんなに眠っていれば体力も回復するだろう。
「ちょうど良かったわ。いつまでも入口に突っ立てないで、ちょっとこっちに来なさいよ」
琴里はデスクチェアに腰掛けたまま、クイクイと手招きをした。
そのやや居丈高な様はクソ姉貴……もとい彼女の母親の面影を思わせるものである。
悲哀を背負いながらも、士道は手招きに応じて琴里の傍まで寄った。
態度はともかく、こちらを見上げてくるクリクリっとした目は相変わらず可愛らしい。
思わず頭を撫でたくなるが、今の状態ではすげなく手を払われるのがオチだろう。
残念な気持ちを、思わず漏れそうになるため息と共に飲み込む。
「そうだ、今晩七罪を連れ出してもいいか? うちで一緒に晩御飯でもって思ってるんだが」
「そうねぇ……まあ、うちだったらいいんじゃない? ここに居るばかりじゃ息も詰まっちゃうだろうしね」
「よし、ならお前も参加な」
「生憎、これでも暇じゃないのよ。私はいいから十香でも誘ってあげなさいよ」
とまぁ、予想通りというか、夕食の時間には帰らないつもりらしい。
十香の時もそうだったのだが、七罪がここに来てからというもの、琴里には休んでいる様子がない。
立場上忙しいのはわかるが、保護者としては少しだけでもいいから休憩を取ってもらいたい。
しかし馬鹿正直に言ってしまえば、自己管理は出来ていると返されるだけである。
なので士道は、建前を用意してやることにした。
「十香を誘うのは勿論だけど、封印して間もない精霊もいるわけだし、誰かがついてた方がいいんじゃないか?」
「士道がいるじゃない」
「おいおい、組織に入って間もないヒラにそんな大役押し付けるなよ。な、司令官様?」
琴里の言う通り、実際は士道さえついていれば問題はな……くもないが、どうにかなるだろう。
小型カメラを飛ばせば〈フラクシナス〉からでも見守ることは出来るし、下手に人数を増やせば七罪の精神状態に悪影響が出かねない。
それでも、この先七罪が外に――それこそ十香と同じように学校に通うことを考えると、やはり琴里が適任なのだ。
……という考えもないわけではないが、二人に友達になってほしいというのが、琴里に休んでほしいのと並ぶ本音だった。
友達というのは誰かに用意されるものではないが、機会を用意するくらいなら許されるはずだ。
「ほら、七罪が十香みたいに学校に通うなら、お前ぐらいの子たちと一緒になるんじゃないか? それならまずは琴里で慣らしていった方が良いだろ」
「……まぁ、それはそうだけど」
歯切れが悪くも、こちらの考えにも一理あると感じているようだ。
もう一押しぐらいでイケると見切った士道は、最後はわかりやすい手に頼ることにした。
「あーあ、今日の晩御飯はハンバーグなのになー」
「へ、へぇ……そうなのね」
「しかも和牛のミンチを使った、肉汁たっぷりのスペシャル仕様なのになー」
「――――!?」
明らかな動揺を見せた姪っ子に、士道はほくそ笑んだ。
建前を用意した上で好物をチラつかせれば、効果は抜群というものだ。
これでもおよそ十四年、伊達に叔父はやっていないのだ。
「そ、そういうことなら仕方ないわね。十香や七罪の様子も気になるし、私も一緒に食べるわ」
「よーし、なら奮発して今日はデザートも用意しちゃうか」
「え、デザートもあるの? それなら――――って、違う違う!」
デザートという言葉に目を輝かせた琴里だったが、何かを思い出したかのようにハッとした。
思いっきり話がそれていたが、士道を部屋に招き入れた以上、何らかの用事があるのだろう。
咳払いをしてから顔を引き締め、手元のキーボードを操作する。
「これ、士道も一応確認しておいて」
そして、あまり気持ちのいいものじゃないけれど、と前置きして、琴里はとある映像をデスク上のディスプレイに表示させた。
士道が横からのぞき込むと、画面の中で向かい合うのは二人の少女。
血の赤と影の黒で彩られた霊装を纏った精霊――時崎狂三。
ASTで使用されているものとは違う、白銀のCR‐ユニットを纏った魔術師――崇宮真那。
少し離れた位置に、情けなくも倒れた自分の姿も確認できる。
恐らくは士道に随行していた小型カメラが捉えた映像だろう。
映像の中で二人は何やら話しているようだが、距離があるせいか音は拾えていない。
そして、狂三の背後に巨大な時計が姿を現した。
その文字盤に、長針と短針としていつもの二丁銃が収まっていたところを見ると、あの時計こそが彼女の天使の本体なのだろう。
天使を顕現させた精霊と、光の刃を構えた魔術師――いつ激突してもおかしくはない。
士道の予想を裏付けるように、真那が弾かれるように飛び出した。
しかしその『飛び出した』というのは、結果からの推察に過ぎない。
単純なスピードもさることながら、何よりも行動の起こりが早すぎた。
肉眼では、まるで真那が瞬間移動したようにしか見えなかったのだ。
総じて超人じみた力を誇る魔術師の中においても、彼女は群を抜いている。
それが元魔術師としての、士道の素直な感想だった。
だが、ここで驚くべきなのはその点ではない。
文字通り目にも留まらぬ速さの真那を目視することが出来たのは、その動きが停止したからだ。
勿論、映像を停止させたわけではない。
その証拠に、画面の中の狂三は悠然と動きの止まった真那へと歩み寄り……一度、二度、三度、四度――――何度も何度も、丁寧に、確実に、執拗に、その四肢を撃ち抜いていく。
それから間もなく、真那は手足を血まみれにして地面に転がった。
何が起こったのか正確に理解するには及ばないが、恐らくはこれが狂三の天使の能力だろう。
痛ましい光景に士道は顔を顰めるも、目は逸らさない。
これは記録された映像――もう終わった出来事なのだ。
自分にできるのは、最後まで見届けることだけだ。
「……これ、何やってるんだ?」
「さぁ? 熱を測ってるわけじゃないのは確かね」
しかし、思い浮かべた最悪の結末は訪れない。
狂三は何を思ったか、動けなくなった真那と額を重ね合わせていた。
真那の後頭部に銃口を押し当ててはいるものの、あれでは自分にも弾が当たってしまう。
だというのに、一欠片の躊躇いもなく、狂三は短銃のトリガーを引いた。
一体その行為に何の意味があったのかは分からない……あるいはそれも天使の能力なのか。
弾丸で頭を諸共撃ち抜かれたはずの二人は絶命することはなく、しかし変化は訪れた。
動かなくなった手足を震わせながら、真那が苦しみ始めたのだ。
これが最悪の精霊の目論見だとして、その表情には疑問が残る。
尋常ではない苦しみ様に眉をひそめる姿はまるで、思いがけずに何か不快なものを目の当たりにしたような……そんな印象を覚えた。
狙いがどこにあるのかはともかく、望んでいた結果ではなかったのかもしれない。
やがて狂三は、苦しむ真那に対して再度短銃を向けた。
あまり気持ちのいいものじゃない、という琴里の前置きが頭をよぎる。
最悪の展開を思い浮かべた士道だが、予想は再び裏切られた。
銃弾を受けた真那の体の損傷が、
ぐちゃぐちゃにされた四肢は形を取り戻し、流れ出した血液までもが体内に収まっていく。
その時を巻き戻したかのような光景もそうだが、何より敵対する相手を癒すという行動に、困惑が隠せない。
「あいつ、一体どういうつもりなんだ……?」
「彼女の目的も能力もはっきりしないのは確かだけど、今更議論に意味はないわ」
「今更?」
琴里の言葉の意味を図りかねて、士道は首を傾げた。
しかしオウム返しの問いに返答はない。
チュッパチャプスを咥えたその横顔は、どことなく沈痛な面持ちに見えた。
その答えが示されたのは、直後の事だった。
「なっ――――おい、嘘だろ……!?」
「残念ながら見ての通りよ。精霊〈ナイトメア〉――時崎狂三は、討滅されたわ」
立ち上がった真那が光の刃を振りかぶると次の瞬間、狂三の頭部は胴体から切り離されていた。
断面から血を勢いよく噴き出しながら、首から上を失った体がゆっくりと倒れていく。
あんなにも優位に立っていたというのに、それが覆るのは一瞬のことだった。
いや、そもそも彼女の行動は不可解な点が多すぎた。
言ってしまえば、相手を仕留められるチャンスなどいくらでもあったはずなのだ。
だが琴里の言う通り、今となっては全てが遅すぎる。
転がり落ちた首の、生気を失った赤と金の瞳が、士道の胸を締め付けた。
時崎狂三という精霊に対していい思い出はない――それどころか、恐怖さえ抱いていた。
それでも、路地裏で野良猫と戯れる様子が頭から離れない。
そして、自分が手を下した死体を無感動に見下ろす真那の顔が目に入る。
その瞳に蟠る虚無を、士道は確かに感じ取っていた。
「こうして攻略対象がいなくなった以上、作戦は続行不可能よ。お疲れ様」
「…………そう、か」
喉元に何かが引っかかっているが、それを吐き出すことが出来ない。
それならばと、グッと飲み込んで士道は笑ってみせた。
「じゃあ、俺は七罪に声かけてから買い物に行くとするかな」
「……しーくん、無理しなくても――」
「なーに心配してるんだよ。しけた顔してたら、今日の晩御飯が台無しだぞー?」
琴里の頭をワシャワシャと撫でてから、執務室を出る。
手を振り払われなかったのは、やはり気遣われていたのかもしれない。
部屋を出る際に視界の端に映った琴里の表情は、まるで泣き出す一歩手前のように見えた。
攻略対象を死なせてしまったことか、それともそれほど心配をかけてしまったのか。
理由はともかく、自分で目元を拭っていたので、士道は部屋の中には戻らないでおいた。
司令官モードの時に下手に慰めては、プライドに傷をつけてしまうかもしれない。
自分の不甲斐なさが身に沁みるが、それは今日の晩御飯で挽回させてもらうとしよう。
とりあえず〈フラクシナス〉を降りる前に、七罪の部屋だ。
連れ出すにしても本人の意思確認をする必要がある。
先程はパニックになっていたが、少し時間を置いたので多少は落ち着いているだろう。
というか、また大人の姿に変身していたということは、やはり霊力が逆流してしまう程ストレスを溜めているという事だろうか。
医務室では終始バタバタしていたため詳しい事情は聞けなかったが、それとなく確認はしておいた方が良いだろう。
顎に手を当てながら考え事にふける士道は、やや前方不注意だった。
それでも人の姿があれば気付けるだけの注意は払っていたのだが、そこは場所が悪かった。
艦内通路の曲がり角に差し掛かったところで、胸元に軽く衝撃が走る。
「――っと、すみません。前方不注意でした」
「……それはお互い様のようだ。すまなかったね、
床に尻もちをついた女性を助け起こす。
村雨令音……〈ラタトスク〉で解析官を務め、来禅高校では士道と同じく二年四組の副担任。
寝不足なのか常に足取りが覚束なく、目元には分厚いクマを蓄えた女性だ。
美人ではあるのだが、どこか捉えどころがないという印象の方が強い。
来禅高校では白衣を着用しているが、今は〈ラタトスク〉の軍服姿だ。
そのポケットからは、いつものクマのぬいぐるみが顔をのぞかせていた。
総じて普段の彼女なのだが、士道はどこか違和感を覚えていた。
(ちゃんと名前で呼ばれてるはずなのに、何だかしっくりこないんだよな)
ならばどう呼ばれればしっくりくるのかというと、それもまた思い浮かばない。
自分の記憶と認識に何か齟齬があるような気がして、首を傾げる。
それじゃあ、と歩き去っていく令音の後ろ姿を見ても、特に何かが思いつくわけではなかった。
ただ、その背中が妙に寂しそうに見えるものだから……
「あの、令音さん」
士道は思わず、声をかけていた。
しかし言葉は全く用意していなかったので、呼び止めておいて黙り込むという、何とも情けない状況が出来上がってしまった。
これが精霊攻略の最中なら、インカムからお叱りが飛んでくるだろう。
何にせよ、振り向いたままこちらの言葉を待っている彼女を、放置しておくわけにはいかない。
そして、あーでもないこーでもないと苦慮した末に出したのは、誘いの言葉である。
「これから十香たちとうちで晩御飯にするんですけど、良かったら一緒に食べませんか?」
「……今は少々立て込んでいてね。申し訳ないが、今回は遠慮させてもらおう」
「いえ、こっちこそいきなりですみません」
「……別に構わないさ。十香たちをよろしく頼むよ」
その口ぶりが何だか『母親』のように思えてしまって、いやいやと首を振って思い直す。
未婚の女性に対する感想としては、少し失礼かもしれない。
しかしそこで士道は、自分が彼女について何も知らないことに気が付いた。
そもそもとして、未婚だというのも勝手な想像だったのだ。
「にしても、フラれちまったかぁ」
その後ろ姿が完全に見えなくなってから、士道は冗談めかして独り言ちた。
令音との関係は表においても裏においても同僚であり、それ以上でもそれ以下でもないはずだ。
だというのに、心の片隅では何かがチクリと主張するのだった。
これ以上は際限なく長くなりそうなので、ここで切ります。
次あたりはまた新しいキャラも出てくるかなー?
そしてそうするとまた分量がかさむという……