士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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日曜深夜にどうも。
……まだ深夜25時台なので日曜でいいはず。

なんかどんどん文量が増してる今日この頃です。


自称妹、姪っ子、赤の他人

 

 

 

「――ここが兄様の今のお家でいやがりますか」

 

 暗くなり始めた空の下で、街灯が道を照らす。

 その光を浴びながら、『五河』と書かれた表札の家を見上げる少女が一人。

 彼女の名は崇宮真那……外見で言えば中学生程の、ポニーテールに泣き黒子が特徴的な、ラフな格好をした少女である。

 そして幼い容姿ながらも、世界でも五本の指に数えられる程の実力を誇る魔術師でもある。

 日本において魔術師は通常、陸上自衛隊の対精霊部隊、通称・ASTに所属するものだ。

 彼女の場合も一応という言葉はつくが、その例に漏れない。

 陸自に籍を置き、かつ寮住まいならば外出も制限されるものだが、真那は今日、日中から堂々とこの天宮市を散策していた。

 とはいえそれは「規則なんか知ったこっちゃねー!」というアウトロー的な振る舞いではなく、そこには彼女が持ち合わせた特殊な事情が絡んでいる。

 本日はその特殊な事情が関係する仕事を終え、AST本部にて諸々の処理や報告を済ませたら、既に日が傾いていたという次第だ。

 しかし、真那が特殊な事情にかこつけて天宮市を散策していたのには、また別の理由がある。

 かの悠久のメイザースが忌々しげにその名を呼ぶ、ホムラ……それが彼女の本来の目的だった。

 元魔術師である彼がとある高校で教師をしていると知り、訪ねに趣いたのだ。

 果たして、そこで出会ったのは――――胸元から銀色のロケットを取り出し、開く。

 中に収められているのは、やたらと色褪せた写真だった。

 そこには今より幼い真那の姿と、彼女によく似た面影のある少年の姿があった。

 真那には過去の記憶がない。

 そして、自分のことすらわからないまま、魔術師としての才覚を見込まれて戦ってきた。

 最悪と呼ばれる精霊を()()()()()のが、日常になっていたのだ。

 そんな日々を乗り越えてこられたのは、この写真のおかげだろう。

 この世界のどこかで自分の家族が生きている……そう信じることが真那のよすがとなっていた。

 穂村士道――かつてASTに所属していた元魔術師であり、現在は都立来禅高校に勤める教師。

 世界最強に一杯喰わせたという彼を訪ねるのが、今日の主目的だったはずなのだが、真那は彼に自分の持つ写真の中の少年の面影を認め、そして彼も名乗っていないはずの真那の名を呼んだ。

 それだけで十分だった。

 たったそれだけで、真那は穂村士道が自分の兄だと確信した。

 今日の昼は思わぬ邪魔(と言うには思いっきり本来の仕事だったのだが)が入ってしまったが、士道とはまだ話したいことがあるし、確認したいこともある。

 戦いの最中の記憶は何故か曖昧で、彼がいつ屋上から姿を消したのかは分からない。

 空間震警報が解かれた後に学校に問い合わせてみたら、体調不良で早退したとのことだ。

 電話口で応対してくれたのは、来禅高校を訪ねた際にお世話になった女性教員である。

 たしか、生徒からタマちゃんと呼ばれていた覚えがある。

 生徒と間違われそうな……下手をしたらさらに年下と見られかねない容姿の女性だが、年齢に関しては随分と敏感なようだった。

 その際に感じた執念、というか怨念を思い出して、冷や汗が一筋頬を流れる。

 それはともかく、向こうも真那の事を覚えていたようで、あっさり士道の住所を教えてくれた。

 そうして現在、真那はその住所にある家を訪ねようとしているのである。

 しかしこの表札の『五河』とは、士道の現在の苗字である穂村と一致しない。

 教えられた住所はここで間違いないため、何らかの事情で厄介になっているのかもしれない。

 だとしたら、実の妹として礼を欠かすことは出来ない。

 意を決して、インターホンのボタンを押し込む。

 

「はいはーい――って、あなたは……」

 

 すると無機質な呼び出し音に少し遅れて、ドアが開いた。

 顔を覗かせたのは、真那と同年代の少女である。

 こんな時間に突然の訪問をしたせいか、警戒されているようだった。

 しかしその訝るような視線よりも、真那には気になることがあった。

 この少女の顔に、見覚えがあるような気がしたのだ。

 

「失礼、どこかで会ったことがありやがりますかね?」

「残念ながら、あなたのことは全然全く、これっぽっちも存じ上げないわよ」

「そうですか」

 

 すげない返答にさして残念がるわけでもなく、淡々と頷く。

 過去がすっぱり抜け落ちている真那にとって、記憶はあまりあてにならないのだ。

 それよりも今は士道の事だ。

 本来の用件を伝えるため、口を開こうとした時だった。

 

『待て待て待て待て! 二人同時にってのは無理だから、ここは一人ずつ――――』

 

 家の中から聞こえた切羽詰まった声に、真那は即座に動き出していた。

 士道の声――ようやく出会えた兄が窮地に見舞われている。

 そう思っただけで居ても立ってもいられなかった。

 

「あっ、こら! 待ちなさいっ!」

 

 電光石火で開いたドアの隙間に身を滑り込ませ、制止の声や手を振り切って中へと踏み入る。

 そして二階へと続く階段のすぐ傍にあるドアを、蹴破る勢いで開いて中に転がり込んだ。

 

「――――兄様! 無事でいやがります……か」

「あーんだ、シドー! さあ、おとなしく口を開くのだ」

「ほらほら、士道くん。十香ちゃんのより、こっちの方がぜぇったい美味しいわよぉ?」

「ぬっ……こ、こっちの方が七罪のよりも、ずっとずっとおいしいに決まっているのだ!」

「いや、それどっちも俺の焼いたハンバーグだから……」

 

 扉の先のリビングでは、何やら士道が二人の美女に挟まれていた。

 その光景を目の当たりにして、真那はしばし口をあんぐりとさせるのだった。

 そして真那を追ってリビングに飛び込んできた少女は、どこからか取り出したチュッパチャプスを咥えて、ため息を一つ吐いた。

 

「とりあえず士道、こっちは何とかしておくから、その子を連れて二階に上がって」

「お、おう……二人とも、悪いな。ちょっとお客さんの相手をしなきゃだからさ」

「むう……客人が来たとなれば仕方あるまい」

「ううっ、悲しいわぁ……士道くんったら、別の女の子の所に行っちゃうのねぇ……」

「人聞きっ!」

 

 そうやって宥める様は、なんだか手馴れているようにも見える。

 生き別れの兄のそんな姿に、真那の眉は自然と吊り上がるのだった。

 

 

 

 

 

「…………」

「あの、真那さん?」

 

 五河家の自室にて、士道は大変気まずい思いをしていた。

 相手を刺激しないようにか、呼びかけは恐る恐るといった様子であった。

 デスクチェアに座って腕を組み、脚も組んでいるのは崇宮真那――士道の妹を名乗る少女だ。

 対して士道は床に正座である。

 部屋の主であるはずなのに、何とも情けない姿だった。

 正座したまま、真那の足先当たりに視線をさまよわせて、彼女が日中に学校まで訪ねてきたのを思い出す。

 また後でゆっくり話を、とは考えていたが、まさかあんなタイミングでこの家を訪ねてきたのは運命の悪戯か何かだろうか。

 果たして、二人の女性に左右から同時に迫られる男の姿に、一体彼女は何を思ったのか。

 士道は特に神を信じているというわけではないが、この時ばかりは呪いたくなった。

 事の発端は、夕食の最中にまで遡る。

 途中までは和気藹々とまではいかずとも、それなりに良い雰囲気で食事をしていたはずなのだ。

 十香は贅沢和牛のハンバーグに唸りを上げていたし、琴里も本人は冷静なふりをしていたが、明らかに頬を緩ませていた。

 渋々着いて来た七罪に関しては、部屋の隅に陣取っていたため、テーブルに着かせるまでそれなりに時間はかかったのだが。

 そこは十香の裏表のない、無邪気な態度がうまく作用した。

 目を輝かせながら一緒に食べるのだと手を引かれ、七罪は観念したようだった。

 恐る恐るといった様子だったが、ハンバーグに口をつけてからは表情が明るくなったので、作った側としても冥利に尽きるというものだ。

 そして程なくして、十香と琴里からおかわりのリクエストが来て、同じように食べ終わって何か言いたそうにしていた七罪の分も追加で焼いて……ここまでは良かった。

 問題はその後、士道が三人分のハンバーグのおかわりを用意している最中に起こった。

 焼きあがるまでの間、十香の目はテレビに向かっていたのだ。

 別にそれ自体は問題ではない。

 流石に食事が疎かになるなら注意はするが、テレビを見るなと言うつもりはないし、このゴールデンタイムに不健全な番組はやっていないだろう。

 むしろ、アニメに夢中になる十香を微笑ましく思っていたぐらいだ。

 しかし、その内容がよろしくなかった。

 とは言っても教育上よろしくない描写があったわけではない……ただ、間が悪かった。

 どうやらそのアニメの中で、カップルが食べさせ合いをしていたらしい。

 それに大いに感銘を受けた十香が、自分もやりたいと言って士道に迫ってきたのだ。

 初めてのデートの時のことを思い出したのか、それはもう目をキラキラとさせていた。

 抵抗はあったが、断れば機嫌が斜めになるのは目に見えている。

 琴里が口を挟んでくる様子もなく、というか視線でむしろGOサインを出していた。

 手早く済ませようと受け入れたのだが、そこで別の問題が発生した。

 七罪である。

 何やら唸りを上げたかと思うと、次の瞬間には大人姿に変身していたのだ。

 そして色気を強調して士道に迫るものだから、それで十香の闘志にも火が付いたらしい。

 結果、士道は二人に迫られる羽目になっていたというわけだ。

 

「――真那は悲しいです」

 

 この部屋に入るなり士道に正座を促して(ほぼ強制)から、難しい顔で押し黙っていた真那が、重々しく口を開いた。

 

「まさか兄様がこんなジゴロになっていようとは……!」

「そうとしか見えなかったかもしれないけど、色々とちょっと待とうか!」

 

 ちなみにジゴロとは、簡単に言うと『女性に貢がせる男性』という意味である。

 十香と七罪に迫られる姿が真那の目にはそう映ったのかもしれないが、どちらかといえば士道は彼女たちのために奔走している立場だ。

 貢がせるなんてもっての外で、そこは声を大にして否定するしかない。

 なお、ジゴロとは女誑しの類語であり、そっち方面から責められたら士道は黙るしかなくなる。

 悲しいことに、積み重なった事実が動かしがたい証拠として鎮座しているのだ。

 というか、リビングに残してきた二人は大丈夫だろうか。

 特に七罪は大人の姿になって安定しているように見えるが、そもそもあれは精神状態が悪化した結果である。

 先程のような日常のワンシーンでそうなったのには面を食らったが、そもそものメンタルを考えたら納得ではある。

 ひとまず琴里の指示に従う形で、こうして二人きりで対面しているわけなのだが……

 

「入るわよ」

 

 士道が釈明(いいわけ)を連ねているところ、琴里が部屋の中に入ってきた。

 その手に持ったティーカップからは湯気が立ち上っている――匂いからして紅茶だろう。

 きちんとソーサーも備えており、その上にはミルクと角砂糖も乗っかっていた。

 一応は客人をもてなす姿勢を見せているが、その目には疑いの色が増し増しだった。

 

「どうぞ」

「どうも」

「――それで、あなたは()()()()()()()に何の用なのかしら?」

 

 ティーカップを真那に手渡すと、琴里は切り出した。

 あからさまに『うちのしーくん』の部分を強調している。

 それが、大好きな叔父を取られまいとする対抗意識だったなら、士道としては感無量なのだが、姪っ子は最近反抗期気味なのだ。

 大方、いきなり現れた士道の実妹を名乗る少女に警戒しているのだろう。

 同じ立場だったら自分もそうする。

 少し話は変わってしまうが、もし仮に、琴里の恋人を名乗る男が現れようものなら、穏便に済ませる自信はない。

 

「おおっ、もしかしてこのお家の方でいらっしゃいやがりますか!? 崇宮真那と申します!」

「え、ええ……五河琴里よ」

 

 満面の笑みで、真那は琴里の手を取って握手をした。

 その踏み込みというか、身のこなしはやはり常人の動きではない。

 瞬く間に、半ば無理矢理手を取られて、琴里はやや腰が引けているようだった。

 黒リボンをしている時の態度としては珍しい。

 

「うちの兄様がお世話になっていやがります!」

「……それ、一体どういうことかしら? しーくんには姉はいても妹はいないはずよ」

「はっ……! まさか私に、生き別れの姉様もいた……!?」

「いやいや、うちのお母さんはあなたの姉様じゃないから」

「じゃああなたは、兄様の姉様の娘さん……? こんなに年の近い姪がいるとは……これからよろしくね、琴里」

「いやいやいやいや、こんな年の近い叔母とか複雑極まりないわよっ」

 

 どうやら引き続きペースを乱されているようだった。

 その様子を生暖かく見守っていた士道だが、姪っ子に睨まれたので慌てて目を逸らす。

 仕切りなおすようにコホンと咳払いすると、琴里は改めて真那に訝るような視線を向けた。

 士道はなんとなく受け入れてしまっているが、突然自分の妹を名乗る人物が現れたのなら、普通は疑って当然なのだ。

 そんな話をあっさりと信じてしまうのは、それこそタマちゃん先生ぐらいのものだろう。

 しかしながら、疑いはしても否定はしきれない事情というものがある。

 それは、士道が穂村家に引き取られた養子である、ということだ。

 実の家族については何もわかっていないため、可能性の上では妹がいてもおかしくはないのだ。

 とはいえ、見たところ真那とは十歳以上年が離れている。

 士道が引き取られたのはまだ赤ん坊の頃なので、彼女は生まれてすらいなかったはずだ。

 それなのに、会ったこともない士道を兄だと断言するのは、何とも奇妙な話である。

 それとも、そうするに足るだけの根拠があるのだろうか。

 

「なあ、真那」

「はい! 何でしょう、兄様!」

 

 士道が声をかけると、真那は心底嬉しそうに返事をした。

 今にも飛びついてきそうなその様子は、どことなくブンブンと尻尾を振る犬を思わせた。

 それとは対照的に、琴里の目は不機嫌そうに細められていく。

 言い知れぬ重圧に冷や汗を流しながら、士道は恐る恐る気になっていることを尋ねてみた。

 

「――君のご両親は? 元気にしてるのかな」

 

 この問いを口から出すのに、少しばかり勇気が必要だった。

 真那の言葉を信じるなら、彼女の両親は士道の両親でもある。

 生まれて間もなく引き取られたので、当然だが親に関する記憶はない。

 辛うじて覚えているのは、暖かな手の感触と、悲しみを含んだ声。

 この年になるまでに割り切ったことではあるが、気にならないと言えば嘘になる。

 別にどうしても会いたいわけではないし、今更顔を合わせて何かが変わるとも思えない。

 ただ、健在ならそれだけでいい……そんな思いを含ませた問いだった。

 

「さあ」

 

 しかし、真那は気負うでもなく、ただあっけらかんと首を傾げるだけだった。

 その様子に士道は絶句してしまった。

 全くないわけではないと思っていたが、考えたくはなかった。

 彼女も、自分と同じように捨てられただなんて――――

 

「ああいや、そういうことじゃねーと言いますか」

 

 言葉を失った士道の様子に何かを察したのか、真那は手を振って苦笑した。

 そしてティーカップに口をつけてから言葉を続ける。

 

「実はですね、ここ二、三年より前の記憶がすぱっとねーんですよ」

「……なんですって?」

 

 その記憶喪失だという申告に、琴里が口を挟んだ。

 そもそもが疑いにかかっていたのだが、いよいよその色が濃くなったようだ。

 

「自分の両親の記憶すらないのに、どうしてしーくんが自分の兄だなんてわかるのよ」

「それはですね……これを」

 

 真那は胸元から銀色のロケットを取り出し、中に収められている写真を見せた。

 やたらと色褪せた写真である。

 そこには、今より幼い真那の姿と――――何やら良く見覚えがある顔立ちの男の子。

 

「これ……もしかして俺か?」

「ちょっと待ってよ。そうだとしたら色々とおかしいでしょ」

「ん……あ、確かにそうだな」

 

 子供姿の自分の顔は、七罪との一件で記憶に新しい。

 なので、思わずこの写真の男の子が自分だと認識してしまったが、もしそうだとしたら、琴里の指摘通り噛み合わない部分が出てくる。

 まず、士道は生まれた直後に引き取られたので、真那と過ごした期間はない。

 当然だが、こんな写真を撮った記憶もない。

 そして、明らかに年齢が合っていない。

 写真の中の真那は見たところ、十に満たない年齢だ。

 だとしたらこの写真が撮られた時、士道は二十歳かそこらだろう。

 流石に成長期を挟んでしまっては、年齢の誤魔化しはきかない。

 十かそこらの子供を、成人男性と言い張るのには無理があるのだ。

 よく似てはいるが、ここは他人の空似と判断するのが妥当だ。

 

「なるほど……つまり兄様は、ここ数年で急成長しやがったということですね」

「どうしてそうなるのよ。なんだったらアルバムだってあるんだから」

「じゃあまさか、私はちょっと前まで冷凍睡眠(コールドスリープ)していた……?」

「んなわけあるかっ。他人の空似じゃないかって言ってるのよ」

 

 どうあっても兄妹説にしがみつく真那に琴里がツッコミを入れるが、当人はやれやれと軽く肩を竦めるのみ。

 どうやら自分の中で、強い確信があるようだった。

 そして正直なところ、士道も真那を他人だとは思えなかった。

 本人が言うように、兄妹だとするのなら色々と齟齬が生じるが、どこかしら血の繋がりはあるのかもしれない。

 例えるなら、年の離れた親戚の女の子が、兄と慕ってくるようなものだろうか。

 実の妹ではないにせよ、悪い気はしないのは確かだった。

 横暴な姉のおかげか、士道には弟や妹に対するほんのりとした憧れがあるのだ。

 そんな考えを見透かしたのか、琴里が鋭い視線を向けてくる。

 

「ちょっと、何デレデレしてるのよ。このロリコン」

「いや、いくらなんでも人聞き悪すぎだろ」

「あの、兄様……気持ちは大変嬉しいのですが、兄妹でそうなるのは、やっぱり倫理的にも問題がありやがると言いますか」

「お願いだから真に受けないでもらえませんかねぇ!?」

 

 士道が叫ぶと、真那はあはは、と笑ってティーカップの中身を飲み干した。

 そしてデスクチェアから立ち上がると、空になった容器を琴里に手渡す。

 

「それじゃあ、私はそろそろおいとまを。ごちそうさまでした」

「もう帰るのか?」

「ええ、兄様が無事に暮らしていやがるのは確認できました。こんなに可愛らしい姪っ子さんもいやがるようなので、真那は一安心です」

「そうか、なら送ってくよ。もう暗いしな。家、どこだよ?」

「あー……っと、それはなんと言いますか……」

 

 これまでのハキハキとした口調が一転して、何とも歯切れが悪そうに言い淀む真那に、士道はとある事実を思い出した。

 そしてその事実と共に、生気を失った赤と金の瞳が、頭を過ぎる。

 

(――やめろ、それは今、考えるべきことじゃない)

 

 両の拳を力いっぱい握りしめて、思考を引き戻す。

 真那は魔術師……寮住まいなら、士道を天宮駐屯地まで招くことになる。

 一般的には魔術師の存在も、こんな幼い少女が陸自に所属していることも秘匿事項となる。

 元魔術師とは言え、現在はその記憶を失っている(ということになっている)人間に晒していい情報ではない。

 お伺いを立てるように視線を向けると、琴里は無言のまま首を横に振った。

 司令官様としては、今ここで深掘りするべきではないという判断だろう。

 こちらも大概秘密組織なので、余計に突っ込めば痛い腹を探られかねないのだ。

 

「そうか、ならせめて外まで送らせてくれよ。それぐらいならいいだろ?」

「妹想いの兄様を持って、真那は幸せです!」

「はいはい、いいから帰るならさっさと帰りなさいよ」

 

 大げさに感激してみせた真那に対して、琴里は何とも煩わしげにシッシッと手で払った。

 これまでのやりとりから、あまり良い印象は抱いていないのは察せられたが、お客さんへの態度としてはよろしくない。

 後で注意しておくべきだろう。

 階段を下りていく真那の後を追う。

 跳ねるような足取りに釣られて、後頭部で括られたポニーテールが揺れる。

 その様に、士道は何とも言えない懐かしさを覚えるのだった。

 階下のドアの向こう――リビングからはテレビの音が聞こえた。

 おそらく十香たちが見ているのだろう。

 そういえば、琴里が二階に上がってきたということは、リビングには十香と七罪が二人きりということになる。

 勿論、そうなっても大丈夫という判断でその場を離れたのだろうが、気にはなる。

 大人しくしているということは、何か二人の気を引くような番組がやっているのだろうか。

 とはいえ、先程の騒ぎの発端もテレビなので、士道は思わず渋面で唸った。

 すると、リビングへのドアが開いて、意外な人物が廊下に出てきた。

 

「っと、すみません。危うく衝突しやがるところでした」

「……こちらこそ、少々不注意だったようだ」

 

 眠たげな目元に分厚いクマ、その頼りない足取りには今にも倒れそうな印象を覚えてしまう。

 村雨令音――〈ラタトスク機関〉の解析官にして、来禅高校で物理教師を務める女性だ。

 ここにいるということは、大方琴里が呼び出して、二人の相手を頼んだのだろう。

 士道が誘った時は何やら忙しそうな口ぶりだったが、司令官様の頼みとなればそうも言っていられなかったに違いない。

 

「令音さん、忙しいところすみません。二人は?」

「……今はどうにか落ち着いているよ」

 

 落ち着いているという言葉に、士道は驚嘆に唸りを上げた。

 十香はともかくとして、七罪を落ち着かせるのは大した手並みと言わざるを得ない。

 ジロジロと不躾な視線を向けてしまったせいか、令音が首を傾げる。

 その仕草に、何故だか顔が熱くなってしまった。

 

「あの、兄様、こちらの方は?」

「あ、ああ……こちらは村雨令音さん。来禅高校で一緒に働いてる同僚だよ」

「ははぁ……なるほどなるほど」

 

 何を納得したのか、真那は士道と令音を見比べてしきりに頷いていた。

 居心地が悪くなったような気がして、士道は廊下の天井へ目を向けた。

 

「崇宮真那と申します! いつも兄様がお世話になっていやがります!」

「……村雨令音だ。私も士道先生にはいつも助けられているよ」

 

 どちらかと言うと、いつも助けられているのは士道の方である。

 令音に対しては……まぁ、倒れそうなところを支えたことぐらいはあったかもしれない。

 直視しないように横目でその顔色を窺うと、僅かながら笑っているように見えた。

 無表情というわけではないのだが、基本的にあまり表情を動かさない彼女にしては珍しい。

 よっぽど真那が気に入ったのだろうか。

 

「ちょっと、階段の前で固まらないでよ。通れないでしょ」

「ああ、悪い悪い」

「――で、自称妹さんはいつになったら帰るのかしら?」

「言われずとも、もう帰りやがりますよ」

 

 階上から下りてきた琴里の少々嫌味ったらしい発言に、士道は頭を抱えた。

 黒リボンを装着している時は言動がきつくなるのは確かだが、真那に対してはやはり私情が入り混じっているように思える。

 これも後で注意しておくべきだろう。

 しかし真那が大して気にした様子でないのが、正直ありがたい。

 今もやれやれと言わんばかりに肩を竦めている。

 そんな妹(自称)の大人の対応に、士道が感謝を向けていると――――

 

「はー、血のつながりがねーと、余裕もなくていけませんね!」

 

 これまでの対応が一変、真那も琴里に対して挑発じみた言葉を投げかけるのだった。

 士道がぎょっとしている隙に、頬を盛大にひくつかせた琴里が食ってかかる。

 

「はぁ? 血縁だってそもそも証明されてないでしょうが」

「兄様は兄様です。間違いねーです」

「だから、それのどこに根拠があるのかって言ってんのよ!」

「直感にビビッと来やがりました! 兄妹の絆ってやつです!」

「結局何の根拠もないってことじゃない!」

 

 顔を間近で突き合わせて、姪っ子と自称妹がにらみ合う。

 比喩ではあるが、バチバチと火花が散る音が聞こえてくるようだった。

 今にも取っ組み合いが始まりそうな物々しい雰囲気に、士道と令音は顔を見合わせた。

 そして頷き合うと、二人を引き離しにかかるのだった。

 

 

 

 

 

「いやはは、少しばかり熱くなりすぎたみてーですね」

 

 もうすっかり暗くなった空の下で、真那は照れくさそうに笑った。

 確かに先程は琴里と言い合いになったが、それまで我慢してくれたことを考えると、どうにも申し訳ない気持ちが先行する

 ここにはいない姪っ子に代わって、士道は深々と頭を下げた。

 

「すまん。琴里のやつも、今日はちょっと冷静じゃなかったみたいだ」

「いやいや! そんな頭を下げられるようなことじゃねーですよ!」

 

 真那があわあわとしだしたので、謝罪もそこそこに顔を上げる。

 あまり強情に頭を下げて、逆に困らせてしまっては元も子もない。

 

「確かにムッときやがりましたけども、あれはきっと琴里さんが、兄様を大切に思っていやがるからだとも思うのですよ」

「そうだといいんだけどなぁ」

 

 少しばかり遠い目で、士道は呟いた。

 昔のように引っ付いてきてくれたらわかりやすいのだが、今の琴里は思春期の真っ只中だ。

 そんな多感な年頃の女子に「自分の事が好きか」などと尋ねようものなら、キモいと返されるのがオチである。

 そうなれば最早、自分がくずおれて泣き出す未来しか見えなかった。

 

「しかし、さっきの人たちは一体? 大変仲が良さそうに見えやがりましたが」

「あ、ああ……近所に住んでる生徒でさ。結構遊びに来るんだよ」

 

 十香たちの事情を馬鹿正直に説明するにはいかないので、士道は上辺の事実の一端だけ伝えた。

 世間的に精霊の存在は秘匿事項なのだ。

 士道もかつてはその秘匿事項を知る立場だったのだが、今はあくまで一般市民にすぎない。

 うっかり口にしようものなら、何故そんなことを知っているのかと突っ込まれてしまうだろう。

 そんな誤魔化しを見抜いたかはさておき、真那は士道にジトっとした視線を向けた。

 

「兄様の女性関係には正直、不安しかねーです」

「いやははは……その、なんだ? そこらへんは大丈夫だから……多分、きっと」

 

 その何とも頼りなさげな大丈夫に、疑いの眼差しが強くなる。

 半眼視を受けて、士道の頬に汗が滲む。

 この話題に関して一番不安を覚えているのは当人なので、言葉に願望が混じってしまったのだ。

 真那が小さく「矯正しなければ」などと呟いているのは気のせいだろう……多分、きっと。

 

「ああ、でもあの人なら良いんじゃねーかと思います」

「あの人?」

「ほら、村雨令音さん。きっとお似合いです。応援しますよ」

「令音さん? またどうして」

「名前で呼び合ってやがるじゃねーですか。後は真那の直感です!」

「また小学生みたいなことを……」

 

 何とも強引な飛躍に、士道は苦笑した。

 女子を名前で呼んでいたらからかってくる、小学生男子の思考だろうか。

 その程度でお似合いならば、世の中はもう少しカップルで溢れているはずだ。

 自分の、風が吹き抜けるほど寂しい女性遍歴を思い出して、ため息が漏れた。

 ここ最近の十香や七罪の件は、少々特殊事例すぎるので別枠だ。

 

「さて、それじゃあさよならです、兄様」

「ああ、気をつけて帰れよ」

「こう見えて真那はつえーので、心配しやがらなくても大丈夫です!」

「そうか、頼もしいな」

「はい!」

 

 思わず頭に手が伸びる。

 そのまま撫でてやると、真那は少し恥ずかしそうに、そしてとびっきり嬉しそうに笑った。

 

「だから安心しやがってください。兄様も、兄様の居場所も、きっと真那が守ってみせます」

「……」

 

 士道は眩しいものを見るように、目を細めた。

 真那の言葉に、昔そんなことを言っていた大馬鹿者を思い出したのだ。

 夢破れてというより、現実を知って大言壮語(えいゆうがんぼう)は鳴りを潜めたが、誰かに手を差し伸べようとして危ない目に合っているのは、今も変わらない。

 ひょっとすると自分は、初めて空間震を、精霊を、そして魔術師を見た時から、ちっとも大人になれていないのかもしれない。

 

『時崎狂三と申しますわ』

 

 ふと、手を差し伸べられなかった相手の顔が浮かぶ。

 彼女が何を考えてこの街にやって来たのか、それを知る機会は永遠に訪れない。

 彼女が路地裏で野良猫に餌をやることも、もう二度とない。

 そして、そもそもの話――――自分は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『貴様は多くの人を殺しやがりました。貴様がいると多くの被害が出やがります。――――貴様はこの世界にいちゃならねー存在なんです』

 

 目の前の少女が最悪の精霊に向けて発した言葉が、いまだに頭の中にこびりついている。

 それを否定することは、士道にはきっと出来ない。

 何故なら、その言葉に少なからず同調する部分があったからだ。

 その考えを覆せるほどの強い思いを、抱くことが出来ないのだ。

 

「兄様?」

「……悪い、ちょっとボーっとしてた」

「もしやまだ体調が!? 大変です! 早く休みやがってください!」

「わ、わかったからそんなに押すなよ」

 

 ぐいぐいと、家へ押し戻そうとしてくる真那を宥める。

 彼女は時崎狂三をその手にかけ、次はどの精霊に対して刃を向けるのか。

 十香の、七罪の、そして今まで出会った精霊たちの顔が頭を過ぎる。

 そして狂三の死体を見下ろす、真那の虚無を湛えた瞳。

 果たしてあの瞬間、彼女は何を思っていたのだろうか。

 

「真那……お前、大丈夫なのか?」

「むしろそれを言いてーのはこっちですよ」

「そうじゃなくてっ、今日の昼、屋上で……あんなことして平気なのかって聞いてるんだよ!」

「もしかして兄様……いやはは、不快なものをお見せしたみてーですね」

 

 士道が何に言及しているかを察したのだろう、真那は困ったように笑った。

 それが何故だか、酷く疲れた笑顔に見えてしまう。

 

「でもあれは人間じゃねーので、ご心配には及ばねーです」

「……俺はお前の心配をしてるんだ」

「真那は大丈夫、平気です。今も、これまでも、これからも」

 

 士道にはその言葉が、何よりも自分自身に言い聞かせているように思えた。

 そうだとしたら、真那は心を擦り減らしながら戦っていることになる。

 その瞳から覗く虚無は、絶望と諦念の何よりの証だ。

 ならば、士道はそれを止めなければならない。

 誰かがそんな思いをしないように、これまでも手を差し伸べてきたのだから。

 そこに立派な志や大層な理由があるわけではない。

 ただ、それが昔からの生き方だったというだけだ。

 しかし、ここで士道は躊躇ってしまった。

 

『貴様は多くの人を殺しやがりました。貴様がいると多くの被害が出やがります。――――貴様はこの世界にいちゃならねー存在なんです』

 

 その言葉に同調してしまった自分に、そんな資格があるのかと、そう思ってしまった。

 そして何より、()()()()()()()()()()()()()()()()()自分に、気づいてしまったのだ。

 

「それじゃあ兄様、お元気で!」

 

 去っていく背中に、かける言葉は見つからなかった。

 星の見えない夜空を見上げる。

 

「……少し、頭冷やしてくるか」

 

 琴里に「散歩してくる」とだけメッセージを送り、携帯の電源を切る。

 今は少しだけ、十香や七罪の顔を見るのが辛かった。

 

 

 

 

 

 この天宮市は、かつて関東を襲った大規模な空間震の跡地に築かれた都市だ。

 上空から一望したら、クレーターの中にすっぽりと収まっているように見えるだろう。

 士道はその外縁部に位置する、高台の公園を訪れていた。

 この付近は宅地開発中だからか、日中は重機の音で少々騒々しいが、夕方を過ぎればこのように静かなものだ。

 それでもデートスポットとしてそれなりに知名度はあるので、男女のペアを見かけることも珍しくはないのだが、今日は無人のようだった。

 落下防止用に設置された木製の柵に手を置いて、夜の街並みに視線を落とす。

 人口の光に装飾された光景は、ありきたりな表現になるが、まるで地上に星空が現れたようだ。

 個人の好みとしては夕暮れ時の風景に軍配が上がるが、こちらもまた絶景と言えるだろう。

 この高台の公園は、ふとした時に足が赴く、士道のお気に入りの場所だった。

 十香との一件で無残にも破壊されつくしてしまったが、今ではすっかり元通りだ。

 あの時、肩口から斬り飛ばされた、自分の右腕でさえも。

 その痕跡をなぞるように、そっと左手を置く。

 医療用顕現装置のおかげか、後遺症はおろか傷痕さえも残っていない。

 もし仮に、時崎狂三が十香と同じように銃を突き付けてきたとして、自分はそれでも手を差し伸べられただろうか。

 或いは、七罪と同じようにASTに追い詰められていたとして、躊躇せず助けに行くことが出来ただろうか。

 琴里の言う通り、全ては今更だ。

 その答えを出したとしても、それが彼女に届くことは永遠にない。

 動かしがたい事実が、士道の胸を締め付けた。

 

「――何だよ、それ」

 

 それが喪失感であると悟って、士道は吐き捨てた。

 時崎狂三は害意を持って人間の命を奪う精霊だ。

 発端が照れ隠しとはいえ、士道も危うく殺されかけた経験がある。

 そんな相手がいなくなって安心するのは、心の動きとしては健全なのかもしれない。

 それでも、同時にこんな喪失感も抱いてしまっている。

 それが上辺だけのものだったら何とも白々しいし、たとえ心の底から生じるものだとしても、図々しいことこの上ない。

 何にしても、吐き出す対象のない思いは、心の中に澱のように溜まっていくだけ。

 ベンチに座り、何を見るでもなく地面に目を落とす。

 どれだけそうしていたのか、やがて士道は自分の隣に何かが居座っていることに気づいた。

 ベンチの上で丸くなり、尻尾を揺らし耳をぴくぴくとさせるそれは人ではない。

 キジトラの猫――ついこの前の野良猫に似ている気がした。

 もしかしたら同一猫かもしれないが、はっきり見分けられるほど接触があったわけではない。

 

「なんだお前、今日は餌持ってないぞ」

 

 暫定ヨモ吉は、特に見向きもせずに「なぁーご」と鳴いた。

 まるで「くるしゅうない」とでも言っているようで、思わず笑ってしまった。

 勿論、猫の言葉や気持ちがわかるわけではないので、士道の想像でしかない。

 軽く平伏するような動作を取ってから、手を伸ばしてみる。

 ヨモ吉は逃げ出すこともなく、士道の手を受け入れた。

 随分と人馴れした野良猫だと思ったが、そうでなければそもそも、ここまで近寄ってくることはないだろう。

 それとも、この前の猫だとしたら、餌をやったことを覚えているのだろうか。

 鬱陶しがられない程度に撫でつつ、アニマルセラピーという言葉を思い出す。

 もしかしたらあの最悪の精霊は、猫に癒しを求めていたのかもしれない。

 ……最早そんなことを考えても意味はないのだが、そんな感傷が過ぎるのだった。

 

「なぁ、ヨモ吉、どうだったんだろうな」

 

 そんなことを尋ねても、猫は「なぁーご」と鳴くだけである。

 なのでこれは自問自答と言うべきだろう。

 もっとも、自問したところで士道の中に答えは見つからなかったのだが。

 

「わぁ、かわいい。この子、お兄さんのお友達ですか?」

 

 突然かけられた第三者の声に、士道はビクッと固まった。

 顔を上げると、そこには一人の少女がいた。

 黒いセーラー服に細めのリボンタイ。

 胸当てに校章らしきものが見えるが、どこのものかはわからない。

 少なくとも、この天宮市では見かけたことのない制服だった。

 少女の素性はともかくとして、猫に語りかけていたところを見られて、士道の頬が熱くなる。

 流石に、目撃者を消してしまおうなどという考えには至らないが、これは恥ずかしい。

 完全にこの場には自分と猫しかいないと思っていただけに、それはもう余計にだ。

 士道は熱くなった頬を誤魔化すように笑った。

 

「あ、あははは……恥ずかしいとこ見られちゃったな」

「いえいえ、お気になさらず。それよりこれ、どうですか?」

 

 少女も口元に手を当てながら笑うと、猫缶を差し出してくるのだった。

 ドライフードであるカリカリと並ぶウェットフード……つまりは猫の餌である。

 最近の女子高生は、キャットフードを持ち歩いているものなのだろうか。

 そんな疑問を抱きながら、半ば呆然と士道はそれを受け取った。

 そして餌の気配を察してか、にわかに「にゃあにゃあ」と鳴き出したヨモ吉に与えるのだった。

 

 

 

 

 

「ほーらヨモ吉さん、こっちですよー」

 

 どこからか取り出した猫缶で猫のお腹を満たした少女は、またどこからか取り出した猫じゃらしで猫を翻弄していた。

 この子は何だろうか、常に猫に出会うことを想定しているのだろうか。

 何にしても猫好きであることは確かなようだ。

 

「手馴れたもんだ。もしかして猫を飼ってたりするのかな」

「そうですね、もう結構前の話になっちゃいますけど」

「……悪い、ちょっと不躾だったな」

「ふふっ、そんなにあれこれと気にしてたら、何もお話しできなくなくなっちゃいますよ?」

「それもそうだ。ありがとう」

「あ、でもそうやってお礼を言ってくれるの、ポイント高いですね」

「ポイント? 何だそれ」

「はい、私のお兄さんへの好感度が上がりました」

「何だそれ」

 

 別に大事なことではないが、訳がわからなかったので士道は繰り返した。

 ギャルゲーじゃあるまいし、好感度なんて言葉を現実で聞くだなんて……〈フラクシナス〉では割りと飛び交っているが、あそこは色々と特殊で例外なので、現実には含まないことにした。

 その様子がおかしかったのか、少女は口を開けて笑っていた。

 育ちがいいのか喋り方は丁寧で、品が良い印象なのだが、八重歯が覗く笑顔が良い意味でそのイメージを崩していた。

 改めて少女を見る。

 一本の三つ編みに結えられた、背中に少しかかる程度の栗色の髪。

 黒いセーラー服に袖を通した、恐らくは女子高生だろう。

 推量が含まれているのは、士道が彼女のことを何も知らないからだ。

 とは言っても正真正銘先程出会ったばかりなので、それは無理もない話なのだが。

 とりあえず、良識のある大人として言っておくことが一つ。

 

「君、こんな夜に一人で出歩くのは危ないぞ」

「じゃあ、今はお兄さんと二人なので大丈夫ですね」

「そういう意味じゃないんだけどなぁ」

 

 少女の返しに士道は苦笑した。

 形の上で注意はしたのだが、実の所あまりうるさく言うつもりはなかった。

 自分のように一人になりたい時は、誰にだってあるだろう。

 今は結果的に二人になっているが、それは成り行きというものだ。

 すると、少女の膝の上に居場所を移した猫が小さく鳴いた。

 二人ではなく、二人と一匹だったようだ。

 

「そもそもですね、お兄さんが悪いんですよ?」

「え、俺?」

「こんな夜遅くに一人で黄昏ている人がいたら、心配になりますよね? ほら、もしかしてリストラされちゃったのかなー、とか」

「そ、そうか……それは悪かった――って、君が出歩いてる理由とは関係なくないか?」

「……バレちゃいました?」

 

 まるで悪戯がバレた時みたいに、少女は小さく舌を出して笑った。

 見知らぬ大人にこんな態度を取れるのだから、中々図太いというか、良い性格をしている。

 それでも咎める気が起きないのは、士道がそういう手合いに慣れているというのもあるが、何よりも彼女の持つ素朴な雰囲気のおかげだろう。

 普通の少女と言ってしまえばいいだろうか。

 普通といえばありふれているはずなのだが、驚くべきことに何故だか士道の周囲にはそのタイプの女性はいない。

 まあ、いないというのは言い過ぎかもしれないが、関わりが少ないのは確かだ。

 精霊はそもそも人間の常識を超えた存在だし、〈ラタトスク〉の面々も普通と呼ぶのは難しい。

 職場の先輩である岡峰珠恵は、尊敬できる人柄なのは間違いないのだが、時折尋常ではない一面が顔を覗かせることがある。

 生徒の中には所謂普通に属する者もいるかもしれないが、淫行教師の不名誉は女子を遠ざけるのに、十分すぎる効力を発揮しているのだ。

 毎度のことではあるが、それを考えると重たいため息が漏れるのだった。

 士道の自認は、あくまで普通の人間でしかない。

 多少特殊な経歴があり、何だかよくわからない特殊能力があるものの、普通の人間なのだ。

 こんなことを公言していればツッコミを入れる者が確実にいるだろうが、思うだけなら自由……ということにさせて欲しい。

 とにかく士道にとってアクが強い――ではなく、個性が忌避の対象というわけではないのだが、そうではない相手と一緒にいると、どうやら安心するらしい。

 

「でも心配だったのは本当ですよ? 何だか思いつめている様子でしたし」

「まあ、考え事してたのはその通りなんだけどさ」

 

 心配で話しかけてきたという気持ちは、正直良く理解できる。

 士道も逆の立場だったら、間違いなく声をかけていただろう。

 ただ、これは自分自身の問題でしかない。

 解けない蟠りを、時間をかけて飲み下すしかないのだ。

 

「私はお兄さんの名前を知りませんし、お兄さんも私の名前を知りません。つまり赤の他人です」

「それはそうだ」

「そんな相手になら、無責任に自分の事情をぶちまけても平気だと思いません? ほら、旅の恥はかき捨て、みたいな?」

「いや、俺は地元民なんだけど」

「何を隠そう、私は旅人なので」

 

 どこぞの制服姿でそんなことを言うものだから、思わず吹き出してしまった。

 それだったら、恥をかき捨てるのはこちらではなく向こうになってしまう。

 それでも少女は引き下がるつもりはないようだった。

 人懐っこそうな笑顔の割りに、存外強情なようだ。

 観念して、士道は喉元でつっかえた蟠りを吐きだした。

 周囲から迫害されてる者がいて、自分はそれを助けようとしていたこと。

 でもそいつは悪いことも沢山していて、責められても仕方がない立場だったこと。

 そして結局助けられず、本当は助けたかったかどうかもわからないこと。

 一般人には明かせない情報が多分にあるため、所々言葉は変換して話した。

 当然ぼかした部分もあるため、今一つ話が掴めなかったかもしれない。

 しかし少女はポン、と手を打つと、真顔で口を開いた。

 

「なるほど、お兄さんは傲慢な人だったんですね」

「いや、傲慢て」

「それに、かなり図々しいとも見ました」

「……」

 

 随分な言われように、士道は閉口した。

 だが、確かにその通りなのかもしれない。

 精霊から見たら、介入してくるのは図々しいし、挙げ句の果てに救ってやると手を差し伸べてくる奴など、傲慢だとしか言い様がない。

 元より何か身になるアドバイスを期待したわけでもない。

 少女の言う通り、無責任に吐き出した言葉に、無責任な感想が返ってきただけだ。

 他人同士なら、そんなに目くじらを立てるようなことではない。

 

「じゃあ、次の機会にはリベンジですね」

「リベンジ、か」

 

 もう何もかも終わってしまったことなのだが、ぼかして話したために伝わらなかったのだろう。

 少しキツめな物言いもあったが、少女はまた次があると励ましてくれているようだ。

 首を横にも縦にも振らず、士道は曖昧に返した。

 

「多分ですけど、その子はまたお兄さんに会いに来ると思いますよ?」

「またどうして」

「勘ですね。外れたら、恥をかき捨てていったと思ってくださいね?」

「前向きに善処する方向で検討しようかな」

「わぁ、玉虫色」

 

 くすくすと笑うと、少女はヨモ吉をそっと下ろしてから立ち上がる。

 そして星のない夜空を見上げ両腕を広げ、夢見るように語り始めた。

 

「私、大切なお友達がいるんです。正義のヒーローみたいにかっこよくて、可愛らしくて……あ、そういえばちょっとだけお兄さんに似てるかも」

 

 可愛らしいという形容には物申したいが、より士道の心を抉るのはその前の部分である。

 魔法のような力を手に入れたところで、結局出来ないことはごまんとあったのだ。

 

「その人を探して旅をしているんですけど、中々見つからないものですね」

「行方不明なのか?」

「この街に来てるみたいなので、その内会えるとは思うんですけどね」

 

 どうやら手がかりが全くないわけではないらしい。

 協力すべきか考えたが、やめておいた。

 これは彼女の無責任な吐き出しだ。

 だとしたら、助力や助言を求めているわけではないはずだ。

 士道に言えるのは、これぐらいだろう。

 

「会えるといいな」

「ですね」

 

 合わせたのか、猫が「にゃあ」と鳴いた。

 可笑しそうに笑うと、少女は猫を撫でながら「さようなら」と別れの挨拶をした。

 

「それじゃあお兄さん、()()()()

 

 そして士道に手を振って、去っていった。

 手を振り返して、その背中が見えなくなるまで見送る。

 

「……俺もいい加減帰るか」

 

 時間を確認しようとして、携帯の電源を切っていたことに気づく。

 電源を入れた瞬間、連なった通知の数に士道は顔をしかめた。

 帰ったら確実に、司令官様からありがたい説教があるだろう。

 少しでもご機嫌を取るために、デザートを買いに走るのだった。

 

 

 

 

 

「はい、みなさんおはよぉございます」

 

 警報がなったものの、空間震の被害は出ていないため、翌日も普通に授業は行われる。

 チャイムが鳴ってタマちゃん先生が到着したら、朝のホームルームの始まりである。

 その隣に控える士道は、教室を見渡した。

 目が合うと嬉しそうに表情を明るくする十香。

 後方から穴が空きそうなほど注視してくる折紙。

 険しい視線を向けてくる亜衣麻衣美衣に、ウィンクしながら親指を立ててくる殿町。

 つまり、いつも通りの光景だった。

 

「あれ、時崎さんお休みですか?」

 

 そしていつも通りということは、昨日転校してきたばかりの少女の姿がないということだ。

 出席を取るタマちゃん先生は無断欠席に頬を膨らませているが、士道は彼女がもう二度と学校に来ないことを知っていた。

 赤の他人に吐き出したとは言え、蟠りが消えたわけではない。

 廊下側最後列の、空いたままの席に目を向ける。

 時崎狂三の死がどう扱われるかはわからないが、少なくとも公表はされないだろう。

 だとすると、この教室には主がいない机がずっと取り残されていくのだろうか。

 無責任にもやりきれない気持ちになって、目を伏せた時だった。

 

「――はい」

 

 教室の後方のドアが静かに開き、よく通る声が点呼に返事をした。

 影のような黒髪に、真珠のように白い肌、露わになった右目は血のように赤い。

 昨日、この学校の屋上で絶命したはずの時崎狂三が、穏やかな笑みを浮かべながら小さく手を上げていた。

 

『多分ですけど、その子はまたお兄さんに会いに来ると思いますよ?』

 

 どうやらあの言葉は、旅先でかき捨てた恥とはならなかったらしい。

 呆然と、狂三を見る。

 狂三もこちらを見て、そして小さく笑った。

 緊張が心臓を急き立て、鼓動の間隔が狭まる。

 だというのに、士道は知らずの内に笑みを浮かべていた。

 

 

 




やっと狂三さんが出てきたところで終了。

八舞姉妹のテーマ曲が好きだから早く出してーとは思っているのですが、修学旅行までお預けくらってます。
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