士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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平均文量が多くなってくのを感じる今日この頃。
クソ暑くて死にそうになっている今日この頃。


デート・ウィズ・ナイトメア

 

 

 

「デートに行こうか」

 

 誘いの言葉は極めてシンプルだった。

 朝のホームルームの後、昨日と同じようにとある女子生徒を連れ出した穂村士道は、あろうことか逢引(デート)を持ちかけていた。

 彼はこの来禅高校に勤める教師である。

 この時間も本来ならば、一限目の授業に向かわなければいけないはずなのだが、こうして教職にあるまじき行いに踏み切っているのには当然理由がある。

 

「あらあら、まさか士道さんから、このようなお誘いをいただけるだなんて」

 

 誘いを受けた女子生徒はくすくすと、上品な仕草で笑った。

 彼女はつい昨日、この学校にやって来たばかりの転校生である。

 影のように黒い髪、真珠のように白い肌、そして露わになった右目は血のように赤い。

 どこか陰のある美しさの少女……時崎狂三は、実のところ人間ではない。

 空間震という災害を引き起こす特殊災害指定生命体――通称・精霊。

 その中でも彼女は、最悪と恐れられる個体だ。

 多くの人間を直接その手にかけ、とある精霊と共に複数の都市を滅ぼしたとされる悪夢(ナイトメア)

 士道は教師であると同時に、精霊を保護することを目的とする秘密組織、〈ラタトスク機関〉に所属するエージェントでもある。

 求められている役割は、精霊をデレさせ、その力を封印する事。

 デートというのは、言ってしまえばそのための手段なのだ。

 しかし今ここで士道が抱く目的は、もっと根本的なものだった。

 

『貴様は多くの人を殺しやがりました。貴様がいると多くの被害が出やがります。――――貴様はこの世界にいちゃならねー存在なんです』

 

 胴体から切り離された頭部の、生気を失った赤と金の瞳。

 目の前の少女の死に顔が、いまだに頭から離れない

 時崎狂三は、人を殺す極めて危険な精霊である。

 士道自身、過去に殺されかけたこともあり、その事実は恐怖と共に心身に刻みつけられている。

 存在してはならない……それは、彼女の被害者たちの代弁なのかもしれない。

 その言葉を否定するのは難しいし、何より、彼女がいなくなったことに安堵したのも事実。

 だが、狂三の死が士道にもたらしたものはもう一つあった。

 図々しくも白々しい喪失感……あるいは後悔と言い換えてもいいかもしれない。

 人類にとって、最悪と呼ばれる精霊の是非は明らかだ。

 無力化するよりも、可能であるなら討滅してしまった方が手っ取り早いのだろう。

 それでも士道は彼女の目的も、好きなものも嫌いなものも、何も知らない。

 だからこそ、デートに誘うのだ。

 どのような手段で死を回避したのかはわからないが、これがまたとないチャンスであることには変わりない。

 手の届かないどこかに行ってしまう前に、彼女の事を知るために士道は踏み出した。

 同じ時間を共有することは、互いを理解するための第一歩なのだから。

 

「ええ、もちろん構いませんわ。それで、日取りはいつに――」

「今でしょ」

「……はい?」

 

 食い気味に答えると、狂三は首を傾げてきょとんとした。

 昨日の真那との戦闘から、彼女が精霊であることはASTに知られているだろう。

 今朝教室に姿を見せた時、鳶一折紙も無表情ながら驚いているように見えた。

 折紙は現役AST隊員であり、狂三の生存は既に報告されているかもしれない。

 つまり、遠からず狙われる可能性が高い。

 ならば手をこまねいている暇はない。

 どこぞの司令官様が言ったように、精霊攻略はスピード勝負なのだ。

 士道は笑顔で親指を立てて、およそ教師にあるまじき提案をした。

 

「学校サボって、遊ぼうぜ」

「……それを先生であるあなたが言いますの?」

 

 その言葉には困惑というか、呆れが多分に含まれていたように思える。

 最悪の精霊が見せた新しい表情に、士道は笑みを深めた。

 

「じゃ、とりあえず保健室で待っててくれ。ほら、具合が悪い体で」

「はぁ、わかりましたわ」

 

 これは体調不良で早退という導線作りである。

 いまだに困惑しているのか、狂三は生返事気味だった。

 それはともかく、そうと決まれば早速行動だ。

 士道も早退するとなれば、その旨を報告しなければならない。

 昨日に引き続き、他の先生方に迷惑をかけることになるだろう。

 まずは頭を下げるために、士道は職員室に向かうのだった。

 

 

 

 

 

『というわけで、狂三とデートすることになった』

「えぇ……何それぇ?」

 

 一限目の授業の直前、自分の叔父からの突然の電話に五河琴里は頭を抱えた。

 琴里は幼いながらも〈ラタトスク〉で司令官を勤める才媛なのだが、公的な立場はあくまで女子中学生である。

 したがって緊急の案件でもなければ、日中はきちんと学校に通っているのだ。

 しかし今の電話の内容が本当なら、のんびりと授業を受けている場合ではない。

 周囲の友人たちに断って席を立つと、近くのトイレへと向かう。

 そして髪を括るリボンを白から黒に替えれば、マインドセット完了である。

 

「で、一体全体何がどうなっているのかしら?」

 

 司令官モードに切り替わった琴里は、士道に詳しい説明を求めた。

 しかしながら、得られた情報はそれほど多くない。

 朝のホームルームに死んだはずの時崎狂三が現れたので、デートに誘った。

 何故という疑問はさて置き、ただ単純に事実を並べたらこうなるだろう。

 そうするに至った理由や考えも、納得できないものではない。

 ただ、十香の時から続く独断行動がまた始まったかと思うと、顔を顰めざるを得ない。

 今回は早めの報告があっただけマシだが、振り返ってみれば〈フラクシナス〉は、随分と士道に振り回されてきたとも言える。

 さも状況に流されています、みたいな顔をしておいてコレなのだから、こちらからしたら結構な理不尽である。

 もっとも、精霊攻略は士道なしには成立しないので、それはある意味必然なのかもしれないが。

 

「オーケー、わかったわ。サポートはこっちに任せて」

 

 眉間を揉みほぐすと、チュッパチャプスを取り出して咥える。

 校則でお菓子の類は禁止されているが、これから早退するので大目に見てもらおう。

 考えるべきことは山ほどあるが、まずは糖分補給だ。

 新発売のフレーバーで口内を満たすと、琴里は自分を鼓舞するように口角を釣り上げた。

 

「さぁ、私たちの戦争(デート)を始めましょう」

 

 

 

 

 

「なんですって? 〈ナイトメア〉が生きていた……?」

 

 天宮駐屯地の本部にて、AST隊長である日下部燎子は、信じがたい報告を受けていた。

 昨日は激動の一日だった。

 空間震――霊力の大きな乱れが観測されたかと思えば、補充要員として最近やって来たばかりの崇宮真那による、精霊〈ナイトメア〉の討伐報告。

 それだけでも驚嘆すべき事態なのだが、残念ながら燎子にそんな暇は与えられなかった。

 その後すぐに事後処理に追われ、事務処理は定時を過ぎても終わらず、睡眠時間を削って今朝にようやく報告を終えたかと思えば、まさかの生存確認報告である。

 信じがたいというか、少しは現実逃避しても許されるのではないだろうか。

 しかし通信機向こうの抑揚に欠けた声は、事実を淡々と語るのみである。

 

『間違いない。〈ナイトメア〉はつい先程、来禅高校に登校してきた』

 

 いっそ聞き間違いと思いたかったが、四月に受けた健康診断では聴力に異常はなかったはずだ。

 寝不足も相まって頭が痛くなってきた。

 そもそも精霊が転校してきたというだけで異常事態だというのに、もう少し容赦とかはないのだろうか。

 額に手を当て、頭痛を堪える。

 

「じゃあ〈ナイトメア〉は今、大人しく授業を受けているってこと? 悪い冗談だわ……」

『〈ナイトメア〉はもう校内にいない。……男性教師と早退していった』

「はぁ?」

 

 状況の把握はままならず、さらに訳がわからなくなってしまった。

 教師、それも男と一緒に早退したとは、学校をサボって逢引をしているとでもいうのか。

 精霊はともかく、教師も一緒になって抜け出しているのなら、一体風紀はどうなっているのか。

 というか、さっきからミシミシという音が聞こえるのは気のせいだろうか。

 まるですごい握力で、携帯が握りつぶされようとしているかのような……

 そこで遼子は、何か引っかかるものを感じて首を傾げた。

 厄介なことに、精霊にちょっかいをかけそうなクソボケに覚えがあったのだ。

 その男は現在、来禅高校で教師をしているはずだ。

 

「ちょっと待ちなさい。その男性教師ってまさか――」

『それは今重要ではない』

 

 通話相手の部下――鳶一折紙は食い気味に疑問を遮った。

 この反応では答えを言っているも同然だ。

 遼子は思わず目元を手で覆った。

 

『私は二人を追跡して監視する。指定座標に緊急着装デバイスを送って欲しい』

「とりあえず一旦こっちに合流しなさい。監視は観測機で請け負うわ」

『〈ナイトメア〉は様々な意味で危険。目を離すことはできない。それじゃあ』

「あんた、また勝手に――――切りやがった……」

 

 通話の切れた通信機のマイクが、ミシミシと音を立てて軋む。

 苛立ちを握力に変換することで、遼子はすんでのところで叫びだすのを回避していた。

 これは先月の一件で、ストレスを大いに発散したのが大きい。

 とりあえず、こうなってしまっては最早呼び戻しても応じないだろう。

 マイクを握りつぶしながら、どうにか思考を切り替える。

 

「おはようございます。おや、どうかしやがりましたか?」

 

 朝の挨拶に、奇妙な敬語が続く。

 本部にやって来たのは、〈ナイトメア〉を討伐した本人である真那だった。

 言う事を聞かない部下のおかげで、少々目つきが険しくなっている燎子に、目を丸くしていた。

 隊長目線で言えば、彼女も文句なしの問題児である。

 昨日も、避難も済んでいない状況で交戦を開始したことをきっちり咎めたはずだが、この様子を見るにあまり効果はなさそうだ。

 真那は状況の説明を聞くと、さして驚くでもなく、むしろ感心した様子で口を開いた。

 

「状況に柔軟に対応しやがるとは、流石は鳶一一曹です」

「いやいやそうじゃなくて、昨日倒したはずの〈ナイトメア〉がまた現れたことについて、見解を聞きたいんだけど」

「見解もなにも、やつは何度倒しても復活しやがる、それだけですよ」

 

 発覚した新事実に、遼子は頭を抱えた。

 もうちょっと情報共有とか、そういうのはないのだろうか。

 とにかく、こうなれば知っていることを洗いざらい吐いてもらわねばならない。

 燎子が首根っこを掴もうと手を伸ばしたが、真那は実に軽快なステップでヒラリと回避した。

 

「こうなりやがったら、私ものんびりしてる場合じゃねーですね」

「こらっ、待ちなさ――――」

 

 そして風のようにいなくなってしまった。

 伸ばした手を力いっぱい握りしめて、燎子は床に思いっ切り足を打ち付けた。

 

「あんのっ、問題児どもがぁーーーーーーーーッ!!」

 

 AST本部に怒号が響き渡る。

 今の燎子に話しかけられるだけの度胸を持つ者は、当然と言うべきか、いなかった。

 他の隊員たちは、なるべく隊長を刺激しないよう気配を消すのだった。

 

 

 

 

 

「まあ! 可愛らしいですわね! 士道さん、どちらがいいと思いまして?」

 

 ショッピングモール内のランジェリーショップで、士道はピンチに見舞われていた。

 何がピンチかと言うと、まずこの場所が悪い。

 ランジェリーショップなど、明らかに男性が立ち入る店ではない。

 ましてや、女性との交際経験に乏しい士道にとっては完全に未知の領域である。

 それでも、男一人で入ったわけじゃないからまだマシ……とは残念ながらならなかった。

 第二のピンチは、デート相手である狂三の格好に起因する。

 学校を早退してそのまま抜け出してきたため、制服姿なのだ。

 成人男性と制服姿の女子が歩いているのは、不適切な関係を疑われかねない。

 それもまだ放課後でもない日中に、しかも下着を見繕いに来たとなれば尚更だろう。

 何やら他の女性客が、こちらを見ながらヒソヒソと話しているのは気のせい……だと思いたい。

 

「そ、そうだな……ええっと……」

 

 そして最後のピンチは、上下セットの下着を二着並べられ、どちらがいいかなどと尋ねられているこの状況である。

 精緻なレースで飾られた下着の間で指をさまよわせるが、行き先は定まらない。

 姪っ子が身につけている縞々の下着などは見慣れているが、これらの明らかに大人向けのものは完全に専門外だ。

 額に嫌な汗を滲ませながら、士道はこんな状況に陥ったそもそもに立ち返った。

 自分からデートに誘ったのはいい。

 学校をサボったことや、生徒もサボらせて一緒に遊んでいるという状況は、冷静に考えれば頭を抱える程度では済まない事態なのだが、そこはもう〈ラタトスク〉のフォローを信じるしかない。

 そして〈フラクシナス〉のサポートを受けながら、買い物デートを楽しんでいたのもいい。

 この天宮クインテットは、市内最大のショッピングモールだ。

 ここならば大体の店は揃っているので、デートスポットとしては定番だろう。

 最悪の精霊という呼び名に反して、狂三の反応は年頃の女子のようだった。

 立ち並ぶ店に目を奪われている様は、本当の女子高生のように見えたのだ。

 むしろその様子に戸惑った士道が、唖然としてしまった程だ。

 実際、機嫌のパラメータの推移も良好だったようなのだが……問題は琴里が、狂三に対して揺さぶりをかけてみたい、なんて言い出したことだろう。

 無難な選択肢でジワジワと好感度を上げるよりは、振れ幅を大きくして勝負を仕掛ける。

 リスクを孕んだ方針ではあるが、散々言っていた通りスピード勝負を意識しているのだろう。

 この状況に抵抗はあるが、その意図はなんとなく理解できる。

 というわけで、士道は大変気まずい思いをしながら、女性用の下着に囲まれているのである。

 しかしこの二択をどう乗り越えればいいのかは、さっぱりわからなかった。

 行き先が定まらないまま、もう指が下着の間を何往復しただろうか。

 耳に装着した小型インカムに、姪っ子の可愛らしい声が届いた。

 

『士道、ちょっと待ちなさい』

 

 

 

 

 

 空中艦〈フラクシナス〉の艦橋に設置された巨大スクリーンに、選択肢が表示される。

 

①右手側。ピンク地に黒レースの妖艶なデザイン。

②左手側。淡いブルーの爽やかなデザイン。

③「俺はもっと露出度高い方が……」後ろにかかっている下着を指さす。

 

「総員、選択!」

 

 司令官である琴里の号令に応じるのは、精鋭たるブリッジクルーたちだ。

 まず、副司令である神無月恭平。

 長髪の日本人離れした美形の男なのだが、それを補って余りあるほどの変態である。

 ストライクゾーンが女子中学生だと公言して、周囲の白眼視を一身に集める傑物(へんたい)でもある。

 そして、解析官である村雨令音。

 眠たげな目元に、それを飾る分厚いクマ……美人ではあるのだが、どうにも不健康そうな印象が拭えない女性である。

 揺れる頭とふらつく足元は、見る者を不安にさせること間違いなしだろう。

 他にも〈早すぎた倦怠期(バッドマリッジ)〉川越、〈社長(シャチョサン)〉幹本、〈次元を越えるもの(ディメンション・ブレイカー)〉中津川、〈藁人形(ネイルノッカー)〉椎崎、〈保護観察処分(ディープラヴ)〉箕輪。

 いずれも引けを取らない技術と業を背負ったスペシャリストである。

 その精鋭たちが投票した選択肢の集計結果が表示された。

 票はまんべんなく散らばっていたが、③が頭一つ抜け出ている。

 AIが用意する選択肢は大体三つなのだが、どうにも三つ目には際どいというか、冒険的な選択肢が配される傾向がある。

 士道たちをランジェリーショップへ導いたのも、直前の選択肢で三つ目を選んだ結果だ。

 ちなみに他の二つは映画館や水族館といった、デートとしては定番のコースだった。

 

「こうなったらとことん揺さぶりをかけていきましょう! ここで押しておけば、後でキスをする時の抵抗も薄れるかもしれません!」

 

 拳を握りしめて力説する中津川に、琴里は顎に手を当てて思案する。

 最悪だの〈ナイトメア〉だのという前評判とは裏腹に、感情値や好感度の推移は悪くはない。

 ただ、今日一日で封印まで漕ぎ着けるとなると微妙なラインだ。

 一緒に下着を見繕うというチャレンジングな選択に踏み切ったのも、起爆剤……とまではいかずとも、何かより効率的な攻略の糸口を探るためである。

 しかし拒否を承知で敢行した(させた)にも関わらず、「まあ」と頬を少し染めるぐらいで済ませられたのだから、反応を見る側としては堪ったものではない。

 ただ解析結果的には、どうも順当に恥ずかしがっていたらしい、というのは判明している。

 なので更なる揺さぶりをかけるのは、彼女の素地を推し量る上で効果が期待できる。

 それに中津川の言う通り、ここで高レベルな要求を突きつけておけば、後の場面でキスをする際の導入が容易になるかもしれない。

 少し変則的になるが、ドア・イン・ザ・フェイス(交渉の常套手段)と似たような要領だろう。

 試してみる価値はある――――琴里は決断した。

 

「――士道、③よ。狂三の後ろの下着を選びなさい」

 

 

 

 

 

「そ、そうだな……どっちもいいけど、俺は後ろのやつが――――いぃっ!?」

 

 インカムからの指令に従おうとした士道は、自分が指さしたものを見て大いに動揺した。

 そこにかかっていたのは、勿論女性用の下着である。

 ただ、他のものと比べてスケスケで布面積も少ないという、非常にきわどいものだったのだ。

 そんな士道の反応に、何かあったのかと狂三が背後を振り返り、目を見開いた。

 

「士道さんはこれがよろしいんですの……?」

 

 そして手にしていた下着を戻すと、躊躇いがちに士道が示した下着を手に取った。

 上目遣いで頬を赤く染めるというオプション付き――世の男性を問答無用でノックアウトする、必殺の組み合わせである。

 しかし士道は、そんな狂三の様子に困惑するのだった。

 

「狂三、大丈夫か? もしかしてどこか具合でも悪いんじゃないのか?」

 

 瞬間、ピシッと何かにヒビが入るような音が聞こえた……気がした。

 狂三は一瞬だけ無表情になると、すぐに笑顔を浮かべた。

 非常に魅力的な笑顔ではあるが、漏れ出すドス黒い雰囲気(オーラ)に士道は戦慄を禁じ得ない。

 

『ちょっと士道、何言ってるのよ! 思いっきり機嫌悪くなってるじゃない!』

「いや、俺は純粋に心配してだな……」

『いいからフォローしなさい、今すぐ!』

 

 インカムからはすぐさまお叱りが飛んできた。

 今回は心配が逆効果になってしまったようだ。

 頬をかきながら士道があれこれと言葉を探していると、狂三が笑顔のまま胸ぐらを掴んできた。

 

「――士道さん、こちらへ。ちょっとお話がありますわ」

「お、おいっ、そんなに引っ張るな――って力強っ」

 

 何故だか、さらに握力が強まったような気がした。

 シャツのボタンが引きちぎられないか、非常に不安である。

 そのままぐいぐいと引っ張られ、試着室の中へ。

 男女が一緒に入るなど、いかがわしい想像を掻き立てる状況かもしれないが、当の士道の心境的にはそんな色気は微塵もなかった。

 シャッとカーテンが閉められ、壁にドンと押し付けられる。

 そしてカチャリと突き付けられた冷たく硬い感触に、士道は身を震わせた。

 

「まったく、士道さんったら……本当にどうしてくれましょうか」

「ぼ、暴力反対……」

「あらあら、いやですわ。わたくし、平和主義者ですのよ?」

「いや、すぐにぶっ放してくる君が言っても――――」

「なにか?」

「……なんでもございません」

 

 一体この精霊は、どの口でそんなことを言っているのだろうか。

 少なくとも、照れ隠しで殺しにかかって来るような奴が言って良いことではない。

 しかしにっこりと笑う狂三に、士道は口をつぐむのだった。

 決して銃口をグリグリと押し付けられたからではない。

 彼女は平和主義者なので、そのような脅しはしないのだ。いいね?

 

「と、とりあえず、それをしまってくれないか?」

「ふふ、そんなに怯えないでくださいまし。我慢できなくなってしまいますわ」

「…………」

 

 しかし銃を突き付けておいて怯えるなとは、とんだご無体である。

 言いたいことは色々とあったが、また威圧されては堪らない。

 口にチャックを施した士道の態度に気を良くしたのか、狂三は笑みを深めた。

 露わになった赤い瞳は陶然と歪み、前髪の隙間から覗く金の瞳の中では、時計の針が無機質に時を刻む。

 訳がわからないのは相変わらずなのだが、士道はそれに納得を覚え始めていた。

 これこそが時崎狂三なのだと、むしろ奇妙な安心すら感じてしまう始末。

 ともあれ、士道の様子に満足したのか、狂三の手から短銃が解けるようにして消えた。

 

「せっかく選んでくださったので、試着してみますわ。士道さん……手伝ってくださいまして?」

「~~っ、出来るかそんなの!」

 

 狂三ははにかみながら、持ち込んだスケスケのセクシーランジェリーを手にとんでもない提案をかましてきた。

 直前までの態度はどこに行ったのか、恐るべき変わり身の速さである。

 堪らず転がり出るように試着室から脱出した士道に、視線が突き刺さる。

 こんなランジェリーショップに男がいるという時点で目立つのに、何やら男女で試着室に入ってたりしたら尚更だろう。

 むしろ、店員が注意しに来てもおかしくはない事態だったのだ。

 士道は額に汗を滲ませながら、誤魔化すように乾いた笑いを浮かべた。

 そこに飛んできたのは、姪っ子からの追い打ちである。

 

『馬鹿なの? 死ぬの? 自殺志願者なの?』

「実際死にかけたよ……琴里、後で顕現装置送ってくれ」

『手配しておくわ。それまでうっかり殺されないよう、言葉には気をつけなさい』

「はい……善処いたします」

 

 そうして訪れたのは、とんでもなく居心地の悪い時間だった。

 女性用の下着に囲まれているというのもそうだし、周囲からの視線がさらに拍車をかける。

 試着室から漏れる衣擦れの音は、士道を容赦なく落ち着かない気分にさせてくれた。

 どこにも目を向けられないので、仕方なく天井の照明を見上げる。

 それからどれだけ時間が経ったのか……とても長かったような気がするし、ほんの一瞬だったようにも思える。

 時間の感覚が曖昧になる中、試着室のカーテンが開かれた。

 

「どうですかしら……?」

 

 なんというか、その申し訳程度の布面積は、明らかに高校生が着用していいものではない。

 布地の黒で狂三の白い肌が余計に、艶めかしくという修飾も追加して、映えていた。

 恥ずかしそうに足をすり合わせている様には、眩暈さえ覚えてしまいそうだ。

 それにあの紐は何だろうか、引っ張ったら脱げるように出来ているのだろうか。

 その下の裸体へと意識が否応なく向けられ、顔と頭に際限なく熱が蓄積していく。

 このままではマズいと判断した士道は、茹だった頭を冷ましにかかった。

 具体的に何をしたのかというと、腹パンである。

 自分の腹を思いっきり殴り、痛みで思考を正常に戻したのだ。

 しかし、公共の場でそんなことをしているやつがいたら、正気を疑われるのはまず間違いない。

 ただでさえ目立っていたというのに、そのような奇行に走るものだから、士道へ向けられる周囲の視線は更に痛いものになった。

 それでも、肉体と精神のダブルパンチな痛みにめげず、ゆっくりと親指を立てる。

 

「い、いいな……よく似合ってる。可愛いぞ」

「まあ」

 

 散々訓練で叩き込まれたおかげか、『可愛い』の一言は抵抗なく口から出て行った。

 誉め言葉を受けてか、狂三は頬を赤くして身をよじった。

 しかし冷静に考えてみると今の士道は、自分の生徒にきわどい下着を身に着けさせ、それを褒めて悶えさせている……正にとんだ淫行教師である。

 店の床に両手をついて、打ちひしがれる。

 

「――事実が……事実が痛い……ッ!」

「あの、士道さん? 大丈夫ですの……?」

 

 最悪の精霊の困惑じみた心配の声が、余計に傷口に沁みるのだった。

 しかし、いつまでも這いつくばっているわけにはいかない。

 インカムからも『しっかりしろ』だとか『いつから四足歩行になったのか』とせっつかれているので、士道は立ち上がって狂三に着替えるよう促した。

 店の中は空調が効いているため、下着姿のままでは体を冷やしてしまうかもしれない。

 まぁ、実際のところ、精霊が風邪をひくかどうかは未知数なのだが。

 そして再び居心地の悪い時間が訪れる。

 仮にこんなことが続けば、この店の照明に詳しくなる自信しかない。

 数分程経過し、試着室から出てきた狂三は、士道に断りを入れるとレジへ向かった。

 

「それ、買うのか?」

「ええ、もちろん。だって、よく似合ってて可愛い……のでしょう?」

「…………」

 

 そのはにかむような笑顔に、やはり士道は戸惑いを隠せない。

 多くの人を手にかけたという事実が――血に彩られた印象が強すぎるのだ。

 それはきっと、完全に拭い去ることは出来ないものなのだろう。

 喉につっかえるような蟠りを抱えたまま、横から狂三の代わりに支払いを済ませる。

 

「士道さん、お代は――」

「別にこれぐらい良いだろ? デートなんだからさ」

「あらあら、女性へのプレゼントも手馴れていらっしゃいますのね」

 

 別に手馴れているとか、そんな捉えようによっては人聞きの悪い事実はないが、さっきから動揺したり打ちひしがれたりと、そんな姿ばかり見せてしまっている。

 ここらで一つ、成人男性の余裕というものを示しておきたかったというのがある。

 士道にも意地とかプライドとか、そういうものがないわけではないのだ。

 

「ありがとうございます、感謝いたしますわ。ところで――――」

 

 会計を済ませ、購入した下着が入った紙袋を受け取り、店を出た所で狂三はお礼を言うと、そのまま耳打ちしてきた。

 いきなり耳元に吐息がかかり士道は思わず身を震わせたが、続く言葉はそんなものの比じゃない程の衝撃を伴って飛来した。

 

「俗に男性が女性に下着を贈るのは、それを自分の手で脱がせたいから……という説があるのですけれど――士道さんもそうしたいんですの……?」

 

 もう意地とかプライドとか、余裕といったものがすっかり吹き飛んだことは、言うまでもない。

 

 

 

 

 

「ぬう……」

 

 二時限目の授業を終えた後、夜刀神十香は難しい顔をして唸っていた。

 夜色の髪に紫水晶の瞳――誰もが振り向くような美貌で唸る様は、それだけで絵になる。

 しかしそれを台無しにするのは、きゅるると鳴くお腹の虫である。

 そう、十香は今、自分の空腹と壮絶な戦いを繰り広げているのだ。

 早弁するか、お昼まで我慢するか(To eat or not to eat)、それが問題だ。

 有名な英文学にありそうな一節を和訳したような葛藤が、頭の中で渦を巻く。

 精霊である十香がこの来禅高校の二年四組にやって来て、既にひと月とちょっと。

 最初は右も左もわからなかった彼女も、士道や令音の尽力、そしてクラスメイトの助けもあり、今やそれなりに高校生活に順応していた。

 以前は空腹を感じては即座にお弁当に手を付けていたが、今では一緒に食べる相手がいる。

 今日もクラスメイトとお昼を食べる約束をしているので、先に頂くのは不義理というものだ。

 だが、次の授業は英語……つまりは士道の授業だ。

 十香は士道に褒められたい一心で、英語は物凄く頑張っているのだ。

 しかし空腹のままではふにゃふにゃになって、十分な力を発揮できないだろう。

 それに、ただでさえ英語は不得意な部類に入るので、万全の準備をして然るべきだ。

 やはり早弁か――士道お手製のお弁当に右手を伸ばすが、左手がそれを止めた。

 さながら理性と本能の戦いである。

 見ようによっては、思春期が罹患する厨二的な病気の「右腕が疼く!」症状にも見えた。

 十香が自分との戦いをひたすら繰り広げている最中、彼女に不敵な笑みを向ける者たちがいた。

 亜衣、麻衣、美衣……一緒にお昼を食べる約束をしている、二年四組の三人娘である。

 

「あたいらに任せな、十香ちゃん」

「いいもんありますぜ!」

「マジ引くわー」

 

 三人がそれぞれ掲げたのは、ドーナツ、クッキー、チョコレート。

 甘い三連星の登場に、十香は瞳を輝かせた。

 

「そ、それは……!」

「ふっ……こんなこともあろうかと、常に懐に忍ばせてるのさ」

「さぁ、食いねぇ食いねぇ」

「マジ引くわー」

 

 差し出されたおやつを受け取った十香は、もうよだれが止まらなくなっていた。

 しかし口に運ぶ直前で、頭をプルプルと振って思い直す。

 

「だ、ダメだ! これは亜衣たちのおやつではないか。私が受け取るわけにはいかないのだ!」

「まぁまぁ、固いことは言いなさんな」

「そーそー、十香ちゃんに食べてほしくて用意してるみたいなとこあるし」

「マジ引くわー」

「亜衣、麻衣、美衣…………感謝する!」

 

 三人からの友情に十香の瞳が潤んだ。

 その心意気を無下にすまいと、まずはドーナツにかぶりつく。

 もちもちの食感とまぶされたきなこの風味に、多幸感が押し寄せる。

 ヘブン状態の十香に、三人娘はうんうんと頷くのだった。

 

「おっと、ここで女子の美しい友情に一つ、華を添えさせてもらってもいいかい?」

 

 何だか芝居がかった口調で割り込んできたのは、クラスメイトの殿町宏人だった。

 髪を逆立てた、ガタイのいい男子生徒である。

 十香自身とはあまり関わりはないが、よく士道にキラキラとした目を向けている覚えがある。

 亜衣麻衣美衣のしらっとした視線を受けて、殿町は身を悶えさせた。

 

「くっ、塩対応が目に沁みる……! 十香ちゃん、しょっぱいついでにこれでもどうぞ」

「むう……ありがたいが、あまり知らぬ者とは話をしないようにシドーからも言われているのだ」

「俺たちクラスメイトよ!? ウィーアーフレンズ!」

「ぬ、そうか? ならば頂こう。ありがとうだ、殿町よ」

 

 殿町が渡してきたのは個包装されたお煎餅だった。

 甘いおやつばかり渡された十香への配慮だろう。

 甘味の中に黒一点ともいえる塩気が加わったことで、味わいのバリエーションが豊かに広がる。

 それはそうと、何だかお茶が飲みたくなってきた十香だった。

 

「礼には及ばない、さ。これでも師匠(せんせい)の薫陶を受けているんでね」

「それってほむっち先生でしょ? ヤバいじゃん」

「淫行教師じゃん」

「マジ引くわー」

師匠(せんせい)のモテスキルは本物だ、間違いないね!」

「だからヤバいって言ってんでしょうが!」

「そーだそーだ!」

「マジ引くわー!」

 

 当人がこの場にいたら、間違いなく頭を抱えて胃痛を訴えるような光景が、ここにあった。

 十香は話の内容が今一つ把握できないので、クッキーを口にしながらむぅ、と唸った。

 そして教室を見回して、そういえばと転校生と鳶一折紙の姿が見えないことに気付く。

 転校生についてはよくわからないが、何か只者ではない雰囲気を十香は感じ取っていた。

 それはともかく、士道に気をかけてもらっているのが、ちょっぴりだけ羨ましくもあった。

 以前からの知り合いだと言っていたような気がするが、実際にはどんな関係なのだろうか。

 気にはなるが、一人で考えたところでわからないだろう。

 胸の内にモヤモヤとしたものが溜まる前に、思考を切り替える。

 鳶一折紙は明確に、十香にとっての障害だった。

 以前からの関係もあるし、事ある毎に士道をどこかへ連れ去ろうとする常習犯でもある。

 そんな彼女の姿が見えないことは気がかりだが、次の授業のことを考えれば気にしている場合ではない。

 士道もきっと、授業を真面目に受ける生徒の方が好きなはずだ。

 もしかしたら今日は頭を撫でてもらえるかもしれない。

 十香がぽわぽわと気分を浮わつかせていると、三限目開始のチャイムが鳴った。

 急いでおやつを掻き込むと、教科書とノートを机の上に出す。

 しかし、教室に入ってきたのは士道ではなく、見慣れぬ男性教師だった。

 

「えー、本日は穂村先生が体調不良で早退されましたので、この時間は自習とします」

 

 しばらくその言葉の意味が飲み込めず、十香はコテンと首を傾げるのだった。

 

 

 

 

 

「…………はぁ」

 

 ショッピングモール内のトイレで、士道は一息ついていた。

 時刻はもうお昼を回り、つい先程狂三と一緒に昼食を済ませたばかりである。

 ここまでのデートは、内容的にはそう突飛なものではなかったはずだ。

 それなのにこんなため息が出るのは、やはり自分の未熟さ故だろう。

 一挙手一投足とまではいかないが、狂三の行動は高頻度で精神を揺さぶって来るのだ。

 これではどちらが攻略されているか分かったものではない。

 もし、士道にもう少し女性経験があったなら、動揺する場面も減っていたはずなのだ。

 まあ、それとは別に、失言で恐ろしい目に遭う事態も何度かあったのだが。

 早鐘を打つ鼓動が恐怖によるものか、また別の要因か、最早わからなくなりそうだった。

 これが吊り橋効果というやつなのか……士道は洗面台で項垂れた。

 

『さっきから何度死にかけてるのかしら。この鳥頭』

「一番肝を冷やしてるのは俺だから勘弁してくれ……」

『それにしても、あれだけ失言しといて好感度はあまり下がってないのよね。何年も前に遭遇したことがあるって言ってたけど、まさかその時に手を出したりしてないわよね?』

「むしろ俺は手を出された側なんだが……命の危機的な意味で」

 

 琴里の疑いは全くの的外れと言わざるを得ない。

 当時の士道にそんな度胸があったなら、これまでの精霊攻略も少しはマシになっていたはずだ。

 それに、あんな妖しい笑いを響かせながら発砲してくる相手を口説きに行ける者がいたのなら、そいつは間違いなく剛の者だろう。

 仮にそんな奴がいるとしたら会ってみたいものだ……再びため息を吐く士道だが、自分がそれを求められかねない状況にあることに思い至り、その場で頭を抱えた。

 すると、インカムに姪っ子とは別の、何だか耳心地の良い声が届く。

 

『……しかし、失言がいい揺さぶりになったようだ。少しだが時崎狂三について解析が進んだよ』

 

 令音の解析によると、士道の失言によって感情値や機嫌のパラメータが変動する中で、ほとんど動きがない数値があるらしい。

 もしかしたらそれを解き明かすのが、攻略の糸口になるのかもしれない。

 

『……恐らくは覚悟、信念、或いは強い目的意識と言ったところだろう。とはいえ、心の中に秘めたものだ……触れたら大火傷というのも十分にあり得る。判断は任せるよ』

 

 これまで狂三と接した中で、覚悟や信念を示すようなものには覚えがない。

 それとは別に触れられたくないものといえば……路地裏で野良猫相手に「にゃあにゃあ」言っていたことだろうか。

 言及したら間違いなくぶっ放されるだろう。

 しかし、流石に猫の件が覚悟や信念に繋がっているとは考えにくい。

 まさか、この地上に野良猫の楽園を築き上げるなんて野望を抱いていたりはしないだろう。

 何とも馬鹿らしい考えに口元を緩めると、士道はトイレを出た。

 それ程時間は立ってないはずだが、あまり待たせては印象が悪化しかねない。

 次はどこへ連れて行くかと考え、ふと狂三のことで頭が一杯な自分に気付く。

 そんな症状には一つ、聞き覚えがある。

 曰く、恋をするとその人の事しか考えられなくなるそうなのだ。

 それが正しいかどうかは、士道にはわからない。

 少し前ならわかっていたような気がするのだが、正しく気のせいだろう。

 そもそも、初恋からして一般的ではなかったのだ。

 始まった時には既に終わっていたそれは、火が付く瞬間さえなかったのだから。

 時差を考えると、今頃アメリカは夜のはずだ。

 まぁ、時折連絡は寄こしてくるので、元気にはしているだろう。

 恋が一体どういうものであるかについてはともかく、今は狂三とのデートだ。

 そもそも精霊攻略中は、対象の事で頭が一杯でも何らおかしくはないのだ。

 そんなことを言ったら、十香や七罪の時も似たようなものだったはずだ。

 考えようによっては恋が多い、果てしなく不義理な男になってしまうが、そこら辺の事はあまり考えないようにしておいた。

 積み重なった事実からは思いっきり目を背けておく。

 真面目に考え出すと、精神衛生上よろしくないのだ。

 

「って、どこ行ったんだ?」

 

 しかし士道が戻ったところ、狂三の姿は消えていた。

 ふらふらとどこかへ行ったか、自分と同じようにトイレか、はたまた迷子か。

 ぱっと思いつくのはこれぐらいだが、果たしてその答えは、インカム越しに示された。

 

『時崎狂三なら、少し先のショーウィンドウに張り付いてるわよ』

 

 また何とも想像しがたい状況のようだ。

 精霊がそんな俗っぽい行動をとる様は……残念ながら容易に想像できた。

 お腹を空かせた十香は、よくふらふらと飲食店に引き寄せられるのだ。

 ただ、今回は狂三が相手である。

 まさか十香のようには――しかし、その辺りに何の店があるか思い出し、士道は納得した。

 この先にはそう、ペットショップがあるのだ。

 

「ああっ……可愛いですわ、可愛いですわ!」

 

 案の定、狂三はショーウィンドウの中の子猫にメロメロになっていた。

 初遭遇した時の事を思い出し、浮かべた苦笑が引き攣る。

 思えば、あれはお互いにとって不幸な出会いだったのかもしれない。

 あの出会いがなければ、士道は殺されかけることはなく、狂三もあんな場面を見られずに済んだのだろう。

 ただ、そうしたら士道は精霊に対する認識を改めなかったかもしれないし、十香たちとの出会いも全く違うものになっていたかもしれない。

 運命とか、それっぽい言葉を好んでいたのは中学生の頃だったろうか。

 あまり思い出すと黒歴史に抵触するため詳細は省くが、こうして様々な経験を経た上でその言葉について考えてみると、それはさぞ色んなものが複雑に絡み合った、とてつもなく面倒臭い代物ではないのかと思うのだ。

 ともかく、ここで下手に声をかけるとまた銃をぶっ放されかねない。

 士道はしばらく静かに見守ることにした。

 

(それにしても……何ともまぁ、油断してるよな)

 

 その何とも緩みきった笑顔に、頬を掻く。

 或いは、これが無防備な彼女の素顔なのだろうか。

 時崎狂三――最悪と呼ばれ、悪夢(ナイトメア)だなんて識別名を与えられた精霊の少女。

 人間の命を意図的に奪ってきたのは事実だし、士道自身も過去に殺されかけ、今だって何か失言があればその度に銃を突きつけられている。

 彼女への恐怖はやはり、拭い難いものだ。

 そんな相手に、自分は手を差し伸べられるのだろうか。

 

(いや、違うよな)

 

 そこまで考えると、士道は馬鹿らしくなって頭を横に振った。

 そう、そんなものは考えるまでもなかったのだ。

 例えばだが、あと十歳も若ければ、もっと何も考えずに行動できていただろう。

 今の自分の姿を高校生の頃の自分が見たら、うだうだ言うなと殴り掛かってくるかもしれない。

 少なくとも、瞬発力では確実に負けている。

 年老いたつもりはないが、若さというのはそれだけでエネルギッシュなものなのだ。

 経験が増えて視野が広がるのは良いことだが、それはつまり判断材料が増えるということだ。

 勿論それも悪いことではない。

 ただ、判断すべき事柄が増えると、その分行動に移るまで時間がかかってしまう。

 同じ結論に行き着くにしても、紆余曲折を挟むような形になってしまうのだ。

 こんなことで悩むなんて、随分と立派な大人になってしまったものだ。

 嘆息して、ガラスに映る頼りない男に目を向ける。

 何にしても、時崎狂三に対する答えは定まった。

 欠けていたピースが嵌まるように、もしくは歯車が噛み合うように。

 後は自分のやるべきことをやるだけ――――

 

「……んんっ?」

 

 と、士道はショーウィンドウの中に見逃せないものを見つけてしまった。

 とは言っても、店内に目を引き付けるものがあるわけではなく、それはガラスに映った人影だ。

 なので、正確な位置取りを言えば士道の後方になるだろう。

 肩口で切り揃えられた短めの髪に、人形のように整った無表情。

 来禅高校二年四組の生徒にして、現役AST隊員――鳶一折紙が、物陰からこちらを窺っていたのだ。

 自分たちと同様に学校を抜け出してきたのだろう、狂三と違って夏服ではあるが制服姿である。

 その視線に何というか、とてつもない重圧を感じて、知らずの内に頬に冷や汗が一筋流れた。

 

「こ、琴里? なんだか尾行されてるっぽいんだが……」

『ああ、鳶一折紙の事? ほとんど最初から張り付いていたわよ?』

「知ってたなら教えてくれよっ」

『あら、あなたの鳥頭にその事を伝えても、覚えていられるかどうか怪しいものだけど』

「うっ……ま、まあ、失言は本当に反省してるよ……」

『いいから余計なことは気にしないで、時崎狂三とのデートに集中しなさい』

 

 言い方はともかくとして、どうやら士道が気を散らさないための配慮だったらしい。

 それについては納得だが、ほとんど最初からいうことはつまり……ランジェリーショップの件もばっちりと見られてたということになる。

 果たして転校してきたばかりの精霊に、きわどい下着を勧める男性教師の姿を見て、彼女は何を思ったのだろうか。

 何か、とんでもない火種を抱え込んだ気がして、士道は非常に落ち着かない気分になった。

 その様子をどう判断したのか、琴里が補足を入れてくる。

 

『ASTの介入なら当面心配する必要はないわ。こんな時間にこんな人目がある中で、連中が物騒な真似をできるわけないんだから』

 

 それはもっともなのだが、折紙が本部へ報告しているとしたら、自分の動向が知り合いに筒抜けになっているということだ。

 例えば年上の後輩だとか、昨日出会ったばかりの妹だとか。

 七罪の一件で、燎子から物凄い罵倒と攻撃を食らったことは記憶に新しい。

 それに真那からは、女性関係について疑いをもたれている。

 絶対にロクなことにならない……そんな確信しかなかった。

 折紙の視線の圧は相変わらずで、士道の精神に少なくないプレッシャーがかかる。

 気づかなければ良かったのだが、気づいてしまった以上、これはもう仕方がない。

 とりあえず、狂三をこのままにしておくわけにもいかない。

 士道は少し距離を取ると、いかにもたった今来たかのように声をかけた。

 

「お、いたいた。おーい、狂三ー!」

「し、士道さん……!?」

 

 メロメロ状態から現実に引き戻され、狂三はビクッと身を震わせた。

 その様は初めての出会いを思わせるもので、そのまま声をかけなくて正解だったと、士道は内心で胸を撫で下ろした。

 もし迂闊に声をかけていたなら、また命懸けの追いかけっこに発展していたかもしれない。

 あくまでも何も知らない体で話を進める。

 

「何か見ていたのか?」

「――いえ、少々身だしなみを整えていただけですわ」

「悪いな、待たせちゃって。じゃあ、次はどこに行こうか」

「それでしたら――――」

 

 甘く、死と隣り合わせのデートは、まだ続く。

 

 

 

 

 

 天宮市の外縁部に位置する高台の公園に、一人の少女の姿があった。

 栗色の髪を後ろで一本の三つ編みに結わえた、黒いセーラー服の少女。

 彼女はベンチに座ったまま天宮市の街並みを見下ろして、羨むように呟いた。

 

「いい街だなぁ、ここ」

 

 空間震の頻発地域だというのに街には活気があって、そこには暖かい人の営みがある。

 それは少女が失って久しい物だった。

 彼女は、言うなれば旅人だった。

 ある目的のためにたった一人を追い求め、世界を渡り歩いているのだ。

 その身に纏うどこかの高校の制服も、彼女が失った物の名残でしかない。

 有り体に言うと、彼女は()()()()()()()()()()()()

 白く、淡く、儚い残像。

 そこにいたとしても、瞬きの間に消えてしまいそうなほど不確かな白昼夢(デイドリーム)

 

「あれ? あなたは……ヨモ吉さん?」

 

 隣に一匹の猫が陣取った。

 キジトラの野良猫――つい昨日、ここで出会ったばかりの可愛らしい知り合いだ。

 この場所がお気に入りなのか、それとも昨夜のことを覚えていて寄って来たのか。

 野良らしからぬ人懐っこさに、少女は頬を綻ばせた。

 そしてどこからか袋を取り出して、中身を自分の掌の上に乗せて差し出すと、猫はすぐさま口をつけ始めた。

 本当に、野良とは思えないほどの警戒心の薄さだった。

 日頃からこうやって、誰かから餌をもらっているのかもしれない。

 食事を終えると、猫は少女の膝の上で丸くなった。

 人の事情を考えないふてぶてしさは、何とも猫らしい。

 少女は苦笑すると、空を見上げた。

 少々気温は高いが、今日はいい天気だ。

 今は丁度お昼時なので、お昼寝の寝床にされてしまったようだ。

 撫でると、猫はゴロゴロと、何とも気持ちよさそうに鳴いた。

 その響きに少女は失った物を懐古し、そして来たる逢瀬を想う。

 ひたすらに一人を想い、求め、焦がれる。

 少女にその経験はないが、それはきっと恋と呼ばれるものに似た感情だろう。

 それがたとえ、憎悪や絶望に根差したものだとしても。

 微睡むようにそっと瞼を閉じる。

 

 自分が何者なのか――それは重要ではない。

 自分は何のために存在するのか――それこそが重要だ。

 そのたった一つの目的こそが、自分と()()を繋ぎとめる。

 

 そして瞼を開いた時、少女の左目の瞳に変化が訪れていた。

 寒々しく薄いブルー……その内部では時計の針が無機質に時を刻み、()()()()

 その人間ではありえない瞳が、不快に細められる。

 

「……うるさいなぁ」

 

 見つめる向こう――宅地開発中の台地で、工事作業用の重機が動き出していた。

 昼休憩を終えた作業員たちが、工事を再開したようだ。

 少女は小さく謝って猫を膝の上から下ろすと、ベンチから離れて宙に手をかざす。

 すると、どこからか現れた軍刀がその手に握られた。

 そしてそれを無造作に振るう。

 次の瞬間、重機は()()()()()()()()()()()()左右から真っ二つになって爆発し、炎上した。

 怒号と悲鳴が響き渡る。

 

「あらら、余計に騒がしくなっちゃった……いけないなぁ、我慢しないと。私には霊力(ちから)も『時間』もないんだから」

 

 失敗失敗、と少女は小さく舌を出して苦笑した。

 手に握られていたはずの軍刀は、もう既にそこにはない。

 ベンチに戻ると、猫の姿は消えていた。

 

「驚かせちゃったかな? ――まあでも、その方がいいよね、きっと」

 

 さして落胆する様子も見せず、少女は再び街並みを見下ろした。

 どこかへ行ってしまうなら、ずっと離れて行ってしまえばいい。

 自分からも、この街からも。

 だって、きっとこの街は滅んでしまう。

 自分と『彼女』が出逢えば、きっとそうなる。

 それは非常に残念で、悲しく痛ましいことだ。

 しかし同時に待ち遠しく、嬉しくも微笑ましい。

 だけど/だから、()()()()()

 

「だってそうだよね? 全部全部、()()()()()()()()()()()

 

 少女の輪郭が、歪む。

 空間ごと歪曲したように曖昧にぼやけて、白く染まっていく。

 それは変身と言ってしまってもいいだろう。

 少女の服装は、先程とは全く変わっていた。

 真っ白に染まりきった、軍服のような霊装(ドレス)

 何よりその容姿は、全くの別人といっていい程の変化を遂げていた。

 真っ白に染まった髪、赤と青の双眸――最悪と呼ばれる精霊に酷似した容貌(かお)

 歪んだ空間を切り裂き、女王(クイーン)とも呼べる威容を以て、彼女はここに顕現した。

 そしてブーツの踵を打ち鳴らし、高らかに謳う。

 

「――さあ、私たちの殺し合い(デート)を始めましょうか」

 

 

 




問:上目遣いで頬を赤く染めるという必殺の組み合わせを駆使したにも関わらず
  純粋に体調を心配されてしまった最悪の精霊の気持ちを述べよ。

解:ブッ殺しますわ。


というわけで今回は終了です。
多分次か次の次で終わると思われます。
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