士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話 作:kish
更新が遅れたのはお盆前の駆け込みのせいです。
あと、FF6の最強育成に手をつけ始めたからでもあります。
空間震といえば、今や誰もが知っている言葉だろう。
およそ三〇年前のユーラシア大空災を皮切りに、今日まで世界を脅かし続けている、原因も正体も不明とされている災害だ。
現象としてはその名の通り広域の空間震動であり、熱の伴わない爆発と表現したら、何が起きているのかが多少は伝わりやすいかもしれない。
しかしながらそれは一次的なものであり、空間震には大抵二次災害が存在する。
それは崩落といった一次的な破壊と地続きなものは勿論、突然の大雨に吹雪、台風、変わり種としては建物が巨大な招き猫に変化したなどと、不可解極まりないものもある。
イギリスのとある地方都市を襲った空間震の二次災害も、特異性では引けを取らないだろう。
それは奇妙な『影』だった。
上に光を遮るものなどないはずなのに、地面には影が広がっている。
主のいない影は徐々に広がり、シェルターから戻った人間を捉え、昏倒させていった。
勿論それだけなら事件として語られるものの、災害と呼ぶには程遠い。
実際にその影を操っていた
しかし、事実としてそれは起きた。
目的を果たしてか収縮を開始したはずの影が、突如として
まるで制御から離れ暴走するかのように、真っ白な影はあっさりと都市を覆いつくした。
そして残されたのは何もない、まっさらな空間だけ。
その都市は言葉通り、
目撃者はおろか、記録映像すら残っていない、
そこで実際に何が起こったのかを知るのは、相克する黒と白――二人の精霊のみである。
「まったく……どうしてくれましょうか」
公園のベンチに座り、時崎狂三は僅かに頬を膨らませた。
見渡す範囲にはちらほらと人の姿がある。
しかし、彼女のように制服を身に着けている者は他にいなかった。
それもそのはず……何故なら今は平日のデイタイム。
大体の社会人や学生、生徒は仕事やら勉学に勤しんでいる時間帯なのだ。
当然、彼女もそうしていなければならないはずなのだが、これにはあまり大きな声で言えないような背景がある。
諸事情により、理由を偽っての早退――早い話がサボりである。
狂三は仮病で学校を抜け出して、ショッピングを楽しんでお昼を食べた上で、こうして公園で休憩しているのだ。
そして彼女は一人で遊び歩いているわけではない。
そう、これはデートなのだ。
その相手である穂村士道はというと、今は二人分の飲み物を買いに席を外している。
彼女が頬を膨らませているのは、その士道に対してだった。
来禅高校の男性教師……狂三にとっては、クラスの副担任にあたる。
学校を抜け出してデートしているのも、彼に誘われたからなのだ。
世間の常識から言えばとんでもない事態なのだが、そこはそれ。
二人の間には、生徒と教師という真っ当な関係に収まらない事情がある。
それはさておき、士道への不満だ。
別に待たされていることに腹を立てているわけではない。
飲み物を買いに行ったのはつい先程のことなので、時間にしてまだ五分も経っていない。
問題は、相手の態度にあった。
「士道さんは一体、わたくしを何だとお思いですの?」
狂三は人間ではない。
その正体は、最悪の精霊と呼ばれ、世間の一部から恐れられる存在だ。
それは勿論、士道も承知している。
なんせ何年も前に、その命を狙って銃口を向けたことがあるのだ。
自分を見る目に度々恐怖が混じるのを、狂三は感じ取っていた。
それは当然だし、そういった感情を向けられるのは最早日常でしかない。
その事に不快や憤りや悲哀を感じる段階は、もうとっくに過ぎ去っている。
ただ、そこにどんな思惑があるにせよ、これはデートなのだ。
相手に見せる反応の全てが素というわけではないし、多少の演技が混ざっていることも確かだ。
しかし、こちらのリアクションに対して「お前、大丈夫か?」などと、正気を疑う風に本気目の心配を向けてくるのは、やっぱりどうかと思うのだ。
そんな態度を取られれば思わず頬が引き攣るし、〈
そもそも、士道は狂三に対して何か誤解している節がある。
別にキャット―フードを買うお金に困っているわけではないし、野良猫相手に「にゃあにゃあ」と言っていたのにも非常に高度で有機的な……とにかくとても簡単には語れない事情があるのだ。
自分に対する認識を是正するために、何度もああやって
次は一体どうしてくれようか……そこで狂三は、自分の頬が緩んでいる事に気付いた。
「ふふ……いけませんわ。なんてはしたない」
実のところ、狂三にとって士道は特別な存在だった。
最初は取るに足らない魔術師としか見ていなかったはずのに、とある事実を知ってから彼を観察する内に、その存在は自分の中でどんどん大きくなっていった。
ひたすらに想い、求め、焦がれる。
もしかしたらそれは、恋と呼ばれるものなのかもしれない。
だとしたらその結末はきっとハッピーエンドだ。
何故なら二人は遠くない未来に、一つになるのだから。
紅潮した頬に手を当て、熱を持った体を冷ますように息を吐き出す。
その時の事を思うと、焦れて、焦れて、気が逸って仕方がない。
彼が欲しい、彼と一つになりたい、
その欲求は留まることを知らず、ひたすらに狂三を急き立てた。
そうでなくとも、自分にはとにかく
目的を達するためには『時間』がいくらあっても足りず、あまり時間を無駄にしては厄介な追跡者が現れる。
その白く染まった姿を思い浮かべると、体を満たす熱はいとも簡単に消え去った。
残されたのは、決して拭い去ることのできない過去という、重く冷たい影。
精霊としての自分の始まりに根差す、罪の記憶。
ただじっと耐えるように、狂三は己の身を抱いた。
「――これは」
沈み込むように過去へ向いた意識を引き戻したのは、極めて不快な物音だった。
公園の木々の向こうを見通すように目を細め、ベンチから立ち上がる。
そしてそのまま茂みをかき分け、狂三は物音の発生源へとたどり着いた。
木々に囲まれたその空間には、四人の少年がいた。
こんな時間ならば学校に通っていそうな年頃に見えるが、サボって遊び歩いている狂三も人の事は言えない。
そもそもこの少年たちの素性だとか、そんなことには興味なかった。
静かに半眼を作り、彼らが取り囲んだモノへ目を向ける。
小さく蠢くそれは、生まれて間もないであろう子猫だった。
足を引きずりながら「みーみー」と鳴いていた。
察するに、試射かストレス発散か、それとも単純に甚振って愉しんでいたか。
理由が何であろうとどうでもいいことだった。
何故なら彼らが行っている事実は変わらないし、これから起こることにも変更はない。
弱いものを虐げていたものが、その立場に落とされる――――至ってシンプルな話だ。
「きひ、きひひひっ」
影が狂三の体を覆い、そのシルエットを変化させる。
血の赤と影の黒に彩られた、最悪の精霊が纏う霊装。
渦巻く霊力にあてられてか、それとも自分たち以外の者がいることに気が付いてか、少年たちが動揺を露わにする。
しかし、もう遅い。
既に狂三の『影』は彼らの足下にまで広がっている。
異様な雰囲気に逃げ出そうとした少年たちの足を、無数の白い手が捕らえた。
その悲鳴も恐怖に歪む顔も、最悪の精霊にとっては日常でしかない。
後は一つ一つ、ゆっくり丁寧に確実に潰していくだけ。
まずは一人目に向けて、狂三は短銃のトリガーを引いた。
「――――殺すなっ!」
しかし銃弾は届かず、不可視の壁に受け止められた。
狂三と少年たちの間に割り込んだのは、穂村士道だった。
沈痛な、しかしどこか決然とした表情でもって、彼は狂三と対峙した。
そして、狂三は楽しいデートの時間が終わったことを悟って、少し残念そうに息を漏らした。
公園の茂みの中に、一人の少女の姿があった。
肩口をくすぐる程度の長さの髪に、人形のように整った無表情。
来禅高校二年四組の生徒、鳶一折紙。
制服姿なのは、止むを得ぬ事情で学校をサボ……ではなく、抜け出している最中だからだ。
その事情には彼女が持つもう一つの肩書きが関係している。
陸上自衛隊対精霊部隊、通称・AST所属、鳶一折紙一曹。
現代の魔術師でもある彼女の視線の先には、少女が一人公園のベンチに座っている。
折紙と同じく(夏服と冬服の違いはあるが)来禅高校の制服を纏った少女である。
時崎狂三……つい昨日、来禅高校にやって来たばかりの転校生。
ただその転校生というのは、彼女の本質を表す言葉としては不適と言わざるを得ない。
特殊災害指定生命体、通称・精霊。
精霊は例外なく人類の脅威だが、時崎狂三の危険度はその中でも群を抜いている。
空間震は元より、数多の人命をその手にかけ、男性教師を誑かすとんでもない精霊だ。
握る拳に思わず力が入る。
精霊の存在は見過ごすことは出来ないが、それ以上に折紙が彼女から目を離せない理由は、その同行者にあった。
あろうことか最悪の精霊は、折紙の恋人である穂村士道を連れ回しているのだ。
下着を選ばせていた時は、自分を律するのに多大な精神力を消費してしまった。
まぁ、それは恋人の好みも知ることができたので、悪いことばかりではなかったのだが。
それにしても、学校をサボって教師を連れ出すなど、やはり精霊に常識は通じない。
士道は来禅高校の英語教師である。
本来ならば折紙との関係も許されるものではないが、火のついた乙女心の前ではそれすらも些細な問題でしかない。
ところが最近は困ったことに、彼の周囲に悪い虫が飛んで回っている。
それは主に夜だとか刀だとか神だとか、そんな姓を持つ精霊の存在だ。
折紙にとっては控えめに言ってお邪魔虫でしかないが、士道はその優しさからか拒否することができないのだ。
その性格に付け込んだ卑劣な手口と言えるだろう。
到底許すことはできないし、そのつもりもない。
決着はいずれ付けることになるだろうが、今は時崎狂三の件だ。
死体を確認されたはずの彼女が、一体どうして生きているのかはわからない。
しかし、ただ黙って放置しておく道理はない。
彼女が人を襲うのは見過ごせないし、士道に手を出そうというのなら言語道断だ。
今はこうして監視するだけに留まっているが、本性を表そうものなら躊躇っている暇はない。
折紙は胸ポケットの中の緊急着装デバイスを握り締めた。
「――このような場所で、一体何をなさっておりますの?」
「……っ!」
背後からの声に、折紙の体は即座に動いた。
しかし、相手の手はそれ以上に早かった。
振り向くより先に何かに体を掴まれ、強い力で地面に引き倒される。
衝撃と痛みで細められた視界に、上下逆さまの顔が映り込む。
影のように黒い髪に血のように赤い右目。
普段は隠されている左の瞳の中には、人間ではありえないことに時計の文字盤がそのまま収まっている。
公園のベンチに座っているはずの監視対象――時崎狂三が、唐突に折紙の目の前に現れたのだ。
即座に体勢を立て直そうとしたが、強い力で押さえつけられてそれは叶わなかった。
地面に絨毯のように広がった影から生えた何本もの白い手が、折紙の体を拘束していた。
この状態では緊急着装デバイスを使用することができない。
魔術師は超人の如き力を振るうが、それは随意領域あってのものである。
それを封じられた今の折紙は、常人と何ら変わらない。
せめてもの抵抗の意思を込めて、覗き込むように見下ろしてくる最悪の精霊を見返した。
「うふふ、そのように怖い顔をしないでくださいまし。わたくしたち、クラスメイトでしょう?」
「戯言を聞くつもりはない。あなたは何が目的? 一体、何故生きているの?」
「ええ、ええ、存じておりますわ、鳶一折紙さん。あなた、真那さんのお仲間ですわね?」
質問に答えるでもなく、時崎狂三は笑みを深めた。
しかしそれは今までの上品ぶったものではなく、どこか歪んだ、狂的なものだった。
その程度のことで怯む折紙ではないが、自分の情報が知られていたことに一定の驚きはあった。
確かに昨日、戦闘の事後処理に加わっていたが、この精霊は死体のままで周囲の状況を把握していたとでも言うのだろうか。
それともまた別の手段で情報を得ているのか。
もし意図して情報収集を行っているのだとしたら、時崎狂三はその戦力とは別の意味で危険だ。
「先生……穂村士道をどうするつもり?」
「それはまあ、有り体に言えば食べてしまおうかと」
「――それは、性的な意味で?」
緊迫しているはずの空気が緩んだ……気がした。
全く想定していなかった問いが飛んできたからか、最悪の精霊は目を丸くしてきょとんとした。
そして少しの間を置いて、腹を抱えて大爆笑した。
「あっはははははは! お、折紙さん! あまり愉快なことをおっしゃらないでくださいまし!」
「私は至って真面目」
「尚更タチが悪いですわよ」
「質問に答えて」
「ええ、まあ……そうですわね。彼が望むのなら、最期の思い出としては悪くありませんわね」
「――っ!」
今この瞬間、折紙の中で時崎狂三は完全な敵となった。
まぁ、精霊なのでそもそもが敵なのだが、それにも度合いというものがあるのだ。
例えば、現在は望まぬ休戦状態である夜刀神十香は、恋人同士の逢瀬を邪魔するに飽き足らず、士道に対してデートに連れていけなどとのたまっている。
折紙的に危険度は非常に高く、総合的にAAAランクといったところか。
対して、明確に(折紙的バイアス)士道を性的に狙っていると答えた時崎狂三は、AAAを越えて余りある……Sランク認定だ。
無論、そんなことを断じて許すわけにはいかない。
相手に刺すような眼光を送りながら、折紙は決意の言葉を発した。
「先生の貞操は、私が守る……っ!」
「……あの、まだこの話題を続けますの?」
気迫が通じたのか、最悪の精霊は少しだが辟易とした様子を見せた。
拘束されている状況にも関わらず、精神的なイニシアチブを見出した折紙は、言葉を連ねる。
敵と対する際に、武器など選んでいられないのだ。
「彼は現在独身の二七歳。けれども今は出張中の姉夫婦の家で姪と共に暮らしている」
「ええ、それぐらいならば私も存じて――――」
「血液型はO型のRH+。身長一七五・二センチ。体重六七・一キロ。上腕二八・五センチ。前腕二五・九センチ。バスト九〇・四センチ。ウエスト七二・三センチ。ヒップ八九・七センチ」
「……はい?」
「視力は両目共に〇・八。握力は右五五・三キロ、左五二・一キロ。血圧は一二八~七五。血糖値は九二mg/dl。尿酸値は五・六mg/dl」
「あの、さっきから何の話をしていますの?」
「彼の健康状態の把握は当たり前。それすらも出来ないような者に隣にいる資格はない」
「はぁ」
その気の抜けた生返事に、折紙は自身の勝利を確信した。
ここまでマウントを取っておけば、士道に近づこうとした際にこの時の敗北感を思い出すはず。
何だか目的がズレているような気もするが、きっと気のせいだろう。
内心では勝ち誇って、満足気にフスーと息を漏らしているのだった。
対して狂三は困惑からか頬に汗を滲ませる。
この六月の陽気の中で、長袖に黒タイツという暑そうな格好をしているのにも関わらず、汗一つかいていなかったはずなのだが、恋する乙女にかかればこの通りである。
内心で「こいつヤベー」とドン引きしているが、そんな態度を見せては沽券に関わるのだ。
仕切り直しと言わんばかりに咳払いをすると、もうさっさと話を進めることにした。
「……ともかく、士道さんとのデートの邪魔をされては困りますの。どうかここで大人しくしていてくださいまし」
「そうはさせな――――」
「勿論、反論や拒否の類は受け付けておりませんわ」
狂三が踵を地面に打ち付けると、影が折紙を覆うように広がった。
薄暗くなる視界と共に、虚脱感と倦怠感が襲ってくる。
薄れゆく意識を繋ぎとめようと舌を噛もうとしたが、それを影から生えた白い手が阻んだ。
手足の動きを封じられ、口すらも満足に動かすことができない。
あらゆる抵抗を封じられた折紙は、最後に視線に反抗の意思を乗せ、意識を完全に手放した。
「さて、真那さんの方は『わたくしたち』が引きつけているとして、士道さんは――――」
倒れた折紙から視線を上げた狂三の視界に、公園を駆けていく士道の姿が映る。
向かう先は林の中……
「これは、少々マズいことになるかもしれませんわね」
その場で行われていることを思い、嘆息する。
決裂はもう仕方がないとして、問題はタイムリミットだ。
あまり時間をかけすぎると、
余裕を保つために前回は念入りに痛めつけたはずだが、それこそ『時間』の問題だろう。
最悪の場合、士道の身柄を確保して即座にこの街を離れる必要がある。
次いで、足元に倒れる魔術師の少女へ目を向ける。
これ以降も邪魔をしてくる可能性はあるが、魔術師が一人増えたところでたかが知れている。
それが崇宮真那レベルともなれば無視はできないのだが、その他大勢レベルならば殊更歯牙にかける必要はない。
「まぁ、久しぶりに大笑いさせてくれた代金として、ここは見逃して差しあげますわ」
そういうことにしておいた。
それにしてもと、先程連ねられた個人情報を思い返す。
この鳶一折紙という少女は、一体どうやってそんな詳細なデータを手に入れたのだろうか。
言うまでもなく、思いっきり個人情報だ。
まあ、士道が教えたという可能性もあるのだが。
「士道さんの周囲には、随分と個性的な女性がおられますのね」
口から溢れたのは素直な感想である。
お前が言うなという声が影の中から聞こえた気がしたが、狂三は踵を打ち付けて封殺した。
「よし、じゃあ行くか」
士道は地面から子猫を拾い上げると、恐る恐る抱きかかえた。
衰弱しているせいか、ロクな抵抗もない。
その弱々しい様は、見ているだけで痛ましい。
腕の中で小さく鳴き声を上げるだけの小さな姿に、眉をひそめて目を細める。
そんな士道に、狂三は困惑した様子で呼びかけた。
「あの、士道さん?」
「どうした? その霊装は似合ってるけど、ちょっと目立つから元に戻った方が良いぞ」
「あら、ありがとうございますわ……ってそうではなく! 一体何をしていらっしゃいますの?」
霊装姿を褒められたことに気を良くしたのか狂三は微笑むが、すぐに困惑顔に逆戻りした。
今ので多少なりとも気が逸れたのを考えると、案外褒めるのは有効手段なのかもしれない。
無理矢理叩き込まれたハウツー本の内容も、意外と馬鹿にできないものだ。
「何って、こいつ怪我してるだろ。動物病院に連れてかなきゃな」
「わたくしの勘違いでなければ、先程は決裂して敵対するような流れだったと思うのですけれど」
「何で敵対なんかするんだよ」
「わたくしはあの方たちを手にかけようとした。士道さんはそれを見逃すとおっしゃいますの?」
「別に見逃してないし、きっちり止めた。それだけで十分だろ」
少年たちは士道が割り込んだことで拘束を逃れ、蜘蛛の子を散らすかのように一目散に逃げ出していった。
士道は全てを見ていたわけではないので、状況を察するしかない。
しかしモデルガンを構えて子猫を取り囲む様には、あまり好意的な解釈はできなかった。
悲しいことだが、そういった行為に走ってしまう者がいることは否定できない。
狂三が彼らに銃を向けるに至った理由も、想像でしかない。
この猫好き(本人に言ったら銃を突き付けられそうだが)の精霊にとっては、さぞや不快な光景だったのだろう。
結果として彼女は彼らに害意を抱いた。
でも、殺してはいない。
士道がそれを未然に防いだ。
「それとも、それってこいつよりも大事なのか?」
腕に抱えた子猫を示すと、狂三は口をつぐんだ。
釈然としない様子だったが、やはり気がかりではあるようだ。
赤と金の双眸を細めてため息を吐くと、霊装が解けて元の制服姿に。
「では、早く参りましょう。その子をそのままにはしておけませんわ」
「……むぅ」
もう昼休みも終わりに差し掛かるという時間。
夜刀神十香は座ったまま、物憂げに唸りを上げた。
夜色の髪に紫水晶の瞳……そこにいるだけで、周囲を非現実に変えてしまいそうな程の美しさを持つ少女である。
そんな彼女の周りを現実に押しとどめているのは、コロコロと鳴くお腹の虫だった。
十香の目の前には手つかずのお弁当があった。
このクラスの副担任である士道お手製の、彼女のために作られたお弁当だ。
早弁の誘惑に耐えながらも心待ちにしていたのだが、何故だか食欲が湧いてこない。
そんな彼女の様子に、一緒にお昼を食べているクラスメイトも心配の声を上げた。
「と、十香ちゃん、本当に大丈夫? もしかしてさっきのきなこモッチリングが効いちゃった?」
「具合悪いの? 保健室行く?」
「マジ引くわー?」
亜衣麻衣美衣の、二年四組が誇るかしまし三人娘である。
三人に声をかけられて、十香は鼻を啜って自分の目元を拭った。
服の袖が少し濡れている……それを見た三人は驚きを露にした。
「どーしたのよ十香ちゃん!? 泣いてんじゃん!」
「もしかして、誰かに何かされたとか!?」
「マジ引くわー!? おいコラ殿町ぃ! テメーが煎餅寄越したせいじゃねーのかぁッ!?」
「ちょっと待て! 煎餅に罪はないだろぉっ!? とりあえず許してください!」
急に槍玉に挙げられた殿町宏人は、悲痛な声で弁明した。
そのガタイの良さに反して実に弱腰である。
にわかに騒がしくなった周囲に、十香は慌てて手を振った。
「ち、違うのだ! お煎餅は美味しかった……うん、殿町は悪くない」
「と、十香ちゃん……!」
「大丈夫? 無理やり言わされてない?」
「遠慮なく言っちゃってもいいんだよ?」
「マジ引くわー? なんだったら家から拷問器具持ってくるよ?」
「何それ、あなたの家超怖いんですけど……」
飛び出した物騒な発言に、十香の言葉に感激していた殿町は顔を青くして震えた。
というか、拷問器具は果たして一般家庭に常備してあるような代物なのか。
考えても答えは出ない……謎は深まるばかりである。
ともかく拷問されては堪ったものではないので、ざっくりズバリと十香の憂いを言い当てた。
「いやいやお三方、十香ちゃんが食べ物のこと以外でこんなに悩んでるなら、
「ま、だよねー」
「やっぱそーなるよね」
「マジ引くわー」
「俺が責められるくだりは必要あったんですかねぇ……」
手のひらを返したように納得した三人に、殿町は机に手をついて項垂れた。
一方悩みを言い当てられた十香は、信じられないものを見る目をクラスメイトに向けた。
それは驚愕とか畏怖の眼差しである。
テレビに出てきたエスパァとやらはこんなに身近にいたのだと、愕然としていた。
殿町や亜衣麻衣美衣の言う通り、士道のことが気がかりでならなかったのだ。
体調不良で早退したということは、今も家で一人苦しんでいるはずだ。
すぐにでも駆けつけたかったが、理由もなく学校をサボるのはいけないと常々言われている。
士道が心配だが、途中で抜け出す訳にはいかない。
十香はこのジレンマでお弁当が喉を通らなかったのだ。
そんな純粋な彼女を見かねたクラスメイトたちは、助け舟を出すことにした。
「あー、きっと
「むぅ……」
「そうそう、こんな時ほむっち先生を看病してくれる優しい生徒がいたらなー」
「ぬ、し、しかし……」
「きっとその子のことすっごく褒めてくれるんだろうなー」
「ま、まさか……士道にナデナデしてもらえるというのか……?」
「マジ引くわー」
「――っ」
……約一名はいつも通りの発言しかしていないが、十香の後押しをする気持ちは一緒である。
と、そのタイミングで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。
後五分もしたら午後の授業が始まるだろう。
意を決して、十香は自分の弁当箱を掴んだ。
憂いなど振り切ったと言わんばかりに、その中身を掻き込む。
最後に空の弁当箱をカバンに放り込むと、立ち上がる。
「皆、世話になった。では、行ってくる」
そして教室を飛び出していった。
その後ろ姿を、クラスメイトたちは親指を立てて見送った。
満足気に頷く殿町だったが、そこではたととある事実に思い至った。
「あれ、そう言えば……時崎さんも朝から早退してたんだっけか?」
「あー、確かに。あといつの間にか鳶一さんも消えてるよねー」
殿町の発言を受けて、亜衣が学年一の才女の不在を思い出す。
時崎狂三と鳶一折紙と言えば、共にこのクラスの副担任の片割れとの不適切な関係が噂される女子生徒だ。
折紙のアグレッシブさは言わずもがな、狂三も昨日転校してきたのにも関わらずそのポジションに収まった、恐るべきポテンシャルの持ち主である。
その二人に十香を加えたら、淫行教師の悪行は大体出揃うことになる。
彼女らの不在は、果たして偶然なのだろうか。
ヤバい予感を覚えた彼らの頭に、鮮血の結末だとかナイスボートだとかそんな言葉が過ぎる。
「あ、あはは……いくらあの淫行教師でも、学校サボって両手に花ってことは……ないよね?」
「ま、マジ引くわー……」
その可能性を否定しようとする麻衣の声は、あまりにも頼りなかった。
いつもほぼ同じことしか言わない美衣の声も、どこか震えている。
やりかねねーと内心で否定しきれていない証拠だろう。
当の士道が知ったら泣き出しかねない信頼っぷりである。
気まずい沈黙が流れる中、次の授業が始まるまで二年四組の生徒は、空に淫行教師の顔を思い浮かべて祈るのだった。
子猫を動物病院に預けた士道たちは、元の公園に戻ってきていた。
一応はデート再開のつもりなのだが……
「…………」
狂三は士道の後についてくるものの、自発的に口を開くことはなくなっていた。
呼びかけても生返事ばかりである。
先程の一件が尾を引いていることは想像に難くない。
士道も士道で、次になんと声をかけるべきか言葉を選んでいる状況だった。
『ちょっと士道、いつまで黙っているつもり? それとも、その口は地球温暖化を促進するだけの飾りなのかしら?』
可愛らしくも威圧的な声――士道の姪っ子の五河琴里だ。
秘密組織の司令という席に座っている彼女は、こうしてインカムに指示や檄を送って来るのだ。
言葉のきつさはともかく、言わんとすることはわかる。
沈黙にも種類があるが、これはいい雰囲気に発展する類のものではないだろう。
こんな時に〈フラクシナス〉で選択肢でも提示してくれたら、それを切っ掛けにできるのだが。
しかしランジェリーショップやらきわどい下着と、散々な目にあったことを考えると、頼りきりになるのはどうにもよろしくない予感しかしない。
下手をしたら、士道の社会的立場を死に追いやりかねない程の危険性を秘めているのだ。
『確かに時崎狂三の精神状態は揺らいでいるけど、まだ選択肢が表示されるレベルじゃないのよ』
どうやらそういうことらしい。
だからこそ士道がどうにか声をかけて、狂三の精神を揺さぶれという意味だろう。
しかしながら、女性の心を揺らす話術にはさっぱり覚えがない。
いっそまた失言でもしてみようかとも思ったが、この状況でそれをやったらどう転ぶか。
このそこはかとない不穏さでは、それこそ本気で撃たれかねない。
士道は自分の少し後ろを歩く、精霊の少女へと目を向けた。
思えば、出会ってからの時間の割に、彼女に関しては分からないことだらけだ。
訳の分からない精霊ランキングなんてものがあったら、士道の中では堂々の一位を飾るだろう。
勿論、それを探るためのデートでもあるのだが、そっち方面ではあまり上手くいっていない。
というよりも、まだその段階まで踏み込めていない、と言うべきか。
覚悟、信念、強い目的意識……触れたら大火傷もありうる、心の奥に秘めた何か。
安易に触れるべきものではないのは確かだ。
しかし、人の心に触れるということには、少なからずそういうリスクがあって然るべきだ。
十香や七罪の時にも、士道はきっちり(物理的に)痛い目を見ている。
腕を斬り飛ばされたり瓦礫に押し潰されたりと、まぁ普通に生きていたらまずないだろうが。
そんな思いをしてまで、手を差し伸べるだけの理由が自分にはあるのか。
その答えは、もうとっくに出ている。
「琴里、これからすっごい失言かますかもだけど、フォロー頼む」
『はぁ……またいつもの無茶ね。まぁ、骨片の一つでも残っていたら拾ってあげるから、せいぜい死なないよう気をつけなさい』
「いや、それどれだけ悲惨な状態なんだ……?」
『そこはゴキブリ並みの生命力に期待ね。グッドラック……私のヒーロー』
最後に小さく声援が聞こえた……ような気がした。
意を決すると士道は狂三の手を取り、林の中へ引っ張って誘導していく。
今は平日の昼下がりなので、公園にそれ程人の姿はないが、あまり一般の方々に聞かせるような話題でもない。
意識したわけではないが辿り着いた先は奇しくも、先程子猫を拾ったのと同じ場所だった。
「……このような場所に連れこんで、やはり先程の続きを始めますの?」
狂三は挑発するように笑ったが、どこか余裕に欠けているように見える。
琴里の言う通りだとするなら、それは精神が揺らいでいるせいだろう。
彼女が何を秘めているのかはわからない。
それはきっと、容易に踏み込めるものではないはずだ。
「正直さ、俺は君が怖いよ。そりゃそうだよな。初対面があんなのだったし」
半ば冗談じみた理由とはいえ、明確に命の危険を味わったことは確かだ。
精霊との初めての出会いは、士道の中に恐怖と共に刻まれた。
「君は多くの人間を殺してきたし、多くの被害を出してきた」
真那の言う通り、狂三は単独で一万人を越える被害を出し、別の精霊と共に二つの都市を滅ぼした。
それは否定しがたい事実なのだろう。
士道は実情を知るわけではないが、自分の件や先程の様子から、人の命を奪うのに躊躇いがないのは確かなようだった。
その指摘に、狂三は僅かに眉を顰めて静かに、しかしまくし立てるように言葉を吐き出した。
「だとしたら、何ですの? 士道さんはわたくしのために説教をしてくださいますの? それともやはり、真那さんのようにわたくしを否定なさいますの?」
「……そうだな。俺は君がしてきたことは、どんな理由があるにせよ肯定できない」
どんな人間であれ、死んでしまえばそれを悲しむ者がいる。
誰かの命を奪うのは、決して認められることではないのだ。
いつかはきっと、償わなければいけないだろう。
「それでも、俺は君自身を否定しない。だから、手を差し伸べるよ」
確かに時崎狂三は危険な精霊だ。
これまでの行いを考えれば、邪悪とも言えるのかもしれない。
それでも士道は、この精霊の少女が血の通わない怪物ではないことを知っている。
何故なら血の通わない怪物は、路地裏で猫相手に「にゃあにゃあ」言ってたりしないのだ。
馬鹿げていると、一笑に付されるような理由なのかもしれない。
しかし、士道にはそれだけで十分だった。
あの日、きっと自分とこの少女は、同じ鳴き声に惹かれて路地裏に立ち寄ったのだから。
同じ感動を共有できるのなら、きっと手を取り合えるはずなのだ。
この結論自体はずっと前に――そう、十香の手を取った時には既に出していたものだ。
気づくまでに随分と時間がかかってしまった。
幸か不幸か、これで士道には躊躇う理由も、止まる理由もなくなってしまった。
だとしたら傲慢だとか図々しいと言われようとも、後は進むしかない。
胸に、言葉に、熱がこもっていく。
「もうお前に誰も殺させないし、もう誰にもお前を殺させない。俺がお前を救ってやる」
「――救う? 随分と思い上がったことをおっしゃいますのね。士道さんは正義のヒーローにでもなったつもりですの?」
「そうだ。お前を救うためならなってやるよ。傲慢で図々しいヒーローってやつにな……!」
「――っ」
狂三の顔が苛立たしげに歪む。
周囲の空気が張り詰めていくのが、嫌でも感じられた。
インカムからはサイレンの音が聞こえる。
どうやら精神状態が揺れに揺れているようだ。
『士道、言うまでもないだろうけど気をつけなさい。すっごいレベルで拒絶されてるわよ』
つまり、少しは狂三の本音を引き出せたという事だろう。
頬に汗を伝わせながら、士道は携行型の顕現装置を握り締めた。
攻撃してくるにしても、初撃はこれでしのげるだろう。
「ヒーロー? ――ふざけないでくださいましっ! そんなものがいたら、わたくしは、
狂三が激すると、その足元の影が爆発的に広がっていく。
たちまち辺りを覆いつくした影は、薄暗い空間を築いた。
ドロリと、空気がまるで粘性を帯びたかのような感覚が士道を襲った。
何かに拘束されているわけではないが、手足を動かそうとすると虚脱感や倦怠感を伴う。
何が起こっているかは分からないが、誰の仕業かは明白だ。
影を纏い、狂三は霊装へと変じる。
「……これは〈時喰みの城〉。わたくしの影を踏んでいる方の『時間』を吸い上げる結界ですわ」
「時間……結界……?」
その露わになった左目、金の瞳の中には、無機質な時計の文字盤。
いつもはゆっくりと時を刻んでいる針が、今はくるくると逆回転していた。
それが何を示すのか……その答えは、本人の口から語られた。
「寿命、とも言い換えられますわ。わたくしの天使は、わたくしの『時間』を喰らってその能力を発揮いたしますの」
「まさか、お前が人を襲うのは……!」
「ええ、その『時間』を補充するためですわ。そして勿論、今この時も」
この林から外の様子はうかがえないが、公園内には他の人間もいる。
だとしたら、この結界が吸い上げているのは士道の『時間』だけではないのだろう。
その考えを裏付ける言葉が、インカムに届いた。
『……公園のほぼ全域を彼女の結界が覆っている。結界内の人間は今は昏倒しているだけだが、このままでは命の危険もありうる』
令音の声はあくまで落ち着き払っているが、その場にいる士道には危機感は十分に伝わった。
無関係の人たちを巻き込んでしまったという自責が、その背にのしかかる。
勿論、狂三が攻撃してくるという展開も想定して、この場所を選んだつもりだった。
しかし、最悪の精霊はこちらの予想していなかった手段で、最悪の展開を引き起こそうとしている。
精霊の行動を自分の物差しで図ろうとしたのが、そもそもの間違いだったのかもしれない。
「きひ、きひひひっ、きひひひひひひひっ! 恐ろしいでしょう? 悍ましいでしょう!? 忌まわしいでしょうっ!? これでもまァだ、士道さんはわたくしを救うなどとおっしゃいますの!?」
「……まいったな。結界を解いてくれって頼んでも駄目か?」
「なら撤回してくださいまし。先程の、ふざけた世迷言を……!」
言葉尻が震えているのは、耐え難い憤りからか。
その中に、士道は別の可能性を見出した。
まもなく届いた令音の言葉が、可能性を確信まで押し上げる。
理由はわからないが、時崎狂三は穂村士道を恐れている、と。
それを前提にすると、先ほどの言葉の印象も変わってくる。
「恐ろしい、悍ましい、忌まわしい……なあ、もしかしてそれって全部、自分に言い聞かせてるんじゃないのか?」
「何を訳の分からないことを――――」
「だとしたら、さっきの言葉は撤回しない。何よりも、お前自身のために」
「いい加減にっ――――」
「お前がもう自分のことを諦めてるなら、俺が全力で引き上げてやる! だから、この手を握ってくれ!」
「――――お黙りなさいっ!!」
差し出した手に返されたのは、銃弾だった。
しかし震える銃口では、まともに狙いを定めることはできない。
銃弾は士道の頬の表面を浅く切り裂いて、後ろの木に穴を穿った。
血が一筋流れるが、この程度は痛みでもなんでもない。
溢れ出す感情に顔を歪め、狂三は叫ぶ。
士道にはそれが慟哭に思えてならなかった。
「あなたがわたくしを救うというのなら、どうしてあの時、わたくしを止めてくださらなかったんですの!? どうにかしてくれる都合のいい正義の味方なんて存在しなかった…………だから今も、わたくしと
『ああもう、聞くに堪えないなぁ』
その悲憤の叫びはしかし、虚空に響いた何者かの声に遮られた。
どこかで、それも最近聞いた覚えのある……しかし士道はそれ以上、声に意識を傾けることはできなかった。
周囲の異変が、それを許さなかったのだ。
足元の影が侵食されるかのように
色は反対だが、それは水面に墨を落としたかのように、ジワジワと広がっていく。
狂三が怯えるように小さく声を漏らすと、辺りを覆っていた影の結界は消え去った。
『あらら、失敗失敗。流石に最初の時みたいにはいかないよね。でも、足元ばかり気にしてるのは危ないんじゃないかな?』
「――――え?」
「ねぇ、狂三さん?」
どこか虚ろに響いていた声が、にわかに実体を伴う。
何が起こっているのか理解することができなかった。
真っ白な刃が、狂三の胸から生えていた。
やがて滲みだした赤色に、ようやく彼女が後ろから何者かに貫かれたのだと気づく。
『士道、気を付けて! 新たな霊波反応が出現したわ! これは――――』
けたたましいアラームと共にインカムに届く声は、まるで遠雷のようにどこか現実感に乏しい。
貫かれた当人は呆然と、そして場違いなほど気の抜けた声を上げて、自分の胸から生えた刃を見つめていた。
その刃が引き抜かれる。
すると絞り出すような苦悶の声を残して、狂三は地面に倒れ伏した。
身に纏っていた霊装が光となって解け、白い肌が露わになる。
その裸身の下では、流れ出す血液が地面を赤黒く染めた。
死――その一文字が、士道の頭を埋め尽くす。
影の結界は消え去ったというのに、頭がクラクラしてどうにかなりそうだった。
ただそんな状態でも、これまで培ってきた経験はきちんと仕事をした。
飛来した銃弾を随意領域が受け止める。
削られた魔力壁が火花のような光を発して散った。
「あら、受け止められちゃいました? お兄さん、魔術師だったんですね」
「君、は……」
そこには一人の少女の姿があった。
白く、白く、どこまでも白い。
髪も、肌も、その身に纏う軍服のようなドレスも、その両手に握られた短銃も軍刀も。
その中で異彩を放つのは、赤と青の
しかし士道の心を一番揺さぶったのは、その
「狂三……なのか?」
「ああ、この顔だと紛らわしいですよね」
少女は口元に手を当てて笑った。
その仕草に、何よりその声に、昨夜出会った名も知らぬ赤の他人の面影が重なった。
空間が歪み、白い輪郭がぼやけていく。
まもなくその中から、見知った少女の姿が現れた。
栗色の髪を一本の三つ編みに結わえた、黒いセーラー服の少女。
その柔和な笑顔と、両手に握った短銃と軍刀があまりにも不釣り合いだった。
「昨夜ぶりですね、お兄さん」
「精霊、だったのか……?」
「どうなのかな? 魔術師の人たちからは、〈デイドリーム〉なんて呼ばれてるんですけど」
「――っ!?」
士道の驚愕に同調するように、インカムの向こうからも息を呑むような声が聞こえた。
精霊〈デイドリーム〉……存在だけは確認されているものの、その詳細はほとんど不明の精霊。
最悪の精霊と共に二つの都市を滅ぼしたとされる、
「誰が名付けたかは知りませんけど、
自らが刺し貫いた死体ではなく、少女はあらぬ方へ向けて呼びかけた。
木々の隙間……そこから姿を現したのは、士道の目の前で倒れているはずの時崎狂三だった。
その身に纏った制服も、影のように黒い髪も、真珠のように白い肌も、血のように赤い右目も、揺れた前髪から覗く左の瞳の時計も、寸分も違わない。
ただその表情だけが今までの印象とそぐわなかった。
仮面のような無表情――猫に向けるふやけた笑みも、士道に向ける妖しい笑みも、困惑するでも激するでもなく、ただただ硬い。
それはまるで、意図的に感情を排しているように見えた。
「あんな言葉で心を乱すなんて、分身体の統率はしっかりしないとダメだよ?」
「丁度処分する手間が省けましたわ。お礼を言わなければなりませんわね」
「いつもならもっと早くに手を下していたと思うんだけど……もしかしてこの若い狂三さんに共感していたとか、そんなところかな?」
「それはまた面白い冗談ですわね」
「あはは」
「うふふ」
二人は笑い合う。
互いに制服姿の少女である。
片方が武器を持ち、もう片方と全く同じ顔をした死体が転がっている、という状況の異常性さえ除けば、それは久しぶりに会った友人同士の語らいを思わせた。
しかし同じ場にいる士道は、相次ぐ状況の変化に晒されて思考を麻痺させながらも、取り巻く空気がそんな穏当なものじゃないことをヒシヒシと感じ取っていた。
それは張り詰めるような戦意の高まりだ。
少しでも動けば、それこそ呼吸をするだけで破裂しかねない――その瞬間はすぐに訪れた。
「〈
霊力が渦巻き、影が狂三の体を覆い、赤と黒の霊装を形作る。
それに呼応するように対する少女は空間を歪ませ、白く染まった最悪の精霊の似姿に変身した。
「――――〈
「――――〈
そして対峙する二人は天使の名を、あるいは
それぞれの背後に現れたのは、共に身の丈を優に越す巨大な時計の文字盤だった。
だが片方、最悪の精霊に酷似した
それが一体何を意味するのか、士道にはわからない。
ただ、今まで見たどの精霊とも違う、明らかに不吉な何かを感じ取っていた。
赤と黒の霊装を纏う
周囲に漂う霊力の密度の高まりに、頭の中で容赦なく警鐘が鳴り響いた。
『――今すぐその場から離脱してっ!! 精霊〈デイドリーム〉は反転体よ……!』
次の瞬間、時空が捻れて弾けた。
次か次の次って言って、次で終わった例がない件。
あんまり長くなるとだれちゃいそうなので切ります。
反転体の霊装名が全然判明してなくて笑えますね。
一応二亜のはそれっぽいのがあるんだけど、カバラに関してはエアプなんで、次の話に出てくる赤の他人さんの霊装名で変なのが飛び出したらお目こぼしをお願いします。