士道くんが淫行教師と謗られながら精霊をデレさせる話   作:kish

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今日はニチアサ更新でいきます。
前回までシリアス多めだった反動が出るかもしれませんが、笑って見過ごしてください。


琴里編
守るべきもの


 

 

 

 その日はカラッとよく晴れた、真夏という響きに相応しい天気だったと覚えている。

 中学校に上がって初めての夏休みのある日、穂村士道は天宮市内の病院へと急いでいた。

 とは言っても車での移動である。

 当然ながら中学生の士道に免許はないため、運転しているわけではない。

 なので急いているのは気だけで、体の方はシートベルトでしっかりと助手席に固定されていた。

 隣でハンドルを握るのは、眼鏡の下で不安げに眉根を寄せる男性である。

 

「どどどどどうしよう士道っ、はるちゃん大丈夫かなぁ……!?」

「……いや、前見て運転してよ」

 

 自分以上に取り乱している人がいると、かえって冷静になるものだ。

 その動揺した様子にしかし、それも無理はないとため息をつく。

 五河竜雄……士道の姉である五河(旧姓穂村)遥子の夫である彼は、義理の兄に当たる。

 普段は穏やかで懐の広い人物なのだが、今この時ばかりは取り乱していても仕方がない。

 向かっている病院に入院しているのは、他でもない妻の遥子なのだ。

 車のエアコンが効いているはずなのに、その頬を汗が伝っているのは、やはり緊張からだろう。

 妻への心配もそうなのだろうが、この一件が彼自身にとっても一大事なのは間違いない。

 身内ではあるが当事者ではない士道にも妙な緊張感があるのだ。

 人の親になるというのは、きっと想像以上に大変なことなのだろう。

 その後、もう何度も通ったはずの病院までの道を間違えること数度。

 内心で、もういっそ徒歩で向かったほうが早かったのでは、と思ったのは秘密である。

 ともかく病院まで辿りついた士道は、焦るあまり受付をすっ飛ばそうとする義兄を引き止めつつ、共に姉がいる病室まで急いだ。

 

「――――はるちゃんっ、無事かい!?」

「何よたっくんってばもう、大袈裟ねぇ」

 

 血相を変えた竜雄に対して、個室のベッドの上で身を起こした遥子は、いつもの調子でケラケラと笑った。

 気の強そうな眼差しは相変わらずだが、髪は少し伸びただろうか。

 腕には布の塊のような何かを抱えている。

 一見平然としているが、その顔に残る疲労の色を士道は見逃さなかった。

 

「で、あんたはいつまで入口で突っ立ってるのよ」

「別に、やっと年相応に落ち着いてくれたかってホッとしただけだよ」

「ちょっとどういう意味よー? もう、そんなとこにカカシを置いたって仕方ないでしょ」

 

 どうやら、さっさと入って来いと言っているようだ。

 正直に言えば、士道はこの姉が苦手だった。

 思春期に突入して所謂お年頃になると、あれこれと何かにつけて構ってくるのが少々ウザったく感じてしまうのは、ある程度仕方のないことなのだ。

 そもそも、姉と弟というには少々年齢が離れすぎている。

 生まれて間もない士道が穂村家に引き取られた時、遥子は既に高校生だった。

 当時から竜雄とは付き合っていたようで、幼い頃から幾度となく惚気話を聞かされていた。

 やはりというか、好意の矢印は遥子の方から出ていたようで、それはまぁいつもの様子から容易に察せられた。

 見るからに草食系な義兄が、年下の女子にガツガツ食いつく様がどうしても想像できなかった、というのも勿論あるのだが。

 アプローチ自体は中学生の時からしていたようで、三歳年上の竜雄とは中学も高校も被らなかっただろうに、並々ならぬ熱意としか言いようがない。

 つまりこの二人は、大体これまでの人生の半分の付き合いだということになる。

 何というか、口を挟むのもバカバカしくなるぐらいのベタベタっぷりである。

 ……いまだに愛称で呼び合うバカップルな夫婦についてはともかく、歳が離れているせいで遥子の接し方にも保護者目線が混ざっていたような気もする。

 平然と着替えを手伝おうとしてくるし、お風呂に入るぞと引っ張られたことも何度もある。

 まぁ、流石に結婚してからは物理的に距離が離れたのでそれもほぼなくなったが、思い出すと頭を掻きむしって悶えたくなる難儀な記憶である。

 それ以外にも恥を見られたことも多々あるし、世話になったことはそれ以上に多い。

 苦手というよりかは頭が上がらない、と言った方が正確だろうか。

 あと一つだけ、士道が姉である遥子に苦手意識を抱く理由があるとしたら、それは――――

 

「あー、おー」

 

 病室の中に、あどけない声が響いた。

 当然だが、この場にいる三人が発したものではない。

 既に成人した竜雄や最近声が低くなってきた士道では、今のような声を出すのは困難だ。

 だからといって遥子がそれをやっていては、まず正気を疑う自信がある。

 答えは単純明快、今この病室には四人目がいるのだ。

 遥子が抱えた布の中身を見て、竜雄は感極まって泣き出してしまった。

 

「ほら、しーくんもこっち来てちゃんと挨拶しなさいよ」

 

 促されるまま覗き込むと、そこにいるちっこいのと目が合う。

 何となくだが、そのクリクリっとした目が母親に似ているような気がした。

 無言の視線にさらされ、士道の背中に汗が伝う。

 真夏とは言え病院内は空調に気を使っているので、これは精神性の発汗だ。

 ぶっちゃけて言うと士道は緊張していた。

 何となく手を伸ばしてみたものの、いきなり触っていいものなのか。

 生まれてこの方、赤ん坊と接するのは初めてなのだ。

 加えて思春期という多感なお年頃で、最近傾倒し始めた厨二的な何かも少し影響した。

 士道の頭の中には今、三つの選択肢が浮かんでいた。

 

①普通に挨拶する。

②ちょっとカッコイイポーズを決めて挨拶する。

③「ばぶぅ、おじたんのしーくんでちゅよ~」赤ちゃん言葉で挨拶する。

 

 ……何とも馬鹿げたものも混じっているような気がするが、思いついてしまっただけである。

 それに、別にこの中から選ばなければいけないわけではない。

 これからの人生で三択に振り回される機会など、きっと学校のテストぐらいしかないだろう。

 まさかゲームみたいに、選択肢を選んで女子を口説くなどという事態はあるはずがないのだ。

 逡巡して手を伸ばしたまま固まった様を、姉が微笑ましく見ているのには気づかなかった。

 そんな士道の意識を現実に引き戻したのは、不意に小指に触れた小さく暖かい何かである。

 自分に近づくものに興味を持ったのか、赤ん坊が手を伸ばしてきたのだ。

 無駄に緊張していたのが吹っ飛び、自然と頬が綻んだ。

 

「……これからよろしくな」

 

 中学一年の八月三日、穂村士道は自分が守るべき家族と出会った。

 この日の出会いを、あどけない声を、いたいけな小さな手の感触を、生涯忘れることは決してないだろう。

 

 

 

 

 

「――焦がせ、〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

 

 呼び声に応じて炎が収束し、その中から巨大な棍が出現した。

 そして炎を象ったかのような真っ赤な刃が、棍の先端部から吹き出すように現れる。

 巨大な戦斧――天使と呼ばれる、精霊が振るう絶対の矛。

 その天使(ぶき)は、一三歳の少女が振るうにはあまりに大きすぎた。

 

「こと、り…………?」

 

 そう、少女である。

 五河夫妻の娘にして士道の姪、そして〈ラタトスク機関〉で司令官を務める少女。

 どんぐりのようにクリクリっとした目が可愛らしい、人間であるはずの少女。

 しかし和装を着崩して、纏う炎の帯は羽衣のよう。

 それは紛れもなく霊装……精霊が纏う、霊力で編まれた鎧だ。

 五河琴里――彼女は今、炎の精霊として士道の前に現れたのだ。

 受け入れがたい現実を前に、胸元から血を流す最悪の精霊を抱えたまま、呆然と炎で赤く染まった空を、そこで対峙する二人を見上げる。

 身を炙るような熱気も相まって、その光景はまるで終末を思わせるものであり、事実士道にとって今まで信じていた日常が崩れた瞬間であったのは間違いない。

 そして彼女が対峙する白い精霊もまた、日常を壊しにやって来た存在だった。

 真っ白に染め抜かれた髪、肌、霊装(ドレス)

 その中で色づくのは赤と青の双眸。

 白昼夢(デイドリーム)と呼ばれる彼女は、最悪の精霊と同じ容貌(かお)で、あくまでも友好的な表情を浮かべながら短銃を構える。

 

「……初めまして、それともお久しぶり、かな?」

「悪いけれど、あなたみたいな不届き者には覚えがないわ。顔洗って出直してらっしゃい」

「これは手厳しい――――〈狂々帝(ルキフグス)〉」

 

 苦笑する白い精霊の背後に、巨大な時計の文字盤が現れる。

 先程のように所々が欠けたものではなく、これが完全な姿なのだろう。

 最悪の精霊が誇る天使と同種のものなのだろうか……しかし広がる一対の白い蝙蝠の羽は、天使というよりはその真逆の存在を思わせた。

 そして、その針が示しているのは時間だけではない。

 インダイアルに刻まれているのは十二の、恐らくは星座記号だ。

 星座の中で十二という数が示すものを、士道は一つしか知らない。

 太陽の通り道である黄道に現れるそれらは、黄道十二星座と呼ばれている。

 牡羊座から始まり、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、天秤座、蠍座、射手座、山羊座、水瓶座、魚座……その中の一つが輝きを放つ。

 

「【双子の弾(テオミーム)】」

 

 白い精霊――紗和は短銃を対する相手ではなく自分に向け、引き金を引いた。

 次の瞬間、その姿がブレて二つに分かたれる。

 それは時崎狂三が、自分の過去を切り取って複製するのと似たような能力なのか。

 文字通り二人となった紗和は、同時に琴里へ向けて攻撃を放つ。

 短銃による射撃と、軍刀による斬撃。

 

「――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉」

 

 対する琴里は、ただ巨大な戦斧を無造作に振りぬいて迎え撃った。

 弾も剣もまだ間合いの外……しかし、その刃は無形の炎そのもの。

 一度刃が揺らめくと、銃弾は蒸発し、軍刀を握った紗和の片割れは真っ二つに切り裂かれて燃え尽きた。

 その光景につまらなさそうに鼻を鳴らすと、琴里は肩に〈灼爛殲鬼(カマエル)〉を担いだまま、傲然と口を開いた。

 

「手品なら結構よ。もっと他にマシな芸はないのかしら?」

「これが完成された炎の精霊の力…………どこまでも忌々しいね」

 

 憎々しげに吐き捨てる紗和の目には、明確な敵意が見て取れた。

 事情は分からないが、彼女は明らかに炎の精霊を目の敵にしている。

 そして炎の精霊とは他でもない琴里自身なのだ。

 守らねばならない……しかし、士道は動けない。

 あそこにいるのが本当に琴里なのかと、いまだに受け止められずにいた。

 あの日、自分の小指を握った小さな手。

 しかし今その手に握られているのは、敵対する者の一切を焼き尽くす刃である。

 

「じゃあ、こういうのはどうかな――――【巨蟹の剣(サルタン)】っ!」

 

 その言葉には聞き覚えがある。

 先程、分身体の狂三に放ったものと同じ、不可視の攻撃だ。

 それが幾重にも展開され、琴里に迫る。

 見えていないはずのその攻撃を、士道は確かに察知していた。

 これは、対象を挟み込むように発生する斬撃なのだ、と。

 実際の手数は軍刀を振るった回数の倍。

 しかし琴里は炎の帯を翻して難なく躱していく。

 その様子に紗和は数度、手を打ち鳴らして称賛した。

 

「――お見事」

「馬鹿にしているのかしら? 目に見えないのは結構だけど、ああも霊力がダダ漏れじゃあ避けてくれと言ってるようなものじゃない」

「その霊結晶(セフィラ)、随分と馴染んでるみたいですね」

「……あなた、()()()()()()()()?」

「さあ、どうでしょうか?」

「いいわ、ならたっぷりとお仕置きした後で、じっくりと聞きだしてあげる」

 

 二人の会話が何を意味するのか、士道には理解できない。

 ただ、先程の攻撃を何故自分が察知できたのか、それが引っかかっていた。

 琴里が言っていたように、霊力の存在を感じ取っていたのだろうか。

 だとしたら、前回は何故それを感じ取れなかったのか。

 靄がかった疑問の答えを求めてか、無意識に視線が紗和へ向かう。

 すると視線が絡み、彼女は赤と青の双眸を悪戯っぽく歪めた。

 そして黙っているようお願いするように、立てた右の人差し指を唇に当てる。

 何かを企てている……その認識が、靄を急速に取っ払っていった。

 今回は()()()攻撃に霊力を込めたのだとしたら、それは何のためか。

 琴里の周囲には今も、不可視の攻撃に込められた霊力の残滓が漂っている。

 目には見えず、しかしやはり、士道はそれを確かに感じ取っていた。

 それはまるで、可燃性の気体が充満しているようにも思えて――――

 

(いや、まさか……!)

 

 答えに至った時には、既にトリガーは引かれていた。

 それはパチン、という場違いな程に軽快な音である。

 

「――っ」

 

 琴里が異変を察知するが、最早そこは空間の歪みという檻の中。

 空間震は既に発生している。

 しかし、或いは先程のように打ち消す術があるのなら――――琴里の焦りに満ちた表情がそれを否定する。

 今更逃げるよう声をかけた所で意味はない。

 今から駆け付けようとしても間に合わない。

 だけど、士道の手の中には今、魔術師としての力がある。

 

「琴里ぃぃぃいいいいいっ!!」

 

 自分の姪が精霊だったなどという()()()()は、頭からすっかり吹き飛んでいた。

 決して失うわけにはいかない大切なものを守るため、士道は全てのリソースを吐き出した。

 振り絞るように、あらんばかりの声を上げて、防性の随意領域を琴里の周囲に展開する。

 頭の中をかき混ぜるような激痛の上に視界が赤く明滅し、鼻から血が伝う。

 活動限界の兆候……次いで爆音と衝撃波に晒される。

 その際に狂三の体に覆いかぶさったのは、半ば無意識の行動だった。

 体の内外をボロボロにしながら、ひたすら随意領域を維持し続ける。

 それでどれだけの時間が経っただろうか。

 数十秒、数分、或いは数時間か――痛みに侵された頭では、時間の感覚が曖昧だった。

 活動限界を迎え魔力の生成もできなくなり、それでもなお士道は琴里の無事だけを祈り続けた。

 

「――――本当に、愚かな人」

 

 すぐ近くから、そんな声が聞こえた気がした。

 そして沈み込んでいくような感覚を最後に、士道の視界は闇に覆われた。

 

 

 

 

 

「うっ――――かはっ」

 

 胸元から広がる激痛が、意識を現実へと引き戻す。

 血を吐き出しながら目覚めた狂三がまず感じたのは、痛みと喪失感、そして熱気と重さ。

 胸を貫かれたのだから痛みは当然として、この喪失感はまるで自分の存在をごっそりと削り取られたかのようだった。

 視線を下げると、士道がうわ言のように誰かの名を呟きながら覆いかぶさっていた。

 視線を上げると、空間の歪みが上空に蟠っている。

 どうやら何者かが空間震を引き起こしたようだ。

 まさか、彼はその衝撃から自分を守ったとでもいうのか。

 仮にも、自らの命を狙ってくる相手に対して取る行動とは到底思えない。

 一体どこの世界にそのような大馬鹿者が――――

 

「…………いましたわね、ここに」

 

 自分の上で呻く男に対して、狂三は呆れを多分に含んだ視線を向けた。

 この愚か者はともかく、現状の把握が必要だ。

 まず、自分自身の状態……霊結晶(セフィラ)は半分ほど奪われたが、致命傷はギリギリ回避している。

 もしあの時に注意を促す声がなかったら、全て奪われていたかもしれない。

 精霊にとって霊結晶(セフィラ)とは心臓部……生命の源のようなものだ。

 半分しかなければその効率も減じるだろうが、この胸の傷もいずれ治るだろう。

 問題は、その暇を状況が許すか、ということだ。

 彼女が自分を見逃すとは到底思えない。

 この空間震も彼女が引き起こしたものだろうか、その影響で周囲の霊力が乱れている。

 自分の霊結晶(セフィラ)を奪ったその存在も、感じ取ることができない。

 しかしこの身を炙るような熱気は、まるで近くに火口が出現したかのようだ。

 これが自然現象でないとするならば――――いや、天災と称されるその力は最早、自然現象と並ぶ理不尽だろう。

 恐らくは別の精霊がこの場に現れたのだと、狂三は推察した。

 それならば、彼女が自分とこの愚か者を手に掛けない理由にも納得がいく。

 自分の悪運の強さに、皮肉気な笑みが浮かぶ。

 

「――〈刻々帝(ザフキエル)〉…………」

 

 呼びかけに、天使は鈍くも反応を示した。

 しかし霊結晶(セフィラ)を抜き取られたショックのせいか、繋がりがどこか弱々しい。

 その一部である短銃を呼び寄せようとして、上手くいかなかった。

 致命傷ではないものの、胸の傷は深手だ。

 今の状態では動き回るのが難しい。

 自分の体の上に被さる愚か者を退かさないのも、出来ないと言った方が正しい。

 分身体たちに呼びかけようとしても、〈刻々帝(ザフキエル)〉同様上手くいかない。

 精霊としての心臓を半分抜き取られたという事態は、どうやら相当に深刻のようだ。

 どこか他人事のように分析しながら、狂三は嘆息した。

 体の痛みにも心の痛みにも慣れている。

 しかし、この何も出来ないという無力感はどうにも耐え難い。

 目的のためには足を止める暇がなかっただけに、それは尚更だ。

 もし自分が()()絶望するとして、それは手足をもがれて何も成せないという現実を突き付けられた瞬間だろうか。

 

「――――『わた、くし』…………これを」

 

 消え入りそうな声がしたかと思うと、投げ出した手に、硬くも慣れ親しんだ感触。

 それが〈刻々帝(ザフキエル)〉の短銃であることは、見るまでもなく分かった。

 しかしわからないのは、それを渡してきた者だった。

 汚染されるかのように白く染まった姿。

 分身体の一人にして、先程本体である自分の胸を貫いた張本人。

 それが何故、今更こちらに利するような行動をとるのか。

 この分身体が受けたのは恐らく【蠍の弾(アクラヴ)】。

 他者の精神を侵し自分の(ピース)に仕立て上げる、〈狂々帝(ルキフグス)〉の権能の一つだ。

 その性質上、対象の精神に付け入る隙があればあるほど効果を発揮する。

 過日の罪業と向き合って顔を歪める程度に若い分身体には、さぞかし有効な毒だったのだろう。

 それを責めるつもりはない。

 本体である狂三自身にも、過去にその弾の毒を受けて不覚を取った経験がある。

 この分身体のように白く染まり切ったわけではないが、結果として致命的な隙を晒して、一時的とはいえ〈時喰みの城〉の制御権を奪われてしまった。

 自分の天使と彼女の()()は表裏一体。

 こちらが『時間』に干渉するのに対して、あちらは『空間』に干渉する。

 その二つを合わせた『時空』という概念が、本来この霊結晶(セフィラ)が司るものなのだろう。

 しかし〈時喰みの城〉に関しては、その領分が曖昧だ。

 内部にいる者の『時間』を奪う結界――即ち『空間』。

 乗っ取りなどという荒業が成立したのも、恐らくそのためだ。

 街を一つ呑み込んだその出来事は、狂三の中に確かな罪として刻まれた。

 それ以降も彼女と対峙する度に精神は激しく打ち付けられ、また同時に靭く鍛えられていった。

 その積み重ねの上にいるのが現在の時崎狂三であり、その精神の強靭さは過去である分身体たちでは持ちえないものである。

 だから蠍の毒に侵されて傀儡になってしまったのだとしても、それを責めることはしない。

 ただ、一度でも叛意を示した者を放置するわけにはいかない。

 狂三は受け取った短銃を、渡してきた分身体へと向けた。

 分身体は死を恐れない。

 だから彼女も銃口を向けられて、取り乱したりはしなかった。

 ただ、白く染まり切ったまま、赤と()の双眸で懇願するように……

 

「どうか、士道さんを――――」

 

 そう言い残し、それっきり動かなくなった。

 元より銃創だらけのその体は、とっくに限界を迎えていたのだろう。

 やるとなれば躊躇も容赦もしないが、死体を撃つ趣味は無い。

 狂三は血混じりのため息を吐くと、行き先を失った銃口を自分へと向けた。

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――【四の弾(ダレット)】」

 

 影が装填され、放たれる。

 すると、まるで逆再生のように胸の傷が塞がっていく。

 この【四の弾(ダレット)】がもたらすのは内的時間の巻き戻し。

 それで以て狂三は、自分の体を傷を負う前の状態へと復元したのだ。

 そして自分の上で呻く愚か者を押しのけて上体を起こす。

 地面に転がったその男――士道は死にかけていた。

 空間震の余波による外傷もあるが、それは直接的な原因ではない。

 現代の魔術師の死因として挙げられる主なものの一つに、活動限界がある。

 限界を超えて脳を酷使した結果、死に至るのだ。

 士道の状態はその一歩手前だった。

 狂三は魔術師がそうして死んでいったのを、幾度も見たことがある。

 

「――――本当に、愚かな人」

 

 危険から遠ざけたにも関わらず、のこのこと戻って来て死にかけているのだ。

 今までもこんなことを繰り返してきたというのは、容易に察せられた。

 同情の余地はなく、本当に救い難いほどの大馬鹿者だ。

 だというのにたった今発した言葉は、自分が思ったよりも柔らかく響いた。

 とぷりと、士道の体ごと地面に落ちた影の中――〈時喰みの城〉へと沈み込んでいく。

 体の傷は修復したものの、奪われた霊結晶(セフィラ)は戻らず、いまだに不調は続いている。

 事を成すのなら、邪魔の入らない場所が望ましい。

 最期の一瞬とはいえ、蠍の毒を押しのけるほどの思い残し――――彼女がこの短銃を託した理由は分かっている……いや、分かってしまう。

 彼女は他でもない、時崎狂三(いまのじぶん)過去(かつて)なのだから

 

「〈刻々帝(ザフキエル)〉――――」

 

 そうして影の中に広がる空間で、狂三は士道へと銃口を向けて引き金を引いた。

 

 

 

 

 

「切り裂け――〈灼爛殲鬼(カマエル)〉ッ!」

 

 肥大化した炎の刃で、周囲に蟠る()()を薙ぎ払う。

 同時に膨大な熱が振りまかれ、辺りの大気が膨張して熱風が巻き起こった。

 それこそ爆発もかくやという熱波はしかし、白い精霊を傷つけるには至らない。

 

「まったく、随分とふざけた真似をしてくれたじゃない」

「リクエストに応えたつもりなんだけど、お気に召しませんでしたか?」

「目覚まし時計程度の評価ならくれてやっても構わないわよ?」

「わぁ、辛口」

 

 口元に手を当ててクスクスと笑う彼女に対して、琴里は本当にふざけていると内心で毒づいた。

 霊力を持つ存在ならば、理論上は空間震を引き起こすことが可能だ。

 現に琴里も、先程自ら空間震を引き起こしている。

 波動同士が打ち消し合うように、空間震も発生と同時に同規模の揺らぎをぶつけることで相殺される。

 その理屈で、この白い精霊が行おうとした大規模な破壊を阻止したのだ。

 霊力の多寡が関係するし、発動までの時間もかかるが、単純に規模の大きい空間震を引き起こすだけならば、それほど難しいことではない。

 しかし、彼女はお遊び感覚で小規模な空間震を連発し、あまつさえ自分が振りまいた霊力を材料に、溜めなしでそれなりの空間震を引き起こした。

 勿論()()()()琴里にも可能だろうが、それは例えるなら一般人に、専門家ですら手こずるような数式を解けと言っているようなものだ。

 仮に同じことをしようとして、暴発させるか不発に終わるのがオチだろう。

 元々の性質か、それとも時崎狂三から奪った霊結晶(セフィラ)の影響か、とにかくこの精霊は空間震という現象と相性が良すぎる。

 反転体であるという事情を差っ引いても、その危険性は極めて高い。

 

(しーくんは――――生きてはいるみたいね)

 

 この場から離脱したのか、時崎狂三共々、その姿は消えていた。

 安否の程は不明だが、少なくともその命の灯は消えていないことを、目に見えない繋がりを通じて確認する。

 しかし予断は許されない。

 預けていた炎の力がこちらに戻ってきている以上、今の士道はあっさりと死んでしまうのだ。

 それに加えて、課せられた()()()()もある。

 目の前の脅威を可及的速やかに無力化した上で、保護に向かわなければならない。

 

「それにしても、無傷で切り抜けられるなんて予想外でしたね」

「せっかくの奇襲もお生憎様ね」

「お兄さんも無茶するなぁ……まさか空間震まで防いじゃうだなんて」

 

 そう、琴里が無事だったのは、空間震の直前に士道が随意領域を展開したからだ。

 この炎の力には再生能力もあるが、流石に跡形もなく吹き飛ばされてはどうなるかわからない。

 今回だけじゃなく五年前も……いや、いつだって士道はヒーローのように琴里を守ってくれる。

 それをこんな得体の知れない精霊に好きにさせる謂れはない。

 今の琴里はもう、守られるだけの存在ではないのだ。

 この黒いリボンはその証なのだから。

 

「うちのしーくんを、あまり馴れ馴れしく呼ばないでくれる?」

「ああ、家族なんでしたっけ。じゃあ、挨拶はちゃんとしなきゃですね」

 

 そう言うと、白い精霊は宙に浮かんだまま姿勢を正して微笑んだ。

 そして片足を引いて膝を軽く曲げ、軍服のような白い霊装(ドレス)のスカートを両手でつまんで、軽く持ち上げた。

 カーテシー……全く、本当にふざけている。

 

「あらためて、山打紗和と申します。お兄さん――穂村士道さんを私にください」

「……………………」

 

 琴里は沈黙したまま自らの天使を掲げ、持つ手を離した。

 すると刃が消え、中心の棍の部分のみがその場で静止する。

 刃を失った戦斧が、一体如何なる役割を果たすというのか。

 その答えはすぐに示された。

 

「〈灼爛殲鬼(カマエル)〉――【(メギド)】」

 

 声に応え、天使が更なる変化を遂げる。

 柄の部分さえも消え、先端部分のみとなった棍が、琴里が掲げた右手を包み込む。

 右腕の肘から先と一体となったその威容は――――大砲。

 周囲に揺らめく炎や蟠る熱を取り込んで赤い光を放つそれは、臨界状態を思わせた。

 今にも暴発しそうな程のエネルギーを蓄えた砲身を、無表情のままで、ふざけたことを抜かした精霊(おんな)へと向ける。

 

「――――あまりにも笑えないわ。寝言は永眠してから言いなさい」

 

 端的に言うと、琴里はブチ切れた。

 

 

 

 

 

 唐突に痛みから解放された士道の視界に、茫洋とした闇が広がる。

 しかし光源もないというのに、自分の体ははっきりと見える。

 真っ当な物理法則が働いていないのか、それとも気を失って夢でも見ているのか。

 士道は闇の中で自分の頬へ手を伸ばそうとして、それより先に何者かに頬を抓まれた。

 ぎりぎりと力が込められたその指先には、何だか苛立ちも込められているような気がする。

 

「痛い痛いっ――――何なんだよ、一体」

「あらあら、自分を痛めつけるような趣味をお持ちなので、てっきりこういうのが好みなのかと」

 

 堪らず飛び跳ねて、士道は背後を振り返った。

 影のように黒い髪、真珠のように白い肌、そして赤と金の双眸。

 赤と黒の霊装に身を包んだ狂三は、士道の様子にクスクスと笑った。

 その姿はやはり、闇の中にあっても浮かび上がるようにはっきりと見える。

 状況は不透明だが、その健在な様子に士道は一先ず胸を撫で下ろした。

 

「……無事だったんだな」

「ええ、お陰様で」

 

 胸に空いた穴は塞がっている。

 人間からしたら致命傷だが、そこは流石精霊というべきか。

 あの状態からどうにか回復したようだ。

 しかし存在感というか、圧のようなものは減じたままだ。

 やはりあの時、胸から抜き取られたものが関係しているのか。

 士道の視線に、狂三は恥じらうように頬を染め、両腕で抱えるように胸元を隠した。

 

「お気持ちは嬉しいのですけれど、欲情なされるのなら時と場合を考えていただきませんと……」

「ジロジロ見たのは謝るけど、人聞き悪いことを言うのはやめてくれないかなぁ!?」

「もちろん、冗談ですわ」

「そりゃそうでしょうよっ」

 

 あまりにも質が悪い冗談に、士道は胸に手を当てて動悸を押さえ込んだ。

 もし今のようなことを教室で発言されたら、社会的に死ぬ自信しかなかった。

 最早手遅れという見方もあるが、人間は希望を抱いてこそ前に進める生き物なのだ。

 現実逃避も時には必要なのである。

 士道はたっぷりとため息を吐いて項垂れた。

 

「…………で、ここは?」

「影――わたくしの〈時喰みの城〉の中ですわ。隠密行動にはうってつけですのよ?」

 

 たしか、内部にいる者の『時間』を奪う影の結界。

 そういえばと、彼女の分身体が影に出入りしていたのを思い出す。

 とすると、ここは影の中なのだろうか。

 先程のような虚脱感や倦怠感はないため、『時間』を吸い上げられているわけではなさそうだ。

 

「ち・な・み・に、このまま影の中で士道さんをパクリと頂いてしまうことも可能なのですけれど……如何なさいましょうか?」

 

 たっぷりと脅しをかけるように、狂三はニッコリと笑顔を作った。

 いつものように銃を突きつけられているわけではないが、状況的には恐らくさらに悪い。

 言うなれば、これでは口の中に入れられているようなものだ。

 彼女の意思一つで咀嚼され、そのまま飲み込まれてしまうのは想像に難くない。

 その点について疑問を挟むつもりもない。

 しかし、と士道はフッと頬を緩めた。

 

「お前はそんなことしないよ。だって今、俺が無事なんだからさ」

 

 なんだかんだ言いつつも、狂三は思わずぶっ放してしまう以外には、士道に対して積極的に危害を加えようとしてこなかった。

 そこには彼女なりの思惑があるのだろうし、それは士道には知る由もないことだ。

 ただ、これまで機会はいくらでもあったはずなのに、そうはしなかった。

 それだけは確かなのだ。

 狂三は士道の言葉を否定せず、ただ呆れるように肩を竦めた。

 

「それじゃあ、そろそろ出してくれないか?」

「死にますわよ?」

「まぁ、そうならないように気を付けるよ」

 

 外ではきっと、まだ琴里が戦っている。

 生まれた時は人間だったはずの彼女が、何故精霊になっているのかは分からない。

 先程は衝撃のあまり呆けてしまって、琴里が危険に晒されるまで動くことが出来なかった。

 だけど、それこそが答えだったのだ。

 どんなに動揺しようとも、結局士道は彼女を守るために動いてしまうのだ。

 人間だろうと精霊だろうと、琴里は守るべき家族なのだから。

 

「狂三は安全な場所まで離脱してくれ。まだ本調子じゃないんだろ?」

「わたくしを見逃すと?」

「見逃すってのはちょっと違うけど……まぁ、保留だな」

「……人を、たくさん殺しますわよ?」

「そりゃ困るな……そこはこう、ちょっと『時間』を吸うだけとかで済ませられないか?」

「出来るか出来ないかで言えば、出来ますわ――――でぇ、もぉ……きひひひっ」

 

 士道の提案に、狂三は口元を歪めて笑った。

 狂的な笑み……それは彼女が最悪と呼ばれる精霊なのだと、強く思い起こさせる。

 

「わたくしが実際にそうするかどうかは別問題、ですわよねぇ?」

「うんまぁ、なら信じるよ」

「……はい?」

 

 しかし士道はもう惑わされなかった。

 狂三がこれまでに数多の命を奪ってきたことは事実だ。

 その行いを認めるわけにはいかないが、そこには常人には計り知れない理由があるのだろう。

 だけど彼女は路地裏で野良猫相手ににゃあにゃあ言ってたりするし、それを見られたら照れ隠しで口封じにかかるだけの羞恥心があるし、戦っている最中に周囲を慮る優しさもある。

 そして今日のデートで見せた顔も、きっと偽りばかりではなかったはずだ。

 相手は分身体だったが、本体の過去である分身体も狂三であることに変わりはない。

 そう、時崎狂三は決して理解不能の怪物ではないのだ。

 だから信じる……歩み寄りの第一歩は、そこから始まるのだから。

 逆に困惑する彼女に対して、不敵に笑い返す。

 

「覚悟しとけよ? 次は絶対その唇、奪ってやるからな」

「まあ、士道さんったら。だから淫行教師などと謗られるのでは?」

「ぐはっ」

 

 実にクリティカルな指摘に、士道は胸を押さえて苦悶した。

 事実を並べ立てるなら、生徒に交際を迫り、また別の生徒とキスをした上に同衾もして、そしてまたまた別の生徒にキスをしてやると宣言したことになる。

 その他にも精霊攻略の上で余罪は多々あり、まさに叩けば埃が出る身なのだ。

 しかし、どれもこれも邪な意図がなかったことだけはわかってほしい、というのが士道の切なる願いだった。

 懊悩する淫行教師に余裕を取り戻した狂三は、自分の唇に人差し指を当てて妖しく笑った。

 その妖艶な笑みに、士道の鼓動が跳ねあがる。

 

「もちろん、士道さんが望むのなら、唇を許しても構わないのですけれど」

「――っ」

「このような闇の中ではムードもいまいちですし、また今度にいたしましょう」

「…………」

 

 何というか、手玉に取られている感が半端なかった。

 しかしこれでも、先程までお互いに危険な状態だったのだ。

 そこから脱したという一先ずの安堵は、狂三も同じなのだろうか。

 今も外は大変なことになっているはずだが、思わず気が緩んでしまった。

 だからだろう、軽口のようなものが口をついて出てしまったのだ。

 

「まぁ、もし軽い気持ちでキスして霊力を封印されちゃったら、流石にカッコつかないもんな」

「……? キスで、霊力を封印?」

「え……知らなかったのか? てっきり知ってるもんだと」

「ええまあ、具体的な手段に関しては聞き及んでいませんでしたわ」

「そ、そうか…………」

 

 己の失言を悟って、士道はダラダラと汗を流した。

 どこで情報を得たのかは定かではないが、周囲に他の精霊がいることやその霊力を士道が封印したことなど、狂三はやけにこちらの事情に詳しい。

 なのでつい知っているのを前提で話してしまったのだ。

 勿論ホイホイと表沙汰にしてはいけない情報だし、特に攻略対象に知られるのは大変マズい。

 下手をすればキスへの警戒心を抱かせかねないのだ。

 もし琴里に知られようものなら、間違いなく雷が落ちる。

 

「キスで封印だなんて、士道さんは随分とロマンチストですのね」

「俺がこのやり方を決めたわけじゃないからね!?」

「そしてそれに託けて複数の精霊(じょせい)に迫っていると。淫行教師の面目躍如ですわね?」

「もうライフポイントがゼロだから勘弁してくれないかなっ!?」

 

 精神的オーバーキルを食らって、士道はその場に両手をついてくずおれた。

 この闇の中では足場も定かではないのだが、どうやら地面のような何かがあるようだ。

 打ちひしがれる士道に視線を合わせるよう、狂三もその場に屈みこんで、鼻先が触れそうになるくらい顔を近づけてきた。

 吐息にくすぐられ、思わず息を詰まらせる。

 間近に迫った赤と金の双眸をとても愉快そうに歪め、この状況を甚く楽しんでいるらしい。

 こんな哀れな新米教師を甚振って、一体何が面白いと言うのか。

 流石にムッとした士道は、ささやかながらも反撃を試みることにした。

 

「いいのか? このまま少しでも動いたら、本当に触れちまうぞ?」

「あらあら、随分と自信がおありのようで。霊力を封印できるほど心を許されているとでも?」

「ぐっ……」

 

 狂三の言う通り、霊力の封印は相手がこちらに心を開いていないと効果を発揮しない。

 今日デートしていた相手は分身体なので、本体である彼女の好感度を稼げたとは思い難い。

 言葉を詰まらせた士道に狂三は笑みを深め、さらに顔を近づけてくる。

 少しでも身動ぎをしたら……それこそ何かの拍子に触れてしまってもおかしくない距離。

 

「ほぉら……このまま少しでも動いたら、唇が触れてしまいますわよぅ?」

 

 完全にいいようにされている。

 狂三はこちらが踏み切れないと見て、こんな挑発をしているのだ。

 かといって挑発に乗るのも、それはそれで負けな気がする。

 そもそも強引にキスに踏み切って、どんな反撃をされるかわかったものじゃない。

 彼女は余裕たっぷりに振る舞いたがるのだが、その実案外短気なのだ。

 すぐに銃を突きつけてくるのが何よりの証拠だろう。

 ともあれ、士道は引くことも進むことも出来ず、飛び出しそうな心臓を抑えるのに腐心した。

 その時だった。

 

「――――『わたくし』! 真那さんがこちらに…………あら?」

 

 闇の中にいきなり現れたのは、狂三と全く同じ容姿をした少女――分身体である。

 何やら緊急の報告なのか、大層慌てている様子だった。

 しかしそれを気にする余裕は士道には、そして恐らくは狂三にもなかった。

 

「…………」

「…………」

 

 共に無言……物理的に口を塞がれ、言葉を発することが出来なくなっていた。

 そして互いの唇を塞いでいるのは、向かい合う相手の唇である。

 触れるほど近い距離が声をかけられた拍子に、今はまるっきりゼロになっていたのだ。

 驚きに見開かれた左目の瞳の中で、時計の針がゆっくりと回転する。

 それを見ながら、士道は現実逃避気味に今日の夕飯のことを考えた。

 晩御飯を食べる頃には、きっと全てが丸く収まって平和に食卓を囲んでいるはずなのだ。

 ワナワナと震えだした狂三から目をそらそうとして――しかし互いの距離が近すぎるため、どこに目を向けても視界に入ってしまう。

 

「…………お邪魔のようですので、機会を改めるといたしましょう」

 

 本体から滲み出る威圧感を察知したのか、分身体は退散していった。

 結局何の用事だったのだろうか。

 しかし、この状況に至る最後の一押しをした下手人が消えてしまったのは、非常に痛い。

 突き飛ばされるかと思ったが、唇が離れる際には特に痛みも衝撃もなかった。

 狂三はおもむろに立ち上がると、これまた満面の笑みを浮かべた。

 それが友好のサインではないことは、今までの経験から嫌でもわかってしまった。

 

「――ブッ殺しますわ」

「待て待て! 話せばわかるから!」

「かつて、そう言って暗殺された首相がいたらしいですわね?」

「問答は有用だよ!?」

 

 恐るべき早撃ち(クイックドロー)を転がって回避しながら、士道は対話の重要性を叫んだ。

 しかしここは狂三が支配する〈時喰みの城〉の中。

 闇から形を取った影に絡みつかれ、身動きを封じられてしまった。

 

「――さて、乙女の純情を弄ぶような方には、お仕置きが必要ですわね」

 

 つい最近、同じようなことを同じ顔をした誰かに言われたような気がする。

 何やら因縁がありそうな黒白の精霊二人だが、実は気が会うのではなかろうか。

 そもそもこちらを挑発していたのはあちらであり、あんなことをしていなければ事故も起こらなかったはずなのだ。

 極めて理不尽な言い分に、磔にされたような格好のまま士道は頬に汗を滲ませた。

 

「あんなの事故だからノーカンだって! ……実際に霊力には影響ないんだろ?」

「当たり前ですわ。そう簡単に絆されると思ったら大間違い――――」

 

 言葉の途中で、狂三が纏う霊装に変化が訪れる。

 左腕の肘から先を覆うアームドレスが、解けて光となって消えたのだ。

 

「…………」

「…………」

 

 共に無言……口を塞がれていたわけではないが、実に気まずい沈黙が流れる。

 士道は言葉を探したが、何を言っても危険な目にあう未来しか見えなかった。

 それはもう恐ろしくて、同じように黙り込んだまま俯く狂三の顔を確認する勇気はなかった。

 それから少しの間を置いて、狂三がおもむろに顔を上げる。

 そしてこれ以上ないくらい可憐な笑顔で、やはり物騒なことを口走るのだった。

 

「――ブッ殺しますわ」

「それ以外のバリエーションが欲しいんだけどなぁっ!?」

「では、ブチ殺す方向でいかが?」

「意味合いはちっとも変わってませんよね!?」

 

 しばし闇の中に、悲鳴と銃声が響き渡るのだった。

 

 

 




というわけで終了。

外で姪っ子が戦っているのに、影の中でイチャついてる士道くんの明日はどっちだ!
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